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<東京怪談ノベル(シングル)>


変質二段返し

 暗い夜だった。
 雲が低く垂れ込め、遠雷が響いている。やがて嵐が来るのかもしれない。
 そんな中、人気の絶えた住宅街の小道を歩く、1つの人影があった。
 明るい色のコートに、それと色を合わせたブーツ。
 若い女性である。
 暗鬱な空と似たような表情でややうつむき、家路へと急いでいた。
 風の噂によると、最近このあたりには「出る」のだそうだ。
 それが彼女の頭の中で渦巻き、周囲の暗さとあいまって、言い知れぬ不安さを覚えさせている。
 しかし、それもあと少し。
 5分ほど歩けば、親兄弟と愛犬の待つ我が家だ。
 そう思い、顔を上げた。ここからなら、もう暖かい家の明りが見えるはず。
 ……が、
「……!?」
 彼女の足が、凍りついたように止まる。
 確かに、家の明りは見えた。
 しかし、その前、5メートル程前方の街灯の明りの下に、黒いコートを着た男が立っていた。
「……ふ、ふふ、ふふふふふ……」
 目が合うと、口元を歪めて低く笑ってくるその男。
 見開かれた目は血走り、瞬きもせずにじいっとこちらに向けられている。
 胸元に構えられた両手は、まるで何かを求めるかのように、ゆっくりと開いたり閉じたりを繰り返していた。
 見た目は小太りでバーコード頭。冴えない中年男の見本みたいな風貌だが、全身から立ち上る雰囲気が「普通じゃない」と万国共通語で声高に訴えている。
「……お嬢さんに是非見てもらいたいものがあるんだ……」
 低くかすれ、粘ついた声。
「い、いや……」
 首を振り、一歩下がる女性。持っていたバッグを無意識のうちに落としてしまった。
「そんな事言わずに、見て欲しい。いいや、見てもらうよ。さあ、見て! 見るんだ! これが僕の全てさ! ああっ!!」
 男が女性の目の前に駆け寄り、自らのコートに手をかけると、一気にご開帳する。
「きぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 次の瞬間、乙女の悲鳴が夜空を揺るがした。
 男は……コートの下に何も身につけてはいなかった。
 そればかりか、ムダ毛は完璧なまでに処理され、ベビーオイルか何かでつややかに街灯の明りを照り返している。妙に生っ白い肌と、たるんだ腹がひどく生々しい。
「ああっ! いいっ! 素晴らしいオクターブの悲鳴だ! 脳髄を駆け回る、甘き乙女の旋律! おお神よ! ありがとう! とにかくありがとう!」
 両手を天に掲げ、身体を逸らして感動に身を打ち震わせる男。
 くねくねと妖しく揺らめく腰の中心では、さらに妖しい物体がぶらぶらと振れている。
 それには、ピンクのつつましやかなリボンがそっと巻かれていた。
 どういう意味を持つのかは……おそらく神にもわかるまい。
「いやっ!! いやっ!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!!!」
 耳を両手で塞ぎ、固く目を閉じ、ぶんぶん首を振る女性。
 突如突きつけられた圧倒的なまでの非日常の光景に、彼女の神経が途切れようとしたまさにその瞬間、
「──ふん、そんな粗末で汚らしいモノを人様に見せつけて喜ぶなんて、てめぇは何様のつもりだい。この下衆が! カスが! 生ゴミに沸く蛆虫めが!」
 新たな人物が、どこからともなく現れた。
 内容はひどい罵声だったが、頭に直接突き刺さるかのような、鮮烈な響きを秘めた美しい声。
「……」
「……」
 一瞬にして魔法にかけられたかのように2人は黙り、そちらへと顔を向ける。
「……ふふふ……」
 街灯の下に、妖しい微笑を浮かべて立つ、1人の女性。
 漆黒の髪は優美なラインを描いて腰にまでかかり、同色の瞳がじっとこちらに向けられている。
 切れ長の目の奥で光る色は、肉食獣のそれを連想させた。
 滑らかな白い肌の中で、ぽってりとした肉付きの赤い唇。
 端からチロリと舌先が覗いて、自らの唇を愛撫するその妖艶さ。
 その名は……黒木イブ。
「さあ、貴様のその醜い身体と魂に、本当のショーって奴を教え込んでやるよ!!」
 高らかに叫んで、身を包んでいたコートを高く投げ捨てた。
 瞬間、轟音と共に青白い雷光が天と地を繋ぐ。
 そのフラッシュをバックに、夜気に浮かび上がったイブのシルエット……
 黒い皮とエナメルで構成された、肌もあらわなボンテージルック。
 下半身はともかく、上半身はほぼノーガードだ。
 より具体的に言うと、2つの惚れ惚れする巨大さを誇る山脈──ようするにおっぱいは、何にも包まれずに完全に放り出されている。それでいてまったく垂れていない。
 手には先がいくつにも分かれた多条鞭を持ち、腰のホルスターには荒縄と太い百目ローソクが無造作に放り込まれていた。
 彼女の肩書きは……SMの女王様だ。
 履歴書の職業欄に「女王様」と書いても、唯一許される職種である。
