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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:怪奇探偵欧州紀行 前編
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜6人

------<オープニング>--------------------------------------

 新宿の片隅。
 古ぼけたビルの一角で、男が電話をしていた。
 けっこうな長電話である。
 しかも国際電話だ。
 部下たちの殺人的な眼光で貫かれているのは、怪奇探偵の異名を持つ黒髪の男。
 草間武彦という。
「というわけで絵梨佳。ロンドンに三日ばかり滞在するから」
『おっけー☆ お父さんに言って宿を手配してもらうよー』
「よろしく頼む」
『でも、出発日から到着まで、ずいぶん間があるんだねー?』
「ちょっと先に寄るところがあってな」
『どこ?』
「セルビアだ」
『セルビア〜〜? なんだってそんなところに〜?』
「ちょっとな‥‥」
 言葉を濁す怪奇探偵。
 以前の絵梨佳ならしつこくしつこく詮索しただろう。
 だが、一応これでも成長しているようで、
『そっか。じゃ待ってるからー』
 と、言っただけだった。
 やがて通話を終えた草間が、ふたたび受話器を手に取る。
 こんどは市内通話だ。
 料金を気にする必要は、あまりない。
「あ、稲積? 俺だ俺」
 かける先は警視庁刑事部参事官室。
 稲積警視正の牙城である。
 むろん用件は、
「ちょっとヨーロッパ方面に出掛けようと思うんだ。それで資金と準備の方でお前さんの力を借りたいんだが」
 いっそ見事なまでの厚顔さである。
 易々と応える参事官も、充分にアレだが。
「貧乏人が全財産をなげうっても自分一人すら救えないさ。だが金持ちがわずかな小遣いを出せば何百人も救われるってもんだ」
 という草間のテツガクで正しいのだろうか。
 ともあれ、海外に赴くということになれば稲積の協力は絶対に必要になるのだ。
 持っていくものだって、かなり気を遣わなくてはいけないものなのだから。
「故郷に帰してやるからな‥‥イーゴラ」
 黒い瞳が、事務所の隅に置かれた骨箱を見つめる。
 冬のセルビアへ。
 ウェアキャットの少年にとって、最後の旅‥‥。






※旅行シナリオです。前後編に分かれています。
 どちらか一方に参加することも可能です。
 前編は、推理の要素はありません。
 ただし、状況によってはハンターとの戦いがあるかもしれません。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。

