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<PCシナリオノベル(シングル)>


『私的な三下』
「…なんも変化なさそうやけど…」
 某高級ホテル。ガラス張りの自動ドアの前で腕組みをした長身の若者が、困惑したように青い瞳で建物内を伺っていた。
 淡兎・エディーヒソイ。日系ロシア人のごくごく普通の高校生である…どう見ても日本人には見えない容姿で大阪弁を話してみたり、重力を操ってみたり、射撃が得意だったりするが…まぁそんな事は本人にとっては些細な事なようで、知人にはエディーの愛称で親しまれている。
 ともかく彼は、この高級ホテルに入らねばならない用事があった。それもただ入るのではない。ある人物を救出しなければならないのだ。
 ゾンビ魔術の大重鎮とやらが来日し、アトラス編集部も当然取材に…と記者を派遣した訳だったが…とにもかくにも人選が悪かった。
 別名『この世のありとあらゆる不幸の女神に愛された男』三下である。何事もなく取材が終わるはずが無い…果たして三下はゾンビを操る杖を折ってしまうという素晴らしい失態をやらかしてくれたのだ。
 半狂乱になって三下が携帯から編集部に電話をかけてきたのがつい30分程前。
「そう、生でゾンビを見れるなんて滅多に無い経験じゃないの。生きた…まぁ腐乱してるけど、レポートをよろしくね」
 あんまりといえばといえばあんまりな台詞に編集部内が凍りつく中、涼しい顔をして碇編集長がガチャンと受話器を置いて直ぐに電話が鳴り響く。
 嫌そうに受話器を取った編集長の表情がぴくりと引きつり、やがて眼差しがすぅっと厳しくなる。そして、再び受話器を置いた編集長の視線が何故か、編集部に遊びに来ていたエディーに止まった。
「三下君はともかく、事が大事になったらこっちが責任取らなくちゃならなくなるみたいだから、とりあえずエディー君、なんとかしてきてくれないかしら?」
 にっこり。妙に凄みのある笑顔で「おねがい」されて、はっと気が付くと今まで自分と一緒にパズルゲームで対戦していた編集部員達が居なくなっていた。
(う…裏切りモン…)
 そ知らぬ顔をしてデスクに向かっている編集部員を恨めしげに見やるが、面と向かって静かに怒り心頭な碇編集長に逆うなんて恐ろしい事は出来ない。
 結局、言われるままここまで来てしまったのだが…早くも回れ右したい気分である。
「あんまリアルなんは…いややな…」
 映画でみたあれやこれやを思い出しつつブツブツとこぼす。だが、ぐずぐずしてても仕方がない。取り返しのつかない事態になったら、今度は自分が編集長の手で引導を渡されてしまう…覚悟を決めたエディーは自動ドアを進み、中に入り込んだ。
 エントランスをくぐるとだだっ広いロビーが広がり、真っ直ぐにフロント、左に食堂がガラスの扉越しに見え、右を向けば白を基調とした階段と、エレベーターホールが見て取れる。
「…確か、展望ラウンジ言うとったな…」
 そう呟いて、フロントを無視して階段へと足を向けた時だった。
「……なんや?フォークダンス?」
 ちゃらりらりちゃらりら〜ちゃらりらちゃらり〜♪どこからとも無く流れてきた陽気な音楽は確かに、フォークダンスで定番の音楽だった。
 訝しげに眼鏡の奥の瞳を顰めた彼の前に、なにやら人影が集まってきた。
「…な、な、な…」
 失語症のように何度も同じ音を繰り返すエディーの眼鏡がずり落ち、かなり間抜けな表情になっていたが、それも無理は無かった。
『マイム!マイム!マイム!マイム!マ・イ・ム・ベッサンソン♪』×20
 ホテル制服着用の良い具合に溶けたゾンビ共が、腐臭を放ちながら環を描いてエディーを取り囲みマイムマイムを踊っている。
 その表情は満面の笑顔というところか。溶けた頬肉の間から白い歯が覗いている。あまりのシュールな光景に惚けたようについ呆然としてしまったエディーだが、中指で眼鏡のずり落ちを直すと、ジロリとゾンビ共を睨みつけ、
「の・け・や!」
 一言の元に言うと、重力を操り一気に押しのける。押しつぶしてしまう方が簡単だったが、一応人間であろうし、何より潰してしまうと臓物などが飛び散って更に視覚的にダメージを受けそうだったからだ。
「脳みそ〜♪脳みそおぐれぇ〜〜!!」
 ホテルの客だったのだろう、でっぷり太ったおばさんゾンビやバーコードのハゲ親父ゾンビ、それらを蹴倒し、あるいは館内のポスターを剥がして作った即席のハリセンで殴り倒して階段を上り詰める。
「なんで、俺がこんな目にあわなあかんねん!」
 既に陽気でのほほん系な仮面も剥がれかけてエディーが吼える。いつもは自分の事を『うち』と言っているのに『俺』になっているのがその証拠だろう。
「のけ、のけ〜!俺の前から消えぇ〜!」
 ずぱん、びしぃ、どかっ!
 待ち伏せされるよりは…と階段を選んだが、踊り場に出る度に襲われるのだからあまり変わりは無かったかもしれない。
 ハリセンの小気味良い音を響かせながら、ひたすら走り抜ける。
 止まれば奴らにやられる。
 それは恐怖以外の何者でもなかった。エディーとて苦手な物ぐらいある。もっともゾンビが大好きだという人間などごくごく稀だとは思うが。
「…はぁ、はぁ、はぁ…三、下、はん…?」
 やっとたどり着いた展望ラウンジの扉を開け放った彼の目に飛び込んできたものは、虚ろな笑いを浮かべたまま骸骨と小汚い木の杖とでお手玉をしている三下の姿だった。
 その彼を取り囲んで踊っていた数人のゾンビと、よだれをたらしたままよたよたと徘徊していた薄汚れた白い髭の老人が一斉にエディーを見た。
「は〜な子しゃぁ〜ん♪ご飯はまだかいのぉ〜」
 キラーン!老人の瞳が光ったようにエディーには思えた。そして老人の言葉に呼応したかのように数人のゾンビがエディーに向かって走り寄ってきたのだ。
 今度はジェンカのリズムに乗って先ほどの三倍速の速さで踊るゾンビ達。
「…ジェンカより、コロブチカのが好きやな…ロシア民謡やし…」
 しかしエディーもここまで来るのに相当ゾンビに耐性はついたのだろう。再び精神を集中すると周囲の重力を操る。
 ぐりんぐりんと踊り狂っていたゾンビ達の動きが急にスローモーションになっていく…普通の人間ならば動く事も出来ないほどの負荷をかけているのにそれでも踊ろうとするとはたいしたものかもしれない。
 妙な所に感心しながら、エディーはのたりのたりと動くゾンビを避けながら、老人へ向けて歩を進める。
「えへへ…うふふ…お花畑で牛がモー…」
 緊迫した状況だというのに、へらへらとお手玉をしながらアッチの世界を見つめつづけている三下。電池の切れかけた玩具のようにのろのろとうごめくゾンビ達。延々と流れつづける陽気なジェンカ…なんともいえない状況にエディーの神経も焼ききれる寸前である。
「花子しゃ〜ん♪わしゃ〜玉露がええのぉ〜」
「誰が花子やねん!」
 お約束のボケをかます老人の後頭部に思いっきりハリセンを叩き込む。
 スポッ!ガブッ!!
「…ひぎゃぁあぁ〜〜〜っ!!」
 間抜けな音の後に、負けず劣らず脱力系の悲鳴があがり、エディーは何事かとそちらをみやる。
「三…三下はん?」
 三下の鼻に入れ歯が噛み付いていた…否、エディーが殴った拍子にすっぽ抜けた老人の入れ歯が、運悪く三下の鼻に嵌った、というところだろう。
「…きゅぅ〜」
 小動物の鳴き声のような唸り声を上げると、ぱたんと後ろ向きに卒倒する。
「…ったく。しっかりせんかい、三下はん!」
 後頭部にハリセンチョップを食らい戦闘不能となった老人をとりあえず放置し、三下へと近寄ったエディーの目に先程まで三下がお手玉していた骸骨と杖が目に入った。
「……?なんや、これ?」
 何気なく手にとり、杖と骸骨とを繋ぎ合わせてみた…途端、しゅるしゅると物凄い勢いで何かが杖に集束しはじめた。
 無残に折れた杖が、周囲から集まってきたその靄のようなものに触れるとみるみる傷が修復していった。
 淡い光も、靄も全てが消え去ると、そこには元通り平穏を取り戻したホテル従業員と、瞳に正気の光が戻った老人と、倒れたままの三下が残った。


