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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


調査コードネーム:雪密室
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :ゴーストネットOFF

 前略
 ずいぶん久しぶりのメールになってしまいました。
 君の活躍は光に影に聞いております。
 相変わらずお元気そうで何よりです。怪我などはしていませんか?
 私は相変わらず、山奥の別荘でのんびりと絵を描きながら暮らしてます。
 そうそう。今度、内輪だけでこっそり雪見パーティをしようと考えてます。
 よかったら君も是非きてください。
 娘も君に会いたがっています。何しろ一年以上ご無沙汰ですからね。
 今の時期は雪の状態も良いので、スキーやスケートもできますよ。
 きっと楽しめると思います。僕も君に会いたいです。
 ── 早々 松村健二

 まったく何と言うことだ!
 ゴーストネットで旧知の友、幻想画家である松村から久々のメールを受け取り、誘いに甘えて、冬のペンションでウィンタースポーツ三昧を考えていたのに!
 こんな事件に巻き込まれるとは!
 こめかみを人差し指で押さえて、ため息をつく。
 視界一面に乳白色の蒸気がたゆたっている。
 蒸気は白く冷たいバスルームのタイルに触れると、すぐに水滴となって壁を、天井をつたいおちる。
 広いバスルームの中央には、女性好きがする白い陶器に金の猫足がついたバスタブがあり、水とバラの花びらに満たされ、一人の女性が体をゆったりと湯に沈めていた。
 それだけなら、よい。
 問題はその女性が身を沈めている湯は、血によってワインのように赤く染め上げられており、女性に首が無いということだ!
 ──異様な光景。
 血と交じり合った透明な湯に、浮き沈みしながら一面を覆う深紅やピンク色のバラの花びら。
 水面からあらわになっている女性のやわらかな双球を包む肌は、血の気をうしないどこまでも白い。
 残酷で直視することをはばかれれる光景を、ヴェールのようにやわらかく包み込み、幻想的に見せている蒸気。
「まさか、こんな……」
 招待主である松村がうめいた。
 しかし次の言葉は無い。
 当然だ。まさか自分の娘がこの日、バスルームで首を切断されて死ぬなど、知りようもなかったのだから。
 幻想画家として成功した彼ではあったが、突如このような不幸に襲われるとは。
「一体、誰が」
 彼らしくない、中年の疲れに満ちたつぶやきを聞きながら目を閉じる。
 ここにいるのは招待された友人数名、そして松村自身、娘の美代、甥であり弟子でもある瀬名裕生。松村の絵を買い取って売りつけしている画廊の女主人である日野ひじり。そして、松村の絵のファンであり主治医である塚恭司である。
 ……この中に、首を落とした犯人がいるか。
 まるで手まりのようにバスルームのタイルの上に転がっている、美代の首を見る。
 昨日までは生き生きと、そう、裏にある温室に咲き誇るバラのような笑顔を見せていたのに。
 オレンジ、黄緑、紫、深紅。
 さまざまなバラを背景に紅茶をいれてくれたというのに。
 彼女だって、自分の死を飾らせる為にバラを育てたわけではあるまい。
 目の奥が熱くなり、涙が流れそうになるのをごまかす為に、寒風が吹き込んでくる、回転式のバスルームの窓を見た。
 入ってきたときは完全な密室だった。
 バスルームはどの部屋も扉をしめたら最後、オートロックで中からしか開けられない。
 回転式のパスルームの引き窓は、ねずみ一匹がとおれかどうかの隙間しかない。
 五センチ程度の隙間から見える下には、雪がかなり降り積もってはいるものの、二階から飛び降りたと思える痕跡はない。
 なめらかで平坦に降り積もった白銀の雪の上には、バラの花びらが二、三枚ちらばっている。
 視線をさらに遠くに向け、息を呑む。
 ──車が、ない。
「外に置いてあった4WDが消えているみたいですが」
 混乱のあまり口も聞けない一同に告げる、と、瀬名裕生が「まさかそんな」と叫んだ。
「昨日みなさんをここにおつれした後、鍵はずっと食堂に置いてました」
「誰かが乗っていったのか? いや、われわれは今ここに全員そろってる。とすると外部の者が入ってきて、こんな異常な真似を?!」
 神経質そうに塚医師が叫んだ。
「どちらにせよ、出られやしませんし警察もすぐにはこられないでしょう。ともかく現場を保存して待つしかなさそうですね」
 いらだちのままに髪の毛をかきあげてバスルームを出る。
 と、女子大生らしい、熊だののぬいぐるみが並べられたソファーが目に入る。
 あのぬいぐるみ達は、主が死んだ事など気づきもしないだろう。
 憐憫に襲われて目をそらすと、最愛の娘に送った松村の絵が目に入った。
 緑のみを基調とし、わずかなグラデーションのみでものの形を浮き出させるスタイルの幻想画で、事故で後天性色弱になった松村が苦悩の末に編み出した技術である。
 壁にかけてあるのは、娘である美代を天使に見立てた天使シリーズの、最高傑作といわれる一枚だ。
(──? 赤がない?)
