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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:あの──────の家の前で
執筆ライター  :紺野ふずき
調査組織名   :草間興信所

■ オープニング ■

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 親愛なるキーちゃんへ。
 
 こんにちわ。覚えてますか? ミカです。
 引っ越してから全然連絡しなくてゴメンね。
 本当はキーちゃんの声も聞きたかったし、
 手紙も出したかったんだ。
 でもね、私一人転校して、皆はそこで変わらないで……
 それがすごく寂しかった。
 だから、連絡取らなかったんだ。
 本当にゴメンね。絶交されても仕方ないよね。
 十年もほっぱらかしちゃったもんね。
 あのね今度の土曜、そっちに仕事で行く事になりました。
 学校とか公園とか……まだ変わりないですか?
 あまり時間は取れないけど、歩いてみようかなって
 思ってます。
 キーちゃん。
 良かったら、怒ってなかったら、また逢えるかな。
 よく遊んだ帰り道の、あの場所覚えてますか?
 夕焼けのオレンジに茶色のタイルが光って、
 二人で良くそれを見上げたよね。
 お腹が──ていたから、二人とも──────みたいって。
 来れ───なら来てください。
 時間が──まで、待ってます。
 あの──────家の前で。
 
 
                   ミカ
                   
 P.S
  怒ってたら恐いから、連絡先は記さない事にするね……
  
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 その日、草間の元へ訪れた娘の手には、一通の手紙が握られていた。
 文面からするに、昔なじみの友人からの手紙のようだ。
 内容は至って簡単。再会を望むものだった。
 ただ所々インクが滲み場所の指定が曖昧になってはいるが、当人同士共に過ごした記憶を辿れば、その場所の見当も容易く付くはずだ。
 草間は「ふむ」と頷いた。
「それで……この手紙をもらって何か問題があったのかな」
 草間の前で悲しげな目をしたのは『冴場・希美(さえば・きみ)』。二十才のOLだ。
 希美は目に涙を溜めて、草間を見上げた。
「いいえ、手紙には何の問題も……ただ」
「ただ、どうしたんだい?」
「ただ、私……小学校六年生の時にあった交通事故が原因で、それ以前の記憶が無いんです。家族や友人は一生懸命、記憶が戻るように尽くしてくれました。でも、どんなに思い出そうとしても思い出せず、今はもうその記憶が無くても不便の無い生活を送っているので、そのままになってしまって……」
 草間はもう一度、手紙を読み返した。
 ミカと言う少女は十年前に転校していった。と、すれば希美はその当時、十才。小学校の四年生か五年生になる。事故にあったのは六年生の時。ミカとの記憶は全く無い状態なのだ。この手紙のぼけた部分が致命傷となってしまった。
 希美は手紙がポストの中で雨に濡れていた、とポツリと言った。
「この手紙をもらって、直ぐにお母さんに聞きました。お母さんはミカの事を覚えていました。とても仲の良かった友達で、毎日遊んでたって……昔の写真の中にもミカはいました。三年、四年と同じクラスでいつも隣で笑ってました。お母さんにこの手紙を見せたら、遊んでた場所までは分からないって……」
「なるほど。で、君はどうしたいんだい。残念だが失った記憶を元に戻す事は……」
「いいえ、そんな。ただ、彼女に逢いたいんです。逢って話がしたい。話せば私の記憶も戻るかもしれない。それにはこの待ち合わせの場所がどこか知りたいんです。仕事が終わるのが遅くて、自分で調べている時間も無いし……お願いします!」
 草間はしばし思案に暮れた。
 ミカと連絡が取れれば一番早い。しかしミカは、連絡先を一切手紙に添えなかった。
 草間は封筒の消印を見た。そこには『広島』とあるが、それが実家なのか一人暮らしの住まいなのかさえ分からない。また、ミカが転校した後に引っ越しを重ねていれば、ミカの線を辿るには膨大な時間を費やす事になる。捜査は希美側に絞った方が良さそうだ。
 草間は受話器を取り上げると、それを肩に挟んで振り返った。
「君の記憶を取り戻す為にも、腕の良い連中を紹介しよう。時間は確かにあまり無いが、まあ何とかなるさ」
 希美は希望に満ちた顔をほころばせた。

