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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


リバース・ドール =誘拐編=

□■オープニング■□

「葉山財閥会長宅に、2人組の賊が侵入。金品合わせて1億円相当が盗まれる――か」
 新聞の見出しを読み上げて、草間武彦は大袈裟に煙を吐き出した。
「いまだにこういうのが成功するとはね。隙のある警備を嘆けばいいのか、狡猾な犯人を誉めればいいのか」
 皮肉を呟く武彦に、零は苦笑を返す。
 新聞をたたんでデスクの上に置いた。――と、書類の山の上に、武彦は置いた覚えのない封筒を発見した。
(これは……)
 嫌な予感がする。
 一瞬眉を顰めた武彦だが、そのまま捨てるわけにもいかない。ゆっくりと、封を切った。
 その中には……
   ――やがて 事件は 2つ 解決する――
 そして、UNOのリバースカードに人形をあしらった例のカード。
 武彦はがっくりと脱力した。煙草の灰が落ちる。
「? どうかしました?」
 不思議そうにこちらを見た零に、武彦は封筒を見せた。
「この封筒、デスクの上に置いたの零か?」
 零はすぐに、否定の意味をこめて首を振る。
  ――ピンポーン……
「あ、はーいっ」
 そしてタイミングよく鳴ったチャイムに応えて、玄関へと走っていった。
(このタイミングで、来客か……)
 武彦は、何かを覚悟した。


「娘が誘拐されたんです!」
 厚化粧の女性が、ソファに座るなり告げた。
 この手のことには慣れている武彦は、冷静に問いかける。
「警察には?」
「言ってません。言えば娘が殺されます」
「……、犯人からの連絡は?」
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 武彦の問いに答えるように、女性の携帯電話が鳴った。女性は驚く程素早い反応でそれに出ると。
「祥子は無事なんでしょうね?!」
 そう叫んだ。そしてその顔が、間をおかずサッと青ざめる。
(まさか……っ?)
 いくらなんでも早すぎる。
 もう通話は終了しているのか、女性はゆっくりと携帯電話をおろし、放心したように呟いた。
「娘が――娘が犯人のナイフを奪って……お金を払わなければ、犯人を殺すって……っ」
 これは誘拐。逆誘拐事件。


