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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


捧げるは愛のみ

「良く、こんな普通の企画通りましたね…」
 アトラス編集部。少し抑えた声で、田辺は隣の席に座っている三下に話しかけた。彼が今手にしているのは企画の草案である。
「ええ。やっぱりそう、思いますよね?…僕もまさか通るとは。いくら時期が時期だからといって、ねえ?」
 三下は田辺に向き直るとそう、やはり小声で告げた。
 通る筈のないだろう企画を提出する三下も三下だが、それを通した碇も碇である。田辺は三下の言葉に苦笑するともう一度草案に目を遣った。

――特集!バレンタインデー!
○世間一般に認知されているバレンタインデーというイベントに向けて女性若年層の読者を狙った企画。
○恋愛に関するおまじない、呪法などを紹介
○読者参加企画〜私のアイデアチョコレート〜
                       等々

 あまりに普通である。これではティーン雑誌のようだ。田辺は首を倒すと左右に捻った。
「で、私はこの読者企画の会場設営を手伝えばいいんですね?」
「はい、お願いします」
「えーと、審査は編集部員で行うんですね」
「ええその予定です。まあ効果云々よりもインパクト勝負になっちゃいますけどね」
「効果?」
 田辺は思わず聞き返した。
「アイデアチョコレートってあるでしょ?」
「ええ?…効果って…あの、見栄えとか美味しさとかではなくて?」
「やだなあ、こんな雑誌で美味しさ競ってどうするんですか」
 なんだか偉そうな三下である。
「いや、企画が普通だからてっきり普通に、と」
「違います違います。まあ効果といってもどんな効果を狙うかは人それぞれでしょうけどね」
 三下は言うと机の上の湯飲みを手に取り、顔を上げて冷めたお茶を口にすると編集長が少し赤い顔をして座っているのが見えた。


*

 シュラインの元へその通知が来たのは、パソコンの電源を落として興信所をあとにしようかという時間であった。時計を見ると午後7時。
 差出人三下のそのメールは何故か興信所宛に、つい先程送信されたものらしかった。件名は『バレンタイン企画参加依頼』とある。
 メールを開封したシュラインは、まずそれがシュライン個人宛のメールだと言う事に苦笑する。
――送信先から間違えてどうするつもり?三下君。
 尤もある意味正しいのだろうが。
 次いで、メールを読み進めたシュラインはさらにその内容に苦笑した。
「妙ねえ…麗香さんらしくないような」
 時期物とは言え、アトラスでこんな企画を立ち上げて一体何がどうなのだろうか。それにもし本格的にこの手の読者企画を進めようと思ったら、最低3ヶ月前には動いていなければならない。告知、募集、撮影、掲載。
 シュラインにメールが来ている時点で、この企画が突発的な物だと伺い知れると言う物だが、果たして。
「ま、参加してあげますか…」
 しかし参加するからには何か考えなければならない。
「チョコねえ。どんなの試そうかな…」
 『試す』―シュラインのその呟きに、デスクに凭れながら紫煙を燻らせていた草間は思わず吹き出した。


