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調査コードネーム:怪奇探偵欧州紀行 後編
執筆ライター :水上雪乃
調査組織名 :草間興信所
募集予定人数 :1人〜6人
------<オープニング>--------------------------------------
「きゃっほー☆ 草間さ〜〜ん☆」
ヒースロー空港に降り立った草間武彦を、黄色い声が出迎えてくれた。
「よぅ‥‥絵梨佳」
芳川絵梨佳に向かい、怪奇探偵が手を振る。
なんだか、ロンドンに着く早々、えらく疲れたような気がする。
しかも、気のせいだと強弁できないところがミソである。
日本からユーゴスラビアへ。ユーゴスラビアからイングランドへ。
長旅のあとの、絵梨佳のテンションは、なかなかきつい。
「待ってたんだよー☆」
「おお‥‥おれもあいたかったぞ‥‥」
平坦な台詞と表情が、嘘だと語っていた。
「ぷぅ」
むくれてみせる絵梨佳。
「そんなんだと、べーカー街に連れて行ってあげないからー」
「なにぃ!?」
怪奇探偵の目の色が変わる。
べーカー街二二一のBといえば、かの名探偵シャーロック・ホームズの住所として有名である。
どんな探偵でもそうだとは限らないが、草間はホームズが好きだった。
ロンドンに来た以上、大先輩の縁の地を見ずに帰れようか。
「否。帰れるはずがない!」
反語を使って断言する草間。
「あははははー☆」
笑う絵梨佳。
「ところがねー ちょっとした事件が起こってるのよー」
「ん?」
「ホームズ氏愛用のパイプが、盗まれたんだってー」
「なにぃ!?」
芸のない驚愕を繰り返し、
「よし! 俺が絶対取り戻してやる!!」
無駄に気合いを入れる怪奇探偵だった。
空港の客たちが、遠巻きに、東洋から来た男を見つめていた。
※旅行シナリオです。前後編に分かれています。
どちらか一方に参加することも可能です。
後編は、コメディーです。
推理の要素はありませんので、気楽にロンドン観光を楽しんでください。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
受付開始は午後8時からです。
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怪奇探偵欧州紀行 後編
薄曇りの空。
英国の風が押し包む。
寒い。
北海道よりもさらに北にある国だ。
本来なら、夏の観光こそがふさわしいだろう。
「まったく‥‥冬に来る場所じゃねぇなあ」
中島文彦が毒づく。
黒のロングコート。丸いサングラス。
平凡なサラリーマンを自称している割には、なかなかあやしげな服装である。
本名は張暁文という。
これは、草間武彦をはじめとした興信所の仲間たちも知らないことだ。
知っているのは、いまはロンドンに住んでいる一人だけ。
「絵梨佳のヤツ、驚くだろうな」
くすりと笑う。
悪戯小僧の表情で。
怪奇探偵たちに先駆けること三時間。
彼は一人、ロンドンの地を踏んだ。
むろん、皆と芳川絵梨佳を驚かせるためである。
ホテルだって、同じ場所をとっているのだ。
「さてと、どのくらい成長したかな」
呟いて空港を出る中島。
半年ぶりに逢う幼い恋人の姿を想像しながら。
中島のような予定にない訪問者もいれば、予定の行動を取っている人物もいる。
羽柴戒那が、その人だ。
もともと仕事でロンドンに渡っていたのだが、怪奇探偵の一行に同居人たる斎裕也がいることを知り、合流したのだ。
「やぁ」
「はい」
「元気そうだね」
「戒那さんもお変わりなく」
「たかだか一、二週間で何かあるわけでもないさ」
「ごもっとも」
赤毛の大学助教授と黒髪の大学生の会話である。
周囲からは恋人同士と目されている二人だが、語られる言葉は一向に艶っぽくなかった。
不器用だから、というわけではない。
ともに成熟した男女である。
意地っ張りと不器用は、草間とシュライン・エマあたりにでも任せておけば良い。
そのような生々しい感情以上の絆が、斎と戒那にはあるのだから。
大切な存在。
あるいは、自分自身よりもずっと。
言葉にすれば陳腐きわまりないが、二人にとって互いはそういう位置づけだ。