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怪奇探偵欧州紀行 前編

 老兵のスチーム暖房が、不満の声をあげながら暖気を送り出している。
 古ぼけたビル。
 古ぼけた探偵事務所。
 暦の上では春だというのに、冬の女王は頑固に居座り続けていた。
「みんな揃ってる?」
 シュライン・エマが口を開いた。
 事務所内を見回す。
 骨董屋の武神一樹と草壁さくら。
 絵本作家の那神化楽。
 大学生の斎裕也に女子高校生の巫聖羅。
 それに、興信所所長の草間武彦。
 皆、揃っている。
 出掛ける前に事務所に集合するなど、まるで修学旅行のようなノリであるが、これは仕方がない。
 行き先が海外では現地集合などできるわけもないからだ。
「じゃ、いきましょうか?」
「ちょっと待ってくれ。シュライン。もう一人くるんだ」
 怪奇探偵の言葉に、全員が小首をかしげる。
 予定では、この七人ですべてだったはずだが。
「こんにちは」
 明るい声が、戸口から響く。
 黒い髪と青い瞳。
 繊細な顔に微笑をたたえ、旅行鞄をもった少女がたたずんでいた。
 依頼者だろうか。
 タイミングの悪いことだ。
 何人かの者は、そう思ったかもしれない。
 だが、次の一言によって、困惑は驚愕へと劇的に変化を遂げる。
「初めまして。私、草間さんの隠し子で、アエリアって言います☆」
「ま、そういうわけだ。みんな、仲良くしてやってくれ」
 性質の悪い冗談に、草間が飛びついた。
 ぴくりと、シュラインと零の右眉があがる。
 むろん、草間が与太を飛ばしているのは一瞬で判る。
 判っていても、瞬間的に腹が立ってしまうのだ。
「判っていてやるのですから、草間さまも性質が悪いですねぇ」
 さくらがいった。
「それが草間の草間たる所以だからな」
 武神も同意する。
「それで喧嘩になっていたら、世話ないじゃん」
「俺はそんな無粋なことはしませんよ」
 女子高生とホストも会話を交わす。
「よろしければ、本当のことを教えていただけませんか? ええと、アエリアさん?」
 那神だけが、唯一建設的なことを言った。
 おそらく、黒髪の絵本作家には、まだジョークに付き合うだけの精神的な余裕がないのだろう。
「じつは、最近通っている喫茶店のウェイトレスでな」
 肩をすくめた怪奇探偵が説明を開始する。
 アエリア・G・セリオス。
 年齢は一四歳。
 ひょんなことから草間とうち解け、今回の旅行にも同行することになった。
「なるほど、な」
 最も理解力に優れた武神が、すぐに頷く。
 一四歳といえば、ロンドンで待つ絵梨佳と同年である。
 年長者だけで押しかけるよりは、歳の近い者がいた方がよかろう。
 同年配の友人というのは、貴重なものだ。
 もちろん、たったそれだけの理由で、怪奇探偵が少女をわざわざ伴うとは思えない。
 だから、
「絵梨佳が、日本に帰ってくるんだな? 草間」
 確認してみる。
 相変わらずの洞察力に探偵が両手をあげ、シュラインとさくらが目を丸くした。
「いつですか?!」
「なんで黙ってたのよ。武彦さん」
「いやぁ。本人の口から聞いた方が良いかと思ってな。四月だそうだ」
 絵梨佳の帰国に先立って、アエリアと対面させようという計画なのだ。
「それと、アエリアの淹れるコーヒーも絶品なんでな。ぜひ絵梨佳と味勝負させたくなって」
 悪戯小僧の表情を作る。
 仲間たちが呆れたように、あるいは納得したように微笑した。


 成田空港。
 ユーゴスラビア連邦共和国へと旅だってゆくジャンボ旅客機。
 寒風吹きすさぶ屋上から、見送る男がひとり。
「けっしてお邪魔はしませんよ。どうぞごゆっくり旅行をお楽しみください‥‥」
 古拙的な微笑が顔に刻まれていた。
 怪奇探偵と仲間たちが日本を離れる。
 一週間以上の長きに渡って。
 好機というべきであろう。
「帰ってきたとき何事が生じているか‥‥ふふふ‥‥お楽しみに」
 踵を返し、去ってゆく小柄な青年。
 名を、星間信人という。
 大学図書館の司書。
 それが表の顔だ。
 裏の顔は、武神やさくらをはじめとした幾人かが知っている。
 すなわち、
『邪神ハスターの使徒』
 である。

 しばらくして、草間興信所は多忙となった。
 所長の留守を狙ったかのように、怪奇事件の依頼が連続したからである。
 草間の代理を務める零は、スタッフの増強をかねて櫻月堂に電話したが無益だった。
 武神が経営する骨董品店も、異常なまでの忙しさに見舞われていたからだ。
 店主代理の蘭花が目を回している。
「なんだかタイミングが良すぎるような気がします」
 ごく微妙の不安をこめた零の呟き。
 だがその不安が的中するのは、もっとずっと後になってからであった。


