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<東京怪談ノベル(シングル)>


細腕繁盛記への道

 郊外の静かな場所にたたずむ小さな古本屋、極光。
 その入口のカウベルが涼やかな音を立てたのは、とある日の夕刻であった。
 昼と夜の境であり、そのどちらにも属さないあやふやな時間……
 人は古来より、その時刻をこのように表現してきた。
 ──逢魔が時。
 闇に潜みし人ならぬものどもが目を覚まし、世に災いを成すのは、この時刻だと伝えられてきたのである。
「……お邪魔するわよ」
 声を投げかけた主の影が、薄暗い店内に長く伸びる。
 逆光の中でも、知的な光を放つ瞳が左右に振られ、内部を見回した。碇麗香だ。
 その動きが、ふと一点で止まる。
 古書をはじめ、古今東西のありとあらゆる珍品、魔品、妖品がこれでもかと並べられた店内のほぼ中央で、何かがゆらゆらと揺れている。
 目を細め、数歩近づいてみると……それは面だった。般若だ。かなりの年代物らしく、黒光りする表面の漆も所々剥げている。
 が、問題はそんな事ではなかった。
 ……浮いているのだ。
 確かに何の支えもなく、ふよふよに空中に漂っている。
「……」
 言葉を失う麗香だったが、さすがにオカルト雑誌の編集長だけあって、すぐにカメラを取り出すと、ファインダーをそれへと向け、構える。
 ……しかし、シャッターを切るには至らなかった。

 ……欲しい……

 妖々とした声が陰鬱に流れ、ゆっくりと面が彼女へと近づいてきたからだ。
「……え?」
 思わずカメラから目を離し、一歩後ろに下がってしまう。

 ……欲しい……お前のその顔が欲しい……

 般若の目の奥に、ぼうっと赤い光が浮かび上がる。
 さすがに、これはただ事ではないだろう。
 とはいえ、
 ……参ったわね……商品に欲しいって言われるとは思わなかったわ。普通、逆じゃないのかしら……
 麗香は麗香でそんな事を考えていたから、こちらも普通ではない。
 インタビューを試みて、うまく行けば来月号の記事に……とか、ふと思った時、
「えい」
 静かな声と共に、バサリと白い網が面へと被せられた。
「……あら」
 麗香が、その人物へと目を向ける。
「いらっしゃいませ。お待ち申し上げておりました、碇様」
 そこに、1人の麗人が立っていた。
 腰まで届く黒髪は、黒曜石のような輝きを持って、薄暗い中でも輝いているかのようだ。
 対照的に、青磁の如き白い肌と、深い色の瞳……
 この店の主にして、大いなる真理の探究者、ステラ・ミラである。
 麗香に対してうやうやしく一礼すると、手にした虫取り網をたぐり寄せ、網の口をぎゅっと押さえる。
 閉じ込められた面がしばらくモコモコ動いて、抵抗の意思を見せたが……
「お静かになさい。お客様の前ですよ」
 感情の薄い声にたしなめられて、すぐにおとなしくなった。
「……それ、なんなの?」
 と、尋ねる麗香。
「肉付きの面です。福井県のとある古いお寺が出所らしいのですが……先日たまたまインターネットのうらびれたオークションサイトで売られているのを見かけまして。どうやら本物だったようですね。なかなか良い買い物だったかと、はい」
「そう……」
 説明に頷き、じっと麗香が網を見る。
「お願いがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「そのオークションサイトのURL、是非教えてちょうだい」
「……はあ」
 編集長の目は、本気であった。


