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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 時は朝、場所は戸外、春は名のみの風の寒さになかなかコートが手放せないこの時期に、オープンカフェでアイスコーヒーを前に一人雑誌を開く者は、珍獣を見るが如き視線を向けられても仕方ない。
 道行く人がそれぞれに奇異の目を向ければ、その先に何があるかが気になるのが人情で、朧月桜夜も例に漏れず、人々が見遣る先に何気なく見て…くるりと踵を返した。
「あ、桜夜じゃん。おーい、桜夜ー今幸せ?」
見つけて欲しくない時に限って、相手は自分を自分を認識するものである…背後から大きくかけられる声、相も変わらぬ黒尽くめ…は、まぁいいとしても常識に頓着のなさ過ぎる行動に、はっきり言って知り合いと思われたくない。
 軽い舌打ちに、桜夜はにっこりと微笑みながら振り返った。
「あら、ピュン・フー、ごきげんよう♪」
軽く手を振り、つったかつったかと。
 桜夜はカフェの前を愛想を振りつつ通り過ぎようする…のを、すかさず二の腕を掴む手。
 路と店との境界に拝された膝の高さのフェンス越しに、ピュン・フーが苦笑混じりに手を伸ばす。
「ちょっと、何よ」
足を止められてあからさまに不機嫌に…きつい、というより目で射殺せるならヤれてる眼差しを、円い遮光グラスが映し込む。
「そんなとんがるなって」
その言に、桜夜は左腕を掴むピュン・フーの手に己が繊手を添えた。
「誰が……」
整えられた爪が、五指に余さずシルバーの指輪を嵌めた手の甲を摘む、捻る。
「アンタなんかを相手にするってのよ!」
ギリギリと音さえ聞こえそうに、地味だが確実な攻撃だ。
 わたつくようなゼスチャーにようやく桜夜が手を離すと、左手首を掲げるように右手で掴み、声なく地面にしゃがみ込んでいる…のに、少し気が晴れる。
「昨日は虚仮にしてくれてアリガト、お陰で今日の目覚めは最悪だったわ…で、今日もあのパッキンの神父サマはどうしたの?こんなトコで呑気に茶ァしばいてる暇ないんじゃない?スッテキーな活動でお忙しいんでショ?」
首を横に切る動作に、立てた親指に力を込めて地面に向ける。地獄に堕ちっちまえ!の意も解り易い。
「だって俺今日オフだし〜」
ピュン・フーはどうにかそれだけを答える…サングラスの下、その赤い目が痛みに潤んでいるのは確実だ。
「はン?テロリスト様にオフなんてある訳?」
「それを証拠に」
腰に手をあてた桜夜に、ピュン・フーはコートのポケットから取り出した一枚の紙片を桜夜の目の位置まで上げた。
 指に挟まれるのは、印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
 だが、何をどう証拠だというのか。
「暇だったら一緒しねぇ?」
なんであたしが…と即答しかけて、桜夜は己が指を唇にあてる事でその言葉を止めた。
「………そこまで言うならナンパされやってもいいわよ。でもデート代はそっち持ちだかンね」
「そこまで、誘ってた………っけか?」
 桜夜は首を傾げる青年に手を差し出す。
「誘ったわよ。言っておくけどアタシは高価いわよ?退屈させたら承知しないから…覚悟はいいわね?」
そう、極上且つ不敵な微笑みをピュン・フーに向けた。


