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<東京怪談ノベル(シングル)>


逢魔の出会い

 暗い夜道で、誰かが後ろからつけてくる気がする……
 わずかに開いたカーテンの隙間から、誰かが覗いているような気がする……
 ふと、そんな思いに捕らわれた事のある人間は、意外に多いかもしれない。
 しかし、多くの場合、それらは全て”気のせい”の一言で片付けられてしまうものだ。
 振り返っても、カーテンを開いても、おかしなものなどは存在せず、ただごく普通の日常がそこにあるだけ……それが普通である。
 ……とはいえ……
 あるいは、確かにそこには何かが存在し、じっとこちらを見つめているのかもしれない。
 単に、それらに気付かない、あるいは見えないだけなのかも……
「……」
 今、1人の男が、そんな予兆を感じて振り返った。
 そして、彼の場合は、気のせいでもなければ、見えないわけでもない。
 美しく澄んだ色の瞳が、じっとそれに注がれる。
 端正な横顔に、栗色の髪。
 モンゴロイドである日本人が髪の色を金色や茶色にしても、どこか違和感が残るものだが、彼にはまったくそれがなかった。日英クォーターの特権だろう。
 彼の名は、灰野輝史(かいや・てるふみ)。23歳の若者である。
「……どうしました?」
 と、輝史は口を開いた。
「……!」
 視線の先で、小さく息を飲む気配。
「私が……見えるんですか?」
「ええ」
 わずかに微笑んで、頷く。
 そこにいたのは……高校生くらいと思しき制服姿の少女だった。
 ただし、既に生きている人間ではない。
 その証拠に、今、サラリーマン風の男が怪訝そうな顔で彼を見ながら通り過ぎていく。少女の姿が、見えてはいないのだ。彼の目には、輝史が何もない空間に向かって話しているようにしか映っていない。

 ──カンカンカンカン……

 ふと、けたたましい音が響いた。
 輝史の背後で、遮断機がゆっくりと下りていく。
 遠くから、警笛を鳴らしつつ、電車が走ってきた。
 が、そのどちらも、輝史は見ていない。
 彼はじっと、点滅を続ける機械の脇に置かれたものに目を向けていた。
 ……まだ新しい、花束に。
「私……ここで電車に轢かれて……死んじゃったんです」
「……」
 ポツリと、少女が言った。
 ただ、その表情はあまり悲しげではなく、どことなく疲れているような……儚い微笑を浮かべている。
「何か……嫌な事でも?」
 輝史が、尋ねる。
 遠まわしに、自ら死を選んだのかどうかを問うたのだ。
 彼女もすぐにそれには気付いたようで、すっと視線を落とすと……言葉を続けた。
「別に……なにかに不満があったとか、そういうんじゃないんですけど……毎日がつまらなかったんです。学校に行って、勉強して、友達と話して……父さんも母さんも優しくて……きっと、こんな日々がずっと続いて、自分は年を取って行くんだなぁって……ずっと思ってました。不満じゃなかったけど……でも、それってやっぱりつまらないなって……感じてたんですよね……それで、ここで走ってくる電車を見ていて……このまま動かなければどうなるのかなって……そう思っちゃって……」
「なるほど……」
「でも……死んでも同じなんですね……つまらないのは一緒。何も変わらない……何も……」
「……」
 激しい音を上げて、電車が線路を通過していく。
 視線を地面に落とした少女に、しばし輝史は何も告げなかったが……
「……いえ、そうではありませんよ」
「え……?」
「生きている人と、死んでしまった人は決定的に違います。生者は死ぬ事ができますが、死者が再び命を得る事は、決してあり得ません。それが理解できない者は……哀れですよ」
 静かに言う輝史の瞳は、この時少女を映してはいなかった。
 その背後、線路上に沸き上がった黒いもやのようなものに、じっと視線を注いでいる。
「な、なんですか……あれ?」
 少女も、すぐに気付いたようだ。
 目を丸くして、思わず輝史の側に寄る。
 それは、ゆらゆらと揺れながら、少しづつ、少しづつ大きくなっていく。

