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<東京怪談ノベル(シングル)>


教授が来たりて笛を吹く

 とある大学を、今、2人の女性が訪れようとしていた。
 1人は中肉中背で、知的なまなざしと中性的な容姿が印象的な美女だ。
 名は、シュライン・エマ。翻訳家にして幽霊作家、ときおり草間興信所でバイトもこなしている多才な女性である。
 その隣にいるのは、シュラインよりも頭ひとつ分くらい小柄な少女だ。興味深そうに学内の景色を眺めている。
 癖のない長い髪と、飾り気のない白いワンピース姿、そして無邪気な微笑み……
 一見するとごく普通の少女なのだが、彼女は今や怪奇探偵事務所と名高い草間興信所のマスコットとも最終兵器とも言われていたりする存在だったりする。
 ──零である。
「シュラインさん、私達がこれから行くのって、どの建物なんですか?」
「……あれよ」
 尋ねられて、すっとシュラインが指でさし示す。
「ええと、大きく4って書いてますね。4号館って事なんですね?」
「……でしょうね」
 こたえるシュラインの声も、表情も、あまり芳しいものではない。
 そこは、工学部機械工学科の研究棟となっており、目的の部屋は3階の奥まった一室だ。
 ……正直、あまり行きたくなかった。


「……お邪魔します」
 と、ドアを開けると、
『ふっふっふ、待っておったぞ、お嬢さん方』
 主なき声が、2人を出迎えた。
 見ると、部屋の中央にテーブルがあり、その上にわけのわからない様々な品に埋もれるようにしてテープレコーダーがある。声は、そこから発せられたのだ。どうやら誰かが部屋に入ると自動的にスイッチが入る仕掛けになっていたようだ。
 そして、シュラインはこの声の主を知っている。
 去年のハロウィンでは、彼の製作したカボチャロボットのおかげで、大変な目を見ていた。
『ごきげんよう、シュライン君に……零君だったかな、君の話は、私にも色々と聞こえているよ。実に興味深い……ふっふっふ」
 テープから流れる低い声に、シュラインが思わず庇うように零の前に出た。危ない、危険だ。零を改造させろとか言い出すんじゃないだろうか……なんとなく、そう思う。
『……では、早速本題に移ろうか。適当に椅子にでも腰掛けてくれたまえ』
 が、特にそれ以上零の話を掘り下げるでもなく、むしろあっさりとテープが告げる。
「……」
 零は素直に、シュラインは用心深く、それに従うのだった。


 本日2人がここを訪れたのは、教授に呼ばれたからだ。
 なんでも、興信所の業務に役立つようなアイテムをいくつか開発したとの事で、よければ使ってみないかと誘われたのである。
 教授の人柄を多少なりとも知るシュラインは、そんな話は断固断るべきと強行に反対したのだが、肝心の草間がホイホイ話に乗ってしまい、結果としてこうなっている。
 しかも約束の今日、草間は急な依頼が入って出るに出られず、代理としてシュラインと零が訪れる事になったというわけだ。
 ……我ながら運がないわ……というより、武彦さんの運が強いのかしら……
 などと、内心嘆く事しきりのシュラインである。
 とはいえ、その教授の方もなにやら用事があるとかで、現在は不在となっている。なのでアイテムの説明等をテープに吹き込んでおくから聞いておいてくれたまえ……と言われ、ここにこうしているわけだ。
『まず、テーブルの右端に置いてあるカラーボールの説明からしていこう』
 と、テープの声が言った。
「あ、これですね」
 と、零がそのひとつを手に取った。
 ちょうど手のひらにすっぽり収まるくらいのサイズで、プラスチック製と思われる。色は様々なものがあった。
『そいつは中に特殊染料を詰め込んだマーキングボールだ。相手にぶつけるとその色が付着する』
「……ふうん。意外に普通ね。こういうの、結構よくあるじゃない」
『よくあるものだと思われるかもしれないが、そんじょそこらのものと一緒にしないでもらいたい』
「……」
 すぐに声に否定され、シュラインが黙った。まるでこっちの考えを読んでいるみたいだ。
『中に入っている液体は、高分子体研究室の連中が開発したまったく新種の染料だ。それをワシがさらに改良を加えた代物でな。服の繊維はおろか、人体の組織にも一気に浸透し、その色を固着させる。そしてそれを分解する物質は、まだこの地球上にはない』
「……ってことは、つまり手とかに付いちゃったら、一生取れないって事?」
「さあ……」
 そんな疑問にも、すぐにテープの続きがこたえてくれた。
『皮膚どころか、筋肉組織や骨組織にも染料が染み渡るため、火葬されて骨になったとしてもそのままだ。どうだ、すごかろう』
「…………零ちゃん、危ないからそんなもの持っちゃだめ」
「あ、はい」
『ちなみに生体に悪影響はない。開発元の研究室では、極彩色の実験用ラットが毎日元気にエサを齧っておる』
「そう、それは良かったわね」
 事務的に言い、さっさと球体をテーブルに戻すシュラインだった。もう2度と触れる気はない。
『さて、次にその隣にある花火を見たまえ』
「あ、これ知ってます、ロケット花火ですよね?」
 零が言った。まさしくその通りの形をしている。
「……どうせただの花火じゃないんでしょ?」
 すぐにシュラインがつぶやく。その通りだった。
『実は炸薬に超高性能圧縮型次世代火薬を採用したHEAT弾だ。厚さ50センチの鋼板ですら撃ち抜くぞ。世界最小の対戦車兵器だ』
「……草間興信所に戦車を相手にしなきゃならないような依頼が来たら、私が全部断るわよ」
 ため息をついて、そう言ってやる。
 予測はしていたが、やはり使えるものなどひとつとしてなさそうだ。
 正確に言うと、使えないことはないが、手を出したら最後、話がさらにややこしくなりそうなものばかりだといえる。
 ……もう、とっととテープを止めて帰ろうかしら……
 シュラインはもう、そんな事まで考え始めていた。
 と──

