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奪還
2000年、世界に終末は訪れなかった。
全ての死滅と新たなる転生を望む者達は、ある組織を組み自らの手でその『終末』を起こそうと目論んだ。
『虚無の境界』――
目的の為には手段を選ばぬ大型テロ組織が、ここ東京郊外の山林にも暗躍していた。
■■ 廃校にて ■■
その役割を終えたのは随分と前の事だろう。
窓は割れ、腐りかけた木造校舎の周辺には人影も無く、冬枯れの林の中でひっそりと静まりかえっていた。
だが一度足を踏み入れれば、禍々しい気に満ちた『死の場所』だと気づくはずだ。
ここは虚無の境界に必要とされなくなった者達の処分場なのだ。中には得体の知れぬ様々な『邪悪』が蠢いていた。
そこへ、一人の男が訪れた。
長身に銀の細髪。
上げたサングラスの下から燃えるような赤い瞳を覗かせ、ジッと廃校を見つめるも、その口元には不敵な笑みさえ浮かべている。一見して軽薄そうだが、その身に纏う気に隙は見あたらない。
渋沢ジョージ。
ギャンブラーにして暗殺者の肩書きを持つ男。コインとカードを武器に光と闇を行き来する。
ジョージは銜えタバコを靴の底でもみ消すと、最後の煙を吐き出した。
「さて女子大生、『周防セツ』ちゃん……どんな子なんだろうねぇ。可愛い系か美人系か……ま、どちらでもよし。こんな慈善事業は早めに終わらせて、彼女と『お約束』を決め込もうか」
夜空に浮かぶ明るい月が、廃屋を黒い壁と浮き上がらせる。辺りには不気味な静けさが立ちこめていた。
ジョージは真っ直ぐに校舎中央の出入り口を目指した。
──ケテ。
どこからか響く女の声。
それは耳にでは無く、直接頭に呼びかけてくる。
──タスケテ。
ジョージは神経を集中した。
声に乗って断片的な思念――『ビジョン』をキャッチする。
三階、図書室、白衣の男。
声は廃屋の内部から聞こえてきた。
セツの声に違いない。
彼女は精神感応能力者。いわゆる『テレパシスト』だ。
その力を持つ者は、生物の考えや心が読めると言う。
虚無の境界はテレパスで弱点を探り出し、洗脳効率を上げようと企んでいた。
が、しかし彼らの当ては大きく外れてしまった。
セツの力は完全ではなかったのだ。セツは自らの念を相手に伝える、見せるという以外の事が出来なかった。
読心力を持たぬテレパシストに用はない。彼らは今夜ここでセツの処分を決めていた。
ジョージは軽い足取りで玄関に近づくと、腐った番にかろうじてぶら下がる扉の奥を覗き込んだ。暗がりにユラユラと揺れる影がある。それはジョージに気づくなり、両腕を付きだして歩み寄ってきた。
「うおー」
ゾンビだ。
虚ろな眼差し。飛び出た腸。歩く度にそれがグチャリグチャリと嫌な音を立てた。
動作はかなり鈍い。走れば簡単に振り切れそうだ。
闇に慣れたジョージの目は、影の背後にある階段を捉えていた。
「長居は無用、と……」
ヒラリと身を躍らせ校内へ足を踏み入れると、ジョージは階段めがけて一気に走った。廊下には同じような黒い影が無数に揺らめいている。
踊り場まで駆け上がり、そこでジョージは振り返った。視界には、段を上がれずに右往左往する死人がひしめている。
「せめてコレぐらいは昇れるようにしてもらったらどうだ? そんなんじゃ番犬にもなりゃしないヨ」
ジョージはゾンビを一瞥、階段を登り切った。
■■ カジノ ■■
「……これは」
ジョージは二階に広がるその光景に思わず絶句した。
カジノだ。
それも場末のちっぽけなモノではない。ラスベガスさながらの大賭博場がそこに展開されているのだ。
