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哀愁の一人暮らし
木枯らしが吹く今日この頃。
一人暮らしの者にとって何より辛いのは、帰っても誰も迎えてくれることの無い孤独―…
ドアを開けても、迎えてくれるのは真っ暗闇のみ。
だがそんな心身共に凍える寒い日々にも今日でオサラバ!
当社自慢のシステムにより、孤独の寒さで凍える貴方の心を暖かくサポート!
貴方の部屋に、暖かくなるアレをお一つ如何でしょうか?
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三十分でお届けします。
「…ですって」
タバコをふかしている草間の前で朗々と広告を読んでいた零がそう云った。
「…それで、俺にどうしろと?」
草間は呆れた顔で返した。
よくよく、くだらない広告を発見するものだ、この少女は。
「いいえ、草間さんにどうしろああしろと仰ってませんでしょ、早とちりしないで下さい。ウチの常連さんがこの『当社自慢のシステム』による『暖かくなるアレ』を頼んだそうなんです。それが…」
「また厄介ごとか?幽霊か?悪霊か?」
「だからそう何でも先読みはいけません。どうやらその方…西都裕(さいと・ゆう)さんと仰る大学生の男性の方なんですけどね、どうもとてつもなくお気に召したようなのですよ」
「それで?」
気に入ったんなら良いだろ、と草間はそっぽをむいた。
「またそこで会話を終わらせようとする。駄目ですよ、そういうの。どうやらとてつもなくお気に召したようで、皆さんにも是非オススメしたいと…こういうわけなのです」
「はぁん…つまりお前は、その『暖かくなるアレ』をウチにも入れろと、そういうおねだりをしているというわけだな?」
「いいええ、全く全然これっぽっちも違います。そうじゃなくてですね…その裕さん、皆さんにオススメして回ってるのは良いんですが…」
「良いんですが?」
「その皆さん皆が言うには、裕さんのお顔が尋常ではなく…」
「…やつれていると」
「だから違います!何でも悪霊に結び付けないで下さいまし。その裕さんのお顔がですね、尋常では無いほど幸せそうなんですね」
「…幸せならいいじゃないか」
「ええ。でもそれが尋常ではないのですよ。まるでク○リでもやっているかのような…いえ失言。まあそれがですね、私も少し気になりまして」
「…気になりまして?」
「そんなに良いのならば、是非ウチの興信所にも…」
「やっぱりおねだりなんじゃないか!!!」
「あらあら、草間さんには却下されてしまいました。どうせ怪しい○スリか何かだろうとの侮辱付きです。でもこれが、どんなに良いのか立証されましたら草間さんも考え直して下さると思うんですが…。どうでしょう、皆さん方で、ちょっと裕さんのところに行って調べてきてもらえませんか?」
「と、いうわけであたしたちは此処に居るってわけね」
腰に手をやってふんぞりかえりながら、茶色の長い髪をした少女が言った。
彼女の名前は巫聖羅(かんなぎ・せいら)。猫科の動物を連想させる少々吊り上り気味の大きな瞳と色素の薄い柔らかな髪を持つ、なかなかの美少女である。歳はまだ17歳ほどだろうか。その大きな瞳を楽しそうに輝かせ、目の前の建物を見上げている。
「とりあえず乗り込むしかなさそうね」
そう云ったのは、聖羅の隣に立っている長身の女性だ。名をシュライン・エマという。切れ長の瞳が特徴的な、少々クールな雰囲気を漂わせている美女だ。シュラインは背後を振り返り、肩をすくめた。
「こっちはその『暖かくなるもの』が何かすら分かってないんだもの」
「一人暮らしの男だろ?順当に考えると、やっぱりオンナじゃねえか、とも思うが…」
ううむ、と考え込むように黙り込んだのは、背の高いがっしりとした体型を持つ30歳半ば程の男性。名はゴドフリート・アルバレスト。2mを越す巨漢だが、優しそうな目と警官の服装で特に恐ろしい印象は与えない。その彼に、明らかに嫌そうな顔を向けて聖羅が云った。