 ピシッ、と、鋭い音が空気を切り裂く。
 イブの鞭が、地面へと打ち込まれたのだ。
 そして、次の瞬間、
「あうぁっ!」
 同じ音と共に悲鳴が上がり、男の身体が吹き飛んでいた。
 地面をゴロゴロと転がり、電柱にぶつかって止まる。
「あぅ、あぅ……あぐぁうぅぅ……」
「ほーっほっほっほ! いいザマだねえ! このブタめ! もっと汚い声で喚いてごらん!」
「ひぃぃ! たすけてぇぇ〜〜!!」
「おーっと、どこ行く気だいこの野郎!」
 地面をはいずってヨタヨタと逃げ出す男に、荒縄が放たれた。
 それ自体がまるで生物のように絡み付き、彼の身体を逆さまに電柱に縛り付けてしまう。
「いやぁぁ〜〜はずかしい〜〜! おかぁ〜〜さあ〜〜ん!!」
「今更人並みの事をほざくんじゃないよこのクソが! お前なんぞどうせ誰からも愛されていないのさ! 阿寒湖のマリモに名前でもつけて頬張ってな!」
「いやぁぁ〜マリモはチクチクするぅ〜〜!」
「うっさい馬鹿! この腐ったドロドロバナナ野郎! こ汚いケツしやがって! 野良犬にでも食われちないな! てめぇに生きる価値なんぞこれっぽっちもない! 死ね死ね死んでしまえ!」
 罵声と同時に、鞭が唸る。
「ひぃぃぃ〜〜!!」
「どうだい、あたしの鞭の味は!」
「あ、あぁぁああぁぁ……い……いぃですぅ……」
「なんだって!? 聞こえないよ!!」
 再び数度、呵責のない鞭が男の尻に振り下ろされた。
「と、とてもいいですぅぅ〜じょ、女王様ぁ〜〜」
 男の頬に朱が差し、目つきがとろんとなる。
 気のせいか、バックにバラの花が飛んだような気がした。
「ほーっほっほっほ! そうだろう、そうだろうとも! ほらほらもっとくれてやる! 泣け! 喚け! 助けを呼びな! 身体中から汁気がなくなるまで責めてやる! 干からびて地獄に落ちな! お前にはそれがお似合いさ! この虫ケラが!」
「ああ……っ! もっと! もっと下さい! もっと罵倒してください! 罵ってください! 蔑んでください! 僕は、僕は呪われた汚らわしい生物です! もっと……!」
「よーしよく言った! とことん行くよこの変態! お前は今からこの地上でもっとも程度の低い生物さ! バクテリアですら神に思えるほどのね!!」
「はわぁ〜〜、ば、ばくてりあ様ぁ〜〜」
「……………………」
 目の前で繰り広げられるSMライブショーを、ひきつった顔で見守る女性。
 鋭い鞭の音と、野太い男の悲鳴に、ハッと我に返った。
 ……こ、こんな所で自分は何をしているのか。いけない、早く自分の世界に帰らなければ。とりあえず危機は去ったが、すぐ側では新しい危機が現在絶好調で繰り広げられている。
 ……に、逃げよう。それしかない。
 そう判断して、そろそろとその場を離れ始めたが……
「ひっ!?」
 目の前に、ストッと軽い音を上げて、何かが飛来した。
 白く、太く、長いそれは……百目ローソクだ。
 どう見ても普通のものなのに、アスファルトの地面に突き刺さっている。しかも当然火が点いていて、揺らめく炎が淡い光をあたりに投げかけていた。
 その中に、すっと入ってくる皮のロングブーツの足先。
 上へと視線を辿らせていくと……イブだった。
 おっぱいで顔が半分以上隠れているが、光る目がじっと自分を見下ろしている。
「……どこ行くんだい、おまえ……」
「ひ……」
「ふふ、そんな顔するんじゃないよ……ふうん、なかなか可愛いじゃないか」
 値踏みをするような視線と共に、イブの白い指が彼女の輪郭をそっとなぞった。
 それだけで、妖しい感覚が女性の身体に駆け抜ける。
「……おいで」
 あとは……もうイブのいいなりであった。
 女王に魅入られた下僕には、従う以外の意思など許されはしないのだ。
「あたしの代わりに、この奴隷を責めてごらん。上手くできたら、ご褒美にいい所に連れてってやるよ」
「……」
 と、鞭を手渡された。
 無言のままに受け取り、構える。
 ──ビシッ!!
 無表情で、男の尻に打ち込んだ。まったく手加減なしで。
「ああぅ!」
 耳障りな声を上げ、身をくねらせる男。
 ……醜い奴、と思った。
 ──ビシィッ!!
「あぁっ! えくすたしぃ〜!」
 何度も、何度も、何度も繰り返される打擲(ちょうちゃく)。
 女性は途中で自分を取り戻していたが、手は止まらなかった。
「……ふふ、ふふ、ふふふふふ」
 いつしか、薄笑いさえ浮かべて、悶える男を責め続ける。
「ふうん……やっぱり才能あるじゃないか、お前。気に入ったよ……」
 イブもまた、口元に妖しい笑みを浮かべて、目の前のショーにじっと目を向けていた。
 2人の女性の低い笑い声と、男の悲鳴……
 それらはいつ果てるともなく続けられ……やがて静かに夜が更けていくのだった。


 翌日から、イブの勤める店に、新しい女王と奴隷が加わったそうだ。
 彼らはすぐに人気となり、今日も薄暗い店の奥で、客を相手に悲鳴を上げ、または上げさせているという。

■ END ■