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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


京洛乱戦鬼行


■ オープニング

 その日興信所を尋ねてきたのは、袈裟をまとった1人の僧だった。年の頃は40過ぎといった所だろうか。
 妙雲(みょううん)と名乗った彼と丁寧な挨拶を交わすと、早速仕事の話をはじめる。
「こちらの品を持って、私とこれから京都まで同行してくださる方を紹介してはもらえませんでしょうか」
 と、草間の前に差し出されるひとつの箱。大きさは大体長さが20センチ、幅が10センチ、厚さが3センチ程で、それほど大きくもない。
「……なんですか、これは?」
「鬼の角です」
「鬼の……角?」
「はい」
 繰り返す草間ににっこり笑いかけると、妙雲がさらに説明を続ける。
「と言っても、本物かどうかは、私にもわかりません。ただ、これは渡辺綱(わたねべのつな)が片手を切り落とした話で知られる羅生門の鬼──茨木童子のものだと伝えられていましてね」
「……ほう」
「私の先祖がどういう経緯で手にしたのかすら、今となってはわからないのですが、とにかくそういうものですので、結界を敷いて、これまで代々守ってきたわけです」
「なるほど、それで?」
「ところが昨今、私共の寺にある大杉──この御神木を核として結界を形成していたのですが──これが枯れてしまいまして、結界が維持できなくなってしまったのですよ。ですので、この品を京都の清明神社へと寄進する事にしたのです。向こうの方がより強固な結界で守ることができますし、それにあそこの神主殿とは、古い友人でしてな」
「ふむ……で、それを運ぶ事に何か問題でも?」
 と、尋ねる草間。問題がなければ、こんな所に来ることもないだろう。
 はたして、妙雲はにっこりと微笑み、
「ええ、ご推察の通りです」
 はっきりと、頷いてみせた。
「真偽はともかく、これが茨木童子のものであると伝えられている事自体が問題でしてな。その名は、大江山の酒呑童子と並んで、かなり有名な鬼の1人と言えるでしょう。現代に生きる鬼達の間では、ご神祖として神格化している者までおります。京都周辺に住む鬼達などは、特にその傾向が強い。これが自分達の手の届かない結界から出され、運ばれると知れば、狙って来る者は少なからずいるでしょう」
「……つまり、そういった者達、つまり輸送途中に襲ってくるであろう鬼の手から、その品を守る人員が必要というわけですか」
「はい、その通りです」
 人の良さそうな笑顔のままで認めてみせる妙雲に、草間は胸の内で唸っていた。
 ……鬼の角に、それを奪おうとする鬼か……えらい事になってきたな……
「運ぶ方法などは、具体的にどうするのですか?」
「それについては、車を使います」
「車……陸路を行くわけですね」
「ええ、東名高速から名神高速へと入り、ノンストップでぶっ飛ばします」
「……ぶ、ぶっとばす……ですか」
「何事もなければ良いのですが、まずそれは無理でしょう。ですので、是非腕に覚えのある方をお願いしたい」
「……はあ」
 そう言う住職の顔は……気のせいかもしれないが、なんとなく楽しそうに見えた。
 なんとも言い知れない不安を感じつつも、草間の顔が縦に振られる。
「わかりました。ご期待に沿えるよう、努力してみましょう」
「おお、引き受けてくれますか。これはありがたい。御仏の加護が共にあらんことを……」
 と、草間に向かって両手を合わせる妙雲。
 ……拝まれるなど縁起でもない、と思った草間だったが……さすがに口には出さなかった。


■ 東名高速、東京〜静岡IC・時速100キロの守護者達

 ──深夜。
 東名高速を一際大きな車が疾走していた。
 59年型キャデラック・エルドラド・コンパーチブル。
 キャデラックというと、とにかく大きくてゴツくて頑丈な高級車という、まさにアメリカ車の代名詞みたいなものだが、このエルドラドは、その中でも特にその特徴が際立っている逸品だ。
 なにしろ全長は約5.7メートル。車幅は2メートルを超えるという巨体である。通常の一般的なキャデラックの場合、全長は5メートル前後、4メートル後半というのがほとんどで、それよりさらに1メートルあまりも長いこの車体は、もはや一般車のレベルとは完全に一線を隔している。怪物じみていると言ってもいいだろう。
 少なくとも、日本の道路事情にまったく合っていないのは、誰の目にも明らかだ。
「こんな時でないと、思いきり動かしてやれないのですよ。まさかこいつで檀家回りをするわけにもいきませんから」
 ハンドルを握る袈裟姿が、前を見つめたまま言った。この車のオーナーにして、今回の依頼人である妙雲である。声には張りがあり、雰囲気もどことなく楽しげだ。
「ほんま、たいしたもんですね、この車。全然揺れへんし、音も静かやし」
 感心したような声で、今野篤旗(いまの・あつき)が言った。
 彼は18歳の大学生で、京都に実家があるという身だ。
 後期の試験も無事終わったこともあり、帰省の交通費が浮くのと、それに加えてこの仕事の依頼料も手に入るという一挙両得を考慮してこの件に参加した……という、いかにも関西人らしいちゃっかりした計算があったりするのだが……無論、この件の背景にも興味を持っており、仕事に対しては真摯に望む気でいる。まあ、あたりまえではあるのだが……
「59年型、とは、とても思えませんね」
 静かな声が、さらに言う。
 端正な横顔に、穏やかな口調、丁寧な物腰……
 灰野輝史(かいや・てるふみ)、23歳である。
 彼の言う通りであった。
 エアコン、パワーウインドウなどは言うに及ばず、パワーステアリング、オートマチックヘッドライト、パワーブレーキ等も標準で全て揃っている。今でこそ珍しくもない装備ではあるが、1959年当事でこれだけ付加されているというのがただ事ではない。なにしろその年代のキャデラックでは、最高スペックを誇る最高級車だったのだ。
 シートも全て革張りで、そこらの会社の応接室にあるソファなどとは比べようもないくらいの座り心地を提供してくれる。。
 後部座席はもちろん、前の座席も2シートではなく、当然のように一体型の広いベンチシートだ。妙雲、篤旗、輝史が3人並んで座っているのだが、それでも充分すぎるほどに余裕があった。
「……エンジン、内装、その他にも随分手を加えているようだな。住職、一体どれほどの金額をこの車につぎ込んだ?」
 背後から、野太い声が投げかけられる。
 妙雲がルームミラーに目を向けると、後部座席を占領した40がらみの男がニヤリと微笑んでいた。
 ……荒祇天禪(あらき・てんぜん)、それが彼の名だ。
 広大な後部座席の真ん中にどっしりと座った姿は、まるでそこの主のような風格さえ漂っている。
 どうみても最高級としか思えぬスーツも、靴も、時計も、全て彼の存在感に飲まれ、おとなしく従っているとしか感じられない。
 体格も見事であり、圧倒的なまでの存在感と雰囲気を惜しげもなく放つ偉丈夫であった。
 なんでも、いくつかの会社で会長職をしているとの事だ。
 そんな男にみつめられ、妙雲は、
「さて……」
 と、微笑む。
「細かい事は税理士の先生にお任せしているので、私もなんとも言えませんな」
「ほう、自分の車の改造費用まで、素直に全て税理士に話していると?」
「まあ……そういう事になりますか」
「ふむ、では聞くが、その税理士というのはお前の身内ではないのか?」
「はは、よくご存知で。我が愚弟がそうです」
「そうか。それはなによりだ。いくらでも自由が利く」
「はて……なんの自由ですかな?」
「さてな。なにより、坊主と税理士が身内におれば、この世に恐いものなど何もないという事だ」
「それはどうでしょう。弟の税務の処理は確かに恐いほど見事ですが、私はただのなまぐさですからなあ」
 などと言って、明るく笑う妙雲である。
「……えらいこと言うてはるわ、この人ら……」
「聞かなかったことにしましょう。たとえ冗談だとしても」
 篤旗と輝史が、声を潜めて苦笑する。
「ふふ、そうか、奇遇だな。俺の知り合いにもいるぞ、とびきりのなまぐさがな」
 と、天禪が顔を横に向ける。
 ウインドウの向こうの流れる景色に、すっと黒い影が入ってきた。
 同時に、この車のものではない重低音のエンジン音が聞こえてくる。
 後方から追いつき、並んできたのは1台の大型バイクだ。
 ──ホンダシャドウ750。
 影の名にふさわしく、黒を基調としてデザインされた鋼の馬である。
 全長約2メートル、乾燥重量は200キロを超える巨体だ。データだけで見ると、時速100キロで相撲取りが走っているようなものだろう。
 駆動は水冷4サイクルV型2気筒エンジン。最高時速は軽く200キロを凌駕する。
「誰の話ですか、それは?」
 低い声が、車内のスピーカーから流れてきた。軽い笑いを含んでいる。
 バイクの上で、大柄な男がこちらを向いていた。小型のトランシーバーを持ち、その手を振っている。
 吹きさらしの風を受けて、和服の裾と袂が豪快に踊っていた。
 この男、和服……正確には僧服姿で750ccのバイクに乗っているのである。
 頭に付けているのも、ヘルメットというよりは昔の飛行機乗りの飛行帽に近い。目を守るゴーグルも、四角くてごついクラシックなスタイルだ。その中で、優しげな瞳が微笑んでいる。
 ──抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)。それが彼の名だった。30歳の僧侶である。
「……その格好、寒くないんですか?」
 白鬼の姿を見て、篤旗が尋ねる。それはそうだろう、まだ2月の、しかも深夜だ。氷点下といかないまでも、気温は限りなく0度に近い。そんな中、防寒着も一切身に纏わず、時速100キロのバイクの上にいるのだ。風にあおられて僧服は乱れ放題であり、手や足、胸元までも覗いている。見ているこっちが凍えてしまいそうだ。
 が、白鬼は一声笑うと、
「鍛えてますからね。これくらいは平気ですよ」
 平然と、言ったものだ。
 無論、声には震えなどもなく、無理しているようにもまったく見えない。
「……そうですか、失礼しました」
「いやいや、気にしないでくれたまえ」
 最後にニッと笑みを浮かべると、また後方へと下がっていく。
「単車の方が小回りが利く。いざという時は頼りになるだろう」
 同じような表情で、天禪が言った。この2人、どうやら知り合いらしい。
「こっちも忘れないで下さいよ」
 新たな声がスピーカーから流れ、背後で明るい光が明滅した。後方の車がパッシングを送ってきたのである。
「ええ、忘れてませんよ。で、そっちはどうです? 異常ありませんか?」
 と、妙雲がこたえる。
「……ああ、まったく全然異常なしだ。このままじゃつまんねえドライブのまま終わっちまうぜ。どうしてくれるんだよ」
 再び聞こえてきたのは……最初の声とは違う、崩れた口調だ。
「いや、私に言われても困るんですがね」
 苦笑しつつ、そう返事をする妙雲であった。