むろん、自分たちの心は自分たちだけが知っていれば良く、彼らは他人にわざわざ説明したりしない。
だからこそ、
「見せつけてくれちゃって〜〜☆」
「大人のラヴラヴってやつですねぇ〜〜♪」
「羨ましいかぎりです」
巫聖羅やアエリア・G・セリオス。那神化楽のような、あまり男女間の事柄について詳しくない連中には、誤解や曲解の余地が充分すぎるほどある。
「まあまあ」
と、平和主義者の振りをしながらたしなめるシュライン。
仲間たちの様子を、微笑しながら見守る草壁さくら。
これに草間と絵梨佳を加え、九人のメンバーだ。
ツアー未満、といったところだろう。
もっとも、こういうたとえ方をすると、悲しむ人間もいる。
すなわち、ツアーコンダクター役を務めるシュラインだ。
外国語が堪能で用心深く、しかも金銭やスケジュールの管理もできる。
大蔵大臣といういささか古くさい異名を持つシュライン以上にコンダクターに向いたメンバーなど、いるはずもない。
「いやぁ、シュラインがいるからどこに旅行に行っても平気だな」
脳天気に笑いながら、草間が恋人の肩をぽむぽむと叩く。
一瞬、本気で殺してやろうかと思ってしまう蒼眸の美女だった。
だいたい、英語が話せる人間なら、仲間のなかに幾人かいる。
戒那、斎、アエリア。
メンバーの半数が、言語的な不自由はしない。
「にもかかわらず、私なのよね‥‥」
溜息をついて、仲間を見やる。
助教授と大学生がコンビになっている以上、全体の管理などできるはずもない。
アエリアは絵梨佳と意気投合したらしく、
「フレンド☆」
などと言い合いながら、聖羅まで巻き込んで謎のポーズを決めている。
仲良きことは美しき哉。
武者小路実篤もいっていることだ。
「ま、中学生のアエリアちゃんにツアコンやらせるわけにもいかないんだけどね」
苦笑するシュライン。
「私がついておりますよ。シュラインさま」
外国ではあまり役に立たないさくらが激励してくれた。
「ありがと。心強いわ」
なんだかおざなりに謝辞を述べる。
もちろんその程度で、さくらは機嫌を損ねたりしなかった。
緑玉の瞳は、親友ではなく黒髪の絵本作家に注がれていた。
セルビア以来、とかく黙り込みがちな那神に。
表面上は皆と話を合わせたり、談笑したりするのだが。
時折、ふと美髭の表情が曇る。
「初めて会った頃のイーゴラくんのようですよ‥‥那神さま‥‥」
口には出せぬが、心配げな視線を送る人ならざる美女であった。
「さ、ホテルに移動するわよ」
大蔵大臣が促す。
ぞろぞろと動き出す仲間たち。
征服王ウィリアムの軍勢、と、たとえるには、人数も覇気も足りなかった。
まあ、ただの観光旅行なのだから。
「よ。遅かったな」
出迎えた方は余裕たっぷり。
だが、出迎えられた方は、万分の一も冷静ではいられなかった。
「シャ‥‥文っち!?」
本名を呼ぼうとした絵梨佳が、人差し指を唇にあてた中島を見て、慌てて愛称に切り替える。
「元気だったか? 絵梨佳」
驚かせることに成功した茶髪の青年が、軽く手を広げた。
小動物のような素早さで、少女が胸に飛び込んできたからだ。
しっかりと抱き留める。
「ははは‥‥あんまり変わってねぇなぁ」
平凡な言葉に万感の思いがこもる。
あるいは中島は、そう思いたかっただけかもしれない。
絵梨佳の身長は半年で三センチメートルも伸び、身体の線も女性へと変貌しつつある。
逢えなかった時間は、少しだけ絵梨佳を大人に変えたのだ。
葡萄が熟れてゆくように。
「まだまだ収穫にははえぇけどな」
偽悪的に笑う。
「もう採って食べちゃったクセにぃ☆」
「うわ! おまえそういうこというか!?」
「えへへへ〜〜☆」
夏の宵。
屋形船。
重なる肌。
交わされた、遠い約束。
「えーと‥‥どなたですかぁ?」
なんだか恋人たちの勢いに圧倒されながら、アエリアが訊ねる。
べつに、できたばかりの友人を独占されて不機嫌になったわけではない。きっと。
事実として、アエリアは中島と面識がない。
他にも幾人か初対面のものがいる。
慌ただしく自己紹介が繰り広げられ、親和力が高まる。
さしあたり、姓名を教えあえば充分なのだ。
余計な詮索はしない。
全員が、仲間ということで一括りだ。