 
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■■ 金曜日 午前 ■■
 
 駅から五分。希美の家は表通りを一つ入った、小さな眼科の前にあった。こじんまりとした戸建てで、庭の花壇にはチューリップの芽が顔を覗かせている。
「ここか……」
 真名神慶悟は呟いて足を止めた。抜いた金の髪。着崩していると言うのに、だらしなさの欠片も黒いスーツ。例えるなら『陰(カゲ)』。それは彼の肩書きでもある陰陽師の一文字だった。
 慶悟は門口にあるチャイムを鳴らした。少しして母親らしき女性が現れた。四十代前半。柔和で明るい目をしている。彼女は頬に手を宛い、何かを思い出すような眼差しで慶悟を見た。
「あの……もしかして真名神さんかしら?」
 慶悟は頷く。夜の内に希美に連絡を入れて置いたのだ。会社員である希美は、日中に慶悟が訪ずれてもいいように、頼んだ物を手配しておくと言った。
「『写真と文集』でしたよね。ちょっと待ってて下さい」
 そう言って希美の母は左奥の扉へ消えた。
 残された慶悟の視界には、否が応でも周囲の様子が飛び込んでくる。正面に階段、右手にもドアがあるがこちらはトイレのようだ。小さなプレートが貼ってあった。
 玄関に備え付けの下駄箱の上には、一輪挿しの花瓶が置いてある。希美の母はこの花が好きなのだろう。黄色いチューリップが挿してあった。
 パタパタとスリッパの音が聞こえ、まもなく希美の母がやってきた。
「これです。あの子には選ぶ事が出来ないので、私の方で見繕っておきましたから」
 それは何気なくて、とても哀しい言葉だった。だが、希美の母にとってはそれが当たり前のようだ。
 希美が草間にも話した通り、『記憶を失っている』と言う事実は、さほど重要ではなくなっているようだ。
 八年前に失った十二年分の過去。ここまで来るのは、相当な苦悩があっただろう。本人の戸惑いや不安。周囲の感じる悲しさや寂しさは計り知れない。だが今は、その上に新しい思い出がある。
 まして、希美はもう二十才だ。十二才までの記憶を頻繁に呼び起こす事も無い年齢だろう。
 慶悟は希美の知らない希美の過去を受け取った。
「確かに。捜査が済み次第、返送する。心配しないでくれと、伝えて欲しいんだが」
「はい、かしこまりました。……あの、何とかなりそうですか?」
「今の時点では……」
 肩をすくめる慶悟に、母は苦笑する。
「陣内さんに逢って、あの子の記憶が戻ればって。そんなのは都合が良すぎるって分かってるんですけど……」
 そう思うのが常だろう。
 希美の母に頭を下げられ、慶悟は家を後にした。
「そろそろ着く頃か?」
 歩きながら携帯を取り出す。
 電話はきっかり二コール鳴った。向こうから太い声が響く。
『おう、何か分かったのか?』
「ああ、相手のフルネームだけだが」
『それだけありゃあ、十分だ』
 満足そうにその声は言った。慶悟は希美の母から聞いたミカの名を告げる。
「駅から少し行った所にファミレスがあっただろう」
『ああ、そういや』
「そこにいる。終わったら来てくれ」
『了解』
 渡された封筒の中には、文集、卒業アルバム、それに二枚の集合写真が入っていた。
「他にも連絡を入れておくか……」
 携帯を割った慶悟の頭上を、大きな灰色の雲が行き過ぎて行った。

「ボブ・サップさん?」
 役所職員の第一声はこれだった。眼鏡をかけた痩せ型の中年男性である。
「どこを見てるんだ、どこを! 俺の名前は『ゴドフリート・アルバレスト』だ。でかいからって一緒にするんじゃねえ!」
 カウンターに置いた握り拳を振るわせて、ゴドフリートはがなった。身長二メートルと五センチ。体重百六十キロ。対するかの
野獣は身長二メートルに、体重は百七十キロ。
 確かに体格的にはよく似ている。が、ゴドフリートは禿げてもいないし、肌も白い。それに職業も、見せたばかりの桜の代紋が物語る『警官』だ。
「やっぱり違いますよね」
 役所職員は残念そうに肩を落とした。傍らに佇んでいた繊細そうな顔立ちの少年、水無瀬麟凰(みなせりんおう)は苦笑する。
 職員はフレームを持ち上げ、二人を交互に見た。
「で、ええと。どんなご用件でしたっけ」
「だから、『陣内ミカ』の十年前のデータをくれって言ってんだよ。何処の学校に通って何処に住んでいたか、っつう」
「『ジンナイミカ』さん……。少々お待ち下さい」
 二人は空いているソファーに移動すると、そこへ腰掛けた。
 平日の午前中。眠くなるような暖かさと静けさが漂っている。麟凰は目を閉じているゴドフリートに声をかけた。
「ゴドフリートさん」
「うん?」
 ゴドフリートは顔を傾けて、麟凰を見る。麟凰はどこか寂しげだった。
「茶色のタイルってどう思いますか? 煉瓦造りの家かな……」
「どうだろうな」
「十年前からあって、子供の遊び場になるような……廃墟だとしたら、取り壊されてなきゃいいんですけど」
 ゴドフリートは眉根を寄せた。
「縁起でもねえ事言うんじゃねえって。きっと見つかるさ」
「そうですよね……」
 麟凰は見るとも無しに正面を見据えた。その様子にゴドフリートが気づく。
「どうしたんだ?」
「え、あ、その、俺も記憶が無いんです。だから、こういう風に過去と向かい合う機会があると、心の空白が凄く不安に思えるんです……。希美さんもそうだろうなって」
 麟凰の記憶の一端──兄との思い出は麟凰の中に無かった。ただそこに兄は居て『亡くなった』と聞いた事がある。
 それが故意に無くされた記憶だと言う事を、麟凰自身は知らなかった。
「俺はもう直接会って思い出せるような人は、いなくなっちゃったけど……、ミカさんにお会いする事で、何か思い出せればいいと思って」
 真摯な麟凰の態度に、ゴドフリートは漢笑を浮かべた。
「ああ。記憶喪失なんて物は、記憶が消える分けじゃ無ぇんだ。ただ、その引き出しが開かなくなってるだけなんだよ」
「記憶の引き出し……」
「そうだ。だから、キッカケさえ与えりゃ自然と思い出すだろうよ、大事な友達ならな」
「そうですよね」
 麟凰は頷く。
「お前もな」
 ゴドフリートは麟凰の肩を叩いた。
「ゴドフリートさんって、いい人ですね」
 二人は揃ってニッと笑った。
「何も出ねえぞ?」
 そこで話は中断された。職員から呼び出しがかかったのだ。
「ご確認下さい」
 職員に言われて二人は書類に目を通す。戸籍謄本に当時の地図まであった。
「気が利くじゃねえか。ええと広島へ転出……元は? 『本町三の十二の五、グリーンコーポAの203』か。よし、これでいい。行こうぜ」
 ゴドフリートはクルクルとそれを丸めると、尻のポケットに差し込んだ。
「慶悟さん、待ちくたびれてなきゃいいですけど」
 二人が役所を出る時、空はすっかり灰色の雲で覆われていた。