* +


 待ち合わせ場所はアトラス編集部の入ったビルの前だった。時間は…。
 麻生・雪菜(あそう・せつな)はそっと片手を上げると、腕時計で時間を確かめた。
 新堂・朔(しんどう・さく)と約束した時間まで、もう少し間がある。
 雪菜が時計から目を外し顔を上げると、曇り空が見えた。薄く濁った雲が天を覆っている。なんだか雪でも降りそうだった。
 結局、朔につられて今回の参加を承諾してしまった雪菜だったが、心中ではまだ迷っていた。
「どうしたの?」
 ぼんやりと空を見上げていた雪菜は軽く肩を叩かれて驚いた。
「このビルに御用ですか?」
 そこには二人の女性がいた。1人は今どき珍しく和装の女性で、もう1人は切れ長の目が印象的な女性だった。草壁・さくら(くさかべ・)とシュライン・エマ(・)である。二人とも大きな紙袋をその手に下げている。
 二人の美女に見つめられて、雪菜は少し気圧されたように口を開いた。
「あの…人を待っているんです」
「お友達?」
「はい」
 シュラインに聞かれて、雪菜はうなづいた。
「あ、もしかして…」
 さくらは手を打った。
「これですね?」
 そう言ってさくらが手に持っていた紙袋を広げると、中には製菓用材料が大量に詰まっていた。今はまだ、ただの材料であるが、その製作過程や完成品を想像するとわくわくしてしまうのは、雪菜が女の子だからだろうか。
「うわー。すごいね」
 紙袋を覗き込んだ雪菜の隣で明るい声が上がった。朔だった。
「朔さん」
 驚いた雪菜は声を上げた。
「あら、新堂さんね」
 見知った顔にシュラインが微笑んだ。
「こんにちは」
 朔の方でもシュラインとさくら、二人の姿をみとめて笑顔を返した。
「知り合いの方ですか?」
 雪菜がその様子を見て、朔に尋ねた。
「え?うん、ちょっとね」
 先日の事件の事を思い出し、さくらも朔に微笑んだ。
「これってチョコの材料ですよね?」
 朔は再び紙袋を覗くとさくらにそう尋ねた。
「ええ」
「うわー。楽しみだなあ」
「お二人共、アトラスのチョコレート作りですか?」
「はい」
 元気よく、朔がそう答えた。
「それじゃあ、とにかく中に入りましょうか?」
 シュラインに促されると、三人はビルの中へと足を向けた。

「あの、朔さん…」
 廊下を進みながら隣を行く朔に雪菜が声を掛けた。
「え?何?」
「あれから考えたんですけど…やっぱり私、チョコは…今まで作ったこともないし、それに渡す人も…」
 一度は承諾したのだ。辞退するにしてもきちんと会った上で、雪菜はそう考えて待ち合わせ場所に来たのだが。
 朔はそんな雪菜の言葉にお構いなしで、どんどんビルの奥へと進んでいく。何故か左手で雪菜の手を引きながら。
「朔さん…聞いてますか?」
「うん、聞いてます、聞いてます」
 朔はそう答えながらも前方を歩く二人に置いていかれないように、雪菜を心持ちひっぱりつつ歩いていく。
「でもね、せっかくレシピも考えたんだし、ね?」
「それはそうですけど…」
「材料も、ほら買って来てもらってるんだし、それになんて言うのかなあ。こういうのは作ってるだけで幸せな気分になれるでしょ?」
「…そういうものなんでしょうか?」
「うん。そういうものなの」
 朔は自信ありげにそういうと、雪菜に向かって強くうなづいた。

「作っているだけで幸せ…ね」
 シュラインは背後の二人のやり取りを聞いて、そう漏らした。誰かの為に心を込めて何かをするのは、確かにそれだけで幸せなのかもしれない。
「私もばれんたいんの時期は世にちょこれーとがいっぱいで幸せです」
 甘味に目がないさくらはそう言ってにっこりと笑った。その本当に幸せそうな表情にシュラインがつられるように微笑んだ。
「ところで…そのもう一つの紙袋には何が入っているんでしょう?」
 製菓材料とは別の袋。さくらは買い出し前からシュラインが持っていた紙袋が気になっていた。紙袋というか紙袋に書かれた『福田漢方薬局』という文字が気になっているのだが。
「ふふふ、企業秘密よ」
 シュラインはそう言うとさくらに向かって片目を瞑ってみせた。
 企業秘密、というからには今日のチョコレート作りに関係あるのだろうが、しかし。漢方?…とさくらは首を捻るのだった。



