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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


待ち受けるもの

■ オープニング

 化物学校の噂 投稿者:イドモーンの娘
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 面白い噂があるよ。
 古い廃校に化物が出るんだって。
 興味がある人は来てみたら。
 待ってるよ。

 東京都奥多摩町×××──

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 その短い書き込みを見て、雫はマウスを握る手を止めた。
 最後に住所が書いてある。
 場所からすると、どうやらその化物学校とやらは、奥多摩の山の中にあるらしい。
 が、さすがに不特定多数が見る掲示板に、こんなにはっきりと住所を書くのはまずいだろう。
 もしこれがイタズラで、そこの場所にあるのが何の関係もない所だったりしたら、迷惑をかけることにもなる。
 ──管理者権限で、書き込み自体を消してしまおう。
 すぐにそう判断して、早速消去の画面を出したのだが……
「……」
 ふと、もういちど読み返して、なんとなく内容が気になった。
”来てみたら”とか”待ってるよ”というのは、まるでそこの住人が書いたみたいな表現だ。
 考えすぎだろうか……
 しばし画面をじっと見ていたが、判断がつくわけもなく、頭を振って、予定通り消去しようとした。
 ……ところが……
 雫が消去のための確認ボタンをクリックすると、既にその書き込みは書き込まれた本人の手によって消去された旨が表示されたのだ。
 一応ログ画面を出して確認してみたが、間違いなかった。
 書き込まれてから消されるまで、その間わずか5分あまり……
 ……なんなんだろう。
 そう思ったが、もちろんわからない。
 可能性としては、単なるイタズラと見るのが一番だ。
 が、しかし……
「……」
 それだけではない、何か漠然とした不安みたいなものを、雫は感じていたのだった……


■ 廃校到着・はじまりを告げる音色

 一行が到着したのは、夕方になってからだった。
 場所は青梅街道をひた走り、山梨県との県境に近いあたり。奥多摩連峰が連なるど真ん中といった山中である。
 なんでこんな所に学校が……と思われるような場所だったが、このあたりには鉱山があり、昔はそれなりに賑わいがあったらしい。
 現在ではその鉱山も掘り尽くされ、同時に住んでいた人間も去って……後はいくつかの廃墟のみが残った。そんな場所柄のようだ。
 遠くに見える山の稜線に、真っ赤に燃える夕日が沈みかけていた。
 名も知らぬ鳥が、どこかで鳴いている。他に音らしい音もない。
「……静かだね」
 と、1人が言った。
 大きな瞳が、どこか猫を印象させる少女だ。
 頭の両側でまとめたおさげ髪の先が、わずかの風に揺れている。
 巫聖羅(かんなぎ・せいら)、17歳の女子高生である。
「少なくともこの周囲10キロ圏内には、人が住んでいないようですからね。それより気になるのは……」
 そう言いながら、美しい色の瞳を傍らに向ける男。
 端正な顔には、少々不安の色が浮かんでいる。
 灰野輝史(かいや・てるふみ)、23歳。
 彼の視線の先にあるのは、何台かの車や、スクーターだった。自分達の乗ってきたものではない。
「これって、私達以外にも、もう誰かが来てるって事よね」
 輝史の言葉の先を、中性的な女性が継ぐ。
 彼女の切れ長の瞳もまた、並んだ車と、そして朽ちかけた木造校舎へと向けられていた。
 ……シュライン・エマ、26歳。翻訳家にして幽霊作家、及び時々草間興信所で時々事務仕事のバイトをしている姿も見かける多才な女性である。
「……おかしいですね」
 1台の車の前で静かな声がして、立ち上がる気配。
 地面の上にしゃがみこみ、車体の表面をじーっと眺めていたのだ。
「今朝付いたと思われる朝露が流れた跡があります。少なくともその時から、この車は動いてはいない事になりますね」
 まるで表情の動かない鉄面皮がそう告げる。
 腰まで伸びた癖のないまっすぐな黒髪と、同色の深い色をたたえた瞳。
 全体的に、どこか超然とした女性だった。
 名前は、ステラ・ミラ。
 彼女の足元には、白い毛並みの獣がかしづいている。
 中型サイズの犬のようだが、実は狼である。正体は狼ですらないのだが……そこの所まで説明を始めると、日が暮れるどころか夜が明けてしまうので、本人達も語る気はないようだ。名前はオーロラという。
「ふうん……じゃあここの中には、何か時間を忘れるくらい、よっぽど楽しいものでもあるのかな?」
 明るい声が、そう言った。
 スラリとした、細身の少女だ。真冬だというのに、ミニスカートに生脚である。
 彼女は悪戯っぽい微笑を浮かべつつ、校舎を見上げていた。
 その瞳は既に何かを見、感じているかもしれないが……確かな事は見た目からはわからない。
 名前は朧月桜夜(おぼろづき・さくや)。無敵の天才美少女陰陽師(自称)だそうだ。
「あるいは時間を忘れたんじゃなくて、時間なんて気にしなくても良くなったのかもね」
 聖羅もまた校舎に目を向け、口を開く。
「……どういうこと、それ?」
「もし中に入って長時間出てきてない人がいるんなら、無事でいればいいなって……まあ、そういうことかな」
「……」
「……」
 聖羅の言葉に、沈黙が流れる。
「……いずれにせよ、入ってみれば分かることだわ」
 やがてそう言ったのは、シュラインだった。
「その通りですね」
 頷く輝史。
「じゃあ、早速行ってみましょうか。夜の学校なんて、ぞっとするけどさ」
 とか言う桜夜ではあったが、顔には微笑みが浮かんでいる。恐がっているようにはとても見えない。
 他の面々も、別に異論などを唱える者はいなかった。
 そして、全員が揃って校舎入口へと足を踏み出しかけた時──
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 けたたましい悲鳴が、中から聞こえてきたのだった。


■ 教室・罠と刺客と遅れてきた男

「何!?」
「そんなに遠くないですね」
「こっち!」
 一斉に全員が走り出す。
 昇降口を駆け抜け、暗い廊下に進むと、ちょうどすぐ横の教室から誰かが飛び出してきた。
「きゃっ!」
 一行の姿を目にすると、また悲鳴を上げてペタンとその場に尻餅をついてしまう。
「い、いや……」
 怯える瞳で後ずさりするのは、高校生くらいの少女だ。
「あなた、誰?」
 シュラインが尋ねて1歩近づいたが、
「来ないで!」
 とたんに金切り声を上げて拒絶する。
「おおかた、あの掲示板の書き込みを見てここに来た1人……って事なんじゃないの? あたしらもそう。だから安心しなさいよ」
「え……」
 聖羅が言うと、そちらに目を向ける少女だった。
「だから恐がらないで下さい。それで、一体ここで何があったんですか?」
 さらに輝史が寄り、しゃがんで目線を合わせる。
 じっと見つめて尋ねると……
「……は、はい。す、すみません」
 コクリと小さく頷く。
「……あらら、一発で素直になっちゃったよ。イイオトコって、得だよね」
「そうですね」
 桜夜が隣のステラに囁き、ステラも無表情で頷く。輝史はともかく、少女には聞こえなかったようだ。
「あの、と、友達が大変なんです!」
「……友達?」
「ええ、あ、あの、私、昨日あの書き込みを見て、面白そうだなって思って、と、友達とここに来たんです。でも、あちこち見て回っても何もなくて……もう帰ろうと思って最後にこの教室に入ったら……」
「……入ったら?」
 青い顔をして、少女はこう続けた。
「なにか……いきなり黒い影みたいなのが襲ってきて、それで友達を捕まえて……に、2階の方に上がっていって……」
 小刻みに震える指が、昇降口脇の階段を示す。
「……特に何も見えないわね。音もしないわ」
 すぐにシュラインが上を覗き込み、言った。
「で、でも本当です! 本当なんです!! お願いです! 友達を助けてください!!」
 全員を見上げ、訴える少女。
 一方、言われた方の一同も、互いの顔を見た。
 わずかの間、視線だけが組み合わされ、声なき意思の疎通でもしているような空気が流れたが……
「……だそうよ。どうするの?」
 と、聖羅が最初に口を開く。
「放っておくわけにもいかないわよね。2階に行かないと」
 これは、シュラインだ。
「ここにも誰かが残って、彼女の側に付いていてあげたほうがいいでしょうね」
 輝史は、そう言った。
 その後すぐに、
「じゃあさ、あたしとテルちゃんが残るから、みんなは2階の方、よろしくね」
 と、桜夜が提案する。
「…………はい?」
 それを聞いて、輝史が目をしばたかせた。
 しかもいつのまにか桜夜が隣にいて、こちらの腕を取り、しなだれかかっている。恐るべき早業だ。
「……まあ、誰にも異論がないなら、あたしはそれでいいけど……」
 軽くため息をつく、聖羅。
「いいんじゃない、テルちゃんに問題がなければ」
「ええ、そう思います」
 シュラインが軽く微笑みながら、ステラが相変わらずの無表情で頷いてみせた。
「……ちなみに確認ですけど、テルちゃんって、やっぱり俺の事ですよね?」
「もちろん」
「ええ」
「その通りです」
「他にいないでしょ、テールちゃん♪」
「……」
 全員に認められ、最後に桜夜に軽く頬をつつかれて……固い笑みをこぼす彼であった。