 イーゴラと最も仲の良かったものといえば、やはり那神であろう。
 黒髪金瞳の絵本作家は、一番、獣人の少年になつかれていた。
 逆に、斎や聖羅やアエリアといった面々はイーゴラ少年と面識がなく、その死に関して直接的な罪悪感を感じることはないだろう。
 とはいえ、
「話にきくハンターとやら、俺の一番嫌いな人種です」
 という斎の言葉に嘘偽りはない。
 聖羅もアエリアも、年長者たちの平素とは異なった態度を敏感に感じ取っていた。
「できたら、イーゴラの両親の遺骨も回収してやりたかったな」
 やはり少年とは面識のなかった武神が呟く。
 恋人のさくらから、すべての事情は聞いているのだ。
 せめて両親とともに葬ってやりたい。
 調停者はそう考え、八方手を尽くしてイーゴラの両親の遺骨を探したが、ついに発見には至らなかった。
「たぶん‥‥ハンターたちが、持ち去ったか処分してしまったんでしょうね‥‥」
 シュラインの言葉も苦い。
 闇を狩る者と名乗るキリスト教の組織。
 価値観を共有せぬものを排除する狂信者の群れ。
 彼らが、狩った獣人の遺体をそのままにしておくとは考えられない。
 一般人の目に触れさせることも、まずありえないだろう。
 主観的には、正義の団体だからだ。
 この世にはびこる闇を、人知れず狩ってゆく。
「少年マンガの愛好家なら、格好いいとか思えるかもだけどねー」
 シニカルなことを聖羅が言った。
 判っているのかいないのか、アエリアが頷く。
 揺るぎない信念というものは、えてして視野狭窄を起こさせる。
 正義など、本来は人の数だけ存在するのだ。
 そして、どちらも譲れないからこそ戦争が起きる。
 人類の歴史に、正義と悪の戦いなどなかった。
 あったのは、主観的な善と主観的な善の戦いである。
 ハンターたちにはハンターたちの正義があるように、怪奇探偵には怪奇探偵の流儀がある。
 ハンターは排除を旨として、秩序を守ろうとする。
 怪奇探偵は受容を尊しとして、自由を謳歌しようとする。
 点対称の位置にあるこのふたつが、対立しないわけがない。
「俺は‥‥連中が世界のどこかで生きていたってかまわねぇがな‥‥それを拒んだのはヤツラだぜ‥‥」
 那神の口が、乱暴な言葉を発した。
 仲間たちの視線が集中する。
 一瞬の空白。
「あれ? いま俺、なにかいいましたか?」
 いつもの絵本作家だった。
 きょとんとした顔のアエリア。
 どうも、この興信所には不思議な人ばかりだ。
「楽しめそう」
 とは、内心の声である。
 少女の後ろ姿を見、さくらがごくわずかに微笑した。
 金色の髪が、異国の風に揺れる。
 千年になんなんとする時をふった妖狐には、少女の内心を推し量ることはさほど困難ではなかった。
 もちろん、口に出して咎めるつもりなどない。
 アエリアの肩にとまっている小さな天使が微笑を返した。
 これは、草間とシュラインを除いた全員に見えている。
「悪い子ではないですよ。きっと」
 斎がさくらに耳打ちした。
「そうですね。天使の加護を受けられているのですから」
 天使といえば、単純にキリスト教を想像することが多い。
 だが、イスラム教の聖典などにも、ちゃんと天使は登場する。
 したがって、少女がハンターと関連をもつ者と考えるのは、短絡的だった。
「さてと、行きますか」
 大事そうに骨箱を抱えたシュラインが言う。
 あまり治安の良い国ではないのだ。
 夜になる前に、ホテルを探さなくてはならない。
 軽く頷いた仲間たちが、あとに続く。


