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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


無印手帳

------<オープニング>--------------------------------------

「どうしていいかわからなくて、持ってきたんです」
 暖房のきいた部屋で、コートを脱ぐのも忘れて田畑頼子は草間に手帳見せた。安っぽい黒皮を表紙に使ったごくありふれたものだ。持ち主が使いこんだのか所々毛羽が立ち、柔らかくなっている。応接テーブルの上に置かれたそれを草間は手に取った。
「今朝駅で拾ったんです」
 手帳を開くことは失礼だが、頼子は中を見たらしい。落とし主の連絡先が分かれば連絡するつもりだったし、分からなければ駅員に届けてしまおうと思ったそうだ。
「でもちょっと気になることがあって……ご相談に」
 授業が終わってからすぐに来たのだろう。頼子がコートを脱ぐと、下は見なれた制服姿だった。草間もぱらぱらとページをめくる。スケジュール帳らしく広く間隔を取った罫線と、日付を書きこむ枠だけが印刷されたシンプルなものだ。使用者が予定と日付を書きこむ汎用性の高く素っ気無い。白い部分が多いはずなのに、細かい字がびっしりと書き付けてあったので全体が黒い染みに覆われているように見えた。
「駅で○を見かける。新しい髪飾りをしている。七時二十七分の快速に乗る。午後四時十二分に下校、放課後はファーストフード店でフィレオフィッシュとポテト購入……尾行でもしているのか?」
 老眼でもないのに眼鏡をずらしてしまった。あまりに字が細かいのだ。○という人間−−−おそらくは−−−の一日の行動が書き連ねてある。他のスケジュール欄も同様に書かれていた。
 どのレーベルのCDを買っただのコンビニエンスストアによっただの。必ず最後には後××日、とカウントされていた。
「ストーカーじゃないかと思って……警察は相談に乗ってくれないってニュースでよくやってるじゃないですか。事件が起こらないと捜査しないーとか。草間さんの所にほうが狙われてる人を助けられるんじゃないかなって」
「費用は君が負担するのか?」
「草間さん」
 頬を膨らませて頼子が名を呼んだので言葉を止めた。
「わかったわかった。適当にやっておくから、首は突っ込むなよ。巻きこまれても知らんぞ」
「それはよぉくわかってます」
 草間は手帳を閉じた。そしてポケットに入れる。今感じたことを頼子に話すと確実に首を突っ込むだろうから、言わないでおいた。

 最初に開いたのは何も書かれていないページだった。そこに親指をはさんで前のページを読んだので、最後にまた、同じページをなんとなしに見た。
 何も書かれていなかったはずなのに。
 今日の日付が几帳面な字で記され、
 手帳を失った。あと三日。
 と書き付けられていた。



 体を硬くしている頼子にシュライン・エマはふっと笑った。テーブルの向かい側に彼女は座り、こちらを見ている。悪戯がばれた子供のようにちらちらとシュラインの表情を伺っている。
