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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


リバース・ドール =誘拐編=

□■オープニング■□

「葉山財閥会長宅に、2人組の賊が侵入。金品合わせて1億円相当が盗まれる――か」
 新聞の見出しを読み上げて、草間武彦は大袈裟に煙を吐き出した。
「いまだにこういうのが成功するとはね。隙のある警備を嘆けばいいのか、狡猾な犯人を誉めればいいのか」
 皮肉を呟く武彦に、零は苦笑を返す。
 新聞をたたんでデスクの上に置いた。――と、書類の山の上に、武彦は置いた覚えのない封筒を発見した。
(これは……)
 嫌な予感がする。
 一瞬眉を顰めた武彦だが、そのまま捨てるわけにもいかない。ゆっくりと、封を切った。
 その中には……
   ――やがて 事件は 2つ 解決する――
 そして、UNOのリバースカードに人形をあしらった例のカード。
 武彦はがっくりと脱力した。煙草の灰が落ちる。
「? どうかしました?」
 不思議そうにこちらを見た零に、武彦は封筒を見せた。
「この封筒、デスクの上に置いたの零か?」
 零はすぐに、否定の意味をこめて首を振る。
  ――ピンポーン……
「あ、はーいっ」
 そしてタイミングよく鳴ったチャイムに応えて、玄関へと走っていった。
(このタイミングで、来客か……)
 武彦は、何かを覚悟した。


「娘が誘拐されたんです!」
 厚化粧の女性が、ソファに座るなり告げた。
 この手のことには慣れている武彦は、冷静に問いかける。
「警察には?」
「言ってません。言えば娘が殺されます」
「……、犯人からの連絡は?」
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 武彦の問いに答えるように、女性の携帯電話が鳴った。女性は驚く程素早い反応でそれに出ると。
「祥子は無事なんでしょうね?!」
 そう叫んだ。そしてその顔が、間をおかずサッと青ざめる。
(まさか……っ?)
 いくらなんでも早すぎる。
 もう通話は終了しているのか、女性はゆっくりと携帯電話をおろし、放心したように呟いた。
「娘が――娘が犯人のナイフを奪って……お金を払わなければ、犯人を殺すって……っ」
 これは誘拐。逆誘拐事件。