ブラックジャック、ポーカー、バカラ、スロットマシン。
そこに行き交う紳士に淑女。
楽しげなノイズがジョージの心をくすぐる。
だが、これは全て幻覚──邪妖精の仕組んだ罠なのだ。
既に水から存在を聞いていたジョージは、全く慌てなかった。相手の出方を待って流れを読む。
その背中に声がかかった。
「お客様。そんな所でどうなさいました? さあ、こちらへ」
首にえんじ色のタイをした給仕姿の娘が、ジョージに向かってにこやかに笑いかけてきた。
ジョージも笑いかえす。
「やあ、これはどうも」
「いいえ、私の役目はお客様をご案内する事ですので」
ジョージはルーレットの前へと誘われ腰を下ろした。
案内役の娘はそのままジョージの背後に佇む。
目の前では凛々しきディーラーが、小さなアイボリーボールを指に挟んだままジョージを見つめていた。作ったような笑顔が顔にペタリと貼り付いている。
ジョージがどこへ賭けるのか、待っているようだ。
「おっと、後は俺だけかな?」
背後から凍てついた笑い声が聞こえた。刺さるような視線も感じる。
ジョージがカジノへと興じている隙に、その命を奪うつもりなのだろう。
「じゃあ、俺は」
ジョージはスとジャケットの内に手を入れ──
「これにしよう」
一枚のカードをベッティング・レイアウトに置いた。
タロットカード『魔術師』。
そこにいた全ての者がどよめいた。
華やかだった場は一変して闇に包まれる。
はぎ取られた幻覚の後に残ったのは、醜い蛾の羽から銀粉を撒き散らす、悪しき妖精達の姿だった。
ジョージは片笑んで呟いた。
「行け」
その声に反応して、背の闇が動く。
巨大な蛇が鎌首をもたげて、大きな口を開けた。身の丈がジョージの二倍ほどもある。それが恐るべきスピードで地を滑った。
逃げまどう邪悪な羽を、赤い口が次々と飲み込んで行く。
最後の一匹を飲んだ大蛇は、佇むジョージの前で闇と共に消え失せた。
静寂と荒廃した風景が戻る。
「幻覚には幻覚を。邪妖精なんて容易いもんだねぇ。さて、三階を目指すとしようか。確か……『図書室』だと彼女は言ってたな」
ジョージは階段をさらに上へと向かった。
■■ 奪還 ■■
右手突き当たりが、目的の部屋のようだ。
その手前には青白い燐光を放つ犬が、門番のようにうずくまっている。
ジョージが一歩踏み出すと、それはムクリと立ち上がった。
牙を剥きジョージに向かって歩み寄ってくる。
ハアハアと息を吐く度、青い炎が口から漏れた。
犬の歩みは徐々に早くなる。やがてそれは全速力へと変わった。
黒点の無い目がカッと見開いた瞬間、犬は大きく跳躍した。粘着質の液体が犬の舌先から飛び散り舞った。
「お前にはこれをやろう!」
ジョージはすかさずカードを飛ばした。
迫る鼻先に『死神』の札が貼り付いた刹那――
『ガアァァァ』
飛びかかり来る勢いのまま、犬はその身を宙に溶かした。
もうグズグズはしていられない。
今の騒ぎは部屋の中へも届いたはずだ。
ジョージは走った。
『助けて!』
セツの声が直ぐ近くから聞こえる。
走りながら銃を引き抜き、安全装置を解除した。
図書室とおぼしきドアを勢いよく蹴倒すと、ジョージは部屋の中へと躍り込む。
白衣の男が振り向いた。
がらんどうの教室の中、たった一つ置かれたイスには、娘が縛り付けられた体勢で項垂れている。口には猿ぐつわがはめられていた。
ジョージは男に銃口を向けた。
「動くな。彼女から離れてもらおう」
男はジョージの威圧的な声に負けて、セツから数歩横にずれた。
セツがゆっくりと顔を上げる。
ジョージは不謹慎にも思わず口笛を吹いた。
悲壮感に疲れ。
セツの顔にはそれが濃い。だが、以上にセツは美しかった。
