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<東京怪談ノベル(シングル)>


街を歩けば

 散歩とは、特に理由も無く歩く事。理由もなければ、目的も無い。ただぶらぶらと辺りを徘徊し、何かしらを見つけたり得たりして、帰宅する。気分転換などにも最適。ただ歩くだけ。途中で何かしらの発見をするかもしれなくても、散歩というのはそう言うものなのである。
「うぬっ!」
 街を歩いていた人々が、突如上がった声に注目する。声の主は、網代笠を被った僧侶の男だった。護堂・霜月(ごどう そうげつ)、真言宗の僧侶だ。別に世を儚んで錫杖をつきながら歩いているわけでもなく、念仏を唱えながら座り込んでいるわけでもない。彼が声を発したのは、とあるCDショップの前だった。一人の少女が綺麗に微笑んでいる大きなポスターの前で、霜月はその銀の目を細めているのだ。
「新曲が出るのか……おお、そうじゃ。そう言えばそういう『だいれくとめーる』が来ておったのう」
 こくこくと頷きながら、霜月は呟く。最近売り出し中の、アイドル系歌唱力のある実力派だ。新しいもの好きな霜月は、勿論チェックは欠かしていない。予約をしようとCDショップの中に入りかけ、どんと肩がぶつかった。
(しまった、浮かれすぎておったか!)
 霜月は慌てて自らの体の安全装置達がきちんとかかっていたかを確認し、ぶつかった相手に向き直った。万が一という事が無いように。
「すまぬ、大丈夫であろうか」
「え、ええ」
 ぶつかったのは、少女だった。帽子を深く被り、落とした眼鏡を拾ってかけ、にっこりと微笑んだ。霜月は安心して少女を起こし、軽く会釈して別れた……が。
「む……」
 霜月は頭をフル回転する。何処かで見た事のある少女。しかも、つい最近に。
(ま、まさか……!)
 CDショップに貼ってあったポスター。微笑んでいたのは、先程の少女ではないのであろうか。
(こうしてはいられぬ……)
 霜月は慌てて少女を追いかけていこうとする。そして、気付く。少女の後を追う、一人の男に。首から下げたデジカメ、頭に巻いたバンダナ、一体何が入っているのかと聞きたくなる程の満員御礼リュック。
(あ奴……彼女を追い回しておるのでは)
 霜月はそっと気配を消し、男を追う。常人離れた脚力で、音もさせずに物陰から物陰に移動していく。すれ違う人は、突如風が起きたと思うくらいのスピードで。勿論、彼女を追い回す男に分かる筈も無い。
(何かしらするつもりなら、容赦はせん)
 霜月はこくりと強く頷く。男は信号で止まる。苛々しながら待つ彼の首から下げたデジカメがきらりと光る。
(何かしらしない訳は無かろうな……。現行犯で天罰を下そう)
 天罰。そう考えてから、霜月はにやりと笑う。純粋なファンではない者は、天罰を受けねばならない。勿論、天は直接に罰する事は出来ない。ならば、それを代わってやる者が必要だ。つまり、霜月。
「正義……うむ、悪くない趣向だ」
 信号が青に変わった。男はダッシュして少女の追跡を再開した。それに伴って、霜月も追跡を再開する。
「天知る地知る……我が知る!」
 霜月は勢い良く地を蹴り、横断歩道の端から端へと跳躍した。余りのスピードに、常人の目から見たら霜月がまるで瞬間移動をしたように見えたであろう。
「うむ、十点零零じゃ」
 満足げに霜月は微笑み、再び物陰から物陰への移動を繰り返し始めた。その様子を、見てしまった者がいた。母親に連れられた3歳くらいの少年。
「ねえ、ママ。さっきおぼーさんが飛んだの。ぴょーんって」
「あらあら。お坊さんは、飛んだりしないのよ?」
「本当だもん!」
 少年は頬をぷう、と膨らませた。母親は優しく微笑み、諭す。坊主は飛ぶものではないのだと。普通、坊主は飛ばない。ただし、その坊主が普通だったら、の話だ。普通ではない坊主に出会ってしまったのは、かなり微弱な確率での出来事だった。少年はいつしか気付くだろう。普通ではない坊主と、普通の坊主が存在する事に。だが、少年はまだ幼い。様々な坊主に会う度に「飛ぶの?」と聞くようになる……が、それはまた別の話である。