 PPPPPPPPPP……

 突然、テーブルの中央付近に置かれた大型のストップウオッチのようなものが、けたたましい音を発し始めた。
「な、何?」
「さあ……」
 2人が、思わずそれを覗き込む。
 まるでそのタイミングを見計らったかのように、テープの声がこう告げた。
『ああ、それと一応言っておくが、もしテーブル中央に置いた動体探知機が反応したら気をつけるのだぞ。囲まれた証拠だからな』
「……か、囲まれたって……何によ?」
 それにこたえたのは、隣の零だ。
「壁の向こうに何かいます……それもたくさん」
「……え?」
 シュラインが、その壁の方を見た、と同時に、ガリガリと何かを削るような音がして、壁がガラガラと崩れていく。
 その向こうの暗闇に、無気味に蠢く無数の黒い影と、赤く輝く小さな目……
 なんと、全長1メートル以上はあると思われる巨大ネズミの群れだった。
「な、何? なんなのよアレは!!」
 たまらず、指を突きつけてシュラインが叫ぶ。
『現在学内は未曾有の危機に陥っておる』
 対して、テープから流れてくるのは、腹立たしいくらい落ち着いた声だ。
『未来に起こるであろう世界的な食糧事情の悪化に備えて、農学部の連中が研究用ラットのDNAをいじくり倒し、食肉用巨大ネズミを生み出したのだ。その恐るべき繁殖力は、牛や豚など比べようもないほどに凄まじいからな』
「……一体何研究してくれてんのよこの大学の連中は……」
「個性的な研究ですよね……」
『が、意外に知能が高かったらしく、あっさり研究施設から逃げ出した上に、現在は学内で勝手に繁殖しておる。その上凶暴性もあって、片っ端から人を襲うときた。どうだ、まいったか』
「…………ええ、まいったわ」
 もはや他に言うべき言葉がみつからない。
『このままでは学内が滅びると判断した教授会、理事会が共同で学内全域に避難勧告を出し、退治してくれるであろう人材の到着を待っているという次第なのだよ』
「……ちょっと待ちなさいよ。その退治してくれるであろう人材って、もしかして……」
「ええと……私達の事でしょうか?」
 思わず、顔を見合わせる2人。
「…………なんてことなの……完全にハメられたってわけね……」
 力なくつぶやき、うなだれるシュラインだった。
『さて、そこで君達には、いくつかのアドバイスをしよう。このレコーダーの隣に小さな笛がある。まずはそれを吹きたまえ』
「……まったくもう……これね」
 ぶつぶつ言いながらも、こうなったら最早従うよりない。
 シュラインがすぐに言われた通りの品をみつけ、口に当てた。
「……わあ、綺麗な音ですね……」
 と、つぶやく零。
 シュラインも自らの耳でその音を拾ってはいたが……
「零ちゃんにも、聞こえるの?」
「はい」
 この波長は、通常の人間の耳には聞こえないはずだった。要するに犬笛なんかと同じものだ。
 しかし、なんの偶然か、あるいは彼女の能力なのか、聞き取る事ができるらしい。
 そして、穴の向こうのネズミ達もそれは同様のようで、笛の音が響き渡ると、群れがざわりと後退する。
『やつらは特定の波長の音波を苦手としておるのだよ。そしてその笛は、それを出すように調整して造られておる。従って吹いている限り、奴らは近づけんというわけだ』
「なるほどね」
『そしてもうひとつ、頼りになるナイト達を紹介しよう。テーブルの隣にある大きなロッカーを開けてみたまえ』
「これ……ですね」
 そちらには零が近づき、手をかけて一気に開いた。
「ちょ、ちょっとこれって!?」
 中身を目にしたシュラインが、思わず身を引く。
 収納されていたのは、白、赤、緑、黒の巨大ロボットカボチャだ。次々に外に飛び出してくると、一列に整列してシュラインに敬礼する。
『シュライン君には説明不要だろう。喜ぶがいい、各部を改良して彼らは生まれ変わった。総合性能で1.5倍は強力になったぞ』
「……あああ、あんたねえ……また暴走したらどうするつもりなのよっ!」
『はっはっは。その心配は無用だが……まあ、もしそうなったらまた依頼を出すのでよろしく頼む』
「…………勘弁してちょうだい」
 と言ってから、ふと気付いた、あらかじめ録音された声にしては、妙に返事が絶妙だ。
「あんた……ひょっとしてここの様子をどこかでモニターしてるでしょ?」
『何を言っておる、そんな事はないぞ』
「……やっぱり……」
 テーブルに手をつき、ため息をついた。
「シュラインさん! ネズミ達がこっちに入ってきます!」
『では健闘を祈る。なおこのテープは自動的に消滅するのであしからず……』
 という声を最後に、ボンッと白煙と紙吹雪を吐き、レコーダーが止まった。
 ……今度顔を見たら、絶対に殴ってやる。
 拳を握り、固く心に誓った。
「やってやるわよ! お前達、徹底的にやっておしまいっ!!」
 押し寄せるネズミにびしっと指を突きつけ、カボチャ達に命じるシュライン。
「……わぁ、なんかかっこいい」
 その姿に、零が嬉しそうにつぶやいた。
 そして……戦いが始まる。


