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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:帰郷
執筆ライター  :紺野ふずき
調査組織名   :草間興信所

■ オープニング ■

 ながいながい たびだった
 とおいとおい やまのなか
 ぼくは ヒトにすてられた
 それでもあのヒトがだいすきで
 いっしょうけんめい においをたどり
 ぼくは やっと かえってこれた
 ああ
 なつかしい
 あのヒトのにおい
 ぼくをみたら おこるだろうか
 あっちへいけと しかるだろうか
 ぼくのなまえをもういちど
 あのヒトがよんでくれたなら
 ゆっくりゆっくりねむれるのに

 

 草間の元へやってきたのは、ねじりはちまきに半纏姿の大工だった。
 この事務所の近くに居を構える信楽工務店の頭領だ。
 客の注文を受けて古い家を取り壊し、新しい家を建てると言う。
 そこで現場へ出向いて写真を撮ると──
「長い事この商売をしているが、犬の幽霊が撮れたのは初めてだ」
 門口にもたれかかるようにして、寝そべっている犬の姿が写った。
 寂しげな目がこちらを見つめている。
「猫は家につくと言うが……犬か」
「ああ、犬だ。どうしていいのか、皆目見当がつかねえよ」
 禿げた額をペシリと叩き、頭領は深い溜息をついた。
 どうやらかなりの人情家のようだ。顔は迷惑そうにしかめているが、声音は優しかった。
「何か危害を?」
「いいや。家ん中を一通り見て、帰ってきて現像に出したら『これ』だ。俺が中にいる間も、コイツ、ここでこうしてたのかねえ」
「……この犬について客の方から何か話は?」
「何も。この家の前の持ち主が、転勤だか何だかで急に家を手放さなくちゃいけねえってんで、破格で売り出しにかけたらしいな。それを俺んトコに来た客が買い取ったんだ。犬についちゃお互い何も知らねえんだよ」
 なるほど、と草間は頷いた。頭領はしきりと顎を撫でている。
「何か未練があるんだろうになぁ……話ができりゃあ。と言っても、何をしてやれるワケじゃあねえが。どいてもらわねえと、後味が悪くていけねえよ。どうにかしてやってくんねえかな。草間さんよお」
 取り壊しの決まった家。新しい住人が新しい家を待っている。
 その仕事が幽霊犬の為に出来ないようだ。
 何とも人の良い男である。草間は苦笑を漏らした。
「分かった。とりあえずこの家の前家主を捜す必要があるな……相手が犬じゃ話しを聞いても分からないかもしれないが……」
 草間は受話器を持ち上げた。
 
 
 ====================================================
 
 港区某所──
「皆から愛されるように『ラブ』がいいと思うわ」
「いや、男らしく育つように『タロウ』だ」
 その子犬は唸る男女の前で、ハタハタと尻尾を振っていた。上目使いに見上げる瞳は無邪気そのもの。
 黒く小さな体で歩いては、ペタリと尻餅をつく。そして二人を上目使いに振り返った。
「……可愛いなあ」
「可愛いわねえ」
「やっぱり『タロウ』だな」
「『ラブ』よ」
 二人は気難しい顔を突き合わせた。
「ラブ」
「タロウ」
「ラブ」
「タロウ」
 どちらも譲らずの構えを見せる。
「ラブ!」
「タロウ!」
 女が不意に破顔した。
「分かったわ。男らしく皆から愛されるように、『ラブタロウ』にしましょう」
「ら、ラブタロウ!?」
 絶句。何と安直な──
 男は呆れ顔で子犬を見下ろした。
 当の本人は二人のやりとりなどどこ吹く風で、ヘラヘラと舌を出している。女は「どうなの?」と言ったおどけた表情で男を見つめた。
「まあ、いいか……。お前の名前はラブタロウに決まりだ」
 男は苦笑して子犬を抱き上げた。その顔を子犬はペロリと舐める。女は男ごと子犬を抱き締めた。子犬は二つの笑顔に挟まれた。
 その時から十三年。
 彼は『ラブタロウ』と呼ばれ続けた。
 