それが怪奇探偵の流儀である。
さて、一〇名に人口を増やした一行は、べーカー街に向かっていた。
ばかばかしい話だが、消えたシャーロック・ホームズのパイプを探すためだ。
「すげー申し訳ないんだけどさぁ。ホームズって架空の人物じゃん。その人が愛用してたパイプなんて、そもそも本物のわけないよーなー‥‥」
そんな正論を言った聖羅が、草間から殺人的な眼光で睨まれる。
バカである。
あるいは、タコである。
むろん、草間が。
「シャーロキアン‥‥」
とは、シュラインの嘆きであった。
怪奇探偵と名探偵。
まあ、愛煙家だということは共通している。
もっとも、原作のホームズが愛用していたのは、煙草ではなくコカインだろうが。
「ホームズが連載されていたのは『ストランド・マガジン』ってのなんだ」
戒那が丁寧に解説してくれる。
西暦の一八九一年から連載が開始され、瞬く間に大人気となった。
ストランドは売り上げが一〇倍になったというから、凄まじい人気である。
それによると、ホームズは一八八一年から一九〇四年までの間、このべーカー街二二一のBに下宿して、探偵業を営んでいたことになっている。
下宿というと現代日本では貧乏くさいようなイメージがあるが。
いずれにしても、かの名探偵はこの地を拠点として活動していたのだ。
現在では、二二一Bには、『シャーロック・ホームズ博物館』があり、訪れる人があとを絶たない。
創作の世界に生まれた名探偵が、どれほど世界中で愛されているかという証左であろう。
割と長い行列に並んだすえ、怪奇探偵たちは博物館に入館した。
ちなみに、入館料は一人五ポンドである。
団体なので一名が無料となり、四五ポンドの出費だ。
日本円だと、ざっと七五〇〇円。
素早く計算しつつ、全員分の料金を払うシュライン。
草間の道楽に付き合うようなものだから、費用は興信所もちになってしまうのだ。
嘆くほどの大金ではないが。
なかにはいると、ホームズの少年時代の成績表や、愛用品などが展示されていた。
「小説の登場人物の成績表ってのも、笑えるやなぁ」
中島が嘯く。
左右の腕にに美少女たちをぶらさげて。
文字通り両手に花なのだが、どちらも一四歳では、
「色気もクソもありゃしねぇ」
と、いうことになろうか。
「ようするに、作中人物を現実のものとして愛してるんですよ」
美髭を揺らしながら那神が言った。
「英国流のユーモアですね」
斎も笑う。
ロンドンっ子と怪奇趣味は、産まれたときからの親友同士だ。
血湧き肉躍る話。
それを最も愛する国民性なのだ。
「妄想癖に繋がらないのは、まあ、格好いいけどねぇ」
一人陶然となっている草間を見ながら、聖羅が肩をすくめる。
怜悧で剛胆な怪奇探偵は、偉大なる大先輩の住居を訪れて、歓喜に震えているらしい。
なんだか、その辺のものを盗んでしまいそうな勢いだ。
もう三十路に入っているのだから、少し落ち着いた方が良いだろう。
「アンタが盗んでどうするよ」
冷静なツッコミを放つ戒那。
「おやおや‥‥」
可哀相な人を見る目で、さくらが怪奇探偵の狂態を眺める。
「お願い‥‥そんな目で見ないで‥‥アレでも一応、私の恋人なんだから‥‥」
何度目になるか判らないシュラインの嘆き。
いずれにしても、パイプ紛失事件に関する限り、怪奇探偵の推理力や行動力は、一ミリグラムも寄与しない事が判明した。
「わかってたことでは、あるけどねー」
けっこうシニカルな発言をする女子高生だった。
兄の影響だろうか。
「ま、それはともかく、さっさと解決しようぜ」
「おー」
「さんせー」
中島の声に賛同する、アエリアと絵梨佳。
微笑ましくはある。
茶髪の青年の苦労は別として。
どうやら、年少者に好まれる性質を持って生まれてしまった。
「お兄ちゃん属性、というヤツですねぇ」
斎がからかう。
「いらねぇ‥‥そんな属性‥‥」
うなだれる暗黒街の住人。
「はいはい。漫才はそこまで、とっとと仕事するよ」
言った戒那が、パイプが展示されていた場所に近づく。
係員に話を聞くため、座を外す斎とシュライン。
盗まれたと仮定して、進入路と逃走路の選定を始める那神と聖羅。
アエリアと絵梨佳にいじり回される中島。
恍惚の表情で夢幻を旅する草間。