「怒ってるわけじゃないわ」
「良かったぁ」
 頼子は胸を撫で下ろし膝の上に置いていた手を自由にした。
「でも、ここから先は聞かせるわけにはいかないわ。理由はわかるわね?」
 優しく諭すように呟くと、頼子は頷いた。隣に座っていた月見里・千里が間を見計らって口を開く。
「この○って人、頼子ちゃんじゃないよね?」
「多分」
 三人のやり取りを少し遠い場所で聞いていた巫・聖羅は頼子が分けてくれた期間限定それも地域限定のチョコレート菓子を食べていた。口の中でほろりと解けるように消えていく切ない甘さが後をひく。今度自分で買いに行こう、と頭のすみっこで考え始めていた。千里は手帳をぱらぱらとかいつまんで読む。
「髪型も違うみたいだし……学校の駅も違うみたいだね。うん。良かった良かった♪」
「ちーちゃんだったりして?」
「あはは、こーんな恋人がいるようなの狙う阿呆がいるわけないでしょー」
 恋人という言葉にくすぐったさを感じたのか、頼子の肩を叩く。頼子もくすっと笑いコートを持って立ち上がる。
「よろしくお願いします。こういうことって頼れる人がいなかったりするから……そういうの、すごく怖いから」
 骨身に染みているのだろう。普通では考えられない出来事と直面して、恐怖を感じたり友人を亡くしたりした経験があるのだ。同じように困っている人が居るかもしれないと思うと無視は出来ないのだろう。初めて会った頃のような翳りはないが、頼子の表情は暗かった。シュラインはしっかりと頷く。
「それじゃ……」
 細い背中が興信所の扉に吸い込まれるのを長めてから、護堂・霜月は千里から手帳を渡してもらった。四人は応接セットに腰をかけて相談をはじめる。
「観察日記なメモを見る限り、特定できることは多いわ。使っている駅や電車−−−学校の駅も解る。性別や嗜好も読み取れるし、○さんを探し出すのはそう難しくないと思う」
 シュラインの言葉に少女二人は頷く。が、霜月はそういうものなのか、と答えただけだ。ピンと来ないらしい。
「見られているのを隠した上で、話を聞く必要があるかもしれない」
 聖羅は二つに結んだ髪の右側に触れ、やわらかい髪の束に指を絡める。
「気持ち悪いもんねー」
「すとーかーというやつじゃろう? 最近の娘さんは大変じゃな」
「一人に一人ずつストーカーがついているわけじゃないぞ」
 ふむ、と霜月が首を傾げる。
「TVでよくやっているではないか」
「あれはクローズアップされてるから……とりあえず、頼子ちゃんが手帳を拾った駅へ行ってみましょう。手帳の主が駅を使っていると考えておかしくないわ」
 立ち上がる女性三人を霜月は順に見る。
「もう行くのか?」
「思い立ったら即行動よね☆」
「そうそう。あと三日しかないんだからさ」
「探偵の基本はここと、ここなんですよお師匠さん」
 秀でた額と適度に肉のついた脚をシュラインは指す。四人が興信所を出ようとすると、草間が霜月を呼び止めた。言葉をニ三交わし、霜月は聖羅へ振り返る。
「先に行っていてくれ。すぐに追いつく」
「わかった」
「出かけてくるわね、武彦さん」
 ああ、と軽い返事をし草間は片手を上げた。