 キャデラックから100メートル程離れた後方に、1台の赤い車がいた。
 ──スカイラインGTR。
 スカGといえば、オールドファンから若者まで、根強い人気を誇る名車のひとつだろう。
「くそ。高速道路なんてもんはへなちょこなカーブしかねえから運転も面白くねえ。いっそ反対車線でも走ってやるか」
 レース仕様のハンドルを握る男が、低くつぶやいた。
 ぱっと見はいい男なのだが、目の光が少々鋭すぎるのと、今は特に機嫌の悪い表情を隠そうともしていないので、あまり気安く話しかけられる雰囲気ではない。
 が、隣の助手席に座る細い影が彼へと振り返り、
「……おだまり。あたしだって鬼と思う存分戦えると聞いてきたから、乗りたくもないヘボ運転手の車に乗って我慢してやってるんだ。これ以上不愉快な独り言をほざくようなら、お前を叩っ斬るよ」
 何のためらいもなく、そう告げた。
「ほう……」
 男の目がすっと細まる。
 危険な色が、殺気を孕んでいた。
「おもしれえ、やれるもんならやってみやがれ」
「……ふん」
 男の凶眼を真正面から見返して、すっと構える声の主。
 その手には、いつのまにか抜き身の刀が出現していた。
 緊張の糸がみるみるうちに張り詰め、音を立てて切れようとした、まさにその瞬間──
「……やめなさい、2人共」
 後部座席から、うんざりした声が上がる。
「……」
「……」
 声もなく、そちらへと顔を向ける2人。
「これは命令です、いいですね」
 さらにそう言うと、一瞬だけお互いを睨みつけ……あとはまた無言で視線を戻した。
「……まったく……」
 端正な顔を歪め、ため息をつく男……
 彼の名は、城之木伸也(じょうのき・しんや)。26歳である。
 前にいるのは、運転している方が美樹夜(みきや)、助手席が千鶴(ちずる)といい、どちらも伸也が使役する鬼神だった。陰陽道で言うところの式神に近い存在ではあるのだが、言い換えれば、この2人もまた「鬼」なのである。
 主である伸也の命令は絶対であり、これにはさすがに逆らえないのではあるが……ごらんの通りにこの2人の相性は最悪だ。それも頭に超が3つ付くくらいに仲が悪い。なんでかは知らないが、人間でもウマが合わない仲というのはあるから、まあ単にそういう事なのかもしれない。
 とはいえ……
 ……やはり、連れてくる顔ぶれを間違えたかもしれませんね……
 今更ながらに、胸の内でつぶやく伸也であった。
 通夜のような沈黙と、一触即発の危険な空気を充満させて、真紅のスカGが夜気を切り裂き、進んでいく……

「……ところで、ずっと気になっていたんですが」
 スピーカーの向こうの険悪な会話が途切れたタイミングで、輝史が口を開いた。
「ふむ、なんですか?」
 前を向いたまま、妙雲がこたえる。
「守るべきものを、そんなに無造作に、しかも目立つ所に置いていていいんですか?」
 と、指を差したのは、フロントパネル……要するに計器類の上のスペースだ。
 そこに、隠すでもなく、剥き出しの木箱が堂々と置かれている。
 草間の所にも持参して説明した、茨木童子の角が納められているというものに間違いない。
「はは、まあ、この車にあるのは、向こうも既に承知でしょう。隠したところで始まりません。それに、1人が持って守るより、皆の目に付くところに置いておいた方が守りやすいと……そうは思いませんか?」
「……確かに、それも一理あるでしょう。しかし……」
 何かを言いかけ、言いよどむ輝史。
 言葉を継いだのは、別の声だ。
「それは向こうも同じやと思いますわ。目標がはっきり見えて、攻めるに容易やないですか?」
 篤旗が、問うた。
「……まあ、そうかもしれませんな」
 あっさりと、妙雲が認める。うっすらと微笑んで。
「だから俺達が守る。そのためにここにいるわけだ。そういうことだろう」
「そう思って頂けるなら、心強いですな」
 最後に天禪が言い、妙雲が頷いた。
「……」
 ……果たして、それほど簡単に行くのであろうか。
 輝史などは、そんな思いがどうしても拭えない。なにしろ相手は鬼なのだ。
 が、少なくとも年長の2人の顔からは、そのような深刻な気配はまったく掴めなかった。
 よほど肝が据わっているのか……楽しそうにすら見える。
 ……こちらの考えすぎなら、それはそれでいいのですが……
 軽く首を振り、他の事を尋ねることにした。
「もうひとつ、いいですか?」
「ええ、なんでもどうぞ。お気兼ねなく」
「すみません。その箱そのものの事ですが……面白い造りをしていますね」
「ほう、やはり判りますか。さすがですな」
「……いえ」
 じっと箱に眼を向けたまま、頷く輝史だ。
 彼の能力のひとつであるアストラル視──ものの”エネルギーそのもの”を観る力──でも、雲でもかかったように中身が判然としない。よほど強い力によって護られているのは間違いないだろう。
 それに、形状も普通ではなかった。
 黒光りする深い漆塗りの表面には、よく見ると無数の切れ目が入っている。
「なんや……パズルみたいですね」
 輝史と同じく、箱に眼を向けながら、篤旗が言った。
 確かにその通りであり、小さな木の板を無数に組み合わせて箱にしてあるらしく、1個所だけわずかに隙間がある。恐らくは部品を一定の手順に従ってずらしていく事で、この箱は開くのであろう。なにしろその他には、蓋らしい仕掛けも一切見当たらないのだから。
「ご明察です」
 と、妙雲も首肯した。
「これは仕掛け箱になっていて、826の手順を踏まなければ開かないようになっています。それに、代々我が寺の住職が毎朝祈りを捧げ、護りの法力を込めるしきたりになっておりましてな。いかなる魔力、妖力も寄せ付けず、それこそ象が踏んでも壊れません」
「……そらまた……すごい」
「さすがに茨木童子の角を護るには、それくらいしないといけないという事ですね……」
「……さて、それはどうでしょうか」
 感心したような2人の声だったが、妙雲は実にあっさりと、
「これが言い伝えの通りの品だとは、もはや誰にもわかりませんからね。案外私も私のご先祖も、ずっと無駄な事をしていたのかもしれませんよ」
 と、屈託なく笑ってみせる。
「よければ、手に取って近くで見てもらっても構いません。なんでしたら、開けて下さっても結構です。もっとも、開ける手順は我が寺に伝わる秘伝ですので、簡単にはいかないでしょうが」
「……は、はあ……」
 それを聞いて、思わず篤旗と輝史が顔を見合わせた。恐ろしいくらいに気安い話である。それくらい信用してくれているのかもしれないが……おいそれと手を出すのは、いくらなんでもためらわれるというものだ。
 ……が、
「では遠慮なく見せてもらおう」
 と、後ろから逞しい腕が伸びて、ひょいと箱を掴み上げた。天禪である。
「大丈夫とは思いますが、壊さんで下さいよ」
「象が踏んでも平気と聞いたぞ」
「ははは、そうでしたな」
 そのまま天禪はどっかりとシートに戻り、しばししげしげと箱を見つめていたが……やがて器用に片手のみでカチカチと箱のパーツを動かし始めた。特に悩んでいるようにも見えず、無造作だ。
「……ご住職、ついでと言ってはなんですが、よければその言い伝えとやらを、我々にも聞かせてもらえませんかね? もちろん、無理にとは言いませんが」
 スピーカーから、ふとそんな声。
 窓の外に、再び僧姿のライダーが見えていた。妙雲がルームミラーに写る天禪から視線を外し、そちらを見る。
「よろしいですよ。と言っても、現在残っている口伝は、江戸中期くらいに創られたもののようです。正確なものではありません。ですからおとぎ話とでも思って聞いて頂きたい」
 そうことわって、話し始めた。
「羅生門、または一条戻り橋でという節もありますが、渡辺綱に腕を切り落とされた話で有名なこの鬼、実は大江山の酒呑童子の家来だったという話は存じていますか?」
「……ええ、摂津の国の茨木村に、産着のままで捨てられていたところを床屋の夫婦に拾われて育てられた。しかしやがて鬼の血に目覚め、酒呑童子の下についた……そうですよね?」
 スピーカーから、別の声が流れる。伸也だった。彼らもこちらの話を聞いていたらしい。他の面々もまた、一様に頷いてみせる。
「そこまでご存知ならば、話が早い。その後、京の都を騒がせた彼らは源頼光率いる四天王によって退治されるわけですが……その際に重症を追い、動けなくなっていた1人の鬼をご先祖がたまたまみつけ、哀れを感じて傷の手当てをしたそうです。その礼として、これを貰い受けたそうですな」
「……その鬼というのが、茨木童子だったと?」
 白鬼が聞いた。
「助けられた鬼は、こう言ったそうです。我は酒呑童子28鬼衆が1人、茨木童子なり、と。伝わっているのはそれくらいですな」
「……なるほど。真偽はともかく、興味深い話だ」
 妙雲の短い話が終わると、またひょいと後ろから手が伸びてきた。箱が上に載っている。
「……開きましたかな?」
「ふっ、見てのとおりだ」
 黒い箱には何の変化もない。最初の形のまま、そこにあった。
「さすがに1000年以上も護られていただけの事はある。なかなかに手強い」
「そうですか、そう言って頂けるとなによりで…………む?」
 天禪の手から箱を受け取ろうとして表面に触れた瞬間、妙雲の表情が変わった。
 人の良い笑みが音を引くように消え、眼光が鋭くなる。
「……どうかしたか?」
 一方の天禪は、口元に笑みを浮かべていた。
「貴方……もしや……」
 何かを言いかけたが、それは最後まで続かなかった。
「……お客さんがお見えのようですよ」
 伸也の声が、スピーカーから流れる。
 後方に無数のヘッドライトが現われ、次第に近づいてきていた。