 セルビア共和国は、かつてユーゴスラビアの一部だった。
 そして、いまはユーゴスラビア連邦共和国の片翼である。
 一九九一年に、ユーゴスラビア崩壊し、スロヴェニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言するなか、セルビアとモンテネグロの二カ国が、新たに連邦共和国を誕生させたのだ。
 位置的にはセルビアはバルカン半島の中央部にあたる。
 神聖ローマ帝国が領有し、オスマン・トルコの軍勢が往来した因縁の地だ。
 オクシデント(西方ヨーロッパ世界)とオリエント(東方アジア世界)を結ぶ要衝であり、オーストリア・ハンガリー二重帝国の支配を受けたこともあった。
 そのなかで混血と文化交流がすすみ、各種の伝説や奇譚が産み落とされてゆく。
 イーゴラらの獣人伝説も、そのひとつだ。
 もともと、山岳地帯や森の中で静かに暮らしていた彼らの一族がキリスト教団に目をつけられたのは、第四次十字軍の頃だという。
 西暦の一二〇〇代だから、ざっと八〇〇年の昔だ。
 そこから、長い長い抑圧の歴史が始まる。
 迫害され、狩られ、逐われ。
 流れ流れてイーゴラとその両親は日本に辿り着いた。
 宗教に寛容、というより無関心な東の国である。
 安住の地。
 そう思ったかもしれない。
 だが、現実は彼らに歩み寄ってくれなかった。
 キリスト教団の偏見と弾圧は、極東の島国にまで及んでいたから。
「と、いう次第です」
 斎が語り終える。
 事前にある程度調べておいたのだ。
 そこから先は、あえて語る必要はなかった。
 アエリアが鼻をすすり上げ、聖羅がその肩を抱く。
 詳しい事情を知らない彼女らですらこうなのだから、イーゴラと直接面識のあった仲間たち心痛は、察するにあまりあるだろう。
「哀しいわね‥‥」
「はい‥‥」
 シュラインとさくらが、重い溜息をつく。
「死ななくては帰れない故郷‥‥か」
 武神の言葉もまた、深い闇になかにあった。
 いったいイーゴラになんの罪があったというのか。
 人ではない。
 ただそれだけ。
 それが追い回され殺されなくてはいけない理由だというのだろうか。
「でも‥‥それでもイーゴラくんは幸せな方なんですよね‥‥? 遺骨だけでも故郷に帰れたんですから‥‥」
 ぽつりと、那神が口を開く。
 固く握りしめた拳の中で、一房の遺髪が震えていた。
 抑えきれない激情ゆえ。
 言葉も、必死に自分を納得させようとして放ったものだ。
 ほとんどの獣人は闇から闇へと消され、遺骨すら回収できない。
 それに比すれば、イーゴラは友人たちの手で葬られ‥‥。
「‥‥それが、なんの慰めになる‥‥」
 ぞわりとした声が、絵本作家の口をこじ開けて出る。
 彼の心に宿る魔性の声だ。
 そう。
 なんの慰めにもならない。
 自分の心を偽ることは、他人を偽ることよりはるかに難しかった。
 少年は、死んで故郷になど帰りたくなかったはずだ。
 たとえ異国でも、生きていたかっただろう。
 草間興信所で、友に囲まれ、穏やかに時を過ごしたかったろう。
「‥‥俺たちがついていながら‥‥」
 金瞳の男の呟きは、少年に関わったものすべての心の表れだった。
 幾多の難事件怪事件を解決し、幾度もの死線をくぐってきた怪奇探偵とその仲間。
 万夫不当の強者たち。
 その彼らが側にいて、みすみすイーゴラを死なせてしまった。
 慢心だったのだろうか。
 自分がここにこうしていれば、事態を変えることができるかもしれない、と。
 アエリアの淹れてくれたコーヒーの芳香も、彼らの陰鬱な気分を完全に晴らすことはできなかった。
 重苦しい時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。


