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「幽霊旅館退魔ツアー」
●オープニング
「ふうん、幽霊旅館ねえ……」
碇編集長はいつものごとく眉間にしわを寄せて、企画書に目を通しながらポツリと呟い
た。デスクの向こうには三下がこれまたいつものごとく愛想笑いを浮かべて立っている。
「はい。一般の読者から公募して調査隊を組んで、心霊現象が起こることで有名な某温泉
旅館に宿泊する。名づけて『アトラス怪奇探偵団湯けむり心霊ツアー』なんていうのはど
うでしょう」
「あのねえ、安物サスペンスドラマのタイトルじゃないのよ」
碇が溜め息混じりに呆れたような声を出す。
また没にしようか――そう思いつつ碇はもう一度企画書に目を落とした。確かにいかにも
三下らしい安直な企画だが、幽霊と湯泉という組み合わせは悪くないし、しかも読者参加
型だから意外と反響も大きいかもしれない。
そう思い直した彼女は、一抹の不安を残しながらも結局この企画にゴーサインを出すこ
とにした。
●第一章
雪深い山間を縫うようにして流れる渓流に沿って、二十件ほどの旅館やホテルが点在し
ている。東京からバスに揺られること約二時間半。新潟県との県境に近い北関東の鄙びた
温泉郷に、件の旅館はあった。「登仙閣」というのがその旅館の名である。
「なかなかよさそうなところですね〜」
大正時代か昭和初期の面影をそのまま残しているような和洋折衷様式のレトロな建物を
見上げながら、田丸浩司は呟いた。まるで川端康成の『雪国』そのものの世界だ。これで
幽霊さえ出なければ……。
そう思って彼は内心で苦笑した。
玄関の脇には「歓迎 月刊アトラス御一行様」と書かれた立て看板が掲げられている。
さすがに旅館の方でも「歓迎 心霊ツアー御一行様」とは書けないだろう。そう思うと田
丸はおかしくて吹き出しそうになったが、人目もあることだし堪えることにした。第一そ
ういう彼自身、その「心霊ツアー」の参加者の一人なのだ。人のことをとやかく言えた筋
合いではあるまい。
月刊アトラスの編集者でツアーの引率者である三下という男に案内されて旅館の中に入
る。一応団体客ということで、仲居さんたちが総出で迎えてくれる。広いロビーの右側に
フロント、左側に土産物屋があり、奥にあるラウンジからは純日本庭園の中庭が見渡せる
ようになっている。いかにも典型的な温泉宿といった趣だ。
早くチェックインしてゆっくり温泉につかりたいもんだ。田丸はそう思ったが肝腎の三
下が何をしているのかさっきからロビーを慌しく右往左往している。彼は三下を呼び止め、
自分が宿泊する部屋の番号を尋ねることにした。
「あの、すいません」
「はい、何でしょう!」
「私が泊まる部屋を教えていただきたいんですけど」
「あっ、どうもすみません。ええと、お名前は?」
「田丸です。田丸浩司」
「田丸さんですね。ちょっと待ってください。えーっと東別館の二〇三号室ですね」
三下はそれだけ言うとそのままあたふたとどこかに行ってしまった。
「まったく、宿泊する部屋ぐらいあらかじめ申し渡しておけばいいのに。段取りが悪いよ
なあ」
田丸はそうぼやきながらフロントで部屋のキーを受け取ると、荷物を担いで別館の方に
向かって歩き出した。
「ええと、二〇三号室、二〇三号室ね……」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら長い廊下を歩く。部屋を探して旅館の中を歩き回り
ながら、田丸はあることに気がついた。それはこの旅館の構造である。
もともとこの旅館には本館の他に東別館やら西別館やら新館やらというややこしい名前
の建物が三つも四つもある上に、本館から別館の同じ階に移動するにしても、長い廊下を
ぐるりと回ってしかもなぜか階段を上り下りしなければならないなどの複雑な構造になっ
ていた。
田丸は一応念のためロビーにあった建物の見取り図で部屋の場所と道筋を確認しておい
たが、それでも長い廊下を回って階段を上り下りするうち、どこが新館でどこが別館なの
かすっかりわからなくなってしまった。
まったく、よくもここまで客に対して不親切な建物を造ったもんだ。おおかたバブルの