□■視点⇒鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)■□

「――ドールの予告状? ドールって、こないだの逆密室の奴か?」
『ああ、そうだ。それでちょっと厄介なことになってな。力を借りたいんだが……すぐに来てくれないか?』
「わかった」
 草間探偵からの協力要請の電話も、もうすっかり俺の日常に溶けこんでいた。それが俺にもたらすものは、あやかし荘の修理以外で唯一俺の身体を活用できる時間であり、それにより人の役に立てる時間でもあった。
(リバース・ドール、か……)
 持ったままだった受話器を置いて、そのまま外へ向かう。あやかし荘にいる間はバイクは外に置いたままだから、呼ぶ必要はない。ヘルメットをかぶりそれに跨ってから、俺は思考を再開させた。
 俺たちはまだ、ドールに会ったことがない。会ったことがないどころか、実は間接的に接触したことすらない。
(俺たちが知っているドールは)
 人を通して届けられた、予告状と1枚のカードだけだった。
 しかし今回、先程の草間探偵の話によれば、草間探偵の所に直接それが届けられたという。
(次に狙われるのは)
 草間探偵?
 興信所の前に到着し、バイクを降りてヘルメットを外した。ここにバイクを置いたままでは邪魔なので、あやかし荘まで戻るよう設定してから中に入る。
 草間探偵のデスクの向かいにある応接コーナーへ向かうと、大声でわめいている厚化粧の女(オバサンだ)を、斎・悠也(いつき・ゆうや)が宥めているようだった。その向かいに、シュライン・エマと海原・みなも(うなばら・みなも)が座っている。草間探偵の姿は見えない。
「鳴神、ちょっとこっちへ来てくれ」
 声のした方に目をやると、事務所の奥にあるドアから顔を出した草間探偵が、「おいでおいで」をしていた。無言のままそちらへ向かう。
「まずはこれを見てくれ」
 部屋に入るなり、座るわけでもなく草間探偵は封筒を差し出した。受け取って中を確認すると、例のカードと……
「やがて事件は2つ解決する――か」
「1つ目の事件は、もう始まっている」
 読み上げた俺の声に続けるように、草間探偵は口を開いた。「ピン」と来た俺は。
「ソファに座っていた女か?」
「そう。あの女性の娘さんが誘拐された」
「!」
「しかもただの誘拐じゃない。ドールの好きな逆モノだ」
「逆誘拐?」
 草間探偵は頷く。
「――娘の祥子が犯人のナイフを奪ってこう言っている。『お金を払わなければ犯人を殺す』」
「な……っ」
 まるでできの悪い小説を読んでいるかのような、おかしな展開だった。
「……娘は、何が目的なんだ……」
「それを今、聞き出そうとしているのさ」
 草間探偵はドアに視線を投げながら、そう告げた。
  ――トントン
 そのドアが、ノックされる。
「草間さん? 次郎さんがいらっしゃいましたよ」
 ドア越しに聞こえた声は零のものだ。
「次郎? 大覚寺か。こっちに来てもらってくれ」
「わかりました」
 そうして間もなく、部屋に入ってきたのは細身で長身の青年。俺よりも若いのだろうが、無精髭のせいで同じくらいに見えるかもしれない。
「草間さん……」
 草間探偵の顔を見るなり、男(大覚寺というらしい)は呟いた。
「悪いな大覚寺。今、茶を出してやれるような状況じゃないんだ」
「わかっています。ずいぶんと剣呑な雰囲気だったので帰ろうかと思ったんですが……娘が誘拐されたんですっ」
「?!」
 大覚寺はいきなりそんなことを言い出した。だが草間探偵は慣れているようで、驚くふうもなく応える。
「また記憶が混同しているな。それは向こうにいた女性の記憶だろう?」
「え? ……あ……そうかも、しれません……でもっ、『ハメられた』って。これは間違いありません」
「!」
 俺は話についていけなかったが、今度は草間探偵が息を呑んだ。
「ハメられた?」
「はい。いつもの幻覚ですが、それだけ色がついています。赤いんです」
(何だ?)
 いまいち話の見えてこない俺は、草間探偵に視線で問いかけた。草間探偵はそれに気づいたのか、大覚寺を紹介してくれる。
「ああ、悪い。紹介がまだだったな。こいつは大覚寺・次郎(だいかくじ・じろう)といって、日頃から幻覚や幻聴に悩まされている奴なんだ。ただそれが現実になることもあってな。幻として済ませるわけにはいかないことも多い」
 小さく頭を下げた大覚寺に、一応名乗っておく。
「鳴神・時雨だ」
(それにしても……)
 草間探偵の説明を聞いて、俺も先程の大覚寺の言葉がいかに重要であるのかわかった。
(ハメられた)
 それが事実になる可能性があるということだ。もしくは既にハメられている……?
「草間さん! また電話ですっ」
 不意に部屋の外からそんな声が聞こえた。草間探偵を先頭に俺たちも部屋を出る。
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 その女の携帯電話は、テーブルの上に置かれていた。
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 草間探偵が部屋から出てきたのを確認して、女は通話ボタンを押す。そしてまた、テーブルの上に戻した。
(ドライブモードか)
