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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


リバース・ドール =誘拐編=

□■オープニング■□

「葉山財閥会長宅に、2人組の賊が侵入。金品合わせて1億円相当が盗まれる――か」
 新聞の見出しを読み上げて、草間武彦は大袈裟に煙を吐き出した。
「いまだにこういうのが成功するとはね。隙のある警備を嘆けばいいのか、狡猾な犯人を誉めればいいのか」
 皮肉を呟く武彦に、零は苦笑を返す。
 新聞をたたんでデスクの上に置いた。――と、書類の山の上に、武彦は置いた覚えのない封筒を発見した。
(これは……)
 嫌な予感がする。
 一瞬眉を顰めた武彦だが、そのまま捨てるわけにもいかない。ゆっくりと、封を切った。
 その中には……
   ――やがて 事件は 2つ 解決する――
 そして、UNOのリバースカードに人形をあしらった例のカード。
 武彦はがっくりと脱力した。煙草の灰が落ちる。
「? どうかしました?」
 不思議そうにこちらを見た零に、武彦は封筒を見せた。
「この封筒、デスクの上に置いたの零か?」
 零はすぐに、否定の意味をこめて首を振る。
  ――ピンポーン……
「あ、はーいっ」
 そしてタイミングよく鳴ったチャイムに応えて、玄関へと走っていった。
(このタイミングで、来客か……)
 武彦は、何かを覚悟した。


「娘が誘拐されたんです!」
 厚化粧の女性が、ソファに座るなり告げた。
 この手のことには慣れている武彦は、冷静に問いかける。
「警察には?」
「言ってません。言えば娘が殺されます」
「……、犯人からの連絡は?」
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 武彦の問いに答えるように、女性の携帯電話が鳴った。女性は驚く程素早い反応でそれに出ると。
「祥子は無事なんでしょうね?!」
 そう叫んだ。そしてその顔が、間をおかずサッと青ざめる。
(まさか……っ?)
 いくらなんでも早すぎる。
 もう通話は終了しているのか、女性はゆっくりと携帯電話をおろし、放心したように呟いた。
「娘が――娘が犯人のナイフを奪って……お金を払わなければ、犯人を殺すって……っ」
 これは誘拐。逆誘拐事件。