 ○は駅から16:30分発の普通電車に乗り八王子駅へ。八王子で友人とカラオケをする。帰宅は22:51分発の電車で東芝駅へ。タクシーがつかまらず徒歩。
 三人は記述に目を通し、東芝駅へ赴いた。この駅からタクシーで移動できる一帯に○は住んでいるらしい。ぱたんとホームに立っていた千里は手帳を閉じた。
「頼子ちゃんの話によると拾ったのも東芝駅だって。二番線のホーム」
 夕方でぽつぽつと人影が増え始めている。家に帰るのかこれから遊びに出かけるのか、数人の高校生が笑いながらたむろしている。
「怪しい人物が居ないか注意して……○さんはだいたい六時ごろの電車で東芝駅へ帰ってくるみたい。そろそろね」
 銀色でスクエア型の腕時計を見、シュラインが言う。
「手帳の持ち主でておいでっと〜♪」
 千里はきょろきょろと周りを見る。と、視界に怪しい人物が入った。唇の上まで人相を隠すようにマフラーを巻き、マスクで頬まで隠している。黒い毛糸の帽子を目深に被り、ゆらゆらと体を揺らせていた。
「これでもかって人みつけちゃった」
「え……」
 指差す先を聖羅も視線で追う。
「きっと○さんがココに降りてくるのを待ち伏せしてるんだよ」
 金属質なチャイムが放送され、電車がホームに滑り込む。談笑していた高校生は電車へ乗り込んでいったが怪しい人物−−−千里の言う−−−は立ったまま体を左右に揺らしてたままだ。熱っぽい瞳で去っていく電車を睨んでいる。入れ違いに中学生らしき少女がホームに降りた。少女が横を通り過ぎると、怪しい人物はちらりと一瞥する。
「決定的ね!」
「千里ちゃん?!」
 アスファルトを蹴って猫のような素早さで千里は走り出す。聖羅もほぼ同時に走り出し、二人は怪しい男の右側と左側に立った。
「これ、あなたのでしょ?」
 千里は持っていた手帳を男の前でちらつかせる。
「何の話だ?」
「とぼけたってダメだよ。あの子のことじろじろ見てただろう」
 歩いていた少女が驚いて男を見る。二人の視線が絡み合う。
「冗談じゃない。全然知らない子だよ」
 男はしわがれた声で弁解する。その間にシュラインは入り、まぁまぁとなだめた。
「申し訳ありません。私たち人探しをしていて……よろしければお話を伺ってもよろしいかしら?」
 艶のある黒髪を白い指先で持ち上げ、耳にかける。出来る限り温厚そうな笑顔で男に語りかけると、咳払いをしつつ頷いてくれた。
「……だから、さっきの電車に乗らなかったのは快速を待ってて……マスクとかマフラーは風邪で具合が悪いから。立ちくらみまでしてるんだぜ、なのにこんなのに捕まっちまって……」
 もううんざり、と男性が言葉の端々に散りばめる。
「女の子をじろじろ見ていたのは?」
 じろっと聖羅を睨む。
「側を歩いている人間をちらっと見ただけだ。あんただってそいうことあるだろ?」
「そう……」
「シュラインさん、あたしがはかせちゃおうか?」
「物騒なこと言わないで」
「しかも聞こえてるしな」
 重苦しいため息をついて、男性は頭を掻いた。頭上のスピーカーがぽろぽろと鳴りはじめ、快速の電車がやってくることを告げる。
「もういい? あれに乗りたいんだ」
「ええ、失礼しました」
 三人は男性と別れ、ホームの中ほどにある自動販売機の前に立った。
「本当に白みたいだね」
「すぐ犯人が見つかるなんてことのほうが珍しいと思うけど」
「だって怪しかったんだもん」
 むーと千里が唸る。
「あ、私トイレ行ってくるー昨日手鏡割っちゃったんだ」
 学生鞄を持ち直し、千里は改札口へ向かっていった。
「誰かにずっと見られてるっていい気分じゃないだろうね」
 ずっと貴方に見つめられたい。ずっと貴方に抱かれていたい。そんな歌を聖羅は思い出しながら言った。あの手帳は獲物を観察するような言葉ばかりで、好きな人を見守っている熱っぽさも優しさもなかった。
 足元にあるものに気づき、聖羅は膝を折った。
 自動販売機の陰に隠れるように、花が飾られていた。きちんと花瓶にまだし挿してありしおれていない。花瓶は長い間風雨にさらされたせいか色がくすみ、汚れていた。中には誰かが入れたらしいタバコの吸殻もある。聖羅は吸殻を取り出し、ゴミ箱に捨てる。自動販売機にコインを入れてから迷い、結局大人でも子供でも飲めるであろうスポーツ飲料を買った。こつりと花の隣に置く。
「自殺かしら」
 ホームに花が飾られていると自然そう思ってしまう。
「さぁ」
 能力柄他人より死に地下場所に立っている。だが、自殺はあまり好きではない。自殺者は反魂の折、沈んで淀んだものが多く厄介なのだ。
 シュラインは鞄の中で携帯電話が震えているのに気づいた。耳を当てて通話をはじめる。
「シュライン殿か……実は今怪しい少年と一緒だ」
 耳さわりの良い霜月の声が電波に乗ってくる。
「今回の事件と関係のあることかしら」
 あくまで落ち着いてシュラインは電話口で語る。戻ってこない千里が気になり始めた。
「解らぬが、考えてみてほしい。手帳の○という人物は千里様ににては居らぬか?」
「似ているというか……平均的女子高生像って感じね。行動の観察しかないから性格はよくわからないわ」
「野放しにしておくのもなんだ、今からそちらに少年も連れて行くつもりじゃ」
「お願いします。気をつけてね」
 通話終了ボタンがぴっと鳴る。しゃがんでいた聖羅が立ち上がった。
「聖羅ちゃん、ちょっと千里ちゃんを見てきてくれるかしら」
「何かあったの?」
 ええ、と答えると、聖羅は雰囲気を察したのか改札口へ向かっていった。



