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<東京怪談ノベル(シングル)>


大掃除、いってみよっ!
●よく晴れた日には
 2月某日――その日の空はよく晴れ渡っており、気温もこの時期としては平年を5度ほど上回る暖かさだと天気予報で報じられていた。そう、春の足音が近付いていることを確実に感じられるような……今日はそんな日だった。
 せっかくのこんなにいい天気。何もしないというのは、非常に勿体無い話だ。かといって、仕事に精を出すというのも悪くはないがやっぱり勿体無い。
 となると、やることはただ1つ。そうだ、あれしかないだろう。それは――。
「大掃除するわよっ!」
 シュライン・エマの言葉が、窓という窓、扉という扉を開け放たれた草間興信所に響き渡った。
「はいっ、大掃除しましょう!」
 シュラインに呼応するかのように、草間零が元気よくはつらつとした様子で言った。
 服装を見ると、零はいつものエプロン姿。けれどよく見れば、下ろし立てなのかエプロンが真っ白だ。手には愛用のほうきをしっかと握っている。
 一方シュラインはといえば、愛用の割烹着に身を包み、頭には白い三角巾を巻いている。どことなく、昭和の時代を思い浮かばせる格好であった。2人とも、すっかり準備万端の様子だ。
 しかし、いい天気なのに何故大掃除? そんな疑問を抱く者も居ることだろう。だが、これは何も間違った方向性ではない。
 すっきりとした晴れ間の少ない冬場の埃や汚れなどを、本格的に春を迎える前に一掃してしまうのはとても気持ちいいのだから。
「せっかくこんなにいいお天気だもの。徹底的に汚れを落とすわよ。いいっ、零ちゃん?」
「はい! 徹底的に、ですねっ」
 零がこくこくと頷いた。その表情はとても嬉しそうで、早く掃除を始めたくてうずうずとしているようにも見受けられた。
「それじゃ、大掃除開始よー!」
「おー!」
 こうして、草間興信所・2月の大掃除が始まったのだった。
 えっ……ここの主はどうしたのかって?
 それを説明するのは非常に簡単な話だ。大掃除を行う上での鉄則に従わされただけのこと。
 すなわち――何もしない者は、追い出される。そういうことだ。

●大掃除のセオリー
 大掃除はまず、室内の埃や塵を払うことから始められた。この時に気を付けなければならないのは、天井の方から掃除してゆくということ。先に床からやってしまうと、せっかく掃除した所に天井からの埃が積もってゆくことになってしまう。
 だが2人にはそんなことなぞ、百も承知なのだろう。電球の傘やファイルの詰まったスチール棚の上、はたまたエアコンの上部等々、てきぱきと手際よく埃を払い落としていたのだから。
 上の方の埃を全て払い落とした所で、次は床に落ちた埃をほうきで掃き集め、掃除機で一気に吸い取ってゆく。零がほうきで、シュラインが掃除機。見事な分担制だった。
 そのうちに掃き掃除も終えると、次に待つのは拭き掃除。机や窓を拭くのは普通のことで、2人は冬の間にこびりついたヤニをも取ってしまおうという心積もりであった。
「むー……さすがに零ちゃんが居るから、前よりは汚れもましになったけど。それでもヤニの汚れはあれだわ」
 シュラインはしばし窓ガラスを見つめてから、おもむろに手にしたクリーナーを数回吹き付けた。大掃除のため、シュラインが買い求めていたヤニ取り用のクリーナーである。
「どうしてこうっ……ヤニは落ちにくいんでしょうねっ!」
 別の窓ガラスでは、零が同じようにして拭き掃除を始めていた。スポンジでごしごしと、小さく円を描くようにして擦っている。こうすると最小限の力で済むのだ。
「本当にねえ。誰かさんが、煙草を止めてくれれば済むだけの話なんだけど……」
 零の言葉に、自らも手を動かしつつ答えるシュライン。けれども、そんなことはまず無理だろうと、自分で言ってて感じていた。
 それはともかくとして、窓ガラスなどについたヤニは着実に確実に2人の手によって落とされ、黄ばみが薄れていった。
 なおも大掃除は続いていた。

●大掃除、その顛末
 大掃除が始まってから、約6時間が過ぎた。6時間も大掃除をしていたならさぞかし綺麗になったことだろうと思われたが、意外や意外。事務所は6時間前に比べて、格段に散らかっていた。
 いや、部分部分を見れば確かに綺麗になっていたのだ。床も、窓も、壁も、天井さえも。
 しかし、だ。分厚いファイルがソファの上に鎮座しているし、それが詰まっていたはずのスチール棚も、元あった場所から移動している。
 見回してみれば、机やソファの位置も6時間前と少し異なっている。これはどうしたことだろうか。けれどもその理由は、すぐに分かった。
「シュラインさん。これ、どこに運べばいいですか?」
「あ、その本棚? んっと、あれを動かしたんだから……そうね、あれの隣に並べるといいかも」
 木製の小さな本棚を抱えた零に、シュラインが指示を出す。零はそれを聞くと、こくんと頷いて言われた場所に本棚を運んでいった。
 6時間もの間、2人は本当に熱心に大掃除を行っていた。が、段々とのってきてしまったのだろう。必要以上に大掃除に燃えてしまったのである。
 最初は事務所部分だけだったはずの大掃除は、次第に住居部分まで拡大されていった。掃き拭き掃除のみならず、タンスの中の防虫剤や湿気取りの交換まで行う始末。
 最終的には――家具を動かしてまでの、模様替えを伴った大掃除に発展してしまっていた。
「零ちゃん、これが済んだら消毒用エタノールを霧吹きで吹くわよっ!」
「はいっ、分かりましたっ! 風邪の菌を追い出しましょう!」
 手を休めることなく、言葉を交わす2人。この分では、終わるまでまだまだ時間がかかりそうであった。
 結局、大掃除が終わったのは日付の変わった真夜中のこと。終わった後の2人の表情は、とても満足げであった。
 けれども、何事にも限度という物がある訳で。
 きっと客か誰かが、その様子を目撃したのだろう。それから数日の間、『あの興信所、どうも夜逃げしたらしい』という噂が飛び交っていたとか、いなかったとか。
 ともあれ、真相は薮の中。

【了】