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<PCシナリオノベル(シングル)>


冬花火奇伝


 悲しい。
 寂しい。
 声が聞こえる。
            俺のせいだ。
            どうしよう。
            恐れ戦く声が聞こえる。
 冷たい。
 ひどい。
 苦しい。
 呻き声が聞こえる。
            ごめん。
            ごめんなさい。
            こんなつもりじゃなかったんだ。
            自責の念に駆られた声が聞こえる。
 泣いているような。
 怒っているような。
 少女の姿が見える。
            縮こまった背中。
            合わせない視線。
            罪を背負った姿が見える。



 大覚寺・次郎(だいかくじ・じろう)はぼーと黒い河面を眺めていた。似合わない不精髭と、少しこけた頬のせいで老けて見えるが、まだ社会人の1年目だ。
 ここは隅田川より東地域。そこに下町があった。春は桜、夏は花火で賑わう土地だ。
 しかし真冬の今では、黒い河面がゆれ、雪が吸い込まれるだけで特に何もない。
 だが、本当に何もなければ、次郎はここにはいない。
 次郎は、学生時代の知り合いに、近所の子供がこの川で謎の水死した、ということを聞かされていたのだ。しかも、その頃、紺に朝顔模様の浴衣を着た少女の幽霊の目撃されていたという。
 寂しい黒い河面と白い雪の無彩の場所。
 次郎は川の近くに何をするでもなく座り、何かをじっと待っている。
 それが何かは分からない。
 いや、分かっていても、信じたくなかった。
 もう少し言えば、信じたいのか信じたくないのか、自分で分からないのだった。



 次郎は小さい頃からここに住んでいた。幼い頃はやんちゃで、近所に住む内気な少女をからかうのが日課だった。
 ある日、その少女は足を滑らせて川に落ち、死んでしまった。
 どうしてそんなところに彼女がいたのか、誰にも分からなかった。
 しかし、次郎だけは知っていた。
 それどころか、次郎のせいだと言っても過言ではない。
 流れてしまって見つからなかったが、少女の大切にしていた帽子を川辺の木の枝に引っ掛けて置いたのは他でもなく次郎自身だった。
 次郎は自分が、あの少女を殺したのだと分かっていたが、当時は誰にも言えず、彼女は不審な死として片付けられてしまった。
 だが、子供が水死したことで知る。少女はまだ成仏してなくて、次郎を恨んでいる。
 それならば、次郎がここにいれば、彼女は必ず現れるはずだ。殺しに来るのだろうか、恨み言を言いに来るのだろうか、ざまを見ろと嘲笑いに来るのだろうか。
 そして、次郎は何を返せるのだろうかと考える。謝りたいのか、殺されたいのか。
 でも、何故今頃……。



 次郎が何をするでもなく川岸に座り込んでいるとき、一人の老人が散歩がてら次郎の隣に腰を下ろすことがあった。何を喋るでもなく、河面を見つめる。何かを探すように目を細めていた。どこか寂しさを滲ませているように感じられた。
 その老人が来ると、次郎は周囲の寒さを忘れてしまう。時折蝉の鳴く幻聴が聞こえたりした。
 次郎は彼に話し掛けようと思ったが、元来人付き合いが上手くなく、特に今は一体何を話したらいいのか分からなかった。
 今日は何だか機嫌がよさそうだな、と思った日、老人が次郎に話し掛けてきた。
「いい天気ですね。」
「……ええ。」
「今日はいい花火が見れますよ。とても盛大で綺麗なんです。見たことありますか?」
「いいえ。」
「それじゃあ、楽しみでしょう? 期待しててください。」
 老人はにっこりと笑って去っていってしまった。
 次郎は黒い河面と白い雪の無彩の場所をじっと見つめた。ここは、夏は花火で賑わうところだとは知っているが、どうしてこんな真冬の日に花火があるのだろう。
 そして、どうして次郎はこの町に住んでいたはずなのに、花火を見たことがないと答えたのか。記憶の齟齬に、次郎は軽く首を傾げた。
 待っていると、ばーんと大きな音がして、綺麗な花火が上がった。きらきらと火の粉が落ちてくる。大小種々様々な花火が絶え間なく上がり、その盛大さに、この場所の花火が有名なことが分かるようだ。
「綺麗でしょう?」
 いつの間にかあの老人が次郎の隣に戻ってきていた。
「そうですね。」
 次郎が深く頷くと、老人は嬉しそうな顔をして花火を見上げた。その瞳はどこか痛みが篭っているように見える。
「花火、お好きじゃないんですか?」
 怪訝に思って次郎がそう問い掛けてみると、老人は小さく笑った。
「この花火は水難者の供養のために上げられ始めたんですよ。なので少し思い出してしまって。」
「何かあったんですか?」
 不躾な質問かと思って、つい次郎は怯みかけたが、老人は気分を害したふうもなく、寂しげに微笑んでいる。
「幼い頃に遊びで追い掛け回していた女の子が、ね。」
「…………そうだったんですか。」
「私はその子が大切にしていた帽子を木の枝に引っ掛けて放って帰ったんですよ。彼女は自分で帽子を取ろうとして川に落ちてしまったんでしょう。」
「………………。」
「大人にはどうしてその子が溺れたのか分からなかったみたいですが、私は知っていました。そして、臆病な私はその理由を言えずに来ました。」
「え……。」
 自分の記憶と被る老人の話に、次郎は呆然としていた。そして、はっと気付く。次郎が自分の記憶だと思ったのは、この老人のものなのだ。
 全ては幻覚。次郎の見るこの美しい花火は確かに夏に行われるもので、今この川は無彩色の静かな場所なのだ。
 それでも目の前の幻覚はさらに続ける。
「でも、忘れようとしてもいつまで経っても忘れられるものではありません。だから、せめてもの罪滅ぼしとして、私は花火を上げることにしたんです。この綺麗な花火で彼女の心が休まれば、と。」
「そうなんですか。」
 それなのに、また子供が水死してしまい、その近くで少女の幽霊が目撃されている。その心は届かなかったのだろうか。