* + *


 チョコレート作りの会場にはアトラスの会議室が充てられていた。
 三下の企画にアトラスでそれ用の特設会場が用意出来る筈も無く、それはまあそうかも、と田辺に案内された4人はそう思った。
 ただ、設営の田辺が奮闘した証拠に、各テーブルにはそれぞれカセットコンロと湯沸かしポットが備え付けられていた。オーブンは壁際の机に。ただ、水道だけはどうにもならなかったと見えて(当たり前だが)『水道は給湯室を利用してください』という文句と給湯室の位置が書かれた用紙が各テーブルに置かれていた。
 因に、会議室内にテーブルは4つ。4つのテーブルがそれぞれ向い合せになるように中央に配置されていた。
「もしかして、私達4人だけなのですか?」
 不審げに、さくらは横に立つ三下にそう尋ねた。
「いえ、会場の都合で何回かに分けさせてもらったんです」
「なんだ、びっくりしたよ」
 朔は胸に手をあてた。その横でシュラインは買って来た材料を紙袋からテーブルに出していった。
「まさかとは思うけど、買い出しも毎回参加者に行ってもらうんじゃないでしょうね?」
 財布から領収書を取り出し、シュラインは三下に微笑んだ。その微笑みに三下が冷や汗を浮かべる。三下がこっそり編集長そっくり!などと思ったのは内緒である。
「え!?い、いけませんでしたか?」
「いいわけないでしょ」
 三下の言葉にシュラインは額に手をあてると深く息を吐き、雪菜はそんな二人のやり取りに目を瞑り、内心でこっそりと苦笑した。


 買い出しの袋から出したクーベルチュールチョコレートの封を解きながら、さくらは鞄から何やら取り出しているシュラインの方を見た。
 包まれていた布から出て来たのは、掌に載るくらいの小振りの白い小鉢。それに同色の乳白色の棒。どこかで見た事があるような…。
 今回、調理に使う器具の類いも全て編集部の方で用意されている。それなのにわざわざシュラインが準備して来たそれは、やはり特殊な品物なのだろうか?
「シュライン様、その小鉢は何に使われるのでしょう?」
 好奇心からさくらは尋ねてみた。
「え?これは乳鉢と乳棒よ。ほら、あの理科の実験で使う…そうね、すり鉢とすりこぎの小型版ってとこかしら?」
「ああ、なるほど。何かをすり潰す道具なのですね」
 疑問の解けたさくらは両手を軽く合わせ、にっこりと微笑んだ。
「やっぱり入れるにしても食べ易いようにしないと駄目じゃないかと思うのよね。すり潰しちゃえば口触りも良くなるし、抵抗なくたくさん食べられるかと思って」
「抵抗なく…」

――何を、入れるおつもりでしょうか?