「オンナぁ?あたしそんなのの相手すんの嫌だな」
「まぁ、零ちゃんに勧めるぐらいだから、そういう類のものじゃないでしょう。それに私だって嫌よ」
「そうだな。それに何かしらんが、キナ臭ぇ匂いがぷんぷんすらぁ。こりゃ何かあるぞ?」
より一層考え込むような顔をする。
彼は一人暮らしの癒し、と聞いて犬・猫の類ではないかと思ったのだ。元来動物好きなゴドフリートである、ここぞとばかりに懐に動物用グッズを忍ばせてきたのだが、なにやら嫌な予感がする。
そんな彼の筋肉質な太い腕をパンパンと叩き、聖羅が云った。
「大丈夫よ、元々怪しさ大爆発な商品じゃない。第一注文してから30分で届くなんて、ピザじゃないってーの」
ケラケラと笑って、とりあえず行ってみない?と後ろの二人に呼びかけた。
シュラインは仕方なさそうに頷き、
「ま、行ってみないことには始まらないしね」
そう言って、足を一歩踏み出した。
一歩進む度にギシギシと唸る、今時珍しい木造の階段を上り、端から二つ目のドアの前に三人は立っていた。ドアのすぐ横にかかっている手書きの表札には、西都の文字が書かれている。
周りを見渡して、呆れたように聖羅が零した。
「それにしてもボッロいアパートねえ…」
一階に三つ、二階に三つと全部で六部屋しかない木造アパートだ。廊下や外付けの階段のそこかしこに、年季の入った跡がある。同じく年季が入った木製のドアの横にあるチャイムを鳴らそうと手を伸ばし、シュラインは聖羅に向けて笑った。
「そう?私はこーいうとこも好きよ。いかにも貧乏学生っぽくて。何か青春してるって感じよね」
「いつの時代の青春なんだか…」
あはは、と笑って、シュラインは古ぼけたチャイムを人差し指で軽く押した。数秒の空白の間が空くが、部屋の中からは何のリアクションも無い。シュラインは首をかしげ、
「聞こえてないのかしら?」
と云って、今度は続けざまに何度か連打する。だが何の反応も無い。
「留守なのかしら」
「どっちかって云うと居留守っぽいわね。寝てんじゃない?」
こんな真っ昼間だけど、と聖羅が云う。その二人を後ろから眺めていたゴドフリートがポツリと漏らした。
「こんなボロっちいとこだしよ、もしかしてそのチャイム、壊れてんじゃないのかねぇ」
その言葉に顔を見合わせる女性二人。
そして成る程と云うように頷いた。築何年になるかも判断がつかないようなアパートだ、その可能性は高いだろう。
「じゃあ仕方ないっか」
そう言って、今度は聖羅がドンドンと(扉が壊れない程度に)力を弱めて、扉を叩いた。
「おーい、西都裕ー出てこーい」
暫しドンドンとやった結果、程なくして部屋の中から暢気そうな声が聞こえてきた。
「はいはい、どなた様?」
と云いつつも扉自体は開かれない。どうやら部屋の中から魚眼レンズで外部を伺っているようだ。
聖羅は呆れたような声で、中にいる人間に向けて言った。
「あたし達は某公共放送の取立て屋でも新聞の勧誘でも無いからさ、とっとと此処開けてくれない?いい加減此処で立ちんぼしてるのも嫌なのよね」
ようやく通された部屋は、外の廊下や階段から比べると遥かに『まし』な部屋だった。靴が3,4足ほど置くとスペースが埋まるほどの広さしかない玄関を通り、すぐ脇がコンロと流し台。築ウン十年の木造アパートにも関わらず、電気コンロが装備されてある。木造だからこそ、火事が一番怖いのだから、と云って裕が笑った。どうやら住人が起こす火事を心配して、数年前に内装工事を行った際に大家が付けたものらしい。人が一人通れるほどの短い廊下を抜けると、六畳程の板張りの部屋があった。勿論のごとくワンルームである。男性らしくあまり物を置かない性格なのか、はたまた単に物を買うだけの余裕が無いのか、決して広いとは云えない部屋の中には、必要最低限の家具しか置かれていなかった。だがそれなりに整っている部屋だ。
「うん、中々綺麗じゃない」
大学生の一人暮らし部屋と聞いてある程度の覚悟はしていた聖羅がホッと胸をなでおろした。どうやらこの西都裕はそれなりの清潔感は持っているようだ。