「じゃ、任せたわよ!」
「そっちも気をつけてね」
「あたしとテルちゃんの愛のパワーがあれば無敵よっ!」
「……がんばって」
 そんな挨拶を交わしつつ、分かれる一行。
「……すみませんね、緊張感がなくて。でもみんな頼りになりますから、もう大丈夫ですよ」
「え、ええ……」
 まだ倒れたままだった少女に輝史が手を差し伸べ、立たせた。
「この教室の中で、その”影”とやらを見たんですね?」
「……はい」
「じゃあ、入ってみましょう。一緒に来てもらえますか?」
「わ、私も……ですか?」
「大丈夫、俺達が一緒ですから」
「……」
 優しい微笑でじっと見つめられ……コクリと頷く少女。
「ふうん……」
 その背後では、桜夜もなにやら毛色の違う笑いを口元にたたえていた。
 3人が、ゆっくりと教室の中に移動する。輝史、少女、桜夜の順番だ。
「およ、面白いモノが転がってるじゃないの」
 すぐにそうつぶやいて、桜夜が部屋の片隅に移動した。
 床の上に、何かが横たわっている。
 人の形をした、何か。
 ……いや、それは紛れもなく人だった。
 ただし”かつてそうであったもの”だ。
 転がっていたのは、ボロボロの衣服を身にまといつかせた人骨だった。
「……ひっ!!」
 少女がそれを見て、喉の奥で押し殺した悲鳴を上げる。
「……」
 輝史はチラリと目を向けただけで、今入ってきた入口の戸に手をかけた。
 金具が錆びているのか、あるいは扉自体が歪んでしまっているのか、ガタガタとわずかに動くだけだったが、彼がじっと目を向けると、それだけで何故か急に素直になり、音もなくスライドして閉じられる。
「ねー、テルちゃん、これ、なんか面白いよー」
「……何がですか?」
「服も、骨自体も、凄く新しいの。でもって、骨がきちんと人の形をしたまま並んでて、ほとんど崩れてない」
「……他に何か気がついた点は?」
「んー、肉や内臓や血なんかは全然ないね。生臭さや腐敗集もまったくなし。骨もまるで磨かれでもしたみたいにピカピカだよ。こんな綺麗な死体、初めて見た」
「きっと……かなり普通じゃない亡くなり方をしたんでしょうね。お気の毒に……」
 死体の側にしゃがみこみ、色々といじくり回しながら解説をする桜夜。
 この教室にあるもうひとつの扉に近づき、そちらも同じように閉じる輝史。
 2人に共通しているのは、どちらもまるで平然としているという事である。
「……」
 輝史が、低く何かをつぶやいた。
 日本語ではない、遠い異国の言葉だ。
 意味はわからなかったが、桜夜にはなんとなく、それが死者に対する祈りであると感じられた。
 そして……2人が揃って同じ方向を向く。
 ……少女の方へと。
「な……なんですか?」
 突然向けられた視線に、少女が1歩あとじさる。
「とぼけないでよ。これをやったのは、あなたか……あなたの仲間でしょう?」
 小首を傾げ、微笑む桜夜。
「……え……」
 その言葉をぶつけられた少女の瞳が、大きく見開かれる。
「な、なに言ってるんですか? そんな、そんな事あるわけないじゃないですか! 冗談でもひどいです!」
 すぐに、怒りの表情もあらわにして、抗議を始めたが……
「いえ、冗談で言っているわけではありませんよ」
 落ち着いた声が、さらに追い討ちをかける。
「そ、そんな……あなたまで……あ、あんまりです……そんな……!」
 信じられない……とでも言いたげな目を輝史に向けたかと思うと、両手で顔を多い、肩を震わせ始めた。
 2人はしばし、その姿をじっと見つめていたが……
「……ふうん、表情や仕草の演技は上手いと思うよ。そこいらの大根タレントなんかよりはずっと上。それは誉めてあげる。でもねぇ……肝心の気配そのものが人間じゃないんだもん。それじゃ他の奴らはともかく、あたしらは騙せないよ。残念ながら、ね」
「……」
 桜夜の台詞に、ピタリと少女の震えが止まった。
「さらに決定的な点があります」
 輝史が、続ける。
「ここは真冬の奥多摩です。ただでさえ寒いのに、ここは平地よりさらに気温が低い。気付きませんか? 俺や桜夜さんが喋るたびに、口から水蒸気が上がってるでしょう? 気温より体温が高ければ、自然とこうなるんです。なのに……貴女にはそれがない」
「あ……言われてみればそうだね。あたし、それには今気付いたかも。あははは」
 桜夜が軽く笑って頭を掻いた。
「……まあ、とにかくそういうことですね。そしてそれに対して推測できる原因を挙げるとすれば、3つあります。ひとつは貴女自身が呼吸をしていない、もしくは呼吸を必要としない場合。もうひとつは呼吸はするが、体温が人間などよりもずっと低い場合。最後のひとつは、やはり呼吸はしているが、それをする器官が人間と同じような場所……口や鼻ではない場合です」
「なるほどね。それで、正解はどれなの、テルちゃん」
「おそらくは、2つめと3つめあたりでしょう。”ある生物”は、人間と比べてずっと体温が低く、そして呼吸器は腹にあるそうですから」
「なるほどね」
「……」
 少女は、何も反論しなかった。それどころか、一切の動きを止め、じっとしている。顔は両手で覆われたままで……どんな表情かもわからない。
 そんな彼女に向けて、桜夜がとどめの一言を放った。
「ねえ、テルちゃん」
「なんですか?」
「その”ある生物”って……昆虫かな? たとえば……蜘蛛とか」
「さて、どうでしょう……どうなんですか?」
 輝史が、聞いた。
 ……少女に。
「ふ……ふふ……ふふふふ……」
 低い声が、妖々と流れる。
 顔を隠したまま、彼女は笑っていた。
「いつ……わかりました?」
 と言った声には、もう怯えも何もない。
「最初からよ。会った瞬間かな。他のみんなもわかったはずだよ。そんな顔してたし」
「……なるほど。ということは、最初から乗せられた振りをして、私を騙していたのですね」
「なに言ってんのよ。はじめに騙そうとしたのはそっちでしょ」
「ふふ……そうでしたね。どうやら皆さんは、今までにここを訪れた方々の中で、一番頭が切れてらっしゃるようです」
「それはどーも」
 小首を傾げて、桜夜も笑う。彼女の度胸もまた、たいしたものだと言えるだろう。
「……悪い事は言いません。まだ生きている人を捕えているなら、おとなしく開放なさい。話があるなら、その後で聞きましょう」
「それはどうも。お気遣いは感謝します。ですが……その願いを聞き入れるのはもはや不可能です」
 輝史の言葉に、首を振る少女。
「こっちの言うことを聞く気がないってわけ?」
「……いいえ」
 桜夜の言葉にも同じように首を振り、否定する。
 それから顔を覆っていた手をどけ、2人を見た。
 白目が消失し、ただの黒い穴と化した瞳の奥で、何か異質の赤い光が瞬いている。
 表情もなく、閉じられたままの唇が、はっきりと告げた。
「……もう生きている人間など、ここにはいません。あなた達も、今すぐにそうなります。ふふふふ……ほほほほほ……」
 笑い声と同時に、周囲に無数の気配が生じた。
 輝史と桜夜が、揃って天井を見上げ、飛びのく。
 ──ドォン!!
 まさにその瞬間、天井に亀裂が走り、弾けた。
 木材の破片と、大量の埃が降り注ぐ。
 が、出現したのはそればかりではない。
 ぼとぼとと重い音を上げて落ちてくる、何か黒くて巨大なもの……