 どのくらいの時が経ったのか、ふいに、那神が席を立った。
「散歩に行ってくる‥‥」
 言い残して、部屋を出てゆく。
「ちょっと那神さん」
 シュラインが、押しとどめようとした。
 異国の深夜だから、という理由ではない。
 超聴覚を有する彼女にも聞こえていたのだ。
 闇の彼方から近づく足音が。
 と、シュラインの肩に手が置かれる。
 動かした視線の先には、調停者の頼もしい顔。
「さくら。斎。聖羅」
「わかっております」
「安んじて、お任せあれ」
「ま、仕方ないか」
 名を呼ばれた者たちが、口々にいって部屋を出る。
 仲間の暴走を抑え、迫り来るハンターどもを排除するために。
 本来なら武神自身が出向くところなのだが、残念ながら日本を離れては彼の能力は使えない。
 のこのこと出て行っても足手まといになるだけだ。
 だからこそ、信頼すべき仲間に委ねたのだ。
「一樹さん‥‥」
「大丈夫だ。あいつらだって判っている」
 深刻な顔で抽象的な会話をする大人たち。
 判っているのかいないのか、
「今度はハーブティーでもいれましょうか? 気分が落ち着きますよ」
 アエリアが微笑んだ。
 なんとなく、草間がこの少女を伴った理由がわかる気がする。
 賦活させてくれるのだ。
「そうだな」
「いただくわ」
 微苦笑をたたえ、青い目の美女と黒髪の美丈夫が言った。

 闇。
 街灯の光すら届かぬ闇から、声が聞こえる。
「幼き朋友(とも)のため‥‥高らかに鎮魂歌を詠おう‥‥」
 何かがハンターどもの至近をすり抜け、同時に吹き上がった血飛沫が、月光を浴びて輝いた。
「涙など‥‥死者に何の意味がある‥‥? 真に我が友の魂を安らげんものは‥‥」
 たたらを踏む狩人どもの前に、ふたたび疾風が舞う。
「‥‥血の報復」
 顔面を打ち砕かれ、眼球と脳漿を撒き散らしながら、愚かなる狩人の一人が倒れる。
 牙を剥きだして微笑する金瞳の男。
「‥‥我‥‥ここに誓わん‥‥」
 旋回する拳が、ハンターどもを打ちのめし。
 爪と牙が、縦横無尽に切り裂く。
「我が友の死は‥‥それと同量の血によってのみ贖われんことを‥‥」
 人間には、見ることすらできぬ速度で攻撃を繰り返す。
 むろん、ハンターも黙ってやられているだけではない。
 ファイティングナイフやボウガンが、次々と襲いかかる。
 だが、那神という肉体を支配する獣は、まったく意に介さなかった。
 自らも傷つくことすら、贖罪の一つであるかのように。
 打ちのめし、なぎ払い、蹴り砕く。
 一五名ほどいたハンターの、すでに半分ほどが戦闘不能であり、さらにその半分は息絶えている。
 金瞳の男は死神というより、まさに死そのものが具現化したような存在だった。
「そのくらいで、およしなさい。犬神の君」
 背後から、さくらの声がかかる。
 わざわざ、ある女性と同じ呼び方にしたのは、彼に冷静さを取り戻させるためだ。
 ぴくりと金瞳の男の動きが鈍化する。
 もちろんハンターどもは、この機を逃すような慈善家ではなかった。
 一斉に襲いかかる。
 だが、その進撃は、一瞬にも満たぬ時間で終わった。
 深紅に輝く無数の蝶と、死んだはずの仲間の死体がハンターどもに絡みつき、動きを封じる。
「イーゴラ君の最後の旅、血で汚すのはどうかと思いますよ」
「ま、ここは退くんだね」
 斎と聖羅であった。
 ふたりの特殊技能。
 神道の術と反魂の秘法だ。
「それとも全員、黄泉平坂に行ってみる?」
 女子高生が笑う。
 異界の邪神をも恐怖せしめた、あの微笑だ。
 狂信者ごときに、対抗できるものではない。
 わずかな睨み合いの後、ハンターたちは退却を始める。
 負傷者を抱え死体を担ぎ。
「おやおや。ずいぶん怖かったみたいですね」
 さくらが苦笑した。
「あんまり、嬉しくないけどね」
「まあまあ。聖羅さんは充分に魅力的ですよ」
 すくめてみせた女子高生の肩に、なれなれしくホストが手を置いた。
 黙然と、那神という名の男がたたずんでいる。