「ちょっと失礼いたします」
などと言い残して姿を消すさくら。
とりあえず、半数しか機能していない怪奇探偵団だった。
しょせんは物見遊山、ということだろう。
「この国の特徴は、議会制民主政治と言論の自由の尊重だね」
戒那の言葉だ。
さすがは大学で教鞭を執っているだけあって、いろいろな事を知っている。
「日本もそうだけど、君主を戴く国ってのは王室の悪口を言わないモンだ。でも、イギリスじゃ、かのタイムス誌だって、平気で悪口を並べ立てるからね」
べーカー街を散策しながら、仲間たちに説明する。
イギリスは理想国家ではなく、多くの矛盾と不公正を抱えた現実の国家だ。
だが、先の二つは、世界に誇ってもよいだろう。
一九世紀、名首相として知られるグラッドストーンが語った言葉がある。
曰く、
「犯罪は取り締まりますが、思想を取り締まるわけにはまいりません」
ビクトリア女王がテロリズムの標的にされ、厳しい取り締まりをするよう要求したときの返答であるらしい。
このあたりに、近代民主主義を主導した国の心意気があるだろう。
「見事な説明です」
声が聞こえる。
いつの間にか、一行の前に男がたたずんでいた。
鷹のように鋭い目、鹿撃ち帽、インヴァネスコート。
なんだか、一撃で誰だか判りそうな恰好だ。
「このたびは、私からの依頼を受けてくれてありがとう。私のことは‥‥そうだな、ミスターHとでも‥‥」
流暢な日本語だ。
怪しさ炸裂である。
つかつかとシュラインが男に歩み寄り、その手をひっつかんで路地裏に連れ込む。
唖然と見送る一同。
念のためにいうと、強引な逆ナンパではない。
青い目の美女は、この怪しい男と面識があるのだから。
「なにバカなことやってんの。さくら」
ようするに、そういうことだ。
「あらら。バレてしまいましたか」
得意の変化の術でホームズに化け、皆を楽しませてやろうと思ったのである。
「あのねぇ‥‥」
溜息をつくシュライン。
現在、メンバーの人数は大蔵大臣を入れて九名。つまり、一人足りない。
むろん足りないのは当然だ。
さくらがいないのだから。
そして、さくらが消えて怪しい男が現れる。
ホームズ風の。
しかも日本語しか操れない。
まっとうな推理力を持つものなら、怪しい男とさくらを等号で結ぶことくらい簡単だろう。
「その点を失念しておりました」
花が咲きほころぶように笑ってみせる。
「さっさとそのキテレツな変装、ときなさいよ‥‥」
「はぁーぃ」
「まったく‥‥武彦さんのバカっぷりだけでも頭いたいってのに‥‥」
青い目の美女の嘆息は、やっぱり海よりも深かった。
「お待たせ」
ふたたび、仲間と合流するシュライン。
やや遅れて、
「やっと追いつきました〜〜」
と、息を切らして走ってくるさくら。
なかなかの演出である。
「さっきの人、誰?」
「前に仕事で知り合った人。気にしないで、タダの変な人だから」
「ふぅん」
女子高生と事務員の間でよく判らない会話が繰り広げられる。
後ろの方で、さくらが哀しそうな顔をしていた。
もちろん、一顧だにされなかった。
結局、パイプは見つからず、一行は日没とともにホテルへと引き返すことになる。
まともに捜索している人間など皆無なのだから、当然の帰結だ。
絵梨佳と中島、斎と戒那はデート気分。
シュラインは草間のお守り。
他のメンバーは、単なる観光。
これで調査が成立するとした、奇跡に類することだろう。
だいたい、
「起こってもいない事件の調査なんて、不可能だからね」
戒那が肩をすくめた。
仲間のうちで最も犯罪捜査に向いた能力、サイコメトリーをもつ彼女である。
博物館にいるときから、すでに戒那には真相が「見えて」いた。
「パイプはね。盗まれたんじゃなくて、壊れちゃったのさ。館内整備の人が落としてね」
くすくすと笑う。
事件などという大それたものでもない。
折れたパイプは、当然の帰結として修理にだされた。
「でも、どうしてそれが盗まれたなんて話に発展したんです?」
とは、斎の問いである。
「英国人的なジョークでしょうね。さっき裕也が言った通り」
答えたのはシュラインだった。
「あ、なるほど」
さくらとアエリアが手を拍つ。
ミステリ好きのために、博物館が趣向を凝らしてくれたのだ。