□■視点⇒斎・悠也(いつき・ゆうや)■□

 ドールから再び予告状が届いたと連絡を受けた俺は、草間興信所へと来ていた。あいにく戒那さんはまだ戻っていなかったので書き置きをしてきた。今日は1人だ。
「! 悠也……」
 応接コーナーの方へ行くと、シュライン・エマさんが俺に気づいて名を呼んだ。その向かい側に、思いつめた表情をした女性が座っている。
「武彦さんなら、あっちの部屋にいるわよ。さっきみなもちゃんも行ったから、一緒に話を聞いてきたら?」
 視線で奥のドアを示したシュラインさんに、女性を気にしながらも俺は頷いた。
「そうします」
 奥まで進んで、軽めのノックを2回。
  ――コン コン
「斎ですが」
 訊かれる前に名乗ると、中から零さんがドアを開けてくれた。
「やぁ。すまないな、呼び出して」
「こんにちは悠也さん」
 挨拶をしてくれる2人に、俺も返す。
「こんにちは、武彦さん、みなもさん。これもアルバイトですから、気にしないで下さい」
(それに)
 ドールに興味もありますし。
 後半を心の中で告げたのは、不謹慎だと思ったからだ。ソファに座っていた女性の表情を思えば。
 武彦さんは苦笑を浮かべてから、説明を始める。
「今回の予告状には、『やがて事件は2つ解決する』と書かれてあった。そして駆けこんできたのがあの女性だ。娘が誘拐されたと言ってな」
「誘拐……それが、解決する事件のうちの1つだと?」
「でも悠也さん。それがただの誘拐ではなかったんです。娘の祥子さんが――犯人のナイフを奪って逆にお母さんを脅しているんですっ。『お金を用意しなければ殺す』って!」
「?!」
 みなもさんが繋げた言葉に、俺は言葉を失った。はっきり言って目的がまったく理解できない。
「どうして、そんな……」
「さぁな。今シュラインが何か聞きだそうとしているんだが……何せあの女性――広瀬さんがずいぶんと興奮していてな。斎、お前どうにか彼女を落ち着かせられないか? そういうのは得意だろう?」
 そう振られて、今回協力を求められた理由を悟った。
「そうですね。やってみます」
「頼んだぞ」
 頷いて、みなもさんと一緒に応接コーナーへと戻った。途中、以前から勝手に事務所内へ持ちこんでいるハーブでお茶を淹れて、持っていく。
「――どうぞ」
 広瀬さんの前へ差し出すと、広瀬さんは驚いたように顔を上げた。
「とりあえず落ち着いて下さい」
 笑顔で告げてから、広瀬さんの隣に座った。その向かいにみなもさんが腰かける。
「あ……ありがとうございます」
 一瞬何か言いたそうな表情をしたが、それでも広瀬さんはそう礼を述べると、カップに手を伸ばした。俺は勝手に自己紹介を始める。
「俺は時々こうして草間探偵の手伝いをしております、斎・悠也といいます」
 それに倣って、みなもさんも口を開く。
「あたしは海原・みなも(うなばら・みなも)です。頑張って、一緒に祥子さんを助けましょう!」
 こぶしを作って力強く告げたみなもさんの言葉に、広瀬さんは小さく笑った。少しは落ち着いたようだ。
「――では広瀬さん。お嬢さんが誘拐された経緯についてお聞きしてもよろしいですか?」
 それを見計らってシュラインさんが切り出した言葉に、広瀬さんは頷く。シュラインさんが安心したように小さく息をつくのがわかった。大分苦労していたのだろう。
「祥子さんがいつ誘拐されたのかはわかりますか?」
「時間からいって、多分学校帰りだと思います。娘は高校2年ですが、今の時期短縮授業で午前中だけなんです」
「そうですか……。それで、最初の電話があったのは何時頃ですか?」
「1時頃だったと思います」
「今は2時過ぎですから、電話は大体1時間おき……ということになりますね」
 シュラインさんが聞き出していく情報を、もらさず記憶に書きこんでゆく。そしてその情報の穴を埋めるように、俺も広瀬さんに問いかけた。
「犯人に心当たりはありますか?」
「! 失礼な……っ。そんなものありません!」
「あ、お気を悪くされたのでしたらすみません」
 再び興奮し出した広瀬さんに、俺は素早く謝った。
(ずいぶんと)
 地雷が多いようだ。
 ふと、視界の隅に鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)さんの姿が見えた。彼も武彦さんに呼ばれてやってきたのだろう。そのまま奥の部屋へ入ってゆく。