 それは床へと落ちると、細い足を8方に伸ばし、丸めていた体を起こして次々に立ち上がる。
「……ひぇぇ〜、き、きもちわるいぃ〜」
 100%混じり気なしの感想を漏らす桜夜。
 まあ、それもそうだろう。
 新たにこの場に現れたのは……蜘蛛だ。
 それも全長2メートル程の見た事もないような大物の大群だった。
 短い毛がびっしりと生えた全身はほぼ真っ黒で、腹の部分にのみ赤い縞模様がある。
 頭の部分にある小さな2つの目が、赤く禍々しい光を放ちつつ、2人へと向けられた。
 太く鋭い牙が噛み合わされ、ガチガチという金属質の音が部屋中に響き渡る。
「問答無用、ですか……」
「ええ、そういう事ですね」
 少女が頷くと、それが合図となって蜘蛛達が一斉に動き始めた。
 思った以上に素早い動きで、脚を振り上げ輝史と桜夜に襲いかかる。
「えーーーい! 寄るな! 気色の悪い!!」
 脚の一撃をかわしつつ、さらに後方へと飛び下がる桜夜。が、教室の広さにはもちろん限界があり、あっという間に教室の端に達する。
 壁を背にして立つ彼女を追い詰めたと判断したか、無数の蜘蛛が彼女を囲んだ。
「……ったくもぅ……どうせまとわり付かれるなら、テルちゃんみたいな美形1ダースとか、そういうのがいいんだけどな……」
 頬を膨らませ、じろりと迫り来る怪生物に目を向けた。
 と──
 ヒラリと、この場におよそ不釣合いなものが舞う。
 薄桃色の、可憐な薄片は……桜の花に違いない。
 季節外れの美しい使者達が無数に降りしきり、場が一種幻想的な空気に包まれる。
 思わず蜘蛛達までもが花片を見つめ、動きを止めていた。
 どこから現れ、なんのために虚空を漂うのか……
 それを知るのは、桜夜のみだ。
「あんたらみたいなブサイクちゃんがこのきゃわゆいあたしに近寄るなんて100億万年早い! 生まれ変わって出直しといでっ!!」
 言葉と同時に、ごぉっと風が渦を巻いた。
 全ての小さな花が流れに乗り、荒れ狂う。
 可憐な姿とはうらはらに、一枚一枚がことごとく凶器と化した。
 触れたものは、なんでも区別なく鋭い断面を見せて両断してのける。
 ──華雪。
 それが、名だった。
 これらは全て、桜夜が使役する式神なのである。
 重い音をあげて、次々にその場に崩れ去る蜘蛛の集団。
 四肢を分断され、細かい痙攣を繰り返しつつ、全ての目の光が薄れていく。
「はい、これでおしまい」
 と、桜夜が再び少女へと振り返った時には、もう動くものの姿は皆無だった。
 華雪も、まるで夢だったかのように、一片残さず消えている。
「くっ!」
 身を翻し、教室の入口へと走る少女だったが、
「っ!?」
 扉に手を触れた瞬間、紫の火花が散り、拒絶されてしまう。
「無駄です。扉にはもう結界を張りました」
 輝史が、言った。
 彼が部屋に入ってすぐに扉を閉めたのには、そういう理由があったのだ。
 力あるものが見れば、扉全体がぼぅっと淡い光に包まれているのがわかるだろう。
「……おのれ……人間が……」
 暗い声と共に、少女から放たれる雰囲気が変化していく。
「おのれっ!!」
 叫びと同時に、彼女の身体は爆発的に膨らみ、弾けた。
 おそらくは犠牲者の皮をまとって擬態していたのだろう。それを突き破り、内部から続々と脚が、胴体が、頭が飛び出してくる。
 やがて2人の前に姿を現したのは、先程よりもさらに一回り巨大な蜘蛛だ。
 違うのはその大きさと、胴体にある模様だろう。こちらは黄色の縞になっている。
「これが正体ですか……」
「……グロい」
 うんざりした表情で、つぶやく桜夜。
 それが気に障ったわけでもないだろうが、巨体を揺らしつつ、一気に踊りかかってきた。
 2人が身構え、今まさに決戦が始まろうとしたその時、
 ──ストッ。
 軽い音を立てて、両者のちょうど中間の床に何かが突き立った。
 見ると……羽だ。白く美しい羽が、そこにある。
 一組の男女と、異形の生物の顔が、同じ方向に動いた。
 わずかに隙間の開いた窓。その向こうから、飛来したらしい。
 そして今……校庭のほぼ中央に、ひとつの人影が忽然と立っていた。
「……ふっ……なるほどな。化物学校の噂とやら、確かにこの目で見させてもらった……」
 蒼い月の光を浴びるその身の回りには、無数の白い羽が舞っている。
「あなた……誰?」
 桜夜が尋ねた。
 その問いを待っていたかのように、悠然と振り返る男。
「私か……よかろう、知りたければ教えてやろう、美しいお嬢さん。我が名はアーシエル。断罪天使アーシエル。全ては我が裁きの前にひれ伏すのみ……それが定めと知るがいい」
 名乗りを上げつつ、手にした剣を一振りすると、そっと前髪をかきあげた。
「え? 確かアーシエルって……」
「……知り合いなんですか? あの方と……?」
「いえ、そーいうわけじゃないんだけど……アーシエルって、確か日曜の朝にやってる特撮番組に出てる美形悪役の名前だったと思ったけどな……なんか、奥様方に大人気だって、そんな話聞いた事あるかも」
「……そうですか」
 さすがに美形の事となると、桜夜は知っているらしい。
 まさに、その通りだった。
 そして、このアーシエルこそ本人──アーシエル役の役者である広瀬和彦(ひろせ・かずひこ)その人なのである。
 彼は役者として類稀なる天才であり、演じる役柄に100%なりきる事ができる。
 驚くべき事に、考え方や立ち振る舞いから、その役が本来持っている技術までも、瞬時にして自分のものとしてしまうのだ。
 医者の役を演じる時は、医学知識も手術の腕も一流となり、弁護士役の時は六法全書が全て頭に入ってしまう程完璧な法律知識と、法廷テクニックを習得する。それも、誰にも教えられず、自然にである。まさに天の与えた演技の才能と言えるだろう。
 特撮番組の悪役としてこの場に現れた現在も、もちろん同じだった。
「真打は常に遅れてやってくる。そして雑魚など決して相手にはしないものだ。果たして貴様にその価値があるかどうか、見せてもらおう」
 剣の先を大蜘蛛へと突きつけ、そう言い下す和彦──アーシエル。
 蜘蛛の方も侮辱されたらしいとでも思ったのか、ぐるりと彼の方へと向き直り、牙を打ち鳴らした。
「ふっ、醜いな。その醜悪さこそ既に罪だ。罪深きものよ、我が断罪を受けるがいい……ゆくぞ!」
 くわっと目を見開いたかと思うと、その姿が消失する。
「どこを見ている。私はここだ!」
 次の瞬間、彼の声は大蜘蛛の後ろでした。空間を渡る事など、アーシエルには児戯にも等しい。
 振り返りざまに長い脚が叩きつけられたが、その時にはもう消えている。
「……やはりその程度か。ふん、とんだ茶番だ。貴様など我が敵にはならぬ」
 また背後へと移動したアーシエルが、低くつぶやく。
 その彼へと向けて、大蜘蛛は胴体下部より糸を噴出した。
 真っ白い糸の塊が、津波となって押し寄せる。
 が、アーシエルは微動だにせず、剣を頭上高くに掲げると、
「……笑止、その程度の技でこの私を攻めるか……舐められたものだ。もはや貴様に言い渡すべき事など何もない。ただ冥府魔道に墜ちるがいい! くらえ! 音速の断罪!!」
 手にした剣が、マッハを超えて振り下ろされる。
「ソニック・スラッシュ!!」