 スラリとした長身に白い肌。銀のブレスが細い手首に光る。バイト先における指名度の高さも、この容姿をもってすれば当たり前と言えるだろう。
 大学生であり、同時に高級クラブのホストでもある彼の名前は、斎悠也(いつきゆうや)。
 その視界に楽しい友人を捉えて、悪巧みを画策中である。
 悠也は足音も立てずに前方を行く友人──ゴドフリートに近寄った。
「ゴドーさん」
 悠也はゴドフリートに後ろから抱きついた。大きな躰が腕の中で硬直する。
 次の瞬間、ゴドフリートの猪首に深い筋が立つのを、悠也は見た。
「俺にその気はねぇぇぇぇぇっ!」
 置き換えれば『どりゃあああぁぁ』に等しい怒声を発しながら、ゴドフリートは力任せに悠也を投げ飛ばした。
 投げ飛ばされた悠也は涼しい顔で着地を決め込み、何事も無かったかのように微笑した。
「こんにちは」
 悠也の飄々とした態度に、ゴドフリートはワナワナと拳を震わせている。
 麟凰は呆気にとられていた。
「ああ、俺にその気はありませんよ。ただ、ホラ、この人の反応って面白いと思いませんか?」
「そ、そうですね」
 悠也に笑いかけられ、麟凰は目を丸くしたままで頷いた。
「お前らっ! 俺は玩具じゃねえぞ!」
 ゴドフリートの眉間に深い皺が寄る。悠也はまたクスリと笑った。
「まあまあ。それより、早く行きましょう」
 と、軽く吐いた悠也の言葉に、ゴドフリートと麟凰は顔を見合わせた。
「って、お前もか?」
「ええ。駅前のファミレスで間違いありませんよね?」
 悠也も合流した三人は、慶悟との待ち合わせ場所へと急いだ。