「それで、あなたたちは何の御用なんですか?というより何方なんですか?」
裕は公共放送の取立て屋でもなく、新聞の勧誘でもないと聞いた途端さっさと玄関のドアを開けて、相手の素性も聞かずに部屋に通したのだった。あまり警戒心はなさそうだ。背は高く、痩せ型で、ひょろりとした印象を受ける。明るい茶色に染めた髪は短く、いかにも人の良さそうな顔でにこにこと微笑み、三人の素性も聞かぬうちに、座ってて下さいと云ってお茶を淹れに行ってしまった。
「…何か良い人のようね」
少し拍子抜けしてしまったシュラインは、やれやれと云って床に腰を下ろした。板張りの床の無機質さがタイトスカート越しに伝わり、少々冷たい。同じようにして床に腰を下ろした聖羅とゴドフリートの顔を見て、
「どう。何か変な雰囲気とか、空気とか、感じる?」
「いんや、まだ良く分かんねぇなぁ。嬢ちゃんはどうだ?」
「あたしも同じく。ごくフツーのワンルームね。大体、あの裕って人、本当にそんな厄介なもの抱えてんのかしら?」
不思議そうに首を傾げる聖羅。確かに暢気そうな裕には、何の危険もなさそうに思える。だがシュラインは首を振り、
「確かに彼はあまり悩みとは縁が無さそうに見えるけど…。目の下にね、隈があったわ。見た?」
聖羅とゴドフリートは顔を見合わせ、云った。
「くま?」
「そんなもん、あったっけ」
「あったわ。微かにだけど。それが単に寝不足によるものなのか、それとも例の『商品』によるものなのかは分からないけれど」
「ふぅん…ま、まずは話を聞いてみなきゃね」
聖羅がそう云ったところで、流し台のほうから、トレイに湯気が立ち上るマグカップを人数分運んできた裕がやって来た。部屋の真ん中にある小さなテーブルにマグカップを置き、三人に向けて云った。
「コーヒーで良かったですか?皆さんブラックですか?」
「あ、あたしはブラックで良いわ」
「私も」
「俺ぁ砂糖をくれるかい。出来れば二本くれたら有り難ぇがね」
と云ったのはゴドフリートだ。あら以外、と聖羅の声に、
「よく勘違いされるんだがね、甘党なんだよ」
笑って答えた。
そして裕がシュガースティックを二本とティースプーンを持ってきて、皆がコーヒーを啜り出した頃になって、ふと思い出した、という風な声で云った。
「それで、あなた方は何故此処に?」
関係ないが、つくづくのんびりした青年である。
シュラインは苦笑して、
「申し遅れたわね、私はシュライン・エマ。こっちのお嬢さんが巫聖羅と云って、向こうのおじさまがゴドフリート・アルバレストよ。いきなり尋ねてきて御免なさい。西都裕さんよね?」
裕は驚いた顔で云った。
「何で僕の名前を?…以前にお会いしたこと…」
「ないわよ」
と即答したのは聖羅だ。コーヒーを美味そうにすすりながら、
「あたしたちはね、草間興信所のところの零ちゃんの頼みで来たの。あなた、最近草間さんとこに行ったでしょ」
「…そういえば行ったような行ってないような」
「多分行ってるわよ。そこで、零ちゃんに胡ッ散臭い会社の『当社自慢』の『暖かくなるアレ』を自慢げに話したそうね」
「自慢げかどうかは分かりませんけど。確か云った…かなあ。どうかなあ」
頼りない様子で、ううんと考え込んでしまった裕に、きっぱりと答える。
「話したの。だからあたしたちが来たんじゃない。零ちゃんが、その『暖かくなるアレ』ってどんなものかって気になったみたいで、あたしたちがそれを調べに来たってわけ」
分かった?と少々偉そうに云う。裕は明らかに年下である少女にそんな態度をされても一向に気にする様子は無く、ただ「成る程」と云ってうんうん頷いた。
「つまり、あなた方は僕の家にあるアレを見に来たってわけですね」
「そーいうわけよ。アレを見に…ていうか調べに来たの」
『アレ』で通じる会話もどうかと思うが、正式名称が分からないから仕方がない。
裕は聖羅の言葉を聞くと、何故かパァと顔を輝かせ、
「何だ、そんなことならもっと早く云ってくださいよ」
