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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


封印狂想曲(カプリッチオ)

「……死ぬ……」
 ぽそりと呟いて、草間はソファーの上から、テーブルの上に頬杖をついていた。
 雫の居ない、興信所。
 物は散らかるばかりで、一向に片付く気配は見受けられない。
 それは、良い。
 数ヶ月前は、そんな空間に居るのが、ごくごく当たり前の事であったのだから。
 だが――
 どんがらがっしゃんっ! と。
 そんな大きな音が、日常的に響くようになってしまえば。
 話は、変って来るに決まっていた。
「あああああっ! 今度は何をやったんだっ!!」
「みーてー!! あそこに女の人がいるーーーーーーー!!」
 むすりと黙り込んでいた草間の傍で、きゃらきゃら1人で遊んでいた小さな少女が、物の積みあがった机の上から、窓の外を指差して、草間に向かって笑いかけていた。
 ……って、
「それって、どんな人……?」
「んーっとねぇ、お顔がまっかなりんごのような人〜! いいなぁ、あたしもお空を飛びたいぃぃぃっ!!」
「――……」
 やっぱり――。
 草間は慌てて、少女を机の上から抱え降ろすと、まだ時は昼だと言うのに、慌ててカーテンを閉めてしまった。
 先ほど床に落ちた物達を踏みつつ、少女をソファーに運ぶ草間に、
「どうしたの〜草間のおじさんっ! くらくして……えろびでおでも見るつもりぃ?」
「どぉこでそんな言葉を覚えてきたんだっ!! いいか、あれは人間じゃないんだ……あんまり指差さないでくれ……」
 下手な霊現象はごめんだ、と付け加える草間に、それでも、何も知らぬ少女は、楽しそうに笑い声をあげていた。
 草間は、部屋の電気を早々と付けながら、ふぅ、と大きく、ため息をついた。
「早く帰ってきてくれ――」



† プレリュード †

 周囲の地理も完璧。霊水も天然水も準備良し、時刻表の復習も完璧、抜かりは無しっ!
 ――そう、意気込んでいた少女が、目的の教会に付いたのは、バスに乗ってから、もう、間もなくの事であった。
 人通りの多い、街路の一角。
 バス停から程近い所に、その教会は、聳え立っていた。
「……えぇと、確かユリウス・アレッサンドロ様……、早く連れて行かないと、草間さん、本当に入院しちゃうかも……」
 太陽の光に眩しい教会を見上げながら、少女は――海原 みなも(うなばら みなも)は、小声で、小さな呟きを洩らしていた。
 深い海の水を思わせる、青い髪に、青い瞳。
 白い肌に、休日の私服を良く似合わせた中学生の愛らしい少女は、荷物を抱えなおすと、早速教会へ続く階段を踏んでいた。

「――はい、いらっしゃらない?」
「はぁ、ごめんなさいね。草間興信所から御使いの方が来る、とは聞いていましたし、猊下ったら、この時間までに帰ってくるって仰ってたんですけど……案の定帰ってこなかったなぁ」
「いえ、案の定って」
 いえ、それじゃあ、困るんですけど、あたし……。
 教会に入るなり、みなもの事を迎えてくれたのは、年の頃なら20代前の、1人のシスターであった。
 お互いを名乗りあうなり、早速彼女は――星月 麗花(ほしづく れいか)は、モップを片手にみなもに向かって、溜息を付いてみせる。
「ごめんなさいね、猊下、あーいう人だから……多分今は、どこかの本屋で立ち読みをしていると思います」
「はぁ……」
 都内だけあってか、かなり大きな、聖堂。
 今は2人の他に、誰もいない聖堂を掃除しながら、
「猊下はその、今日、携帯電話、忘れて行ってまして……連絡が取れませんのよ」
「さ、最悪……」
 思わずみなもは、悪態をついてしまう。
「しかも多分これ、まだまだ帰ってこないから……迎えに行った方が早いとは思いますが。お待ちになります? それとも」
「いえ、迎えに行きます……」
 早くしないと、草間さんが……。
 無論、東京内の書店を探し回るなんぞ、相当な労力が必要な事は、わかりきっていた。
 だが、シスターの表情から伺うに、本当にユリウスがいつ帰ってくるのかは、わからなさそうであった。
 みなもの言葉に、シスターが苦笑する。
「ごめんなさいね、本当に……私も外に出たいのだけれど……わけあって、あまり外出できないんです。えぇと、猊下がいらっしゃりそうな書店、数件地図にして差し上げますね。本当に、ごめんなさい」
「いえ、そんな……星月さんが謝る事では」
 あまりにも真剣に頭を下げられ、みなもも思わず、頭を下げ返してしまう。
 そうしてシスターは、モップを手にしたままで、手近な机へとみなもを手招きし――
 はた、と。
 気づいたかのように、
「それから」
 モップを置く事も忘れて、みなもに向かって言葉を付け加えていた。
「猊下をお連れする際は、彼、具合が悪くなるほどに甘いものが大好きですから。お菓子屋さんの前は、なるべく避けた方が良いですよ」