 本日麗香がここを訪れた理由は、より良き誌面作りのための参考資料を探すという名目だった。
 そういう意味では、この「極光」はまさにうってつけのワンダーランドと言える。
 アンティーク調の樫の木のテーブルに向かい合って座り、やがて話し始める両者。
「……で、どうかしら? なにかお勧めの面白いもの、ある? 誌面のマンネリ化を防ぐためにも、あまりメジャーじゃないものなんか、いいんだけど」
「そうですね、では……」
 ステラが頷いて、どこからか品を取り出すと、トン、とテーブルの上に置いた。
「……なにこれ?」
 麗香の眉が寄る。
 それは、縦の長さが60センチほどの、おおぶりの亀の甲羅だ。
「殷王朝時代に用いられていた、卜占の道具だそうです。亀甲や牛骨を焼き、その時に生じるひび割れを見て吉凶を判断したとか。当事はこれによって、国政も行われていたと聞きます」
「殷って……紀元前の古代王朝じゃない。本物なの?」
「はい、そのはずです」
「……ふうん」
 隅々まで見渡し、最後によいしょと裏返すと、麗香の目が光った。
「……何か文字が掘ってある。これって、いわゆる甲骨文字ってやつよね。確か、漢字の大元になったっていう……」
「ええ、その通りです。占いの内容、及びその結果を記すのが慣わしだったようですね」
「そっか……ねえ、これ読める?」
「はい、なんとか」
「なんて書いてあるの?」
「……」
 問われて、ステラの指が最初の文字をさした。それが文を追って動き始めるのと同時に、彼女の口も言葉を発する。
「──貴方は僕の太陽だ」
「…………は?」
「一目見たその時から、僕は君という太陽の周りを巡る惑星になってしまった。ああ、この気持ちをなんと表現すればいいのだろう。今にも胸を焦がさんとする想いは灼熱のマグマのようで……」
「……も、もういいわ」
 滔々と語られる愛の言葉に、思わず彼女のメガネもずり落ちる。
「……興味深いですね。殷の時代に、既に地動説があったとは」
「そうね……」
 根本的な問題は絶対そこじゃないと思ったが、口には出さなかった。
「何か他のもの、ある?」
「はあ、それでは……このようなものは如何でしょう? 同じく古代文字の文献なのですが」
「……文献、なの? それが?」
 次に差し出されたものを見て、彼女がそう口にした。
 ステラの手にあるのは、どうみても単なる長い紐だったからだ。
 1本の長い紐に、短い紐が無数に結び付けられ、一見するとすだれのようにも見える。
 垂れ下がっている方の紐は微妙に長さがまちまちで、それぞれいくつかの結び目があった。
「インカ帝国で用いられていたキープという紐文字です」
 と、ステラが説明する。
「……へえ、それがそうなんだ。聞いたことくらいはあるわね」
「読みますか?」
「え? それも分かるの?」
「はい」
 コクリと頷くと、テーブルに置き、手が結び目を追い始めた。
 ……確か、現代でも解明されてない文字のひとつだと思ったけど……
 そんな事を思い出す麗香だったが、とりあえず黙って聞く事にする。
「──この泥棒猫、今度という今度こそ、許しゃしないよ」
「…………」
「よくもうちの亭主をたらしこんでくれたね、このあばずれ女。こうなりゃ決闘だ。明日の夜明けにマチュピチュで待ってるよ。もし来なかったら、国中にお前の悪い噂を言いふらして……」
「……あ、ありがとう。そのくらいで結構よ」
 無表情に語られる内容は、あまりにもセンセーショナルだ。研究者が聞いたら卒倒しかねない。
 その他にも、聖徳太子の1万年分にも及ぶ預言書とされる旧辞の写本やら、聞いたものに真実を語るというアステカの青銅の首、聞いたものは生物ばかりか無生物まで踊り出すというノルウェーに伝わるエルフ王のヴァイオリンだのと、とんでもない品々が続々と麗香の前に並べられ……
「…………」
 しまいには声をなくして、背もたれに深く身を預けてため息をついてしまう彼女であった。
 ここに来れば色々と面白いものが見れると風の噂には聞いていたが……ありとあらゆる意味で面白すぎる。完全に自分の想像を上回っていた。
 オカルト雑誌の記事なんて、胡散臭いくらいがちょうどいいのだが、そのレベルを遥かに超えた逸品揃いだ。
「……なにやらお疲れのご様子ですね。よろしければこちらでもお飲みください」
 と、ステラが麗香の前にひとつのグラスを差し出した。
 シンプルなデザインのワイングラスに注がれた、緋色の液体。
 なんとも言えない深い色合いと芳醇な香りに、麗香はふと手にとって、しげしげとそれを眺める。
「……ワインかしら?」
「いえ、中身はこれです」
 静かな声と共にテーブルに置かれた瓶を目にして……麗香の表情が凍りついた。