 右に皇帝ペンギン、左にアデリーペンギン。
 水族館の売店で、原寸大を売りにしたぬいぐるみを両脇に抱えて、ピュン・フーは珍しく困った風に声を上げた。
「桜夜、まだかよ?」
「女の買い物を急かすと、いい死に方出来ないわよ」
それは桜夜に手にかかって、という意味だろうか…そんな事を思いつつも、ピュン・フーは素直に引き下がる。
 桜夜は眉毛も凛々しいイワトビペンギンのぬいぐるみを検分しつつ、悩ましげに息を吐いた。
「悩むわね…大きさで言えば皇帝に適うモノはなし、愛らしさではアデリーが好みだし、イワトビのこの眉も捨て難いし…」
「全部買ってやろーか?」
その様子に妥協策のつもりで申し出たピュン・フーの言に、桜夜はチロリと冷たい目線で後顧する。
「ピュン・フー解ってないわね…女心を掴むのに必要なのは、手間と暇よ!?いきなり手の内全部晒して『僕の愛はこれだけあるんだ』って言われても、『あ、そう』の一言で終わりよ?有り難みも何もあったもんじゃないわよ。最初はまず薔薇を一輪、次に逢うときにもう一輪、それが両手に抱えきれないほどの花束になって初めて気付く愛っていうのもあるのよ、情緒を理解しない男に未来はないわ……コレにする♪」
言いながらも、脳内でぬいぐるみの選別は進んでいたようで、桜夜はイワトビペンギンをキュッと抱え込んだ。
 そうまでしないと気付いて貰えない愛って…という疑問は置いておいて、神妙に桜夜の意見を拝聴していたピュン・フーは厳かに宣う。
「んじゃ、次はフンボルトペンギンを用意しとく」
「いい心がけね」
桜夜はピュン・フーの真面目な顔を見上げた。
「それに免じて、コレで許して上げるわ」
マカロニペンギンを胸に押しつけられ、ピュン・フーは「りょーかい」と軽く肩を竦めて、口の端だけで笑んだ。
「意外と…桜夜ってば可愛いモンが好きなんだな」
「女の子だもの」
さらっと言い放って何気なく、桜夜は店内の時計を見上げ…両の拳を頬に上げて声を張り上げた。
「ヤダ、もうこんな時間じゃないッ!アシカショーが始まっちゃう!」
カードで会計を済ませていたピュン・フーが、サインの手を止めて顔を上げるのを急かして腕を引く。
「別にもひとつ後のショーでもいーじゃん」
「マルガリータちゃんは午後の部には出な…」
ちゃっかりと出演者(?)にチェックを入れていた桜夜、何気なくピュン・フーの手元に視線を走らせて、固まる。
「ねぇ、ピュン・フー?」
「あに?」
ボールペンの蓋を歯で噛んで、支払い票に名を書き終えた彼に、桜夜は問う。
「なんでサインまで通り名なの?」
ピュン・フーはしばし黙考し。
「それはヒミツです」
と人差し指を自分の唇にあて、ニッと笑ってみせた。


 間に配された水槽に注意を払う事のない全力疾走に、マルガリータちゃん出演の回にどうにか間に合った二人は、イワトビペンギン・マカロニペンギンをお供に、水族館内クイズラリー、正解数に応じて記念品プレゼント、という催しの解答用紙を手に今度はじっくりと順路を巡る。
 大体一種、多くて二〜三種、分類に近しい種の名前と生息地、生態が小さな水槽横のプレートに記載され、それに目を通しさえすれば解答を悩む必要もない。
「うぉ、すげぇぜ桜夜、ホラ、マンボウ」
両脇に抱えたぬいぐるみに伸ばしきれない手で、ピュン・フーが示す先に…マンボウ科の海産の硬骨魚。
「なんで逆さなの?」
あまりに虚ろな目に不安になるが、口から吹くあぶくに生の徴を見る。
 そういえば、と桜夜は手元の用紙に目を落とす。