「やぁ、お嬢さん、助けに来たヨ♪」
ジョージがニコリと笑うと、セツの顔が希望に明るんだ。
男は両脇に垂らした拳を振るわせ、ジョージに憎々しげな呪詛の言葉を投げかけた。
「貴様……どこから迷い込んだ? ここをどこか知っているのか?」
「ああ。『虚無の境界』の処分場だろう?」
ジョージは素っ気なく言い放った。男はジョージを睨み付ける。禿げ上がった広い額と、神経質そうに落ちくぼんだ目。それが怒りに燃えていた。
「おっと、妙な考えは起こさない方がいい。コイツが火を吹くぜ」
ジョージは銃を構え直した。男は目を剥いて笑う。
「うぬぼれるな! 私を誰だと思っている。能力者だぞ。お前など一捻りに潰してくれるわ!」
ガタッ――
横で音がした。
視界の隅で倒れていた扉が消えている。ジョージは振り向きざまに銃を撃ち放った。
激しい衝撃音と共に、腐って脆くなった戸板がバラバラと砕け散る。
ジョージが一息付く暇も無く、男は突進してきた。その胸元にギラリと短刀が光る。
「我々に盾突く者よ、どうなるか思い知れ!」
「どうかな」
ジョージは男に向かって発砲した。その弾すじが不自然な軌道を描いて逸れて行く。
男は狂喜の笑みを浮かべたが、ジョージは動じなかった。
己の肩口に手を振れると、ジョージはそれを斜めに振り下ろした。
――ッキン!
男の短剣がはじかれてクルクルと宙に舞った。
ジョージの一閃は、男の顔から胸にかけて赤い筋を刻みつけていた。
「ガ……」
膝を付き、崩れ落ちる男。
その傍らに一枚のカードが落ちた。
特別武器出現の効果──『スペードA』だ。
ジョージは剣に付いた血を払った。
「残念ながら思い知ったのは、そっちだったらしいよ」
見下ろす視界の中で、男の体がグズグズと萎れて行く。
後には白衣と大量の砂が残った。
ジョージの顔に険が走る。
「呪術……か。全くとんでもない連中だな」
銃をホルダーに納め、ジョージはセツに巻き付いていた猿ぐつわと縄を解いた。
ハア、と漏れた吐息。
栗色の長い髪が肩にこぼれる。
セツはハッキリとした二重に、薄い唇の綺麗な顔立ちの娘だった。
ジョージの手を借りて身を起こすと、セツはまだ蒼い顔で頭を下げた。
「ありがとうござ――」
その体が傾いて行く。
「おっと、危ない!」
ジョージはそれをしっかりと抱き留め、大げさに安堵の息をついた。その仕草が恐怖に萎縮していたセツの心を解したようだ。セツはクスリと微笑った。
「ケガは無いね? でも、無理はいけないよ、お嬢さん」
「はい」
素直に頷くセツの顔を、ジョージは覗き込む。しばらく考えた後、ジョージは言った。
「しかし……人に心を読まれるとは、厄介な体質なんだねぇ。俺だったらイイ気分はしないんだけど、君はそのままでいいの?」
セツはジョージに抱かれたまま呆然としている。話の意図が見えていないようだ。
「君が望むならだけど、治す事が出来るかもヨ?」
「! 本当ですか……?」
セツの顔がパッと輝いた。と、同時に……。
『でも、助けてもらった上にそんな事──』
彼女の本音が、ジョージの頭に届いた。
人の心の読めない厄介な『テレパシスト』に、ジョージは苦笑し、そしてウインクをした。
「お礼ならデートでOK♪ でもその前に、この処分場を潰してしまおうか」
大それた事さえ冗談めかして言う男――渋沢ジョージ。
こうしてセツはジョージの手により救出されたが、依頼主の水には何故か報告が丸一日遅れたと言う。
どこで何をしていたのか。
それはジョージとセツのみぞ知る。
終わり
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