 松村には赤と緑の区別をすることはほとんどできない。娘がサポートしている時は良いが、仕上げ──一人で作業をする時、必ずと言っていいほど間違い、かすかに赤い絵具を残してしまう。
 それが、無い。目の前の絵はあまりに完璧すぎた。
 ──まさか、ね。
 鼻のあたまにしわをよせて、口の端をゆがめる。
 鍵により閉ざされ、人の入ることが出来ないバスルームで、血とバラの花びらに抱かれて絶命した首なし死体。
 消えた4WDと雪の上に舞い落ちた血まみれのバラの花びら数枚。
 松村らしくない、緑だけの完璧な単色の絵画。
 ──そして、雪密室。

 さて、どうする?

 暗闇にバラの香りが濃密に立ちこめる。
 昼間は陽光と雪の照り返しにより、楽園のごとき美しさを見せる温室も、夜中である今となっては、ただただ静かに、ひっそりとその香りだけをたゆたわせている。
 紅蘇蘭は周囲に咲き誇る深紅の薔薇の色を吸い取ったような、美しく長い髪を肩から払って婉然と笑って見せた。
(死美人に雪密室とはねぇ)
 手を伸ばし、トゲがその白い肌を傷つけるのにもかまわず、ひときわ深く赤い一輪を手折る。
「乱歩あたりならさぞかし張り切るのでしょうけど……」
 目を細めて闇をにらむ。
 松村に会ったのは、東京にある蘇蘭の骨董店……伽藍堂だった。
 大陸系の白檀の香りと、かすかな音楽が鼓膜をくすぐる、懐古的空間。
 そこで、出会った。
 東京に仕事――個展の準備に来ていた松村がふらりと立ち寄ったのが蘇蘭の店であった。
 一体なんに魅かれてあらわれたのか。
 松村自身にはわからなかったであろうが。
 幻想画家と紅の瞳持ち仙術を使いこなす異形の蘇蘭が出会ったのは、縁という陳腐な言葉を凌駕する、奇縁だったのかもしれない。
 ふ、とため息を付く。
 人間の利権などどうでもよい。
 人間を喰らう事など、さらにどうでもよい。
 しかし、彼らが生み出す品々には愛着がないでもなかった。
 工芸品、美術品、絵画にとどまらず、音楽、あるいは舞台。
 人間の作り出す美や「作品」はあやかしには予測の付かない「力」がある。
(――有限の命だからこそ、理解、解釈し、表現できる「美」かしらねぇ)
 手折ったバラを鼻先でくるり、くるりと回しながら微笑む。
 数点、松村の作品を買い取った。
 自分の店を飾る為である。
 緑一色の……まるで森のような微細な絵画。それは数十年、あるいは数百年得た骨董品達を慰めるように、店の壁にとけ込んでいる。
 そして、美代。
「……退屈しのぎと美しい笑顔の娘への手向けに、少しは推理を楽しんでみようかね」
 興味を失ったのか。
 無造作に手折ったバラを、今まだ咲き誇り命に満ちたバラの上に投げ捨てる。
 露にぬれ、つぼみをふっくらと朝に開かせるために眠り続ける、高貴なる花々……。その上に乗る一本の、命たたれしバラ。
 まさにこの世界のありように似ているではないか。
 人一人死のうと、他の人間はそれに気づかず、自分の人生を、花開く事だけを見て生きている。
 このバラとて、そうだ。
 手折られた一本の花はやがて、乾き、しなび、腐っていくだろう。
 だが、他のバラがそれに同情して枯れるなど、童話の世界でもなければ有り得ない。
「人生の縮図、という事かしら。ねぇ」
 喉をならして、蘇蘭は振り返る。
 と、そこには一人の少女が、心持ち顔を青ざめさせて立っていた。
 同じく、松村に正体された娘――海原みなもが。
 彼女は蘇蘭とは逆に、どこまでも透き通る、南海の海のような蒼い髪を揺らし、ふるふると首を振った。