■■ 信楽工務店 ■■

「うーん。出来りゃあ、相手には知らせずにどうにかしたいんだよ。買った家に幽霊が憑いてるだなんて、それが例え悪さのしねえ犬でも、喜べる話じゃねえだろう?」
 信楽工務店は、草間の事務所から歩いて五分の場所にあった。
 親方は細身で小柄、禿げた頭にねじりハチマキの、いかにも職人らしい男だ。耳には赤と青、二色一本の色鉛筆を指している。一見して強面で偏屈そうだが、話してみると笑顔のさっぱりした好漢だった。
「じゃあ、どうしても今の持ち主さんを教えてもらう事は出来ませんか?」
 対して親方の真向かいのソファーに腰掛けているのは、美少女、麻生雪菜(あそう・せつな)。
 セーラー服に身を包んだ高校二年生だ。
 しなやかな黒髪と、細い輪郭線。胸元に下げた銀のクロスが、雪菜をより一層儚く見せる。
 そんなか弱げな娘の気落ちした姿に、親方は「うーん」と唸った。
「弱ったなあ。前の持ち主が分かりゃ一番早いんだが、生憎とまだ見積もり段階で、書類は何も交わしてねえし‥‥」
「え? そうなんですか?」
「ああ。客が来たらまず打ち合わせをする。それで現地の下見に設計プランの提示。そこまでは無料奉仕で、難しい話は建てる家が決まったら、って感じなんでな」
 要するに親方は、土地を買った際に発生するような重要な書類は、何も目にしていないのだ。従って、当然の事ながら前持ち主の連絡先はおろか、名前も知らない。
 分かっているのはやってきた客の連絡先と名前、それに現地の場所のみ。しかも先方にはこの一件を知らせないで欲しいと言う。
 確かに買ったばかりの家に、霊が憑いているというのはお世辞にも気味がいいとは言えない。
 親方は、自分の所で止めておきたい、と雪菜に頭を下げた。
「俺はな、お嬢ちゃん。家を造るのが大好きなのよ。だから、俺の造った家も大好きになってもらいたい。今度の客にだって、気持ちよく住んでもらいてえのよ」
「はい、分かります」
「ごめんな。俺のくだらねえこだわりで面倒かけさせちまって」
 雪菜は首を振る。
「いいえ。親方さんの言う事はよく分かりました。私達の方で何とかします」
 雪菜は親方に一礼、草間の事務所へ向かった。

■■ 草間興信所 ■■

「持ち主に知らせるな、か」
「はい」
「まぁ、だからこそ親方が、直接ここへ足を運んだんだろうが……」
 雪菜の話を聞いた草間は苦笑した。
 通常、この手の依頼は家の持ち主がやってきて、駆除なり浄化なりを頼む。施工する側はこの持ち主に頼まれない限り、それを処理する必要などどこにもない。
 霊が邪魔で作業が出来ないというのなら、それを持ち主に訴えればいい。後は問題が片づいたとの連絡を待つだけだ。
 しかも、親方の話では犬はおとなしく何もしてこないと言う。それならば無視を決め込めば良いだけの話だが、それが出来ずに草間の元へ訪れたと言うわけだ。
 ゴドフリート・アルバレストは、イライラとした調子で舌打ちした。
「とにかくだ。どういう理由でこうなったかは知らねえが、この犬の飼い主を見つけたらとっちめてやる。生き物は『もの』じゃねえ、『命』なんだぜ。人間と一緒だ。ったく、ふざけやがって」
 上背は二メートルを超える巨躯。草間の事務所の中にいるのは、さぞかし窮屈に違いない。天井が彼の頭の直ぐ上にあった。腕を伸ばせば肘を曲げたままで、そこに届くだろう。とにかく大きい。
 彼の本国アメリカでは、犬のしつけから交配に至るまで、飼い主に対して重い責任と義務があった。
 日常の中で犬達はペットという枠を越え、人権ならぬ犬権を持ち、一つの命としての確立したポジションを与えられ初めてもいる。
 飼いたいから飼い、いらないから捨てるなどという無責任は許される事ではなかったのだ。
 ゴドフリートは太い腕を組み、ムッとした顔で犬の写った写真を睨み付けた。
 犬は写真を撮っていた人物を見つめていたのか、正面を向いていた。
「情報が少なすぎる以上、聞いて集めるしかないわね。皆、回ったかしら」
 焼き増しの最後の一枚を手に残し、シュライン・エマは言った。
 彼女は薄い唇と切れ長の瞳を持つ、どことなく猫を思わせるような美女だ。表だって感情を露わにする事は無いが、その眼差しは嘘をつけない。犬を見つめる哀れみの青は深い。
 受け取った写真をポケットに収めると、真名神・慶悟(まながみ・けいご)はタバコの火を揉み消し立ち上がった。
 薄麦色の髪がサラリと崩れる。耳に空けたピアスは六つ。彼はスラリとした麗麗の陰陽師だ。
「想いを遂げれば去るか……。俺らが無理に上げても、本当の救いにはならない……」
「そうですね。心残りを取り除くお手伝いをしてさしあげましょう。それが私達に出来る事……」
 慶悟の言葉に表情の薄い瞳を微かに揺らしたのは、崗鞠(おか・まり)。日本人形の様な艶やかな黒髪と白い肌に、静けさをまとった少女だ。巫・聖羅(かんなぎ・せいら)が横に並び立つと、二人は対照的な見目になる。聖羅は燃えるような紅い瞳と明るい茶の髪に、活発な印象をしていた。『静』と『動』といった風情だ。
「このワンちゃん名前は、一体なんて言うんだろう。あたし、ワンちゃんの名前を知りたいな。その為には、御主人様を何としても見付け出して、ワンちゃんに逢わせてあげなきゃ」
「よし、じゃあ早速出かけるか。現場までは皆、一緒──ん?」
 扉に手をかけたゴドフリートが止まる。ドアノブが勝手に回ったのだ。
 入ってきたのは、黒のスーツに黒ネクタイの青年。影守深澄(かげもり・みすみ)だった。
「……これは……お取り込み中のようですね」
 パラリと垂らした前髪の下で、シルバーフレームの眼鏡が光る。撫でつけた黒髪同様、動作には微塵の遊びも無い。
 深澄は草間と目が合うと、鋭い眼差しはそのままに微笑った。
「いつも春日様を薄給で使って頂き、誠に有難う御座います」
 と、惚れ抜いた主の為に述懐の一言。
 草間は苦笑いを浮かべた。
 深澄は挨拶回りへ訪れただけなのだが、草間の話を聞くと、偶然も巡り合わせと依頼に加わった。

