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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者
 大きな鳥の、羽ばたきのような。
 夜藤丸絢霞は、街の音に紛れて奇妙に耳にひっかかった音に視線を巡らせた。
 成人女性の平均身長に達し得ない彼女の目線は、不規則な人で形作られる壁に阻まれ、音の先を探るに容易でなく、つま先立ちに人の間を伺う絢霞の鮮やかに染められた緑の髪をその先が見つける方が早かった。
「よぉ、絢霞。今幸せ?」
と、相も変わらぬ黒尽くめに浮きまくるのはピュン・フー。
 絢霞は澄んだ緑の瞳に明確な喜色を浮かべ、大きく頷いた。
「うん!」
この冬の最中に戸外のオープンカフェでアイスコーヒーを前に雑誌を手にする酔狂な青年に小走りに駆け寄る。
「今はピュンフーに会えたから幸せ〜♪」
裏も表もない素直な反応にピュン・フーは一瞬動きを止め、空気を吐き出して短く笑う。
「相変わらず、普通じゃねぇなぁ」
そう片手で席を示すのに、絢霞が正面に腰をかければ、店内から寒そうに肩を竦めたウェイターが水をトレイに乗せて出てくる。
「なんかぬくいモンでも頼めよ。寒ィから」
一応暑さ寒さを感じはしてたのか、と感心しながらメニューも見ずに珈琲を頼む…当然ホットで。
「絢霞、今日仕事は?」
席を勧めておいて今更な質問だが、絢霞は笑みと共に答えを返した。
「昨日あれから病院に連れてかれたから。課長さんが今日はゆっくり休めって」
ピュン・フーはしばし悩み…あまりにあっけらかんとした絢霞の物言いに、ほんの昨日、地下鉄構内で演じた立ち回りの事だと記憶にすぐに繋がらなかったらしい。
「あぁ」
思い出すのに少しの時間を要した後、自分の首筋を軽く手刀で叩いてみせた。
「ここんトコ、打ち身になったりしてねぇ?」
「うん、平気」
加えられた力は絢霞の身体を傷つけはせず、その意識を奪うのみに止まった。
「あ、そういえば昨日はちゃんと止めてくれたんでしょ?」
ヒューによって施された呪い…『死の灰』。
 魔女の汚名を着せられ、謂われなき罪にて火刑という非業の死を遂げた者の末期の感覚を再現した熱は、彼女が五感で受け取る感覚全てを敵意に変換させた。
 その恐怖は彼女のものでないと、頭では理解しているのだが、それを思い出すだけで足下から血の気が引く感覚を覚える…あれは、過去の誰かの現実だったのだ。
 絢霞が肩を抱いて身を震わせるのに、ピュン・フーは片眉を上げた。
「やっぱ寒ィかココ…取り敢えず、コレでも羽織っとく?」
「ううん、大丈夫!」
と、コートを脱ぎかけるのを慌てて制する…本人が幾ら平気そうでも、傍から見ている方の精神が極寒の地に叩き込まれる。
 白い息を吐く絢霞に、ピュン・フーは「んーじゃぁ」と首を傾げて己がコートのポケットを探った。
 カイロでも出すのかと思いきや、鈍い銀の指輪の間に挟まれたのは厚手に皺一つないチケット。
「ところで俺、今オフなんだけど…暇だったら一緒しねぇ?」
印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
 寒々しさにかけては、現況とどっこいどっこいではなかろうか。
「………デート?」
「水族館キライだったか?」
テーブルの上に示したそれを凝視して沈黙した絢霞へピュン・フーが問うに、返るのは更なる静けさ…否、絢霞の肩が小さく震えて、一言。
「ごめん……」
「えーと…やっぱ昨日の怒ってっか?」
 深く俯いてしまった絢霞に、上から覗き込むように声をかけるピュン・フー…の顎に、勢いよく彼女の後頭部が強打した。
「めちゃくちゃ嬉しい!」
押さえきれぬ喜びを、チケットを胸に飛び回って示す絢霞…と対照的に下顎を強打されていつにない歯の噛み合わせが頭蓋骨に響いてしまったピュン・フーが顎を押さえて座り込む。
 舌を噛まなかったのがせめてもの幸い、であった。


 タッタッタッタと。
 足音も軽く絢霞が右から左へ通路を抜ける。
 カッカッカッカと。
 踵を鳴らしてピュン・フーが左から右へと通路を戻る。
「ピュン・フー!なんで?」
くるりと絢霞が反転させるのに、硝子に体重を預けたピュン・フーは「さぁ?」と肩を竦めて見せた。