 至高なる天を写した、この世の最初の水のようにどこまでも蒼く透き通った瞳は、暗闇だからではなく、それ以外の沈痛な感情によりひそやかに影っていた。
「楽しむ、というのは美代さんに失礼です」
 小さな、だがしっかりとした意志を感じさせる声でみなもは蘇蘭に反論した。
 その肩はまだ小さく、腕は細く、成熟した女である蘇蘭の前では、いかにも頼りなげで壊れやすげに見えた。
 そう、朝の光と共に泡沫と消えた、かの童話の人魚の姫君のように。
「そういえば、松村が貴方をモチーフにして書いたのは、緑の珊瑚礁と人魚の絵だったわね」
 くっ、と蘇蘭が喉を鳴らすと同時にみなもがぴくり、と肩を揺らした。
 人ならざるモノ同士であるためか、敏感にお互いが持つ「空気」を――それこそ運命だとか宿命だとか、妖気だとか魔力だとかいう、曖昧で表現しようのない「存在意義」の欠片――を感じていた。
 みなもは顔を上げて蘇蘭を見る。
 碧玉の瞳と紅玉の瞳が対峙する。
 13才、まだ世の中の半分もしらない子供。だからこそ持ちうる純粋で臆することのないまっすぐな視線に、東洋の天仙、人をあやかしを支配する女王である蘇蘭は羨望を覚えた。
 自分には、もう、あのように純粋に世界を見ることなどできない。と。
 みなもも、また。
 蘇蘭の持つ力に、その流れ出る溶岩より熱く、命宿す血液と同じ深紅の瞳の奥に眠る英知に、素直に敬服した。
 小さく、冷気でさらに白くぬきんでた肌もつ手を、みなもはバラにのばす。
 ゆっくりと、その柔らかい花びらを撫でる。
 すべてに対してまじめで、冗談が全く通じない性格ではあるが、それ故に柔軟な常識を持っているともいえる。
 人が死ねば、混乱することは必至であり、取り乱しても誰も笑わないであろう年齢であるにも関わらず、みなもはさほど動じてはいなかった。
 もちろん、自分を妹のように大切にし、松村の仕事について海外に出る度に、西洋童話画家の絵はがきを送ってくれた、そんな美代が殺された事はショックであった。
 しかし、人一人が死に、その場所が閉ざされており――おそらく犯人も近くにいるとなれば、常識的に解決し、身を守るのが先だろう。
 ――でも、どうやって?
 美代が育てたバラをみなもは指先でいとおしむように撫でながら考える。
 しかし、バラは答えようとはしない。
 ピンクベージュ、イエロー、マゼンタ、パールホワイト……。
 あらゆる色のバラが入り交じって咲いている。
 色毎に分類するのがイヤなのだと、作られた庭園より、むしろ自然な楽園のような場所にしたいのだ、と美代が行っていたのをみなもは思い出す。
「あ……」
 喉をしめられるような感覚と共に、めまいが襲う。
 脳の奥で光が弾けた。
 足下から力が抜けようとした、その、瞬間、しなやかな――そしてバラとは違う、どこか懐かしい東洋の香りがする腕がみなもを支えた。
「すみません」
「ふ」
 みなもの言葉に、蘇蘭は唇の端をかすかにつり上げた。
 だが、その瞳はどこか大きな優しさがあった。そう、まるで聖母がすべての人類を愛するように。
「何か、見えた様な気がします」
 それが何かわからないのだけれど……。と口ごもると、蘇蘭は肩をすくめた。
「まあ、このままここで閉じこめられているのもしゃくに障るわねぇ。警察が来るとさわらなくてイイ事まで触られるし」
 ポケットからあいようの銀色のキセルを取り出して指先で回す。
「ホームズなんとやらとは行かないまでも、警察が余計な口を出せないぐらいは、片づけておきたいもんだねぇ」
 片手でみなもの蒼い髪をかきまぜて蘇蘭は温室に背中を向けた。
 たしかに、蘇蘭の言う通りだ。
 このままで良い筈はない。

 凶器は――どこに消えた?
