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海鳴りが教えた愛の歌
<オープニング>
「これを見てくれ」
草間武彦はそう云ってその箱を開いた。
中にあったのはきれいに磨かれた螺鈿細工の櫛と珊瑚のかけら。どれもが見事なものだ。
それに添えられた手紙を手に取ると草間は読み上げる。
手紙によると、この品は海で出会った少女から預かったものだということだった。差出人が物憂げな様子の少女に声をかけたところ、「ここから旅発つはずの幼馴染がいつまでたっても現れないので困っていた」という。
「この少女はどう見ても明治後半頃の女学生の姿なんだそうだ」
草間は二枚目をめくって云う。
どうやら幽霊じゃないかと差出人が気がついたものの、心霊関係なんぞに係わり合いの無い人生を送ってきたため対処の仕様が無い。詳しい人間から草間を紹介され、こうして手紙を送るに至ったらしい。
お守りを渡したいが、何故だか少女は海岸から出れないそうだ。こればっかりは手紙の差出人にもどうしようもない。
文面からは『取り付かれてしまうのでは』という差出人の焦りが感じられた。
草間は手紙を見つめ、空を彷徨った手は煙草を掴む。事務所が静寂を保つあいだ、山になった灰皿に何本かの吸殻が乗せられ、また一回りと山は大きくなる。
吸殻を天辺に乗せると名残惜しく紫煙を吐き出した。
「その少女は一緒に探して欲しいらしいな・・・これが報酬になるんだがそれで良ければ行ってくれ」
そう云うと草間は引き出しから封筒を取り出す。
「これは俺からだ・・・経費はここから使ってくれ。あまりは取っておいてくれていい・・・・・・」
そして、また煙草に手を伸ばした。
<うみのぬくもり>
凍った色。
海原みなもは肩先でゆれる髪をいじりながら思った。
夏色の自分の髪とは違う海に言い知れぬ寒々しさを感じた。こうも違うものかと思う。常夏の海で生まれた祖先からの血は、ここが自分の海ではないと幼い人魚の末裔に訴えかけるのだ。
「寒いな・・・」
肩をすくめ、相模牡丹は呟いた。
耳をかすめた牡丹の声に桃葉が顔を上げる。
「この時期はまだ冷えますから」
桃葉は答えた。
ちんまりと整ってはいるが、意思を見せぬその表情からは冬の寒さ感じているかどうかも分からない。
よく出来た市松人形のような面は一切の感情の色が消失していた。
神女だと聞かされてはいた。
やはり、そうなのだろうとみなもは思う。
外見と力は比例しないものだ。
それは、ここにいる三人の誰もがそうだった。
牡丹は浜へ向かった。二人もそれにならう。
さくさくと砂を踏む音が、浜に、牡丹の耳に、響いた。
海鳴りに乱されながら、桃葉の足音も、みなもの踏みしめる音も、耳に届く。
夕焼けは緩やかに弧を描いて、浜の端から端を飲み込んでゆく。そして、忍びつつ宵闇は物陰を静寂に染めた。
どこまでも続くと思われた浜を、石垣に行く手を阻まれ、俯き歩く牡丹は顔を上げた。
朽ち落ちかけた台場の松の根元に待ち人は居た。
「どうも・・・」
牡丹は云った。
「俺は牡丹。こっちは桃葉」
名も告げる。そして思い出したようにみなもを紹介した。
「あんたは?」
ぶっきらぼうな物言いがやや乱暴に感じる口調だが、眉一つ寄せずに眼前の少女は笑った。
「かんざし」
「何」
「貰ってくれた?」
ころころと笑った。生から切り離された少女とは思えない軽やかさだった。
「依頼なら受けた。状況が知りたい」
「慎也のうちに行きたいの。でもここからは出れなくて・・・」
「体なら貸してやる。ついてこい」
「あなたの?」
「桃葉のだ」
名を呼ばれ、桃葉は頷いた。
「悪いわ」
「ここから出れますのよ」
桃葉は切りそろえた髪を揺らして言った。
「でも・・・でも、何故?」
「どこへ行ったらいいのか分からないのは悲しいから……」