■ 東名高速、静岡〜焼津IC・鬼、鬼、そして鬼

 地理的に見ると、場所は静岡インターのやや手前だった。
 このあたりは山地であり、東海道の時代から難所のひとつに数えられる場所である。
 特に静岡と焼津の間は、南アルプスから伸びてきた山脈が駿河湾にまで達しており、間を隔てられている。
 旧東海道や国道1号線などは、あえてここを通らず、内陸部を大きく迂回しているくらいなのだ。
 自然と道もカーブが多くなり、上り下りも増えてくるので、スピードも平地よりは下がってくる。
 ……狙うとすれば、まさに絶好だったろう。
「まあ、読んではいた事だがね……」
 つぶやき、キャデラックに向かって片手を上げる白鬼。
 こちらを向いた天禪が、小さく頷くのが見えた。
 と同時に加速して、すっと前方に流れていく。
「あっちの心配は無用、か。ならこちらは露払いでもしますか」
 ニッと笑い、スロットルを緩める。
 たちまち背後から無数のエンジン音が迫ってきた。
「……ふふ、いよいよ祭りの始まりだね。どれ、ちょっと挨拶してくるよ」
 妖しく微笑み、助手席のドアに手をかける千鶴。
「ああ、とっとと出てけ。でもって2度と戻ってくんじゃねぇ」
 美樹夜がこれ以上ないくらいにつっけんどんに言い、シッシッと手まで振ってみせた。
「ふん。お前みたいな腑抜けの相手は後だよ」
「なんだとぉ」
 鋭い視線をぶつけ合い、片方がすぐに消えた。ドアを開け、外へと出て行ったのだ。
「……ったく、いちいち気にいらねえ女だ」
 残った美樹夜が、短く吐き捨てる。
 その隣に、今度は後ろにいた伸也がシートを倒し、移動してきた。
「俺も外に出ますが……わかってますね?」
 と、美樹夜に聞く。
「ああ、俺はこいつを転がして、お前らの援護だろ。任せな。目障りなのが隣から消えてくれたんだ、ようやく集中できるってもんだぜ」
「……結構です。じゃあ任せましたよ」
「ああ、大船に乗ったつもりでいな。ってか、こいつは車だけどな」
 くくく、と、声を潜めて笑い、ハンドルを叩いてみせる美樹夜だ。
「くれぐれも無茶はしないように」
 無駄とは知りつつも、最後にそう告げて、伸也もドアを開け、一気に寒風吹きすさぶ真っただ中へと身を躍らせる。ドアの縁に手をかけ、そこを支点に一回転して屋根へと降り立った。反動できちんとドアも閉める。
 目の前には、漆黒の闇に溶け込むかのような忍び装束の細い影が立っていた。言うまでもなく、千鶴だ。
「……ずいぶんいますね」
 と、声をかけた。
「全部で36だよ。楽しくなりそうだね」
 背後のヘッドライトの群れからひしひしと押し寄せてくる圧倒的なまでの存在感……それは明らかに人のものではありえない。間違いなく、近づいてくるもの達は、全て人の形をした、人間以外のものだ。
 それらの全てを、瞬きもせずに見つめる女鬼神……その横顔は、ぞっとするほどに美しい。両手には、既にそれぞれに抜き身の刀を携えている。
「嬉しそうですね、千鶴」
「ああ、そりゃそうさ。遠慮せずに思い切りできる相手がこんなにいるんだ。たまらないよ……ふふふ」
「……そうですか」
 いつも遠慮なんてしないでしょう、貴方は……と言いかけて、やめた。死闘の前の静寂……その甘美な瞬間に身を委ねている今の千鶴には、おそらくは何を言っても届くまい。
「さあ……行くよ!!」
 一声残して、千鶴の身体が霞む。
 それがはじまりの合図だった。
 背後のエンジン音が、急激に大きくなる。一斉に加速してきたのは、全てバイクであり、車は1台もなかった。こちらを取り囲むような動きを見せつつ、接近してくる。
 その先頭の車体に、黒い影が音もなく襲いかかった。
 ──ギィン!
 銀の光が一筋走ると、一瞬遅れて鋼が鋼を断つ硬質の響きが夜空に響く。
 真一文字に切断された前輪からタイヤのゴムが弾け、下半分が後方へと吹き飛んだ。
 そのまま火花を上げて横転し、激しくスピンしながらバイク本体もその後を追う。
 100キロ以上で走行するバイクの、その前輪がいきなり断ち切られて半円になれば、嫌でもそうなるだろう。
 普通なら、乗っている者も一緒にスクラップになる所だが……そこまでには至らなかった。
 斬られたと思った瞬間に、運転手は空中へと跳ねて逃れたのである。
「……くっ!」
 10メートル程の上空で風に身を任せながら、彼は唇を噛んでいた。
 逃れはしたものの、肝心の相手の姿を見失っている。
 高速道路上にも、それらしい姿はない。
 ……一体、どこに……?
「ふふ……あの一瞬でいい反応だねえ。それは誉めてやるよ」
「な……!?」
 声は、自分の後ろでした。
 愕然と振り返る。
 そこに……女がいた。
 星空を背景に、艶然と微笑む美しい女鬼神が。
「そら、ごれはご褒美さ!」
 声と共に、頭にガツンと来た。
 蹴りだと気付いた時、とてつもない衝撃が視界を暗転させる。
 そして……彼は気を失い、地上へと墜ちていった。
 粉々に砕けたヘルメットが、一撃の威力を物語っている。
「……ふふふ」
 その時にはもう、微笑みだけを残して、千鶴の姿は消えていた。
「な、何だ!?」
「気をつけろ、こいつら普通じゃないぞ!」
 瞬く間に仲間の1人が倒されたのを見て、残りの鬼達が色めき立つ。
 が、さすがに動揺の気配までは生まれてはいなかった。
 自分達”鬼”がこれほど集まって、何を恐れる事があるだろう。
 そのような思いが、彼らの中には少なからずある。
 ……かつて大江山に集い、京の都を襲っていた彼らの先祖もまた、同じだったのかもしれない。
 藤原頼光率いる四天王によって退治された、大江山の鬼達。
 それから遥かな年月を経た今は、果たして……
「……良い音だね。やはりハーレーは違う、うん」
 鬼達の集団の中でも一際大きな車体、恐らくは1000ccオーバーと思われるハーレーダビッドソンの後部シートで、ふとそんな声が上がった。
「……!?」
 ぎょっとして、運転手はおろか、周りのライダー達もその人物へと目を向ける。
 いつのまにそこに現われたのか、誰にもわからなかった。
「ああ、こらこら。運転中によそ見はいかん。きちんと前を見なさい。危ないぞ、キミ」
「ふ、ふざけるな!!」
 いきなり現われた僧服姿の大男──白鬼に言われて、運転手が横殴りに右手を振るう。
 まともに喰らえばコンクリートすらあっさり砕く鬼の拳ではあったのだが……
「おっと」
 のん気とすらいえる声と共に、彼の片手によってあっさり押さえられる。
「こ、こいつ……離せ!!」
 しかも、まるで万力で固定されたみたいにびくともしない。鬼である運転手の力を、どうみても上回っていた。
「ふむ、離せばいいのかな?」
「ああ、そうだ!」
「……わかった」
 にっこりと人好きのする笑いを浮かべる白鬼……
 それを見て、運転手の胸に嫌な予感が沸いたが……どうしようもなかった。
「ではそうさせてもらうよ。それと、ちょっと運転も代わろうか」
「何言って──うわぁぁぁぁーーーーー!!」
 悲鳴が尾を引いて、夜空に流れる。
 白鬼が片手のみで、彼の身体をひょいと放り投げたのだ。
 それほど思い切りとも思えないのに、運転手の身体は大きく弧を描き、高速道路と外とを隔てるフェンスを乗り越えて、真っ逆さまに落ちていく。
 場所はちょうど橋の上であり、下は川だった。ほどなく上がる、大きな水音。
 その時にはもう、白鬼は運転席へと移動しており、ハンドルを握っている。
「うん。多少の事にはびくともしないこの安定性、さすがだね」
 計器類を見つめる眼は、まるで子供のように輝いていた。楽しそうだ。
「こ、この野郎!」
「やりやがったな!」
「引きずり降ろせ!!」
 一方、周りを囲む鬼達は、一気にいきり立った。あらかじめ用意していたらしい鉄パイプや木刀を手にして、光る目を白鬼に向ける。
「……ふふ」
 ハーレー上からあたりを見回す大男の表情は、それら凶悪な気配を真正面から受け、それでいてまるで揺るがない。
「喰らいやがれ!!」
 包囲の輪が一斉に縮み、四方から武器が振り下ろされる。
 それらが当たる一瞬前まで、白鬼は確かにそこにいた。
 が……
 まさに当たると思われたその瞬間、彼の身体は忽然と消失したのである。それも重さ300キロを超える大型バイクごと。
「なにぃ!?」
「ば、馬鹿な!?」
「野郎はどこ行った!?」
 ある者は派手に空振りし、ある者は道路を激しく叩きながら、口々に叫ぶ。姿だけでなく、気配まで見事にないのだ。まるで特上の手品か、あるいは悪い夢だった。
 そしてすぐに、彼らはその続きを見ることになる。
「……ほう、キミのはZUだね。古いけど名車だ。手入れもいい。よほど愛着があるんだね」
「!?」
「う、嘘だろ!?」
「なんだこいつ!?」
 また違うライダーの後部シートにいきなり現われ、興味深そうにバイクを見つめる大男……
 言動も行動もどこかとぼけてはいるが、その理解不能の技に、近くの鬼達は残らず戦慄した。
「くそっ! 飲まれるな!」
「俺らを舐めるなよっ!!」
 しかし、彼らも鬼である。恐れるどころか、より強い闘志を剥き出しにして、白鬼に目を向ける。
「安心したまえ、俺もライダーだからね。キミ達のバイクは、後できちんと無事にお返ししよう。約束するよ」
「ふざけた事言ってんじゃねえ!!」
「……おいおい、心外だな。ふざけてなどいないよ」
「このぉ!!!」
 再び、鬼ライダー達が襲いかかってくる。
 ……彼らはまだ知らない。
 30秒とたたずに、最初のハーレーの主同様、自分たちが残らず川の中に放り込まれる事を……