 さくらはしかしその質問は胸へと収め、笑顔のままシュラインの言葉を反芻する事しかできなかった。


* + * +


 四人はそれぞれの作業を着実に進めて行く。
「さくらさんもトリュフなんですか?」
「そうですよ」
 朔は隣のテーブルのさくらに話し掛け、同じ物を作っていると聞いてなんだか嬉しくなった。
「えっと、あの、作っている所を見ていても良いですか?お手本を見ながらだったら美味しく作れるかな、なんて思って」
 少し照れたようにそう話す朔にさくらは微笑むと軽くうなづいた。
「勿論良いですよ。では、一緒に進めましょうか?」
 そう言われて朔は、うんうん、と嬉しそうにうなづいた。
 一方その向かいでは雪菜がメレンゲ用の卵白をハンドミキサーで泡立てている所だった。シュラインがその様子を見て、声を掛けた。
「あら?ケーキね。ガトーショコラ?」
 チョコレートケーキの定番。その見た目はシンプル、生地の美味しさが勝負の、チョコレートケーキである。
「あ、はい」
 急に話し掛けられて、雪菜は驚いたようにそう返した。シュラインは雪菜の手元を見て何やら考えているようだ。
「そうか…生地の色が色だから目立たないわね…。ケーキって手もあったか」
 そう言いながらシュラインは何やらゴリゴリとすり潰している。少し離れた所に削られたチョコレートがボールに入れられてある所から、チョコレートを使った何かであることは間違いなかったが、いったい何をしているのか雪菜には見当がつかなかった。
 今も、何をすり潰しているのかしら…。
 『アイデアチョコレート』というからには何か『アイデア』に関わる物なのだろう。
 ふと、斜前方のテーブルで同じような事を考えていたらしいさくらと目が合った。
 さくらは先程からシュラインの動向が気になっていたのだが、実際に作業が始まったようなので思いきってシュラインに尋ねることにした。
「その小鉢の中身はなんなのでしょうか?」
「え?これはヘビの薫製…」
 シュラインの言葉にガナッシュクリームを作っていた朔も手を止める。
「じゃ、じゃあそっちに置いてある袋は…」
 テーブルの上には種々の小袋。蛇と聞いてそれらの小袋さえもが怪しく思えてくる。朔は恐る恐る尋ねてみた。
「いもりの黒焼きとイランイランの精油…それからキャラウェイ。この辺りは割と有名よね?えーと、あとはマンドラゴラの根に黒猫の肝臓…この二つはちょっと怪しいお店で手に入れたから、実は眉唾物なんだけど。それからこれが漢方薬局で入手の鹿の角」
「それって…」
 雪菜が首を傾げながら尋ねる。
「全部惚れ薬、の効用があると言われている物よ」
 シュラインは楽しそうに笑った。
「く、黒猫の肝臓…。確かになんだか効きそうだけど…」
「食べる方はさすがに…勇気が要りますね」
 朔に続けるように、さくらはそう言った。さくらの言葉を聞くとシュラインは鋭利に微笑んだ。
「貴女達も少し使ってみる?」
「えええ!…もし効果があるのなら樹があたしの事好きになっちゃうかもしれない、よね…。どうしよう?」
 真剣な表情でそう言うと朔は雪菜に向かって首を傾げた。
「朔さん…」
 雪菜は朔を止めるかのように片手を静かに上げて首を振った。
「まあ一応、効果が有るって信じられてきた物ではあるのよね」
 この企画の為に種々の魔術書から雑学辞典まで隈無く調べて来たシュラインはそう言った。さくらが相づちを返すように軽くうなづく。
「そうですね…。キャラウェイ入りのくっきーなどは良く聞きますね」
「美味しい?」
「ええ、それは勿論…あ」
 思わずそう答えるさくらにシュラインが微笑んだ。とりあえず菓子の類いは一通り食しているようだった。
「あと、惚れ薬といえばこれもそうなのよ。知ってた?」
 シュラインは何やらスパイスの小瓶のようなものを手に取り軽く振った。中には黒く細長い物がいくつか入っている。瓶のラベルには…。雪菜は目を凝らした。
「バニラ…」
「へえ、そうなんだ…」
 瓶を開けるとシュラインはその棒のような物を出した。そうして手早く鞘を開き、中から黒い種を取り出した。
「これなら、チョコに入れてもおかしくないわ、どう?」
 シュラインの言葉に三人は顔を見合わせた。