「……何か分かった?」
 巫聖羅はそう言って、テーブルに頬杖をついた。
 頭の高い場所で茶の髪を二つしばりにした、赤い瞳のなかなかに勝ち気そうな少女である。
 正面にはボロボロの小冊子を手に、慶悟が身じろぎもせずに座っていた。表紙の赤い色画用紙はボロボロに擦り切れ、中のわら半紙も痛みがひどい。タイトルは『──組文集』。頭の一文字がなんであったのか、すでに破れて分からなくなっている。
「これは……ちょっとした暗号文だな」
 慶悟はあるページを開いたまま、それを聖羅に手渡した。
 拙い筆は小学校三年の生徒達のものだ。誤字も脱字も気にしない。思うがままの文字が、そこに綴られていた。
「え〜と……?」
 聖羅が読み終える間、慶悟はゆったりと紫煙を燻らせた。陽光差し込める店内には長閑やかな時間が流れている。
 借りてきた集合写真は三年生と四年生の遠足時のものだった。二人が二年間、同じクラスである事が分かる。その裏に希美の母からの伝言が添えられていた。
 慶悟はそれに目を通した。
『上から二段目、左から三番目。樹下由加里ちゃん。同じく七番目、高見洋子ちゃん。どちらも仲の良かった子です。住所はアルバムに載っていました。宜しくお願い致します』
 アルバムを開く。最後の住所録の端が小さく折れていた。そのページを開くと、鉛筆で線が引いてある。慶悟はそれを符に書き写して、写真の上へ置いた。
「う〜ん……『ヘビバタケ』、『ケムシミチ』?」
 文集から顔を話した聖羅は、難しい表情で慶悟を見つめた。慶悟は肩をすくめてみせる。
 聖羅が慶悟から渡されたのは、『陣内ミカ』の名で書かれたページだ。希美と同じ学校で書いた最後の文集である。
 その内容はこうだ。
『大好きなキーちゃん
                      陣内ミカ
 学校が終わると、いつもキーちゃんと帰ります。キーちゃんとは同じ方向なので、と中までいっしょです。
 ヘビバタケと公園を通ると、本当はキーちゃんとさよならしなければなりません。でもケムシミチを通るのがいやなので、いつもキーちゃんと同じ方へ行きます。
 キーちゃんは商店がいで曲がらなきゃいけないのに、犬をこえるまでいっしょにきてくれます。
 どうしてかというと、私が動物がにがてだからです。
 キーちゃんと犬のところを通りすぎると、そこでさよならします。
 そして、ちとせ屋と工場の前を通って帰ります。
 キーちゃんはとっても優しいです。そんなキーちゃんが大好きです』
 残念ながら問題の『タイルの家』は出てきていないが、帰宅路は何とか辿れそうだ。
 二人が文集に頭をひねっていると、悠也達が合流した。
 やってきた店員にドリンクバーを三つ追加する。それぞれに飲み物を手に席へ戻ると、文集に目をやりながら茶を啜った。
「まあ、そう都合良くは行かないだろう」
 慶悟は緩くなりかけたブラックに口をつけた。
「でも、子供の行動範囲はそう広くありませんし、ここから広げて行けば案外早くたどり着けるかもしれませんよ」
 麟凰はダージリンに砂糖を一つ落とした物を飲んでいる。ゴドフリートはコーヒーに砂糖を三つ、ミルクを三つという甘党仕様だ。
「よし、一つ一つ追いかけてみようぜ。相手先の住所が確か……」
 ゴドフリートは尻ポケットから、丸めていた紙面一式をテーブルの上に広げ、正位置の南を手前に地図を置いた。
「本町三の十二の五、グリーンコーポAの203。地図で言うと、どこだ」
「戸籍謄本に地図ですか。用意がいいですね」
 悠也は感心したように、地図を覗き込む。砂糖抜きのコーヒーは脇に退け、ゴドフリートの指先が地図上を走るのを、目で追った。
 地図の縮尺は二千分の一。住宅地図などで使用される家主や店名などの名の入った、かなり詳細な地図である。
「あったぜ、『グリーンコーポ』。で、依頼人と学校の住所は?」
 ゴドフリートは一点を指したまま、皆を見渡した。
「依頼人は三の三の三だ」
 と、先程訪ねてきたばかりの慶悟が言った。ゴドフリートの指が動いて止まる。
 聖羅は卒業アルバムの最後のページを繰った。手元にはハーブティーに砂糖を半分入れたカップが置いてある。聖羅も甘党だった。
「本町第一小学校、五の九の一」
「近いですね」
 麟凰は紅茶を啜りながら、地図を覗き込んだ。
「ああ、近すぎるな。こんな狭い範囲の捜査なのか」
 ゴドフリートが指し示した三つの点を結ぶと、不格好なトライアングルが出来上がった。学校から希美の家までが少し短く、希美の家からミカの家、ミカの家から学校までと段々一端が長くなる。だが、どれもゴドフリートの指一本の長さに欠けていた。
 もっともゴドフリートの手は、かなり大きかったのだが。
 麟凰は明るい顔を地図から上げた。
「これなら俺達五人で歩き回れば、今日中に見つける事が出来るかもしれませんね」
「うん。案外簡単に見つかったりして。ちなみに現在地は──」
 聖羅がキョロキョロと辺りを見回すのを見て、慶悟は置いてあるメニューを裏返した。
「一の十八の十二」
 ゴドフリートの指が彷徨い、今までの三角形とは逆側に三角を作る地点で止まった。そこは空き地のようである。
「一の八の十二? 何もねえぞ? 十年前には空き地だったようだな」
「町も変わって行きますからね。主要点が分かった所で、文集を辿ってみましょうか?」
 悠也の声に一同は頷き、再び顔を寄せ合った。が、一人だけそうしない者がいる。
「俺はする事がある。進めておいてくれ」
 そう言った後、慶悟の面持ちが変わった。涼やかな雰囲気はそのままだが、何かそこからピリピリとした気が放たれている。目の前には住所と名前の記された符があった。
 一同は黙りこくって慶悟を見た。
 慶悟は何事かを囁くと、静かに宙を指で斬った。ヒラリと舞い上がった符は鳶となる。
「名は最大の呪。それはこの世の存在を明らかにする……、これに顔を知るという識が加われば、呪い殺す事も可能だ」
 と、慶悟は片笑みを浮かべ鳶を放った。
 その頭上に声が一つ降る。
「慶悟さん、そこ……笑うトコなんか?」
 横からの声にびくりとして、一同は一斉に見上げた。
「遅なってごめん」
 言いながらイスを一つたぐり寄せたのは、今野篤旗(いまのあつき)だ。
 背は高いが華奢では無い。青い髪と瞳の利発そうな少年である。悠也と同じ大学生という肩書きを持っているが、年は三つ下であった。
「話、大分進んでしもたんかな」
「いや、まだ触りだ」
「良かった。さっきの慶悟さんの迫力で、クライマックスや思うて少しドキドキしたわ」
 ホッと胸を撫で下ろす篤旗に、皆は代わる代わるそれまでの話を聞かせた。途中、店員がやってきて、再びドリンクバーを追加した。篤旗はコーラを持ってきた。
 話は自然と本筋へと戻って行く。
「じゃあ、まず『ヘビバタケ』からね。ええと、『ヘビバタケと公園を通ると、本当はキーちゃんとさよならしなければなりません』。これは?」
 聖羅の読み上げにゴドフリートの指が動いた。
 地図では学校の正門前は文具店になっている。正門は南を向いており、道はこの文具店との間に東西に向かって伸びているが、公園があるのは西の方だ。しばらく民家が続いた後に畑、公園と並んでいる。
「まずは西。畑は……ウメだな」
「……ヘビじゃないですね」
 麟凰は苦笑する。慶悟は頷いた。
「ああ。謎は残るが、先へ進もう。その辺は現地へ行けば分かるはずだ。さよならって事は分岐があるんだと思うが……」
 確かに公園を過ぎると道が分かれている。直進と、公園を回り込むようにして南へ下りる道があった。文集ではミカが『ケムシミチ』を嫌って、希美と同じ道を帰ったとなっている。
 ちなみに、希美の家は公園を直進後、直ぐ北にある商店街を抜け、突き当たりを西へ少し入った所にあった。小学校からは十分か十五分程度の道のりだろう。だが、そうはせずにミカに付き合ったようだ。
「『犬をこえるまで』。これも現地へ行かないと分かりませんが……」
 悠也は地図から顔を上げた。さすがに犬を飼ってるか否かまでは記されてはいない。
 分岐を過ぎると南へ行く道は無数にあった。通常、迂回した後に取る行動と言えば、より近い道を選んで進路方向に曲がるのだが、それに当てはめればミカは、一番最初に現れる道を曲がったはずだ。地図では空き地と民家の間にそれがあるが、果たして実際はどうなのだろう。
 聖羅は文集をもう一度読み上げた。
「『ちとせ屋と工場の前を通って帰ります』。ミカさんの家から辿ってみれば繋がるんじゃないかしら」
「そうだな。逆から追って行こう。グリーンコーポの周辺に工場は……あるな」
 ゴドフリートは頷いた。
 ミカの家は角地に建っていた。口の字の右辺と底辺を無くしたような、と言えば分かりやすいだろうか。そこに二棟、左辺に刺さるようにして並んでいる。
 学校はミカの家から見ると東にあたる。地図で言うと右の方だ。よってミカの家から右へ進むと、一つ目のT路路の左角に『株式会社、今市』と書かれた大きな空間があった。
「ここが『工場』か? 前を通る、とあるから北だな」
 と、太い指は上へ向かう。
 道は緩やかな弧を描き、突然西へ折れ曲がる。弧に面して『千歳屋』と言う店が一つあった。西へ向かった道には、仮定で曲がった『犬』の道が突き当たり、そのままどこまでも真っ直ぐに伸びている。
 文集で読み取れるのはここまでだった。
「でも、変やな」
 篤旗は飲みかけのコーラをテーブルに置こうとした。
 地図、文集、写真、六つの飲み物。テーブルの上は凄まじく散らかっている。グラス一つ置くスペースも無い程だ。篤旗は諦めて手に持ったままにした。
「どうした、今野」
 慶悟がゴドフリートの向こうから、顔を覗かせる。篤旗は地図を指し示した。
「『ケムシミチ』ってあったやろ? あれ……これで言うたら、どこになるんや?」
 一同は揃って地図を覗き込んだ。
 公園を南へ下りた道を目でなぞると、それは延々とミカの家には近づかず、離れたまま少し大きな裏通りへとぶつかった。途中、曲がり角は七つ。六つが東方向で、ミカの家へ向かうべく西方向は、たった一つしかない。
 しかも裏通りにほど近い場所になって、やっと出てくるのだ。これでは普通に通うにしても、かなりの遠回りと言える。希美と通う道の方が、どう見ても近かった。
「この地図に載ってない道があるって事だな」
 ゴドフリートが言う。
 子供は道の開拓者だ。大人の視点では捉えられない地図を持つ。恐らくゴドフリートの言うことは正しいだろう。
「じゃあ、そろそろ出発ですか?」
 麟凰が問うと、ゴドフリートは「うーん」と唸った。
「ゴドーさん?」
「いや。どうせなら、飯喰ってかねえか?」
 悠也につられて一同が見上げた壁の時計は、すでにお昼を回っていた。
■■ 金曜日 午後 ■■