 ──3分後。
 白鬼は自らの愛車、シャドウへと戻っていた。
 後部シートに、ふとわずかな空気の乱れを感じて振り返る。
 そこに、1人の女性が立っていた。
 黒装束の女鬼神……千鶴である。
「……よく気付いたね。気配は消したつもりだったんだけど」
 抜き身の刀を下げたまま、千鶴が白鬼を見下ろし、口を開いた。
「はは、美人には目がないのでね」
 と、笑う白鬼である。
 が、千鶴は表情をまったく変えず、
「さっきの戦い、見せてもらったよ。強いね、おまえ」
 静かな声で、そう告げた。瞳に多少危険な色が浮かんでいる。
 戦いの化身である彼女にしてみれば、強い者には皆興味があるのだ。無論、闘う対象としてであるが……
 それを感じ取った白鬼が、慌てて目を逸らし、前を向いた。争いの相手を増やす気はない。それが味方で、しかも美人となれば尚更だ。
「……こっちもそちらの戦いを見せてもらいましたが……ひとつだけ言ってもよろしいですかね?」
「なんだい?」
「無理にとは言いませんが、できればあんまりバイクを壊さないでもらえますか? 俺もバイク乗りなんで、見ていて胸が痛いんですよ」
「ふふ……そうかい。いいだろう。強い奴の言う事だ、胸に留めておこうじゃないか」
「いや、すみませんね」
 話しているうちに、残りの鬼ライダー達がじわじわと包囲してくる。
 既にこちらの実力を目にしているので、無鉄砲に仕掛けてはこないようだ。
 しかし、こちらの鬼神殿は違った。
「さて、じゃあ行こうか。今夜の祭りはこれからさ。ふふふ……」
 微笑の声だけを残し、その姿が消える。
 ──ドカッ!!
「ぐぁっ!」
 次の瞬間、骨と肉がぶつかり合う音がして、1人の鬼が空中に舞った。
 ハンドルの上に飛び移った千鶴によって、顎を蹴り上げられたのだ。
 回りの鬼達がすかさず反撃に移ったが、ある者は振り上げた武器を切断され、ある者は真正面からの拳の一撃を受けて吹き飛ばされ……
「……ふむ、口約束とはいえ、乗っている者のみを攻撃していますね。結構結構」
 彼女の戦いっぷりを眺めつつ、満足げに頷く白鬼。
 が、当然ライダーを失ったバイクは制御を失い、とたんにふらふらと揺れ、今にも倒れそうになる。
 白鬼は懐から1枚の札を取り出すと、何事かを唱え、愛車のハンドルに貼り付けた。
「はっ!」
 それから短い気合と共に宙に舞い、主を失ったバイクに次々と乗り移りつつ、同じように札を施していく。
 白鬼の手を離れると、それらはすぐに淡い光を放ちはじめ、効力を発揮した。
 意思なきものにかりそめの命を与え、自在に動かす……そういう術だ。
 それにより、無人のバイク達が整然と並び、ひとりでに走り始める。
「……これでよし。おおいキミ達、愛車の世話は任せておくがいい。安心して退場してくれ」
「てめえ何言ってやがる!!」
「おっと」
 白鬼へと近づいた1人が、金属バットを彼へと振り下ろしたが、当然のようにあっさり受け止められた。
「こらこら、こんなもので殴りかかるとは何事だね。俺はともかく、友達の愛車に傷でもついたらどうする? 身体の傷はほっといても勝手に治るが、バイクの傷はそうはいかないだろう? ん?」
「こ、この野郎──うわぁっ!」
 そして、彼方へと放り投げられ、また鬼が1人姿を消す。
 白鬼と千鶴の手により、あっという間に襲来した鬼達は撃退されていった。
 ……ちなみにこの1時間程後、近くのパーキングエリアに無人のバイク数十台が乗りつけることになる。駐車場に勝手に並んで止まる姿を目にして、仮眠を取っていた長距離トラックの運転手が肝を潰したそうだ。

「はぁっ!」
 声と共に白刃が美しい軌跡を描いた。
 スカGに飛び移ろうとしていた鬼のヘルメットが、縦に真っ二つに両断される。
 慌てて顔に触ったが……不思議な事に傷ひとつどころか、皮一枚とて切れていない。
 フルフェイスのヘルメットを2つに断ちながら、中の頭には一切触れていないとは、一体どういう技なのか?
 安堵すると同時に不思議に思ったが、それどころではなかったろう。
「おわぁっ!」
 その鬼は蹴り飛ばされ、バランスを失って派手に路上に転がり、後ろへと流れていった。
 スカGの屋根でピタリと刀を構えているのは……伸也である。
 手にしたこの武器は、無銘ではあるが、愛用の品だ。よく使い込み、手にもしっくり馴染んでいる。
 腕前の方は、言うまでもないだろう。
 数台のバイクが千鶴達の手をかいくぐり、こちらにも迫ってきていた。そこらへんは、さすがに相手も鬼である。
 だが、待ち受けていたのは、1刀を手にした伸也と、鬼神美樹夜が駆る荒馬スカGだ。
 さすがに千鶴や白鬼のように走行中のバイクに次々に乗り移って……などというのは無理があるが、その分美樹夜のドライブテクニックが補い、鬼達を圧倒している。まあ、高速走行している車の屋根に立って立ち回りを演じる伸也も、充分普通ではありえないが……
 いずれにせよ、彼らを撃退するのも、このままでいけば時間の問題だった。
 道路脇の標識に、静岡ICまで600メートルの文字。
 それを通過した時、伸也は前方へと振り返った。目つきがやや険しくなっている。
 表示通りの600メートル前方。その合流点から、次々に本線へと飛び出してくる車両の群れ。
「おい伸也! ありゃあこいつらの仲間じゃねえのか!!」
 ハンドルを握る美樹夜が、そう声をかけてくる。
 まず間違いなく、その通りだ。
 バイクと車で構成された集団は、こちらのバイク連中より台数が多い。
 そしてなにより、その集団から放たれる気配が、明らかに普通ではないと物語っていた。
 鬼の角を持つキャデラックは、伸也の目で見て、ここから約1500メートル前方にいる。
 ……こいつらは俺達を引き離すための囮か。
 傍らのバイクを見て、そう判断した。
 ならば、ぐずぐずしている手はない。
「美樹夜、急ぎます。派手に行きましょう」
 むしろ静かに、伸也はそう告げる。
「へっ、わかってるって!!」
 威勢のいい返事と共に、スカGがグンと加速した。
 それを邪魔するように、バイクが数台前に滑り込んでくる。
「いい度胸だ! 片っ端から轢いてやっから覚悟しろこの野郎!!」
 窓から身を乗り出し、美樹夜が叫んだ。
 ……声も表情も、完全に本気だった。


■ 東名高速、日本坂トンネル・仕掛けられた罠、正面突入強行突破

「……ふふ、騒がしくなってきたようだな」
 前を向いたまま、天禪が言った。
「40……いえ、50台はいますね」
 後ろを振り返った輝史が、気配とヘッドライトの数を見て、そう判断する。
「最初のんは囮で、こっちが本命。つまりハメられたっちゅうことですか」
 眉を潜める篤旗。
「さらにもうひとつ、悪い知らせがあります」
「ほう、何かな」
 妙雲の言葉に、天禪が尋ねる。
「前方にもなにやら怪しげな集団がおりますな。たぶんあやつらも仲間でしょう。20台ほど……でしょうか」
「すると全部で70台といった所か。ずいぶんと張り切ったものだ」
「まったく、困ったものです」
 とか言いつつも、2人の表情、口調はまったく変化がない。世間話でもしているかのように平然としている。
「……で、どないするんです? なんぞいい手でもあるんですか?」
「さて、どうですかな。どなたか良いお知恵はありますか?」
「いやあの、それ聞いてるんはこっちですけど……」
「おお、そうでしたな。はっはっは」
「……かなわんなあ、もう……」
 この期に及んでまるで緊張感というものがない住職に、篤旗もさすがに苦笑した。
「では、とりあえず俺が結界を張りましょう。攻めるにせよ守るにせよ。多少のお役には立つはずです」
 輝史が言った。彼の口元にもまた、わずかな微笑みがある。
「お手並み拝見といこう」
 頷く天禪。
「では……」
 前方を見つめる輝史の目が、すっと細められる。
 と同時に、車の周囲に不可視の力場が形成され、球状に覆われた。
「ほう……これはお強い」
 妙雲が、感心した声を上げる。
「これなら、充分いけるんちゃいますか?」
「……だといいんですけどね。なにしろ相手は鬼ですから」
「うむ、油断はできんぞ。これで奴らがどう出るか、だな」
「ほほ、さっそく来ましたぞ」
 後方の集団から、1台のヘッドライトが突出して近づいてきた。
 前方からも、同じようにテールランプが下がってくる。
 どちらも車であり、エンジン音が一味違った。
「前門のRX−7、後門の86トレノですな。いずれも走るために手を相当加えていると見ました。いやはや、公道レースでも仕掛けてくるつもりですかな」
 とかいつつ、住職は微笑んでいる。
 だが、そうではなかった。
 前後の結界の端ギリギリで接近を止めると、なにやら怪しげな気配がゆらゆらと立ち上り始める。
 低く聞こえてくるのは、何かの呪言であろうか。
「……これは……」
 輝史が、眉を潜めた。
 ぼうっと、前後の空間に光る何かが現われる。
 やがて形をはっきりと描き出したそれは……文字だ。
 前がひらがなの「め」、後ろが左右逆転した鏡文字の「め」。1メートル程の巨大な光る文字が、結界の端に張り付くようにして揺れている。
 そして……

 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ!!