* + * + *


 朔はさくらと同じ工程でトリュフ作りを進めていった。料理教室、講師さくら、生徒朔、のような図である。
「少し冷めたらここで、仕上げに好みの洋酒を…」
「洋酒?…ですか」
「はい。例えばそうですね…ラム、グランマニエ、オレンジキュラソーやブランデー等ですね。何でもお好みの物で良いみたいです」
「うーん。…じゃあ、ブランデーで」
 朔はそう言うと茶色の小瓶から計量スプーンに2杯のブランデーを量り入れた。ブランデーを選んだのは、なんとなく大人の味という気がしたからだ。ゴムベラで軽く混ぜるとチョコレートに残る熱でほんのりとブランデーが香り立った。
 朔の作業を見守ると、さくらも自分のボールに同じく2杯落とした。
「さくらさんは、何にしたの?」
「私のは特別な品ですわ。魔法の薬とでも申しましょうか…」
「魔法!」
 魔法、と聞いて朔は目を輝かせた。
「いいなー。私もそれにすれば良かったかも」
 朔のその言葉を聞いて、雪菜は小さく微笑んだ。
「それからせっかくですし、これも混ぜましょうか?」
 さくらはそう言って、先程シュラインから貰った、バニラの種を細かく刻んだ物を少々、ボールに入れた。
「じゃあ、あたしもー」
 朔も同じようにボールへと入れる。少し空気が動いただけなのに、辺りにバニラの良い香りが漂った。
「雪菜さんは、それ、おふだか何かかしら?」
 丸型に流し入れた生地に白く紙のようなものが見える。シュラインは目を凝らしてみたが、周囲の生地に馴染んでしまって良くは分からなかった。
「近所の神主さんに頂いたんです。…食べ物にいれるおまじないの紙なんだそうです」
 おまじないね。と、シュラインは得心した。京都の地主神社が縁結びのメッカになっているように、最近の神社ではそんな物も扱っているのだと。
「おまじないって、もしかして恋愛成就、とかいうやつ?」
 朔は興味津々という顔で雪菜の方を向いた。雪菜は静かにうなずくと口を開いた。
「効果は確か、無病息災、だったと思います…って、え?」
 『無病息災』と聞いた途端、がっくりと項垂れた朔は手を振った。
「雪菜って渋い、よね…」
「そうですか?…でも、あの、大切なことだと思うんです…けど」
 そうですよね?と同意を求めるように、雪菜はシュラインとさくらを見た。
「そうね…。まあ確かにそうよね」
「相手の事を想われての事ですから、無病息災のおまじないと言えど、そこには愛情があると思いますよ」
 二人の人生の先輩はそう、雪菜に同意を示した。
「そうか…。うーん。奥が深い」
 朔は腕を組むとうんうんとうなづいた。
「ところで、雪菜はもう出来上がりなの?」
「はい、後はオーブンに入れて焼けば…」
 雪菜がそう答える間に、いつの間にか隣に立っていた朔が、さきほどのバニラを雪菜の丸型に振り入れた。
「朔さん…!」
「あ、ほら良い香り♪」
「そうではなくてですね」
 先程のシュラインの説明が雪菜の頭を過(よぎ)った。もしも本当に効いてしまったら…。
「好きな人にあげるのでしょう?」
 シュラインが丸型を見つめる雪菜に声を掛けた。
「いえ、あの…好きな人っていう…わけでは」
 弁解しようとして一瞬思いとどまり、雪菜はおとなしくとんとんと丸型の底を叩くとオーブンへと向かった。焼き上がりまではあと30分程待たなくてはならない。



 さくらと朔は絞り袋で丸く絞ったガナッシュクリームが固まると、コーティング用のチョコレートに潜らせる。そうしてチョコレートをまとったトリュフ一歩手前のそれはバットの中で仕上げのココアパウダーをまぶされるのを待っているようだった。
 絞り袋の都合なのか、それともやっぱり腕の差なのか。
 朔は見事な程綺麗に絞り出されたさくらのガナッシュと自分が絞ったすこし扁平な形のガナッシュを見比べた。
「うーん。さくらさんの綺麗ですね。美味しそう…」
 朔の声のトーンが少し落ちている事に気付いたさくらは軽く首を振る。
「朔さんのも十分美味しそうですよ。愛情がこもっているんでしょう?…それに」
 さくらがバットにココアパウダーを入れてガナッシュを転がすと、見事なトリュフの出来上がりだった。
「ココアをまぶすと形もほとんど気になりませんよ」
「本当?」
「本当です」
 笑顔のさくらにそう言われて朔は気を取り直し、仕上げに取りかかった。

