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<東京怪談ノベル(シングル)>


If you can't change your fate

 喫茶店『時の間』は、まさしく時の間に埋もれたような場所にある。
 入り組んだ路地の奥、レトロな感覚を与える煉瓦の外壁の暖色は蔦の緑に半ば埋もれ、その小さな店ぐらいは絶対的な時の支配から隠し通せそうだ。
 闇夜に迷う者を誘うかのように店の軒に吊された古風な洋燈、昼夜を問わず点されたぼんやりと黄昏に似た灯が、『時の間』が営業中である事を示す。
 その灯火が消えていれば尚更、隔世の感が強くなる。
 常ならば静かなクラシックが流れる店内で、唯一外界の時間の流れを示す、壁掛けの振り子時計が時を刻んでいる…いつもなら、カウンター向こうにだらけた青年の姿を見る事が出来るのだが、今日はその姿がない。
「休みの日まで店にへばついてるワケねーだろ」
「あの、お客様?」
店員の訝しげな声に、『時の間』のマスター、綾小路蘭丸は「ハイハイ」と軽い二つ返事で現実に帰って来た。
 彼の店を訪う者は、日に平均、2、3人程度…その所為か独り言が増えてしまっている。
 所は百貨店の地下、切れかけていたキリマンジャロとモカの珈琲豆を500gずつの入ったビニール袋とお釣りとを受け取り、「どーも」と口元で笑んだ。
 細身の長身に、ジーンズとシャツ、そしてジャケットを併せてラフな特に変哲のない姿でもその立ち姿は、不思議と目を引く。
 肩にかかる髪は単に切るのが面倒、という風で特に揃えるでなく無造作に伸びるが、流石に顔にかかる前髪だけは邪魔なのか、頭の両側で適当にその分だけを纏める。
 なのにだらしなく見えないのは、一重にその黒髪の艶の為だろう…そして思わず余人の視線を止めるのは、それによって晒される瞳の紅さの為か。
 もっとも平日の日中、そして食料品売り場という場所柄、圧倒的におば様方の姿の多い中彼は別の意味でも浮いているのだが。
「青果は買ったし、豆も足したし…」
果物や野菜の水気のある荷物は重いので、配送手配済みである。
「あ、カップも買わなきゃなー」
はたと思い出す。
 何せ狭い店内、埋めてせいぜいが10人という席数に客の数が限られれば当然、置けるコーヒーカップの数も限られる…ので、カップを乗せた盆を落としただけで、色々な意味でダメージを被る、喫茶店『時の間』。そんなで大丈夫だろうか。
 陶器売り場は五階、位置的にはエスカレーターの方が近いのだが、エレベーターの方が歩かなくて済む、との判断を下す28歳…ちょっぴり思考に年齢の翳りが見え始めるお年頃。
 時刻も手伝ってか途中で止まる事はなく、エレベーターは蘭丸を乗せて一気に五階まで上がった。
「さて、と…」
慣れた様子で目当ての売り場に足を向けかけ、一画を占めて溢れる色彩に足を止めた。
 春は名のみの風の寒さとはいえ、浮き立つ気持ちがいち早く…否、いち早く気持ちを浮き立たせようとしてか、春物の展示が既に始まっている。
 苺の愛らしい赤が彩るマグカップの横、ぐるりと細い持ち手に優美なアイビーの若葉が金に縁取られ、カップ自体に浮き出されたカトレアの大輪のピンクが芯ささやかな卵色を宿して柔らかく、見ているだけで気持ちが華やぐ、そんな茶器が所狭しと並んでいた。
 そんな中で、思わずに手に取ったのは、くるりと掌に包み込めて丸いフォルムのデミダスカップ。
 乾いた砂色はざらつく感触に素朴な暖かさで、手書きで施された花弁の彩りは砂地に散る桜を思わせて淡い。
「そろそろ春だなー」
17の年に家を出るまで、巡る季節に意味はなかった。
 赤い瞳に映る風景は、ただ流れる時間の流れを示すだけのもので、そして蘭丸の時間は人のそれ…事故等の予測不能な事態や、寿命・病による肉体の限界よりも明確な命絶を運命付けられていた。
 血縁の内に生まれる赤眼の子供は、古の罪、血に課せられた呪いを一身に担う。
 当主となるべき者は、呪いの宿った命を一つ、黄泉に封じて初めてその権と任とを得る。
 まるで互いが贄のように、絶対多数の為に、命と心を犠牲にする個と個。
