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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬
 夜半に降り始めた絶え間ない雨に張られた幌を叩く雨音、アスファルトから響く低音と、カーラジオから流れるソプラノの高音とが混じり合わずに、けれど打ち消し合うわけでもなく、車内を満たす。
 助手席にゆったりと腰をかけ、車窓を流れる夜の風景に、阿雲紅緒は楽しげな視線を向けていた。
 薄い雨を銀幕はビルの間にぽつぽつとした明かり、遠くに固まる町の灯を映して人間の営みを告げる。
「いい雨だね」
「そうですか?酸が強いからボディ痛んでヤなんですよー。それに阿雲様のお車、クラシックのも多いじゃないですか。モノによっちゃ合金使ってないから痛まないよーに気を使いますよー。ま、自分に任せといてもらったら大丈夫ですけどねー」
車を愛するがあまりに整備や何やらの資格を網羅しているお抱え運転手、高級車を存分に扱える職場が楽しくて仕方ないらしい。
 ちなみに紅緒が車を出すように言うと、「今日はコイツが走りたがってるんで♪」と複数台の中から彼がチョイスし、雇い主に選択の権限は与えられない…その為、本日のお出迎えは情熱的に赤いアルファロメオに『卒業』ごっこをかます一幕があったりもした。
「坂本クン、ちょっと遠回りして帰ろーか?」
ハンドルを握って楽しげな運転手が、きっと尻尾があれば振りしきっていたろう喜色に満ちる。
「え?いーんスかッ?」
「いいとも。キミの好きな道を行ってくれたまえ。首都高で無鉄砲な若者にオトナの色気を教えるもよし、道なき道をひた走って新たなる世界を開拓するもよし、運転手がキミで車掌がボクだ。どこまでも着いていくよ」
「いや、それは別にいいです」
躁気の濃い雇用主の稚気に既に慣れきった様子で、坂本はきっぱりと否定する。
「うーん、坂本クンもオトナになっちゃったねぇ」
くすくすと笑いを洩らしながら、紅緒は夜目にも光を含むような金髪をかき上げてふと、ヘッドライトの領域の向こう、道の奥を深紅の瞳で眇め見た。
「坂本クン、気をつけて」
何を、と問い返す間もない。
 無灯火に闇から滑り出した黒塗りのベンツが、対向車線を割って飛び出した。
 酩酊走行かと思われる動きで四車線道路をジグザグに走る様に、坂本は咄嗟に正面衝突を避けるタイミングで蹴るようにブレーキを踏み込んで難を逃れる。
 その際に坂本が発した罵倒語に対する言及は避けるとしても、紅緒はすれ違う一瞬にベンツのフロント、有り得ざるべき場所に認めた人の姿に、ふむ、と軽い腕組みと眉を開いて、グレイのフランネルで仕立て上げられた背広の胸から携帯電話を取り出した。
 続くコールに期せずして、大事なお車に傷の一つもついてたら大変、と車外に出ていた坂本が慌てた様子でズボンのポケットを探り、携帯電話を取り出した。
「もしもし、坂本クン?ちょっと声が聞きたくなってさ。今時間大丈夫?」
にこやかな紅緒の言葉に、窓の向こうからうんざりとした視線が、携帯からはげんなりとした声が向けられる。
『阿雲様…』
「うん、今日電話したのは他でもないんだ。突然の事で驚くだろうと思うけどモノは相談でね、キミ、今お金持ってる?」
また何やら思いついた様子の紅緒に、用心深い坂本。
『…多少は』
「それじゃ、今日はもうここでいいから。タクシー呼んで帰ってね、お疲れ様、お休みなさい」
言いながら、紅緒は既に運転席に移動している。
『ちょっと…!』
坂本が制止する間もなく、アルファロメオは擦過音も激しく方向転換すると、今来た道を逆送してあっという間に視界から消えた。
 呆然と赤い車体を見送る坂本。
『坂本クン、ちょっと聞いてもいいかな?』
けれど、耳元からの声に電話がまだ繋がっている事に気付き、慌てて応じる。
『うん、ちょっと自信がなくなっただけなんだ。確認しといた方がいいかと思って…ブレーキって真ん中のペダルだったよね?』
坂本は声にならない悲鳴を上げた。


 多分、雇い主と車とを天秤にかけたら重量の分、車が有利に傾くお抱え運転手の心情とその身は路上に置き去った紅緒は、シフトをトップギアに入れる。
 フロントを拭うワイパーの向こうに蛇行するベンツの姿を程なく視認し、またその前方にはためく翼のような黒までも見て取り、にっこりと微笑んだ。
「うーんと…どーしよっかなー♪」
ご機嫌に片手ハンドルで、紅緒はチッチッチッ、と秒針を思わせるリズムで舌を打つ。