 運転中電話を持たなくても話ができるように、スピーカーフォンのような機能がついているのだ。
「祥子? 祥子なの?!」
 電話と口が離れていることもあって、女の声は必要以上に大きい。単に興奮しているだけかもしれないが。
『お母さん? お金は用意できたの?』
「何を言っているの、祥子! 逃げられるならすぐに帰ってきなさいっ!」
 女のそれはもう叫びに近い。
 草間探偵は女の肩に手を置くと、落ち着くように促す。そして。
「祥子さん。お金を用意しようにも、金額を指定していただかなければできません」
『! ――あんた誰?』
「警察ではありませんから安心して下さい」
『当然だわ。警察なんて行けるわけないもんね。私が望んでる金額だって、その人はちゃんとわかってるはずよ』
「その人……というと、お母様ですか?」
『他に誰がいるのよ。ちゃんと払ってくれないと、本当にこいつ殺しちゃうわよって、お母さんに言っておいて』
 直接聞こえているとも知らず、祥子はそんなふうに言った。女の顔が青ざめている。
『あ、ちなみに。全部お金じゃなくても構わないから。じゃ、また電話するわ』
 そこで切れた。
  ――ツー ツー ツー……
 音が流れるけれど、女はそれをとめようとしない。シュラインが代わりに手を伸ばしてとめた。
 一瞬にして、静寂に包まれる。
「………………」
 誰かが口を開くのを、誰もが待っていた。そんな重苦しい空気の中、最初に口を開くのはやはり草間探偵だ。
「――広瀬さん」
 名を呼んだだけで、女はビクリと震えた。
「あなたは娘さんが望んでいる金額を知っているんですか?」
「………………」
 しばらくは、テーブル上の携帯電話を見つめたままだった女だが――やがて草間探偵を見上げて。
「……あの娘、私立の大学に行きたいと言っていましたから、それのお金だと思います」
「え……」
 呆れた声を出したのは、皆同じだった。
「大学には行かせないとでも言ったのですか?」
 優しい声で問いかけたのは、女の隣に座っている斎。
「3年前に主人がリストラで失業してから、貯蓄は減る一方で……娘を大学に――それも私立大学にやるお金なんて、ないんです……」
 目に涙を浮かべながら、女はそう語った。
「――零、広瀬さんを頼む。皆はこっちへ来てくれ」
 草間探偵はそう告げると、零を女の隣に残して、皆を先程の部屋に呼び寄せた。ドアをしっかり閉めてから。
「どう思う?」
 そう俺たちに振る。
「あたし、最初あの人の一人芝居かと思っていたんですが……それは違うみたいですね」
 最初に口を開いたのは海原だ。それに斎が続けて。
「誘拐犯と組んでの偽装誘拐の可能性は、まだ残っていますけれどね」
「何のために? こんな方法とったってお金が降ってくるわけじゃないってことは、当然よくわかってると思うけど」
 シュラインの言葉に、皆が唸る。
 誘拐の際の身の代金。実は警察に通報したとしても、警察は1円も出してはくれない。すべて自分で用意しなくてはならないのだ。つまり今回のような場合、誘拐犯と女がグルならばあまり意味がない。無理やり意味を求めるとするならば……
「狙っているのは、旦那の方の金?」
 俺の言葉に、シュラインが首を振った。
「それはないわね。さっき話を聞いていたんだけど、誘拐のことはご主人には話していないそうよ。就職活動を頑張っているご主人に迷惑をかけたくないんですって」
「就職活動、ね。そんなこと気にしている状況じゃないと思うんだがな……」
 草間探偵が頭を抱える。
「大学の資金をこんな形で請求するのも、おかしな話ですよね。お金がないことは祥子さんも充分わかっているはずなのに」
 海原が首を傾げた。
(そう……おかしい)
 奨学金など、他にいくらでも方法があるはずなのだ。誘拐されたことを利用してわざわざこんな危険な方法を取る意味がわからない。
「――1億円――」
 不意にそんな言葉を呟いたのは大覚寺だ。
「1億?」
「やったー。嬉しい。怖い。どうしよう? 哀しい。やっぱり無理だ。辛い……」
 大覚寺は何かを棒読みするように喋り続けている。その目は宙をさまよう。
「どうしよう? どうしよう? どうしよう? 行こうか? どこへ? 怖い。逃げられない。でも……やろうか? やめようか?」
「おい、大覚寺!」
 草間探偵が大きな声を出すと、大覚寺は「はっ」と我に返ったようだった。
「すみません……」
 それを見ていた皆は唖然としていたが、草間探偵はやはり慣れているのか、当たり前のように問った。
「幻覚か?」
「はい。今日の幻覚は、俺が『ウィンドウ』と呼んでいるタイプの物なんですが……空中にエディタがたくさん見えて、常に言葉が打ち出されているんです」
「『ハメられた』の次が、『1億円』?」
「気になる単語、というのが正しいですね。言葉自体は常にかなりの数が見えますから」
「なるほど」
 草間探偵は何かを納得するが、我々はそこまで追いつけない。ただ1億円という単語だけが、強く頭に刻まれた。
「1億円……1億円といえば、あの事件。まだ犯人が捕まっていないんですよね」
 口を開いたのは斎。
「例の強盗事件か! 大覚寺の幻覚は侮れないからな……何か関係があるかもしれない」
 草間探偵の言葉に、皆が目を見合わせた。
(調べてみよう)
 そんな思惑を胸に、それぞれが頷いた。