■■ 哀しき犬 ■■

 犬は自分の体が朽ちてしまった事に気づいていなかった。
 山中で置き去りにされ、道中に一度だけとても苦しくなったと言う。
『みちのはしっこでねてたら、へいきになった』
 犬はそう言った。
「……つまり、その時に……」
 命果ててしまったのだろう。
 鞠はやりきれない想いで、背中の六人を振り返った。
 動植物と話が出来るという能力を使って、犬から話を聞いたのだ。
 その内容に誰もが神妙な顔をしていた。ただ一人だけを除いては。
 ゴドフリートは怒っていた。
 彼もまた動物の心が手に取るように視える──共感能力を持っていた。
 犬は自分が捨てられたなど微塵にも思っていなかった。ただ、山に置いて行かれただけなのだと、まだ飼い主を信じている。それだけ愛された時間が長かったのだろう。最後まで何故面倒を見てやらないのか。それを考えると余計に腹が立った。
「飼い主には絶対コイツに詫びを入れさせてやる。おおかた歳を取った犬を山の中に捨てたか、転居先で犬が飼えないかのどちらかだろうな」
「それなんだけど……。これだけ懐いてるんなら、それまでキチンと世話を焼いてたでしょうに。引取先をちゃんと決めずに手放すなんて妙だと思わない?」
 シュラインは首を傾げた。慶悟の視線がチラリとシュラインに向く。
「それは言えてるな」
「でしょう? 何かきな臭い事に巻き込まれて……何て事じゃなければ良いのだけど」
 一行は門柱に寄りかかる犬を静かに見下ろした。
 これ以上、犬から聞き出せる事は何もない。
 自分の名前も、飼い主の名前も、捨てられた場所も、通ってきた道も。
 全ては音と匂いと映像で覚えている。言葉にする事は出来ないのだ。
 鞠は犬の前にしゃがみこむと、鼻先に手を差し出した。犬はくんと匂いを嗅ぎ、踵を返すと二段しか無い石段をノロノロと上がった。ドアを爪で掻き、くうんと鼻を鳴らす。そうすれば、『あのひと』が姿を現すとでもいうかのように。
 捨てられ、帰り着いた我が家に主はいない。
 それは哀しい光景だった。