 高く放たれた真言が、全員の耳を打った。
 その瞬間、車の周囲に張られた輝史の結界が音もなく消滅する。
「ふむ、呪力による結界破り……というより中和だな。向こうにも腕のいい術者がいるとみえる」
 すぐにそう口にしたのは、天禪だ。
「今の真言は、薬師如来ですか?」
「ええ、そうですね。日光、月光菩薩を両脇に従え、眷属の十二神将によって厳重に守られたありがたい仏尊ですよ。ありとあらゆる病魔を打ち払う霊験があるとされています」
 輝史の問いに、静かにこたえる妙雲。
「ひらがなの”め”と、鏡文字の”め”を描いた絵馬を奉納する風習があったな。たしか”むかいめ”とか言ったか」
「その通りです。よくご存知で」
 天禪の言葉にも、コクリと頷いた。
「……でも、その薬師如来の力て、病魔を払うもんですやろ?」
「彼らにしてみれば、自分達の目的を邪魔する力は、病気のようなものだろう」
「それに、御仏のお力は、全てのものに等しく注がれるのですよ。ありがたい話です」
「……この場合、ありがたいのとは、ちょっと違うんちゃいますか?」
「なんにせよ。結界はこれで効果がない事がわかりましたね。どうします? 一気に攻めてきますよ」
 輝史の台詞の通りだった。前後から、無数の車、バイクが押し寄せてくる。それでいていまだに呪言は低く流れ、光る”め”の文字もそのままだ。
「ふむ、確かに困りましたな。ですが、彼らの仕掛けてきた結界破りの呪法は、あくまで霊的な力に対して効果を発揮するもので、こちらの車の動きそのものに影響を与えるような力はないようです」
「なるほど、それで?」
 篤旗が住職に聞いた。
 妙雲は彼へと顔を向け……
「ここは任せて頂きましょう。ちょっと揺れますぞ」
「……は?」
 にっこりした顔に、なにやら嫌な予感がしたその刹那──
 ──キキキキキキィィィ
「うわぁっ!!」
 いきなりブレーキ音と共に、車のスピードが落ちた。
 不意の事に、篤旗と輝史の身体が前に流れ、なんとか踏みとどまる。
 後ろにいたトレノのドライバーも、さぞ驚いたろう。
 一瞬呪言が途切れ、ガクンと大きく揺れたかと思うと慌てて速度を落とし、急ハンドルで逃れようとした。
「あかん! ぶつかる!!」
 背後を振り返った篤旗が叫ぶ。
 しかし、そうはならなかった。
 あとわずか数センチの距離まで迫ったところで、妙雲の足がブレーキから離れ、アクセルへと移る。
 シフトチェンジをする手つきも鮮やかに、そこから今度は急加速へと転じた。全員の身体が、先程とは逆にシートに押し付けられる。
 前のRX−7も、こちらの突然の動きに反応が遅れたようだ。
 タイヤを鳴らしつつ横滑りしたキャデラックが、あっという間にその隣に並び、抜き去っていく。
 運転している者が、ウインドウの向こうで目を丸くしてこちらを見ていた。
「……腕も反応も悪くない。ですが、度胸はこちらが上でしたな」
 前を向いたまま、微笑む妙雲だ。
「……鬼や、ここにも鬼がおる……」
「みたいですね……」
 わずか数秒の間で激しく上下左右に身体を揺さぶられた2人が、そうつぶやいた。
「さて、住職。ではここを開けてくれぬかな」
 と、背後から太い声。
 ルームミラーに映る男は、天禪である。逞しい腕が、すっと天上を指差している。彼のみが、あの運転のさなかにも微動だにしていなかった。
 結界封じから抜け出したとはいえ、鬼達に囲まれた状況は大して変わっていない。
「彼らに挨拶をせねばなるまい」
「……わかりました。では、そういう事でよろしいですかな?」
 と、隣の2人にも尋ねる妙雲。
「せやね。この場合、しゃあないですやろ」
「結界が通じないとなると、それしかないでしょうね」
「では……」
 頷いて、傍らのスイッチに手を伸ばす住職だった。

 ゆっくりと、電動で後ろにスライドしていくキャデラックの屋根。
 そこに、四方から十数台のバイクが近づいていく。
 手に手に、木刀やバット等の武器を手にしていた。
 ……これだけの数で攻めて、なんとかできぬはずがない。
 皆、そう思っている。
 が、先程の運転の手並みといい、かなりの実力を持った相手なのは疑いない事実のようだ。
 先に囮を仕掛けた連中からの連絡が途切れた事も、気になる事ではある。
 しかし、だからといって、彼らに恐れはなかった。
 相手が強い程、こちらもまた、内に秘めたものが騒ぎ出す。
 それこそ、まさに鬼の血のなせる技なのだろう。
 人に化け、人の世に紛れて暮らす者も多い現代の鬼達ではあったが、その一点ばかりは、昔となんら変わる事がない、不変の精神なのかもしれない。
「いくぞ!!」
 誰かが1人、気勢を上げて突っ込んでいった。
 ちょうど、屋根が全て開ききる。
 乗っていたのは、4人の男達だった。
 運転手が1人、前の座席に風を受けて立つ男が2人、後ろに座った男が1人……
 それを見て取った瞬間、風を切って何かが飛来した。
「……っ!?」
 手にしたチェーンで、反射的に叩き落とす。
 ゴッ、と、異様な手ごたえを感じた。
 重く、それでいて何かの”力”を秘めた小さな物体。
 彼には、その正体がわからなかった。
 ただ、当たった瞬間、根元から武器が粉砕され、粉々になったのははっきりと感じた。
 そして、
「な、なんだ!?」
 跨るバイクから感じる、異様な熱……
 瞬時に危険と判断し、空中へと飛び上がる。
 ──ドン!!
 眼下で、今まで自分が乗っていたバイクが突然火を噴く光景を目にして……大きく目を剥く。
 ……何が起こったのか、見当もつかなかった。

 背後に振り返った輝史が、再び”武器”を構える。
 といっても、それは大仰なものではない。何の変哲もないスリングショットである。
 玉も至って普通のBB弾──エアガン用に用いられる直径6ミリのプラスチック球──だ。
 ただし、それらの品が彼の手にかかると、必殺の一撃と化す。
 輝史の手の中で、次々と淡い光を帯びる球体。
 それをつがえ、放つ。
 ゴムの反動によって飛び出した粒は、光の尾を引いて突き進み、狙いを決して外さない。
 鬼達も黙って受けるはずはなく、手にした武器で、あるいは拳で叩き落そうとするのだが、それらは皆、弾き返されるか粉砕され、無駄に終わっていた。
 ──エーテライズ。
 輝史がその能力を行使するとき、彼の手にしたものは全て純粋なエネルギー体であるアストラル体へと姿を変え、ありとあらゆるものに等しくダメージを与える「魔剣」と化す。
 重さわずか数グラムの小玉が、銃弾にも負けない武器となるのだ。
 しかも術者である輝史の意思に従い、風などには左右されず、そればかりか自然ではありえない軌跡を描いて、次々と死角からライダーに襲いかかった。
 これではさすがに、鬼達もおいそれとは近づけはしない。
 さらに、
 ──ゴゥン!
 彼らの乗るバイクが次々に炎を上げ、爆発的に燃え上がる。
 おとなしく火に包まれる鬼などはいなかったが、移動手段を失った者達は、戦線を離脱するしかないだろう。次々に空中、道路脇、あるいは仲間の乗るバイク、車へと逃れていく。
 それらを眺めつつ、新たな目標へと向けられる視線の主。
 ……篤旗だった。
 彼の向いた先で、紅蓮の炎が巻き起こる。
 原因不明の出火は、全て篤旗の能力なのだ。
 超高温から極低温まで、自らの意思で自在に熱を与え、奪う事ができるのである。
 ガソリンの詰まったタンクに少々お灸をすえたらどうなるか……結果は子供だって知っている。
「うむ、見事なものだ」
「まったくですな」
 一方、若者2人の活躍をよそに、天禪と妙雲は落ち着いたものだった。
 ハンドルを握っている妙雲はともかく、天禪などは足を組んでシートに座ったまま、動く素振りすらない。
 そこに、一際高いエンジン音を響かせて、後方からトレノが迫ってきた。
 2人の鬼がボンネットの上に乗り、木刀を構えている。
 輝史と篤旗が同時に力を振るったが……
「こいつ、また結界張っとるな」
「さっきと違って、今度は自らを守るタイプのものですね」
 それぞれに、そうつぶやく。
 トレノの回りに、薄衣のような膜が見て取れる。
 攻撃がその表面に当たると、青白い火花となって跳ね退けられてしまうのだ。
 ……どうするか。
「……」
 無言で、妙雲がルームミラーに目をやった。
 そこに映った顔が小さく縦に振られるのを見て、アクセルを踏み込みかけた足から力を抜く。
 と……
 ──ドゴッ!!
 突然、そのトレノの車体が大きく横に弾け飛んだ。
「な、なんや!?」
 篤旗が目を丸くする。
 それはまるで、見えない巨大な手によって、横面を張り倒されたかのようだった。
 高く空中に舞いあがった車体が、くるくると回りながら高架道路の外へと落ちていく。もちろん中と外の鬼ごとまとめてだ。
「……」
 じっと、輝史が天禪を見た。
「ん? なんだ?」
 と、こちらを見返す顔には、なんの変化もない。
「……いえ」
 としか、言えなかった。
 周囲からも、そして誰からも、一切の力──魔力やその他の能力的なもの──の発動が感じられなかったのだ。
 なのに、今目の前で圧倒的なパワーが車一台を吹き飛ばした。
 ……ありえないはずの事だった。
 そんな中で天禪を見たのは、単なる勘である。
 ……この人物ならば、あるいは……
 そう、思った。思わせるだけの雰囲気を、確かにこの天禪は秘めていた。
 だが……確証は何もない。
「なんだか知りませんが、運が向いてきたようですね。結構結構」
「……そうですね」
 わずかに微笑んだ妙雲の台詞に、少しの間を置いて頷く輝史だ。
「うわぁっ!」
「な、なんだこいつ、一体どこから!?」
「この野……ろぉぁっ!!」
 背後から、連続して悲鳴が聞こえてくる。
 それと同時に、一台のバイクがキャデラックに寄ってきた。
「ご無事で何より。皆さんお変わりありませんか?」
 笑顔で片手を上げるのは、白鬼である。
 トン、と軽い音を立てて、後部トランクの上にも痩身の影が立つ。
「こっちも大漁だねえ……混ぜておくれよ」
 背後の鬼達を眺めつつ、薄い笑みを浮かべるのは、千鶴だ。
 やや遅れて、後方の集団を掻き分けつつ、真紅のスカGも迫ってきた。
 屋根で一刀を手に、近づく鬼達相手に奮戦しているのは伸也であり、その動きに合わせて絶妙の車体コントロールを見せているのは美樹夜だった。
「ほっほっ、全員揃いましたな」
「この調子で、いっちょ畳みかけます?」
「……いえ、どうでしょう。急に相手の動きが変わりましたね。仕掛けてこなくなりました」
「何か意味があると見るべきだろうな」
「というと?」
 一同の目が、天禪が集まる。
 が、こたえたのは別の声だった。
「もう少し行くと、日本坂トンネルがあります。この東名高速で一番長いトンネルがね」
 スピーカーからの声は、白鬼だ。
 いつのまにかキャデラックを追い越し、やや前方にいる。
「長いトンネルですか……確かに何か罠を張るとしたら、うってつけでしょうね」
 考える顔で、輝史が頷く。
「ちょっと先行して見てきましょう。皆さんはどうぞごゆっくり」
 そう告げると、白鬼は一気にスロットルを開いた。
 獣の咆哮のような唸りを上げ、前輪がふわりと持ち上がる。
 急加速をする彼とシャドウに、鬼達は特に何をするでもなく、道を開けて先を譲った。
 ……この辺も、いかにも何かありそうだ。
 そのまま、白鬼は一団から離れ、見る間に小さくなっていった。