 大覚寺の幻覚から例の強盗事件との関連性を見出した俺たちは、草間探偵の指示に従って2班に分かれ別行動をとることになった。
 俺と斎は、誘拐犯と祥子の捜索。シュラインと海原と大覚寺は、強盗事件及び葉山財閥に関する捜査。そこに繋がりがあるのなら、その2つが揃った時。
(すべてが明らかになるだろう)
 それが、草間探偵の読みだった。
 そんなわけで、俺と斎は広瀬に連れられて、彼女の家にやってきた。「行きたい」と言ったのは斎だ。
「祥子さんの部屋を見せていただけますか?」
 そう切り出した斎に不安そうな顔をしながらも、広瀬は俺たちを2階に案内した。
「ここです」
 通された部屋は、俺の予想を裏切りかなりすっきりとしていた。『女らしさ』というものがほとんど感じられないのだ。もっと言えば、生活感すらあまりない。
 斎も驚いているのか、キョロキョロと部屋を見回した後、カーテンが閉められたままの窓に近づいていった。
  ――ザッ
 一気にカーテンを開くと、眩しい光が部屋の中を包みこむ。
「――すみませんが広瀬さん。しばらく向こうへ行っていていただけますか?」
「え?」
 次に鍵を開けて窓を開きながら、斎はそう告げた。優しい風が入ってくる。
「な、何故ですか?」
「ちょっと特殊な方法で祥子さんを捜しますから。祥子さんと似た気を持つあなたが傍にいたのでは、やりにくいのです」
 斎が笑顔でそう答えると、広瀬はやはり不安げな顔を浮かべたまま、それでも頷いて部屋を出て行った。
(笑顔にごまかされた)
 のだろう。実際、広瀬は斎の言葉を半分も理解できていないだろうから。
「どちらかというと、草間探偵のためだろう?」
 俺も窓に近づきながら訊ねると、斎は「ふっ」と笑って。
「依頼者の前でこういうことをすると、後から武彦さんに叱られるんですよ」
 そう言いながら、斎は手に乗せた和紙の蝶にそっと息吹をかけた。するとそれは本物の蝶に変わり、明るい空へ舞い上がってゆく。祥子の気をたどるつもりだろう。
「お前たちがそうだから、俺が『怪奇探偵』と呼ばれるはめになるんだ、か?」
「そうそう」
 合槌を打って、斎はまた笑った。
 頭を抱えてそう告げる草間探偵の姿をリアルに想像できるから、俺は少しだけ申し訳なく思う。確かに一理あるからだ。
(もっとも)
 逆に言えば、力を使わざるを得ない状況を運んでくるのは、やはり草間探偵なのだが。
「――おや」
 窓の桟に肘をついて頬杖をしたまま、外に目をやっていた斎が呟いた。といっても、視界に映っているのは目の前の景色ではなく、蝶の見ている景色だろう。
「いたか?」
「ええ。思ったよりは近いです。……ちょっと待って下さいね。今眠りの粉で眠らせますから」
「そんな物まで用意していたのか」
 準備のよさに、驚く。
「備えあれば憂いなし、と言いますしね」
 斎はそう告げてから、ゆっくりと目を閉じた。蝶に意識を集中しているのだろう。
 しかし不意に。
  ――ガクっ
「あ……っ」
 頬杖が外れて、斎の身体が傾いた。
「どうした?」
 とっさに支えながら問うと、斎は頭を押さえている。
「多分……蝶が斬られました」
「何?!」
「急ぎましょう、鳴神さん。斬ったのがドールなら、2人を逃がすかもしれません!」
(目的などわからない)
 けれどこちらを困らせるのが好きらしいドールならば、充分にそれをやる可能性があった。
「――わかった。俺のバイクで行こう」
 急いで階段を駆け下りて、広瀬に挨拶する間もなくバイクに乗りこんだ。3人でここへ来た時はタクシーだったのだが、いざという時のことを考えてバイクを呼んでおいたのは正解だった。
 そんな俺たちの様子に、何事かと家から広瀬が飛び出してくる。
