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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

「ふうん?」
阿雲紅緒は駅の構内で買ったばかりの新聞を大きく広げ、内容に代わり映えのない記事に目を通していた。
 強いて変化を上げれば、二色刷に簡素な地図、鉄道を示すモノクロのラインに沿って、散らされた赤い×印がまた増えているという事だろうか。
 それは、willies症候群と呼ばれる謎の神経症が発生した場所を示している。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
「女の子ばっかりっていうのが気に掛かるよねぇ♪」
不穏な記事を読み進みながらも、何故か語尾が浮いてしまう躁的な陽気さはそうそう拭えないらしい。
 けれど、灰色の地に印刷された文字を、薄い茶の硝子を嵌めたサングラス越しに追う眼の赤さの明度が僅かに落ちてみえる…最も、余程に近しい者でなければ気付かないであろう些細な変化だが。
 やはりというべきか、記事のどれもが過去の事例に警戒を促すを主とし、ある程度で線を引いたかのようにそれ以上、真相に踏み込まないで居る…『IO2』の情報操作の賜物だろう。
 そう、それは徒に事を公に出来ないのだ。
 事の始まりは、willies症候群に関するある情報からであった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる…放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、流れてきた情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
 科学で説明付けられない、対処の知れない事態が『虚無の境界』な組織のテロだなどと明るみになれば、人心は混乱の極みに達し、疑わしきがその恐怖と攻撃の対象となるは容易に想像出来る。
「こう…少し前にあった魔女狩りみたいな雰囲気かな?」
呟く紅緒の感覚で、中世に吹き荒れた狂気…数百年前の事は「少し前」に分類される。
 『IO2』が都心に在住する能力者に協力を求めたのも道理と納得出来る。迫害を避けたければ、自分たちでもどうにかしろ、と。
 端的に言えばそういう事だ。 
 紅緒は畳んだ新聞を既に読み終えて小脇に挟んだ数紙を纏めると、路端に既に溢れる屑入れに放り入れた。
 その後すぐ、小汚い風体の老人がほとんど新の新聞を持ち去って行く…小金にでも変えるのだろう。
 どんな富んだ国でも時代でも、下層に位置する者−望んでか望まないでかは分からないが−は存在し、けれどいつの時代もそれ等は強かだ。
 彼等こそが強かだ、と称するべきか。
 垢染みた襟を立てて去りゆく老人の背を一顧し、紅緒は視線を転じた…先には、地下鉄へと通じる階段。
 今、話題の的であり、かつ忌避されつつある地下鉄の沿線…紅緒が前にするのは、まさにその内のひとつ。
 けれどわざわざ足を運んだのは、義務感からではない。ある種の期待、と呼べはいいか。
「ピュン・フー君も絡んでたりして…」
虚空に向けた…つもりだった問いは、思わぬ速さと形とで答えを導き出した。
「…とか思ってたら発見☆」
地下鉄へ向かう階段へと向かう黒服の二人連れ…最も、片や黒革のロングコートにハードな感触、片やシンプルな型に聖職者であると一目で認識出来る服装、と極端に趣を異として連れで括っていいものか悩みはする組み合わせであったが。
 その片方、相も変わらぬ円いサングラスを乗せた横顔だけを見せる…身を異形に蝕ませて平気で笑い、会話を楽しむ事も、人を傷つける事も同じ引き出しに放り込む、赤い瞳を持つ青年を、見間違えよう筈がない。
 神父の歩みに併せてか、ゆっくりと階段を下りるに徐々に視界から消える背に、紅緒はにっこりと笑んだ。
「どうせだから先回りしちゃおっかなー」
このまま追いかけて声をかけるのでは芸がない。
