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ショウタイム
太陽が沈みかけ、一日の活動を終えた事を告げる。赤く染まる街は、これからやってくる夜に備えて灯りをともしてゆく。そのような時刻。サラリーマンやOLは、一日の労働を終え、家路に急いでいた。中にちらほらと学生の姿も見られる。皆、帰路を取っているのである。そんな中、逆流する者がいた。流れるような赤い髪。心の内にあるものはきっと燃えるような情熱なのだろうと感じずにはいられない強い意志を秘めた赤い瞳。完璧の烙印を押されたような体。その全てが彼女、藤咲・愛(ふじさき あい)の形作る為のものである。背筋をぴいんと伸ばし、電車を待つ姿に思わず皆が見とれる。
(今から帰宅なのね、皆。あたしはこれからがお仕事だけど)
何となく疲れているようなサラリーマン達の姿に、思わず愛は微笑んだ。小さく、誰にも気付かれないように。
電車が入ってきた。愛の居場所である『DRAGO』へと誘うための電車だ。そこそこ混んでいる車内に、思わず苦笑してしまう。
(一体、何処からやってきたのよねぇ。人間が)
満員電車ではないだけ、ましなのかもしれない。それでも電車に乗る際はいつも思ってしまう小さな疑問。いつまでも答えの出ないような疑問だ。
(あら)
動き出した電車内で、ぼんやりと車内を見ていた愛は、ふと気付く。清純そうな女学生が、乗っていた。赤いリボンのセーラー服を着た、高校生くらいの女の子。困った顔をし、今にも泣き出しそうな感じだ。
(まさか)
愛ははっとしてその女の子の周りをぐるりと見る。女の子のすぐ横に、中年のサラリーマンが立っていた。小さく口元に笑みを携えて、淡く頬を紅潮させながら。
(……あいつね)
狙いを定め、愛はふうと溜息をつく。間違いない、痴漢だ。
(こういう事態を見逃す事はあたしの名折れだわ)
電車が、駅に着く。まだその女の子と中年男性は降りないようだ。女の子は人の流れに乗じて逃げようとするが、中年男性もまた、着いてきた。
(あくどい)
愛は眉を顰め、ハンドバックに手を突っ込む。何かを握り締め、流れに逆らわぬよう二人に近付いた。かくして、中年男性のすぐ後ろに到着する。
(やっぱり)
注意を凝らして下を見ると、中年男性の手が女の子のお尻に伸びていた。愛は持っていた何かでその手を縛る。縄のようなものだ。中年男性の手がびくりとする。愛は周りに聞こえないような小さな囁き声で、中年男性に話し掛ける。
「次の駅で降りません事?」
中年男性からの返事は無い。愛は縛る手に力をこめた。「うっ」と中年男性のうめく声が聞こえた。女の子が後を振り返ってきた。心配そうな顔で。愛はその子に向かってにっこりと笑う。
「あなたも、次の駅で降りてね」
愛の見事な微笑みに、女の子は思わず頷いた。そして、電車は次の駅に着く。女の子はすぐに降りたが、中年男性が降りるのを渋った。愛は構わず縛っていた縄のようなもので引っ張る。
「この姿、誰にも見られたくなければ降りる事ね」
このまま愛が引っ張り続けると、まるで警察に連行される犯人のように見えるだろう。手首を縛られ、引っ張られる中年男性の図。そのような図を、いつ、何処で、誰に見られるかも分かったものではないのだ。中年男性は渋々、愛に従って駅に降りた。改札を出て、駅の裏へと連れて行く。女の子も困惑しながら着いてきた。人気の居なくなった時点で、愛はにっこりと微笑んだ。
「どうしてこんな目に遭ったか、わかってるんでしょう?」
「な、何のつもりだね?い、一体どうして、わ、私を……」
中年男性は動揺して叫ぶように言う。愛は溜息をつき、女の子に向く。
「……大丈夫だった?」
「え?」
「あなた、痴漢に遭ってたでしょう?」
女の子はその言葉に思わず目に涙を為、こくりと頷いた。
「こいつがその痴漢よ」
「し、失敬だな!私がやっていただと?」
「だって、あたし見てたもの」
「そ、それにしても。嫌だったら言えばいいじゃないか!」
逆ギレした中年男性が叫ぶ。まるで、言わなかった事がいけないかのように。愛は大きく溜息をつき、手首をギリギリと締め上げた。
「分かってないわねぇ。言わなかったんじゃないの。言えなかったの」
愛は女の子の方に向き、微笑む。
「あたしも、あなたくらいの時は言えなくてね。抵抗も出来なかったわ……」
思い出される学生時代。愛は一瞬、ノスタルジックな気分に浸った。
「し、しかし!」
まだ何かしら言おうとする中年男性に、愛は一瞥してから手首を縛っていた縄のようなものを解き、前に突き飛ばした。それにより、縛っていた縄のようなものが中年男性の目にはっきりと確認される。……鞭だ。思わず中年男性は「ひい」と声をあげた。
「あらぁ……中々いい声で鳴くのね。だけどねぇ……」
愛は鞭を舐めながら、冷酷な笑みを浮かべる。サディスティックな笑み。その妖艶さに、中年男性と女の子は目を逸らせない。
「まだまだ、お楽しみはこれからなのよぉ……?」
鞭が風をきり、ピシャリと音をあげた。人気の無い場所に、響いていく。その音に愛はぞくぞくとする。中年男性の顔からは色が失われ、女の子はぽかんと口を開けている。
「さあ、子猫ちゃん!いい声でお鳴きなさい!その身の恥を実感しながらねぇ!」