 それが一番の問題だった。
 給湯器はさすがに止められていたものの、現場は最初の時と全く変わらない状況であった。
 美代の部屋のベッドには、父親の健二が頭を抱えたポーズのままうなだれていた。
(まずは凶器はいかな場所に消えたものやら)
 キセルにタバコをつめ、煙を吸い込みながら蘇蘭は浴室を見た。
「そこの御仁、すまぬが窓に血の後はないかえ?」
 警戒してるのか、蘇蘭の後ろに立っていた塚恭司が神経質に銀縁の眼鏡を押し上げながら鼻をならした。
「勝手に現場を触っていいのかね? 警察が来るまでこのままにしておくのが常識だろう」
 医者らしい、常識的かつ高飛車なものいいだが、蘇蘭はかまいもせず、湯気のない浴室に煙を吐いてわらった。
「私がいいと言っているのだから、さっさとお開けなさいな」
 魅惑的な笑顔だが、その瞳の色は鋭く冷たい。
 塚は喉まででかかった言葉をのみこんで、浴室に散らばるバラを踏まないように、そしてタイルを触らないようにして窓際へと歩み寄る。
「――少し、汚れてますね。花びらが外に出た時に付いたのか――小さな線みたいなのが……しかし、ここから人間が出ていくなど」
 馬鹿、と蘇蘭は心の中で舌打ちする。
 外開きの回転窓の内側から、どうやって花びらが飛んでいくのだ。
 場所が浴室で湯気があったということは、中から外に出る空気より、外から中に入り込んでくる空気のほうが多く力強い。
 何せ外は風雪だったのだから。
「そこから逃げたとは言っていないわよ。でもワイヤー程度なら通るんではなくて? 密室も似たような事で作れそうじゃないかい。そう、取ってにちょいとワイヤーを引っかけて引けばいい。良くある手なんだけど……どうかしら?」
 蘇蘭の言葉に、みなもがしっかりとうなずいてみせる。
「私もそう想います」
 静かな湖水の瞳の奥に、知恵という光が宿る。
「まあ、我ら全員がここに板分けで。誰ならそのワイヤーを引いたかと言う事になるんだけど」
 夕食後を思い出す。
 松村と塚は美術談義をしていた。
 その隣で、二人を時々盗み見るようにして瀬名は本を読んでいた。
 日野ひじりと蘇蘭は同業者である事からか、松村と塚の美術談義を商売――ビジネスという観点から紅茶を片手にかたり。
 美代とみなもは、不思議の国のアリスの挿し絵画家の作品、イギリスの妖精画家の作品集を暖炉の前でながめていた。
 そのうち美代が風呂に入るという話になり、塚は足の痛みをうったえた日野の様子をみるために、日野の部屋へといった。
 しばらくして、松村は電話がかかってきて30分席を外していた。
 その後一度瀬名はゴミを出す為に外に出ていき、10分足らずで戻ってきた。
 全員がそろって、瀬名の言葉でウィスキーだの、ワインだのの飲み会が始まり。
 二時間がすぎ、あまりにも美代が遅いことから、松村が美代を呼びにいき、答えない事から騒ぎになり、日野と塚が部屋からでてきた。
 常識的に考えれば、ワイヤーの細工を作動させる事が出来たのは、日野、塚、松村の三人である。
 が。
「外に、車がありましたよね?」
 回転窓の向こう側……雪がまだ降る外を指さしてみせる。
 突拍子もないみなもの質問に、目を見開き、そして咳払いをしてみせた後塚は答えた。
「ああ。瀬名がサイドブレーキをかけ忘れていたのか。スリップして館の下の歩道にあったよ」
 殺人事件でも大事なのに、この上車の盗難や事故があってはたまるものか、と続け様に吐き捨てる。
 蘇蘭は二人のやりとりを見て、動きをとめた。
 もし人目がなかったら、驚いた顔の一つでもしていた事だろう。
(恐るべき子供だこと……)
 みなもの澄んだ罪を許さない瞳に、目を細めた。
 車くらいの重量があれば、人の首を引きちぎる位たやすい。
 斜面に上手くとめて、そしてサイドブレーキを落とす。
 タイヤの下にゆきで車輪止めを施し、近くに保温装置……例えばカイロをプラスティックケースに入れたもの……をおいておく。
 そうすれば時間の経過と共に、雪が解けて、車は滑り落ち、車に結びつけられたワイヤー――すなわち、その最後にある美代の首をねじ切る事は可能だ。
 では、誰が?