突然、ピュウと口笛を吹いた。
いきなりの裕の行動にうろたえるが、そんな三人の様子などお構い無しに、今度はパンパンと手を叩く。
「おいでー」
と何かを呼んだかと思うと、どこからともなく、サァと風が吹いた。
扉も窓も閉まってある室内に、である。
訝しげに眉を潜める聖羅の背後を、ひゅうと何かが通り抜けた。
「!!?」
慌てて後ろを振り向くが、何も居ない。
「…そこじゃないわ」
隣に座っていたシュラインに肩を叩かれ、ゆっくりと裕のほうを向く。
裕のすぐ横には、いつの間に現れたのか、尻尾を嬉しそうに左右に振りながらお座りしている小型の犬が居た。
「えっ、あれ!?その犬…!」
「うおっ!可愛いじゃぁねえか」
犬を目にした途端、ゴドフリートの顔色が変わった。締まりの無い顔をして、裕の横に駆け寄る。そして益々嬉しそうな顔で犬を眺めた。
「柴犬かぁ、嬉しそうに尻尾振ってるじゃねぇか。ええ、嬉しいかお前?」
「はい、豆柴ですよ。名前はロイと云います」
「へぇ、良い名前じゃぁねえか。おっ、俺良いモン持ってんだ」
そう云うと、いそいそと懐からビニール製の小さな玩具を取り出した。バナナの形をしているそれの真ん中を指で押すと、ピュウという音がする。その音を聞いた途端、犬―…ロイの目が輝いた。
「おっ、欲しいか?そら」
ポイ、と宙に放ると、ロイは一目散にそれに駆け寄る。口でぐわしと掴むと、首を左右にブンブン振りながら尻尾も左右に揺る。なかなか楽しそうだ。
「おう、楽しいか。いいよなあ、犬は。無邪気でよぅ」
「犬好きなんですか?」
嬉しそうな顔でロイを眺めているゴドフリートを、これまた嬉しそうな顔をして裕が言う。
「犬は好きだぜ。つうか動物全般好きかな」
「そうですか、僕も犬好きなんですよ」
「そうかぁ、いいよな犬は」
「いいですよね、可愛いし」
うんうんと頷き合っている世代も背格好もまるで正反対の男二人。そのうち犬好きに国境は無いだとか言い出しそうな雰囲気だ。
その光景を眺めていたシュラインは、目を点にして云った。
「…何て云ったらいいのかしら、これは」
確かにロイは可愛い。クリクリした黒い瞳と、少し黒が混じった茶色い毛皮が愛らしい。くるんと丸まったふさふさした尻尾も、一目で犬愛好家の心を掴むだろう。
だが、この光景は何処か間違っているような気がする。
シュラインの言葉で、ハッと我に返った聖羅が、慌ててドゴフリートに駆け寄った。
「ちょ、ちょっと何してんのよっ!」
「何って。ロイと戯れてんだよ」
そう言いながらも、またもや懐から出したのだろう、押したらへこむような柔らかいボールを投げ、それに駆け寄るロイを暖かい目で見つめている。
聖羅はああもうっ!と叫んで、頭を掻き毟った。
「いい加減にして、ちょっとこっちに来なさいよっ!」
力任せにドゴフリートを立たせ、そのまま玄関のところまで引き摺っていく。無論巨漢のゴドフリートは聖羅一人の手では到底動かせないので、シュラインも力を貸してやる。
玄関の横の壁にゴドフリートの背中を押し付けるような形で三人で固まり、聖羅はゴドフリートに詰め寄った。
「何考えてんのよっ!何でいきなり犬と戯れてんのっ!」
聖羅の剣幕に戦き、
「だってよぅ、あんまり可愛いもんだからよぅ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
全く、どうかしている。
聖羅は頭を抱えた。何故、少しはおかしいと思わないのか。確かにあのロイとか云う犬が可愛いのは分かる。聖羅もどちらかというと犬は好きなほうだ。だが、そういうことを問題にしているのではない。どこからともなく、冷たい冷気を伴って、唐突に現れた犬。そして、その犬は―――……
『透けて』いるのだ。
「絶対おかしいわよ、何であの犬透けてるの?これはもう、決まったも同然じゃないの!」
「…確かに、普通じゃないわね」
普通じゃないどころではない。
とりあえずロイに普通の触れることは触れるようだが、ロイを抱いて膝の上に載せている裕の身体が、ぼんやりとだがロイの身体越しに『見える』。これは明らかに尋常ではない。
