コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


bittersweet

 それは今を遡ること数週間前──…
 世間ではバレンタイン・デーと称して、大量のチョコと愛と欲望その他云々が飛び交った日のことだった。
 虚影虎之助の両手は何個もの紙袋が握らされ、部屋は色取り取りの包装紙が占領する日である。
 モデルという仕事がら、この日の虎之助は、学校でも仕事先でもプレゼントとチョコが渡される。勿論自宅には宅配で。
 それは世のモテない男が聞いたら「てやんでぃ!ばーろー!ちきしょー!」と羨望と妬みの対象になるのだろうが、虎之助は羨望は受けても妬みを貰うような男ではなかった。
 それもこれも彼の”気遣いを忘れない行動”のおかげだろう。

 ということで、時は流れて3月某日──…
 虎之助はリンビングで、包装紙の山に埋もれていた。
 というのもバレンタイン・デーに届いた量が量なだけに、周辺にはまだ開封すらされていない包装紙が数多く並び、現在リビングは使用不可となっている状態である。仕事上、毎日チョコを食べるわけにもいかず、こうして3月になってもチョコと格闘することになってしまう。
 この時期の湖影家の冷蔵庫は、チョコしかないと言っても過言ではないだろう。
「えっと、これは生チョコか。しかも手作りっと……。プレゼントは皮の手袋だな」
 虎之助はモグモグと頬を動かして、一緒に入っていたカードにも目を通した。そこには『お仕事頑張って下さい♪』とカラフルなペンで書かれた、女の子らしい文字が綴られている。学部と名前が書いてあるところから、どうやら大学で貰ったチョコらしい。流石に顔まで覚えているわけではないが、勇気を出して渡してくれたのだろう。カードの文字から緊張感が感じられた。
「……チョコと手袋、ありがとうございます。ほんのりビター味の生チョコ、とても美味しく頂きました。手袋は大切に使わせてもらいますね…っと」
 サラサラとカードにペンを走らせ、虎之助は中々の達筆な文字を刻んでいく。
 実は虎之助がこの時期にアイドル並にチョコを貰うのは、人気もそうだがこの細やかな心遣いが関係していた。
 誰でも贈った相手に、何かを求めるのは当然である。それが手の届かない相手だろうと、期待しない人間なんていないだろう。
 それを虎之助は律儀に一人一人にお礼を返す。
 しかも皆一緒のものではなく、個々に内容を変えて、だ。
 なので一度でも虎之助にチョコを贈った人物は、大抵毎年変わらぬ愛を届けてくる。
 虎之助にしたら『当然の礼儀』でも、相手にしたら天にも昇る程の喜びなのだ。
 こうして毎日少しづつ、バレンタイン・デーに貰ったチョコの味を確かめ、プレゼントされたものはきちんと手に取って触り心地を確認する日々は続いていた。
「次は〜…っと、これは某有名チョコ専門店のだよな?そこそこ高かったと思うけど…」
 あ〜む、と口に頬張り、虎之助は好みの甘さだな、と小さく笑みを浮かべる。
 虎之助の好みが熟知されているチョコ達は、女の子の気持ちをしっかり乗せて想い人の口の中へと溶けて消えていった。
 そして動かされる手はその想いを返すように、しっかりと言葉を綴っていく。
 とふいに虎之助の手が止まる。
「あっ、そう言えば……梦月へのお返しは何にしようかな」
 ふと思い出した可愛い妹の存在に、虎之助の本日の”チョコお返しカード作成”は中断されてしまった。
 どんなに自分好みのチョコを贈られても、高価そうなプレゼントや手作りのものを贈られても、虎之助には彼女だけは別格。
 末っ子で甘やかして育ててしまったが、そんなのは関係ないのだ。
「可愛いものは可愛いんだ!!」
 何故か一人で元気に宣言してしまった虎之助だが、そんな妹のお気に入りは何故か何処ぞの編集部に勤務する、お世辞にもエリートとは呼べない男を慕う弟だったりするから、世の中判らないことが多いものだ。
 なんで自分ではないのか、と自問自答は何回もしてみたが、今だにその回答は出ていない。
 浮かんだ妹の姿に頬の筋肉を若干緩めつつ、納得のいかない疑問は頭の片隅に押しやって、虎之助は再度妹へのお返しについて思案する。
「春物のコートにしようかな。それだと色は淡いピンクか白がいいよなぁ。あっ可愛いリボンもいいかもしれない。長い黒髪に映えるような……いや、待てよ。梦月にはワンピースも似合うんじゃないのか…あ〜どれにしよう」
 頭を抱えて悩みあぐねる虎之助だが、お返しは何がいいかと考えていた頭は、次第に想像という域に入り、それはやがて妄想へと膨らんでいった。

 ──…シスコンとは恐ろしいものだ。

「お返しを渡した俺に、梦月からは「ありがとうですわ、虎兄様」と言いながら、愛らしい笑顔を向けてくるんだ。それに俺は笑顔で頭を撫でてあげて、二人でディナーでも食べに行くことにしよう。帰りに美味しいケーキ屋さんで、ケーキも買ってあげて……」
 クスクスと一人ニヤける虎之助を、学校から帰った弟が発見するが、毎年のことなので呆れつつも見なかったことにする。
 そうして虎之助が元に戻るのは、妹が帰宅するまでないだろう。


 こうして虎之助のホワイト・デーは、毎年過ぎ去っていく。
 因みに妹からのチョコは、勿体無くて全てを食べていないらしい。

【了】