□■視点⇒大覚寺・次郎(だいかくじ・じろう)■□

(ああ……今日は『ウィンドウ』か)
 視界いっぱいに現れているエディタを、何となく眺めていた。
『……明日? 明日はダメだって。ねぇ聞いたぁ? イワシと裕美がデキてるってさ。えー何よそれ。あの娘岩清水なんて嫌いとか言ってたんよ。騙されたんだよ、アンタ。殺しちゃおうぜ。ゆっくり叩けば簡単だよ。触角がわずかな空気の動きを感じて逃げるんだから。風起こさないようにすればいいんだ。何でお前そんなこと知ってンの? テレビでヤってたに決まってるだろ。お前テレビなんか見んのかよ。エロビデオだろ?! 無修正なんだ。あんなに間違ってたのにね。直したら認めたっぽくて嫌なんでしょ……』
(何だかな……)
 意味を考えるのも面倒で、やがて歩き始める。歩いても、エディタは俺の周りを離れず、常に視界の中にあった。
(そう)
 これは幻覚だ。
 小さい頃から、俺は時々非常にリアルな幻覚に悩まされてきた。最近またそれが酷くなってきているようで。周りの会話や卑猥な言葉が次々と目の前に打ち出されていく。
(こんな時は)
 幻覚に身を任せていても気が滅入るだけなので、草間さんの事務所に遊びに行くに限る。正確には、お茶をたかりに行くのだが。
 俺が行く時は、大抵チャイムを鳴らしたりはしない。お客さんかと期待させるのも可哀相で、俺なりの配慮だった。草間さんがいなくても零さんは常にいるので、鍵が閉まっているということもない。
 今日も勝手にドアを開けて事務所の中を覗いてみると、応接コーナーの方に何やら人が集まっていた。しかも、雰囲気が妙に暗い。
(何だ……?)
 さすがに今日は、帰った方がいいだろうか?
 そう考えた時だった。
『ハメられた!!』
 黒い文字で占められたウィンドウの中に、不意に赤い文字が割りこんできた。しかもその言葉は、何やら嫌な予感をさせる。
(ハメられるのか……?)
 誰が? 誰に?!
 俺の幻覚は時として真実となる。自分でそれがよくわかっているから、少し焦った。
(もしその対象が草間さんならば)
 できれば回避して欲しい。幻覚が酷い時でも、俺に付き合ってくれる貴重な人だ。世話になっている、と言える。
 俺は意を決して、皆の方へと走っていった。だがざっと見回してみても、草間さんがいない。
「草間さんは?!」
 焦って訊ねると、俺に気づいた零さんが答えてくれた。
「あ、次郎さん。草間さんならこちらです」
 そして俺を、奥の部屋へと案内する。
  ――トン トン
「草間さん? 次郎さんがいらっしゃいましたよ」
 ノックして零さんが告げると、中から草間さんの声が返ってきた。
「次郎? 大覚寺か。こっちに来てもらってくれ」
「わかりました」
 零さんはそう返事をした後、俺に振り返って、「どうぞ」と促した。俺は小さく頷いて、ノブに手をかける。
 部屋の中へ入ると、草間さんの他にもう1人いたが。
「草間さん……」
 草間さんの顔を見ただけで少し安心して、俺は呟いた。
「悪いな大覚寺。今、茶を出してやれるような状況じゃないんだ」
「わかっています。ずいぶんと剣呑な雰囲気だったので帰ろうかと思ったんですが……娘が誘拐されたんですっ」
「?!」
 口走ってから、自分でもふと気づいた。
(あれ?)
 何かが変だ。
 俺は草間さんにそのことを相談しに来たのだったか。
「また記憶が混同しているな。それは向こうにいた女性の記憶だろう?」
 草間さんにそう言われて、混乱しかけた俺の頭は次第に冷静さを取り戻す。
(そう)
 俺の悩みの種は幻覚や幻聴だけではなかった。他人の記憶すらも、時々自分のものと勘違いしてしまうのだ。
「え? ……あ……そうかも、しれません……でもっ、『ハメられた』って。これは間違いありません」
「!」
 俺は自分の記憶を思い出して、草間さんに伝えた。
(そうだ)
 これを伝えるために草間さんに会おうと思ったんだった。
「ハメられた?」