「…問い詰めなくっちゃ」
キッと眉を吊り上げ、二人が止める間もなく、聖羅は裕のほうにずんずんと歩いていく。
そして高圧的に云った。
「『それ』は一体何なの?」
裕は不思議そうな顔をして、
「…この、ロイのことを、あなた方は調べに来たんじゃなかったんですか?」
と云った。
どうやら、やはりこの透けている犬が例の『暖かくなるモノ』のようだ。
聖羅はハァとため息を付いた。
「…詳しく教えてくれるわよね?」
三人が見守る中、裕は膝にロイを抱き、その柔らかな毛皮を撫でながら話し始めた。
「大学の友人から勧められたのがきっかけで、僕も初めは半信半疑でした。しかしその友人が言うには、これは注文者のどんな要望にも答える、素晴らしい商品だと。その友人も『特にこれといった要望を出さなくても』まさに希望通りの商品が届いたそうです。しかしそれがどんなものかは、教えてくれませんでした」
「…その時点で怪しいとは思わなかったの?」
眉を潜めて聖羅が尋ねる。
「確かにそうは思いましたけど、話の種になるかな、程度の気持ちだったんです。そして注文してからたった数十分後のことでした。突然、こいつが―…ロイが現れたんです」
そう言って、いとおしくて堪らないと云った目でロイを見つめる。
「…突然?」
「はい、まさに突然でした。気がつけば、横に居たんです」
その言葉を聞き、聖羅は頭を抱えた。
「なんかさぁ、他にないの?怪しい、とか、怖い、とか。突然居たんでしょ?」
裕は憮然とした顔で、
「そんな気持ち、全くありませんでした。今から思うと不思議なんですが、極自然に受け入れられたんです。まるで初めからそこにいるのが『当たり前』だったように」
シュラインは顎に手をやり、少しの間考え込む仕草を見せた。そして、裕の目を見て云った。
「…結論から言わせて貰うわ。その会社がどんな風にして、そのロイくんを貴方の元に送り込んだのかは分からない。でも、ロイくんは―…霊よ。明らかに、現在生きている状態じゃないわ」
ぼんやりと向こう側が見える状態の犬。その仕草も、表情も、動きも、全て生きているそれと同じものだがやはり違う。シュラインは、言葉を選びながら慎重に言った。裕が分かっているのか居ないのか、だが衝撃を受けることは確かだろう。
「霊を商品として扱うなんてとんでもないことだわ。無論、罰せられるべきなのはその会社よ。ロイくんには罪はないわ。でもね、ロイくんは霊だから、傍にいると、やはりあなた自身の身体に負担がかかるのよ」
ロイがくる前の裕が、どんな人間だったかは分からない。だが、現在の裕は、如何に元気そうな表情をしていても、その肌は白く青い。そして目の下にはうっすらと隈が出来ている。第三者から見ても、何かによって体力が消耗しているのは見てとれる。
裕はシュラインの言葉を受け、ゆっくりと答えた。
「…じゃあ、どうすればいいんですか。あなたたちは僕に、どうしろというんですか」
「決まってるじゃない」
何を当たり前のことを、と云った顔で聖羅が云う。
「生きているものに害を与えるつもりがなくても、やっぱり霊は霊よ。危険なことには変わりないわ。即刻成仏させるべきよ」
「そうさなぁ…霊っちゅうやつは基本的に不安体な代物だしよぅ。やはりここは、成仏してもらうのが一番だと思うぜ」
ゴドフリートも聖羅に同意し、うんうんと頷く。
聖羅は肩をすくめて、裕に笑いかけ、
「ま、そんなわけで。大丈夫よ、あたしたちはそういうことにかけてはスペシャリストだもん。あたしたちに任せておけば…」
そう得意そうに云う聖羅の言葉を遮るように、裕が言った。
「…ロイを消そうって云うんですか」
聖羅はえ?とふいを付かれたように聞き返し、
「まあ、事実だけ云ったらそうだけど。大丈夫よ、ちゃんと…」
「二度も、ロイを僕から取り上げようっていうんですか!!」
聖羅の言葉を遮って、祐が叫んだ。裕の剣幕に驚いて、ロイが裕の顔を不思議そうに見つめている。