■■ 素晴らしき情報屋達 ■■

 聞き込み班は二手に分かれた。
 シュライン、鞠、ゴドフリートは、手始めに目の前からやってくる中年女性に目を留めた。
 買い物袋を手に提げている所を見ると、この辺りに住む主婦のようだ。大根とネギが袋から顔を出していた。歳は四十代。小柄で小太り眼鏡をかけた、いかにも口の回りそうな女だ。
「あの、お聞きしたい事があるんですが」
 シュラインの声に、主婦は立ち止まった。
「何かしら」
 袋を右手から左手に持ち替え、キョロンとした目で三人を見る。
 シュラインは犬の写っている部分を隠して、主婦に写真を見せた。どんな反応を示すかもわからない相手に、さすがに幽霊まで見せる事は出来ない。
「この家の事なんですが」
 主婦の反応は早かった。
「あら、『幸山さん』? あそこならお引っ越しなさったわよ? 転勤とかで。九州ですって」
 これは話が早そうだ。どうやら良い人物を掴まえたらしい。三人は目を合わせた。
「幸山さんっておっしゃるのですね。九州のどちらに転勤なさったか、ご存じですか?」
 さすがにそこまでは知らないらしい。鞠の問いに主婦は首を振った。
「ところであなた達、一体どなた?」
 主婦は楽しそうに目を輝かせた。「何かの取材じゃないわよね」などと冗談を言ってホホホと笑う。やけに楽しそうだ。
 ゴドフリートは黙って主婦に手帳を見せた。桜の代紋がキラリと光る。聞き込みには効果絶大の証。主婦はさらに瞳を輝かせた。
「まあ、お巡りさん? 幸山さんが何か?」
「まぁ、犬がな」
「犬? 犬ってあの『ラブタロウちゃん』の事かしら」
「ご存じなんですか?」
 主婦はシュラインの顔をマジマジと覗き込んだ。そして鞠とを交互に見やる。
「あなた達は、女刑事さん?」
「えと……」
「そんな所……かしら」
「あら、そうなの。最近の刑事さんは綺麗なのねえ」
 ゴドフリートは「知ぃらねえ」と言うようにそっぽを向いた。
 二人は苦笑する。
 一人頷く主婦に向かって、シュラインは尋ねた。
「その犬の事を詳しく聞かせてもらえませんか?」
「ラブタロウちゃん? そうねえ、幸山さんが引っ越す一月くらい前に、突然いなくなったのよね。幸山さんって、あたしんちの斜め前なの。旦那さんが毎朝、散歩させてたんだけど、みかけなくなったからどうしたのかしらと思ってたのよね」
「それについて何か聞いたか?」
 と、今度はゴドフリート。
「ううん。奥さんがいれば聞けたんだけど。旦那さんは帰りも遅いし……。ホラ、主婦とは動く時間が違うでしょ? しても挨拶くらいしかしなかったわねえ」
「嫁さんはいなかったのか」
「いたわよ。綺麗な人だったわ。子供がいなかったから、休みの日には二人で犬の散歩へ出かけてたわよ。仲はすごく良かったわねえ」
 死別だろうか、離別だろうか。
「それでその奥様は……」
 鞠の質問に主婦は突然トーンを落とす。
「半年前に、突然ね。脳梗塞ですって。まだ四十の始めだったのに。呆気ないわよねえ。それが落ち着かないうちに、今度は旦那さんも転勤でしょ。大変よぉ」
「幸山さんの勤め先をご存じですか?」
 と、シュラインが聞く。
「ええ。ちょっといい会社のサラリーマンだったのよ。『七菱物産』とか言う。新橋に会社があってね。すごく大きい所よ。自社ビルの。それで……? ラブタロウちゃんが何したの?」
「……単なる迷子だ」
「あら、迷子? それだけ? なあんだ」
 主婦と離れた後、ゴドフリートはポツリと言った。
「魂のな」