どこか遠くを見て囁いたような、抑揚のない声で桃葉は言った。
「離れられないのは、行き場が無いのと同じ」
桃葉は呟いた。
さあと波が引く。
金色の夕焼けに海鳥の影が横切って、陽光に呑まれた。
また、さあと波が打ち寄せる。
「じゃぁ・・・あたしは手がかりが海に無いかどうか見てきますね」
みなもは邪魔にならぬよう、ひっそりと云った。
何故そのような配慮をしてしまったか、にわかには分からなかった。
ただ・・・この二人のしじまを壊したくはないとみなもは思っていた。
<揺らぎに眠る思い>
緩やかに海流を渡る。
みなもの体の内部で変化が見られた。
外見はそのままで、心肺機能と感覚器官だけが魚のそれへと変わる。その変化もゆっくりで、注意しなければ本人でさえ気づかない。
浜で待ちつづける少女の幽霊を思い出すほど心は揺れた。消息を絶った幼馴染にも、みなもは同情を寄せていた。
何ゆえ離れ離れにならなければならなかったのか。時代のせいか、はたまた何かをなしえようという少年の希望からなのか。
どちらにせよ二人は待っているとみなもには思えた。
海で起こった事なら自分は役に立つはずだ。とは言え、召霊はできない。だとしたら、より多くの情報を持つしかない。
幸い、自分は海の眷属だし、多くの人魚(あね)達がいる。
そう思い立つと、みなもはこの海域を管轄している姉の一人を呼び出した。
「お姉さま!」
「お久しぶりね、みなも。人間界はどう?面白いことはあって?」
「面白いことは自分で見つけるのよ」
「ほほほ・・・云うようになったわね」
妹の成長ぶりに微笑んだ。
「ところで何の用かしら?人に紛れてばかりで、あまり私たちと会わない貴女にしては珍しい」
「まぁ、学校があるのよ。仕方ないでしょう?」
「人間って、本当に面倒なことをするものね・・・」
「あたしには大事なことよ。それで、訊きたい事があるの」
「なんなりと、お姫様」
「んもう!意地悪ね・・・浜に縛られた幽霊さんがいるのだけど知らないかしら?」
「えぇ・・・知ってるわ」
「本当!?」
「本当よ」
優雅に微笑んだ。
姉の言葉を聞き、みなもはほっと胸を撫で下ろした。
これで少女にお守りを手渡せてあげられる!
みなもの表情は和らいだ。
「二人を見ていたのね」
「えぇ・・・二人が会っていた時も、死んだ時も」
「死んで?・・・彼女は浜で亡くなったのかしら?」
「そうよ。幼馴染のほうもね」
「幼馴染の方も・・・」
「これをあげるわ」
そう云ってみなもに硝子の小瓶を渡した。
小さな紙が詰め込まれていた。
「これ・・・・・・」
「読んでみるといいわ。ここに何があったか書いてあるから」
「でも・・・何故?」
「渡されたのよ、本人から」
「何で・・・」
「さぁ、行きなさい。海の中で開けては紙が濡れてしまうから」
「分かったわ・・・ありがとうお姉さま!」
そう云うとみなもは海面に顔を出し、岸の場所を見極める。そして岸に向かって泳ぎだした。
<海鳴りが教えた愛の歌>
蒼色と月に支配された浜に少女が立っている。
長い髪を風に遊ばせて待っていたのは、みなもだった。
「これ・・・」
「それは?」
「お姉さまからいただいたの・・・見てください」
その中には折りたたんだメモと桜貝が幾つも入っていた。牡丹はその瓶を受け取ると瓶の口を覆っていた油紙を剥がす。
それは沈没寸前の船の中で書かれた手紙だった。
牡丹は呼んで聞かせた。
『ゆいねへ
僕は君に嘘を付きました。会ったらきっと離れたくなくなるでしょう。だから、僕は出発の日をずらして云う事にしました。
罰なんでしょうか?僕は今、嵐に遭っています。』
少女は真剣な眼差しで見つめている。
ぽうとポケットが暖かくなり、淡い光を放った。
牡丹は桜貝を出す。ポケットと瓶の中の桜貝を一緒に渡してやった。
少女はそれを受け取ると、にわかに貝が語り始めた。
逢いたい。
