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<東京怪談ノベル(シングル)>


Sound of Silence

  …………凛
              臨
   …稟
      ………燐

                ……鈴!

 擾々(じょうじょう)とした、金輪の音が響いている。
 新宿・大久保。
 あらゆる――内外、どちらの意味でもある――人種と生活を、その雑多な空間に内包する街。
 操と鬱とが混ざり合った、熱気に満ちながらも重たい空気を漂わす……生の坩堝。
 灰色の街の空を吹き荒さぶ、二月の風は、ただ寒い。
 ちぎれた雲は乱れ髪のように、ただ吹かれ、浮かんでいる。
 コンクリートの地面には、昨日までの雨が染み。
 冷えた水の匂いが鼻に突く。
 ……そんな街の片隅から、何か聞こえてくる。
 耳を済ませば、誰にでも聞こえる。
 それは確かに、禮々(れいれい)と鳴り響いている。
 Sound of Silence――



  ……鈴!

  "聞こえているのか"

  ……鈴!



 頭に直接投げ掛けられるような声に――しかし、彼は何言も返すことはしない。
 ただ、目を閉じながらに、鈴を鳴らし続けるだけ。
 抜剣百鬼(ぬぼこ・びゃっき)。
 僧侶である。
 その類稀なる骨格の元に鍛えぬかれたのであろう身体は、大きな存在感を醸し出している。
 節々の切り立ちが印象的な僧衣を身に着けており、顔まで隠れてしまうほどの、大きな竹編みの笠を被っている。
 左手に小さな椀を持ち、右手には装飾が特徴的な長物――錫の鉄杖を握っていた。



  ――鈴。



 その杖から、音がしているようであった。



  …綸
         Ring!!
    ――淋

              ……鈴!



 特定の拍子にあわせ、小刻みに揺らしている。
 鈍く乾ききった街並みに、その音はあまりに心地よい。
 誰もがその音に気付いている。
 そ知らぬふりをして通り過ぎて行く者もいれば、足を止める者もいる。
 大きな手が持つ小さな椀に、いくばくかの施しを添えて行く者もいれば、それで飽き足らず、その音をかき鳴らす主に言葉を投げかける――そんな者もいる。
 誰かが思うよりも、この街は優しいのかも知れなかった。

  "人の心の挙げる声を……聞くことが出来ているのか"

 しまりの良い表情。
 瞳は閉じている。
 唇は……微動だにしない。
 はたして息をしているのか。
 そうとも疑われ兼ねない程に、彼の姿は、どこか掴みどころにかける。
 ……春天の雲の如くに、ただ茫洋としている。 
 それは、彼を天然自然たらしめるものであり、それでいながら、彼をどこか異質たらしめている。

 「ていうか〜、これって〜、タクハツ、っていうんだっけ〜?」
 彼は肯く。

 「ぼんさん、景気いいかい?」
 彼は首をかしげる。

 「あ、あの……このチョコレート……受けとって……もらえま、せん……か?」
 彼は微笑する。

 「Oh!! You are Japanese Priestネ?」
 彼は頷く。

 「オッサン、そんなちっこい御椀で足りんの?」
 彼は首を捻る。

 椀の中には様々なものが放り込まれていく。
 硬貨。
 紙幣。
 外貨。
 コンドーム。
 茶菓子。
 キセルした切符。
 吸われていない煙草。
 どれもが、人の手から委ねられたものだ。



  …………鈴。



 椀がいっぱいになったところで、金輪の音は止む。

 "聞くことは誰にでも出来る"

 誰でもない、己が己に対して問う問い。

 "だが、声に、応えることは出来るのか?"

 己は全能ではない。
 己に及びはもちろんのこと、お呼びも付かぬことは多々有る。
 そのことだけ、悟った気がしている。

 "それはまさに仏陀しかり、釈迦しかり――切支人(キリスト)しかり。しかし己は己でしかない"

 あらゆる何かに対して、何か出来るという考え方は、時として傲慢なのかも知れない――彼は想う。
 しかし、それでも良い、とも考えている。

「おつかれっ」
「……ああ」

 目の前に立つ想い人。
 そして、己に何らかの繋がりを感じている、多くの人たち。
 せめて、彼らの心の声だけでも、聞くことは出来ないのだろうか――そんなことを漠然と想った。

 ……既にそれが出来ていることに気付かないのは、未だ彼が若い故だ。



   ――鈴。


 確かにその声は聞こえている。


                     ――Sound of Silence.