「はい。いつもの幻覚ですが、それだけ色がついています。赤いんです」
 草間さんは何かを考えるように視界をめぐらせて、ふともう1人の男性の所でそれをとめた。
「ああ、悪い。紹介がまだだったな。こいつは大覚寺・次郎といって、日頃から幻覚や幻聴に悩まされている奴なんだ。ただそれが現実になることもあってな。幻として済ませるわけにはいかないことも多い」
 草間さんが紹介してくれたので、俺は小さく頭を下げた。すると男性も名乗ってくれる。
「鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)だ」
『鳴神・時雨だ』
 まだ目の前に広がったままのエディタは、多分正確に漢字変換した。こういう時、少しだけ便利だと思う。
(ほんの少しだけ……)
「草間さん! また電話ですっ」
 そんなことを考えていると、不意に部屋の外から零さんの声が。
(電話?)
 よくわからないが、草間さんに続いて鳴神さんも急いだ様子で部屋を出て行く。何となく、俺もついて部屋を出た。
 応接コーナーには先程とまったく同じメンバーがいて(ほとんど時間が経っていないから当然かもしれないが)。鳴っているのはテーブルの上に置かれている携帯電話のようだった。
 その前の女性が、草間さんの存在を確認してからゆっくりと通話ボタンを押す。
「祥子? 祥子なの?!」
 押した後はまたテーブルに戻して、女性はそれに向かって叫んだ。どうやら手ばなしでも話せる(聞こえる)モードになっているようだ。
『お母さん? お金は用意できたの?』
(え……?)
 聞こえてきた女の子の声に、俺は驚く。
(お金は用意できたの?)
 まるで「お小遣いちょうだい」みたいな言い方で、誘拐犯のようなことを言っているのだ。
(まさか――)
 この女性の子どもが誰かを誘拐して、母親に身の代金を要求しているのだろうか。
「何を言っているの、祥子! 逃げられるならすぐに帰ってきなさいっ!」
(あれ?)
 少し違うようだ。
 状況のわからない俺は、幻覚に邪魔されながらもただ成り行きを見守ることしかできない。
 草間さんは女性の肩に手を置くと、落ち着くように促した。そして。
「祥子さん。お金を用意しようにも、金額を指定していただかなければできません」
『! ――あんた誰?』
「警察ではありませんから安心して下さい」
『当然だわ。警察なんて行けるわけないもんね。私が望んでる金額だって、その人はちゃんとわかってるはずよ』
「その人……というと、お母様ですか?」
『他に誰がいるのよ。ちゃんと払ってくれないと、本当にこいつ殺しちゃうわよって、お母さんに言っておいて』
 直接聞こえているとも知らず、女の子――祥子さんはそんなふうに言った。女性――広瀬さんの顔が青ざめている。
『あ、ちなみに。全部お金じゃなくても構わないから。じゃ、また電話するわ』
 そこで切れた。
  ――ツー ツー ツー……
 音が流れるけれど、広瀬さんはそれをとめようとしない。広瀬さんの向かい側に座っていた女性が、代わりに手を伸ばしてとめた。
 一瞬にして、静寂に包まれる。
「………………」
 誰かが口を開くのを、誰もが待っていた。そんな重苦しい空気の中、最初に口を開くのはやはり草間さんだ。
「――広瀬さん」
 名を呼んだだけで、広瀬さんはビクリと震えた。
「あなたは娘さんが望んでいる金額を知っているんですか?」
「………………」
 しばらくは、テーブル上の携帯電話を見つめたままだった広瀬さんだが――やがて草間さんを見上げて。
「……あの娘、私立の大学に行きたいと言っていましたから、それのお金だと思います」
「え……」
 それには俺も、呆れた声を出した。
 状況は相変わらずよくわからないけれど、大学入学のためのお金をこんな形で親に請求するなんてナンセンス以外の何物でもない。
「大学には行かせないとでも言ったのですか?」
 広瀬さんの隣に座っていた男性が問いかけると、広瀬さんは目に涙を浮かべて。