 美代の部屋に飾られた一枚の絵画を、あざ笑うかのようにあごをあげて、みすがめる。
 そう。理由は贋作。
 赤の混じらない絵。それが最大のヒントだ。
「――あの」
 考えに入っていた蘇蘭の腕を、弱々しくみなもが引っ張った。
「さっき、温室の――」
「温室がどうかしたのかえ?」
 少し口ごもっていたみなもはやがて決意したように顔をあげてみせた。
「温室で見えた事がわかりました」
 とうとつなみなもの言葉に、蘇蘭はただ瞬きを繰り返すだけである。と、みなもは一言一言を区切りながら、はっきりと言った。
「だから私に犯人がわかりました。犯人は、瀬名さんです」

 名探偵というには、あまりにもみなもは幼く、そしてはかなげに見えた。
 桜色のセーターに包まれた小さな身体は、松村や塚、そして蘇蘭より弱々しい。
 だが、その瞳の奥にある英知の光はその場にいるすべての大人を凌駕し圧倒していた。
「どういう、事だね」
 掠れた声でベッドでうなだれていた松村が、聞き返した。
「犯人は、瀬名さんです」
 もう一度みなもは繰り返した。
 浴室のドアを閉める。美代の魂をこれ以上辱める必要はない。
 人を、人とのつながりを大切にしたいあまりお節介をかけて、トラブルに巻き込まれる事もしばしばあるみなもだが。
 その優しさ故に――そして汚れをしらない若さゆえに、真実を追究する断罪の手に妥協や手加減はない。
「まず、松村さんは犯人ではありえません。いえ、松村さんが最も犯人ではありえないんです」
 贋作を作成するように指示して、日野を通じて金をもうけようとした。
 その線もあったが、浴室をみるかぎりでは松村ではありえない。
「松村さんではない理由、それは、浴室にあったバラの花びらです」
 言葉をきって、目をとじる。
 まぶたの裏に温室が浮かぶ。赤、ピンク、白、そして黄色の花々ば咲き乱れる、美代の楽園が。
「もし松村さんが犯人であったなら、あの浴槽に赤系統の花びらしか浮いてなかった事は不自然で、そしてありえません」
 温室には、様々な色のバラが無秩序に移植されていた。
 であるなら、色を識別できない松村が「赤系統だけを選別」して取る事は不可能だ。
「残りは私を入れて4人です。ですが、その美代さんの部屋に飾ってある絵をあわせて考えれば、犯人は瀬名さん意外にありえないのです」
 贋作を作る技術を持っているのは、本物を作れる松村、そして手伝いである美代、瀬名、この三人だ。
 だが、松村は赤いバラだけの浴槽を作ることなどできない。
 ならば、犯人は一人だ。
 胸の奥が、重く、苦しい。
 その苦しみを振り払うように、長いため息をつくと、みなもは流れる水のように言葉を小さな唇から生み出した。
「動機は贋作発覚による衝動殺人とアリバイ工作」
「贋作、だと?」
 塚と松村がほぼ同時に頬をはたかれたように顔をあげた。
「松村にはわからないだろうけど、その絵には赤が無いんだよ」
 蘇蘭が指摘する。と、みなもがうなづいてみせる。
「あ、ああ。た、確かに言われてみれば!」
 飛びつくように塚が絵画に顔をよせる。
「美代さんが画伯の絵の仕上げをしている際、その絵が画伯がかいたもの出ないことに気づき、それを問いただすべく画伯の元へ行こうとしました。その前に、おそらく弟子である瀬名さんを問いただしたのだと想います。贋作をかけるのは美代さん自信か、あるいは、瀬名さんしかありえませんから」
 あとは考えるより簡単だ。
 美代は瀬名に謝るように問いつめたのだろう。
 そして瀬名は、松村に相談するから時間をくれといった。
 幼なじみのよしみからか、美代は瀬名を信じた。