 梅酒でも漬けるような広い口の容器の中に、これと同じ色の液体が満たされている。
 ただ、底に沈んでいるものが問題だった。
 どうみても……何かの生物の一部であり、しかも……
「北欧神話の英雄、シグルズが倒したとされる巨龍ファーブニルの心臓を芋焼酎に漬け込んだものです。滋養強壮には最高ですよ」
「……そう……」
 コトリと、グラスがテーブルの上に戻される。
「せっかくだけど、私はいいわ。貴方が飲んで」
「いえあの、お気持ちはありがたいのですが……さすがにこれは、なんといいますか……その、少々気持ちが悪いですので、はい」
「…………」
 だったら、なんで私に勧めるのだろう……
 そう聞いてやりたかったが、やめておいた。なんと説明されるのか、少々恐い気もする。
「あの、こちらからも少々お聞きしたい事もあるのですが……よろしいでしょうか?」
「私に?」
「はい」
「……何かしら?」
 ステラの瞳にじっと見つめられ、思わず緊張する麗香。
 この女性がいったい自分に何を尋ねたいというのか……見当もつかない。
 やがて、ステラは静かにこう言った。
「お客様に喜んで頂ける経営学について、是非碇様のご意見をお聞かせ願いたいのです」
「……経営学?」
 ステラの言葉を胸の中で反芻して……意訳を試みる。
「つまり、商売繁盛のアドバイスが欲しいって事かしら?」
「……ありていに言えば、そうなるでしょうか」
 と、無表情のままで頷くステラだ。
「そうねえ……」
 なんとなく、麗香が店内を見回した。
 今も自分の他に来客はなく、お世辞にも繁盛している店とは思えない。
 確かに明りはついているのに、妙に薄暗さを感じるのは、気のせいだろうか。
 それに、姿などないのに無数の視線が自分に注がれているのを感じる。
 店内にひしめく怪しすぎる品々に、どこか超然とした美貌の女店主……
 ……問題はかなり色々とありそうだ。しかし、全部指摘していたらキリがない。
「品物を買ってくれたお客さんに、期間限定で何かサービスをしたらどうかしら? プレゼントをするとか、抽選でどこかに招待するとか……ありきたりかもしれないけど」
 やや考えて、当り障りのない返答を返す麗香だった。
 ステラはというと、羊皮紙に羽ペンで、彼女の言葉を熱心にメモしている。
「プレゼントというと……やはりロズウェル事件で墜落したとされるUFOの破片とか、そういうものがよろしいでしょうか?」
「……ええと……なるべくなら、もっと可愛いものがいいと思うわ。女の子受けしそうなものの方が、オカルトグッズとしては喜ばれるでしょうし」
「なるほど、可愛いもの、と」
 麗香の言葉を、ステラが丁寧に書き止める。
「どこかに招待するとおっしゃられましたが……例えば死せる都ルルイエですとか、ギゼーの大ピラミッドでまだ発見されていない”本物の”秘密の部屋ですとか……そんな場所がよろしいのでしょうか?」
「……いえ、もっと近場でいいと思うわ」
「では……ええと、熱川バナナワニ園などいかがでしょう?」
「なんでいきなりそこの名前が出てくるのかわからないけど……まあ、いいんじゃない」
「恐れ入ります」
 ステラの手が動き、サラサラとメモを書き連ねていく。チラリと見たが、麗香には理解不能の文字だった。
「さすがですね、碇様」
 ふと、そのステラが言う。
「月刊アトラスの女帝、敏腕鬼女編集長の通り名は、まさに噂通りです。支配され、隷属している編集者の方々も、さぞや心酔している事でしょう」
「……誰が言ったの、そんな事」
「はあ、まあその……色々と」
「……ふうん」
 いくつかの顔が浮かんでは消え、戻ったら覚えてろ、と、心に誓う。
 その中でも、特に1人の男の姿が強くイメージされ……自然と彼女は短く息を吐いた。
「心酔してくれるのは結構だけど、中には迷惑なのもいるわよ」
「いえ、そんな事はありません」
「え?」
 そう言われてステラを見ると、じっとこちらを見ていた。
「あの方は只者ではありません。常人ならば既に何度となく死んでいる程の危機に陥りながら、全てを乗り切り、未だに生を享受しています。もはや自然のエントロピーからも外れた、恐るべき悪運です。ある意味人類という名の種族の可能性を生きながらに示している稀有な例と言えるかと」
「……かもね。どこかの研究機関で徹底的に調べてもらった方がいいかもしれないわ。で、死んだら剥製にして、大英博物館にでも寄贈しましょう」
「私もそれがいいと思います」
 真面目な顔で頷き合う2人であった。
 ……ここで語られる人物が誰なのかは、あえて記さないが……三下が聞いたらたぶん泣くだろう。
 それからも、しばし女性2人は語り合い、有意義なひとときを過ごした。