 ──ドン!!!

 圧倒的な衝撃波が校舎を揺るがし、全てのものを飲み込み、切り裂き、吹き飛ばして突き抜けていく。
 剣圧のみで蜘蛛の身体はバラバラとなり、塵となって消えていった。
 後に残ったのは、壁に穿たれた2階部分まで繋がる大穴と、瓦礫の山。他には何もない。
「…………」
「…………」
 その光景を目にして、言葉を失う輝史と桜夜。
 なんだか知らないが……とにかく凄い。
 オイシイ所を根こそぎ持っていった天才俳優は、鮮やかな手つきで剣を腰の鞘に戻し、2人へと……いや、正確には桜夜のみに振り返った。
「ふっ、美しい人よ、怪我はないか」
「……あたしの事?」
「他に誰がいるというのだ。美しいものは守られねばならぬ。美とは善悪の区別なくして、絶対のものなのだからな……」
 そうつぶやくと、彼は優雅に一礼して桜夜の前に片膝をつき、手の甲に口付けをした。
「わ、いやーん。テルちゃんあたしどうしよーぅ!」
「…………俺に聞かないで下さい」
 照れつつも喜ぶ桜夜に、どこか遠い声でこたえる輝史であった。


■ 廃校舎2階・女性3人、学校の怪談?

「……あの2人、大丈夫かしら?」
 暗い廊下を進む一行の先頭で、ふとシュラインが聞いた。手に持ったカラースプレーを、前方の何もない空間に吹き付けている。
「まあ、平気じゃない? 一応あのコが普通じゃないことを承知している上で残ったんだし。大丈夫じゃなくても、なんとかするでしょ」
 簡単に言いながら、聖羅の目がそれを捕えた。
 廊下のあちこちに張られた、蜘蛛の糸……
 カラースプレーを受けて、薄闇の中に次々くっきりと浮かび上がっている。
「どちらかというと、私達の方が相手の用意した罠に向かってあからさまに入って行くような感じですので、危険ではないかと」
「……言えてるわね」
 ステラの言葉に、頷くシュラインだった。
「確かに罠よね、これは……」
 嫌そうな声で、聖羅も認める。
 スプレーによって色を帯びた糸は、廊下に縦横に張られているのがわかる。
 極細なのと、暗闇の中だったので普通の目では判然としなかったのだが、こうしてみるとはっきりした。
「やっぱり、相手は蜘蛛、か」
 シュラインがポツリとつぶやき、2種類の頷きがそれに応える。
 ここに来る前に、既にほぼ全員が気付いていたのだ。
 あの書き込みをした人物の名前に記されていた、”イドモーンの娘”とは、ギリシア神話における織物の名手、アラクネの事である。自らの技術に慢心した彼女の姿を見て怒った女神アテナにより、クモに変えられてしまったとされているのだ。ちなみにアラクネという単語は、ギリシア語でそのものズバリ蜘蛛の意味を持つ。
「蜘蛛って、巣にかかった獲物の振動を感じて襲ってくるのよね……確か」
「……そうですが、そればかりではないですよ」
 ステラが無表情に解説をはじめる。
「蜘蛛の生態は、大きく2種類に分けられます。ひとつは決まった場所に巣を張り、そこで獲物を待ち受ける造網性の蜘蛛。コガネグモやジョロウグモといった種類が、これにあたります。そしてもうひとつが、決まった巣を張らずに、自らが積極的に動いて獲物を狩る徘徊性の蜘蛛です。ハシリグモやタランチュラなどがこれですね」
「それでいくと、こいつは造網性ってやつ?」
「さあ、どうでしょう。そこまでは残念ながら……」
 聖羅の問いに、素直に首を振るステラだ。
「……なんにせよ、触らない方が無難よね。触りたくもないし」
「それは同感」
 シュラインが言い、聖羅が同意した。
 それから、糸を避けつつ、さらに廊下を進む一行。
 音といえば、古びた板張りの廊下が立てるきしみだけだ。
「……嫌な感じね……」
 誰に言うでもなく、聖羅がつぶやいた。
 静かすぎる。それに何より……自分達以外、生きている人間の気配が皆無だ。
 他の誰より、彼女はその事を感じている。
「時は夜、誰もいない古びた校舎……まるで学校の怪談の定番ですね」
 ステラが、そんな事を言う。
「学校の怪談ねえ……まあ、確かに怪談には違いないわね」
「パターンからすると、ここで無人の音楽室からピアノの調べが聞こえてきたり、理科室の人体模型が動いたりするのでしょうが……」
「……いくらなんでも、そこまではないんじゃないの?」
 と、シュラインが苦笑したのだが……
 ──ゴトン。
 前方で、ふと何かが倒れるような重い音がした。
「……」
「……」
「……」
 3人の足と口が、同時に止まる。
 目は、5メートル先の一角に吸い寄せられていた。そこから音がしたのだ。
 入口のプレートには、かすれた文字で、『女子便所』とある。
「……ひょっとして……花子さんでしょうか?」
「んなわきゃないでしょ」
 ステラの推測を、即座に否定するシュライン。
「行ってみれば、わかるわ」
 最初に足を踏み出したのは、聖羅だ。
「ちょっと、気をつけないと」
「わかってる」
 一層慎重に、それでも3人はそこに近づいていった。
 ……と。

 ──ドォォン!!

