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<東京怪談ノベル(シングル)>


温泉湯けむり・猿の章

 ぴちゃん。

 静けさの中に響く、湯の雫の音色。
 深い山の奥にある小さな隠れ宿。旅の途中で見つけた、鄙びた古い民宿だ。
 仕事の帰り。疲れきった体を引きずり、少しでも早く身を休めたいと訪ねた宿であった。
「まさか、こんなに素敵な露天風呂があるなんて思いもしませんでしたね‥‥」
 ファルナ・新宮(−・しんぐう)は、ブロンドの美しい長い髪を湯に広げつつ、少しぬるめの温泉に肩まで浸かり、息を吐く。
 彼女の声に脱衣所の方に立っていた「強襲護衛メイドゴーレム」が首を向ける。
 ゴーレムの彼女は口こそきかないが、湯煙の向こうで主人が疲れを癒すのを、優しく見守っているような気がする。
「‥‥ふぅ」
 ファルナはもう一つ溜息をつく。
 柔らかいすべすべとした湯が、彼女の白い肌をよりいっそうなめらかにするようだ。このお湯は肌にもいいのだろう。
 それにどこか甘い香りもして、なんて心地よい。 
 けれどその時。
「‥‥!」
 視線?
 ファルナは身を抱くように露天風呂の岩の上にあったタオルを取り、体の前を覆った。
 露天風呂の向こう側。風呂を囲む竹林の中から、粘つくような視線を感じたような。
「‥‥気の‥‥せいでしょうか」
 不安を表情に浮かべ、ファルナは身を小さくする。けれど、この人も滅多に立ち寄らないような隠れ里。覗きも何もあるまい。
「‥‥」
 うん。気のせい。気のせいに決まっている。
 ファルナが気を取り直して、再び微笑みを取り戻したとき。
 ウキ。ウキキキキキ。
 変な高音が辺りに響いた。
 鳥の声?
 否。
 こっそり竹林を岩陰から覗いたファルナの視線に、茶色の毛むくじゃらな影がある。
「‥‥あれは‥‥」
 顔とお尻を赤く染めた、茶色の猿たち。
 何匹かの群れが、てくてくと二本足で立ち、温泉の方へと近づいてくるのだ。そして、露天風呂の淵まで立つと、次々と温泉の中に飛び込んでくる。
「‥‥」
 ファルナは瞬きをしながら、その様子を黙って見守る。猿たちは同じ露天風呂の中で、ウキキ、と鳴きながら、リラックスしている様子である。
 ふと、一匹の猿と視線があった。
「‥‥ウキ?」
「あは‥‥こんにちわです〜」
 引きつりながらファルナが微笑むと、猿もニィと白い歯を見せた後、泳ぐように水をかきわけ近づいてきた。
 そして、ファルナの持つ白いタオルを奪うと、自分の胸を押さえ、ポーズの真似をする。
「あわっ‥‥あ、駄目です〜、返してください〜」
「ウキキキっ」
 湯船から立ち上がるファルナ。猿は面白そうにファルナが追うのも気にとめず、タオルを持って、仲間達の元に逃げて行く。
「いけません〜。返してくださいです〜」
 猿達の合間に駆けいり、逃げる猿を追うファルナ。
猿たちはキャッキャッと声を上げ、湯の中で飛び跳ね始めた。とても友好的、否、騒動しいのが好きな猿達のようだ。
「きゃあっ」
 飛び跳ねる猿達の水しぶきをよけながら、ファルナは右に左に飛び跳ねつつ、タオルを振り回す猿を追う。
 猿はファルナが追いつくのを待つように、間を保ちながら、ぴょんぴょんと悪戯に駆けているのだが、周りの湯をバシャバシャと激しく叩かれて、水しぶきを浴びつつ走るファルナにはそれに気付くゆとりもない。
「待ってくださ〜い〜っっ」
 風呂場の端の竹の垣根。その上で、猿は自分のおしりをたたきつつ、キキキっと笑う。
「も〜。怒りますよぉ」
 ようやくファルナの手がその猿に届きそうになった時。
 猿は垣根の上から飛び跳ねて、ファルナの白い滑らかな背中の上に飛び乗り、強く蹴る。
「きゃああっ」
 バタン。バタバタバタバタ。
 すさまじい騒音を立てて、竹の垣根はひっくり返り、ファルナはその上に倒れて額をいささか強く打った。
「‥いったぁ‥‥い」
 額を撫でながら、ファルナはよろよろと身を起こした。
 その目の前に広がるのは、大きなお風呂。
「‥‥え?」
 きょとんとするファルナ。そしてその風呂には、二人の眼鏡をかけた青年。
「‥‥だ、大丈夫か?」
 視線に困りつつも、爽やかに背の高い方が手を伸ばす。
「‥‥きゃあああああああああっっ」
 山間に轟くような高い悲鳴を上げ、ファルナは両手で胸を隠す。隠しきれないふくよかな曲線に、青年たちの目はぎょっと見開かれた。
 その視線を痛いほど感じつつも、ファルナも退こうにも逃げようにも、隠すものがないから動くことも出来ない。
 白い滑らかな肌を全身真っ赤に上気させながら、ファルナはうずくまり、小さな声でぼそぼそと呟いた。
「‥‥お願いです〜‥‥タオルをください〜〜」
「‥‥あっ、そ、そうだなっ。もってきてくれ」
「ぼ、ぼ、ぼくが〜?」
 青年の一人がもう一人に命じて、タオルを取りに行かせる。
 青年はファルナを気遣い、背中を向けて、他の温泉客の視線から庇ってくれた。逞しい腰にまかれた白タオルが光っている。
「‥‥あ、ありがとうございます〜」
「いや‥‥すぐにタオルが来る筈だからな」
 と誠実な返事を返した彼の、その足元にさっきの猿がキキキと笑って、青年の腰のタオルを奪っていく。
「わーっっ!!」
「きゃーーーっっ!!」
 温泉場に再び悲鳴が二つ轟いた。

 その後、温泉宿の露天風呂には、小さな縦書きがされるようになった。
 『悪戯猿には気をつけてください』

「もう遅いです〜」
 可愛らしく頬を膨らませ、浴衣姿でその看板を見下ろすファルナ。
 山の宿の夜は、それからゆっくりと更けて行くのであった。 

                          ちゃんちゃん♪