 日本坂トンネルは、彼の言葉にもあったように、この東名高速で最長のトンネルである。
 全長は2555メートル。高速道路だけでなく、新幹線や在来線の東海道本線、国道150号線などもこの場所にトンネルが集中している。静岡と焼津を隔てる山脈を、最短の距離で抜ける最良のポイントが、まさにここなのだ。開通は1998年で、比較的新しい。
 これよりも古い旧トンネルもあるのだが、そちらの方が有名かもしれない。
 1979年に、下り線トンネル内で約170台が炎上し、7人が死亡するという史上最悪のトンネル火災事故があったからだ。
 新トンネルが作られたのは、その時の霊が車を襲うようになったから……などという趣味の悪い噂も一部から出たりしたのだが、そんなものはもちろんただの都市伝説でしかない……はずだ。

 その入口のやや手前で、今、派手なブレーキ音を響かせて1台の大型バイクが停止した。
「やれやれ……そう来たか」
 トンネル内に向けられた表情が、いささか渋くなっている。
 入ってやや行った所で、巨大なものが完全に道を塞いでいた。
 銀色のタンクを積んだ、大型トレーラーである。
 それが横向きに停車し、全ての車線を遮っている。
 周囲には30人程の鬼達の姿もあった。
 既にこちらにも気付いているのだろうが、飛び出してくる様子はない。あくまで狙いはキャデラックであり、茨木童子の角という事だろう。
 背後を振り返ると、約1キロ先にヘッドライトの集団が見える。
 ……5分とたたずにここに来るか……
 すぐに、そう判断した。
 あれくらいの障害物ならば、自分1人でもなんとかできるが、いかんせん時間が足りない。
 白鬼はトランシーバーを手に取り、状況説明を始めた。

「なんやて?」
 真っ先に声を上げたのは、篤旗である。
「道そのものを通れなくしてしまえば、高速道路では他に逃げようもないですしね……」
「ふっ、奴らも本気だな」
「さて、どうしたものでしょう。ご意見のある方は、お早めにお願いします。なにしろ時間がありませんからな」
 ハンドルを握る妙雲の言葉に、残りの面々が視線を合わせる。
「……一旦止まって、周りの連中全部片付けるっちゅうのはどないです?」
「それにしたって、トンネル内のトレーラーを何とかしないと、先には進めませんよ」
「そっか……そうやな」
「ならば、このまま行くのが良かろう」
「……へ?」
「このまま、ですか?」
「なんだ、問題でもあるのか?」
「……」
「……」
 平然とした天禪の言葉に、輝史と篤旗が顔を見合わせた。
「まあ、トレーラーに穴開けるくらいやったら……僕がなんとか」
「じゃあ、俺はこの車全体の強化をしましょう」
「うむ。というわけだ、住職」
「なるほど。よくわかりました。実に頼もしいお言葉です。皆さんにお頼みしたのは、やはり御仏のお導きですな。はっはっは」
 笑顔と共に、妙雲がアクセルを踏み込んだ。
 バイクの群れを蹴散らしつつ、加速をつけて先頭へと飛び出してく。
「こちらも了解です。お供しましょう」
 スピーカーからの声は、伸也だ。今の話を聞いて、車内へと戻っていた。
「楽しくなってきたじゃねえかよ、こん畜生」
 スカGを駆る美樹夜の顔も、かなり生き生きとしている。
「……揃いも揃って、無茶な事を言いますね。よろしい。喜んで付き合おうじゃないですか」
 苦笑しつつ、白鬼もトランシーバーに向かってそう告げていた。

 速度を緩めるどころか、一層増して一直線に突っ込んでくるキャデラックを見て、慌てたのはむしろ鬼達の方だった。
「なんだ? 何する気だ!?」
「あいつら正気かよ!?」
「騒ぐな! どうせハッタリだ!!」
 トンネル内で待ち伏せをする者、後を追う者達が、口々にそんな事を叫ぶ。
 無論、ハッタリでも冗談でもなかった。
「あのトレーラーのタンクの中身やけど、なんやわかりますか?」
「……たぶん、水ですね。衝撃を吸収するためと、あとは単なる重しの意味でしょう」
 輝史の瞳が、瞬時にそれを見破る。物体のエネルギーそのものを”視る”目からは、正体を隠すことなどできないのだ。
「水か……それならなんとでもなるな」
 篤旗がつぶやき、鋭い視線を巨大なタンクへと突きつける。
「熱っ!」
「な、何事だこりゃ!?」
 タンクの周囲にいた鬼達が、異様な熱を感じて飛びすさった。
 見ると、ちょうど中央部のあたりが真っ赤に赤熱し、その範囲がどんどんと広がっていく。
 やがて金属の沸点をあっさり超え、ボコボコと表面が泡立つと、そこから今度は中に詰まった水が狂ったように噴出した。
「おわぁーーー!!」
 間欠泉のような勢いをまともに浴びて、数人が吹き飛んだ。
 超高温による穴はさらに大きさを増し、ちょうど車が1台通れるくらいになると、始まった時同様、ふいに収まる。
 それを確認して、そっとドアの縁に手を置く輝史。
 瞳の奥に、不思議な輝きが宿る。
 と、輝史が触れた部分から、ほのかな虹色の輝きが広がり、キャデラック全体へと広がっていく。
 車のボディ全体がアストラル体へと転化され、鉄壁の「魔剣」へと生まれ変わったのだ。
「行きますぞ!」
 妙雲がアクセルをベタ踏みする。
 さらに勢いをつけた車体は、まっすぐに穴へと突き進んだ。
 多少サイズが合わなかったが、魔剣化した車体がひっかかる部分を根こそぎ吹き飛ばし、問題なく抜けていく。
「おわっ!!」
「な、なんて事を!?」
 けたたましい音がして破片が飛び散り、トレーラーの周囲にいた鬼達が、蜘蛛の子を散らすようにその場から離れた。
「ご苦労様ですね。失礼しますよ」
 手を振りながら、白鬼のシャドウがそれに続く。
 そして、最後に真紅のスカGが飛び込んでいった。
「……仕上げは任せてもらうよ……ふふふ……」
 ボンネットの上には、笑みを浮かべた千鶴が立っている。
 くぐり抜ける瞬間、銀の光が数条閃き、消えた。
 さらにその後を追おうとしていた鬼達の車、バイクの前で、穴の開いたタンクローリーは鋭い切り口を見せて分断され、破壊音と共に崩れ去る。
「そんなアホな!?」
「うわーーーー!!」
 穴がなくなったばかりか、単なる残骸と化した大型トレーラーに、次々と衝突していく鬼の集団。
 追跡者は……この瞬間に消えた。
「……派手やな……」
 背後を振り返り、篤旗がつぶやく。
「まったくだ」
 前を向いたまま、天禪も頷いた。
 が、その顔はあくまで笑みをたたえており、本当にそう思っているのかどうかは、甚だ疑問であった。


■ 名神高速、大垣〜関ケ原IC・決戦、古戦場を駆ける鬼姉妹

 それ以降、追撃や待ち伏せの気配はなく、一行は東名高速から名神高速へと入っていた。
 中京を抜け、いよいよ関西圏へと入ろうという所である。
 場所は、大垣を過ぎ、岐阜県関ケ原町。この場所は、かつて天下分け目の合戦が行われた事でも知られる有名な地名だろう。400年前は徳川家康と石田三成が、1300年前は弘文天皇と天武天皇が、それぞれに天下をかけて合戦を行った地だ。
 そして今、それよりもさらに古い時代に生きた鬼の遺物をかけて、新たな戦いが行われようとしている……