 一方──
「家を売るには個人じゃ無理だ。介した不動産屋を見つければ、連絡先も知れる」
 と言った慶悟に同意の雪菜、聖羅、深澄の四人は家の前に残っていた。
「とりあえず近所の人に話を聞いてみよう」
 聖羅は手近な家のインターホンのボタンを押しかけた。そこへ自転車に乗った初老の男性がやってくる。
 ジリジリジリと錆びたベルを男は鳴らした。
「すいません! ちょっと待って!」
 聖羅に呼び止められて、男は自転車のペダルから足を離した。地に付くか付かないかのつま先で「おっとっと」とよろける。サドルが少し高すぎるようだ。男は立っていられずに、自転車を降りた。
「ええと、何かな?」
 男の自転車は古いが、よく手入れされている。移動手段として使い込まれているのは間違いない。深澄は自転車を一瞥、男に尋ねた。
「貴方はこの辺りの方ですか?」
 単にここを通りすぎただけの男に、質問するのは時間の無駄だ。深澄には日頃、主の為に効率よく合理的に立ち回る癖がついていた。
「もう五十年も住んでるよ。それがどうしかしたかい?」
 どうやら歩く生き字引に、声をかけたようだ。
 慶悟は背中にある家を頭で指した。
「この家の事を聞きたい」
「ああ、幸山さんね。売り出しの札が出てたから、引っ越されたんだろう。今は誰もいないよ」
 連絡先を掴む思わぬ収穫だ。これを聞き逃す手は無い。雪菜はすかさず男に尋ねた。
「そのプレートの連絡先を覚えていませんか?」
「ああ、駅前にある『豊田不動産』だよ」
 それだけ分かれば十分だ。四人は男に礼を言ってその場を離れた。

■■ 七菱物産 ■■

「あったわ、七菱物産。東京都港区新橋二丁目……この住所なら駅にかなり近いわね。電話番号が〇三──」 
 携帯のタウンページに、その情報は載っていた。携帯を開いたままで、シュラインは二人を見る。
「さて、どうしましょうか。電話? それとも直談判?」
「電話だなんてまどろっこしい。行こうぜ」
「そうですね、でも……私達みたいな見ず知らずの人間が訪ねて行って、そう簡単に教えてくれるでしょうか」
 鞠の懸念はもっともだ。しかし、ゴドフリートは大丈夫だと自信ありげに漢笑する。
「教えねえわけがねえ」
「? 何か秘策でもあるの?」
「おい、さっき見せたばっかりじゃねえか。忘れちゃ困るぜ。俺は警官だ」
 二人は思わず顔を見合わせた。

■■ 強敵 ■■

 豊田不動産は駅前のロータリーに面した場所にあった。艶のあるグレーのタイル張りの雑居ビルで、小さな店を二軒並べた程の広さがある。窓と言う窓には、アパート、マンション、一戸建てなど様々な間取り図が貼ってあり、建物の横の駐車スペースには名入りの車が三台並んでいた。
 うらぶれた町の不動産屋という感じにはほど遠い。やり手の小綺麗な店だった。
 店の手前まで来ると、慶悟はふと立ち止まった。雪菜は慶悟を振り返る。
「どうしました? 真名神さん……」
「いや。四人で行くと怪しまれないか?」
「それもそうですね」
「じゃあ、あたし行ってくる」
 聖羅は三人に見守られて、一人自動ドアを潜った。
 整頓され、規則正しく配置されたデスク。L字のカウンターには端末が二台置かれている。従業員には若い男女が数人いて、客の相手をしていた。手の空いている一人の女性が、聖羅に近づいてくる。
「今日はどういったご用件でしょうか」
「幸山さんの事を聞きたいの。引っ越した先の住所とか」
 聖羅が家の場所を説明すると、従業員は「ああ」と頷いた。そしてにこやかな顔に苦い物を混ぜる。
「申し訳ありませんが、お客様に関する事をお話する事はできません」
「大事な用があるのよ。幸山さんの居場所が分からないと──」
「申し訳ございません」
 従業員の表情は変わらない。聖羅は手を合わせた。
「お願い!」
「出来ません」
「電話番号だけでいいから!」
「申し訳ございません」
 従業員は頑として聖羅の言う事を聞き入れない。
 聖羅はひとまず撤退を選んだ。
「どうでした?」
 外へ出てきた聖羅に深澄が声をかける。
「この不動産屋、なかなか手強いわ」
 肩をすくめる聖羅に、慶悟は携帯を取り出した。
「どうするの?」
「家を買う関係者を装って霊の事を話す……少し誇張して。買う側にとっては大問題だからな。直接話を聞きたいとか何とか言えば、教えてくれるだろう」
「それはいい考えですね。直接教えて頂けないとしても、こちらの電話に至急連絡下さいと取次いでもらいましょう」
 ダイアル音に耳を傾けながら、深澄の言葉に了解の相づちを打つ。女の声が携帯から響いた。
「先日、そちらで家を世話してもらった者なんだが」
『あ、はい。誠にありがとうございます。その後、いかがでしょうか』
「それが奇妙な現象が多発する。どういう事なのか、詳しい話を前持ち主から直接訊きたいんだが」
『は? 前家主様の、ですか? ええと……、お手持ちの書類に記載されておりませんでしょうか。失礼ですが、そちら様のお名前をお願い致します』
「!」
 慶悟の眉がピクリと動いた。名前など分からない。回避策を巡らせていると、女はそれを遮るようにピシャリと言った。
『申し訳ございません。【幸山さんについて】でしたら、お話する事は出来ませんので……』
 バレバレだった。
 どうやら聖羅の応対をした女性のようだ。電話は無碍も無く切られてしまった。
「……手強いでしょ」
 と、聖羅。
「……ああ」
「お二人とも駄目なんて……、せっかくここまで来ましたのに」
 雪菜も混ざり、途方に暮れる三人に深澄は言った。
「私についてきて下さい。最後の手段を使いましょう」
「最後の手段?」
 深澄はキラリと光る眼鏡を指で押し上げた。
 