 聖羅が戻ってくると、後ろには千里と見慣れない少女が居た。少女は花束を抱えており、自動販売機の側に捧げた。
「あの子が○じゃないかと思う……」
 ホームの椅子に座り、聖羅は言った。シュラインもそうねと応える。
 手帳を求める黒い影を見たという聖羅。和也という人物名。哀しい事故があったと語る駅員とその片割れの相澤という少女ーーー。
 彼女の視線の先には新しい花を飾り手を合わせている相澤の後ろ姿があった。祈っているのか先刻から動かず手を合わせている。方法はないが哀しい気持ちにさせたくないのだろう、千里も哀しそうな面もちで相澤の側に立っている。
「黒い影が手帳のことを話したのなら、きっとそうなのでしょうね」
 シュラインは椅子から立つ。
「和也さんのことは私が調べておくわ」
「あたしの力、必要になるかもね」
 聖羅は自分の顔の前で掌を閉じたり開いたりした。
「死者を呼び出す術……」
 ぽつり、と呟く。
「何を調べていたんだろう……」
 聖羅は呟きながら星ちらばり始めた空を仰いだ。
 和也、か。
 自動販売機の側を納める視線は、女子高生のそれではなく死人使いのそれに変わっていった。
 結局それでその日はお開きになった。



 1/30日 邪魔なものが来た。急ぐことにする−−−。
 新しく浮き出した手帳の文字は不吉そのものだった。東芝駅の帰り道シュラインは夜間でも開いている大型図書館により、昨年の一月に起きた東芝駅の事件を調べた。地方欄の小さな記事が一つだけ見つかり、その中に【和也】という文字も確かにあった。学生をかばって転落死したその人、本人だった。残された血族や友人が相澤に復讐しようとしている、と考えるのが妥当か。
 手帳で数えられていた日は、和也の命日だった。
 聖羅のような反魂法も持たない、千里や霜月のように戦う力もない。シュラインは自分にできることを冷静に考え、次の行動へ映った。
「遺族は居なかったわ。彼、天涯孤独の身だったらしいの……大学も通っていたみたいだけど、バイトが忙しいらしくてこれといった友達はいなかったわ。バイトも掛け持ちが多くて特別親しいって人はいなかった。広く浅くの人間関係ってところかしら」
 翌日、千里以外はまた東芝駅に集まった。一人二三矢は元気がない。昨日の帰りに千里の自宅に行ったが留守で、今日の午前学校に行ったら欠席だったそうだ。恋人が夜遊びをしているのではないかという不信感と信じて上げられない自分の気持ちで板挟みになっているらしい。
「じゃ誰が?」
 自動販売機にもたれかかっていた聖羅が、真新しい花を見つめていう。
「縁は異な物じゃからな……偶然一緒に二人が階段から落ちたように、思いがけない人物が復讐をしようとしているのかもしれぬ。下がっていなさい」
「え?」
 シュラインと二三矢は問いながら霜月の後ろに隠れた。聖羅も何か感じているのか、身構えている。
 黒い影だ。線路の上に揺らめいている。輪郭は曖昧で人の姿にも見えない。ただの塊にしか見えないが中心にぎらつく瞳があるのは解る。瞳が実際にあるわけではなく、そこから視線を感じるからだ。
「またあんたね?」
 聖羅の言葉に手帳を求めてきた影はこれだったのか、と思う。
「手帳を貰い受けに来た」
 影の中心が伸び、触手のように霜月へ向かう。
 触れるか触れないかの場所に伸びると白煙が湧き出した。肉の焦げる匂いが鼻を突く。ぎゃん、と影は吠えて触手を引っ込めた。懐から霜月は手帳を取り出し、影にちらつかせる。
「ここにあるぞ。拾った礼もなくそれはないではないか」
「お前達には関係がない」
「あるわよ。これを持ってるんだから」
 聖羅の返答に影は唸り、体をくねらせた。影と探偵たちの間に電車が現れ、やがて去っていった。ホームから人の姿がなくなると、影は自分なりの答えが出たのだろう、二三矢の隣にやってきた。三人と違ってこういった場面に慣れていない。二三矢は霜月の後ろに隠れる。
「ならば、お前達に頼む。私は人間というグループのルールがわからない。その手帳には私が調べたあいつの行動が書いてある……あの雌が処罰に値するかどうか、判断して欲しい」
 粒のような影が空気中に振りまかれると、二三矢の横こにちょこんと茶色の老犬が座っていた。ぼさぼさ毛で覆われた首には、古びた赤い首輪がついていた。
「……あの犬」
 二三矢が思わず言う。自動販売機の側に座っていた犬だった。
「あたしたちに裁けというの?」
 こくりと聖羅に犬が頷く。
「あの雌は和也を殺した……」
「事故だったのよ−−−ひどい偶然が重なっただけ……」
 首輪に気づいて、シュラインは言葉が詰った。亡くなった青年の飼い犬だ。主人の仇を取ろうと思ったが、観察して決めることにしたのだろう。ずっと、一年間ずっと相澤を見つめていたのはそのせいだったのだ。犬の年老いた瞳には悲痛な悲しみと怒りが宿っていた。
 そしてこの犬は。調べてきたからシュラインには解る。
「お前もう、この世のものじゃないね……?」
 犬が吠えた。聖羅に、高く吠えた。
 声だけが長く尾を引き−−−犬は消えた。