 紅緒は笑んだままの表情で、足下を確かめるように僅かに目を伏せるように瞼を閉じ、仕立てのよいコートの裾を翻してアスファルトに踏み出す一歩…は、固い石材の床にカツ、と踵高い音を立てた。
 紅緒は目を開く。
 眼前の灰色の階段を切り抜くように、黒にきっかりとした輪郭を辿ってそのまま目線を上げれば表情を隠す濃い遮光グラスに、けれど過たぬ視線、そして笑顔。
「なんだ、謎のヒトじゃん。今幸せ?」
そう、ピュン・フーは踊り場に立つ紅緒に向かって楽しげに、挨拶代わりのいつもの問いを投げた。


 突如として…瞬間移動、を使って眼前に現れた者に対して、平素と代わり映えのしない言動に紅緒は、サングラスを外して赤い瞳を外気に晒す。
「なんだ」
紅緒はスーツの胸ポケットに外したそれを入れる動作の内に、楽しげな口調をピュン・フーに向けた。
「ちょっとは驚いてくれないと、面白くないじゃないか」
「だってその程度、見慣れてるし?」
心得た風に返す台詞に、ピュン・フーは肩を竦めるようにして笑う。
「何事ですか」
二人の会話に足を止めた神父が、僅かに眉を顰めてピュン・フーに問う…事務的に感情の籠もらない声だ。
「あぁ、知り合いに会ったんだよ、名前は謎の人っつって…」
「お前の戯れ言に貸す耳はありません」
ぴしゃりとピュン・フーの言を止めると、神父は白い杖で探りながら階段を下り、紅緒と同じ位置に立つ。
「これでようやくご挨拶が出来ますね」
短く刈り込まれていても柔らかな金髪の頭を軽く振ると、神父は閉じたままの目蓋を開けた。
 焦点を結ばない瞳は、青。
「初めまして…私はヒュー・エリクソンと申します」
高所から名乗るは礼を欠くと思ってか、わざわざ踊り場まで降りた神父が紅緒に向ける口調は何処までも静かで、穏やかだ。
 先のピュン・フーに向けた冷たさとに格差も激しい。
「そんなにピュン・フー君の気が引きたいのかな?」
紅緒はくすくすと笑う…気分としては、反りが合わずに仲が悪い級友同士を見守る担任の心境か。
「勘違いも甚だしい」
呆れた風で、ヒューは冷笑を浮かべた。
「神の福音を自ら捨て、然るべき時の後に永劫の業火に灼かれ続けても浄化の適わぬ穢れた魂の主…人と共に在る事すら許されぬ者に、誰が」
嫌悪としか取れない言に、ピュン・フー自身は既に慣れているのか元々に気にならないのか、紅緒が向けた視線に、肩を竦めて見せるに反応を止める。
「そんなイヤなのに一緒にお出かけ?」
「ホラ、俺らテロリストだし」
「勝手は許しません」
妙にほのぼのとした風情に移行しかけた会話の流れを、ピュン・フーの向こう脛をヒューの白杖が強かに打ち付けて止めた。
「…あ、『死の灰』だっけ?まあ別にキミ達がなにしようとボクに関係ないけれど」
脛を抱えて声をなくすピュン・フーに関しては特にコメントのないようで、紅緒はヒューに微笑みを向けた。
 紅緒のあっさりとした言い様に、ヒューは軽く眉を開く。
「私共の事をご存知なのですね」
小さく十字を切り、ヒューは胸に抱いた聖書を小脇に抱え直した。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか…中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する…けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む救い。それを恩恵として、現代の人々にも。
「…救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
ヒューの主張に、紅緒は微笑う。
「それが…キミ自身の言葉ならね、信じてもいいけど」
紅緒は笑みを深めた。
「そんな使い古された思想に興味はないよ。飽き飽きする程沢山聞いたのとさして代わりがあるわけでもないし…ボクに影響する言霊、そして暗示を持つのは、栖ちゃんだけだよ」
信じたい気持ち、祈りに似た願いを想起させて虚を満たす、キレイな心と、言葉と。
「とりあえず、暫く静かにしてて欲しい気もするから、灰は没収ね♪」
