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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬
 視線の先で、闇の其処に蟠り凝った瘴気が形を為せずに流動的な表面を震わせる。
「あたしの前に立ったのが運の尽き!」
夜の静寂を凛と張った声で打ち、朧月桜夜はすいと指の間に挟んだ符を、眼前で横に滑らせた。
 その直線の軌跡に残る残光…符から発せられて緩く粒子を散らした白は月光に似て冷たく、そして柔らかい。
 瘴気を覆い尽くす光は蛍火に似、また動きもそれを思わせてふわりと一つが浮き上がって中空に溶け消える…それに倣って光の一かけずつが次々と消えるに合わせ、瘴気を覆うと思しき嵩も減っていく。
「さよなら♪」
その言葉に。
 ザ、と全ての粒子が天へ昇った。
 曹達の気泡を思わせて消え行くそれ等、桜夜の波打つ髪を踊らせて緩やかな風に消え去った後、人から出でてこそに害為す澱はきれいさっぱり消え失せていた。
 桜夜はうん、と伸びをすると夜天に視線をやった…その先の暗い真円、新月。
「こんなに暗くちゃ、間違えるわね」
居場所を。
 細身の長身を包むホワイトニットのミニワンピース、同色にフェイクレザーのロングブーツがすらりとした足の形を強調している。
 夜気に寒々と肩を出した姿で、桜夜は木立に引っかけていたハーフコートを手に取って袖を通した。
「今日はもうこれ位かな」
つまんなーい、と口を尖らせる。
 一番手応えがあったのが、先の瘴気位…もうここらは祓い尽くしてしまったようだ。
 タウンウォッチングのついでに目に付く雑霊を祓うのが趣味の桜夜…とはいえ、どちらが主目的なのかはもはや答えの出ない疑問であるのだが。
「だいたい、隼も隼よね。オンナノコがこんな深夜に外出するっていうのに気をつけろの一言だけってどういう了見?そこで俺も一緒に行くとか、俺を一人にするなとか言えないワケ?」
誰も居ない深夜の公園で、桜夜のめくるめく独言を止めれるような人影はない。
 物足りなさは夜間の外出はうざいナンパがなくていい…を理由にしばしば夜の街に繰り出す桜夜を咎めるでない同居人をこき下ろすエネルギーへと変わったようで、桜夜はひとしきり気が済むまで白い息をひとつ吐いた。
「帰ろっと」
車止めの間を抜けて、大路に出る。
 もう終電もない時刻の為か車も人の姿もなく…否。
 桜夜は赤い瞳を一瞬眇めて、街灯と街灯の合間、輪を作る光の領域の狭間に夜の藍より濃い闇を視た。
「えーと…………確か、ピュン・フー?」
人差し指でくるくると宙に輪を描いて、記憶を巻き戻すような仕草で桜夜はその名を導き出した。
 先に会った時と違わぬ変わらぬ黒革のコート、そして右斜めの角度に見える横顔、この深夜でもしつこく顔に載せられた円いサングラスに人違いでは有り得ないと確信する。
 ついでに、彼が去り際の言葉を思い出す…東京から逃げろと。そして死にたければ殺してやると。
 まるで不吉な予言のような約束を残して、
「逃げたんだったわね」
いや、ちょっと違う。
 たらふくご馳走になりこそしたが、残された後味の悪さは変わらずここで会ったが一週間目、桜夜は文句のひとつも行ってやろうと、横断歩道の半ばでぼんやりと突っ立っているように見える背に向かって突き進んだ。
「ねぇ、ちょ…」
呼び掛けは最後まで続かなかった。
 幾ら交通量がないとはいえ、そこは車道…50m先の十字路を曲がってきた黒塗りのベンツがそれでなくとも夜目に可視に難しく無彩色なピュン・フーに向かってスピードを緩める事なく突っ込んで来る。
 桜夜は咄嗟、符を構えるが、ヘッドライトの楕円が重なる領域に黒衣の影を捉える方が早く到底間に合わない…それでも、と術を行使しようとした矢先、ふ、とピュン・フーの姿が消失した。
 否、人に有り得ぬ跳躍に地を蹴った彼は、重力を感じさせない動きであろう事か向かってきた車のボンネットにふわりと下り立った。コートが翼のよう拡がる。
 視界を遮られた車は当然の如く制動を失い、甲高いブレーキ音に横滑りにガードレールに衝突した。
 その勢いに弾かれるもピュン・フーは無様に転がるような真似はせず、重心を低くアスファルトを擦る靴底に勢いを殺して片手を地に着き、均衡を保って止まる…桜夜の横に。
「よぉ、桜夜。今幸せ?」
一連のアクションにも頑固に顔に乗ったままのサングラスが桜夜の姿を写し、呑気な口調と笑みが向けられる。
 が、問いを向けられても桜夜は当然それどころではなく、また答える暇も与えられなかった。
 半ば開いたベンツのドア…其処から放り出された何かが、両者の中央地点に落下する。