「千里ちゃん」
 シュラインは携帯電話を取り出し一人言う。ぴくりと二三矢の耳が動いた。
「ちー?」
「……大変」
 電話に耳を当てていたシュラインは顔色を変えた。
「あの犬に襲われてるみたい」
「ちー!」
「二三矢くん!」
 続きを聞かないうちに二三矢は走り出した。どこで襲われているかも知らないのに、居ても立っても居られなかったのだろう。
「あたしはここに残る。犬を誘い込んで」
 冷静に聖羅が答え、自動販売機の近くに膝を折った。掌をアスファルトに押し付ける。
「任せておけ」
 霜月とシュラインも二三矢の後を追った。
 階段を駆け下りて和也が死んだ場所を通り過ぎる。改札口を抜けて人気の無いバスターミナルへ出た。
「ちーに手を出すなっ!」
 広いターミナルに二三矢の声が響く。どこから持ってきたのか清掃用の竹箒を剣のように構えて立っていた。彼の目の前には唸り声を上げて姿勢を低く取っている犬。
「二三矢どうして!?」
「ただいま」
 千里はしっかりと相澤の手を握りつつも、目の前に自分を守るように立っている二三矢の背中を見つめる。
「ダメ、危ない!」
 竹箒の柄に犬が喰らいつく。すぐさま竹は縦に亀裂を走らせ割れた。
「うわっ!」
 投げ出すと犬も飛び、三人と距離をとる。ぐつぐつと煮えたぎる溶岩のように唸り声は止まらない。
「和也を返せ」
「……ひっ……」
 相澤は恐怖に引きつり、へなへなとその場へ座り込んだ。また貧血を起こしているのか顔が土気色に変っている。
「わ……私が悪いんじゃないっ悪いと思ってるけど、私は悪くない! 殺したかったわけじゃないのっ!!」
 鋭い爪でタイルを蹴ると犬は相澤へ向かう。
「ぎゃいんっ!」
 空中に炎が結ばれ毛皮を焦がした。両手で印を結んでいた霜月は声を上げる。
「こちらだ!」
 三人は呼ばれたままに走り出す。駅の構内を走り、千里と二三矢は自動改札を飛び越えた。霜月も相澤を抱き上げてひらりと続く。階段手前でシュラインは足を止めた。
 聖羅が立っていた。
「……まさか」
 逆立っていた茶色の毛皮が大人しくなる。犬は匂いを確かめるように、男に鼻を向けた。
 聖羅の隣に立っている、男を。
「和也……」
 はたはたと尻尾が揺れる。黒い瞳が喜びで潤み、口が優しく軽く開いた。反対に相澤は後ろに下がる。夢でまで謝るような罪悪感を抱いているのだ、本人が現れたらたまらないだろう。和也と呼ばれた青年はぽん、と犬の頭に手を置いた。
「向こうで待ってたのに、なんで来ないんだよ」
 撫でられるままに手の感触を楽しんだ犬は、ちらりと相澤を見た。
「……和也が怒りを感じていなくとも、お前が殺したことに変わりはない。そのことを忘れるな」
 ふ、と和也と犬は消えた。
「忘れてないわよ! どれだけ後悔したと思ってるのよ! 私がどんな気持ちだったか知らないくせに、謝ったって許してくれないくせに、罪滅ぼしの方法だってないのに! 勝手にいなくならないでよー!!!」
 号泣する相澤に、シュラインは声をかけることが出来なかった。



「確かに貴方を助けたから、和也さんは亡くなったのかもしれない。でも、雨が降っていなかったら滑らなかったかもしれない。駅員が見回りをしていれば、掃除をしていたら滑らなかったかもしれない……全てのことに責任を感じる必要は無いわ……」
 シュラインが囁くように語ると、涙で赤くなった目元を相澤は押えた。
「私の友達も貴方と同じように、大切な人を亡くしたけど……元気にやってる」
「そう、なれたらいいけど」
 相澤の肩を叩き、シュラインは目を閉じた。
 向こう側へ旅立った彼らは、これから先も彼女を見つめているのだろうか−−−。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1087 / 巫・聖羅 / 女性 / 17 / 高校生兼『反魂屋(死人使い)』
 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生
 1247 / 結城・二三矢 / 男性 / 15 / 中学生
 1069 / 護堂・霜月 / 男性 / 999 / 真言宗僧侶
(参加順に並ばせていただきました)

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■         ライター通信          ■
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 無印手帳をお届けしました、和泉基浦です。
 依頼を受けてくださりありがとうございました。
 他の方の依頼結果もご覧頂くと事件の全貌が明らかになるかと思います。
 久々の草間興信所依頼ということで、ミステリー風味に仕上げてみました。
 楽しんでいただけたら幸いです。
 ご感想などはお気軽にテラコンよりお送りくださいませ。
 それでは。 基浦