「親しき仲にも礼儀あり、ご挨拶は人間関係の基本にして潤滑剤だよねー」
パキリ、と音良く指を鳴らす。
 同時、車の上部を覆っていた合皮の幌の留め金が外れ、自体が意志を持つかのようにアコーディオン状にキレイに折り畳まれて後部所定のスペースにきっちりと納まった。
 雨は遠慮会釈なく革シートに点々と模様を作って自身にも降りかかるが、紅緒は意に介した風もなく。
「やっほーピュン・フー君久しぶり♪奇遇だね♪」
わざわざ追っかけといて、奇遇も何もあったもんじゃないのではないだろうか。
 人に有り得ざる…走行中の車のボンネットに片膝をついた黒衣の青年は、その呼び掛けに顔を上げ、ひらひらと手を振った。
「よぉ、紅緒。今幸せ?」
「キミに会えたからね♪楽しそうだな、ボクも混ぜてくれるかい?」
「いいぜ、紅緒、どっちにする?」
「可愛い子がいいなー…だからキミ♪」
「その組み合わせじゃワンペアずつで成立しねーだろー?中から選べ、中から!」
「だって格ゲーとかでも同キャラ色違いで対戦出来るし。ここはホワイト・ピュン・フーとゆー生き別れの弟でも出して劇的に盛り上げてみよう!」
「出ねぇよ!つか、なんで弟なんだよ!」
「ブラックが兄だとゆーのは開闢の頃からの鉄則だよ、世界の不変のルールだよ。各国の神話をベースに考えてみても…」
和やかな会話の進みっぷりに失念しそうになるが、車は変わらず走行中である。
 その間に話にだけ置き去られているベンツの内側、当然存在すべき運転手の方が楽しい会話に混ざろうと…したのではない。
 音なく開かれた遮光ガラス、その内側から覗いた銃口がオープンカーの前輪に向けて火を吹いた。
「おっとっと」
けれど紅緒の僅かに右に切られたハンドルに目的は達せず、チュインと甲高い音に徒にアスファルトを削るのみに止まる。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか!」
問いの形で断定的に、黒眼鏡の男が敵意を顕わにするに、紅緒は僅かに眉を寄せて記憶を探る表情をした。
「………あぁ、時々噂に聞くなんだかカルトな集団ね。ボク、そんなアブナイ連中の仲間に見える?」
満面の笑顔でそう問いを向けられれば、別の意味でアブナイ人に見える。
「そんじゃ、俺ってアブねーヤツ?」
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど…!」
己を指差すピュン・フーに吐き捨てられた言葉には悪意しかない。
 些か急な速度で車体を寄せるに、今度は紅緒自身に銃口が据えられる。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた裏切り者だ。与するならばお前も処分するぞ」
たとえ『虚無の境界』の関係者でなくとも、処分とやらの対象たり得る、言外の響きを黒眼鏡は口の端を歪めた。
「さもなければ、早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
「ふぅん…そっか、君は『IO2』の人なんだね」
相手が驚愕を拭えずに居る間に紅緒はクス、と小さく笑う。
「結構派手にドンパチやってるからね、君達。長く生きてると多少の情報はそれなりに耳に入って来るものさ」
向けられたままの銃口を微塵にも意に介さず、紅緒はピュン・フーに笑みかけるに、青年は眉を上げた…意固地に顔に乗ったままの円い黒眼鏡、その奥で真紅の瞳が色を深める。
「流石、謎の人の呼称は伊達じゃないってワケか…で、紅緒は何をどうするつもりでついて来てるワケ?」
「キミも色々厄介な事情があるようだけど…『虚無の境界』、『IO2』のどちらを取るかの二者択一を問われればボクの答えとしては勿論、『可愛い子を助ける』に決まってるよ?キミが何処の誰を裏切ろうとボクに関係ないし損もないし。栖ちゃん絡みならともかくも…だから、おいで」
片手を広げて助手席を示す。
 『IO2』の名を知るならば、社会の深奥にまで届く影響力も否が応にも承知の筈。そして組織が撲滅しようとしている『虚無の境界』についても。
 ピュン・フーは一瞬、呆気に取られたすぐ後、笑い出した。
「んじゃ遠慮なく手助けてもらおーかな♪」
その言が終わるを待たず、紅緒はアクセルを踏み込んだ。
 まるで申し合わせたかのように、ピュン・フーは陣取っていたベンツののボンネットを軽く蹴ると、ふわりと重力を感じさせない跳躍に中空に半身を捻り、示された席に納まる。
「で、何をどう手助ければいいのかな?」