 紅緒は手を差し出した。
 眼前にある小さな箱、禍の気配は存在を手繰る必要もなくただ、来い、と思うだけでそれは適う。
 ヒューの手から、紅緒の手へと。
 移行は時を秒数える暇すらなく行われた。
 突如、手の内にあるべき木箱の重みを失ったヒューは首を傾げ…短く、名だけを呼んだ。
「ピュン・フー」
応えは音すらなく。
 踞る体勢から地を蹴ると同時、貫く形で突き出される鋭利な爪。
「悪ィな、今回はコイツを護衛が仕事でよ」
気持ちの籠もらない謝罪…どころか、ひどく楽しげに輝く目が、顔より下の位置…サングラスの合間から覗く血の色をした眼に宿っている。
 紅緒の胸元に伸びる金属質に鋭利な爪、スーツの襟併せに僅か赤を望むに最も長い中指の先がシャツと皮膚とを僅かに裂くのみだが、それは間違いなく心臓の位置。
「それは別にいいけど、驚くじゃないか」
別にいいのか…一瞬の間が落ちる。
 繰り出されたピュン・フーの右手、五指の間に自らの指を組み合わせて一撃を防いだ紅緒に、微塵の躊躇もない攻撃を繰り出した当人は実に楽しそうに歯を見せた。
「謎の人は伊達じゃねーじゃん、紅緒」
「キミもわりといけてる方、だね♪」
楽しげに。
 紅緒の身体機能は、高位の魔族にも比肩する…その身に達する速度は、実際に侮れたものでない。
 そぐわない言葉を交わす背後で、ヒューが詠唱を始めていた。
「ヒューくん?それはボクには『効かない』から」
精神に働きかけ、狂気を導く呪い。
 元より女性を対象とした…というよりは、女性にしか働かない、女性にしか理解の適わない怨嗟である為。
「だって紅緒男じゃん、呪いにはかからねーよ」
代わって答えたピュン・フーはニ、と笑った口許を次に強く噛みしめた。
 ギシ、と筋肉と骨とが軋みを上げるに、未だ紅緒に向ける力を抜かずにいたピュン・フーの背、肩胛骨付近が迫り上がるようにコートの黒皮を裂いて、現れる一対の皮翼。
 天鵞絨の滑らかさで身の丈を越すそれは、蝙蝠のそれに類似している。
 間にも、ヒューの祈りは続く。
「…憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 紅緒の手にしっかりと握られた木箱は蓋を閉じたまま沈黙している…上に、ピュン・フーの背の皮翼が影を落とす、内から。
 霧を思わせて微細に白い粒子が溢れ出した。
 それは瞬く間に地を這い、踊り場を埋めて階段へと流れ出す…中から手が、伸びた。
 剥がれた皮膚、筋肉の組織が血にすら見えない体液を滴らせ、人である、事をどうにか判別のつく程度に赤黒い、腕。
 それが紅緒の足を掴んだ。
 力を込めたを懸かりに、肩が、上体が姿を現す…腕と同じく醜く焼けただれた肌、熱に溶けて濁った眼、大きく開いた口腔は叫びの形のままに、けれど声はない。
 呪いの源、魔女狩りによって命を落とした哀れな女達の死霊。
 幾つも、幾つも漂う霧から湧き出すようなそれ等は、紅緒に縋りまとわりつく。
「………いい趣味じゃ、ないね」
「………俺もそう思う」
軽く眉を顰めた紅緒から、ちょっと眼を逸らし気味にピュン・フーは大きな溜息をついた。
「ホント、可愛くねぇったら」
可愛ければいいという問題でもない。
「今日は足手まといが居るから、そう遊んでもられねぇんだ」
言い、ピュン・フーは紅緒の手から木箱を取り上げた。
「またな」
霧は更に濃度を増し、黒いばかりの姿さえも覆い尽くし…そして階段上に吸い込まれるように、流れて消える。
「…土を土に、灰を灰に、塵を塵に」
紅緒は、先のヒューの祈りを呟いた。
 それは本来弔いの為のもの…肉体を離れた魂を神の御手に委ねる為の。
「なら、君たちは、一体何処に還るつもりなんだい?」
紅緒の動きを阻む為に実体化した死霊は、ピュン・フーの気配と共に消え去り…スーツにべとりと赤黒い手の後と、胸に赤い花のような血の滲みを、邂逅の名残に残し。
「そういえば、今日はピュン・フー君の眼をまともに見てなかったな」
と、ふと思い出した様子で、紅緒はごく下らない思考を呟きにした。