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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある夜の夢

 あたしは、いつも夢を見る。
 それがいつから始まったのかは、もう忘れてしまった。
 ……いや。
 忘れようと努力して、思い出さないようにしている……
 けれど……

 ……ミナミ……

 ああ……

 ……ミナミ……アタシノカワイイ……ミナミ……

 だめだ……
 今日もまた、やっぱりあいつは現われる。
 眠りに落ちてすぐか、あるいは目覚めるほんの数分前か……
 とにかく、あいつは毎日、あたしの前に現われる。
 クスクスと、完全に小馬鹿にしたような微笑と一緒に……

「…………」
 気がつくと、やっぱりいた。
 こちらの背中にぴったりと張り付いて、肩越しに笑っているあいつ……
「……離れなさい」
 と、言うと、
「イ・ヤ」
 人差し指で、頬をちょんとつつかれた。
「あなたね……」
 首に巻かれた手を引き剥がし、振り返る。
 そこには……
「こんばんわ、ミナミ」
 ニッコリと笑う、そいつがいる。
 黒い皮の上下に、切れ長の瞳。
 それらは全て、あたしの着ている服、あたしの顔と……良く似ていた。
 ただ、背中に生えた漆黒の翼と、真紅の髪の色、やや尖った耳だけが、自分とは大きく異なっている。
 それに……
「やだなぁ、もう、そんなに恐い顔しないでよ」
 と、微笑む顔は、とても人懐っこい表情だ。
 ……自分には、恐らくできまい。そう思う。
 彼女は、あたしの中に宿る魔女なのだ。
 なんであたしの中にいるのか、なんで毎晩夢の中に出てくるのか、目的はなんなのか……
 そんな事も、まるでわからない。
 あたしに似たこの彼女は、名前すら教えてくれないのだから。
「お話しよ、ミナミ」
 と、彼女は笑う。いつものように。
 逆らっても無駄なのは、もう十分過ぎる程にわかっていた。
 こちらの手を取り、クスクスと笑う彼女……
 何がそんなに楽しいんだろう……
「……で、今日はなんの話なの?」
「んー、そうね。ミナミってさ、芸能人で、しかも美人のクセに、スキャンダラスな噂がひとっつもないよね」
「……それが?」
「そんなんじゃ、だめだと思うわ。やっぱり芸能人たるもの、浮いた噂のひとつやふたつは社会に提供して、楽しませなきゃ。それも立派なエンターティナーの義務だと思うわけよ」
「ああそう。でもごめんなさい、あたしにはそういうの、向いてないわ」
「うん、知ってる。あはははは」
「……」
 明るく笑う彼女の前で、ため息をつくあたし。
 だいたい、いつもこんな感じだ。
 こちらを困らせるか、からかうかして、最後は明るく笑い飛ばす。
 向こうはそれがひどく楽しいらしいが……やられる方はたまったものではない。
「ねね、ミナミ」
「……なによ」
「最近、ちょっと疲れ気味だね。肌のツヤも、あんまり良くないよ」
「そう?」
「うん」
 コクリと頷く、彼女。
 確かに、そうかもしれない。
 ローズマーダーの全国ツアーが終わったのは3日前だし、その後も大して休まず、ラジオやTVの仕事に出ずっぱりだ。
 これでせめて、睡眠だけでも満足に取れれば幾分マシなのだが……
「美味しいものたくさん食べて、いっぱい寝ないとダメだぞ」
 ……なんて笑う、目の前の魔女。
 誰のせいでこっちの睡眠時間が足りていないのか……それを全てわかった上で言っているのだから、始末が悪い。まさに魔女だ。
「ふふ、そうやって疲れてばかりだと、また現実でミナミと会えるから、あたしはいいんだけどね」
「……よしてよ」
 顔をしかめる、あたし。
 こいつは、あたしの中で、あたしの”負の感情”を食べているらしい。
 怒り、妬み、恨み、蔑み……主にそんなものだ。さらに空腹や疲労なども”おいしい”などと言っている。
 そして、彼女がそれらのものを一定以上蓄えたとき、彼女は夢の中から現実の世界へと羽化してくるのだ。
 一旦そうなるともう最悪で、何を言おうがしようがあたしの中には戻らない。こちらの世界で、あたしの生活、周囲全てのものをいいように掻き回してくれる。
 あたしは……それが恐かった。
 あたしには決してできない事をやり、決して言えない事を言う、あたしと良く似た存在……
 そんなのは、とても耐えられない。いろいろな意味で……
「じゃあミナミ、歌って。いつものようにさ」
「……」
 請われて、あたしは静かに息を吸い込むと、それに従った。
 譜面がまだ書きかけの、バラード調のラブソング……
 他の者に聞かせるのは、これが初めての曲だ。
 ……彼女を鎮め、封じておく方法はただひとつ。
 それは──癒すこと。
 他の事と同じで、それが何故なのか、あたしは知らない。彼女も話してはくれない。
 しかし、確かにそれしか方法がないのは事実だった。
 歌い終わるまでの数分の間だけは、彼女は憎まれ口を叩かないし、小馬鹿にしたような表情も浮かべない。目を閉じ、ただじっと聞き入ってくれる。
 普段とは比べようもないほどの、素直で従順なお客さんになってくれる……
 やがて、あたしの声が余韻を残して消えていくと、
「……ありがと、ミナミ。大好きだよ……」
 あたしの身体をそっと抱きしめ、そう囁くのだ。