 それは、関ケ原ICの合流点を通り過ぎるのと同時だった。
 耳に響くエンジン音が高く流れたかと思うと、黒い影が本線へと一気に進入してくる。
「……鮮やかな腕前ですな」
 あっという間にキャデラックの隣に並んだ車体を見て、妙雲が小さくつぶやいた。
 特徴的なシルエットを持った車は、ポルシェ911カレラガブリオレ。
 真正面から見た形から、俗に”カエル顔”などとも呼ばれる、もっとも有名なポルシェのひとつだ。
 オープンの運転席と助手席には、それぞれ長い髪を風に任せた女性が座しており、じっとキャデラックに目を向けている。
 明らかに、人間とは違う気配だった。それを最初から、隠そうともしていない。
「……ほう、美人だな。面白い」
 彼女達を見て、天禪が小さくつぶやいた。
 確かに、見た目はその通りだったろう。
 モデルのように均整の取れた体型に、白い肌、切れ長の瞳……いずれも一級品だ。
 しかも、どちらも同じ顔をしている。どうやら双子らしい。
「こんばんわ、はじめまして」
 助手席の娘が、そう口を開いた。
 静かな、優しいとさえ言える声だ。それなのに、時速100キロを超えるスピードの中、風の抵抗をものともせずに全員の耳にはっきりと響いてくる。
「私は紫羅(しら)、運転しているのが姉の世羅(せら)です。どうぞよろしく」
 そう言うと、小さく一礼してみせた。
 優雅な仕草に、思わず篤旗がつられて礼を返す。
「……なんだいお前たち、さっき襲ってきた鬼共の仲間かい? 懲りないねえ」
 ポルシェの後ろにピッタリと寄せたスカG。そのボンネットの上で、こちらもまた美しい鬼神が問いかけた。
「いいえ、違いますよ」
 すぐに紫羅が千鶴へと向き直り、こたえる。
「あの者達は、有名な鬼の角を手中に収めることで、自らの力を鼓舞するか、成り上がるか、あるいは秘められた魔力を手に入れようと目論んでいる……大体そんな所です。ですが、私達はそのいずれでもありません」
「……では、何です?」
 と、輝史。
「ふふ、私達の母が、茨木童子様のファンなのですよ」
 クスクスと笑いながら、姉の世羅が言った。
「ですので、内緒でプレゼントをして、びっくりさせてあげようと思うのです」
「そういうことですわ」
 顔を見合わせ、微笑みつつ頷き合う鬼姉妹だ。
「ふっ、親孝行という事か、良い話だ」
「まったく、今時感心な娘さんですね」
 天禪と白鬼が、そんな言葉を口にする。
「……いやあの、関心してる場合とちゃいますやろ」
 すかさず、篤旗がツッコミを入れた。
「それで、どうでしょう、勝手なお願いとは思いますが、こちらに下さるわけにはまいりませんか? 金銭的なお礼でしたら、多少はできると思うのですが……」
 ストレートに、紫羅がそう聞いてくる。
「……だそうだ、どうする住職?」
 問う天禪の声は、あきらかにどこか面白がっていた。
「いやはや……困りましたな。こちらもご先祖様の手前、そのように簡単に渡すわけには……」
 禿頭をさすりつつ、本当に困った顔をする妙雲だ。
「ええ、そうでしょう。それもごもっともです」
 あっさりと、世羅が頷いた。
「ですが、こちらも一度こうと決めた以上、退く気はございません」
「ふっ、ではどうする気だ?」
「……」
 天禪が尋ねると、また姉妹は顔を見合わせ、にっこりと笑った。
「やもうえませんので、実力に訴えます」
 ポルシェの6気筒エンジンが咆哮を上げて加速する。
 と同時に、助手席の紫羅の姿がかき消えた。
「!?」
 キャデラックの前にポルシェが強引に割り込み、ボンネットの上に紫羅が忽然と現われる。
 すかさず輝史がスリングショットを放つが、
 ──キン!
 紫羅の手が一振りされると、必殺の弾丸はあっけなく弾き返されていた。
 彼女の指先から、何かが長く伸びている。
 ……爪だった。
 伸縮自在にして、鬼の気をまといつかせたそれは、彼女が持つ最強の武器にして防具なのだ。
 妙雲の表情が、真剣なものへと変わる。
 こちらも負けじとポルシェを抜き返そうとするが、向こうも簡単にはそれをさせてはくれない。
 キャデラックのタイヤが悲鳴を上げ、車体が激しく左右に振られた。
 そこにさらに輝史の攻撃が連続し、さすがに紫羅が大きく跳んで、ポルシェへと戻っていく。
 そのタイミングで、篤旗の視線が鋭さを帯びた。
 が、彼の能力はポルシェには届かない。手前の空間に波紋のような歪みが広がって……それだけだった。
 ハンドルを握る世羅が振り返り、人差し指を軽く振ってみせる。無駄だという事だろう。
「ふふ、やりおる」
 一部始終を見届けた天禪が、薄く笑っていた。
「では、こちらもお手合わせとまいりますか」
 そんな声と共に、シャドウがキャデラックの隣に並び、追い越していく。
 さらにその背後から、スカGもやってきた。
「小娘にしてはなかなかじゃないか。気に入ったよ」
「……それはどうも」
 そんな挨拶が、空中に流れた。
 千鶴の一刀が空気を切り裂き、紫羅の爪がそれを受け流す。
 その度に金属質の音が響き、火花が散った。
 刀の軌跡も、爪の動きも、常人の目にはまったく映ることがないだろう。
 互いの車を踏み台にして飛び上がり、激しく繰り返される空中戦。
 両者の実力は、ほぼ互角と言えた。
「……どれ」
 鬼女2名の戦いを横目で見つつ、白鬼が懐に手を入れ、何枚かの札を取り出す。
 何事かを唱えて軽く放ると、それらは雷の速さで風に逆らい、ポルシェへと吸い込まれていった。
 が、やはり先程の篤旗の能力と同様、車の周囲に張られた対術結界によって阻まれ、空中に静止してしまって効力を発揮しない。
「思ったよりも強い結界ですね……うむ」
 逞しい顎を擦って、目を細める彼だ。
 やがて、前方に短いトンネルが見えてきた。
 長さは100メートルもないだろう。カーブもしておらず、まっすぐで、向こう側の景色がこちらからでもよく見える。
 そのまま、一団となって中に突入した。
 刹那──
「こん畜生! こりゃ何事だ!!」
 スカGのハンドルを握る美樹夜が叫んだ。
 内部には一切の光がなく、黒一色に塗りつぶされた闇だけが広がっていた。
「……音は聞こえますね。このまま行きましょう」
「ああ、わかってらあ!」
 伸也の声にそう返事はしたものの、隣にいるはずの彼の姿すら見えないのだ。
 ライトをつけてもみたが、無駄だった。
 全て闇に飲み込まれてしまうようで、何も照らし出されない。
 ただ、隣を走るキャデラックと、前のシャドウ、そしてポルシェのエンジン音は確実に聞こえてくる。
 恐らくあの女鬼達の仕業なのだろうが、慌ててブレーキを踏むような真似をする者は、こちらにはいないようだった。そういう意味においては、やはり全員並ではないのだ。
「くそ、なんも見えひん」
「……ですが、単なる目くらましのようですね。物騒な仕掛けはなさそうですが……」
 そう判断した輝史だったが、すぐに妙だと思った。
 この状況において、目くらましをかける意味とはなんなのか……
 少なくとも、無意味にこのような事をする相手にはとうてい思えない。
「まさか……」
 ピン、と来た。
「ご住職、箱はありますか?」
 すぐに、運転席にいるであろう妙雲に声をかける。
「ええ、そこにあるはずですが……そうか!」
 妙雲も、輝史の言葉に何かを悟ったようだった。
 ……が、
「その心配はない」
 太く、落ち着き払った声が、言った。
 ほどなく、トンネルを抜ける。
 再び、世界が光を取り戻した。
 キャデラックの座席にいるのは、妙雲、篤旗、輝史、天禪と……紫羅。
 後部座席に立ち、鬼女は驚きの目を座ったままの天禪に向けている。
 片手にはいつのまにか箱を握っていたが、反対の手は彼によって捕まえられていた。
「どうして……あの闇は私自身と同化していた。気配など掴めるはずもないのに……」
「残念だったな。俺にはわかる。それが答えだ」
「……」
 簡単に言ってのける天禪に、言葉を失う紫羅であった。
 トンネル内を闇で包み、それに同化して完全に気配を断ちつつ奪う。そういう計画だったのだろう。
「最初からおかしいと思っていた。お前達がいくら強かろうと、たった2人では正面から当たっても勝ち目はない。とすれば、後は奇襲をかけて目的のものを奪い、逃げるしか手はないはずだ。違うかな?」
「……ええ、その通りです。ご明察ですね」
 小さく笑い、紫羅が身体の力を抜く。
「見破られた以上、あとはどうする事もかないません。お好きになさいませ」
「ふむ、随分とあきらめがいいのだな」
「無駄な事はしない主義です」
「そうか、それは結構。いい心がけだ」
「恐れ入ります」
 落ち着き払った鬼女の態度に、天禪が笑みを浮かべた。
 そして……あっさりと手を離したのである。
「ならば行くがいい」
「……は?」
 意外すぎる言葉に、紫羅が目をしばたかせた。
「二度は言わんぞ」
「……」
 しばし、じっと鬼女は天禪を見ていたが……その身体が唐突に霞み、消える。
 時を同じくしてポルシェのシートに再び現われると、後は一気に逃走に移った。
「ちょ、ちょっとあんた! なにしてくれはりますの!」
 なんとなく黙ってなりゆきを見守っていた他の面々だったが、こうなるとさすがにそうもいかないだろう。
 ポルシェはその性能を遺憾なく発揮して、ぐんぐんと小さくなっていく。
 妙雲が、それを見つめながら、
「敵を欺くには、まず味方から……という事ですかな?」
 ポツリと、つぶやいた。
「……へ?」
「どういうこと、ですか?」
 篤旗と、それまで黙していた輝史も、住職、及び天禪に目を向ける。
「ふっ、やはり気付いておったか」
「簡単にごまかされてしまっては、代々守ってきたご先祖に顔向けできませんので」
「まあ、確かにその通りではあるな」
 頷くと、天禪は懐から何かを取り出した。
 古ぼけた和紙で幾重にも包まれた、円錐形の物体……
「まさかそれは……」
「うむ、そういう事だ」
「け、けど、あの箱は簡単には開きひんて……」
「開けるのにかなりの手間を必要とするのは事実ですが、その手順さえ解いてしまえば、開かないわけではありません。まさか一目でそれを見破ってしまう方がおられるとは、私はもちろん、ご先祖も誰1人として思わなかった事ですが」
「では、最初に手に取った時に開けてしまっていたと?」
「確かに箱の仕掛けは大した物だった。苦労したのだぞ」
「……わずか数分の手間を苦労とは言わないんとちゃいますか?」
「まったくですな」
「おいおい、そんなにいじめんでくれ」
 皆に言われ、ニヤリと笑う天禪だ。
「……で、これからどうします? このままあのお嬢さん達を行かせるのですか?」
 傍らを走るシャドウから、白鬼が尋ねた。
「いや、そうもいきませんでしょう」
 妙雲が、こたえる。
「このまま追いもせずにいれば、向こうが怪しむ恐れがあります。それに……」
「……なんですか?」
「なにより、走り合いで負けるわけにはいきません」
 ハンドルを握りしめ、不敵な笑みを漏らす住職であった。
「はは、なるほど。わかりますよ」
 と、白鬼も認める。
「……まったく、なまぐさ共め」
 つぶやく天禪もまた、どこか愉快げだ。
「そうと決まりゃ、とっとと突撃だ! やったろうじゃねえかよ!」
 隣に並んできたスカGのウインドウから、片手を振り上げて気勢を上げる美樹夜。
「ああ、そうだね。今夜はまだもうひと暴れしたい気分さ」
 ボンネットの上では、長刀を手にした千鶴が微笑んでいる。
「……やれやれ」
 主であるはずの伸也は、助手席で苦笑していた。
「えーと……僕は遠慮しときますわ。どっかその辺で止めてもらえますか」
 走り屋達の会話に、唯一篤旗がそんな素直な気持ちを口にしたが……
「まあまあ、そう言わずに、毒を喰らわば皿までと言いますし」
 輝史に肩を叩かれ、かくんと椅子に崩れる。
「毒も皿も食いたないですよ……かなわんなあ……」
 ……これで、全員による追撃決定である。
「ひとつ、聞いてもよろしいですかな?」
「うむ、なにかな」
「その角ですが、本物だと思いますか?」
「……それを何故俺に聞く?」
「いえ、貴方なら、わかるのではないかと思いまして」
「……」
 じっと、背後に鎮座する偉丈夫をルームミラー越しにみつめる妙雲。
 静かな時が数瞬流れ……
「さてな」
 短く、天禪はこたえた。
「……なるほど、わかりました」
 妙雲が、コクリと頷く。
 何がわかったのか、あるいはわからなかったのか……
 両者の間に交わされた言葉や、その表情からは、他の面々は何も読み取れなかった。
「では、参りますか!」
 一転して、前方を見る住職の目が生き生きと輝く。
 高らかなエンジン音を放ち、急加速を始めるキャデラック。
 勢いはもはや、弓から放たれた矢のようであった。