 ──カァン……カァン……カァン……カァン……

 鳴り続ける警報機の音が、なんとなく低くこもっているように聞こえ出したのは……気のせいだろうか。
「……時々、こういう場所が生まれるんですよ」
 その物体から目を離さずに、輝史が言う。
「そこで死んだもの達の報われない念が集まり、さらなる仲間を……犠牲者を呼ぶんです。いわゆる自殺の名所などと呼ばれる所には、程度の違いこそあれ、こういうもの達がいます」
「報われない……念……」
「ええ、そうです」
 2人の目の前で、それは今や直径2メートル程にまで成長していた。
 内部には、さまざまな顔が浮かんでいる。
 若い男、老人、中年、女性……少女と変わりないくらいの娘の姿もあったし、それよりももっと幼い幼児の顔も見えた。
 そして……その全てが苦悶の表情を浮かべ、黒い霧の中でのたうっている。

『苦しい』
『痛いよ』
『なんで俺達ばかりが』
『お前も来い』
『来い』
『来てよ』
『来るんだ』

 口々に、そう叫んでいた。
「……っ!」
 目を背け、両手で耳を塞ぐ少女。
 しかし、そんな事をしても、亡者の声は防ぐ事などできはしない。
「わかりますか。死者というのは、時として生者よりも苦しむんです。この場合、死は救いでも、逃避でもない。さらなる苦しみを生むだけなのですよ……」
「やめて……!!」
 叫ぶ、少女。
 その肩に、輝史がそっと手を乗せた。
「……あ」
 顔を上げ、年上の青年を見上げる。
 霊であるはずの自分に、苦もなく触れている……なんでそんな事ができるのか……
 不思議だったが……この人なら、できるかもしれない。そう思った。
 自分に向けられた優しげな微笑と、なにより乗せられた手から伝わる温かさ……それが理由だ。
「……1本、頂きます」
 そう言って、目の前に差し出される、かすみ草の花。
 自分に手向けられたもののひとつである。
 振り返ると、それを亡者たちへと向けて軽く放る。
 花全体が、何故か淡い光に包まれていた。それがどういう意味を持っていたのか……
 ゆるやかな弧を描いて跳ぶ花に触れたもやが、亡者達も含めて端から音もなく、綺麗に消えていく。
 やがて軽い音と共に線路の上に落ちたとき……そこにはもう、ただの夕暮れの空が見えるだけだった。
 警報機の音も、いつのまにか止まっている。
「……貴方は、一体……」
 尋ねようとしたが、何を尋ねたらいいのか……よくわからない。
「もう、大丈夫ですよ」
「……え?」
 じっと見上げていると、そう言われた。
 なんの事だろうと思ったが、その意味はすぐに知れた。
「あ……」
 自分の身体が、ゆっくりと薄れていくのだ。
「あなたをこの場に縛り付けていた存在が消えたので、あなたも旅立てるという事ですよ」
 そう、説明される。
「……私を縛る……」
 繰り返して、ハッとした。
「あの、もしかして私がこの場所で命を無くしたのも、ひょっとして……あれに呼ばれたから……」
「半分はそうでしょう。でも、半分は……」
「……ええ……そうですね……」
 輝史が言う前に、そっと頷く少女。
 確かに、彼らは自分をここに呼んで、仲間に引き込んだのかもしれない。
 しかし、そもそも生きる事に対して疑問を感じたのは……自分だ。
 結局は、そこに付けこまれたわけだから……彼らだけを責めるわけにもいかないだろう。
 今にして思うと、つまらない事で悩んでいたような気もするが、全てはもう遅い。
 未練や後悔はもちろんあったが、それが度を過ぎるとどうなるかは……今見た亡者が物語っている。さすがにああはなりたくない。
 なら……もうあきらめるしかないだろう。
 ただ、いろいろな事に気付くのが遅かった。それがだけが残念だった。
 ……だから、少女は最後に思い切って、胸の中に浮かんだ言葉を言う事にする。
 もう、絶対に後悔しないように。
「あの……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「ええ、なんですか?」
「生まれ変わりなんて信じてないし、もしそうなってもいつになるかわからないけど……また会ったら、私とデートしてください」
「……は、はあ……」
 その台詞に、輝史が思わず目を丸くする。
「構いませんが……その時はもう、俺はおじいさんかもしれませんよ」
「大丈夫です。うんと年上好みに生まれ変わってみせますから」
「……わかりました。では気長にお待ちしていますよ」
「あはっ、やったあ!」
 嬉しそうに、顔をほころばせる少女。
 初めて見せる、年相応の飾り気のない笑顔だ。
 そして……その笑顔を残して、彼女はゆっくりと消えていくのだった……


 翌日、その踏切には、新しい花束がひとつ、増えていたという。
 誰が手向けたものかは、言うまでもないだろう。

■ END ■