■■ 配属地は南 ■■

 駅からきっかり徒歩三分。三人は七菱物産の広いエントランスにいた。受付と書かれたカウンターの後ろに、紺色の制服を着た若い女が微笑んでいる。
 見上げれば遙かに高い天井と、そこまで伸びた大理石の円柱。随所に設けられた大きな明かり取りの窓からは、乾いた光が差し込んでいる。何となく静粛な雰囲気だ。受付を挟んだ両側には、二つのエレベーターがあった。行き来する人々の足音は、無機質にエントランスを通りすぎて行く。広い。七菱はかなり大きな組織のようだ。
「あの、こちらに幸山さんと言う方がいらっしゃるはずなんですが」
 シュラインは受付に声をかけた。受付は立ち上がってシュラインに笑いかける。
「幸山、ですか? 部署はおわかりになりますでしょうか」
「いいえ」
「では、お調べ致します。失礼ですがお名前の方、拝借できますでしょうか」
 シュラインは一瞬、迷ったが結局本名を告げた。七菱の大きさを逆手に取ったのだ。社にいる人間の知り合い一人一人を、受付が把握しているはずはない。どう名乗ろうと、分かりはしないだろう。
 数分して受付は、何の疑いも無く幸山を捜し当てた。
「シュライン様。申し訳ございません。幸山は先月、福岡支社の方へ転属となりまして、現在、こちらでお逢いする事は出来ないのですが……」
「その転勤先に連絡を取りたいんだが」
 ゴドフリートはカウンターに手をかけた。受付はゴドフリートを見上げる。そこにあるのはまさに壁。しかも全体から重い圧力を発している。多少たじろぎながら、受付は三人を見比べた。目がその関係を問うていた。
「福岡支社の電話番号で宜しいでしょうか?」
「自宅も何とかならねえか?」
「申し訳ございません。そこまではお教えできかねます」
 ゴドフリートは「ほらきた」と言わんばかりに、二人を振り返った。そして、手帳を取り出しカウンターに置いた。
 女は目だけで驚いた。
「……あの……」
「何、大した事じゃない。幸山が飼ってた犬の事でな」
 と、一言付け足す。
「……は、はあ。犬ですか」
 女はその内容に興味を失ったようだった。

■■ 同区役所 ■■

「こちらの原島様には、いつもお世話になっております」
 そう言って深澄はニコリと微笑った。相変わらず目だけは動かない。区役所の受付でも、実力行使は行われていた。
 『住民戸籍課』と書かれたプレートの下で、深澄は単刀直入に用件を切り出した後、最後にそれを付け加えたのだ。
 ハラシマ、とは港区区長の名だった。
 実際、深澄は仕事柄、政界、財界などにいくつものコネを持っており、原島の事も良く知っていた。
 年は五十代前半。趣味はマリンスポーツ。額の広く眉の薄い男である。
 声をかけたのはもちろん、課のトップだ。何度か顔を見かけた事があったのだ。その方が話の通りが早い。
「転出された方で幸山さんと言う方がどこに行かれたかを、調べて頂きたいんですけどね」
「はあ、こ、幸山さん。ご住所はおわかりですか?」
 と、話はとんとん拍子に進んで行く。
「何とかなりそうだな」
「うん」
「そうですね」
 少し遠巻きに構えたソファーに座り、慶悟、雪菜、聖羅の三人はお茶を飲みながらくつろいでいた。