「ん〜、こないなモンでど〜やろ」
 事件も無事(?)片付け自宅に戻ってきたエディーは鼻歌まじりに『自信作』を見やる。
 テーブルに置かれた真っ白い皿の上には湯気を放つ、アツアツのピザ……らしきもの。
「生地にホウレンソウを混ぜ込んで、トッピングにはケチャップの代わりに緑のタバスコを使って……ゾンビ風ピザ!なんちゅうのはどうや?」
 どうやら今回のゾンビ騒動でインスピレーションを得てしまったのか、創作料理を作ったようだ。
 …しかし、チーズの下には納豆らしきものやバナナ、生クリーム……どう考えてもピザとは無関係そうな食材も見て取れるのだが…。
「そういや、爺さん帰った後も寝こけとったけど…三下はん、ちゃ〜んと取材できたんやろか?」
 顎に手をあてて、そんな事を呟いたのも一瞬。
「ま、そんな事はええわ、とりあえず、この素晴らしい〜うちの自信作を喰わせてやらんと〜」
 晴れやかに笑うと、いそいそと『おすそ分け』をする為に準備を始めるエディーだった。

 さて、エディーにまで『そんな事』扱いされてしまった三下はというと…。
「あ、あ、あの……取材する前に杖を折ってしまって…目がさめたらお爺さん、帰ってしまいまして…」
「………そう。三下君、覚悟は出来てるかしら?」
 にこにこにこ〜っ。
 花がほころぶような微笑みを浮かべる碇編集長。
 本物の恐怖を三下が味わうのは、これからあと10秒後。
 その後彼がどうなったのかは、アトラス編集部の人間のみ知ることとなる。
 ………合掌。

 〜終わり〜