 RRRRRRRRRR……

 どこからか聞こえてくる、何かの音。
「……じゃあ、今日はもうお別れだね」
 彼女があたしから、すっと離れる。
「また明日ね、ミナミ……」
 だんだん、彼女の輪郭がぼやけていく。
 いや、それだけでなく、世界全体の色が滲み、砂のお城が崩れるみたいに、たよりなく消えていく……

 ……イツデモココデマッテルヨ……アタシダケノ……カワイイミナミ……

 そして……あたしの意識もまた、その場から……消えた……

 RRRRRRRRRR……

「う……」
 うめいて、目を開けるあたし。
 薄い光が、ブラインド越しにベッドまで届いている。
 ……どうやら、朝らしい。

 RRRRRRRRRR……

 あたしを眠りの世界から引っ張り出したのは、電話のベルだった。
 のろのろと手を伸ばし、とりあえず出る。
「……もしもし……ああ、京香。うん? 今日の練習? ああ、覚えてるってば……約束の時間までには間違いなく行くよ……え? 声が疲れてるって? そんな事ないよ。大丈夫。うん、うん、じゃあそういう事で、あとは向こうでね。わざわざありがとう。それじゃ」
 チン、と電話を置くと、とたんに部屋が静かになった。
 そのまま、またベッドにごろんと横になる。
 ……なんだか、身体が重い。
 寝不足のせいなのは、とうに分かっていた。彼女と夢の中で会うようになってから、満足に眠れたためしがないのだ。
 目をこすりかけて……ふと気がつく。
 爪が全て、真っ赤に染まっていた。
 寝る前にマニキュアを塗った覚えはないし、そもそもこんな色のものなど持ってはいない。
 ……彼女の仕業だった。
 お礼のつもりなのかもしれないが、ときどきこんな事をしてくれる。
 目にも鮮やかな、輝く赤……
 スタイリストの知人が、一体どこのメーカーのなんという銘柄かと、しつこいくらいに聞いてきた事もあった。
 それくらいの魅力を秘めた色だ。
「……やれやれ」
 薄く笑って、あたしは身体を起こす。
 電話をくれた親友のためにも、遅刻をするわけにはいかないだろう。
 それに、寝不足ならとうに慣れっこだ。

 自分でも不思議なのだが、あたしは夢の中の彼女の事が、それほど嫌いではなかった。
 ……なぜなのか?
 そんな事は、もちろん自分でもわからない。

■ END ■