 何の前置きもなしに大きな音が響き、足元はおろか建物全体が揺れる。
「!?」
「ちょ、ちょっと何!?」
「……下で何かあったようですね」
 ステラのみがまったく驚いた様子もなく、やってきた道を振り返る。
 この時ちょうどアーシエルと化した和彦がソニック・スラッシュを放っていたのだが……無論3人にはそんな事が分かるはずもない。
 そしてさらに新たな破壊音が響き、3人の顔がそっちに戻った。
 黒い巨大な何かが、トイレのドアを粉砕しながら廊下へと進み出てくる。
「……これは……」
「で、出た……」
「……」
 全長3メートルはあろうかという、大蜘蛛だ。
「……変わった花子さんですね……」
「なんでそうなるのよ! あからさまに違うでしょっ!!」
 まるっきり動じていないステラとは対照的に、シュラインが叫んだ。
 さらに1匹だけではなく、続々とトイレから這い出してくる蜘蛛の群れ。
「ちょっとこれは……数が多いわね」
「どうする?」
 聖羅とシュラインが顔を見合わせる。
「ここはやはり一旦下がって皆さんと合流するか、このまま迎え撃つか、あるいは話し合ってお互いの意見をぶつけ合うかのいずれではないかと」
 ステラだけが、マイペースだ。
「……話し合うって……相手は蜘蛛よ?」
「何事も誠意をもって事に当たれば、気持ちは通じるのではないかと思いますが」
「とてもそうは思えないわ」
「そうでしょうか……」
 と、首を傾げるステラの身体に、何かがスルスルと巻きついていく。
 ……白い……蜘蛛の糸だった。
「ちょ、ちょっと!!」
 残りの2人が、目を丸くする。
「……ふむ、どうやら向こうには、お話をする気がないようですね」
「んなこと見りゃ一発でわかるでしょ! 待ってて、今そんなもの剥ぎ取って……」
「あ、やめたほうがよろしいですよ。粘着力が凄いですから、一緒に絡め取られてしまいます」
「……え」
 伸ばしかけた聖羅の手が、止まる。
「それにご存知ですか? 蜘蛛の糸というのは、自然界における最強の繊維とも呼ばれているのです。同じ太さなら、鋼よりも強度に優れるとか。たいしたものですね」
「……あんたね……落ち着いてる場合じゃないでしょ!」
「いえ、まあ、そうとも言えるかもしれ──」
 ステラの声が聞こえたのは、そこまでだった。
 物凄い勢いで巻きついていく糸により、あっという間に人の形をした白いオブジェと化していく。
「まったくもう! 余裕ぶちこいてるからそうなるのよっ!!」
 言いながら、聖羅が近づく。確かに自分も危ないかもしれないが、だからといって放っておけるわけもない。
 しかし……
「……え?」
 その彼女の前に、白い獣が立ち塞がった。オーロラだ。
「ちょっと! あんたのご主人が危ないんだよ!」
 そんな聖羅の言葉にもまったく動く様子がない。
「おまえ……」
 はしばみ色の綺麗な瞳に見上げられ、一瞬動けなくなった。
 ただの犬とは到底思えない、無言の迫力……
 そうしているうちに、1匹の蜘蛛が元ステラの白い人型に襲いかかり、太い牙をぶすりと打ち込む。
「!?」
 シュラインと聖羅は思わず目を背けたが……
 ──ぷしゅー。
「…………へ?」
 間抜けな音と共に、白い糸の塊から空気が抜け、しぼんでいく。
 ステラは……既にもう、そこにはいなかった。
 ならば、一体どこに消えたのか……?
「いやはや、大変な目に遭いました」
「わっ!?」
 背後からいきなり声がして、2人が飛び上がる。
 まるで平然とした顔でそこにいるのは……もちろんステラだ。
「残念ながら、蜘蛛の方々はやる気まんまんです。ここは一旦引くのも勇気かと」
「……あんたね……」
「引田天巧ばりね……まったく」
「いえ、残念ながら、私にはアメリカで人形が発売されたり、アニメ化の話などもありませんが……」
「……そういう問題じゃないでしょ」
「はあ……」
 とかやっていると、背後で複数の何かが蠢く気配。
 巨大な蜘蛛達が、牙をガチガチ鳴らしながら動き始めていた。
「そんな事言ってる場合じゃないね。とりあえずここは退却して……」
 と、聖羅が元来た方に向き直ったが、3人が上がってきた階段から、にゅっと黒い足が飛び出してくるのが見えた。
 頭、胴体と続いたその姿は、言うまでもなく巨大蜘蛛である。
「挟み撃ちか……意外と賢いかも」
「しょうがないわ、とりあえずここの教室に入って……って、扉が開かないじゃないのよ! えぇーぃっ! こんな時にこのぉっ!」
 ガタガタ言うだけの戸に蹴りを入れ、打ち壊す聖羅。
 一撃で見事にレールから外れ、内側にバタンと倒れた。
「……お見事」
 ステラがパチパチと拍手をする。もちろん相変わらず真顔だ。
 すぐに中へと入る3人だったが……
「これは……!」
 入ってすぐに、足が止まった。
 そこはどうやら、かつて音楽室だったらしい。
 部屋の片隅に、足の折れたグランドピアノが斜めに傾いでいる。それが証拠だ。
 が、問題はそんな事ではなかった。
 部屋の中央に、数体分の人骨が無造作に重なっていたのである。
 ボロボロの服をまといつかせた白骨であり、まだ人の形を保って新しい名残を留めながら、血や肉の痕跡が何もなく、完全に白骨化しているという奇妙なものだった。下にもこれと同じような死体があったのだが、無論3人にはそんな事まで知る由もない。
「……あの書き込みは、やっぱり物好きな人間をここにおびき寄せるためだったのね」
 シュラインが、つぶやいた。
「ええ、それもエサにするために……」
 聖羅も、静かに頷く。
「そして、私達もまた、狙われているという事ですね」
 これは、ステラ。
「……冗談じゃないわ。そう簡単に行くもんですかっての」
「そうね。少なくとも、蜘蛛に食べられるなんて死に方は願い下げよ」
「では、そういうことで……」
 ステラが一旦その場にしゃがみこみ、何かを拾い上げる。
 そして振り返ると……目の前に蜘蛛がいた。
「こちらの話はまとまりました。お引取り願えますか?」
 と、拾ったものを突きつけてやる。
 ……ベートーベンの肖像画だ。
 なんとなく蜘蛛の目がそれに向くと、肖像画の目もまたぎょろりと動いて蜘蛛を見返した。
 驚いたみたいに、1歩後ろに下がる巨体。
 そこに、不可視の攻撃が放たれた。
 一瞬、蜘蛛の頭がぶれたように激しく小刻みに揺れる。
 それが止まると……あとは力を失ったように巨体は支えを失い、床へと崩れた。
 すっと、ステラの隣に立つ影。
 ……シュラインだ。
「相変わらず、良いお声ですね」
「まあね」
 軽く頷き、わずかに口が開かれる。
 それと同時に、次々と無力化し、失神していく大蜘蛛。
 彼女の喉は、ありとあらゆる”音”を再現する事が可能なのだ。
 人間の声、動物の声はおろか、人間の可聴範囲を超えた超音波すら放つ事ができる。
 聞くものに天上の美声を捧げる事も、破滅の歌を与える事も可能……
 それが、彼女の能力だった。
 シュラインの喉から発せられた超音波が、蜘蛛の脳をダイレクトに揺らし、脳震盪を起こさせるのである。
 破壊音と共に、もうひとつの扉が内側に弾け飛んだ。
 そこからも、教室に巨大な影が侵入してくる。
「……おっと、そこまで」
 声と共に、1人が進み出た。
 頭の両側でまとめられた髪が、ふわりと揺れる。
「生物ってのは、何かを食べなきゃ生きてはいけない……それはわかるよ。でもね……」
 聖羅の目つきが鋭さを帯び、言った。
「あんた達のやり方は、気に入らないね」
 目の前の蜘蛛には、彼女の言葉や心を理解するだけの知能はない。
 すぐにでも、食欲に任せて襲いかかるつもりだった。
 しかし……それはできなかったのだ。
 蜘蛛の足をしっかりと押さえる、手、手、手……
 教室の中央にあったはずの白骨が、今は何故かそこにあった。
 床から青白い腕が伸びていた。
 恨めしげな表情で蜘蛛に抱きつき、押さえようとする者がいた。
 ……それら全ては、人ではない。
 かつて人であったもの達……死霊である。
 しかも、今蜘蛛に張り付き、動きを止めているもの達は、皆それの犠牲者なのだ。
「これで恨みが晴らせるとは思えないけどね……でも、せめて一緒に逝くがいいさ」
 つぶやきと共に、大蜘蛛の身体がズブズブと床に沈み始める。
 巨体がもがき、逃れようとするが、死霊達がそれを決して許さない。
 やがて、彼らは共にどこかへと消えていった。
 行き先は……死者のみが知っているだろう。彼らの望む場所、望む世界へと、獲物を連れて旅立ったのだから。
 聖羅は、死せる世界の声を聞き、その住人達を使役する事ができるのだ。
 そして同時に、彼らの満たされぬ望みを叶えることで、永遠の鎮魂を与える事もできる。
「さて……次はどいつが相手? あんた達に用がある奴は、まだまだたくさんいるよ。いくらでもかかってきな」
 視線の先で、蜘蛛達が音もなく後退した。
 彼女の周りには見えない気配が漂い、無念の声が渦巻いている。
 足元の床からは無数の青白い手や頭が突き出てゆらゆらと揺れていた。
 全て、彼女の味方であり、敵対者には一切の容赦がない下僕達だ。
 超音波が、昏倒させる。
 死霊が押さえ、知らない世界へと連れていく。
 白い獣が疾風となって牙を剥き、次々に打ち倒した。
 ……数十に及ぶ巨大な蜘蛛の集団だったが、それよりも遥かに小さい3人の女性に、完全に押されている。
 このままでも、数分とかからず撃退はできたろう。
 しかし、
「……あ」
 最初に声を漏らしたのは、ステラだった。
「うん?」
「なに、どしたの?」
 他の2人が振り返ったが、それにはこたえず、
「伏せた方がよろしいですよ」
 とだけ告げて、本当にその場に伏せてしまう。
「……?」
 顔を見合わせる聖羅とシュラインだったが……理由はすぐに知れた。
 廊下の遥か先で、
「ソニック・スラッシュ!!」
 という裂帛の気合がほとばしったと思った次の瞬間、

 ──ドン!!