「3年前に主人がリストラで失業してから、貯蓄は減る一方で……娘を大学に――それも私立大学にやるお金なんて、ないんです……」
(だからって……)
 最初から「ダメ」と言ってしまうのは、可哀相に思えた。本人がやる気ならいくらでも方法があると思うからなおさらだ。
 皆もそう思っているのか、複雑な顔で無言を通す。
「――零、広瀬さんを頼む。皆はこっちへ来てくれ」
 草間さんはそう告げると、零さんを広瀬さんの隣に残して、皆を奥の部屋に呼び寄せた。ドアをしっかり閉めてから。
「どう思う?」
 そう皆に振る。
「あたし、最初あの人の一人芝居かと思っていたんですが……それは違うみたいですね」
 最初に口を開いたのは、セーラー服の少女だった。中学生くらいに見える。それに、先程広瀬さんの隣に座っていた男性が続けた。
「誘拐犯と組んでの偽装誘拐の可能性は、まだ残っていますけれどね」
「何のために? こんな方法とったってお金が降ってくるわけじゃないってことは、当然よくわかってると思うけど」
 次に口を挟んだのは、広瀬さんの向かいに座っていた女性だ。
「狙っているのは、旦那の方の金?」
 さらに鳴神さんが口を開いた。
(うーん……)
 状況が複雑なようで、会話が飲みこめない。ただ今回のことで、草間さんが『ハメられる』可能性は充分にあるようだ。誰も正確に状況を理解していないようだからなおさら。
(あとで草間さんに聞いてみよう)
 俺はそう考えて、とりあえずは皆の会話に目を通しておくことにする。耳で聞くよりも、見ることに慣れてしまっている俺にとっては、文字を見た方が早いし記憶に残るのだ。
(幸い、今日の幻覚は『ウィンドウ』だし)
『それはないわね。さっき話を聞いていたんだけど、誘拐のことはご主人には話していないそうよ。就職活動を頑張っているご主人に迷惑をかけたくないんですって』
『就職活動、ね。そんなこと気にしている状況じゃないと思うんだがな……』
『大学の資金をこんな形で請求するのも、おかしな話ですよね。お金がないことは祥子さんも充分わかっているはずなのに』
 そこまで打ち出された時、また1つの単語が画面に割りこんできた。赤い文字、というわけではなかったが、流れからしてあまりに唐突な気がした。
「――1億円――」
 気になって口にすると、反応したのはやはり草間さんだ。
「1億?」
 その問いかけに、今度は記憶が変換される。
「やったー。嬉しい。怖い。どうしよう? 哀しい。やっぱり無理だ。辛い……。どうしよう? どうしよう? どうしよう? 行こうか? どこへ? 怖い。逃げられない。でも……やろうか? やめようか?」
「おい、大覚寺!」
 草間さんの呼ぶ声に、俺は「はっ」と我に返った。
(俺が盗んだ……?)
 1億円。
 思わず両手を見るが、何も持ってはいない。
「すみません……」
 記憶が流れこんできたのだと納得して謝った。ああなると、自分を思い出すまで『俺』に戻れないのだ。
「幻覚か?」
「はい。今日の幻覚は、俺が『ウィンドウ』と呼んでいるタイプの物なんですが……空中にエディタがたくさん見えて、常に言葉が打ち出されているんです」
 幻覚と記憶を分けて説明するのが面倒で、俺はそんなふうに答えた。もっとも、今記憶の引き金になったのは幻覚なのだから、間違いではない。
「『ハメられた』の次が、『1億円』?」
「気になる単語、というのが正しいですね。言葉自体は常にかなりの数が見えますから」
「なるほど」
 草間さんは納得して頷くが、周りの皆は当然わけがわからないだろう。そんな空気が流れていた。
 そんな中、1人が呟く。
「1億円……1億円といえば、あの事件。まだ犯人が捕まっていないんですよね」
「例の強盗事件か! 大覚寺の幻覚は侮れないからな……何か関係があるかもしれない」
 可能性を肯定するような草間さんの言葉に、皆が視線を合わせた。それとこの事件、繋がりがあるというのならば。
(調べてみよう)
 そんな意味をこめて、皆が頷いた。


