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<東京怪談ノベル(シングル)>


いつか

(……………………)
 ……………………。
 ……………………。
 雨が、降っていた。
(……………………)
 ……………………。
 ……………………。
 無言の羅列のような、小雨。
(冷たい)
 寒い。
 今の俺には、そんな言葉など意味をなさない。そう感じないことを、思うことなどできないから。
 橋の下にいるのも、雨を防ぐためではなかった。こんな姿で人目につく場所にいたら、どこへ連れて行かれるのかわかったもんじゃない。
(こんな…………)
 いたる所に穴が開き、内部の機械が丸見えだった。これでも少しは治った方だ。痛みなどないから、どのくらい治ったのか自分でもわからないが。
(……………………)
 ……………………。
 ……………………。
 ただ、空を見上げていた。
(……………………)
 ……………………。
 ……………………。
 たまに落ちる、光を見つめていた。
(あれがここに落ちたら)
 この行き場のない存在から、解放されるのだろうか?
 ふと、そんなことを考えた時だった。
「――あの、大丈夫ですか?」
 どこからか声が聞こえた。それが自分に対する言葉だと理解するのに数秒かかり、それからやっと俺は、視線を空から離した。
「買い物行く時も見かけたんですけど、全然動いてないから心配になって……」
 そう続いた声の方を見ると、買い物袋を下げた女がすぐ傍まで来ていた。
「うわっ凄い怪我……って、あなたロボットさん?」
 さらに俺に近づき、俺の前にしゃがみこんだ女はそんなふうに問った。穴から覗いている機械が見えたからだろう。
「……………………」
 俺が反応できずに無言を返すと。
「わ……でも穴がどんどん塞がっていく。これならすぐに治りますね」
「……………………」
 また、俺は言葉を返せない。
(何だ……)
 俺が気味悪くないのだろうか?
 こんな身体で、感情どころか表情すらないのに。
 女は小さく苦笑すると、帰るわけではなく何故か俺の隣に座った。
「雨に濡れても、平気なんですか?」
 そうするのが当たり前のように、会話を始めようとする。そこで俺はやっと、口を開いた。
「………………ああ……」
 水に濡れてダメになるような、やわなパーツは使っていない。
 俺が答えたのが余程嬉しかったのか、女はそんな感情を含んだ声で次々と問いを投げてくる。
「その怪我、痛くないんですか?」
「………………ああ……」
「どこでそんな怪我してきたんですか?」
「………………さぁ……」
「お名前、なんておっしゃるんですか?」
「………………さぁ……」
「これから、行くあてはあるんですか?」
「………………さぁ……」
「じゃあずっと、ここにいるんですか?」
「………………ああ……」
 俺がそれに二文字で答えていくと、最後に女はこう問いかけた。
「それなら、私と一緒に来ませんか?」
「………………ああ……」
 反射的にそう答えてから、俺は言葉の意味に気づく。
「え……?」
 顔の方向を変えて、女を見た。女は膝を抱えて座ったまま、にこりと笑う。
「私、あやかし荘っていうアパートの管理人をしているんです。お部屋余ってますから、あなたさえよければ、うちに来ませんか?」
「…………しかし……」
 家賃を払う金など、今の俺にはない。俺に残っているものといえば、この穴の開いた機械の身体と。辛うじて人間的な思考を可能にしている一部の脳だけだ。
 女は俺の考えていることを悟ったのか。
「家賃のことなら、心配いりませんよ。折角そんな身体があるんですもの、あなたにしかできないことが何かあるはず。それで私を助けてくれたら、私は充分です」
 笑顔のままでそう告げると、立ち上がった。
(俺にしか、できないこと?)
 こんな身体の俺にしか――
「……………………」
 無言で、俺も立ち上がった。
(そんな考え方まで)
 すっかり忘れていた。
(いや……)
 もしかしたら、最初から知らなかったのかもしれない。
 この身体は俺自身のためのものだった。これまで幾度となく、俺の役に立ったのだと思う。
(そんなものが)
 今度は、誰かのために?
「――!」
 立ち上がって少しよろけた俺を、女が支えてくれる。穴がまだ塞ぎきっていないのだ。
「………………ありがとう」
 初めて、口にしたような気がした。
 女はまた、笑顔を浮かべて。
「私は因幡・恵美です。あなたは――私が名前をつけてもいいですか?」
「……ああ」
 俺は自分の名前など思い出せない。けれどなければないで困るだろう。名をつけられることに、異存はなかった。
「やっぱりかっこいい名前がいいですよね〜」
 女――恵美はそう言って、素材を求めて辺りを見回す。
「あ、雨がやんできましたね。雷もやんだし」
 そう口に出してから。
「雨に雷か……。この時期の雨って、時雨って言うんですよね。時雨って名前っぽいから、雷・時雨とか? あー、でも雷はあんまりかな」
 1人でぶつぶつ言いながら悩んでいる。
「雷の他の言い方なかったかなぁ。稲妻、落雷、稲光……あっ、鳴神ってかっこいいかも!」
「鳴神?」
 聞き慣れない言葉に、俺は自然と訊き返した。
「ええ。雷を古語では鳴神っていうんです。だから鳴神・時雨! うーん、我ながらかっこいい響き♪」
 恵美は満足したように頷いた。
 どうやら決まったらしい。
(鳴神・時雨か……)
 初めて耳にした名前であるのに、どこかしっくりくるような、不思議な感覚がした。
「じゃあ行きましょう、時雨さん」
 片手に買い物袋、片手に俺の腕を引いて、恵美は歩き出そうとする。俺はそんな恵美の手から、買い物袋を奪った。
「……俺が持とう」
「えっ? だって怪我が」
「もう治った」
 俺が告げると、恵美は一瞬驚いたような顔をして。それから嬉しそうに笑った。
「よかった」


 そうして俺は、あやかし荘の住人となった。
 俺にしかできないこと――この身体をフルに使っての建物補修で、恩に報いている。
(本当は)
 これだけでは足りないと、思ってはいるのだが。
(俺はまだ、自分を取り戻していない)
 それを取り戻した時に、俺はきっと。
 恵美に心からの感謝を捧げ、心から。
(恵美のために)
 何かをできるのだろう。
 そうしてその名のとおり笑みを絶やさない恵美に。
(やっと笑顔を)
 返せるのだろう。
 いつか――。




(了)