 一行は食事を終えた順に散会した。

 沼、湿地。
 とにかく妙な梅畑だった。梅の木一本一本は盛り上げられた土の上に生えているが、その小山の裾は水に浸り、セリやタンポポ、ハコベといった植物で埋め尽くされている。何となくジメジメとした場所だ。
「……『ヘビバタケ』、かあ。確かにヘビが出そうだけど」
 出てこいと言って出てくる相手でも無い。近所の人に聞けば分かるかもしれないが、わざわざ尋ねる事でも無いような気もした。地図と文集は一致している。
 麟凰は畑を眺めるだけに止めた。
 公園を突っ切るようにして左に折れる。
 その道は、かなりゴチャゴチャとしていた。猫一匹が通れるような隙間を残して隣接する家屋。道幅は狭く、車のすれ違いには気を遣いそうだ。
 見上げると建物に囲まれた空も狭かった。
 しばらく行くと右手──民家の間に、人一人が通れそうな狭い隙間を見つけた。鬱蒼と茂る垣根と、敷地を越えて飛び出した物置の屋根。
「『ケムシミチ』かな?」
 麟凰はしばらく考えていたが、そのまま直進する事を選んだ。遠回りにはなるが目当ての物を見つけるには、それくらいがいいかもしれない。
 刻一刻と、厚みを増して行く雲。
 雨は近い。
 麟凰の前を子供達が走り抜けて行った。
 その子供達が右手の壁の中へ吸い込まれて行く。
「?」
 近づいてみると民家と民家の間のデッドスペースが、抜け道になっているようだ。子供達はそこを通って、向こう側へ渡ったらしい。
 恐らく町中のこういった場所を、子供達は知っているのだろう。舗装はされていないが、この広さなら大人でも楽に通れる。もしかしたら、ミカの通学路の正しきはこの道かもしれない。
 麟凰はそこを抜けながら、考えていた事をふと呟いた。
「茶色のタイル……。確かに見ようによっては見えなくもないかな。子供の目だし──チョコレートかな」