「何日かしたら、「いつの間にか」パイプが戻ってくるってことかぁ。ちょっとあざといような気もするけどね」
「いいじゃありませんか。そういう楽しみ方もアリですよ」
熱心に何かノートに書き込んでいた那神が顔を上げ、聖羅をたしなめた。
「さっきから何書いてるの? 那神さん」
「新作のアイデアを書き留めていました」
美髭の絵本作家が、スケッチを見せてくれる。
デフォルメされ擬人化された猫の絵。
シュラインとさくらが、微笑した。
どうして美髭の絵本作家がこの作品を描く気になったか、手に取るように理解できたからである。
それは、心の季節を進めるため。
泣き友に哀悼を捧げ、それでも出会えたことへ謝意を送る。
わずか十数年で終わってしまったイーゴラの人生を、せめてなんらかのカタチで残そう。
あるいはそれは、ハンターどもに対する挑戦行為になるかもしれない。
それでも‥‥。
「タイトルはなんて付けるの?」
内心を忖度する事を避け、聖羅が訊ねる。
「『名もなき猫』というのはどうでしょうか」
曖昧な笑顔で、那神が答えた。
万感の思いを込めて。
やや重くなる空気。
沈黙は、だが長くは続かなかった。
「なあ絵梨佳。久しぶりに、お前の名人芸を披露してくれや」
やたらと暢気な声を中島がだしたからである。
彼はイーゴラを面識がなく、前後の事情がわからない。
たとえ判っていたとしても、陰鬱な雰囲気など好むところではなかった。
「おっけ☆」
敏感に空気を読んだように、絵梨佳が立ち上がる。
「あ、私も淹れるよぉ」
アエリアもまた席を立った。
「にゅ?」
「私もちょっと自信あるんだよ。コーヒー」
「えへへ☆ 勝負する?」
一四歳の少女たちの間に、ほのぼのとした火花が散る。
どうやら、即興のコーヒー勝負が始まるらしい。
「いいぞいいぞー やれやれー」
無責任にはやしたてる中島。
聖羅やさくらも喜んでいる。
「じゃあ、俺たちはそれをいただいたら、ちょっと出掛けようか。裕也」
「はい。そうですね」
戒那と斎が、なんだか微妙な会話を交わす。
「デート?」
笑いながら、シュラインがからかった。
「観覧車でワイン、なかなか悪くないと思いませんか?」
ぬけぬけと応える大学生ホスト。
「シュラインもやったらどう? 草間くんと」
反撃に転じる助教授。
「‥‥‥‥」
一応、青い目の美女が想像力を逞しくしてみる。
ぼん、と、音を立てるような勢いで頬が染まった。
「シュラインさんトマトモード☆」
聖羅が余計なことを言った。
「‥‥うー‥‥」
何か反論しようとするシュラインを遮って、携帯電話の着信音が鳴り響く。
さくらの胸元だ。
「あら?」
これから盛り上がるところに、邪魔が入ってしまったようだ。
まあ、シュラインにとっては時の氏神だろうが。
「一樹さま?」
金髪の美女の声で、仲間たちは日本からの電話だと悟った。
世界は、どんどん狭くなっている。
そう思ったものも、いるかもしれない。
外周四万キロメートルの惑星は、便利なアイテムによって距離を失う。
文明の勝利、ということで良いのだろうか。
やがて通話を終えたさくらが、深刻な顔で信頼すべき仲間を見回す。
「良くないお知らせです。櫻月堂が襲撃を受けました」
淡々と告げる。
櫻月堂とは、さくらが住み込みで働いている骨董品店だ。
「へぇ。馬鹿なことするヤツもいるもんだねぇ」
のんびりと応える聖羅。
女子高生は知っている。櫻月堂が普通の骨董屋などではないことを。
まして留守番のユーワーキーもいるのだ。
並の人間に、どうこう出来るような場所ではない。
「ところが、どうやら並の相手ではなかったようです」
「どういうこと?」
「一樹さまが到着したときには店内は荒らされ、ある書物が強奪されていました」
「‥‥まさか‥‥?」
シュラインがかすれた声を絞り出す。
ゆっくりと頷くさくら。
櫻月堂には、ネクロノミコンと呼ばれる魔導書が保管されていた。
「‥‥それだけなら良いのですが‥‥」
ここで口ごもるさくら。
「まだ悪いニュースがあるの?」
「蘭花さまが‥‥意識不明の重体です‥‥」
「うそ!?」
シュラインの顔から血の気が引く。
まさか、ふたたび人ならざる友人を喪うことになるのだろうか?