 とんでもない衝撃波が、ありとあらゆるものを巻き込みつつ押し寄せてくる。
「な、なにあれっ!?」
「わぁっ!!」
 ただちに2人も床に飛び込むようにして伏せた。
 その頭の上数センチをかすめて通り抜けていく破壊の波。
 密集してひしめいていた蜘蛛の集団は、ひとたまりもなかったろう。
 音速の風に瞬時にして吹き飛ばされ、バラバラになりつつ空気との激しい摩擦で塵と化す。
 通り過ぎた後に残ったのは……ただの瓦礫の山のみだ。
「……な、なんなのよ一体……」
「あたしに聞かないで……」
 顔を上げ、つぶやく聖羅とシュライン。
 その前に、ヒラヒラと何かが舞い降りてきた。
 ……白い羽だ。
「無事だったかね、麗しいお嬢さん達」
 その次に、かなりの美声が降ってきた。
 見上げると、剣を片手にした美青年が立っている。和彦……ではなく、今は断罪天使アーシエルである。彼の周りには白い羽が夢のように舞い、蒼い月の光を浴びてきらめいていた。
 ちなみに天使と言っても実際に羽があるわけではないので、どこから羽が沸いてきているのかはまったく不明だ。
「あんた……誰?」
 シュラインが、尋ねた。
「……ふっ、私の名はアーシエル。自らの心のままに導かれ、ここに来た」
「ああそう……」
 歯をきらめかせつつこたえるその姿に、次の質問をあきらめるシュラインだ。
 今の衝撃波もたぶんこいつだと思ったが、それを追求して責めた所で、たぶん悪びれもしないだろう。そう確信する。
「……ひょっとして、貴方は断罪天使アーシエル様でいらっしゃいますか?」
 代わりに、静かな声が問うた。ステラだ。
「そうだが、それがなにか?」
「感激です。ご活躍は毎週かかさず拝見させて頂いております。失礼でなければ、是非サインを頂きたいのですが」
「ふっ、そうか。いいだろう。その言葉に誠意をもって応えようではないか、美しいお嬢さん」
「恐れ入ります」
 無表情な顔が一礼する。
「……あんたのご主人様も、相当変わってるね」
 立ち上がりつつ、傍らのオーロラに小さくそんな言葉をかける聖羅。
 白い獣がそっと目を伏せた所を見ると、彼もそのへんは充分過ぎる程に理解しているのかもしれない。
「やっほー、みんな大丈夫ー!」
 新たに明るい声がして、足音が近づいてくる。輝史と桜夜だった。
「……だれかさんのお陰で無事よ」
 汚れを払い落としつつ、シュラインも立ち上がる。
「感謝などいらぬ。私には不要のものだ」
 当然のように、皮肉はアーシエルに通じない。
 シュラインはため息をついて首を振り、彼の事はもう触れない事にしようと心に決めた。
「……とりあえず、これで片付いたのかしら?」
 口調をあらため、あたりを見回す彼女。
「いえ、あれを見てください」
 すぐに、輝史がそう口を開く。
 彼の瞳は、窓の外へと向けられていた。
 全員の視線が、それに倣う。
「……うわ、まだあんなにいるんだね」
 顔をしかめ、嫌そうに聖羅が言った。
 無数の大蜘蛛が表にはひしめいており、それがひとつの流れとなって、別棟の建物へと入っていくのが確認できる。
 こちらと同じく木造で瓦屋根だったが、平屋だ。ただし、結構な広さがありそうだった。
「あそこが奴らの本拠地かしら」
「っていうより、巣じゃない?」
「なんにせよ、行ってみれば分かるでしょう」
「……気は進まないけど、そうよね。じゃあ行きますか」
 聖羅の言葉に、シュライン、桜夜、輝史が頷く。
「面白い、敵の秘密基地に乗り込むか。よかろう。我が名にかけて、全ての敵に等しく断罪を与えてやろうではないか」
 アーシエルの剣が、虚空に閃く。
「……」
 ステラは……無言でじっと彼からもらったサイン色紙に目を向けていた。
 嬉しいのかもしれないが、全然表情が変わらないので、どう思っているのかは永遠の謎だ。
 ついでに、なんで都合よく色紙など持っていたのかも不明である。

 ……かくて、一行はそれぞれの思いを抱きつつ、外へと向かうのだった。


■ 講堂・そして待ち受けるもの

 別棟のその古めかしい建物は、体育館というよりは、むしろ講堂と呼んだ方がふさわしかったろう。
 広い空間の中には、かつて児童達の声が飛び交い、朝礼や集会、運動などを行っていたはずだ。
 ……しかし、今はもう、その面影はまるでなかった。
 入口には扉さえ既になく、黒い口がぽっかりと開いているだけだ。
 そして1歩中に足を踏み入れると、そこは既に人の領域ではない。
 床や天井……全ての壁に白い糸が折り重なり、まるで巨大な繭の中を思わせる光景が広がっていた。
 天井から垂れ下がったいくつもの糸の先には、ちょうど人の大きさほどの白い塊がついている。
 中には、人の手や足の一部が飛び出しているものもあって……中身は簡単に想像できるだろう。
 床には、今までにも何度か見た、綺麗過ぎる白骨が多数折り重なっていた。
 それを囲むようにして蠢く無数の赤い目と、巨大な影……
 数百にも及ぶ大蜘蛛が侵入者に顔を向け、一斉にギチギチと牙を打ち鳴らし始める。
 普通の神経の持ち主なら、数秒と持たずに肝をつぶして失神する光景だ。
 だが、あいにくとこの場には、そんな人間は1人もいなかった。
 彼らの視線は、蜘蛛ではなく、講堂のほぼ中央、そこに立つ場違いなひとつの姿に向けられている。
「……おだまり」
 と、そいつは言った。
 たった一言で、全ての蜘蛛が沈黙する。
 20代前半くらいと思われる、1人の娘……
 見た目はどこにでもいそうな容姿だったが、中身は間違いなく別物だろう。
「ようこそ、歓迎するわ」
 ニッコリと微笑み、娘が一行に語りかける。
「……あんたが、イドモーンの娘ってわけ?」
 桜夜が、尋ねた。
「ふふ……あれは単なる言葉の遊びよ。あたしはそんなんじゃない。まあ、単にここの代表ね。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「それって……どういう意味よ? あんた達は一体なんなの?」
「……なんなの、とか言われてもねぇ……」
 シュラインの問いかけに、やや困った顔をする娘だ。
 少し間を置いて、こう返してきた。
「見ての通り、人を食べる大きな蜘蛛……そのままよ。貴方達人間だって、何で生きてるのか? 生きている目的は何か? なんて聞かれたって、簡単には答えられないでしょう? 難しい事を考えたって、仕方ないんじゃない? そもそも違う生物なんだし」
「そりゃまあ、そうだけど……」
「ふふっ、でしょ?」
 クスクスと、声を上げて微笑む娘だ。
「……ふむ、なにやら哲学的なお話になってきましたね」
 と、ステラ。
「確かに違う生物と言われてしまえばその通りです。ですが、なまじこうして話が通じるというのは始末が悪いですね……」
 輝史の表情も、優れなかった。
 そんな中、1人がすっと前に進み出る。
「……ふん。なんにせよ、あんたらとあたし達は仇同士って事になる。あんた達は生きるために人を食うのかもしれないけど、あたしらはそれを黙って見過ごす気はないよ」
 はっきりそう告げたのは、聖羅だった。
「ふうん、そうなんだ。人間って、そんなふうに妙に仲間意識が強い所があるって聞いてたけど、本当だったみたいね。あるいは……偽善、だっけ? そんな言葉もあったわね、確か」
「なんとでも言うがいいさ。あたしはあたしの自由意志であんたらを倒す。それでいいだろ」
 強い口調で言い下す。
 それは聖羅の最後通告でもあった。
 もともと小難しい理屈などこねくり回すような性格でもない。許せない奴だから潰す。それだけだ。
「あ、そう……」
 対して……娘が薄く微笑んだ。形だけの、感情の伴わない笑み……
「だったら……殺し合うしかないわね」
「上等よ! かかっといで!!」
「……まあ、恐いこと。ふふふ……」
 娘の笑い声が、低く流れる。
 それと同時に、背後に控えていた無数の大蜘蛛達が一斉に動き始めた。
「そう来るのはお見通しさ! 甘いんだよ!」
 聖羅の声も、その場に響く。
 蜘蛛達の足元に無数の死霊が浮かび上がり、次々に挑みかかっていった。
 あちこちに散乱していた白骨も、いつのまにか彼らの元へと移動している。
 娘と会話をしている最中に、既に準備を整えていたのだ。
 しかし……
 一瞬にして数十匹が闇の中へと消えていったが、それはあくまで一部である。
 犠牲などものともせず、残りの蜘蛛が床を鳴らして襲いかかってくる。
「あたしが売ったケンカだ! 逃げたい奴は逃げていいよ!」
 残りの死霊を操りつつ、振り返りもせずに聖羅が言った。
「……そう言われても、今更遅いでしょう」
 輝史が、彼女の隣に並んだ。
「ま、そういうこと」
 ……シュライン。
「楽しそうだからね。あたしも混ざる」
 ……桜夜。
「以下略、という事で」
 ……ステラとオーロラ。
 そして、
「ふっ、逃げるか、そんな言葉もこの世にはあったな。だが、意味までは知らぬ! 今はただ闘うのみ! ゆくぞ、尊き断罪の疾風! その名も──」
 アーシエルの台詞に、残りのメンバーがさっさと脇に退いた。いいかげん慣れている。
「ソニック・スラッシュ!!」

 ──ドン!!