「そんなような家知らへんか?」
 篤旗はファミレスを出た後、公園に腰を据えた。目当ては、ここに来る子供達だ。大人に『茶色のタイルの家』を尋ねるより、子供の目線で捉えたままを尋ねた方が良いと思ったのだ。
 何人かの子供達に声をかけた後、ブランコで遊んでいた子供達がそれに反応を示した。
「チョコレート?」
「茶色くてチョコレートみたいに見える家なんやけど」
 一人の女児が、元気良く手を上げた。
「あたし、分かった! お母さんといつもお買い物で通るもん。緒方さんちだよ」
「緒方さん?」
 篤旗が問うと、少女は篤旗の手を引いた。
「こっち、『ケムシ通り』を行くと近いから」
 篤旗の感は正しかったようだ。早くも有力な情報に突き当たったらしい。だが篤旗は、グイグイと引っ張られるその後ろで、苦笑いを浮かべていた。
「ここでも暗号が……」
 そして案内されたのは数分前、悠也が過ぎたばかりの場所。まさしくそこが『ケムシミチ』であり、『ケムシ通り』だったのだ。
「ここが近道だよ。じゃあねえ、バイバイ!」
 少女は案内が済むと、篤旗に手を振って行ってしまった。
 騙されたような気持ちで、篤旗は垣根を見つめる。
 この道は果たして道と呼べるのだろうか。頭上には隣家から張り出したトタン屋根、道の両サイドにはヒイラギモクセイと言う、少しギザギザした葉の垣根が出口まで続いている。
 覗き込むと向こう側の民家が見えた。下は砂利で、自転車の轍が無数に付いている。
「まあ、近道や言うし」
 篤旗は垣根をくぐり抜けた。が、出た先がどこなのか全く分からない。振り返ると頭上に、『千歳屋』と言う古ぼけてすすけた看板が見えた。どうやらミカの家までは、非常に近いらしい。
 しかし、肝心の建物が見あたらない。
「……近道って、この後どっちか分からへん」
 そこはそれ。西の性は細かい事など気にしない。
「まあ、その内、見つかるやろ」
 篤旗はミカの家に向かって歩き始めた。

「さぁ、どうする? 真名神さん」
 商店街を抜けた所で、聖羅は慶悟を振り返った。
 戻ってきた式は、慶悟にあまり芳しくない情報を伝えたのだ。
 二人の友人は転居に一人暮らし。どちらも追うには時間が無さ過ぎる。同じように友人関係を洗い出そうと思っていた聖羅も、出鼻をくじかれた形となった。
「でも、動いてから知るよりは良かったかも」
「ああ。そう広い範囲じゃないからな。しらみつぶしに足で探すしかないか」
「じゃあ、『犬』の方は?」
「唯一、濁ってる部分か。そうだな」
 二人はやむなく、文集を手がかりに希美とミカの帰宅路を辿り始めた。
 地図上では近いように感じたが、実際に歩いてみると距離はそこそこにあるようだ。
 空は曇天。雨はいつ落ちてもおかしくはない雲行きだった。
「地図では空き地の手前の曲がり道が、一番早かったよね?」
 慶悟は頷く。
 しかし、一つ目の角まで来ても空き地は見あたらなかった。変わりに大きなマンションがそびえている。
「これが建ったようだな」
「そうね」
 聖羅は曲がり角手前の家に駈け寄った。腰ほどのブロックの上に、鉄柵が目の高さまできている。中には薔薇が植えられており、背伸びしないと見通しが利かなかった。
 慶悟が聖羅の横から覗き込む。
 と──
 ガウガウガウガウ!
 激しい犬の鳴き声と共に、大きな犬が跳ね上がった。鉄柵にかじりついて牙を剥く姿に驚いて聖羅は飛び退る。その拍子に慶悟の足を思い切り踏んだ。
「!」
「あ、ごめっ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……」
 災難に巻き込まれながら、呆然と吠え続ける犬を眺めていると、窓から飼い主の顔が覗いた。
「こらっ! 何、吠えてるの! 静かになさい、ラブ太郎!」
 犬は一喝され、ヒュイーンと情けない声で鳴いた。尾を下げ、玄関の前にうずくまる。それはアラスカンマラミュートと呼ばれる、ハスキー犬をさらに大きくした犬種だった。立ち上がると人間ほどもある犬だ。歯を剥いた迫力は凄まじかった。
 飼い主は二人に苦り切った笑みを向けた。
「ごめんなさいね、怪我は無かった?」
「あぁ、それが仕事だ。仕方ないさ」
 慶悟が肩をすくめると、飼い主の顔が少し柔らいだ笑みに変わった。
「でもねぇ、ここを通る子供達も怖がって。母親は気の優しい良い子だったのに、この子はどうしようも無い乱暴者なんですよ」
 飼い主は、犬が静かになったのを見計らって奥へと消えた。
 もし、ここの犬で間違いないとすれば、希美達の時代には『母親犬』がいたのだろうか。しかし、いくら大人しいとは言え、あの大きさは脅威と言える。動物嫌いの子供なら尚更だろう。
 二人は顔を見合わせて角を曲がった。そして数えて六軒目。
 その家の前で立ち止まる。
「……もしかして、これ?」
「あっさり見つかったな」
 黒く低い鉄柵と艶の無い茶色のタイル張り。小さな庭は芝で埋め尽くされている。三階建ての鉄筋コンクリートの家は、四角いブロックを思わせた。