 と、いうのも。
 先から彼等が往復を繰り返している水槽…弧のしなって白いコンクリート壁、合間に大きく取られた窓から小さく黒い光を宿した瞳が覗き込む…灰色の体色が水の内に照って青い印象を受ける海洋哺乳類…イルカ、がこのプールの住民である。
 右と左に別れて立つ絢霞とピュン・フー、その黒い影の方にばかりしなやかに美しい流線型を持つ生き物達は群れ固まっていた。
「メスばっかなんじゃねぇ?コイツら」
ココンと水槽を叩く指、五指にまんべんなく填められた銀の指輪の内、大振りに髑髏の形で眼窩の部分にガーネットを嵌め込んだそれがカチリと立てた高い音に、遮られた水の向こうでイルカ達が微かにクククと鳥の囀りに似た振動が水を揺らすのは笑っているのだろうか。
 水槽脇にある階段を上れば彼等のプールの上部、ショーが催される劇場型になった施設に続く。
 ただ、冬場に吹きっさらしの場所での水飛沫も激しいショーを観る者も少ないのか、午前と午後の一回ずつのみとなった彼等の舞台まで1時間程待たねばならない。
 ちなみに今は屋内のアシカショーに人は流れているらしく、周囲には手持ち無沙汰な老人の姿があるだけだ。
「もしくは暇とか」
歩を進めるのに合わせて移動するイルカに、サングラス越しの視線をやりつつなピュン・フーの言に納得の行かない様子で、絢霞はむぅ、と口をへの字に結んだ。
 年齢にそぐわぬその表情に、ピュン・フーは苦笑混じりの笑みを浮かべると、低い位置で鮮やかな緑の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「…ホントはここんトコから超音波が出てて、コイツ等と意志の疎通が出来んだ…ちなみに今は『オニーサン遊ンデッテー』っつってる」
己の額に指をあててしかつめらしく目を閉じ、イルカの言葉を声色を変えて伝える表情は真剣そのもの。
「ホントに?」
「ホントだと思う?」
ニヤ、と口の端を上げた表情に宿るからかいの気配に絢霞はぷいと横を向いた。
「イヤ、ホントは俺もわかんねーんだけど」
頭を掻きつつ、「なんでかなー」と不思議がる横顔をちらりと盗み見れば、サングラスの端から覗く眼に嘘はない。
「これじゃ、観に来たんだか観に来られたんだかわかんないね」
まさしく鈴なり、の風情で場所を入れ替えながらピュン・フーの一挙一足投を目で追いかけるイルカ達に、絢霞はピュン・フーの腕を取った。
「そろそろ次のコーナー行こ」
「次は…ペンギン?結構沢山居るモンだな」
受付で渡された案内片手にあっさりと進むピュン・フーに、絢霞は少しだけ振り向いて、未だ目で背を追うイルカ達に小さく舌を出して見せた。
「今日はあたしとのデートだもん」
「ん?何か言ったか、絢霞?」
動物相手に大人げない行動だという自覚はあるのか、絢霞は「何でもなーい」とピュン・フーの腕を強く引いて己が腕を絡める。
 身長差の為、悲しいかな未成年者と拐かしを企むアヤシイお兄さんに見えるのだが、まだ通報された気配はなかった。


 水族館の順路は施設をぐるりと一周し、大水槽の前に戻る。
「タツノオトシゴってトカゲの一種だとばっか思ってたけどなー」
「魚類だったんだね。アレってオスが子供を産むから安産の御守りなんだって。知ってた?」
「漢方薬なのは知ってた」
「あたし、それは知らなかった…」
季節外れな水族館で意外、かつ日常生活にはあまり役に立たない知識を増やしつつ進むのに、ピュン・フーが絢霞の肩を軽く抱いて一歩横、自分の側に引き寄せた。
 そのすぐ後、自分が歩いていた位置を社会見学だろうか、同じ黄色の帽子を被った小学生が転がるように駆けていく。
「転ばないようにね〜」
小さな背に思わず声をかけてふと、ゆっくりとしたピュン・フーの歩みが自分の歩幅に合わせてのものだとふと気付いて絢霞は微笑んだ。
「絢霞、今幸せ?」
その表情に、ピュン・フーがいつもの問いを口にする。
 向けられた視線、黒い遮光グラスに隠されているだけに、その瞳の真紅さを思わせる…血の色に染まった月のような。
「ピュン・フー。『今幸せ?』ってどんな答えを期待して発してるの?」
肩に回された手が離れようとするのに、自らの手を重ねて押さえる。
 どこか感じる違和感、繰り返される程に求める物を遠く感じる。