「これから祥子さんを助けに行ってきますから、広瀬さんは事務所へ戻っていて下さい!」
 俺の後ろに乗っている斎がそう告げた。俺はその斎の頭にヘルメットをかぶせると、早々にバイクを発進させる。
 俺がいつもヘルメットをしているのは安全のためではなく、それがルールであるからだ。だからこの場合斎にヘルメットをさせるのは当然のことだった。
 右、右、左……と斎の指示通りにバイクを走らせ、たどり着いたのは「店舗募集」の看板が建てられた古い建物だった。ずいぶん長いこと使われていないらしく、外装はぼろぼろ。
(きっと中もぼろいだろうな)
 少しだけ修理してみたくなる。
 周りを見渡してみると、人通りがやけに少ない。店をやるには最悪だろうが、隠れるには最適だろう。
 先に降りた斎がヘルメットを外し建物を見上げると。
「! 今2階の窓に誰か……っ」
 俺もすぐに降りて、その窓を見上げた。
(ジャンプで届く高さだな)
 そう考えて、斎に振る。
「俺が行ってくる。斎は念のため出入り口を見張っていてくれ」
「え?」
 返事を待たずに、俺は戦闘形態に変身した。そしてそのまま、2階の窓へ向けて飛び上がる。
  ――ガッシャン!
 ガラスを突き破って、直接侵入した。
「きゃ〜〜〜〜っ」
 耳に入りこんできたのは若い女の声。フォーカスを合わせると、壁紙も床も所々剥がれた部屋の隅で、女が座りこんでいた。
(確かに祥子だな)
 タクシーの中で見せられた写真と同じ顔だった。そしてその足元に、ガムテープでぐるぐる巻きにされた男が転がっていた。
(犯人か?)
「なっ、何なのよあんた!」
 声を震わせて叫ぶ祥子の手には、小さめのナイフが握られている。小さいが、それなりの所をつけば致命傷にはなるだろう。
「………………」
 俺は無言で、祥子に近づいていった。
「何?! こっちこないでよ! それ以上来たらこいつ刺すわよっ」
「貴様が刺すより、俺がナイフを奪う方が早い」
「っ……?!」
「試してみるか?」
 脅し返した俺の言葉に、祥子は口を噤んだ。今の俺の姿を見れば、それが嘘でないことは容易に想像できるはずだ。
「……何で……? 何でよ……ぉ」
 俺がさらに近づいていくと、祥子はナイフを手放し泣き始めた。
「私は何も悪いことしてないよ……悪いのは全部この人たちだもん……っ」
(この人、たち?)
 やはり、母親のことだろうか。
 これまでの様子からいって、祥子と母親は全然うまくいっていないようだった。今回祥子がこんな行動に出たのは、母親の自分に対する愛情を確認するためなのかもしれない。
「――鳴神さんっ? 大丈夫ですか?」
 祥子の泣き声が聞こえたのだろう。斎が祥子の傍のドアから現れた。ちゃんと階段を使って来たようだ。
「あ、祥子さん! ご無事でしたか」
 安心したように告げてから、足元のみの虫に目をやる。
「……この人が、誘拐犯ですか?」
 斎は俺にではなく、祥子に問いかけた。まだ泣いている祥子は、それでも頷く。
「そうですか……では事務所に戻りましょう。祥子さん、一緒に来てくれますね?」
 もう一度頷いた祥子を確認して、斎はこちらに向き直った。俺が先に口を開く。
「この人数ではバイクは無理だ」
「ですよね。タクシーを呼びましょう」
「ならばそのガムテープを剥がさねばな」
 まさかこの格好のままタクシーに乗せるわけには行くまい。それではこちらが誘拐犯のようになってしまう。
 俺は男の横にしゃがみこむと、男が気を失っているのをいいことに力任せに剥がしまくった。肌に直接触れていた所は剥がされた跡が赤く染まっているが、まぁ自業自得だろう。
 そうして、俺と斎、祥子と誘拐犯は、4人で事務所へと戻った。