 ──夕方。
 帰りのバスに揺られながら、シートに深くもたれるシュラインの姿がそこにあった。
 ……疲れた。
 もはやただ、それだけだ。
 カボチャと、そして自分達も見事に巻き込まれてのネズミ軍団との戦いは……もちろんというかなんというかこちらが勝利した。
「楽しかったですね」
「……そ、そう……」
 零の方は、本当に楽しそうに微笑んでいる。
「カボチャさん達ともお友達になりましたし。また遊びに来たいですね……」
「私は絶対ごめんだわ」
 心の底から、そう言うシュラインだ。
 役に立つ道具を受け取りに行ったはずなのに、結局受け取ったものは何もなかった。
 ……単に疲れただけだわね……あーあ……
 そう、思っていたのだが……
「あ、どうしようシュラインさん」
「ん? なにが?」
「これ、返しそびれてしまいました」
 と、零が差し出してみせたのは……巨大ネズミ避けのあの笛だった。
「いいんじゃない、もらっとけば」
「でも、そんなの悪いですし……」
 顔を曇らせる零。基本的にこの辺は非常に良い子だ。
「じゃあ、私が預かっておくわ。あとで返しにいくから」
「はい、お願いします」
 受け取ると、ポケットにしまう。もちろん返しに行く気などさらさらない。
 ……そういえば、零ちゃんにも、この笛の音が聞こえるんだったっけ……
 少女の横顔を眺めながら、ふっとそんな事を思い出した。
 ……吹いたら零ちゃんが飛んで来たりして。ふふ、それならまるで「零笛」ね。
「? どうしたんですかシュラインさん、急に笑ったりなんかして」
「ううん、なんでもない」
「……そうですか」
 小首を傾げる零に、またクスッと微笑むシュラインなのであった。


 彼女は、まだ知らない。
 この笛が、後にもっとややこしい相手と戦う際に、究極の武器となる事を……


■ END ■