ピシャリ!鞭は撓り、何度も中年男性に叩きつけられる。「ひい!」と中年男性は叫ぶ。愛はそっと蚯蚓腫れになっている箇所を触る。
「……気持ちいいでしょう?快感でしょう?……それもこの一時だけよ!」
愛の言葉通り、中年男性は鞭で叩かれた所に快感を得ていた。最後の方には「もっと罰して下さい!」と叫ぶほど。
「ならばもうしない事ねぇ!もう二度と!」
愛の叫びに、男が呼応して何度も頷く。その風景に、女の子はぱっくりと口をあけたまま、ただ見つめるだけだった。
暫くし、愛は額の汗を拭いながら女の子に向き合う。辺りはどっぷりと日が暮れてしまっている。
「大丈夫?暗くなっちゃったけど」
「え?……い、いいえ」
はっとしたように、女の子は返した。愛はにっこりと微笑む。足元には、体に沢山の蚯蚓腫れを作っている中年男性。
「あのう、その人……」
「ああ、いいのいいの。痴漢なんてする奴、これくらいのお仕置きを受けた方がいいんだから」
その身に受けた蚯蚓腫れは、すでに快感を得る事の出来ないものであった。愛が触ったことにより、痛みは快感へと変わった。が、その傷は決して治ったわけでもずっと快感になるわけでもない。ただ一時のものなのだ。男は体中の痛みに、顔を顰めたまま倒れている。
「ちょっとはすっとした?」
悪戯っぽく笑う愛に、女の子も微笑む。
「……有難うございます。本当に」
女の子が深く頭を下げた。愛はにっこりと笑って鞭をハンドバックへと収める。
「あの、その鞭……」
興味深そうに、女の子が尋ねてきた。
「ああ、あたしの仕事道具なの。愛用してるから、ずっと持ち歩いてるのよ」
「仕事道具……?」
不思議そうな女の子に、愛は一枚の名刺を渡す。倒れたままの男にも、名刺を飛ばす。ひらりと風をきり、名刺は丁度男の腹の上へと乗る。女の子は名刺をじっと見つめた。
「SMクラブ『DRAGO』……?」
「ああ、あたしのお店なの。……女王様って呼んでもいいわよ?」
にっこりと笑う愛。笑みが引きつる女の子。
「うっ……」
中年男性がうめいた。愛は見下すように侮蔑の目を向け、にやりと笑う。妖艶で、冷酷な笑みで。
「文句があるならいらっしゃい。……たっぷりと可愛がってあげるから」
愛は女の子を促し、駅に向かった。後には倒れたままの中年男性をその場に残したまま。
「藤咲、愛……」
名刺を握り締め、一人残された中年男性は呟いた。奥歯をぐっと噛み締めながら。
後日。愛は再び女の子と中年男性と出会う。それぞれ、別の場所で。女の子とは電車の中で出会った。あの時と同じ時間の、同じ車両で。
「あ、あのう……愛様」
おずおずと、薔薇の花を手渡しながら女の子は話し掛けた。愛はそれを戸惑いながらも受け取った。
「私にもなれるでしょうか。愛様のように」
「なれるわよ。いい女になるのに、条件なんてないんだから」
苦笑しながら愛が答える。だが、女の子は首を横に振る。
「違います!いえ、愛様がいい女じゃないって訳じゃなくて。……そのう、正義の女王様に、私もなれるでしょうか?」
「……え?」
愛の目が点になった。女の子の目はきらきらと輝き、憧れの眼差しを愛に向けている。そして、学生鞄からそっと何かを取り出してみせる。
「思わず、買っちゃったんです。私も、愛様みたいになりたくて」
思わず愛は絶句した。女の子の出してきたものは、紛れもなく鞭だったからだ。
「そ……そうね。あなたが成人したら、お店に来るっていうのも手かもしれないわね」
「本当ですか?約束ですよ!」
女の子は嬉しそうに笑う。そして愛は見てしまう。彼女の定期入れに、宝物のように入っている自分の名刺を。
「それ……」
愛が指差すと、女の子は照れたように微笑む。
「お守りなんです。いつか、私も愛様みたいになれるように」
愛も微笑む。最早、笑うしかなかった。女の子は別れを惜しみつつ、電車を降りていく。そうして、一つの嵐が過ぎ去った後に、もう一つの嵐は予告もなく訪れる。歌舞伎町にある、愛の居場所『DRAGO』にて。
「愛さん、指名が入ってますよ。早速」
店に入った途端、声をかけられる。愛は微笑み「気の早いお客がいるもんねぇ」と呟く。衣装に身を包み、愛用の鞭を持ち、そこに行くと……見慣れた中年男性の姿がそこにあった。愛は鞭を構え、睨みつける。
「あんた、仕返しにでも来たの?」
「ち、違います」
中年男性はワイシャツをまくり、腕を見せる。微かに残る、愛のつけたお仕置きの後。それをうっとりと見つめ、次に愛に向かって微笑む。
「愛様……どうかお仕置きを……お仕置きを……!」
「はあ?」
「私にどうかお仕置きを与えて下さい!」
事もあろうか、中年男性は愛の鞭にはまってしまったようだった。愛は何かが脳内で切れるのを感じた。
(与えて欲しいって言うのなら……)
「与えてやるのが筋ってものよねぇ」
サディスティックな笑み。その笑みに中年男性が恍惚の表情を見せる。
「跪いて靴をお舐め!」
ピシャリ!『DRAGO』に愛の鞭が鳴り響く。
「今日も愛さん、燃えてるなぁ」
従業員がぽつりと呟くほど、その時の愛は何かを振り切るかのように鞭を叩きつける。
「……ショウタイムは、いかが?」
愛は微笑む。サディスティックに、そして妖艶に。
<夜の闇に鞭の音を響かせながら・了>
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