「そんなことより、娘は大丈夫なんでしょうか?!」
 すがるような目でこちらを見つめる広瀬さんに、視線を戻した。
(そんなことより……か)
 俺にはそれがいちばん大事なことのように思えた。何故なら犯人がわかれば、解決方法だっていくらでも考えられるからだ。「そんなこと」と簡単に切り捨てられるならば、彼女が既に犯人を知っている可能性も考えられる。
「娘さんを無事に取り返すために、俺たちはあなたに質問をしているんですよ。正直に答えてもらわなければ困ります」
「なっ……私は正直に答えていますわ!」
(やはり)
 その焦りの見える反応は、何かを隠していることが明らかだった。
「悠也」
 呼んだシュラインさんの方を見ると、
「そこまでにしておきなさい」
 そんな目をしていた。俺は自分の役目を思い出して、今度は広瀬さんの興奮を沈静化するよう努める。
 その間、武彦さんがもう1人呼んでいたのだろうか。スーツの男性が何か慌てて走りこんできた。
「草間さんは?!」
 焦りを含んだその声に、答えたのは零さん。
「あ、次郎さん。草間さんならこちらです」
 先程鳴神さんが入っていった部屋(初めに俺が行った部屋と同じだ)へと連れて行った。
 戻ってきた零さんに、みなもさんが問いかける。
「今の方は? 何か凄く焦っていたようですが……」
(もしかしたら、2つ目の事件の関係者?)
 そう思っての問いなのだろう。
 すると零さんは少し笑って。
「あの方は大覚寺・次郎(だいかくじ・じろう)さんといって、たまにここへお茶をしにいらっしゃるんですよ」
「――ああ、それで知らない間に、よくお茶葉が減っているのね。武彦さんはコーヒー派だから、ずっと不思議に思ってたのよね」
 よくここで事務のバイトをしているシュラインさんが応えた。
「次郎さんは時々幻覚や幻聴に悩まされていて……それで草間さんに相談もかねて来るんです」
  ――ピロリロリ ピロリロリ……
 零さんの言葉が終わるのを待っていたかのように、テーブルの上に置かれていた携帯電話が鳴り出した。どうやら広瀬さんの物らしい。
「草間さんを呼んできます!」
 素早く零さんが向こうの部屋へと向かって、武彦さんと鳴神さん、そして大覚寺さんがこちらへ戻ってきた。それを確認してから、広瀬さんは通話ボタンを押す。それくらい、一応の冷静さを取り戻していた。
「祥子? 祥子なの?!」
 テーブルに置いたままの携帯電話に向かって、広瀬さんが叫ぶ。どうやら手ばなしでも話せる(聞こえる)モードになっているようだ。
『お母さん? お金は用意できたの?』
(!)
 まるで日常会話のような祥子さんの口調に、少し驚く。
「何を言っているの、祥子! 逃げられるならすぐに帰ってきなさいっ!」
 逆に広瀬さんの言葉は、叫びに近かった。
 武彦さんは広瀬さんの肩に手を置くと、落ち着くように促す。そして。
「祥子さん。お金を用意しようにも、金額を指定していただかなければできません」
『! ――あんた誰?』
「警察ではありませんから安心して下さい」
『当然だわ。警察なんて行けるわけないもんね。私が望んでる金額だって、その人はちゃんとわかってるはずよ』
「その人……というと、お母様ですか?」
『他に誰がいるのよ。ちゃんと払ってくれないと、本当にこいつ殺しちゃうわよって、お母さんに言っておいて』
 直接聞こえているとも知らず、祥子さんはそんなふうに言った。広瀬さんの顔が青ざめている。
『あ、ちなみに。全部お金じゃなくても構わないから。じゃ、また電話するわ』
 そこで切れた。
  ――ツー ツー ツー……
 音が流れるけれど、広瀬さんはそれをとめようとしない。シュラインさんが代わりに手を伸ばしてとめた。
 一瞬にして、静寂に包まれる。
「………………」
 誰かが口を開くのを、誰もが待っていた。そんな重苦しい空気の中、最初に口を開くのはやはり武彦さんだ。
「――広瀬さん」
 名を呼んだだけで、広瀬さんはビクリと震えた。
「あなたは娘さんが望んでいる金額を知っているんですか?」
「………………」
 しばらくは、テーブル上の携帯電話を見つめたままだった広瀬さんだけれど――やがて武彦さんを見上げて。
「……あの娘、私立の大学に行きたいと言っていましたから、それのお金だと思います」