「期待……してるように見えるか?」
絢霞は片手を伸ばすと、口元の笑み以外の表情を隠すサングラスを取り上げた。
 右手の大水槽、青く透過された光に想像に過たぬ紅さは鈍る事なく、地上の重力の内では生すら営めぬ巨きなマンタがふ、と落とした影の内にすら翳らず。
「それは『虚無の境界』に組していることと関係してる?」
「直球だな」
軽く眉を上げたピュン・フーは、絢霞の手からサングラスを摘み上げ、視線を水槽へと転じた。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持に満たされる酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
 しばしの静けさの口火を切ったのは、絢霞の方だった。
「言いたくなきゃいいけど…それ以外のことでもいいよ、話したくなったら話して」
沈黙が重さに変わる前に、逃げてしまった…少し勇気が足りないと、肩を落とす。
 それに気付いてか、ピュン・フーは晒したままの赤い瞳、細く鋭さを持つそれを笑みで和らげた。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「絢霞は、今幸せ?」
静かに向けられた問いが、答えを待っている。
 絢霞はピュン・フーの手に重ねていたを離すと、コートのポケットに手を入れた。
「ね、pal@popのWelcomingMorningって曲知ってる?知らなくても良いけど、あたし今あぁいう気分なんだ〜」
僕はこの世の終わりを越えて君に会いに行く、小さく口ずさみながら、絢霞は片手に小さな注射器を取り出した。
 透明な硝子の筒に封じ込められた紅もまた、水の青に染まれずにいる。
「絢霞、昨日も持ってたけど、それ持ち歩いてんの?危ねェヤツに見られるぜ」
苦笑するピュン・フーだが、絢霞はにっこりと笑んで見上げた。
「あ、そういえば昨日はちゃんと止めてくれたんでしょ?それにコート、ダメにしちゃってごめんね」
「構わねーさ。体質柄、職業柄、ダメにしちまう事も多いからストックは沢山持ってんの。今日のはどう?」
似合う?と襟を立てて見せるが素材も色も変わらぬ代物、強いた違いを上げればその型のみだが、コメントを求められても困りはしまいか。
「ピュン・フー、黒が似合うからどんなでも格好いーよ♪」
「サンキュー♪」
心配は無用な程、即答だった。
 ほのぼのと和んだ空気に、絢霞は不意に眉尻を下げた。
「あたしさ…やっぱピュンフーと敵対したくないや」
「何、絢霞、俺と敵対してたの?」
そう屈託なく笑う表情には後ろめたさも翳りもなく、あっけらかんとしたものだ。
「昨日のアレは何だったの?」
苦笑混じりに。
 同じ穏やかな時を過ごしても、傷つけ合って相対しても、楔にもしがらみにもならず。
 一体何ならば、その心に残るというのだろうか。
「その為には一体どういう方法があるんだろうね…」
絢霞の小さな呟きに、ピュン・フーは顔にサングラスを載せると、水槽に背を預けて軽く両手を開いた。
「『虚無の境界』にでも入る?」
今なら洗剤もついてくる。というような気軽さに、絢霞はピュン・フーの胸に額を預けて何故か泣きそうになった表情を隠す。
「ありがと」
共にという言葉に素直な感謝を。
「でも、それはいいや。あたしテロ活動に向いてないし」
「まぁ、向き不向きはどうしようもねぇな」
ピュン・フーはあっさりと納得して、絢霞の背をポンポンと軽く叩いた。
「それに可愛いヤツも少ねぇしなぁ」
「可愛いのも居るは居るんだ」
ぼやく調子に少し笑う。
「そりゃそーと、そろそろイルカのショーの時間じゃねぇ?観てく?」
「そーだね」
顔を上げ、絢霞はその鮮やかな緑の瞳を真っ直ぐにピュン・フーに向けた。
「行こっか」
手を差し出す。
 しばし悩んで、ピュン・フーがその手を握った。
「………握手じゃなくって!」
にぎにぎとされた手を繋ぎやすいように返す。
「小学生じゃねーんだから」
漸くその意を解したピュン・フーは苦笑しつつ、今度はちゃんと絢霞の手を握る。
「いいじゃない、折角一緒に居るんだし」
微笑み、歩き出す。
 せめて同じ場所に立つ今だけでも、放さないでいようと。
 ひやりとした冷たさを握る手に、絢霞は少しだけ力を込めた。