時代に金に任せてあちこち無計画に建て増ししたのだろう。あちこち歩き回された腹いせ
に田丸はそう推測した。
結局館内をほとんど一周した挙句(彼は極度の方向音痴でもあったのだ)、田丸はようや
く目的地である自分の部屋に辿り着くことができたが、ここで彼はもう一つあることに気
がついた。
彼の部屋のある東別館は三階建ての建物だが、なぜかその三階に上がる階段にはまるで
警察の現場検証のようにロープがかけられていて「関係者以外立ち入り禁止」と書いた札
が吊るされていた。
関係があるのかどうかわからないが、噂によればこの旅館には遊女か何かの霊が取り憑
いていて、その霊が出る部屋はいわゆる「開かずの間」となっているそうだ。
「開かずの間」云々はともかく、彼があらかじめ下調べしておいた情報によれば、実際
にこの旅館では昭和十六年に一人の芸者が情夫のヤクザによって殺害されるという事件が
起こっている。が、それにしても一つのフロアー全体が封鎖されているというのはどうい
うことだろう。しかも彼の部屋がその三階の真下の二階にあるわけだから薄気味悪いこと
この上ない。部屋を片付けに来た仲居にそれとなく事情を訊いてみたところ、三階は倉庫
として使われていると教えてくれたが、どうもそんな風には感じられない。
何が『雪国』だよ、なんとも陰惨な宿に泊まったものだ。部屋を代えてもらおうか――
窓の外を眺めながら田丸はそんなことを思ったりもしたが、今さらそんなことをいっても
始まらない。第一自分はその怪奇現象を体験するためにこのツアーに参加したのではなか
ったか。ならばこの旅館にまつわる謎をとことんまで探求するのがスジというものだろう。
そう思い直して後ろを振り返った瞬間――
「うわああああっ!」
田丸浩司は思わず叫び声を上げてその場にへたり込んでしまった。灰色の地味なかすり
の着物を着た白髪の老婆が、部屋の真ん中にちょこんと座って彼をじっと見つめていたの
だ。
いったいどこから入ってきて、またいつからそこにいたのか。確かに部屋のドアにはキ
ーはしてなかったが、誰かが部屋の中に入ってくる物音などはいっさい気がつかなかった。
狼狽する田丸の目の前に瀬戸黒茶碗がすっと差し出された。
「まあ、お茶でもどうどす?」
「は?」
茶碗を差し出しながら、老婆はにかっと笑みを浮かべた。よく見れば幽霊や妖怪の類に
は見えない。第一こんな真っ昼間からそうは化けて出てこないはずだ。彼は記憶の回路を
スキャンして、ツアーの中によく似た老婆が一人参加していたことを思い出した。
「は、はあ……」
戸惑いながらも老婆の差し出した茶碗を受け取り、中に入っていた緑色のどろりとした
液体を飲み干す。
田丸が茶を飲み終えると、今度は老婆が無言のまま一枚名刺を差し出してきた。見ると
「布川流茶道十三代目 布川ジュン」と書いてある。
「はあ、茶道の先生ですか……」
名刺を見ながら田丸は呟いた。茶道の師匠がなぜこんな心霊ツアーなどに参加したのだ
ろう。意味不明だ。田丸が問い質そうとすると老婆は「お粗末さまでした」とだけ言い残
し、なんと正座のまま畳の上を滑るように移動してそのまま部屋から出て行ってしまった。
「なんだったんだ、今のは……」
田丸は糸の切れた操り人形のように窓際にしゃがみ込んだまま呆然と呟いた。やはりこ
の旅館は怪しすぎる……。
●第二章
さて、温泉といえばやはり露天風呂である。ここの温泉はリューマチや肩こり、神経痛、
それに冷え性などに効能があるらしい。早めに夕食を済ませると、田丸浩司は鼻歌を唄い
ながら本館の一階にある大浴場へと直行した。露天風呂は五十人くらいが一度に入浴でき
るほどの十分な広さがあったが、(遺憾ながら)混浴ではなかった。
幸いなことに風呂場は非常にすいていて、田丸の他には緑色の目に小麦色の肌をしたた
くましい外国人が一人いるだけだった。外国人は彼を見ると自分の方から流暢な日本語で
話しかけてきた。男の名はゴドフリート・アルバレスト。カリフォルニア市警のハイウェ
イパトロール隊員で、交換留学という形で日本に滞在しているそうだ。そして意外なこと
に彼もまた、アトラス主催の心霊ツアーの参加者の一人であるらしい。
ゆっくりと湯船に浸かって雪景色を楽しみながら田丸とゴドフリートが談笑していると、