「え……」
 呆れた声を出したのは、皆同じだった。
「大学には行かせないとでも言ったのですか?」
 俺が問いかける。
(子供の人生は)
 子供のものだから。
 たとえ親が何を望んだとしても、決めるのは子供でなければならない。
 すると広瀬さんは目に涙を浮かべて告げた。
「3年前に主人がリストラで失業してから、貯蓄は減る一方で……娘を大学に――それも私立大学にやるお金なんて、ないんです……」
(それでも)
 祥子さんが本当にそれを望むのなら、自分自身で道を切り開けるはずなのに。
 その道すら、初めから鎖しているような気がした。それが少し哀しかった。
「――零、広瀬さんを頼む。皆はこっちへ来てくれ」
 武彦さんはそう告げると、零さんを広瀬さんの隣に残して、皆を奥の部屋に呼び寄せた。ドアをしっかり閉めてから。
「どう思う?」
 そう俺たちに振る。
「あたし、最初あの人の一人芝居かと思っていたんですが……それは違うみたいですね」
 最初に口を開いたのはみなもさんだ。それに俺が続ける。
「誘拐犯と組んでの偽装誘拐の可能性は、まだ残っていますけれどね」
 何かを隠しているような広瀬さんの態度。
(ただ)
 そうだとしても、理由がわからない。シュラインさんがそこを突く。
「何のために? こんな方法とったってお金が降ってくるわけじゃないってことは、当然よくわかってると思うけど」
 唸るしかなかった。
 誘拐の際の身の代金。実は警察に通報したとしても、警察は1円も出してはくれないのだ。すべて自分で用意しなくてはならない。つまり今回のような場合、誘拐犯と広瀬さんがグルならばあまり意味がない。
「狙っているのは、旦那の方の金?」
 鳴神さんが口を開いた。
(確かに)
 広瀬さんから盗って広瀬さんに戻っても無駄だと考えると、広瀬さんのバックにいる旦那さんのお金を狙っていると考えるしかない。
 するとシュラインさんは首を振って。
「それはないわね。さっき話を聞いていたんだけど、誘拐のことはご主人には話していないそうよ。就職活動を頑張っているご主人に迷惑をかけたくないんですって」
「就職活動、ね。そんなこと気にしている状況じゃないと思うんだがな……」
 武彦さんが頭を抱える。
「大学の資金をこんな形で請求するのも、おかしな話ですよね。お金がないことは祥子さんも充分わかっているはずなのに」
 みなもさんが首を傾げた。
(そう……おかしい)
 本当に使えるお金が必要なら、却ってこんな方法は取らないだろう。
 「うーん」と皆が考えこんでいると。
「――1億円――」
 大覚寺さんが、不意にそんな言葉を呟いた。
「1億?」
「やったー。嬉しい。怖い。どうしよう? 哀しい。やっぱり無理だ。辛い……」
(何だ……?)
 大覚寺さんは何かを棒読みするように喋り続けている。その目は宙をさまよう。
「どうしよう? どうしよう? どうしよう? 行こうか? どこへ? 怖い。逃げられない。でも……やろうか? やめようか?」
「おい、大覚寺!」
 武彦さんが大きな声を出すと、大覚寺さんは「はっ」と我に返ったようだった。
「すみません……」
 呆然としている俺たちに対し、武彦さんは慣れているのか、当たり前のように問った。
「幻覚か?」
「はい。今日の幻覚は、俺が『ウィンドウ』と呼んでいるタイプの物なんですが……空中にエディタがたくさん見えて、常に言葉が打ち出されているんです」
「『ハメられた』の次が、『1億円』?」
「気になる単語、というのが正しいですね。言葉自体は常にかなりの数が見えますから」
「なるほど」
 武彦さんは何かを納得して頷いた。俺もそれに追いつこうと、今の短い会話から考察を試みる。
(大覚寺さんの幻覚は)
 何か特別な意味を持っているらしい。
 そしてこれまでのキーワードが、『ハメられた』と『1億円』?
(あ――)
 俺の記憶は自動的にその単語を検索、ヒットがあった。
「1億円……1億円といえば、あの事件。まだ犯人が捕まっていないんですよね」
 今も新聞を賑わせている、葉山財閥会長宅強盗事件。
「例の強盗事件か! 大覚寺の幻覚は侮れないからな……何か関係があるかもしれない」
 可能性を肯定するような武彦さんの言葉に、皆が視線を合わせた。
(調べてみよう)
 そんな思惑を胸に、それぞれが頷いた。


