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<東京怪談ノベル(シングル)>


たとえば、こんな休日
 雲ひとつなく綺麗な星の瞬く夜空には、ぽっかりと丸い月が浮かんでいた。
 窓のすぐ下を川が流れており、サワサワと心地よい音が聞こえてくる。
 その水音と一緒に、窓辺に座る御崎月斗の後方から、すやすやと気持ちよさそうな寝息がふたつほど耳に届いて、少年は振り返った。
(なんだ……さっきまで大騒ぎしてたと思ったら、疲れて眠っちまったのか)
 同じ格好で眠りについた弟たちの姿に、思わず微苦笑を浮かべて、掛け布団をとりに立ち上がる。

 小学生ながらも、生まれ持った陰陽術を用いて退魔の仕事を請け負う月斗は、久々にとれた休暇を利用して、弟たちと温泉旅行に来ていた。
 月斗ら兄弟の現在厄介になっている先の、ジャーナリストをしている叔父が穴場の温泉を調べてくれたので、伊香保や草津といった有名どころを避け、ここへやって来たというわけだ。
 穴場というだけあって、街並みや温泉、旅館は十分満足のいくものだし、それでいて観光客は少ないという、のんびりしたい月斗にとって、まさにうってつけの場所だった。

 温泉につかり、マッサージ器や卓球などの温泉名物を楽しみ、豪華な料理を堪能したあと、はしゃぐ弟たちを時折たしなめながら窓からの景色を楽しんでいた月斗だったが、いつの間にか弟たちが静かになっていたのには全く気がつかなかった。
 吸い込まれるような美しい風景に、思いのほか集中してしまっていたようだ。
 月斗は弟たちに布団を掛けてやり、小さく伸びをする。
(まだ寝るには早い時間だし……露天風呂にでも行ってくるか)
 さきほどは弟たちの面倒を見るのに手一杯で、ゆっくりする暇もなかったことだし――と、月斗は必要最小限の物を持って、静かに部屋を出ることにした。

 月斗の宿泊する旅館は、この温泉街において最大規模のもののひとつである。
 この旅館は敷地内にいくつかの温泉を持っていて、それらを渡り歩くにはいったん中庭に出る必要があった。そこからならば、どの温泉にも行くことができる。
 建物の出口で下駄を突っ掛け、カラコロと小気味良い音を立てながら庭に出た。浴衣に下駄という温泉郷スタイルで、自然と開放感に包まれる。
 歩きながら、どの温泉に入ろうかと思案を始めるが、すぐにやめた。時間は十分にあるのだから、手近にあるところから順番に入っていけばいいのだ。

 そんなわけで、月斗が選んだのは一番遠くにある、疲労回復に効用のある温泉だった。
 ここから徐々に、部屋に近い方の温泉へと辿っていく予定である。
 男性という暖簾のかかった脱衣所に入り浴衣を脱ぐと、タオルを腰に巻いて露天風呂に出る。
 やや冷たい外気と、暖かい湯気が反応しあい、辺りはもうもうと白くけむっていた。そのけむりの向こうに、うっすらと黒い人影が見える。
 やがて視界がひらけると、思わず月斗はのけぞる羽目になった。
 なんと、月斗よりも先に温泉に浸かっていたその人影は、女性だったのである。
「ぅわッ、す、すいませ……」
 ――そう、この温泉は混浴だったのだ。それでも当然、脱衣所は男女別になっているわけで……入り口にあった『この露天風呂は混浴です』の表示を見落としてしまったのは、月斗自身のせいである。
 もちろん相手は混浴を承知で入っていたからいいのかもしれないが、月斗のほうは全く良くない。というか、困る。
 慌てて脱衣所に引き返そうとしたが、あろうことか濡れた床に足を取られ、見事に転倒した。普段の月斗ならば、こんなことは絶対にやらないはずなのだが……。
 照れもあり、さらに慌てて立ち上がる月斗に、風呂からのんびりとした声が掛かった。
「大丈夫ぅ、月斗くん?」
「……は!?」
 なぜ自分の名前を知っているのだろう――とそちらを見やれば、なんと先客は月刊アトラスの編集長、碇麗香女史その人であった。
 ザパァ、とおもむろに立ち上がった麗香は、瞳に好奇の色をいっぱいに浮かべ、月斗の方に接近してくる。
「こんなトコで会うなんて偶然ね。ご家族と旅行か何か?」
 なんでこんなところに麗香が――と思ったのも束の間、月斗の視線は無意識のうちに麗香の胸元に注がれた。
 悲しいかな、男の性というやつである。
 一応、胸元にタオルを抱いてはいるものの、麗香はかなりのナイスバディだ。到底隠しきれない豊かな膨らみを目にしてしまい、人間瞬間湯沸かし器状態になりながら、月斗は目を覆った。
「うわぁぁっ、碇さんこっち来なくていいから!」
「えー、どうして?一緒に入りましょうよ」
 明らかに面白がっている様子の麗香の声が近寄ってくるのに気付き、両手で目隠ししたまま器用に月斗は後退を始める。
 だがそれも、次に発した麗香の一言で、氷のようにストップすることになった。
「ところで月斗クン……隠さなくていいの?腰に巻いてたタオル、とれてるけど」 
「…………!!」
 月斗は、声にならない悲鳴をあげた。

「はぁ……」
 盛大にため息をつき、月斗は肩を落とす。
 結局あの後、ほうほうの体で麗香から逃げ出し、どの温泉にも入らず旅館へと戻ることにした。
 まさかの事態で精神的に疲労してしまい、とても温泉を楽しむ余裕などなくなったからである。
 日頃、大人の女性と接する機会の少ない月斗にとって、麗香のような女性は苦手――というか、いつもの自分を保てなくなると言う意味で、あまり近寄りたくない存在だ。
 決して悪い人ではないと知ってはいるのだが、それとこれとは話が別である。
 しかも今回の件で、さらに顔を合わせづらくなってしまった――なにしろ、こちらの大事なところをバッチリ見られてしまったのだから……。
 年齢以上にしっかりしていても、結局のところは12歳。非常にデリケートで多感な年頃である。
(くそ……トラウマにでもなったらどうしてくれるんだ……)
 思い出して拳を握りしめながら、月斗は部屋の扉を開けた。
 部屋の中には、さきほどと同じく仲良く眠る弟たちの姿がある。
「こっちのほうが、よっぽど癒されるよなぁ……」
 苦笑しながら腰を下ろし、もう一度ため息をついた。
 明日の朝は一番で、弟たちを連れて男湯に入りに行こう――などと、密かに決心しながら……。