 圧倒的な衝撃波が、数十匹単位で蜘蛛を巻き上げ、粉砕する。
 間を置かずに、残りの蜘蛛には桜夜の華雪が、聖羅の死霊が、シュラインの超音波が、オーロラの爪と牙がそれぞれ唸りを上げて襲いかかり、瞬くうちに葬り去っていった。
「……さて」
 それらを横目で見ながら、輝史は自分達が入ってきた入口へと振り返り、そこに何かのスプレーを吹き付けていく。
「……これは、なにか針葉樹の芳香剤ですか?」
 ふと、彼に近づいたステラが、そう尋ねた。
「ええ、なんでも蜘蛛というのは、スギやモミといった樹の香りを嫌うそうですからね。見た所、彼らの巨体が出入りできそうなのはここだけのようですから、万が一に備えて封じておこうと思いまして」
「なるほど」
 頷くステラだ。
 彼女の目には、単なるスプレーだけでなく、それに含まれる魔的な力も感じていたが……そこまでは言わなかった。
 ただ、これならばあの蜘蛛達も外に出られまいと、それだけは確信する。
 やがて作業も終わり、2人が振り返ると……既に勝敗は決していた。
 蜘蛛は全てが床の上に崩れ去り、動くものはもういない。
 そんな中で唯一立っているのが……あの娘だ。
「……強いね。こうなるんじゃないかと思っていたけど、やっぱり間違いなかったか」
 仲間の全滅を目にしても、表情も、口調もまるで変化がない。
 淡々としたその態度に、逆に聖羅が眉を寄せた。
「どうする気? 言っとくけど、勝てないよ、あんた」
「ふふ……ええ、分かってます。戦っても無駄、逃げても無駄……そういう事でしょ?」
「……ああ」
 それなら……一体どうしようというのか。
「……ふふふふ……」
 娘はただ微笑むのみだった。
 その身体から妖々とした気配が漂い始め、背中から皮膚を突き破って黒い足が伸び上がる。
 たちまち全身が内部から弾け、服を脱ぎ捨てるかのようにして黒い巨体が姿を現した。
 脚を入れて、その全長は5メートルは下るまい。これまでの中でも、もっとも大きな蜘蛛だ。
 全員に緊張が走り、おのおの身構えたが……
 蜘蛛はあっさりこちらに背を向けると、奥の壁へと突進し、そこに張られた糸を自らの足で切り裂き始めた。
「あいつ、逃げる気!?」
「いえ、違います。何かありますね」
 輝史の言葉通り、そこには異様なものが置かれていた。
 見た目は、直径1メートル程の白い球体だ。
 表面も滑らかで、まるでピンポン玉をそのまま巨大にしたような外見である。
 同じものが、全部で5つ、そこには並んでいた。
 大蜘蛛は周りの糸のヴェールを全て切り払うと、迷った様子もなく、今度はその表面へと、次々に脚を突き立てる。割と柔らかいものらしく、音はほとんどしなかった。そこから割れるような事もなく、黒い穴のみが残る。
 全ての球体に同じ事をすると……やがて蜘蛛は再びこちらへと振り返った。
 あとは、動く気配がない。
「……何をしようとしているのかしら」
 シュラインが言ったが、無論誰にも正解はわからない。
「なんか……出てきたよ」
 桜夜が、球体のひとつを指差した。
 大蜘蛛が開けた穴から、黒い染みみたいなものがじわじわと広がってきている。
 それだけではなく、全ての球体から、同じものが沸き出していた。
 床に落ちても止まる事はなく、さらにそこからどんどん黒い勢力が増していく。
 液体のようで……どこか違った印象だ。
「……嫌な予感がしますね」
 輝史が、妙に静かな声でつぶやいた。
 ほどなく、広がった範囲が動かない大蜘蛛に達する。
 そして、その身体にまで登り、広がった。
 ──カリカリカリカリ……
 とても小さな、音。
 大蜘蛛の脚が、ポロリと取れる。
 1本、2本と続き、4本目で身体を支えられなくなって床へと崩れた。
 その時には、もう全身が真っ黒だ。
 表面が波打つように小刻みに蠢き、次第に小さくなっていく……
 それでも大蜘蛛は一切抵抗の素振りも見せずに……消えていった。
「あれって……ひょっとして……」
 聖羅が、正体に気付いたようだ。少々顔が青ざめている。
「全て子蜘蛛ですね……どうやらあの球体は、卵だったようです」
 冷静に正解を告げるのは、ステラだ。
「いやーっ! かゆいかゆいかゆい! あたしあーいうのだめっ! 絶対嫌っ!!」
 黄色い声を上げて、桜夜が身悶えする。
 確かに、あまり生理的に気持ちのいい光景ではありえなかった。
 貪欲な生きた絨毯はさらに他の獲物を求めて、既に動かなくなった他の蜘蛛にも襲いかかり、あっという間に食い尽くしていく。
「……あのやたら綺麗な骨も……これに食べられた残りってわけね」
 さすがのシュラインの声も、少々固かった。
 そんな中、まったく表情が変わらなかったのは、ステラと、オーロラと……あともう1人。
「ソニック・スラッシュ!!」

 ──ドォン!!

 破壊の津波が、真っ向から子蜘蛛の大群に挑み、蹴散らした。
 恐らくは、数万、あるいはそれ以上の数が一瞬に消えたろう。
 しかし、それだけだ。
 彼らの数からしてみれば、その程度は一部でしかありえない。
 今や講堂の床全体の半分程が黒く染まっていた。
 それでいて、まだ卵の中から続々と溢れてきているのだ。
 どうみても物理的に割が合わないが、とりあえずの問題はそこではなかった。
「……ふむ、キリがないな」
 重々しく、アーシエルがつぶやく。
「大きいのより、こっちの方が断然タチが悪いね……こりゃ」
「どうする? 何かいい手、ある?」
「かゆいかゆいかゆいーーー!!」
「では背中を掻いて差し上げますので」
 と、話している間にも、どんどんと押し寄せてくる黒い群れ。
「……上手くいくかどうかの保証はありませんが……」
 そう言って輝史が取り出したのは……
「ライター……そうか! 炎ね!」
 頷き、すぐに火をつける。
 彼が目つきを鋭くすると、炎の性質も変化した。
 ──エーテライズ。
 物質そのものをアストラル界(幽界とも呼ばれる)へと送り、そのものを純粋なエネルギー体へと変性させる能力である。
 アストラル界とは、物質や非物質に関わらず、”全てのもの”がエネルギーとして存在している世界であり、輝史はそこに任意のものを送り込む事でそれをアストラル化させ、ありとあらゆるものに干渉することのできるエネルギー体──言い換えれば無敵の武器、防具を作る事ができるのである。
 その気になれば、爪楊枝をアーサー王のエクスカリバーにも負けない剣に、鍋の蓋を女神アテナの盾に匹敵する防具へと変える事も可能なのだ。
 今回の武器であり防具は……炎だった。
 何の変哲もないオイルライターから立ち上る炎が、彼の能力により必殺の威力を込められる。
 そっと足元の床に置くと、たちまち張り巡らされた蜘蛛の糸を縦横に走り出し、優秀な猟犬と化した。
 子蜘蛛の広がる範囲を的確に掴み、先回りして襲いかかる生きた炎。
 一旦ついた炎は、目標を焼き尽くすまで決して消えはしない。
「よーし、これならどーだ!」
 まるで自分がやったみたいに、拳を振り上げる聖羅であった。


■ エピローグ・切れない糸と、その行方

 校庭に立つ6人の男女の前で、廃校舎が紅蓮の炎を吹き上げていた。
 講堂から起こった炎が、建物全体へと回り、あっという間に火の海と化したのである。
 半分は輝史が火勢を操ったせいだが、古い木造校舎だったからというのもある。完全に燃え上がった今はもう、輝史も能力を解除して、ただ燃えるに任せていた。
 消防関係には、連絡をしていない。
 証拠隠滅……というわけではないが、この場所は全て灰にしてしまった方がいいだろう。そういう判断である。
「あの蜘蛛、結局なんだったのかしらね」
「……さあね。でも、なんにせよこれで終わりよ」
 シュラインの漏らした言葉に、聖羅がそうこたえた。
「さて、それはどうでしょう」
「え……?」
 静かな声にそちらを見ると……ステラだ。
 校庭の片隅に立つ、枯れかけた大きなアカシアの樹を見上げている。
 全員の目が彼女の視線を追い、止まった。
 そこには……