 Q.マンボウは一回の産卵で幾つの卵を産むでしょう?
  1.二百個 2.二千個 3.二億個

 カチカチと、売店で購入したサザエのついたシャーペンの芯を繰り出し、「2」に○をする…大水槽に入った魚種は、下方にズラリとプレートが並ぶ…その中からわざわざマンボウを探さなくても、常識の範疇でいえばこれが妥当、との判断に解答をざっと見返す…総数100問。集客も大変だろうが付き合うこちらの労にも少々意を払って欲しい所である。
 けれども、それを楽しんでいる者も居るワケで…先ほどから行きつ戻りつ、足下を駆ける小学生の団体は間違いなく、このイベントを楽しんでいる。
 寒さを苦にした様子もなく、転がるように嬌声を上げて駆け回る邪魔にならないよう、水槽に背を寄せる桜夜が笑みを零すに、ピュン・フーは軽く眉を上げた。
「もしかしてアレも他愛ない日常ってヤツ?」
桜夜の視線の先、順路の向こうに消える黄色い帽子を自らも目線で追い。
「桜夜、今幸せ?」
いつもの問いを口にする。
 向けられた視線、黒い遮光グラスに隠されているだけに、その瞳の真紅さを思わせる…血の色に染まった月のような。
「…ね、何でテロリストなんかやってんの?」
それに桜夜は問いを重ねた。
 背を預けた水槽、身体を支える掌に伝わる冷たさは、その青の温度だ。
「命狙われたり、妙な薬なきゃ死んじゃうってなら、子飼にされてた方がラクだったんじゃない?」
この水槽の魚達のように。
 事務的に与えられる生きるのに必要な環境、傷つけ合わない同類、空間を広げてみせる透明な壁は、外部からの視線を隔てる事なく心の底までも暴いて晒すためのような…涙も感情もない、水の種でなければ耐えられまい。
「…って、自我が不要な処にいたのはアタシも似たようなモンだけどね」
小さく、笑う…けれどそれは何処か、負った傷を笑いで誤魔化す、自嘲にも似た表情。
 ピュン・フーの視線は桜夜に据えられたまま、それは肌感覚で解るが、サングラスの濃さに、その奥の感情を決して覗かせはしない…僅かに笑んだような口許、いつも変わらぬ表情なら、表情がないも一緒だ。
 桜夜は手を伸ばし、サングラスの弦に指をかかけた。
 引き抜く動きを制する事なく、僅かに伏せた眼が見開かれる、紅。
 背の大水槽、青く透過された光に想像に過たぬ紅さは鈍る事なく、地上の重力の内では生すら営めぬ巨きなマンタがふ、と落とした影の内にすら翳らず。
「口癖みたいに言ってるけど、『アンタ幸せ?』って本当は自分に一番聞きたいんじゃない?」
ふ、と笑みを深めて目を細め…心の底から楽しげに、顎で大水槽を示す。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持に満たされる酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
ツン、と手にしたマカロニペンギンの嘴で硝子を叩く。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔にも波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「桜夜は、今幸せ?」
 どんな答えが欲しいのか。
 桜夜は、前髪を掻き上げる仕草に表情を隠した…自分の顔が、感情よりも深い場所から湧き上がる何かに左右されて、多分、情けない表情をしていると思ったから。
「幸せなんて相対的なンものじゃなくて個人の絶対価値だし…要は自分がそう思えるかよ?」
髪の間に入れた指、それを梳きあげる途中で止め…目を開く。
 強い…強い、赤。ピュン・フーのそれと同じ、けれど鋭さに暗い紅でなく、燃える焔の生気を宿した、高貴なる火色。
「…逆に聞くけど、貴方は今幸せ?」
真っ直ぐな笑みは、桜夜の強さ。
 笑ってる時は、蟠る哀しみや拭えない苦しみ、そんな感情に負けてない。
「ってそら幸せに決まってるわよね、カワイイ子連れ立って歩いてんだもん」
答えより先に断じてやる。
「………カワイイ子?」
けれど、ピュン・フーはその意を図らず…とてもカワイイ、イワトビペンギンとマカロニペンギンのぬいぐるみを交互に見た。
「違うッ!」
両手を突っ張るアクションに怒りを示すと、桜夜は手にしたままだったピュン・フーのサングラスをかけた。
「信っじらんない!こんなカワイイ子よりペンギン選ぶなんて!それともーそーゆー趣味なワケッ!?」
「どーゆー趣味だよ」
苦笑にピュン・フーは、桜夜に顔を寄せた。
 ゆっくりとした、だが前置きのない動きが読めずにいた桜夜が動くより先、顔に乗せたサングラスの円いレンズ、その間を結ぶブリッジを咥えて引き抜く…肌の温度を感じられそうな、近さ。
「俺が連れてんのは、カワイイ子じゃなくって…イイ女、じゃねーの?」
同時に桜夜の胸にイワトビペンギンを押しつけ、ピュン・フーは空いた片手で歯で支えたサングラスを持ち直した。
「で、結局のトコ、桜夜は今幸せ?」
顔の位置は至近のまま、紅い瞳は眼前に、問いは耳に囁き。
 敗けた、と。
 感じたのは、ほとんど直感。
 桜夜はぷいと目を逸らす…のも口惜しく、視線の間ににょっこりとイワトビペンギンを割り込ませた。
「……今は、チョイ複雑かな」
何故、敗北を感じているかは、自分でも全く理解出来ていない…それが、何処となく嬉しい気持ちに似てるのが更に悔しい。
 けれどそれを表に出すのは、癪に触る。
 故にその感情は…イワトビペンギンを抱く力に転化された。


 水族館の出口に貼り出された100題の正解…幾ら三択とはいえ、100問の正解を照らし合わせるのは、結構時間を食う。
 10分ほどの結果、桜夜は正解数90に水族館謹製シール、対するピュン・フーは91題の正解数に、水族館謹製ステッカーが贈られた…のだが。
「ずるいずるいッ、そんな2億も卵産むなんてそんなサギ誰が解るってーの!」
「書いてあったじゃねーか、水槽に!」
「そんなの見てないわよ、解ってたんなら教えなさいよ、大体二億なんて数、何処の暇人が数えたってのよ!」
獲得賞品を分けるラインに、互いの正解数が分かったのが難だったか。
 周囲に、人の輪が出来初めている…が、ごく下らない口争いは、いつ果てるとなく続きそうだった。