突然隣の女湯の方から絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
田丸が何事、と思った瞬間にはゴドフリートはすでに湯船から跳び上がって素っ裸のま
ま出口に向かって突進していた。田丸もあたふたと手ぬぐいを腰に巻きつけてその後を追
う。脱衣場を抜けて廊下まで出ると、全裸のゴドフリートが若い男を羽交い絞めにしてい
る。ゴドフリートは身長二m以上もある巨漢だが、締め上げられている方の男も細身では
あるもののかなりの長身だ。
田丸は間に割って入ろうかと思ったが、体力的にゴドフリートにかなうわけもなく、それ
にさっきの悲鳴の方が気にかかったので、恐る恐る女湯のガラス戸を開けて中へと入って
いった。
広々とした脱衣場に、若い女性が一人一糸まとわぬ姿のままうつぶせに倒れている。他
には誰もいない。田丸は怪しい人影などが見当たらないのを確認すると、倒れている女性
の下へ駆け寄った。意識はないものの、息はあるようだ。彼は手近にあったバスタオルを
女性の身体の上にかぶせると大声でゴドフリートの名を呼んだ。
ゴドフリートは若い男を羽交い絞めにしたまま、罵声を浴びせつつ脱衣場へと入ってき
た。
「さあ、大人しくしやがれ。このファ〇ク野郎!」
「待ってくれ。話を聞きたまえ!」
男は細面で端正な顔を歪めながら必死にそう叫んでいた。こんなところでやり合ってい
るよりもまず、倒れている女性の安全を確保する方が先決だ。そう思った田丸は止めに入
ろうとしたが、次の刹那彼は信じ難い光景を目撃してしまった。一瞬男の全身が水のよう
に透明な膜に包まれたかと思うと、そのままゴドフリートの腕をすり抜けるようにして消
えてしまったのだ。
「どこを見ている」
呆然とその場に立ち尽くす田丸の背後から声が聞こえた。あわてて後ろを振り返ると、
消えたはずの男が何事もなかったような顔をして平然と立っていた。
「待てといっているのにまったく。何も問答無用で襲いかかって来ることはないだろう」
「てっ、てめえ、何もんだ」
ゴドフリートが唸り声を上げる。
「人の名を尋ねる前に自分から名乗ったらどうだといいたいところだが、まずは私の身元
を明らかにしておいた方が賢明なようだな。私はこういうものだ」
そういって男はジャケットの内ポケットから名刺を取り出して田丸に手渡した。「萬屋道
玄坂分室 冷泉院 柚多香」と書かれている。
「別に怪しい者ではない。といっても信用してもらえるかどうかわからないが、今はとも
かくこの女性の安全を確保する方が先決だと思わんか」
正論である。
「そうですね。確かにあなたの言うことももっともだ。誰か従業員の人を呼んできましょ
う」
これ以上無用な争いを回避するために田丸がそういったその時、
「う……うん……」
倒れていた女性が小さな呻き声を上げた。田丸とゴドフリートは自分達が裸であること
に改めて気がつくと、あわてて着替えを取りに行った。
田丸、冷泉院、そしてゴドフリートの三人は意識を回復した女性から詳しい事情を聞く
ことができた。女性の名は橘彩香。東京都内に住む十八歳の短大生で、奇遇なことに彼女
もまた心霊ツアーの参加者だという。
話によると、彼女が一人で湯船に浸かっていたところ、突然誰かに自分の脚を?まれ引
きずり込まれそうになったという。驚いた彼女がその見えない手を振りほどき、風呂から
上がって脱衣場に駆け込んだところ、今度はそこにあるすべての鏡という鏡に長い髪を振
り乱した血まみれの女の顔が浮かんで彼女をじっと睨みつけていたという。
「でも、変なんです」
未だ恐怖覚めやらぬのかバスタオルに包まって震えながら、綾香がポツリと呟いた。
「変?」
「ええ、あたしちょっとだけ霊感があって、霊とかそういうのが出る時には何ていうか、
<気配>のようなものを感じるんですけど、何故かさっきはそういうのを全然感じなかっ
たんです」
「確かに彼女の言う通り、ここには霊気や妖気の類は存在しない。私にはわかる」
腕組みをして綾香の話を聞いていた冷泉院が静かに口を開いた。
「私も風呂に行く途中、彼女の悲鳴を聞いて駆けつけたのだが、そうしたらこの男がいき
なり男風呂から素っ裸で飛び出してきて……」
冷泉院はそういってゴドフリートを横目で睨んだ。