「成仏だとか言ったって…結局はそうなんでしょう。僕はもう嫌なんです!!何で僕らを放っておいてくれないんですか。何故そうやって干渉してこようとするんですか!」
「あ…のねえ、この子は生きてるんじゃないのよ、既にこの世には居ないものなの!それにあなたの話聞いてると、どうやらこの子はその会社が『造った』もののようじゃない。そんな不安的な代物を傍に置いてちゃ、あなたの身体自身が危ないって言ってんの!」
「僕のことは良いんです、それに少しはましになってきたんだ!あと数週間もすれば、完全に元の姿になるんです!」
「ちょ、ちょっと待って」
聖羅と裕の口論を遮って、額に手をやって考えていたシュラインが口を挟んだ。
「裕さん、あなた今、『二度も』って云ったわね?それはどういう意味なの」
そうだ。件の会社に注文し、初めてこの犬と逢ったのならばそんな台詞は出てこない。
裕は、シュラインの言葉で落ち着きを取り戻したのか、はぁと息を吐いた。
「…ロイは、僕が子供の頃から実家で飼っていた犬です」
その言葉を聞き、成る程と頷くのはゴドフリートだ。
「ようやく分かったぜ、何であんたがそこまでこの犬に執着するのかが、な」
どういうことよ、と聖羅が眉を潜めてゴドフリートを見る。
「つまり、この、件の会社に注文して送られてきた犬は、あんたが飼っていた犬に瓜二つだったっつぅことだろう。これは俺の推測になるんだが…その犬、死んじまったんじゃねぇのかい」
ゴドフリートの言葉で、聖羅とシュラインも成る程ね、といって頷く。
裕は目を伏せ、
「あなたの言う通りですよ。…ロイは、僕が高校にあがるまえに事故に遭ってこの世から居なくなりました。一人っ子だった僕にとって、兄弟同然に成長してきた犬でした。僕の目の前で、車に轢かれて」
「…そして今、そのロイくんにそっくりな犬がやって来たというわけね。…ただし、幽霊という形でだけど」
「そっくりなんてレベルじゃありません!」
シュラインの言葉を遮って裕が叫ぶ。
「そうだ、そっくりなんてレベルじゃない。ロイは…突然僕の隣にやってきた犬は、ロイそのものだった。仕草も、性格も、動作も、全てがロイだった。ロイがまた僕の隣にやってきてくれた…僕はそう思いました。聖羅さん、あなたが言ったような、恐怖や畏怖なんてこれっぽっちもありませんでした。その身体は今よりもっと透けていたけれど、ロイはロイで、僕にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった」
「でも…実際、あなたの顔は健康だとは云えないわ。そりゃ幸せそうだとは思うけど、明らかに体力や生命力が消耗されてるわよ」
「だから何度云ったら分かるんですか!僕のことは良いんです。それにあの会社の人が言っていた―…今は身体が透けているけれど、そのうちに『透けない体』になると。元に戻るから、と」
シュラインは、裕の言葉を聞いて目を丸くした。そして、鋭い目つきになり、裕を一瞥する。
「つまり…あなたは、全部知っていたということね」
裕の身体がピクリと動く。
「どういうこと?」
「聖羅ちゃん。この人はね、全部知っていて、今まで過ごしてきたのよ。ロイくんが幽霊だということも、件の会社が『人工的』にロイくんの幽霊を生み出したのも、自分の生命力が削られていくのも、ロイくんがそれと比例して『生前の姿に戻っていく』こともね」
「――――…じゃあ、あんたは」
「…知ってましたよ」
裕は哀しそうに笑う。
「ロイは死んだ。だから、今僕の隣にいるロイはロイであってそうでない。でも、僕はそれでも幸せだったんです!」
裕の叫びを聞き、彼女らの身体が強張る。
そこに口を開いたのはゴドフリートだった。
「裕さんよ。俺ぁ、あんたと同じ動物好きだから、あんたの気持ちは良ぅく分かるぜ。だかな―…そこまでロイのことが好きなら、ロイの気持ちも考えてやんな」
「…ゴドフリート…?」
聖羅とシュラインは訝しそうに彼の顔を見る。ゴドフリートは哀しそうな顔をしていた。まるでロイの心を映しているかのように。