 法治国家日本でまっとうな人生を歩んでいれば、現物にお目にかかる事態はまず有り得ない、パイナップルの愛称も可愛く携帯に便利な手榴弾。
 沈黙が流れる。
 次の瞬間、桜夜は抗いを許さぬ強さでピュン・フーに抱きすくめられた。
「ちょ…ッ!何すんのよ!!」
抗議と同時に繰り出されようとした膝蹴りだが、ピュン・フーの肩越に破裂音と炎と衝撃の余波が伝わるにバランスが取れず、致命的なダメージを与えずに済んだ。
「うぉー…後頭部焦げそう」
黒革のコートは一瞬の炎を防ぐに足る…が、それに包まれていない部分が守れる道理はない。髪が焦げる匂いがしたが、幸いにして燃え尽きるほどではなかったようだ。
「その男から離れろ!そいつは危険なテロリストだ!」
が、それに対するコメントよりも先、居丈高々とした命令口調と共に、ベンツを影にして向けられた銃口は二つ。
 ピュン・フーの肩越しにそれを視認し、桜夜は声を上げた。
「離れろったって、放さないのはピュン・フーなんだけどッ!」
「あ、悪ィ」
パッ、と身を放して空かさない謝罪を「よろしい」と厳かに受け止め、桜夜は僅かに乱れた髪を手で整えた。
 名を呼ばわった反論と、初対面とは思えない空気とにベンツ側…こちらも見事なまでに黒尽くめな男達から桜夜に視線が向けられる。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか」
半ば断定的な問いに、だが答えたのはちゃうちゃうと顔の前で手を横に振ったピュン・フー。
「こないだ街で一緒にメシ食った仲なだけ」
「能力者か」
黒服は妙に自然に納得した風で、顔を覗かせて顎をしゃくる。
「なら、早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
「なんであなた如きに命令されなきゃいけないワケ?」
打って響いた反論、よもや向けられた銃口を前に怖じもせぬ反応で「如き」と称されるのは予想外だったのか、僅か戸惑いが見られた。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた裏切り者だ。与するならばお前も処分するぞ」
続くなんとも陳腐な脅し文句に桜夜はそれはそれは極上の笑顔の笑顔を浮かべ…あろう事か拳に中指だけを立て、その二の腕を叩いて示した後、真っ直ぐピュン・フーに向き直った。
 言外に「あんた達じゃ話にならないわ」との意志を態度に明確にしている。
「あんな事言ってるけど…」
「概ね、正解デス」
宣誓するように妙なイントネーションで答えるピュン・フー、顔だけは黒服達に向けているが、円い遮光グラスの脇から覗く瞳…不吉に赤い月を思わせる色が、笑みを含んで桜夜を見、あっけらかんとした口調で続けられる台詞。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
 まるで反応を楽しむように、笑みが深まり、それを黒服の冷笑が肯定した。
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど…!」
吐き捨てる言葉には悪意しかない。
 怒濤の展開に桜夜は軽く眉を上げた。
「てゆーか、あなたが何者なのか、何がどうで裏切り者なのか全然知らないしィ。ぶっちゃけ関係ないけどさ」
広げた両手を竦めてみせた肩まで上げ、半眼に顎を上げる。
「でもま、前の不可解な戯言の説明はつけてもらうからね。そのためにも協力したげようじゃないの」
その返答は意外なものであったのか、ピュン・フーは一度眉をはね上げると、口元にゆっくりと笑みを刻んだ。
「そりゃどーも」
楽しげに。
 桜夜はそれににっこりと笑みを返すと、真っ直ぐな視線を黒服達に向けた。
「具体的に、どいつを狙えばいい?」
「後部座席にアタッシュケースがあっと思うんだけど…それを取るのに邪魔になんなきゃそれでいい」
「派手に行く?地味にする?」
「桜夜の好きな方で」
即席のタッグとはいえなんともな打ち合わせである…が、彼等にはそれだけで事足りたようだ。
「んじゃ、行くか」
ピュン・フーがすいと手を翳した…無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
「それじゃ、アタシも♪」
桜夜は手品のようにバラリと片手に符を広げた。
 朱文字の描かれたそれは一瞬にして千々に裂け、拳程の光が二つ、光の水脈を引いて黒服に向かうその滑らかさの印象に反して速い…桜夜の式神である。
 黒服達は、向かってくる謎の光の玉に銃口を向けるが際どい所で避けられて当たらない…というよりも、術で形成された仮初めの意志に鉛玉は効くのだろうか。
 それ等は難なく黒服達に躍りかかり…その目を覆う黒眼鏡を弾いた。