 待っていたのは、少女の霊。
 信じたくなかったのは、彼女が子供を水死させたこと。
 信じたかったのは、まだ彼女は川に縛り付けられ、自分を恨んでいること。
 まだ自分の罪は償いきれていないと示して欲しい、と心のどこかで思っていた。

 そんな老人の記憶が次郎に展開されていく。
 罪の意識が老人を雁字搦めに縛りつけている。川に少女が縛り付けられているように。そして、それは決して解けないものだと信じているようだ。
 老人はそれっきり口を閉ざし、少女を悼んでいる。一際大きく開いた花火がぱらぱらとその形を崩していった。



 次郎が幻覚と認めたため、夏の風景は消え去り、元の黒い川の景色が戻ってくる。
「寂しかったのかい? それとも誰か仲間が欲しかったのかな?」
 次郎は川の中央部に立つ少女の霊にそう問い掛けた。紺に朝顔模様の浴衣姿で、目撃情報と一致している。悲しいのか怨んでいるのか怒っているのか泣いているのか分からない複雑な表情をしていた。
 彼女は静かに首を横に振った。唇が動くが、音声として次郎の耳に届くことはなく、脳裏に直接語りかけられる。

 ううん。違うわ。
 あの子供は本当にただの事故。
 私は水難者の魂の集合体。
 毎年夏の花火に救われてる。
 由来を知って悼んでくれる人がいる限り。
 あの子供も来年の夏に花火を見て喜んでくれるはず。

 次郎は少し前に、溺れている子供の近くに少女の幽霊が佇んでいる、という幻覚を見ていた。次郎の幻覚はただの夢想ではなく、現実になってしまい得る可能性を持っていたので、子供が水死したという話を聞いたとき居ても立ってもいられなくなったのだ。
 本当に少女の霊が子供を水死させたのか否か。
 ただ、事実を知りたかっただけだった。
「じゃあ、俺が見た幻覚が現実になったわけじゃないんだ?」
 ほっとした気分で次郎はそう尋ねていた。次郎が幻覚を見たせいで子供が死んだのだったら、どうしようもないだけに、堪らない気持ちになる。
 少女はこくっと首を縦に振った。

 そうよ。全然関係ないわ。
 あなたの幻覚とは全然違うものよ。
 あなたが私たちの存在を、過去の罪の意識を感知しただけ。
 私たちはずっとここにいたもの。
 あなたがただ、幻覚だと思ってここに来ただけ。
 あなたの記憶はニセモノ。
 私はあなたに殺されたんじゃないもの。
 私も事故。
 ただそれだけ。

 それだけ言うと、少女はすっと河面に消えてしまった。次郎はしばらくそのままその場に座っていた。冷たい風が身体を冷やしていくが、心はふわりと温かかった。



 来年の夏には、老人が自慢した花火を見に行こう。
 もしかしたら、花火に喜んで成仏していく子供の姿が見れるかもしれない。
 この寂しく冷たい川が明るく華やぐところを見に来よう。
 もしかしたら、悲しみや怒りを身に秘め、柔らかく微笑む少女がいるのかもしれない。
 悼む人間がいる限り、彼らの辛い想いが昇華されるなら。
 あの老人が目指したものは誤りではなかったと、行いによって罪も昇華されるのだと。


 少女の隣で花火を見る老人の姿があればいいと思った。



 *END*