 大覚寺さんの幻覚から例の強盗事件との関連性を見出した俺たちは、武彦さんの指示に従って2班に分かれて別行動をとることになった。
 俺と鳴神さんは、誘拐犯と祥子さんの捜索。シュラインさんとみなもさんと大覚寺さんは、強盗事件及び葉山財閥に関する捜査。そこに繋がりがあるのなら、その2つが揃った時。
(すべてが明らかになるだろう)
 それが、武彦さんの読みだった。
 そういうわけで、俺と鳴神さんは広瀬さんに連れられて、彼女の家にやってきた。祥子さんの気をたどるために。
「祥子さんの部屋を見せていただけますか?」
 俺がそう切り出すと、広瀬さんは不安そうな表情を浮かべながらも2階へ案内してくれた。
「ここです」
 通された部屋は、俺の予想を裏切りかなりすっきりとしていた。『女らしさ』というものがほとんど感じられないのだ。それは戒那さんの部屋並みかもしれない。
 一通り部屋を見回してから、俺はカーテンが閉められたままの窓に近づいた。
  ――ザッ
 一気にカーテンを開くと、眩しい光が部屋の中を包みこむ。
「――すみませんが広瀬さん。しばらく向こうへ行っていていただけますか?」
「え?」
 次に鍵を開けて窓を開きながら、俺は広瀬さんにそうお願いした。
「な、何故ですか?」
「ちょっと特殊な方法で祥子さんを捜しますから。祥子さんと似た気を持つあなたが傍にいたのでは、やりにくいのです」
 俺が笑顔でそう答えると、広瀬さんはやはり不安げな顔を浮かべたまま、それでも頷いて部屋を出て行った。
 俺は安心して、あらかじめ準備していた蝶型の和紙を取り出す。
「どちらかというと、草間探偵のためだろう?」
 俺の横に立った鳴神さんがそんなふうに問った。鋭い読みに俺は「ふっ」と笑って。
「依頼者の前でこういうことをすると、後から武彦さんに叱られるんですよ」
 答えてから、手に乗せた和紙の蝶にそっと息吹をかけた。するとそれは本物の蝶に変わり、明るい空へ舞い上がってゆく。
「お前たちがそうだから、俺が『怪奇探偵』と呼ばれるはめになるんだ、か?」
「そうそう」
 頭を抱えてそう告げる武彦さんの姿をリアルに想像できて、俺はクスリと笑った。
 窓の桟に肘をついて頬杖をすると、視界を蝶に切り替える。蝶を操っている間は、蝶と同じ感覚を共有できるのだ。
「――おや」
 予想よりもずっと短い時間で、今祥子さんたちがいるだろう建物を突きとめることができた。それは「店舗募集」の看板が建てられた古い建物で、ずいぶん長いこと使われていないらしく、外装はぼろぼろだった。それに周りの人通りがやけに少ない。店をやるには最悪だろうけれど、隠れるには最適のようだ。
「いたか?」
「ええ。思ったよりは近いです。……ちょっと待って下さいね。今眠りの粉で眠らせますから」
「そんな物まで用意していたのか」
 半ば呆れたような鳴神さんの言葉に、俺はまた少し笑う。
「備えあれば憂いなし、と言いますしね」
 そう告げてから、ゆっくりと目を閉じた。集中するためだ。
(問題は)
 どうやって建物の中へ入るか。もとが和紙である以上、壁を通り抜けるなどといったことはできない。
(とりあえず周りを一周してみようか)
 通れそうな場所があるかもしれない。
 そう考えた瞬間だった。
  ――ガクっ
「あ……っ」
 何かの反動に、膝の力が抜けた。倒れそうになった俺を鳴神さんが支えてくれる。
「どうした?」
 少しの頭痛。蝶を見ようとしても、それは叶わない。
「多分……蝶が斬られました」