 蘭丸は『その時』の為だけに、いわば飼い殺されていたようなものだった。
 与えられたのは、不足のない生活と、感情の一片もない無表情、奥底に嫌悪を澱ませた視線。
 赤子は、周囲の表情で感情を学ぶのだという。
 生まれながらに赤眼の蘭丸に、周囲はおろか親ですら、唯々諾々と何れ殺す為に死なせないよう、必要な栄養と処置を与えるそれだけで。
 いつの頃からか、近付く者全てを拒絶する事を覚えた。否、拒絶するより他の方法を知らなかっただけかも知れない。
 求めるモノのない生活の中で、けれど祖母だけは蘭丸に惜しまぬ笑顔を向けた。
 当然、それに良い顔をする者があろう筈もないが、祖母はいつもおっとりとした微笑みに苦にもせぬ風で、折を見ては蘭丸を連れ出し、美味しい珈琲や珍しい飲み物、そしてチョコパフェを…。
「あの、お客様?」
店員の訝しげな声に、思い出に浸っていた蘭丸ははったと我に返る。
「お口元が」
その指摘にさり気に口元を拭い、手にしたカップが被害を被っていないのを確かめついでに検分する風で、目線の位置に上げた。
「お探し物でしょうか?」
慇懃な店員の問いに、蘭丸は照れも手伝ってか一気にまくしたてた。
「いや、食器見に来たんだけどやっぱ春ってうきうきすんだろ?たまには季節に合わせたカップもいいかなーとか思ってたんだけど、そしたらつい春らしいチョコパフェってどんなだろーかと考えてて、フローズンストロベリーをシェルトッピングチョコに潜らせて…」
店員はにこにこと笑ったままでそれを聞いている。
「………コレ、包んで貰える?」
「かしこまりました」
勝敗は決した。
 ちょっぴり敗者の哀愁を漂わせた蘭丸は、店員がカップをラッピングしている間に、本来の目的であった店用の品を選りに足慣れた売り場へと向かう。
 ずらりと並ぶのは、照明に目にまばゆい白の陶磁器。
 白が一番、食べ物の色を引き立てるのだと祖母が教えてくれた事がある…それが頭にあってか、店で出す物は必ず、白いのみの物を選ぶ。
 蘭丸の記憶の中でも、随分と古い話だ…祖母ももう老いただろう。季節の変わりが辛くはないか、そうは思っても音信を絶って久しく、更に気軽に問えるような身上でもない。
 まだ長の代は替わらないのだろうか。そうなれば一族の者は血眼になって自分を捜すだろう…保身と存続の為に。
 その手がかりになる物を、欠片も与える事は出来ない。
 家から逃げて、最初の一年は他人を拒絶し続けた。
 次の二年で、拒絶を越えて近付く者に、人間は敵ばかりでないと知った。
 そして三年目に傷つくのにも、傷つけるのにも飽いた。
 四年、五年…家から逃れて十年を数え。
 季節が巡る毎、その兆しを見る度にまた迎えられたという安堵と、来年も同じ時間を迎える事が出来るだろうかという不安は執拗につきまとう。
 祖母に問うた事がある。
「運命は変わらないか」
と。
 対する祖母は、静かな瞳で誰もが嫌悪して合わせようとしない赤い眼に眼差しを据えた。
「桜は風に散るけれど、桜であるに違いはないよ」
今もその意はよく分からない、けれど。
「俺は俺、だもんな」
恭順としながら、実は自分から逃げていた…その実、運命を選んでいたのに気付いた時に、半ば衝動で飛び出した。
 赤い瞳は変わらずに鏡の向こうから自分を見据え、一族にとって自分は忌まれた子のままだが、今ならば周囲の大人達の悪意はある意味、子供を犠牲にせざるを得ない己への嫌悪だったのだと分かる。
 彼等もまた、別の意味で呪いに縛られているのだ。
「なんとも念の入ったことで」
軽い口調で蘭丸は、陶磁器の一つを手に取った。
 人の心を周到に、恐怖と不安と惰性とで縛って離れぬそれが変わらないというのなら、受け止める自分を。
「変えてみても、いーじゃん?」
絶望などは、してやらない。
 カップの縁を指で弾けば、リィンと澄んだ響きが拡がった。
「あの、お客様?」
「あ、店で使ってるのが割れたモンでちょっと違うタイプにしてみよーかなー、なんて見てて…」
しなくてもいい言い訳に、慌ててソーサーの上に戻す力加減が拙かったか。
 カップと共に二つに割れたそれに、空気が凍って固まった。