一目でいい・・・いいや、幻でいい。
僕の命が海に呑まれる時の幻でいいから。出てきて欲しい
「私はここよ、慎也さん!」
少女は叫んだ。
『ゆい・・・ね・・・君かい?』
「私よ!」
『よかった・・・探したよ』
「彼の心がここにあるから、あんたは旅立てなかったんだな・・・」
牡丹は呟いた。
「だって・・・いつもここからだったわ。出逢ったのも、好きになったのも。すべてがここにあるから逝きたくなかった・・・」
「すべて・・・か・・・」
牡丹は独りごちる。
「もう一度、一人残されるのが怖かったんだな」
『あの嵐の日に、僕は人魚に逢ったんだ』
「だからお姉さまがこれを持っていたのね?」
『そうです』
青年は頷いた。
「あなたを助けるぐらい、お姉さまには出来なかったのかしら」
『いえ・・・僕は怪我をして、泳げる状態にありませんでしたから・・・』
彼の言葉に重い沈黙が続いた。
『もう生きて還るのは無理だったんです』
「慎也さんは戻って来てくれたわ」
『遅くなってしまったけど・・・行こう・・・一緒に』
「いいの・・・慎也さん?」
『勿論だよ、さぁ・・・』
「でも・・・」
少女は牡丹を振り返った。
牡丹は微笑む。
「もう行っていいんだ。誰の心も自由なんだから、恐れなくていい」
「はい」
そう云うと少女の霊は桃葉から離れた。
袴姿の少女の幽体は陽炎のように薄くなる。
牡丹はその背に向かって合掌した。
二人の思う気持ちが解けた糸を結び、再び引き寄せた。
愛は愛する愛から始まる。
人を愛し、生かし、許す愛。
愛こそ偉大なる法力。
仏の愛はとうとうと流れゆく大河。
そこへ還ろうとしている二人に向かって、牡丹は祈った。
「南無妙法蓮華経。仏よ。我、この二人が安からんことを願う。迷いを滅し、彼岸を渡る事を願う」
牡丹が桃の樹で作られた剣をかざすと、蓮花がふわりふわりと降り注ぐ。地湧の菩薩たちが立ち並んだ。
穏やかな海の面に、ほの白い月明かりの道が生まれ、二人を誘う。
「この道を辿れば、あんた達の行くべきところへ着く」
『ありがとう』
「また逢えるかしら?」
少女の霊は訊いた。
「会えない方がいい、しばらくは・・・」
「そう?」
「成仏してくれ」
「ありがとう。じゃぁ・・・」
「幸せにね」
みなもが云った。
もっと何か伝えたかったのに、言葉が思いつかなかった。
これ以上何かを話したら涙が零れてしまいそうで、みなもは口を噤む。
幸せに・・・・・・
三人は願った。
どこまでも続く波の道が月光を弾いて輝く。
牡丹の踏みしめる、さくさくという音がみなもの心に響いた。
牡丹はただ、自分達の奏でる足音に耳を傾けていた。
海はいつの日も聞いていた。
その身に起こる全ての事を。
海から聞こえる。
彷徨える恋人達の呼び声も・・・
そして、駅へ向かって歩き出した三人を月は見ていた。
■END■
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1252 / 海原みなも / 女 / 13 /中学生
0828 / 槐・桃葉 / 女 / 306 /神女
0788 / 相模・牡丹 / 男 / 17 /高校生修法師
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ、朧月幻尉です。
二度目のご参加ありがとうございます!
海のお話にいらしてくださったので、どきどきしながらも頑張らせていただきました。
実はとても緊張しました(苦笑)
今回のお話はいかがでしたでしょうか?
ご感想・ご意見・苦情等、受け付けておりますので、何かございましたらメールにてお聞かせくださいませ。
では、またお会いできる日を夢見て・・・
朧月幻尉 拝
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