「何?!」
 考えられるのは、それしかない。そして斬るとしたら――
「急ぎましょう、鳴神さん。斬ったのがドールなら、2人を逃がすかもしれません!」
 ドールしか考えられないのだ。
(この逆誘拐事件が)
 ドールの予告状にあった2つの事件のうちの、1つであるのならなおさら。
「――わかった。俺のバイクで行こう」
 鳴神さんのありがたい提案に頷いて、俺たちは急いで階段を駆け下りた。広瀬さんに詳しい説明をする暇はない。そのまま外へ出て、いつの間にか用意されていたバイクに乗りこむ(鳴神さんも充分に用意がいい)。
 そんな俺たちの様子に、何事かと家から広瀬さんが飛び出してきた。
「これから祥子さんを助けに行ってきますから、広瀬さんは事務所へ戻っていて下さい!」
 俺がそう言い終わると、鳴神さんは俺の頭にヘルメットをかぶせた。鳴神さんが頑丈なのは知っているから、ありがたくかぶっておくことにする。
 素早くバイクを発進させた鳴神さんに指示を出しながら、蝶でたどった道をたどった。
 蝶の視点で見た建物にたどり着き、先にバイクを降りると2階の窓を見上げる(1階には窓がなかった)。その視線の先で、人影が揺れた。
「! 今2階の窓に誰か……っ」
 すると同じように見上げていた鳴神さんが。
「俺が行ってくる。斎は念のため出入り口を見張っていてくれ」
「え?」
 俺の返事を待たずに、鳴神さんは戦闘形態に変身した。そしてそのまま、2階の窓へ向けて飛び上がる。
  ――ガッシャン!
「!」
 身体でガラスを割るとは思わなかったから、さすがに少し心配になった。だからといって追いかけるのは無理だけれど。
(上から追いつめられて)
 逃げるとしたら当然下からだ。
(ここは鳴神さんの指示に従おう)
 俺は素早く建物の周りを一周して、出入り口が1つしかないことを確かめた。
(それも)
 この建物が店舗に向かない理由なのだろうと、どうでもいいことを考える。見張るにはとても楽なのだけれど。
 耳を澄まして上の様子を探ろうと試みるが、全然静かでどちらかが暴れているような音は聞こえない。
(……ああ、そうか)
 少し考えて気づいた。祥子さんが誘拐犯を拘束している可能性があるのだから、相手は祥子さん1人なのかもしれない。
 するとやがて、声が聞こえてきた。しかも女性の泣き声が。
(祥子さんか?)
 泣いているのなら観念したのだろう。
 入り口から入って、想像以上にぼろぼろの階段を上がった。
「――鳴神さんっ? 大丈夫ですか?」
 たどり着いたドアを開くと、立っている鳴神さんの姿が見えたので声をかけた。すぐ横から泣き声が聞こえ視線を移すと、広瀬さんの家へ向かう途中に写真で見た祥子さんがそこに座りこんでいた。
「あ、祥子さん! ご無事でしたか」
 さらにその足元に、みの虫が転がっていた。
「……この人が、誘拐犯ですか?」
 祥子さんに問いかけると、泣いたまま頷く。
「そうですか……では事務所に戻りましょう。祥子さん、一緒に来てくれますね?」
 もう一度頷いた祥子さんを確認して、俺は鳴神さんに向き直った。すると鳴神さんが先に口を開く。
「この人数ではバイクは無理だ」
「ですよね。タクシーを呼びましょう」
「ならばそのガムテープを剥がさねばな」
 「お願いします」という意味をこめて、俺は頷いた。鳴神さんがそれをやっている間に、俺は携帯電話でタクシーを呼ぶ。
 そうして、俺と鳴神さん、祥子さんと誘拐犯は、4人で事務所へと戻った。