 それから俺はやっと、逆誘拐事件の説明を聞いた。そしてリバース・ドール――ドールという子どものことを。
 予告状と一緒に、UNOのリバースカードに人形をあしらったものを送りつけるドール。これまでに一度、ドールが手伝った事件に遭遇したという草間さんと他の皆は、その予告状が実行された現場にいたのだという。
 今回実は草間さんのもとに新たな予告状が届いていて、誘拐の状況が複雑になっているのもそのせいのようだった。
   ――やがて 事件は 2つ 解決する――
 それが今回の予告の内容。そしてタイミングからいって、2つのうち1つはこの誘拐事件に間違いないようだった。前回の事件で逆密室を演出したというドールが、今回は人質が犯人のナイフを奪って身の代金を要求するという逆誘拐を演出することは充分にありうるという考えだ。
 そしてもう1つの事件ではないかと持ち上がったのが、いまだ解決されていない例の強盗事件。
(もし)
 この2つがドールのいう2つならば。どこかに繋がりがあるはずだと、草間さんは言う。
 そこで俺たちは、草間さんの指示に従って2班に分かれて行動することになった。
 俺とシュライン・エマさん――広瀬さんの向かいに座っていた女性――と海原・みなも(うなばら・みなも)さん――セーラー服の少女――は、強盗事件及び葉山財閥に関する捜査を。斎・悠也(いつき・ゆうや)さん――広瀬さんの隣に座っていた男性――と鳴神さんは、誘拐犯と祥子さんの捜索をそれぞれ担当することになった。
 事務所に残った俺たちは、早速インターネットや新聞、電話による聞きこみを駆使して情報を集め始める。
 その間にも、俺の頭を占めていたのは『ハメられた!!』という言葉だった(視界を占めているのは相変わらずエディタだが)。
(あまりに鮮烈な赤い文字)
 本物のエディタなら、それはあり得ないのだ。リアルな幻覚に悩まされている俺にとっては余計に。
(ドールは)
 奇術師で、不思議な力を持っているのだという。例えば手を触れず物を1つ増やしたり、割ったり、物の記憶を消すこともできるらしい。
(それなら)
 俺の幻覚に割りこんでくることもできるのではないか?
 もしそうならば、あれはドールのメッセージであり、事件を解決するヒントなのだろう。何故なら俺たちが事件を解決できなければ、予告を裏切ることになるからだ。
(最悪の場合)
 ドールが解決するのだろうけれど、それではハメられたのはやはりこちらということになる。
(それは嫌だ)
 俺は強盗事件の記事を読み進めながら、考えを巡らせた。
 強盗事件と誘拐事件が関係しているのなら、強盗した2人組みが広瀬さん、祥子さん、誘拐犯のうちの2人だと考えるのが自然だ。記事から背格好などがわからないかと探してみるが、どうやら強盗犯の目撃者はいなかったらしい。「2人組み」と割り出されたのは、2人でなければ不可能な方法で侵入しているからだそうだ。
(組み合わせで考えてみるか……)
 まず祥子さんと誘拐犯=強盗犯という可能性。しかしそれでは広瀬さんに1億円を要求する意味がわからない。逆誘拐にも大した意味はない。
(1億円の要求に意味を持たせるならば)
 強盗犯の1人は広瀬さんであり、もう1人が祥子さんか誘拐犯だと限定できる。ただ広瀬さんと祥子さんの会話は演技にしてはうますぎる。本当に普段からうまくいっていないように見えた。とするなら、強盗犯は広瀬さんと誘拐犯?
(1億円を独り占めしようとした広瀬さんから)
 取り返すために誘拐犯は祥子さんを誘拐した。そこまでは充分にありうる話だ。
(だが……)
 どうしてその後に、祥子さんが母親である広瀬さんを脅す必要がある? 自分の罪を賭けてまで……。
(どうして逃げなかったんだ)
『どうしてどうしてどうしてどうして……』
 行き詰まった俺の思考を反映するように、エディタに永遠とそんな文字が打ちこまれた。やがて答えが現れるのかと見守ってみるが、どうやらそんな気配はない。
(情報が足りないのか)
 考えても無駄なのか。
 しかし。
 タイムアップと真実は、思ったよりも早く俺の前に姿を現した。
(俺の推理は、そこまで当たっていた)
 そしてハメられていたのは――