 最後に店を出たのは、悠也とゴドフリートだった。
「ここですね、きっと。行きましょう、ゴドーさん」
 悠也に急かされ、ゴドフリートは渋面を作る。
 目の前には例の秘密の入口があった。今をさかのぼる事少し前。悠也が通り過ぎ、篤旗がくぐり抜けて行った場所だ。
「もう分かった。こいつが春になると、すげえ事になるんだろう?」
 ゴドフリートは首を横に振った。身長と幅を考えると、この道を通るには少なからず犠牲者が出る。と言っても、ゴドフリートの方ではない。垣根の方に、である。
 悠也はそんな事は気にも留めず、悠々とそこを通り抜けた。
「大丈夫です、ゴドーさん」
「お前が大丈夫でも、俺は駄目だろう!」
 早く早くと手招きする悠也に負けて、ゴドフリートは身を屈める。
「クソー! ダンプスターの方がまだ広いぜ!」
 悠也にはよく分からない愚痴をこぼしながら、ゴドフリートは垣根をくぐり抜けた。ダンプスターとは、ゴドフリートの本拠地アメリカにある、かなり大きなゴミ箱の事だ。体中に付着した葉を払って、ゴドフリートはフンと鼻を鳴らした。
「見て下さい」
 悠也に指を指されて見上げると、背後には『千歳屋』の看板。
「近道を取って毛虫にまみれるか、遠回りして犬を越えるか。その選択肢で、この道は負けてしまったんですね」
「ああ。友達思いの友人が一人いたからだろう。自分の曲がる場所を過ぎてまで、付き合うくらいのな」
 悠也とゴドフリートは頷き合った。
「どちらに進みますか?」
「そうだな、『犬』ってのを調べてみようぜ」
 二人は千歳屋を背に、直進を選んだ。右斜め奥に背の高いマンションが見えている。
 歩きだした途端、ポツリと何かがゴドフリートの頬を打った。
「ん?」
 ゴドフリートは頬に手をやり、空を見上げた。空は相変わらずグレーのまま、沈黙している。
「急ぎましょうか」
 悠也の言葉に、ゴドフリートは頷いた。

■■ 金曜日 午後三時 ■■
 
「慶悟に聖羅じゃねえか、そんな所で何やってんだ」
 悠也とゴドフリートは、マンションの庇の下にいる二人に合流した。
 そしてその正面に佇む、タイルの家を目にしたのだ。
「こいつは……」
 思わぬ近さにゴドフリートは絶句する。
 空からは小さな水玉が落ち始めていた。
 一番最後にやってきたと篤旗と麟凰も、同じように驚いたようだ。
「良かった、見つかったんですね」
「ハハ、反対側行ってしもた」
 と、共に安堵の苦い笑いを浮かべた。
「これが例のヤツに間違いねえか、調べられねえかな」
 ゴドフリートが言うと、麟凰が進み出た。
「俺、分かります」
 まだまばらな雨とも言えぬ雨の中、麟凰は庇を飛び出すと問題の家の鉄柵に触れた。
 サイコメトリ──麟凰はそこに在るものの記憶を視る事が出来た。
 十年前に何があったのか。
 それをこの家の鉄柵は覚えていた。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
 
 ミカちゃんが転校する日。クラスでやったお別れ会で、あたしが最後に言った言葉はクラスの代表としてで、全然あたしが思ってる事じゃなかった。
 向こうでも早く友達を作って下さい──
 なんて……これっぽっちも思ってなかった。
 ただ、あたしは彼女がすぐに戻って来るものだと思っていた。
 会の後、彼女の家に行った時も、あたしは彼女に「さよなら」を言わなかった。おばさんに日本地図を見せられて、「ここへ行くの」と言われた時も、自分の住んでいる所さえハッキリしなかったあたしは「ふうん」とだけ言った。
 日も落ちて帰ろうとすると、おばさんが言った。
「みか、キーちゃん送ってってあげなさいよ」
 何となく空気が重い。
 苦しかった。
 ミカちゃんは終始うつむいていた。
 おばさんに見送られて家を出ると、あたりは一面夕焼けでオレンジ色だった。その中であたしは、今日帰ってから見る予定の、二人が大好きだったアニメの話をしていた。
 彼女は笑いながらも心ここにあらずと言った感じで、生返事を繰り返した。目の前に茶色の家が見えてくると、彼女は返事さえしなくなった。ここがあたし達二人の家の中間点──いつものバイバイの場所だった。

■■ あのチョコレートの家の前で ■■
 
「ここでいいよ。みかちゃん、じゃあね」
「……うん」 
 夕焼けをまともにうける茶色の家の、ちょっと変わった長方形のでこぼこしたタイルが、光沢を帯びている。
 彼女はそれを見上げて言った。
「きーちゃん……、見て、ほら──」
 チョコレートミタイダヨ──
 大粒の涙を流して静かに泣く彼女も、やっぱり「さよなら」は言わなかった。

■■ 金曜日 午後三時十五分 ■■
 
 チョコレートの家。
 謎は解けた。が、こんなにも近い場所なら、記憶を取り戻そうとした時に、通ったのではないだろうか。
 一行は首をひねった。
 しかし、事故を起こした当時、希美は六年生だ。四年生だった頃から見れば、クラス替えもして友達も変わっている。親や友達が案内した場所に、ここは含まれていなかっただろう。公園も学校も商店街も、皆手前だ。ここを通らずに事が足りてしまう。
 そしてミカが転校してから二年。記憶を失った少女に、誰がその事を持ちかけただろう。
「難しいわね」
 聖羅がポツリと呟く。
「ああ。そこにいる人間の事も覚えてないのに、引っ越したヤツの事を持ち出すはずはねえ。皆、自分を思いだして欲しいだろうからな」
 ゴドフリートの言葉と共に、雨が音を立て始めた。
「明日は晴れるでしょうか」
 悠也は空を見上げる。
 このタイルに西陽の当たる時が、希美の記憶に光の射す時かもしれない。
 六人に残された事は、希美が過去を取り戻せるよう祈る事だけだった。
 