「さて、ではそろそろ編集部に戻るわ。すっかり長居しちゃってごめんなさい」
「いえ、こちらこそ、なんのお構いもできませんで」
「貴女の話、とても参考になったわ。そうだ、よかったら、うちの雑誌に何か記事を書いてくれないかしら」
「私が……ですか?」
「そう、もしよければだけど」
「それはとても光栄です。私などで構わないのでしたら、是非」
「じゃあ、決まりね」
 女性2人の手が、がっちりと組み合わされた。
「原稿ができたら、編集部までお願いね。内容はまかせるから。それじゃ」
 最後にそう告げ、別れの挨拶を交わすと、麗香が店を出ていく。
 しばし、その後姿をじっと見送っていたステラだったが……
『……よろしいのですか? そのように簡単に引き受けたりなどして』
 ひとつの声が、彼女へと投げかけられる。
 奥から姿を現したのは……白い毛並みを持った、美しい獣だ。
 中型犬サイズの狼だが、正体は狼ではない。名前はオーロラ。ステラの忠実なる下僕にして、頼りになるパートナーである。
「ええ、碇様には、たいへんためになるお話を伺いました。受けた恩は、全力をもって返さねばなりません。それが人の世の礼節というものです」
『……いえ、あの、ほどほどにした方がよろしいかと思うのですが……』
「何故です?」
『それは……』
 説明しても、おそらくはわかってもらえまい。オーロラはそう判断し、小さく嘆息した。
「さて、ではこうしてはいられません。早速執筆にかかることにしましょう」
『題材はどのようになさるのですか?』
「そうですね……読む者の命を根こそぎ奪い取るという、魔王アスモデウスの毒の言葉とか」
『……読者の命をおびやかしてどうするのです』
「では、バチカン法王庁がひた隠しにするファチマ第三の予言の内容とか」
『……アトラス編集部に法王庁本部から宗教暗殺部隊が派遣されますよ』
「ふむ、ではどうしましょう」
『お願いですから、この極東の地から世界の終末がはじまるような事は避けてください』
「わかりました、では……」
 と、新たな羊皮紙に何かを書き始めるステラ。
『……』
 オーロラがそれを脇から覗き込み……顔を引きつらせ、静かに首を振るのだった。

 翌日にステラがオーロラを連れて、原稿をアトラス編集部に届けに行く事になるのだが……
 その日から3日間、編集部の機能は完全にストップする事になる。
 一体、何があったのか……
 問われても、皆青い顔をするばかりで、誰一人語るものがいなかったそうだ。

■ END ■