     ★

「! お母さん……」
 事務所へ入ってきた少女が、広瀬さんを見てそう呟いた。祥子さんだろう。
「祥子……っ」
 広瀬さんは駆け寄り祥子さんを抱きしめると、涙を流した。
「……いつ、気づいたの……?」
 皆が見守る中、広瀬さんが初めに告げた言葉は、「無事でよかった」でも「どうしてあんなことを」でもなく。
 その違和感に、皆は眉を顰めた。
 祥子さんだけが、当然のように答える。
「気づいたんじゃないわ。ドールが教えてくれたの」
(!)
「何ですってっ?!」
 ドールの名前が出てきて驚いたのは俺たちも同じだったが、いちばん驚いていたのは広瀬さんのようだった。広瀬さんは祥子さんを抱きしめていた手を離して、その肩に手を置く。
「ドールが? どうして?! いつからドールと知り合いなの?」
 取り乱した母親の様子に、祥子さんも戸惑って。
「え……? お母…さんも、ドールを知ってるの……?」
「だって――強盗計画を手伝ってくれたのはドールなのよ……っ」


 その後明るみに出たすべての真実を総括すると、こんな感じだった。
(まず)
 すべてのもとになっているのは、3年前の父親の失業。それが原因で夫婦は徐々に不仲になり、パートへ出るようになった母親はそこで新しい相手を見つけた。不仲はさらに加速する。
 母親は新しい相手と一緒になりたいと思い悩んでいた。しかし父親(夫)と話してもケンカになるだけなのは目に見えていたし、失業をしている今離婚を承諾してくれるはずはないと考えた。
(だから)
 逃げることを決意した。それは本当は、最低な選択なのかもしれない。
 そんな2人に葉山財閥会長宅への強盗話を持ちかけたのが、他でもなくドールだという。
(ドールは)
 「逃走資金が必要でしょう」とうまく2人を丸めこんで、それを実行させた。ドール自身もそれに協力しているからこそ、これまで捕まっていなかったのだろう。
(そして……)
 強盗を成功させ1億円を手にした母親は、不意に我に返った。『母親』である自分を思い出したのだ。
(娘である祥子さんが)
 大学に行きたがっていた。このお金があればそれを叶えてやれる。置いていくつもりだった祥子さんのことが、その反動も手伝ってか、ひどく愛しく感じられた。
(不仲になってゆく自分たちを)
 見ていていちばん辛かったのは祥子さんではなかろうか。けれど何一つ口出しをしない祥子さんを、情のない子だと思っていた自分は――
(何故気づかなかったのだろう?)
 誰よりも我慢していたのは、祥子さんなのに。
 それを悟った母親は、祥子さんのために1億円を独り占めすることにした。そしてそれに気づいた男がそのお金を取り返すためにやったのが、今回の誘拐だったのだ。
 身の代金の請求額はもちろん1億円。けれど盗んだお金だから当然警察には行けない。探偵事務所の規模などたかが知れている。男の企みは成功するはずだった。祥子さんがそれを知らなければ。
(けれど祥子さんは、知っていた)
 誘拐される前から、あの強盗は自分の母親がやったのだと。そして決定的な証拠を突きつけて、通報するチャンスを狙っていた。祥子さんにしてみれば、男と逃げるために強盗を犯した情けない母親なのだ。
 祥子さんが犯人からナイフを奪う隙を、作ったのもドールだという。そのおかげで形勢は逆転し、祥子さんは母親に1億円を要求した。もちろんそれを警察に突き出すためだ。
(でも……)
 この祥子さんの計画も、俺たちによって果たされなかった。しかしこうして、互いの気持ちを正直に話し合う空間ができたことは、あるいは祥子さんの本望だったのかもしれない。
 母親がただ私欲のためにお金を独り占めしようとしたと思っていた祥子さんは、それが本当は自分のためだったと知って涙を流していた。これまでの我慢がすべて解き放たれたように、いつまでも泣きやまなかった。
 それを見て母親は自首を決意し、祥子さんに以前から用意してあった離婚届を託したが、祥子さんはそれを破り捨てた。
「ちゃんと話し合えば……わかってくれるよ」
 自分たちに足りなかったのは、会話であり言葉なのだと――。