 一方シュラインは生クリーム入りのガナッシュチョコレート(勿論例の諸々も混入)を冷やし固めたものを、湯で熱したナイフで四角く切り揃えていった。
「シュラインさんのは、なんと言うお菓子なのですか?」
 焼き上がりを待つ間、三人の作業を見ていた雪菜がそう聞いた。
「パヴェ・オ・ショコラ、という物よ。『生チョコ』という方が一般的かしら」
「そうなんですか…」
 手際よくシュラインはその四角片にココアパウダーを振りかけていく。
「美味しそう、ですね」
 無意識に、雪菜はそう漏らした。そう、中に何が入っているのかさえ考えなければそのチョコの外観はとても美味しそうに見えた。一流パティシエの作と言われて、おかしいと思わないくらいに。
「なんだったら、味見してもいいのよ?」
 雪菜に、シュラインはにっこり笑ってそう言った。
 雪菜が丁寧に辞退したのは言うまでもない。


* + * + * + *



 シュラインは(興信所に出入りしている暇人…もとい手の空いている人に笑顔で「作ってくれるかしら?」と、もちろんノーギャラで)頼んで作ってもらったパッケージの出来を確かめていた。
 市販の組み立て式パッケージボックスの側面に原材料表示がはっきりと印刷されている。もちろん、チョコレートに混入されているあれやこれがばっちり書かれているのだ。なかなか良い仕事だった。
 シュラインはそのボックスを器用に組み立てると中に先程完成した生チョコを詰めて行く。
――四角いチョコレートが整然と並んだその様を煉瓦道に例えた、そんな商品名もあったわね。
 結局自分では一切味見をしなかったため、味の保証はちょっとできないが見栄えは抜群であった。因に、混入された種々の材料は、惚れ薬の原料とされるものの実は滋養強壮材としての効用もあるのだが。




* + * + * + * +


 それぞれのチョコレートが封をされてしまうまえに、田辺は愛用のライカで順番に撮影していった。その横で三下がそれぞれの制作者にチョコレートの効用、説明とレシピを詳しく聞き出していった。
 会議室の扉に近い順に編集部の二人が廻って行く。
「これは…?」
 三下の目の前には美味しそうな、しかし何の変哲もないトリュフがあった。さくらの作である。田辺の上げるフラッシュが何度か室内に瞬いた。
「これは、『応援しちゃうぞ、チョコ』です」
 そう言ってさくらは胸の高さで両手をぐっと握りしめた。
「応援…ですか?」
「はい」
 怪訝な表情の三下にさくらはにっこりと微笑むと説明を続けた。
「このチョコレートを男の子が食べると、なんと小さな天使が現れて…あっと、これ以上は言えませんわ」
「はあ?」
 『魔法だものね』朔のにそんな視線にさくらは笑むと目配せした。
「特徴はこの…」
 そう言って先程の茶色い小瓶を取り出す。実はラム酒の小瓶である。
「魔法の薬です」
「魔法、ですか…。ええと、詳しい中身は?」
「企業秘密です」
 きっぱりとそう言うとさくらはにっこりと微笑んだ。
「は、はあ…ええっと、詳しい事は…企業、秘密っと」
 三下は呟きながら手にしているレポート用紙に書き込んで行く。隣で田辺は思いっきり突っ込みたかったが、首を振り、とりあえず撮影の係に専念することにした。
「続いては新堂さんですが…」
 田辺が撮影を続ける横で三下がインタヴューを進める。
 朔のテーブルには可愛い丸型のケースに詰められたトリュフが並んでいた。
「さくらさんに先生になって貰って作りました」
「ええ?…じゃあこれも、あの、魔法で天使がどうとかいうやつですか?」
 三下は恐る恐る聞いてみる。
「あ、違います違います」
 朔はぷるぷると首を振った。
「あたしのチョコは食べるとこう、ほんわか幸せな気持ちになれるチョコ…、えーっと名付けて『ほわほわチョコ』?」
 何故語尾が疑問形になっているのかは敢えて突っ込まず三下は事務的に質問を続ける。
「何か材料等に特徴はありますか?」
「…」
 朔は人さし指を唇にあてると、しばし考えた。
「あ!」
 思い付いたようだ。
「なんですか?」
「愛情たっぷり!ってとこかな」
 そうですか…と肩を落として三下は続いて雪菜の前に立った。
 雪菜のテーブルには白いシュガーパウダーで綺麗に飾られたガトーショコラが置かれていた。
「これは?」
「ガトーショコラです」
 雪菜は静かにそれだけ言うと三下の次の質問を待った。
「このチョコレートの特徴はなんですか?」
「無病息災をお祈りしたおまじないがかけられています」
「無病、息災、っと…えーと、バレンタイン用、ですよね?」
 無病息災と聞き、三下は念の為に雪菜に聞いてみた。
「はい」
 そうですか、とうなづき三下は質問を続ける。
「何か特徴のある材料等ありますか?」
「神主さんに頂いた、おまじないの紙が入っています」
「紙ですか」
「はい。でも食べられる物だそうなので、大丈夫です」
「なるほど」
 三下のレポートを覗き込んでいた朔が耳打ちした。
「名付けて『お仕事頑張ってくださいチョコ』かな?」
 出来たケーキは組織のジョージさんにあげるのだと聞いていた朔がそう言った。
 朔に耳打ちされた三下が生真面目にその通りにメモを取っているので雪菜はもう何も言わなかった。
「最後に、シュラインさんですが」
「そうね…」
 シュラインは先程から続いているチョコレートのネーミングを考える。
「『私を好きなら食べれるわよね、チョコ』…かしら」
「え?」
 三下の目の前には四角いチョコが並んで入った箱がある。
「あの、何か特徴的な材料等は…」
 なぜだか上目使いで三下はシュラインにそう聞いた。
「箱の側面を見て貰えば分かるわ」
 シュラインにそう言われて三下は中身をひっくりかえさないよう注意して箱を手に取った。原材料、という見覚えのある表が印刷されている。これもどうやら手作りのようだ。
「イモリ、蛇、黒猫の肝臓ってこれ…」
 三下はシュラインを見た。
「これを食べてくれるのなら、両思いって事よ」
 確かに好きな女の子から貰ったものでもなければ、このチョコレートを口にしようとは思わないだろう。田辺はカメラを扱いながら、今回試食が無い事を天に感謝した。