「俺から見ても、その犬は幸せそうだよ。それだけご主人であるあんたのことが好きなんだろう。だが、その大好きなご主人が、己のせいで弱っていっていることを嬉しく感じていると思うか?確かにその犬は害を与える気なんぞこれっぽっちも無いだろう。だがな、幽霊っつうもんは、さっきそこのお嬢ちゃんも云ったとおり、『傍にいるだけで影響する』んだよ。そして、きっとロイもそのことは判ってる。犬の心を馬鹿にすんなよ、人間以上に、人の心の動きを察するんだ。俺にゃ判る。ロイは哀しいんだ」
そう言って、ゴドフリートはロイの頭を優しく撫でた。気持ち良さそうに目を細める。
「またご主人と一緒に居れて楽しいし、嬉しい。だけどもご主人が自分のせいで弱っていくのは哀しい。そんな苦しい葛藤を、お前さん、この犬にずっと背負わせる気か?」
「―――………」
裕は首をくっと上にあげ、目を閉じた。そしてまたゆっくりと首を元の位置に戻らせ、自嘲な笑いを溢した。
「…僕は駄目な飼い主ですね。…ロイの気持ちを察する余裕を、何処かに忘れてきてしまった」
「そんなこたねえよ、ロイは幸せな一生を生きたんだ。ご主人に愛されることが、犬にとって一等幸せなことなんだからよ」
そう笑って云って、ゴドフリートは裕の肩を叩いた。
そして裕は、真剣な目で、聖羅のほうを向いた。
「…ロイの成仏、お願いできますか」
聖羅は一瞬目を丸くして、それからフッと微笑んだ。
「…勿論」
聖羅はすっと立ち、ロイの傍に行ってしゃがんだ。ロイの頭をわしわしと撫で、優しい目でロイの瞳を覗き込む。
そして云った。
「…そろそろ眠りに行こうか。あたしが連れてってあげる」
聖羅の言葉がわかったのか、ロイは哀しそうに、少し嬉しそうに、目を細めた。
数日後。
いつものように、草間興信所で雑用の仕事に精を出しているシュラインに、零が云った。
「そうですか。それは、皆さんにも辛いお仕事させてしまったようですね」
「気にしなくていいわよ、零ちゃん。確かにちょっと哀しかったけど…仕方ないわよ。ねえ?」
そう、シュラインのデスクの周りに立っている二人に向けて云った。
「そうね。家に帰ったときに出迎えてくれる存在が居るってのはすごい嬉しいモン。あたしも一人暮らしだからよく分かるわ。でも、あれは間違ってると思うの。やっぱりね、人間の我が侭で、無理矢理眠りから呼び起こすみたいなこと、しちゃあ駄目よね」
聖羅の言葉に、うんうんと頷くゴドフリート。
「そうさなぁ、あのちっこい身体に、あんな苦しい葛藤抱えてたって思うと俺も遣り切れねえなあ。まぁ、また安らかに眠ってくれたと信じるしかねぇんだがな…」
「大丈夫よ、あの子は。だって強い子だもん」
聖羅はニッと笑って云った。
除霊を行うときに、否が応でも霊の心は伝わってくる。
だから聖羅は思ったのだ。あの子は大丈夫だ、と。
「だからね、きっと大丈夫」
そう笑って、二人の背中をポン、と叩いた。
無論のこと、それから何ヶ月が経っても、零が事務所に、件の会社の『自慢のシステム』を導入することは無かった。
完
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1024 / ゴドフリート・アルバレスト / 男/ 36 / 白バイ警官】
【1087 / 巫・聖羅 / 17 / 女 / 高校生兼『反魂屋(死人使い)』】
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■ ライター通信 ■
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今日和、瀬戸太一です。
今回は当依頼に参加して頂き、誠に有難う御座いました。
楽しんでいただければ幸いであります。
ではまた、何処かでお逢いできることを祈って…
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