 小高い丘の上にある公園。緑豊かで、遠くから小鳥の囀りが聞こえてきそうである。少女は辺りを見回し、誰もいなさそうな場所を探し、見つけ出す。そこに来て、初めて少女は深く被っていた帽子と、度の入っていない眼鏡を取る。帽子から零れ落ちる長い髪が、風に揺れた。さらり、と風に流れて行く。少女は大きく伸びをした。
(美しい……)
 木の上から、うっとりと霜月はその様子に見とれた。しかし、少女を追い回していた男はそうは思わなかったようだ。置いてあるベンチの影からしきりにデジカメのシャッターを押し、芸術の一こまのような少女の仕種には全く興味を失せている。
(芸術の分からぬ輩め)
 ちっ、と霜月は小さく舌打ちした。少女は大きく息を吸い込み、歌を歌い始めた。少女の持ち歌だ。風に乗り、交じり合い、耳に優しく到達する。実力派と言われる所以の声で。
(流石じゃのう……)
 霜月は再びうっとりしながらその歌声に耳を澄ます。しかし、やはり男はそうは思わないようであった。ずっしりと重そうなリュックの中からMDレコーダーを取り出し、声を録音し始めたのだ。
(あ奴、心の根から腐っておるのう……)
 アカペラで歌う彼女の声は、確かに録音しておけば価値が出るだろう。とてつもなくレアな品となるだろう。他のファンに対して、圧倒的な優越感を得るかもしれない。だが、果たして本当にそれは優越を得るに等しいのであろうか。今、この緑の丘の上で、風に乗った歌声を堪能するからこそ、彼女の歌は生きているものとなるのではないだろうか。
(最悪じゃな。……ふむ、あれは没収じゃ)
 霜月の脳内で、MDは『没収リスト』に追加された。
「む」
 男が動いた。歌う事に夢中の彼女に、そろそろと動き始めたのだ。
(一体何をする気じゃ?)
 霜月も動く。木から飛び降り、彼女に近付こうとする男の前に立ちはだかった。
「一体何をしておる?」
 男はぎくりとして立ち止まる。少女も霜月の声にはっとして歌うのをやめて振り返った。
「べ、別に何も。た、ただサインを貰おうと……」
「ほお、その手のものはなんだ?」
 彼が手にしていたのはデジカメ。MDレコーダーは彼のパンパンになっているズボンのポケットにねじり込まれている。小さな機械音を鳴らしながら。
「あ、あのう……」
 少女が心配そうに問い掛ける。霜月は少女の方を振り向き、微笑む。
「何、心配するでない。しばし待ってくだされ」
「いえ、サインくらいなら別に……」
「これがサインを求める態度だと思うのか?」
 霜月は笑みを絶やさずに男の首根っこを掴み、ひょいと差し出す。
「あなた……」
 さっと少女の顔が青ざめる。だが男はずっとデジカメを強く握り締めたままにやにやと笑っているだけだ。まるでシャッターチャンスを狙うかのように。
「きゃあ!」
 びゅう、と強風が吹いた。彼女はスカートを慌てて抑えるが一瞬遅かった。男がデジカメのシャッターを押す方が早かったようだ。少女の顔が赤く染まる。男は嬉しそうに笑い、首根っこを持っていた霜月を振りほどいた。そして、猛然とダッシュし始める。
「逃がさぬぞ!」
 霜月はその場にしゃがみ込み、構えを取る。強く強く地を蹴り、男の前へと跳躍する。
「ひい!」
 男は怯えるが、手にしたデジカメは離さない。
「その目に余る行為……天罰を受けて当然と思え!」
「な、何でだよ?別に何も減ったりするもんじゃないじゃないか!」
「否、減る!」
 霜月が風を切る。一瞬の間に男の体に何発もの打撃が加えられる。無論、そこに反撃の文字は無い。ただ無様に一方的に乱舞技の対象となるだけだ。
 だんっ!最後の一打が、男の鳩尾に決まる。男は「がはっ」とうめいたかと思うと、その場に崩れた。
「……貴様の寿命が、減るのじゃよ」
 にやりと笑う霜月。だが、男の耳に届く事は無かっただろう。完全に意識を失っていたのだから。
「あ、あのう……」
 霜月が男の手からデジカメを取り、MDを取り、リュックを探っていると少女が話し掛けてきた。事の成り行きに唖然としているようだ。
「大丈夫じゃ。ほれ、この通り。全ては無に返すからのう」
 MDを抜き、ぐしゃりと手で潰す。デジカメのメモリもピッピッという電子音と共に消されていく。
「その人……殺したんですか?」
 怯えたように少女が尋ねる。男は倒れたまま、ぴくりとも動かない。
「いや。別に殺して構わんが、流石にこういうのを殺すのは嫌でな。手加減したんじゃよ」
(刃の手入れが大変じゃし)
 ぼんやりと霜月は考える。到底手加減をしたとは思えぬ男の有様など気にもせずに。少女はようやくくすりと小さく笑った。
「……本当は困ってたんです。この人、何だか怖くて。有難うございました」
「いや、礼には及ばぬ。……成る程。では、この程度の天罰ではいかんのう」
 霜月はそう言って、デジカメで男をぱちりと写した。少女と顔を見合し、にっこりと笑い合った後、その場を後にしようとする。……が。突如霜月は踵を返してもの凄い勢いで少女の元に戻る。少女はきょとんとして霜月を見る。霜月は懐からCDを取り出し、加えてマジックも差し出す。
「さ、さいんを頼んでも良かろうか」
 少女は微笑んで承諾する。そしてふと何かに気付いて頬を赤く染めた。霜月の差し出したCDは、シリアルナンバー入りのものだった。それも、FC会員でもなければ入手困難であろう、一桁台の。
「……有難うございます」
「ん?」
(礼ならばこちらから言わねばならんのじゃが)
 霜月は疑問に思いつつも、にこにこと笑った。サインをもらえた事に満足していたのだから。

 後日。とあるサイトに男の写真が掲載される。ホモサイトの恋人募集コーナーだ。彼の連絡先もきちんと載っている。仕業は勿論、霜月。リュックを探った時に、ちゃっかり情報を入手していたのだ。
「襲われる苦しみを、とくと味わうがいい」
 皮肉めいた笑みで、パソコンのディスプレイ画面に向かって呟く。霜月の予言通り、彼は最初の内は襲われる苦しみを味わう。……途中からその苦しみが快感になっていく事は、流石の霜月でさえも予測できなかったが。
「うむ、散歩も悪くはなかったのう」
 霜月はインターネットカフェを出て、大きく伸びをする。そして、ふとある諺を思い出す。
「犬も歩けばぼうにあたる……」
――街を歩けば、坊主にあたる。とある者にとっては良い意味で、とある者にとっては悪い意味で。

<サイン入りCDゲット・了>