 それから一行は激しいデッドヒートを繰り広げ、7回追いつき、7回抜かれた。
 やがて京都府内に入ってしまったので、決着はつかなかったが……
 最後は高速機動警察隊まで加わっての、夜明けの一大バトルロイヤルだったという。


■ エピローグ・雅の里のひととき

 ──京都、一条戻り橋。
 京都市上京区堀川通りにあるこの橋は、清明神社からも近い。歩いて数分ほどの距離だ。
 撰集抄巻之七によると、熊野の僧、浄蔵が父である三善清行の葬列にこの橋で出会い、しばし祈りを捧げたところ、父が蘇生したという。それが由来となって、この「戻橋」の名が冠せられたわけだ。
 他にも、平安の時代には、安部清明がこの橋のたもとに使役する鬼神を封じていたとも言われ、豊臣秀吉が千利休を切腹させた後、 見せしめに利休の木像をさらしたのも、この橋だと伝えられている。
 さまざまな時代で、さまざまな因縁、縁を持つ場所なのである。
 今、そんな橋のちょうど中ほどに、1人の男が背を欄干に預けて立っていた。天禪だ。
 静かな瞳を、行き交う車や人に向けている。
 堀川通りは交通量も多く、現在では過ぎ去った時を感じさせるものはあまりない。眼下を流れる川ですら、コンクリートでがっちり固められており、幅が1メートル程の側溝があるだけだ。
「……こんな所では、清明も鬼を封じられまい」
 誰に言うでもなく、小さくつぶやいた。
 しかし、
「そうですね」
 すぐに、そんな声が聞こえた。
 いつのまにか、脇に2人の美女──紫羅と世羅が立っている。
「意外に早かったな」
「はい、箱を開けるのに少々時間がかかりましたが、なんとか」
「そうか」
 両者の間に、物騒な空気は一切なかった。
 突然の出現にも、天禪はまるで動じてはいないようだ。あるいは最初から気配を察知していたのかもしれないが……それはわからない。
「で、何をしに来た?」
「はい、お詫びをするために参りました」
「……ほう」
「貴方様の特徴を母に伝えたところ、物凄い剣幕で怒られました。今現在我ら一族が無事でいられるのも、全て貴方様のおかげだと」
「ふむ……ご母堂は元気そうで何よりだな。鞍馬山の天狗と争って、かれこれ四百年にもなるか。そろそろ決着はつきそうなのか?」
「いえ、それが実は、最近では互いにお歳暮を交わすような間柄でして」
「……馴れ合ったか。なるほど、時代が変わるわけだ。実に結構」
 口元に太い笑みを浮かべる天禪であった。
 どうやら、彼女達の母親とは、旧知の間柄であったらしい。
 彼の態度からして、そうと知りながら、高速道路では鬼姉妹に何も語らなかったようだ。
 ……と、
 クラクションが、あたりの空気を震わせる。
「おーい、こっちは荷物を神社に渡してきた……って、なななんやお前ら! また出たんか!?」
 鬼姉妹を目にして、篤旗が目を丸くする。
「まあ落ち着け。話はついた」
「……へ?」
「まだ時間はいささか早いが、祇園に馴染みの店がある。これからそこに繰り出すぞ。話があるならそこでしろ」
「あ、ああ……えーと……」
「お前達も、それでよいな」
 そう言われて、紫羅と世羅は顔を見合わせ、
「貴方様がそう望まれるのならば、どこへなりとお供致します」
「母も50年ぶりに人間に化けると申しておりました。じきに参るかと」
 うやうやしく、礼をした。
「一体あんたは何者やっちゅうねん……」
 目をぱちくりさせる篤旗をよそに、天禪がキャデラックの後部座席に乗り込んでくる。当然のように、両隣に姉妹を配した。
「午前中から茶屋に繰り出すとは、けしからん話ですね」
「いや、まったくです」
 妙雲と白鬼がそんな事を言い合うが、顔は笑っている。
「京懐石なんて、久しぶりですね」
 と、既に輝史も乗り気のようだ。
「なんだかしらねえが、タダメシなら付き合うぜ」
「決着もまだだしね。ここは飲み比べで白黒つけようじゃないか。どうせタダなんだ、遠慮はしないよ」
「……貴方達、露骨過ぎです」
 鬼神達の台詞に、顔をしかめる伸也。
「では行くぞ者共、心してかかれ」
 最後に天禪がそう言い、応! という返事と共に車が走り出す。

 それから次の日まで、祇園の歴史ある某高級茶屋を貸し切って、鬼と人の連合軍が力の限りに遊び倒したという。
 その素晴らしき派手さと粋な振る舞いは、後に祇園の粋人達の間で語り草になったとの事だ。

■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

※ 上から応募順です。

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長】

【1092 / 城之木・伸也 / 男性 / 26 / 自営業】

【0065 / 抜剣・白鬼 / 男性 / 30 / 僧侶(退魔僧)】

【0527 / 今野・篤旗 / 男性 / 18 / 大学生】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23 / 霊能ボディガード】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。長文ライターのU.Cです。(開き直り)
 2月は節分、鬼の祭りという事で、鬼に関する物語をお送り致します。
 参加者様も、鬼に由来の深い方々が多く、私自身も非常に楽しめました。
 楽しみ過ぎたせいか、またもや納期ギリギリというありさまになってしまいまして……誠に申し訳ございません。どうか豆でもぶつけてやってくださいませ、私に。

 天禪様、またのご参加、ありがとうございます。
 今回は何もしていないようで、実は重要なカードを数多く握っているという感じになっております。やはり鬼関連の依頼となりますと、どうしてもそうなるかと。本当に今回はご参加ありがとうございます。おかげで鬼がたくさん描けました。まさに鬼づくしです。

 伸也様、またのご参加、ありがとうございます。
 2体の鬼神を引き連れてのご参加という事で、これまた鬼づくし。実に書き手冥利に尽きるというものです。
 全部の鬼神が揃ったら、とんでもないことになりそうですね。私など、字数がいくらあっても足りない事になりそうです。伸也様は制御で相当苦労する事と思いますが。

 白鬼様、はじめまして。
 ライダー参加、ありがとうございます。おかげで戦い方に幅が出ました。祇園では、天禪様と共に酒樽を片っ端から空にしていたのではないかと。多分芸妓さん達も大勢来ていたはずですので、恋人との仲が脅かされていないか多少不安な点が残ります。

 篤旗様、またのご参加ありがとうございます。
 今回も色々燃やして頂きました。なにやら私の話の場合、とかく炎が吹き荒れる事が多いようで……もしこの次の機会に恵まれましたら、是非冷やす方もやって頂きたいかと。冷やした後で燃やしそうですが……

 輝史様、いつもありがとうございます。
 やってみました、車全体を魔剣化して突撃。なにやらスーパーロボットの必殺技のようです。今回は特にスリングショットという飛び道具もありましたし、これであと剣とかビームとかがあれば、完全に戦隊ヒーロー物ができるかと。とはいえラスト5分で巨大化……は無理でしょうねえ……残念。


 最後に、参加して頂いた皆様、並びに読んで頂いた皆様には深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 なお、この物語は、全ての参加者様の文章が全て同じ内容となっております。その点ご了承下さいませ。

 ご縁がありましたら、また次の機会にお会い致しましょう。
 それでは、その時まで。

2003/Feb by U.C