■■ 草間興信所 ■■

 幸山昭博。四十三才。七菱物産第二営業部課長。九州の福岡にて会社から用意された社宅暮らし。
 また深澄が役所で貰った届け出関連の書類には、現持ち主の名前もあったがこれは余談となる。
 別ルートから辿り着いた同じ答え。
 後は本人に直接交渉するのみとなった。
 時計は午後六時を指している。
 肩書きを考えれば、当然の事ながら家にはいないだろう。慶悟は会社に電話をかけた。直通の内線番号を相手に告げる。
『はい、お電話代わりました』
 柔らかだがキビキビとした声が受話器から響いた。
「あの家の事で話がある」
 慶悟は言った。
「家? あ、ええ」
「犬を飼っていなかったか?」
「あ……え、ええ、まあ」
 幸山は曖昧な返事を返す。慶悟は構わず続けた。
「お祓いが必要かもしれない。家から哀しげな犬の鳴き声が聞こえる。まるで誰かを呼んでいる様にな……」
 嘘も方便。
 だが、幸山は絶句した。

■■ 翌朝 ■■
 
 あの電話から一夜明け、幸山は朝一番の飛行機でやってきた。
 草間の元へ訪れたのは昼。すでに全員が集まっていた。
「幸山です。犬の事で……」
 大きな肩幅と、太い眉。幸山はサラリーマンというよりも、体育教師やスポーツインストラクターといった職業の方が似合いそうな、恰幅のいい男だった。
 勧められたソファーに身を沈めたが落ち着かない。絶えず辺りを見回している。
「あの、どういう事でしょうか」
「ソイツはこっちが聞きてえな。アンタ、犬をどうしたんだ!」
 ゴドフリートの声に、幸山は顔を曇らせる。そして項垂れた。
「犬は──」
「ああ」
「……捨てました。それしか道が無かったんです。あれは年老いていたし、引き取り手も無くて……。保健所へやるのは忍びないので、何とか生き延びてくれればと……」
「山へ置き去りにしたのですか?」
 鞠は静かに言った。強く責められるより痛いその言葉。
 幸山はわななく息を吐いて、手の平で顔を拭った。
「転勤が決まって、あれの事では随分悩みました。移動先では飼えず、必至になって貰い手を探しました。でも十三才の犬を引き取ろうと言う人はそういない……」
 男は言って顔を上げた。
「お祓いとはどういう事ですか。あれは死んだんですか?」
「あれだなんてひどい。ちゃんと名前で呼んであげてよ! ずっとずっと信じて、体を無くしてもまだあなたを待ち続けているんだよ」
 聖羅の叱咤に幸山は黙り込む。
「……」
「ラブタロウくん」
「!」
「近所の人が教えてくれたの。『彼』、でいいのよね?」
 幸山はシュラインに向かって頷いた。
「ええ、ラブタロウです。家内と二人で付けた名で……」
 そうか……。
 幸山はテーブルの上で組んだ手に視線を落とした。
「死んだのか……、美咲が哀しむな……」
 悪いのは自分だと、分かっているのだろう。幸山は誰にともなく一人ごちった。
 そこには犬を捨てた事への後悔が感じられた。
「行きませんか?」
「……」
「門の前で待っていますよ」
 雪菜と深澄に促され、幸山は肩を落として立ち上がった。
「お祓いの必要は無い。犬の願いは主に逢う事ただ一つ。名前を呼んでやりさえすればそれでいい」
 幸山は慶悟を情けない顔で振り返った。

■■ 再会 ■■

 走り出した。
 犬は幸山の姿を見るなり、耳を寝かせ尾をなびかせ、全力で駈け寄ってきた。幸山の前まで来ると、ちょこんと腰を下ろし期待に満ちた目で幸山を見上げる。
 しかし──
 幸山にはそれが見えなかった。
「ちょっと待っててくれ」
 慶悟は印を結び、それを切った。
 不可侵結界。陰気たる水を上げ奉じ。
 犬の可視化に手を貸した。犬は生前の黒い姿で、幸山の前に蘇った。
「ラブタロウ! お前……」
 名を呼ばれた犬は激しく尻尾を振って、幸山の延ばした腕に抱かれた。
「すまない、すまなかった。連れて行ってやらなかった俺を許してくれ」
 ラブタロウは幸山の顔を何度も舐めた。
「苦しかっただろう? どこで死んだ? 独りぼっちだったのか? 誰か助けてくれる奴はいなかったのか?」
 幸山は犬の顔を両手で挟み、涙を流した。
 犬の心を見てしまった二人。ゴドフリートからやっと怒りが消えた。静かに懸命だった鞠も、安堵の表情を浮かべた。
 もう十分、幸山は責められていた。邪気の無い犬の瞳に。
「ラブタロウ……すまない」
 幸山は犬の首をギュウっと抱き締めた。犬は口を大きく開け、舌を垂らした。幸せそうなその顔──
「ラブタロウ!」
 犬は幸山の腕の中、静かに薄れていった。
 最後に一度だけ、「オン」と言う犬の鳴き声が、頭上遙かから聞こえた。