不安は、予測を最悪の方向へと加速させていった。
「あれぇ?」
「どうしたんですかぁ?」
コーヒーを淹れて戻ってきたアエリアと絵梨佳が、場を覆う雰囲気の悪さに気づく。
「‥‥ハンターの仕業か‥‥?」
押し殺した声で訊ねる那神。
「おそらく、違うでしょう」
首を振るさくら。
金色の髪をした人ならざる美女には、おぼろげながら敵の正体が見えていた。
邪神ハスターを奉じる教団。
歴史の闇に蠢動するもの。
「星間信人‥‥ハスターの使徒です」
告げる。
ほとんどのものにとって、初めて聞く名前であった。
人の名も、邪神の名も。
おぞましさを感じたのか、絵梨佳とアエリアが中島の腕にしがみつく。
聖羅が思わず腰に手を伸ばし、得物がないことを再確認して苦笑を漏らす。
顔を見合わせる斎と戒那。
黙然とたたずむ那神。
小声で会話を交わすシュラインとさくら。
「予定とは異なるけど、緊急帰国するヤツはしてくれ」
草間が言った。
怜悧な怪奇探偵の顔に戻っていた。
東京から放たれた闇は、ロンドンを浸食しつつある。
霧の夜に浮かぶ妖月。
幾多の伝説の残る古都。
時は、怪奇探偵たちに無為の休息を与え賜らぬらしい。
ビッグベンの鐘の音が、鳴り響いていた。
戦いの道を啓開するかのように。
終わり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/ シュライン・エマ /女 / 26 / 翻訳家 興信所事務員
(しゅらいん・えま)
0213/ 張・暁文 /男 / 24 / サラリーマン(自称)
(ちゃん・しゃおうぇん)
0377/ 星間・信人 /男 / 32 / 図書館司書
(ほしま・のぶひと)
1311/ アエリア・G・セリオス/女/ 14 / ウェイトレス
(あえりあ・じー・せりおす)
0121/ 羽柴・戒那 /女 / 35 / 大学助教授
(はしば・かいな)
0374/ 那神・化楽 /男 / 34 / 絵本作家
(ながみ・けらく)
0164/ 斎・悠也 /男 / 21 / 大学生 ホスト
(いつき・ゆうや)
1087/ 巫・聖羅 /女 / 17 / 高校生 反魂屋
(かんなぎ・せいら)
0134/ 草壁・さくら /女 /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
(くさかべ・さくら)
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■ ライター通信 ■
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お待たせいたしました。
「怪奇探偵欧州紀行 後編」お届けいたします。
水上雪乃はじめての試みとなった前後編、いかがだったでしょうか?
楽しんでいただけたら幸いです。
また、本編中にも紹介されましたが、4月より絵梨佳が日本に戻ります。
「お嬢ちゃまシリーズ」は、「お嬢さまシリーズ」と名前を変えまして、再開の予定です。
少しだけ大人になって帰ってくる絵梨佳を、どうかお楽しみに☆
それでは、またお会いできることを祈って。
☆お詫びとお知らせ☆
3月3日(月)6日(木)の新作アップは、著者、私事都合によりお休みさせていただきます。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。
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