その妙技に驚きを覚えた風もなく、紅緒が問うに「先にそれを確かめとくのが基本じゃん?」と苦笑したピュン・フーはさらりと言った。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
「じゃ、あの黒服君達をどうにかすればいいんでしょ。で、薬を奪う、と…何かつまんないくらい楽勝だなぁ…」
こちらもあっさりと流して心底つまらなさげに眉を八の字にする。
「ホラ、あいつ等も人生に多少の刺激は必要だろ?演出くらいは面白くしてやらねーと」
自然と追われる構図で、タイヤを狙っての狙撃を交わしながらの会話に危機感はない。
「あんまり車に傷をつけると、後でボクが坂本クンに叱られるんだけどなー。穏便に…」
紅緒のぼやきを聞いた訳でもなかろうが、流れ弾がバックミラーに放射状の罅割れを作った。
「…殺してもいいけど。それはキミの意見を聞いてみようか」
途端に意見を翻した紅緒に、ピュン・フーがくつくつと喉の奥で笑う。
「殺るのは簡単だけど、車と一緒にやっちまうと中の薬もパーだからな。まずは足を止めねーと」
「それなら簡単…」
言うなり、背後の迫っていたベンツが制動を失ってスピンした…というより、右前輪を支点に勢いよく一回転したと言うべきか。
 紅緒の意に、アスファルトが楔の如く、スピードに乗る四輪のひとつを縫い止めたのだ。
「ほら、止まった♪」
「流石謎の人、仕事が早い」
妙な感心の仕方をしつつの拍手に、紅緒は雨に濡れた前髪をかき上げつつまぁまぁ、と片掌を下に向けて賞賛を制する。
「今なら中の人も動けないみたいだから、薬を取るのも簡単だよね」
「あ、そーだな」
車外に出かけるピュン・フーに、だが紅緒はいつの間にやら黒のアタッシュケースを手にしてその合皮の表面をポンと叩いてみせた。
「本日はお時間が御座いませんので、ここに既にご用意してあります♪」
どこぞの3分間クッキングの物言いに、ピュン・フーは路面に足を滑らせた。


 黒のアタッシュケースに並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
「ホンモノだなぁ」
ピュン・フーが矯めつ眇めつ検分してしまうのも無理はない。
 時間も距離も、どう考えても紅緒に入手不可能な代物、あっさりと差し出せる筈もない。
 紅緒はにこにこと笑んだまま答えはしないが、自身を知覚した時から自然と行使出来る…大地を操る力と、近代に至って超能力と名付けられた力。
 それ等を駆使して…端的に言えば、車を足止める必要もなく奪えはしたのだが、バックミラーの報復らしい。
 薬さえ手に入れば用はない、と、とっとと現場を逃走し、今更ながらであるが雨避けに高架の下に車を止める。
「ま、お陰さんで寿命が延びた。こないだっからなんか借りてばっかな気がすっけど…そーいや、なんで紅緒まだ東京に居んの。死にたかった?」
思い出しついでに、心底不思議そうに問うに、紅緒は笑みを返した。
「言わなかったっけ?キミにボクは殺せないって」
「………試してみるか?」
対するピュン・フーが喜色を浮かべた…楽しげな表情を隠すように眼前に翳された手…無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
「それも楽しそうだね」
動じた様子もない紅緒に、ピュン・フーは軽く肩を竦めた。
「ンだよ、ちょっとはビビってくれたりしねーと面白くねーじゃん?」
「だってその程度は見慣れてるし」
紅緒の言にこそ、意表をつかれた風でピュン・フーは固形化した爪を風に散らすように崩して平素の形に戻し、その手で顔を覆うように笑った。
「さすがに普通じゃねぇなぁ」
ひとしきり笑って気が済んだのか、ピュン・フーはアタッシュケースを小脇に抱えて車を降りた。
「まぁ、その気になったらいつでも言ってくれ。下手に苦しめたりしねぇから」
「だから無理だって」
紅緒のたたみ掛けに、けれど歩み去るピュン・フーは背を向けたままヒラと片手を振って別れの挨拶に代え、その姿は闇に溶けた。
 残された紅緒はハンドルに腕をかけ、その上に頬を乗せた。
「それにしても…いつものことだけど、この街は本当に騒がしいねぇ?」
耳を澄まさずとも、その身を包む、街の営み、種の息吹…眠らない、命の気配。
「だからボクが居られるんだけど……今回も又、見届ける羽目になるんだろう、ね」
いつもの陽気さが影を潜め、自嘲を秘めた独言に何を、と問いを向ける存在はなく。
 紅緒は、諦めに似た虚を宿した深紅の瞳を静かに閉じた。