     ★

「! お母さん……」
 事務所へ入るなり、広瀬さんの姿を見つけた祥子さんは呟いた。
「祥子……っ」
 広瀬さんは駆け寄り祥子さんを抱きしめると、先程の祥子さんのようにはらはらと泣き始める。
「……いつ、気づいたの……?」
 皆が見守る中、広瀬さんが初めに告げた言葉は、「無事でよかった」でも「どうしてあんなことを」でもなく。
 その違和感に、皆は眉を顰めた。
 祥子さんだけが、当然のように答える。
「気づいたんじゃないわ。ドールが教えてくれたの」
(!)
「何ですってっ?!」
 ドールの名前が出てきて驚いたのは俺たちも同じだけれど、いちばん驚いていたのは広瀬さんのようだった。広瀬さんは祥子さんを抱きしめていた手を離して、その肩に手を置く。
「ドールが? どうして?! いつからドールと知り合いなの?」
 取り乱した母親の様子に、祥子さんも戸惑って。
「え……? お母…さんも、ドールを知ってるの……?」
「だって――強盗計画を手伝ってくれたのはドールなのよ……っ」


 やがて落ち着きを取り戻した2人の話と、強盗事件や広瀬家の捜査を担当していた3人の話を総合すると、真実はこうだった。
(まず)
 すべてのもとになっているのは、3年前の父親の失業。それが原因で夫婦は徐々に不仲になり、パートへ出るようになった母親はそこで新しい相手を見つけた。不仲はさらに加速する。
 母親は新しい相手と一緒になりたいと思い悩んでいた。しかし父親(夫)と話してもケンカになるだけなのは目に見えていたし、失業をしている今離婚を承諾してくれるはずはないと考えた。
(だから)
 逃げることを決意した。それは本当は、最低な選択なのかもしれない。
 そんな2人に葉山財閥会長宅への強盗話を持ちかけたのが、他でもなくドールだという。
(ドールは)
 「逃走資金が必要でしょう」とうまく2人を丸めこんで、それを実行させた。ドール自身もそれに協力しているからこそ、これまで捕まっていなかったのだろう。
(そして……)
 強盗を成功させ1億円を手にした母親は、不意に我に返った。『母親』である自分を思い出したのだ。
(娘である祥子さんが)
 大学に行きたがっていた。このお金があればそれを叶えてやれる。置いていくつもりだった祥子さんのことが、その反動も手伝ってか、ひどく愛しく感じられた。
(不仲になってゆく自分たちを)
 見ていていちばん辛かったのは祥子さんではなかろうか。けれど何一つ口出しをしない祥子さんを、情のない子だと思っていた自分は――
(何故気づかなかったのだろう?)
 誰よりも我慢していたのは、祥子さんなのに。
 それを悟った母親は、祥子さんのために1億円を独り占めすることにした。そしてそれに気づいた男がそのお金を取り返すためにやったのが、今回の誘拐だったのだ。
 身の代金の請求額はもちろん1億円。けれど盗んだお金だから当然警察には行けない。探偵事務所の規模などたかが知れている。男の企みは成功するはずだった。祥子さんがそれを知らなければ。
(けれど祥子さんは、知っていた)
 誘拐される前から、あの強盗は自分の母親がやったのだと。そして決定的な証拠を突きつけて、通報するチャンスを狙っていた。祥子さんにしてみれば、男と逃げるために強盗を犯した情けない母親なのだ。
 祥子さんが犯人からナイフを奪う隙を、作ったのもドールだという。そのおかげで形勢は逆転し、祥子さんは母親に1億円を要求した。もちろんそれを警察に突き出すためだ。
(でも……)
 この祥子さんの計画も、俺たちによって果たされなかった。しかしこうして、互いの気持ちを正直に話し合う空間ができたことは、あるいは祥子さんの本望だったのかもしれない。
 母親がただ私欲のためにお金を独り占めしようとしたと思っていた祥子さんは、それが本当は自分のためだったと知って涙を流していた。これまでの我慢がすべて解き放たれたように、いつまでも泣きやまなかった。
 それを見て母親は自首を決意し、祥子さんに以前から用意してあった離婚届を託したが、祥子さんはそれを破り捨てた。
「ちゃんと話し合えば……わかってくれるよ」
 自分たちに足りなかったのは、会話であり言葉なのだと――。