     ★

「! お母さん……」
 事務所へ入るなり、母親の姿を見つけた祥子は呟いた。
「祥子……っ」
 広瀬は駆け寄り祥子を抱きしめると、先程の祥子のようにはらはらと泣き始める。
「……いつ、気づいたの……?」
 皆が見守る中、広瀬が初めに告げた言葉は、「無事でよかった」でも「どうしてあんなことを」でもなく。
 その違和感に、我々は眉を顰めた。
 祥子だけが、当然のように答える。
「気づいたんじゃないわ。ドールが教えてくれたの」
(!)
「何ですってっ?!」
 ドールの名前が出てきて驚いたのは我々も同じだが、いちばん驚いていたのは広瀬のようだった。広瀬は祥子を抱きしめていた手を離して、その肩に手を置く。
「ドールが? どうして?! いつからドールと知り合いなの?」
 取り乱した母親の様子に、祥子も戸惑って。
「え……? お母…さんも、ドールを知ってるの……?」
「だって――強盗計画を手伝ってくれたのはドールなのよ……っ」


 やがて落ち着きを取り戻した2人の話と、強盗事件や広瀬家の捜査を担当していた3人の話を総合すると、こんな感じだ。
(まず)
 すべてのもとになっているのは、3年前の父親の失業。それが原因で夫婦は徐々に不仲になり、パートへ出るようになった母親はそこで新しい相手を見つけた。不仲はさらに加速する。
 母親は新しい相手と一緒になりたいと思い悩んでいた。しかし父親(夫)と話してもケンカになるだけなのは目に見えていたし、失業をしている今離婚を承諾してくれるはずはないと考えた。
(だから)
 逃げることを決意した。それは本当は、最低な選択なのかもしれない。
 そんな2人に葉山財閥会長宅への強盗話を持ちかけたのが、他でもなくドールだという。
(ドールは)
 「逃走資金が必要でしょう」とうまく2人を丸めこんで、それを実行させた。ドール自身もそれに協力しているからこそ、これまで捕まっていなかったのだろう。
(そして……)
 強盗を成功させ1億円を手にした母親は、不意に我に返った。『母親』である自分を思い出したのだ。
(娘である祥子が)
 大学に行きたがっていた。この金があればそれを叶えてやれる。置いていくつもりだった祥子のことが、その反動も手伝ってか、ひどく愛しく感じられた。
(不仲になってゆく自分たちを)
 見ていていちばん辛かったのは祥子ではなかろうか。けれど何一つ口出しをしない祥子を、情のない子だと思っていた自分は――
(何故気づかなかったのだろう?)
 誰よりも我慢していたのは、祥子なのだ。
 それを悟った母親は、祥子のために1億円を独り占めすることにした。そしてそれに気づいた男がその金を取り返すためにやったのが、今回の誘拐だったのだ。
 身の代金の請求額はもちろん1億円。けれど盗んだ金だから当然警察には行けない。探偵事務所の規模などたかが知れている。男の企みは成功するはずだった。祥子がそれを知らなければ。
(けれど祥子は、知っていた)
 誘拐される前から、あの強盗は自分の母親がやったのだと。そして決定的な証拠を突きつけて、通報するチャンスを狙っていた。祥子にしてみれば、男と逃げるために強盗を犯した情けない母親なのだ。
 祥子が犯人からナイフを奪う隙を、作ったのもドールだという。そのおかげで形勢は逆転し、祥子は母親に1億円を要求した。もちろんそれを警察に突き出すためだ。
(だが)
 この祥子の計画も、俺たちによって果たされなかった。しかしこうして、互いの気持ちを正直に話し合う空間ができたことは、あるいは祥子の本望だったのかもしれない。
 母親がただ私欲のために金を独り占めしようとしたと思っていた祥子は、それが本当は自分のためだったと知って涙を流していた。これまでの我慢がすべて解き放たれたように、いつまでも泣きやまなかった。
 それを見て母親は自首を決意し、祥子に以前から用意してあった離婚届を託したが、祥子はそれを破り捨てた。
「ちゃんと話し合えば……わかってくれるよ」
 自分たちに足りなかったのは、会話であり言葉なのだと――。