■■ 土曜日 午後五時 ■■
 
 晴天。
 空は見事に晴れた。が──
 困った事が起こったのだ。あの家に全く陽が当たらない。大きなマンションがそれを遮って、辺りには暗い影が落ちていた。
 希美も困惑の表情を浮かべている。
「あの……本当にここで?」
 不安そうな声に、慶悟は頷いた。
「ああ、間違いない」
「……そうですか」
 一行はマンションの庇の下にいた。待ち合わせの場所は正面の家なのだが、いくらなんでも知らない者が自分の家の前で佇んでいたら、家の持ち主が気にするだろう。マンションなら人の出入りはいくらでもあるはずだ。そこで場所を少しだけずらしだのだが……。
 希美にはあの家を見ても、何も感じる所が無いようだ。実はまだ、一行は希美に『キーワード』を話していなかった。
 見て思い出す事を願っていたのだが、琴線には触れなかったようだ。希美の反応は鈍い。
 時間が過ぎるにつれ、希美の顔に苦悩の色が濃くなって行った。
「ああ、きちまったぞ」
 ゴドフリートが言った。
 一人の娘が犬を気にしながら、通りを曲がってやってくる。相変わらず動物が苦手なのだろう。ミカに違いない。
「希美さん」
 麟凰はソッと希美を庇から押し出した。
「大丈夫かな」
「思い出せるとええんやけど……」
 その背を不安そうに聖羅と篤旗が見送る。
「いざとなったら、俺が何とかしますよ」
 悠也が言った。
 ミカは一行を不思議そうな顔で見た後、希美に向かってペコリと頭を下げた。
「ごめんね、キーちゃん!」
 だが、希美は黙りこくっている。ミカは恐る恐る顔を上げた。
「……やっぱり怒ってるよね?」
 希美はミカの顔をじっと見つめている。思い出そうと必至なのだ。
(がんばれ!)
 聖羅は祈った。
 希美が見ているのは、二十才の娘の顔。化粧を覚えて女らしくなり、十年前の子供時代のものとは違う。記憶に一致する所が無いのかもしれない。
(がんばれ!)
 麟凰も祈った。
 口を開かぬ友人にミカは戸惑い始めた。そこに哀しそうな色が混じった時、希美はやっと口を開いた。
「ごめんなさい。謝らないといけないのは私の方なの。実は……事故で記憶を失って、小学校から前の事を覚えていないんです」
 ミカは口を開けたまま、呆然と立ち尽くした。
「き、キーちゃん?」
 突拍子も無い話だろう。直ぐには信じられないのも無理は無い。だが、希美の顔は冗談を言っていなかった。
「本当なの? でも、この場所に来てくれたじゃない」
 言いながら、茶色のタイルを指さす。
 希美は静かに首を振り、ミカに手紙を開いて見せた。
「あの人達に探してもらったの。この手紙をもらってから……」
 濡れて読めなくなった手紙。その文字をミカは指でなぞった。
「じゃあ、ここに書いてあった言葉も覚えてないんだね。ここは、キーちゃんと最後のお別れをした場所なのに……」
 希美は何も言えなかった。
「俺、行きましょうか」
 悠也が二人の元へ向かおうとしたその時──
 奇跡は起こった。
 今までマンションの影に隠れていたはずの陽が、建物の合間を縫って射し始めたのだ。
 二人を──
 そして、あの茶色のタイルを照らすオレンジの光。
 ミカは家を見上げた。
 希美も見上げた。
「あの時と同じだよ。キーちゃん……見て」
 ミカは泣いていた。
 ハッとしたような希美の顔が、ゆっくりとミカへ向く。
 次の瞬間、言葉を発したのは希美だった。
「ミテ……チョコレートミタイダヨ……」
 希美はボンヤリしていた。
 十二年間、途切れたままの糸が今、ようやく繋がったようだ。ミカは素直に歓声を上げた。
「き、キーちゃん!」
「ミカちゃん! チョコレート、チョコレートって言ったよね? この家──」
 後は声にならなかった。
 傾いて行く陽の中、手を取り合って涙ぐむ二人に、慶悟はフと笑みを漏らす。
「友の間柄に、余計な口出しは無用か」
 一行は二人を残し、現場を後にした。

■■ 依頼終了 ■■
  
 数日後。
 草間の元に希美とその両親が訪れた。深々と頭を下げる三人に、草間は何度、顔を上げてくれるように頼んだか分からないと言う。
 その至福の笑みから、果たして報酬は取れたのか。
 各々に届いた金一封『二万円』の出所は、金庫番だけが知っている。
「さて、貯金」
 悠也は封筒を通帳へ挟み込み、それを大事に元の場所へしまいこんだ。


                        終




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】
     
【0164 / 斎・悠也 /いつき・ゆうや(21)】
     男 / 大学生・バイトでホスト
        
          
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師
     
【0527 / 今野・篤旗 / いまの・あつき(18)】
     男 / 大校生
     
【1024 / ゴドフリート・アルバレスト(36)】
     男 / 白バイ警官     
     
【1087 / 巫・聖羅 / かんなぎ・せいら(17)】
     女 / 高校生兼『反魂屋(死人使い)』
     
【1147 / 水無瀬・麟凰 / みなせ・りんおう(14)】
     男 / 無職

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■          あとがき           ■
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 こんにちわ、紺野です。
 初めましての方、いつもお世話になっている方……、
 この度は当依頼を解決して下さりありがとうございました。
 
 体長を激しく崩しておりまして、書き上げて真っ白で
 何も思い浮かびませんf(^ー^;
 
 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見は、
 喜んで次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かい事でもお寄せ下さいませ。
 
 感想や激励メールは、泣いて喜びます。
 いつにも増して短いあとがきで、ごめんなさい。
 本当に真っ白です。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう……
 
                   紺野ふずき 灰(死)