 流れ弾を避けて左右に分かれた桜夜は、喜色さえ見せて楽しげに標的へ駆けるピュン・フーの背に手を振りながら声をかけた。
「やっほー、ピューンちゃん♪こっち向ーいてー♪」
「誰がだッ」
思わぬ反応で彼はは振り返った。
「ピュンとフーを分けて呼ぶなよ。揃えて一つの名前だからな、ピュンちゃんとかフーくんも不可」
語っている場合でもなかろうが、桜夜は「はーい♪」と素直によい子のお返事をして、パキリと。
 細い指を鳴らした。
 途端、ピュン・フーの背後でストロボ光に似た白光が弾け、黒服達が声なくドサドサと倒れる。
 事態にピュン・フーは相手を指差して声なく、視線だけで問うた。
「派手で地味に!」
決めてみました。簡潔に答える桜夜に向かってほよほよと、重たげな動きで光球のひとつが黒のアタッシュケースを支えて戻る。
「俺が遊べねーじゃん…」
ぼやく様子には我関せずを決め込み、桜夜は言う。
「それじゃ、とっとと逃げましょーか」
軽く戦利品の表を叩けば、それはポン、と存外いい音を立てた。


 逃げると言っておきながら、二人が向かったのは50mと離れていない、先に桜夜がきれいに掃除しておいた公園、である。
 それと言うのも、桜夜が黒服達の意識を奪ったのは忘却術…小一時間の記憶はさっぱり抜け落ち、何故自分達が其処に居るのか、またどんな目に遭ったか覚えていようがなく、そう遠くに場所を移す必要がなかった為だ。
 夜の公園にベンチに並んで座っていれば、それなりの関係に見えなくもないかも知れない。
 入り口の自販機でちゃっかりと缶紅茶を買わせた桜夜はそれで掌を暖めながら、この寒空にコールドの缶コーヒーをチョイスした男を薄ら寒く見つめる…ホントの意味で、見ているだけで寒い。
「お陰さんで寿命が延びた。こりゃ奢っただけじゃ足りねーな」
紛れない感謝の意を込めた微笑みに、だが、桜夜は膝に置いたアタッシュケースの上に肘をついた。
「足りるワケないでショ」
にっこりと笑む。
「例えヤバくともコッチもあんまり表に出れる身じゃないしね。そこを推して協力したげたんだから安く上がると思って貰ったら困るわ」
桜夜は立ち上がるってベンチの上にケースを置いた上から片足で押さえて膝に肘を置き、座ったままのピュン・フーに年齢に相応しからぬ迫力で凄んで見せた。
「さ、洗いざらい吐いてもらいましょーか?気になって眠れなくなったりしたらタマのお肌に悪いじゃない」
「睡眠不足は美容の大敵だもんな」
しみじみと納得し、ピュン・フーはんー、と虚空に視線をやると
「俺が生まれたのは20年前の正月明けてすぐ…」
「そこまで洗わなくていいから」
釘を差されて楽しげに笑うと、ピュン・フーはちょいと桜夜に足を挙げるよう、手で示す。
 それに素直に従って足を下ろすと、ピュン・フー靴痕のついたケースを自分の側へ向けて留め金を外す…黒のアタッシュケースに並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
 うちのひとつを取り上げ、ピュン・フーはクル、と指の間で注射器を回すとその紅を光に透かした。
「さっき爪を伸ばしてみせたろ?あんな風で皮翼も生えたりすんだけど。『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んであっから出来る真似がなんだけど…定期的にこの薬がねーと身体ン中で吸血鬼遺伝子がおいたを始めるんで命がヤバいワケ。後は怨霊機とかかなー…死霊を実体化出来たりが特技デス」
オーライ?と見上げられるが、桜夜が聞きたかった事柄とはズレている。
「そうじゃなくって。こないだの戯れ言の意味よ、アタシが聞きたいのは」
逃げろとか、殺すとか。
「そーいや、なんで桜夜まだ東京に居んの。死にたかった?」
一方的な約束を思い出してしまったピュン・フーの言に、桜夜はうっすら笑うと細い指を自分の唇にあてた。
「ちなみにゆっとくけど、もっかい会っちゃったとは言え、可愛いお嫁さんになるまでアタシ死ぬ気全く無いから。そこんとこ、ヨロシクねン」
可愛いお嫁さんは人に向かって中指立てたらイケマセン。
 ピュン・フーはニ、と口の端を上げると桜夜の手を取る。
「まぁ、その気になったらいつでも言いな。下手に苦しめたりしねぇから」
妙な事を自信たっぷり請け負い、ピュン・フーは桜夜の手を引き寄せるとその指先に唇で触れた…先まで、桜夜の唇にあてられていた指に。
「ッにすんのよ、痴漢!ヘンタイッ!!」
激する桜夜に、ピュン・フーは異形のそれである瞳の赤を紅に変じさせ、更に深い笑みを口元に刻んだまま、背に皮翼を生やして空に逃れる。
「結局『虚無の境界』って何なのよ!」
地上に残された桜夜が届かぬと見て投げる問いに、彼は悪戯を見つかった子供の微笑みで。
「テロリスト」
と、悪びれなくそう真実を告げた。