「俺は怪しいオーラを感じたぜ。それも何を隠そうあんたの身体から直接な。だから顔を
見るなりあんたに飛びかかったんだ。なにぶん口より先に身体が動いちまうタチなもんで
ね」
ゴドフリートもまた冷泉院の胸元に人差し指を突きつけ負けじとまくし立てる。またも
や一触即発の雰囲気だ。
「ふーむ……」
三人の話を順番に聞きながら、田丸は首をひねっていた。どうもよくわからない。彼女
の話が嘘でなければ、霊気や妖気を感じる感じないにかかわらず実際に怪奇現象が起こっ
ているわけだ。それに霊気を感じないから変だというのもなんだか変だ。それをいうなら
そもそも霊やお化けが出るということ自体が「変」なのではなかろうか。
とりあえず、女風呂で男三人が難しい顔をして考え込んでいては他の客に迷惑というこ
とで、彩香も交えた四人は別の場所に移動して対策を協議することにした。
●第三章
それから二時間後、田丸浩司、ゴドフリート・アルバレスト、冷泉院柚多香、橘彩香、
それと(なぜか)ジュン婆さんの五人は田丸の部屋に集まり、酒肴を囲んでささやかな酒
盛りを開いていた。奇遇なことに、五人とも宿泊部屋は同じ東別館で、しかも同じ二階だ
った。というよりもこれはあとでわかったことだが、心霊ツアーの参加者全員がこの東別
館に宿泊しているらしい。
ただ、酒盛りといってもいわゆるドンチャン騒ぎとは程遠い。口を利くものは少なくま
るでお通夜のような雰囲気だ。冷泉院は一人で黙々と酒を飲んでいるし、彩香は何か目に
見えない不安に脅えているのか、それとも見慣れぬ連中に戸惑っているのかさっきからず
っと借りてきた猫のように大人しくしている。ゴドフリートは日本文化に興味があるのか、
ジュン婆さんに茶道についていろいろと尋ねていたが、今は無言でひたすら酒を飲み続け
ている。ジュン婆さんは相変わらず何を考えているのかまったく読めない。ただ時々眼光
が異様に鋭く光るのが何となく不気味だ。
そもそもなぜこのお婆さんがここにいるのだろう。いや、それをいうなら他の三人が自
分の部屋にたむろっている理由もよくわからない。いつの間にか成り行きでこうなってし
まったのだ。
「コージ、シガーを1本くれないか?」
ゴドフリートが話しかけてきた。田丸は黙って煙草を差し出した。
「やっぱりシガーはUSの方が美味いな」
煙草の煙をふかしながら、ゴドフリートが独り言のように呟く。
「それ、アメリカ製なんだけど……」
田丸の言葉にゴドフリートは煙草のケースのラベルを覗き見た。“Marlboro”と
書かれた文字が見える。
部屋の中に微妙な空気が流れる。その瞬間――
ぎゃああああああああああっ!
思わず耳を覆いたくなるような凄惨な悲鳴が辺りに響いた。五人の間にさっと緊張が走
る。彩香が思わずびくっと身を震わせ冷泉院にしがみつく。女ではない。男の悲鳴だ。し
かも場所は近い。
ゴドフリートと冷泉院がすくっと立ち上がり部屋を出て行く。田丸もあわててその後を
ついていく。
真っ暗な廊下をまっすぐ進んでいく。通路の一番突き当たりの左側の部屋、確か悲鳴は
ここから聞こえてきたはずだ。
冷泉院がドアのノブに手をかけるが鍵がかかっている。
「どいてろ」
ゴドフリートが冷泉院を押しのけると、気合の声とともにドアをまるで薄紙のごとく
軽々と蹴破った。
「やれやれ、無茶なことをするもんだ。アメリカのポリスというのは皆こんな荒っぽい人
種ばかりなのかな」
冷泉院はそういって肩をすくめた。ゴドフリートは構わずずかずかと部屋の中に入って
いく。部屋の中は真っ暗で、浴衣姿の三下が隅っこの方で小さくなってガタガタ震えてい
た。ゴドフリートは三下の元に歩み寄ると、彼の肩を?んでいったい何があったのか詳し
い事情を尋ねた。
三下の話によると、彼が寝ていたところ、突然ガリガリという何かを引っかくような物
音が聞こえ、続いて天井の羽目板が外れてそこから髪を振り乱した血まみれの女の顔が現
れたという。
三人は三下が指差す天井の一角を見上げたが、板は外れておらず特に何の異常も見当た
らなかった。
「この上というと確か……」
田丸はゴクリと唾を飲み込んだ。ゴドフリートが立ち上がり、他の二人と顔を見合わせ
る。
「行くか?」
「行きますか?」