* + * + * + * + *

 撮影、レポートと無事揃い、月刊アトラス主催「アイデアチョコレート」作り第1日目無事に終了、かと会議室に居た皆がそう思っていたその時、荒々しく開けられる扉と共にそれは訪れた。
「こんなところでなにやってるの?原稿の〆切りも近いって言うのに」
 入って来た碇は会議室に居る面々を見渡すとそう言った。
「それにこのポット。お茶が飲めないって皆困ってるのよ。田辺君、さっさと元の場所に戻して頂戴!」
「は、はい!」
 勢い良く返事をすると4つあるポットをまとめて、脱兎のごとく田辺は会議室を出て行った。
「で、三下君、この状況を説明してくれる?」
 麗香のその笑みに、朔は背筋が凍えるような気がした。一方、見兼ねた雪菜は助け舟を出した。
「麗香さん、これはバレンタイン企画とかで」
「そ、そうです」
 三下はぶんぶんとうなづくと、通った筈の企画書をごそごそと取り出し、麗香に差し出した。
「編集長のサインもほら、そこに」
 麗香が書面に目を遣ると、そこにはたどたどしい筆跡だが確かに麗香のサインがあった。麗香は溜め息をついた。その顔はなんとなく赤く見える。
「麗香さん、ひょっとして熱がおありでしょうか?」
 さくらは素早く手を伸ばすと麗香の額にあてた。熱い。
「さっき計ったら38度程度だったわ」
「やっぱり…」
 シュラインは呟いた。こんなまっとうな企画がアトラスで通るとは思えなかったのだ。
「そうね、…熱に浮かされていたとはいえ確かに私のサインはあるわね…確かにサインはあるけれど…」
 麗香の声はしかし、怒りに震えているように聞こえた。
「三下君。さすがの貴方も編集の仕事がそろそろ頭に入っていると思ってたわ」
「え?」
「この企画、バレンタイン企画ってことだけど、今私達が作っている原稿は何月号の物だか頭に入っている?」
「…あ!」
「まったく。…情けなくって涙が出そうだわ」
 ぽん、と朔は手を打った。そう、アトラスは月刊誌なのである。いくら発売がバレンタイン直前であったとしても『3月号』の雑誌にバレンタイン企画はそぐわないのだ。しかもそれは出版に携わる者にとって常識、と言えるかもしれない。
「と、言う訳だから、せっかく集まって貰って悪いんだけどお引き取り願えるかしら。そのチョコレートはお詫び、ということで」
「分かったわ」
 シュラインは麗香に『大変ね』という風にそっと微笑むと、使用した器具等の後片付けにかかろうとした。
「ああ、いいのいいの。後始末は全部この『馬鹿』に任せるから」
「そ、そんなカギカッコ付きで言わなくても〜」
「五月蝿い」