     ★

「結局今回も、ドールの行動の意味は、謎に包まれたまま……ですか」
 カップを持つ手をとめて、俺は呟いた。
 警察署へ向かうタクシーに乗りこんだ3人(男はまだ気絶していたが)を見送ってから、俺たちは応接ソファで零さんが淹れたコーヒーやお茶を飲んでいた。
「――そうかしら?」
 反論するようなシュラインさんの言葉に、皆の視線が集まる。
「今回のことを整理してみると、ドールがやったのは強盗の手伝いと逆誘拐の手伝いよね?」
「あとは、この予告状と広瀬さんにこの事務所を教えたこと、だな」
 例のカードを手に、武彦さんがつけたした。
(そう)
 広瀬さんがこの探偵事務所を選んだのは、偶然ではなかったのだ。何かあったらここへ行くように言っていたらしい。
 武彦さんに頷いて、シュラインさんは続ける。
「それで結果はどうなった? 2人は逮捕確実で一見救いようがないように見えるけれど……」
「あっ――祥子さんの願いは、叶っている……?」
 続けたみなもさんの言葉に、「はっ」と気づく。
(祥子さんが望んでいたもの)
 それは祥子さん自身が口にしなくとも、皆気づいていた。
(失われた穏やかな生活)
 仲のいい家族。
 確かにそれは、今後たとえ時間がかかったとしても、成就されるだろう。
(そう言えば)
 前回だって、ドールは願いを叶えていた。
(それは)
 つまり。
「やり方はかなり間違えているけれど……ドールはいつも、人の願いを叶えている――?」
「誰も見てくれないんだ」
 俺が呟いた言葉に、続けたのは大覚寺さんだ。だが意味は、続いていない。
「ボクの願いは何一つ叶わないんだ。崇められていた者が一瞬にして恐怖の対象に変わる。下克上? クーデター? そんなものは構わない。でも本当は、必要もなかった。ボクには高い望みなんてどこにもない。ただ小さな、それしかないから」
「大覚寺?!」
 さすがの武彦さんも、驚いて名を呼ぶ。けれどとまらない。
「ここへ来てボクを見て。目を合わせて。1秒でいいんだ。背中合わせでも傍に。手を繋いで声を聞いて。存在を消さないで。ボクはここにいる――」
  ――はらり
 言葉が終わると同時に、何かが床に落ちた感覚がした。見るとそれは――
「カードが……!!」
 あの時のように、カードが真っ二つに割れている。しかも武彦さんの手の中で。
「っう……うあぁぁぁ……」
 大覚寺さんが頭を抱えてうずくまった。
「大丈夫?」
 あまりの状況に、そんな声をかける者もいない。
(ドール……)
 あなたは何を、望んでいる――?









                             (了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/   PC名    / 性別 / 年齢 /  職業   】
【 1323 / 鳴神・時雨    / 男  / 32 /
              あやかし荘無償補修員(野良改造人間)】
【 0086 / シュライン・エマ / 女  / 26  /
            翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【 1352 / 大覚寺・次郎   / 男  / 25 /  会社員  】
【 0164 / 斎・悠也     / 男  / 21 /
                     大学生・バイトでホスト】
【 1252 / 海原・みなも   / 女  / 13 /  中学生  】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは^^ 伊塚和水です。
 再度のご参加ありがとうございます_(_^_)_
 今回はズバリ、誘拐と強盗をどううまく関連付けるか、にすべてがかかっていました。確かに最初から関係があるつもりで私はオープニングに入れたんですが、皆さんがそれ(オープニングに使われていたこと)を理由に関連があると推測したからです(笑)。つまり紛らわしく書いた私が悪かったんですけどね……ごめんなさい(/_;)
 作中でどのように繋がったのかは既にわかっているとは思いますが、そのおかげでプレイングが活かしきれないようになってしまいました。無理やりのこじつけを笑って楽しんで下されば幸いです(笑)。
 ドールの話はまだまだありますので、お楽しみに^^

 それでは、次の作品も頑張らせていただきます〜!

 伊塚和水 拝