 結局、襲撃事件は一度しか起きなかった。
 それもほとんど襲撃未満に近いような出来事である。
 それよりも苦労したのは、イーゴラ少年の故郷の位置を特定することだ。
 シュライン、さくら、武神らが情報を集め、やっとのことで判ったときには、もう出発予定日は翌日に迫っていた。
 しかも、場所は山岳地帯。
 時間的にもぎりぎりのラインである。
 まあ、バルカン半島のバルカンというのは山という意味だから、このあたりの事情は全員が覚悟の上であるが。
 雪に閉ざされた山村を、風が凪いでゆく。
 どこまでも澄んだ青空に、小鳥が遊ぶ。
 静かな村だった。
 当然である。
 もうここには、誰も住んでいないのだから。
 さくらが集めた現地の妖の情報によれば、二ヶ月ほど前にハンターの攻撃に遭い全滅したらしい。
「ひどいものですね‥‥」
 アエリアが呟く。
 その言葉に、誰も反応しなかった。
 同意の仕草すら必要のないことだったから。
 雪をかき分け、共営墓地へと進む。
 ここにイーゴラたちの直系の父祖が瞑っているはずだ。
 あらかじめ用意したスコップで男衆が雪と土を掘る。
 しばらくして、小さな骨箱が安置された。
「こめんね‥‥イーゴラ。私、あなたたちの祈りの言葉、知らないの‥‥」
 シュラインの声。
 冷たい風が、探偵たちの間を回遊してゆく。
 少年の思いを運ぶように。

遠き別れに 耐えかねて
この高殿に のぼるかな
悲しむなかれ わが友よ
旅の衣を ととのえよ

 青い目の美女の唇が、静かに歌を刻みはじめる。
 島崎藤村の『惜別の歌』だ。
 興信所随一の歌手の声に応じて、所長もハミングをした。

別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を ながむれば
夢はずかしき 涙かな

 やや困惑した顔のアエリアの肩を叩き、聖羅も続いた。
 生前、ついにイーゴラと会えなかった二人である。
 だが、もし会っていたら良き友となっていたかもしれない。

君がさやけき 目の色も
君くれないの 唇も
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

 骨董屋のカップルも詠う。
 二つの世界を調停する男。
 人ならざる美女。
 小さき友のために。

君が優しき なぐさめも
君が楽しき うた声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ

 黙って聞いていた那神。強引に斎が肩を組んだ。
 もう、イーゴラに会えないわけではない。
 死者の還る場所は、いつも生者の胸のなかだ。
 いつか歳を取り、地下において再会するときまで、彼らは懸命に生きなくてはならない。
 それが、手向けだから。
 もしイーゴラの死によって、彼らの人生が悪い方に変わったとすれば、少年の死は無駄になってしまう。
 歌おう。
 逝ってしまった友のため。
 二度と同じ悲劇を繰り返さぬために。

 限りなく広がる蒼穹。
 少年の眠る約束の地に、祈りにも似た歌声が木霊していた。
 太陽が、黙ったまま見つめている。
 鎮魂の光を投げかけながら。








                          終わり



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1087/ 巫・聖羅     /女  / 17 / 高校生 反魂屋
  (かんなぎ・せいら)
0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0173/ 武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店主
  (たけがみ・かずき)
1311/ アエリア・G・セリオス/女/ 14 / ウェイトレス
  (あえりあ・じー・せりおす)
0164/ 斎・悠也     /男  / 21 / 大学生 ホスト
  (いつき・ゆうや)
0374/ 那神・化楽    /男  / 34 / 絵本作家
  (ながみ・けらく)

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
「怪奇探偵欧州紀行 前編」お届けいたします。
いかがだったでしょうか。
後編は、木曜日の予定です。
楽しんでいただけたら幸いです。

それでは、またお会いできることを祈って。