 皆は手早く各々自分の荷物をまとめると、三下の悲鳴の響く会議室を後にした。
「あれ?シュラインさんは?」
 先程一緒に扉を出たシュラインの姿が見えない事に気付いた朔が後ろを振り返ると、足早にシュラインがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「お土産に、あのチョコレートを編集部に差し入れしてきたの」
 え、と雪菜も振り返る。
「麗香さんも熱があるようだし、疲れがとれるように皆さんでどうぞ、って」
「惚れ薬入りなんて、だ、大丈夫なんですか?」
 朔はその混入物を思い出し、心配そうにそう尋ねた。
「ええ、多分。もともと滋養に良いと言われているものばかりだから」
「そうなのですか」
 さくらが納得、という顔でうなづいた。
「相手の身体が心配だから、自分では絶対に使わないけれど、ね」 
 シュラインはにっこりと笑った。

* + * + * + * + * +


 帰り道、シュラインはさくらから先程作ったというトリュフを渡された。
「天使があらわれるっていうチョコ、ね?」
「はい。たくさん作ってしまって。私の分は別にありますから、どうぞ」
「それなら、ありがたくいただくわ。ありがとう」
  シュラインはさくらと別れると興信所へ向かった。夕方の興信所には所長の草間と零が居るだけだった。
 バレンタインには勿論自分で手作りするつもりなので、さくらから貰ったチョコレートは今日のお茶菓子に、とシュラインはお茶を煎れながらチョコレートの箱を開けた。

「で、これはさくらの作ったチョコね」
「へえ」
 事の顛末を草間に話しながらシュラインはチョコレートを勧めた。目の前にトリュフを持ってきてその外観を眺めた後、草間は一口でチョコレートを食べた。
 その瞬間、草間の周りを小さい羽を持った、そう、さくらの言っていた天使が廻り始めた。こころなしか、シュラインに似ている気がしなくもない。
「へえー。すごい仕掛けだな」
 ただ、その仕掛けは天使が廻るだけではなかった。
 そう感心する草間の耳もとで、唐突に、天使が囁いたのだ。
「武彦さん、好きよ」
 シュラインは思わずお茶を吹きそうになった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /
      翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0134 / 草壁・さくら   / 女 / 999 /
                骨董屋『櫻月堂』店員】
【1232 / 新堂・朔      / 女 / 17 / 
                       高校生】
【1297 / 麻生・雪菜    / 女 / 17 / 
                       高校生】

※整理番号順に並べさせていただきました。


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■         ライター通信          ■
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 PC名で失礼いたします。
 麻生さん初めまして。
 新堂さん、再びお目にかかれて嬉しく思います。
 シュラインさん、草壁さんいつもありがとうございます。
 皆様この度はご参加ありがとうございました。

 設定や画像、他の方の依頼等参考に
 勝手に想像を膨らませた所が多々あると思います。
 イメージではないなどの御意見、
 御感想、などありましたらよろしくお願いします。
 
 それではまたお逢いできますことを祈って。

                 トキノ