 ――しかし。
「瀬名さんは事実が画伯に発覚するのをおそれ、美代さんを殺害。その後、即座にアリバイ工作の為、美代さんをバスルームへ沈め、首にワイヤー状の鋭利な糸を巻き付け、回転窓を経由して外の車に巻き付ける」
 まつげをふるわせながら、みなもはいう。
「車は傾斜にとまっていて、サイドブレーキは落とされていた。なら、雪による車止めをしかけ、そして、その近くにプラスティックにいれたカイロなりおいたか、あるいはボイラーの熱で車止めが溶けるような位置に、あらかじめ車をとめておいたか。ともかく、そうして時間がたてば雪の車止めが解けるようにしむけた……んだろうねぇ」
 ふぅっ、と煙を吐き出し、蘇蘭がみなもの言葉を継ぐ。
 みなもは一つうなづいて、松村をまっすぐに見た。
「発熱でゆきは解け、車により糸はひっぱられ、首を切断する。バスルーム全体が血にそまっていないのは、切断時に美代さんがすでに死亡していたから……そして、この手のこんだバラの花びらの偽装は……おそらく、現場を異常な雰囲気に見せることで何かを隠す為なんです」
 唇をかみしめて、手を握りしめる。
 たった一枚の絵の為に、命を奪われ、さらに、その命を奪った事実を隠そうとした瀬名に怒りを覚えた。
「隠そうとしたのは、美代さんの死亡時間。お湯の温度による私語硬直の誤認です」
 松村が美代を呼び出す直前に美代が死んだようにみえた。
 だが実際は、食後すぐに殺されていたに違いない。
 そう。瀬名が外にゴミを捨てにいった、10分の合間に。
「贋作――」
「そう、あの子は贋作を売って、その金で海外に留学しようとしていたのさね」
 唐突に車椅子の老婆が――日野があらわれた。
「美代の部屋に飾ってある一枚。それならば、贋作にすりかわっていても、誰も気づかない。見るのは美代と松村だけ。だが、松村は赤がない事に気づくことはできない――すなわち、贋作を見破ることはできない」
「日野――さん」
「まあ、正直言って私もおどろいたさね。闇で一枚あんたの絵を流してくれ、と言われた時にはね」
 しわだらけの顔をさらに歪めながら、日野が言う。
「アンタの絵なら、犯罪付きでも買うってファンは、いくらでもいるさ。そこの先生みたいにね」
 日野の言葉に、塚がびくり、と肩を動かした。
「なるほどねぇ。足が痛いんじゃなく、絵の売買を進める為に部屋に呼んだ、という事ねぇ」
 蘇蘭の言葉に、松村はうなだれた。
 今日一日で、10才は老けて閉まったかのように生彩がない。
「そう、その通りですよ」
 日野の後ろから瀬名が現れた。
 瀬名の手には、ナイフがにぎられており、日野の延髄に切っ先が押し当てられている。
「ここまで、苦労してきたんだ。こんな所で邪魔されてたまるもんか」
 ナイフを持つ手が震えた。
「何をかいても、松村の弟子、松村の弟子、その言葉が僕につきまとう! 僕は僕の絵を描きたいんだ。だが、ここに、こんな閉ざされた山荘にいては僕の望むものはかけない!」
 叫びににた声があがる。
「だからそのため、美代の部屋にある絵を盗んで闇に流そうとした。日野さんだって――買うと、売り手が、塚先生が買いそうだと言っていた! そう。今夜美代に見つからなければ、僕は春から自由になれる筈だったんだ!」
「では……売り手は……君、だったのか」
 塚がよろめいて、壁に背中を預ける。
「美代さんが、日野さんを通じて――売るつもりなのだと……想っていた。彼女も、お金が欲しいと――私に相談してたから」
「美代、が?」
 松村がうめく。