■■ 永久への帰郷 ■■

「いやあ、ホッとしたよ。これで気持ちよく家が造れるってもんだ」
 ペチリ、と親方は頭を叩いた。
 取り直した写真から犬の姿は消えていた。
「で、いくら払ったらいいんだい?」
「高いですよ。と、言いたいとこだが、近所のよしみだし今回は……」
 いらないと、草間は肩をすくめてみせる。
「そりゃあ、いけないよ。近所だろうが、何だろうが商売は商売だっつんだ。ちゃんと請求してくれって。第一、それじゃあアンタ、皆に金払えないだろう?」
「いや、それはそれ。こっちで何とか」
 払う、いらない、払う、いらない。
 まるで精算時の主婦の譲り合いを見ているようだ。
 七人は呆れて顔を見合わせた。
「……こんな調子だから、いつも春日様が薄給で」
「ええ〜。報酬は無し〜?」
「何とか言わなくていいのか? 大蔵省」
「大蔵省って何よ」
「草間さんは、貧乏がお好きなんですか?」
「貧乏になりたいのかもしれませんね」
「しょうがねえな。よし、俺が報酬をやるよ」
 集まった一同の視線を受けて、ゴドフリートが取り出したのは、いつも持ち歩いている──
「うまいぞ? 今日はオレンジ味だ!」
 飴玉だった。
 ブーイングと苦笑に包まれて、この依頼は無事幕を下ろした。




                        終




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】
     
【0086 / シュライン・エマ(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
     
     
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師
     
【0446 / 崗・鞠 / おか・まり(16)】
     女 / 無職
     
【1024 / ゴドフリート・アルバレスト(36)】
     男 / 白バイ警官
     
【1087 / 巫・聖羅 / かんなぎ・せいら(17)】
     女 / 高校生兼『反魂屋(死人使い)』
     
【1179 / 影守・深澄 / かげもり・みすみ(28)】
     男 / 執事
     
【1297 / 麻生・雪菜 / あそう・せつな(17)】
     女 / 高校生
     
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■          あとがき           ■
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 こんにちわ、紺野です。
 手が遅い事に関しての言い訳はやめます。
 ごめんなさい(滝汗)
 
 大変遅くなりましたが『帰郷』をお届け致します。
 少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
 
 さて、今回の依頼はオープニングにもありましたが、
 足の捜査に重点を置いてみました。
 情報の連鎖を辿るという簡単なものでしたが、
 いかがでしたでしょうか。
 プレイングがほぼ完璧な方が、一名……。
 さすがとしか言いようのない足取りでした。
 
 それから慶悟さんには、以前見せて頂いた力を、
 物語の味付けに少しだけ使わせて頂きました。
 慶悟さんの意思では無かった事をお詫びすると共に、
 ラブタロウくんの可視化が出来た事を感謝致します。
 ありがとうございました。
 
 それともう一つ、名付け親になって頂いた方が
 お二方いらっしゃいます。
 どちらも甲乙付けがたく、合わせるとなかなか愛嬌のある
 名前になったので、両方とも採用させて頂きました。
 こちらも合わせてお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。
 
 今回、初めてお逢いできた方、いつもお世話になっている方、
 この度は当依頼を解決してくださり、誠にありがとうございました。
 まだまだライターとしては未熟者。
 『ひよっこ』の草鞋を脱げません。
 私を育てるつもりで、苦情、感想等ありましたらどんな小さな事でも
 どんどん送って下さい。宜しくお願い致します。
 それでは今後ますますの皆様のご活躍を祈りながら、
 またお逢いできますよう……
 
                   紺野ふずき 拝