     ★

「結局今回も、ドールの行動の意味は、謎に包まれたまま……ですか」
 カップを持つ手をとめて、斎さんは呟いた。
 広瀬さんと祥子さん、まだ気絶したままの誘拐犯は、3人で警察署へと向かうタクシーに乗りこんでいった。それを見送ってから、俺たちは応接ソファで零さんが淹れてくれたコーヒーやお茶を飲んでいた。俺はもちろんお茶だ。
「――そうかしら?」
 反論するようなシュラインさんの言葉に、皆の視線が集まる。
「今回のことを整理してみると、ドールがやったのは強盗の手伝いと逆誘拐の手伝いよね?」
「あとは、この予告状と広瀬さんにこの事務所を教えたこと、だな」
 例のカードを手に、草間さんがつけたした。
(そう)
 広瀬さんがこの探偵事務所を選んだのは、偶然ではなかった。何かあったらここへ行くように言っていたらしい。
 草間さんに頷いて、シュラインさんは続ける。
「それで結果はどうなった? 2人は逮捕確実で一見救いようがないように見えるけれど……」
「あっ――祥子さんの願いは、叶っている……?」
 続けた海原さんの言葉に、俺は「はっ」と気づいた。
(祥子さんが望んでいたもの)
 それは祥子さん自身が口にしなくとも、皆気づいていた。
(失われた穏やかな生活)
 仲のいい家族。
 それは今後たとえ時間がかかったとしても、成就されるだろう。
(そしてそれは)
 広瀬さんの願いでもあったはずだ。
(それなら)
『ハメられた!!』
 あの言葉を口にするのは1人。
(気がついた誘拐犯、か……)
 自分の望みは叶わず、罪だけが残った男。それはドールなりの制裁だったのかもしれない。
 そう、考えた時。
「誰も見てくれないんだ」
 不意に記憶が飛んだ。
「ボクの願いは何一つ叶わないんだ。崇められていた者が一瞬にして恐怖の対象に変わる。下克上? クーデター? そんなものは構わない。でも本当は、必要もなかった。ボクには高い望みなんてどこにもない。ただ小さな、それしかないから」
 それしかないのに。
(どうしてそれすらも)
 叶えられない?
「○×□?!」
 誰かが何かを言った。でも俺には届かない。
「ここへ来てボクを見て。目を合わせて。1秒でいいんだ。背中合わせでも傍に。手を繋いで声を聞いて。存在を消さないで。ボクはここにいる――」
 ここで待っている。
 願いを叶えてくれる人を。
 ボクを救ってくれる人を。
(待っているのに!!)
 無償の優しさなど存在しない?!
 ここがそんな世界ならボクは――!
「っう……うあぁぁぁ……」
 自分の記憶に耐えられなくなって、ボクは叫んだ。
(こんな想い……)
 浅いようでなんて深いのだろう。
 叫びは誰も拾おうとしない。
 伸ばした手は振り払われるだけだ。
(何故――)
 わけもわからず涙が溢れた。


 それから俺が自分を取り戻すまで。
 俺はその記憶の中で泣き続けた。
 辛さなどとうに超えていた。
 それは条件反射だ。
(あれは)
 ドール、だったのだろうか……?









                             (了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/   PC名    / 性別 / 年齢 /  職業   】
【 1323 / 鳴神・時雨    / 男  / 32 /
              あやかし荘無償補修員(野良改造人間)】
【 0086 / シュライン・エマ / 女  / 26  /
            翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【 1352 / 大覚寺・次郎   / 男  / 25 /  会社員  】
【 0164 / 斎・悠也     / 男  / 21 /
                     大学生・バイトでホスト】
【 1252 / 海原・みなも   / 女  / 13 /  中学生  】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして&こんにちは^^ 伊塚和水といいます。
 この度はご参加ありがとうございました_(_^_)_
 今回のシナリオ、はっきり言ってかなり大覚寺様のキャラクターに依存して書かれております。理由は他の方のライター通信にも書かせていただいたとおり、オープニングとプレイングをうまく繋ぐためでした。しかし大覚寺様がいなかったらと思うとかなり怖いので、こんなことでお礼を言われても困ると思うのですが(笑)、言わせて下さい。
 素敵なキャラでのご参加、本当にありがとうございました! かなり助かりました……。
 何気にラストが結構中途半端に終わっておりますが、ドールの話はまだまだありますので、どうか見守ってやって下さいませ_(_^_)_

 それでは、またお会いできることを願って……。

 伊塚和水 拝