『See you again』

 という、文字。
 それも、枝の間に張られた蜘蛛の糸で描かれた文字が、しっかりと刻まれていた。
「ちょっとぉ……これって……」
 桜夜の目が、丸くなる。
「……スペルスパイダー、というのをご存知ですか?」
 ふと、ステラが皆へと振り返り、尋ねる。
「家の戸口に張られた蜘蛛の巣に、ある日突然自分の名前が描かれる事がある……するとその名前の当人が、その日のうちに原因不明の事故や事件で亡くなってしまう……アメリカの都市伝説ですね、確か」
 そうこたえたのは、輝史だった。
 ステラの首がゆっくり縦に振られた所をみると、それが正解だったのだろう。
「じゃあ、あいつらはそれの仲間だってこと?」
「さあ、そこまでは断定できませんし、それに……」
「……それに?」
「蜘蛛の怪生物の伝説というのは、意外に多いのです。今回の相手が名乗ったギリシャ神話のアラクネをはじめ、日本にも古くから土蜘蛛という怪物が伝えられています。他にもアメリカ先住民達の伝えていた蜘蛛女や西アフリカのアナンシ、比較的最近では、クトゥルー神話にアトラク・ナクアという蜘蛛の邪神が出てきますね……民話や都市伝説を含めれば、それこそ世界中にあるでしょう」
「じゃあ、あいつはそのどれかってこと?」
「そうかもしれません。ですがまったく違うものかもしれません」
「それって……結局わからないってことじゃない」
「はい。その通りです」
 無表情な顔があっさり頷き、全員が一瞬沈黙した。
「……それよりも問題なのは、この文字を描いた奴が、生き延びてどこかに消えたという事ではありませんか?」
 低い、落ち着いた声が、そう口にする。
 確かに、その言葉の通りだったが……
「……」
「……」
 肝心の、人物本人が問題だった。
 ……アーシエルである。
 不思議そうな顔をするシュラインや聖羅ににこやかに微笑みかけ、
「どうかしましたか?」
 と伺う態度など、先程までとはまるで違う。
 人当たりが良く、それでいてどこか気品を感じさせる大人の男性……
 いかにも人気俳優、といった風である。
 剣は鞘に収められ、彼の腰にあった。
 敵の姿が消えた今、彼はアーシエルではなく、広瀬和彦本人なのだ。
「……そ、そうね。確かにそれが問題だわ、うん」
 なんとか頭を切り替えて、頷くシュライン。
「とはいえ……いくらなんでも探せないよねぇ……」
 桜夜が背後に広がる森林と、その向こうに見える山々に目を向けた。正直……それらはあまりにも広すぎる。
「あれだけ生まれた子蜘蛛も、全て倒せたかどうかは甚だ疑問です。それらが成長すれば、また同じ事を繰り返すでしょうね……」
 輝史の表情も、優れない。
「ここで見た白骨死体も、全部新しいものだったしね。古いものがないって事は、ここは奴らの巣になって、まだ日が浅かったって事だと思う」
「つまり巣を造り、仲間を増やしたら別の所に移って同じ事を繰り返す……っていうわけよね。そこらへんは、普通の蜘蛛なんかと同じか……嫌になるわね」
 聖羅とシュラインもそんな事を言い、それぞれに顔をしかめた。
「ですが……ここでの更なる人的被害は食い止めたわけですし、我々が彼らの存在を知りました。必ずしも、これからも同じだとは言えないのではないでしょうか。それに、これまでにも我々と同じように、彼らの活動を阻んできた者が必ずいた筈です」
「……そんなこと、わかるの?」
「いえ、単なる勘です」
「あ……ああそう」
 大地のように揺るぎないステラの鉄面皮にきっぱり言われ、質問者があっさり引き下がる。
「確証はありませんが、確かにその通りかもしれませんね」
「そして、我々がもし再び彼らにあいまみえる事があれば、その時はまた阻止すれば良い……そういう事でしょう」
 輝史と和彦が言い、他の皆がそれぞれに頷いた。
 そして、炎上する校舎へと再び目を向ける。
 激しく吹き上げる炎が、皆の顔をほの赤く染め上げていた。
 一様に、もの静かな表情だ。
 それは、犠牲者に対する鎮魂か、あるいは新たな戦いの予兆を感じているのか……
 それぞれの想いを胸に、やがて崩れ落ちていく建物を見守る彼らであった。

■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

※ 上から応募順です。

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1087 / 巫・聖羅 / 女性 / 17 / 高校生兼『反魂屋(死人使い)』】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23 / 霊能ボディガード】

【1057 / ステラ・ミラ / 女性 / 999 / 古本屋の店主】

【0973 / 広瀬・和彦 / 男性 / 26 / 特撮俳優】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】

【0444 / 朧月・桜夜 / 女性 / 16 / 陰陽師】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。長文&納期ギリギリがすっかり板につきつつある困ったライターU.Cです。どうもすみませぬ。。。
 今回は蜘蛛のお相手なわけですが、”イドモーンの娘”とヒントを出したら、ほぼ全員に見抜かれ、最初から正面対決となっております。見抜いていない方は見抜いていないグループだけで、学校の怪談風にホラーな展開にしようかと思っていたのですが……さすがに東京怪談におられる皆様は簡単にアラクネ(またはアルケニー)の事だと明朗回答ばかりが返ってまいりまして……いやはや。そーっとカードを出したら、皆様に揃って「ダウト!」と指を突きつけられた気分でした。完敗です。皆様さすが、お見事でございます。

 聖羅様、はじめまして。女子高生死人使いという設定はよろしいですね。シビレます。余裕があったら倒した蜘蛛の死骸も操って……とか思ってたんですが、あまりグロテスクにするのもあれかなと思い、やらずにとどめておきました。ご参加ありがとうございます。

 輝史様、大変お世話になっております。正面きっての大立ち回りではなく、どちらかというとフォローに回って頂いておりますが、締めるべき所ではきちんと締めております。そこの所は、やはりソツのない大人の姿勢という事で。エレガントでよろしいですね。私もかくありたいものです。

 ステラ様、大変お世話になっております。読んで頂いて気付かれたかもしれませんが、今回実際矢面に立って働いているのはオーロラくんという事になっております。大いなる秘密なのですが、自らバラします。とはいえ、ご本人ももちろん、華麗に蜘蛛を手玉に取っておいでです。2代目引田天巧とのマジックバトルとか描いても面白いだろうなぁ……とか、書きながら思ったのは、これまた秘密です。

 和彦様、はじめまして。設定を拝見した時点で、これはもう、ちょっと遅れてやってきてオイシイ所を独り占めにするのはこの方しかおられないと確信しましたですよ。ええと……ひょっとしてそれって間違ってましたでしょうか……? 何はともあれ、アーシエル様は無敵です。たぶん悪の首領とも美意識の違いから離脱して第三勢力になるんじゃないかと勝手に想像膨らまして楽しんでました。サイン下さい。

 シュライン様、大変お世話になっております。玉砕覚悟だったそうですが、そうは問屋がおろしません。おろすもんですか。なにしろ問屋は私ですし。活躍するに決まってるじゃありませんか。というか、意地でも活躍して頂きます。でなきゃだめです。草間興信所を裏から操る影のボスなのですから、もっと胸を張って化物だろうが怪人だろうが素手で皆なぎ倒して──(その場に響く1発の銃声。そして静寂……

 桜夜様、大変お世話になっております。隼君の代役で、愛人の輝史様と共に戦って頂きました。愛人て。なにやら見えない所でも、さまざまな面白い話が展開されていそうで、想像力をチクチク刺激されてやみません。ところで……某電子妖精様も、そちらで保護しておいでなのでしょうか? 隼様と絡ませたら、それそれは面白そうだなとか思いまして……いえ、思い当たる節がなければ、忘れてくださいませ。

 最後に、参加して頂いた皆様、並びに読んで頂いた皆様には深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 なお、この物語は、全ての参加者様の文章が全て同じ内容となっております。その点ご了承下さいませ。

 ご縁がありましたら、また次の機会にお会い致しましょう。
 それでは、その時まで。

2003/Mar by U.C