「行くしかないでしょう」
三人の男たちは互いに言葉を交わすと、布団にくるまって震えている三下をおいて部屋
を出た。
暗く長い廊下を歩き、三階へと続く階段の前まで来る。そして例の立ち入り禁止のロー
プをくぐって上へと上っていく。案の定、仲居の言葉に相違して三階が倉庫として使われ
ているような形跡はどこにもなかった。かなり長い間使われていないのか、黴臭いような
すえた匂いが鼻をつく。
田丸が明かり代わりにライターに火をつけた。造りは一階や二階とほぼ同じで、真っ暗
な通路が東西に伸びていて、その両側にドアがいくつも並んでいる。
ぎしぎしと不快な音を立てる廊下を歩き一番奥の向かって左側のドアの前で三人は足
を止めた。さっき幽霊が出た三下の部屋のちょうど真上に当たる部屋だ。ひょっとしたら
ここが例の「開かずの間」なのだろうか。
ゴドフリートと冷泉院が互いに無言で目配せし合う。ゴドフリートがドアを蹴破り中に
突入した。冷泉院と田丸も後に続く。部屋は八畳ほどの広さの和室だ。他には何もない空
っぽの部屋だ。だが何かの気配がする。ここには確かに何かがいる。と、そのとき冷泉院
が何を思ったか、つかつかと押入れに歩み寄り、襖をさっと引き開けた。すると中から突
然白い影が飛び出してきて、田丸めがけて襲いかかってきた。
「うわっ!」
「待てっ!」
「フリーズ!」
短く鋭い叫び声が交錯する。気がつくと白い人影はあっという間にゴドフリートと冷泉
院によって取り押さえられていた。田丸はその場に片膝をついて顔を覗き込んでみた。幽
霊――ではない。人間だ。かつらが取れ、ゴドフリートにしたたかに小突かれて鼻血を出
している男の顔に田丸は見覚えがあった。確かこの旅館の従業員だ。田丸が声を上げよう
としたその時――
「お待ちください」
背後で声がした。三人が振り向くと、旅館の支配人らしき初老の男性がドアのところに
立っているのが見えた。
「さて、詳しい話を聞かせてもらおうか」
ゴドフリートがドスの入った声を響かせた。場所は田丸の部屋である。ゴドフリートら
の視線の先には、あの幽霊に化けていた男と旅館の支配人が申し訳なさそうに畳の上に正
座している。
「実はすべて私どもが仕組んだことだったのです」
そういって支配人は何もかも白状した。実はこの一連の幽霊騒ぎはすべて旅館側の演出、
早い話がヤラセだったのだ。支配人の話によると、この旅館はここ数年経営状態が思わし
くなく、そこで苦肉の策として旅行会社や広告代理店などと結託して幽霊騒ぎをでっち上
げることを思いついたのだという。脱衣場に出た女の幽霊もマジックミラーを利用した単
純なトリックらしい。
「でもそんな幽霊が出るなんて噂が立ったらかえって客足が遠のくんじゃないんです
か?」
田丸の素朴な疑問に支配人が答えた。
「ええ、普通に考えればそうなんでしょうけど、最近は心霊ブームとかで、逆に怖い
もの見たさに宿泊客が増える有様でして……」
そういうものなのかねえ、と田丸は思ったが、そういう彼自身噂に乗せられてこの心霊
ツアーに参加したのだから、さもありなんである。
「なるほどねえ。道理で霊気を感じなかったわけだ……」
冷泉院がそういって肩をすくめた。喧嘩っ早いゴドフリートも平身低頭する支配人を見
て怒る気も失せてしまったようだ。彩香も三下も呆気に取られたような顔をしている。急
激な脱力感を感じてその場に座り込んでしまった田丸の目の前に、緑の抹茶の入った瀬戸
黒茶碗がすっと差し出だされた。
「ま、お一つお茶でもどうどすか?」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1281/布川・ジュン/女/67歳/茶道の師範】
【1299/田丸・浩司/男/29歳/大学の助手】
【0196/冷泉院・柚多香/男/320歳/萬屋道玄坂分室】
【1310/橘・彩香/女/18歳/短大生】
【1024/ゴドフリート・アルバレスト/36歳/白バイ警官】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。天堂です。お約束の商品をお届けします。
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