     ★

「結局今回も、ドールの行動の意味は、謎に包まれたまま……ですか」
 カップを持つ手をとめて、斎が呟いた。
 警察署へ向かうタクシーに乗りこんだ3人(男はまだ気絶していたが)を見送ってから、俺たちは応接ソファで零が淹れたコーヒーやら茶やらを飲んでいた。
「――そうかしら?」
 反論するようなシュラインの言葉に、皆の視線が集まる。
「今回のことを整理してみると、ドールがやったのは強盗の手伝いと逆誘拐の手伝いよね?」
「あとは、この予告状と広瀬さんにこの事務所を教えたこと、だな」
 例のカードを手に、草間探偵がつけたした。
(そう)
 広瀬がこの探偵事務所を選んだのは、偶然ではなかったのだ。何かあったらここへ行くように言っていたらしい。
 草間探偵に頷いて、シュラインは続ける。
「それで結果はどうなった? 2人は逮捕確実で一見救いようがないように見えるけれど……」
「あっ――祥子さんの願いは、叶っている……?」
 続けた海原の言葉に、「はっ」と気づく。
(祥子が望んでいたもの)
 それは祥子自身が口にしなくとも、皆気づいていた。
(失われた穏やかな生活)
 仲のいい家族。
 確かにそれは、今後たとえ時間がかかったとしても、成就されるだろう。
(そう言えば)
 前回だって、ドールは願いを叶えていた。
「やり方はかなり間違えているけれど……ドールはいつも、人の願いを叶えている――?」
「誰も見てくれないんだ」
 斎が呟いた言葉に、続けたのは大覚寺。だが意味は、続いていない。
「ボクの願いは何一つ叶わないんだ。崇められていた者が一瞬にして恐怖の対象に変わる。下克上? クーデター? そんなものは構わない。でも本当は、必要もなかった。ボクには高い望みなんてどこにもない。ただ小さな、それしかないから」
「大覚寺?!」
 さすがの草間探偵も、驚いて名を呼ぶ。けれどとまらない。
「ここへ来てボクを見て。目を合わせて。1秒でいいんだ。背中合わせでも傍に。手を繋いで声を聞いて。存在を消さないで。ボクはここにいる――」
  ――はらり
 言葉が終わると同時に、何かが床に落ちた感覚がした。見るとそれは――
「カードが……!!」
 あの時のように、カードが真っ二つに割れている。しかも草間探偵の手の中で。
「っう……うあぁぁぁ……」
 大覚寺が頭を抱えてうずくまった。
「大丈夫?」
 あまりの状況に、そんな声をかける者もいない。
(ドール……)
 貴様は何を、望んでいる――?









                             (了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/   PC名    / 性別 / 年齢 /  職業   】
【 1323 / 鳴神・時雨    / 男  / 32 /
              あやかし荘無償補修員(野良改造人間)】
【 0086 / シュライン・エマ / 女  / 26  /
            翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【 1352 / 大覚寺・次郎   / 男  / 25 /  会社員  】
【 0164 / 斎・悠也     / 男  / 21 /
                     大学生・バイトでホスト】
【 1252 / 海原・みなも   / 女  / 13 /  中学生  】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは^^ 伊塚和水です。
 毎度のご参加ありがとうございます_(_^_)_
 今回はズバリ、誘拐と強盗をどううまく関連付けるか、にすべてがかかっていました。確かに最初から関係があるつもりで私はオープニングに入れたんですが、皆さんがそれ(オープニングに使われていたこと)を理由に関連があると推測したからです(笑)。つまり紛らわしく書いた私が悪かったんですけどね……ごめんなさい(/_;)
 作中でどのように繋がったのかは既にわかっているとは思いますが、そのおかげでプレイングが活かしきれないようになってしまいました。身の代金の引渡しも結局行われませんでしたし……期待を裏切ってしまって申し訳ありません。これも一つの解答だと思って受け止めて下さると幸いです。
 ドールの話はまだまだありますので、お楽しみに^^

 それでは、またお会いできることを願って……。

 伊塚和水 拝