「おそらく、美代は瀬名の悩みを知っていたんだろうねぇ。だから自分の部屋の絵の贋作をこしらえて、どこかに売って、その費用でアンタを自由にしてやりたかった。まあそんな所じゃないかねぇ。父親に「アンタはアンタの弟子の才能をつぶすから、弟子をこの閉ざされた世界から自由にするためにお金をください」なんて言えないだろうからねぇ」
 歯に衣を着せない口調で蘇蘭が言う。
「嘘だ! 嘘だ!! そんな馬鹿な!」
 瀬名が言葉をあららげる。
 震えた切っ先が老女の皮膚を浅く傷つけ、血をにじませる。
 緊迫した空気が、張りつめた。
 刹那。
 蘇蘭が動いた。
 床を蹴る軽やかな音が響いたかとおもうと、一気に瀬名との距離を縮め、蝶が舞うように手のひらをしならせると、ナイフを持つ瀬名の手首をにぎり、一瞬でねじり上げる。
「さぁ! 最後くらいは、往生際良くしているんだよ。どちらにしろ、アンタはもうここから逃げられやしないのだから」
「嘘だ……」
 がっくりと、腕を絡めとられたまま瀬名が膝をつく。
 手のひらからナイフが落ちる。
 落ちたナイフのたてた金属的な音が、部屋の中に冷たく、鋭く響き、そして消えた時。
 遠くから、パトカーのサイレンの音が、鳴り響いていた。

 雪がひらひらと舞う。
 おそらく、今年最後の雪だ。
「松村さん、かわいそう――」
 名探偵であり、主役出会ったはずのみなもが、瞳を曇らせながらうつむいた。
 雪道はまだ誰もあるいていないためか、汚れ一つない。
 ただ、背後に、三人の画家を閉じこめ、幽閉していた鳥かごのような館があるだけだ。
「かわいそう、かねぇ」
 毛足の長いコートのファーに顔を埋めながら、蘇蘭は皮肉下に笑った。
「私には、ただ、愚かしく見えるよ」
「愚かしく、ですか?」
 みなもが、蒼い髪を銀色の光にきらめかせながら、蘇蘭を見上げた。
「人の心を傷つけたくないから、黙っていた。そういえば格好はつくだろうよ。だけどねぇ私にはどうも、あの三人は「人の心を傷つけることで、傷つく自分、あるいは見放される自分」が怖くて言えない、か弱い小動物に見えたよ」
 そう。だからこそ、愚かしく、脆く――いとおしい、人間ども。
「人、ですか」
 人と人が分かり合っていれば、この雪密室は、おこらなかっただろうか。
 銀色に閉ざされた世界は、何も答えない。
 寒さのあまり、身をすくめた、その時。
 遠くから、鳥の鳴き声がきこえた。
「――うぐいす」
 みなもがつぶやく。と、蘇蘭は陽光をみあげながら、目を細めた。
「春が来ない冬なんて、ないのさ」
 そう。春のこない、閉ざされただけの冬などない。
 いつかは、すべて解け、開けるだろう。
 人の、心もまた。
 きっと。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0908 / 紅・蘇蘭 (ホン・スーラン)/ 女 / 999 / 骨董店主・闇ブローカー】
【1252/海原・みなも(うなばら・−)/ 女 / 13 / 中学生】
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、立神勇樹です。
 今回は特殊な能力が一切出てこない、ミステリ調のシナリオでした。
 ちょっとトリックが簡単すぎるかな、と想いましたが。
 いかがでしたでしょうか?
 最終的に犯人は、みごとに見抜かれてしまいました。
 文中ヒントすくなくて、本当申し訳ないとおもってましたが。
 いやはや、みなさまの推理に助けられました。
 また機会があったら、推理的は少人数シナリオをやってみたいと想います。
 では。
 またお会いできることを祈りつつ……。