† 第1楽章 †

 すらり、とした長身。長く、黒い僧衣。
 その辺の日本人とは違う、地毛の綺麗な金髪(ブロンド)――
 ……み、
「みつけた……っ!」
 星月に言われたとおり、この辺の本屋をくまなく捜査した、結果ではあったが。
 まさか、こんな所にいらっしゃるだなんて……っ!
 この本屋でも比較的目立たない所に置かれている、やたらと小難しい本ばかりが並んだコーナー。
 題名からして頭痛を引き起こしそうな本達の間で、暢気に立ち読みをする男が、1人、見かけられた。
 容貌、様子からして、彼がみなもの探している人物であろうことは、明らかで、
「……ゆ、ユリウス・アレッサンドロ様……で、すよね?」
 鞄を担ぎなおすと、ゆっくりと、歩み寄る。
 随分と真剣な眼差しで文章を追う男の、頁を捲るののまた早い事早い事。
 って、そんな事に感心している場合じゃなくて、
「あの……?」
 恐る恐る、問う。
 返事はそれでも、返っては……来なかった。
 ……まさか、人間違い?
 いやそれにしても……返事の1つくらい、返してくれても良いわけ、だし……。
「あの、」
 もしもし、そこの人?
 ちょっと、返事くらい返してくれたら嬉しいなー、とか……。
「――あのっ!」
 しかし、3度問いかけても、返事が返ってくる気配は全く無い。
 相変わらず、分厚い本をリズム良く捲ってる神父――多分枢機卿だろうが――を見上げながら、みなもは思わず、考え込んでしまっていた。
 本を取り上げちゃおうかな。いやでも、あたしの背じゃあ、無理だろうし……突付いてみるのも良いかもしんないけど、驚かれて本を落とされたら困るもんね。それじゃあ……
 ん、そうだ。
『彼、具合が悪くなるほどに甘いものが大好きですから。お菓子屋さんの前は、なるべく避けた方が良いですよ』
 不意に、モップを片手に、振り返るシスターの姿を思い出す。
 呆れたような、彼女の微笑。
 ――本当に伯爵さんは、そんなに、甘いものが好きなのかな。
 だったらきっと、これを聞けば黙ってはいられないはずねっ。
 ……とりあえず、モノは試しである。
 大きく、息を吸い込んで、
「折角近くにチョコレートケーキの美味しいケーキ屋さんがあるっていうのに……場所がわからなくて……あぁ、どうしようかなー」
 相手に聞えるような大声で、ぽつり、と、独り言を呟いた。
 ――と、刹那の事だった。
「お、美味しいチョコレートケーキのあるお店ですかっ! で、お店の名前は何なんですか? いえ、私、これでも一応首都圏は詳しいんですよね。是非ご案内させて下さいな」
 にこにこわくわく、微笑む男がみなもの方を、振り返ったのは――。



† 第2楽章 †

「忘れていたわけじゃないんですよ? きちんと覚えていましたし、ただ……ちょっとあの本、面白くて」
「……」
 ――そーいう、人であった。
 どうやら、イヤミな人じゃあ、ないみたいだけど……。
 実はみなもは、この枢機卿と出会うまで、その性格を気にしてしまっていた。
 偉ぶった、イヤミな偉い人とは、なるだけ付き合いたくないのだから――。
 だが、
「あああああっ! あそこのお店のチョコレート、絶品なんですよ〜。確かスペシャル・エクセレント・ロイヤル仕立て風味のチョコレート――通称はですね、」
「バスくらい静かに乗って下さい……」
 バスに乗るなり、それからじっと外を見つめているユリウスに向かって、聞えるか否かの小さな声で、ぽつり、と、呟いてしまう。
 走る景色の中に、お菓子屋さんを見つける度に、一々その説明を始めるユリウスの横に、1人ぽつん、と腰掛けたそのままで、
「……」
 予想外の所で、困った人だと思ってしまう。
 みなもの予想とは裏腹に、偉ぶった、どころか庶民的すぎる、イヤミ、どころか見た所は純真な、見た目にも若い普通のお兄さん。
 だがしかし……こういう人であった。彼は。
 良く言えばマイペース。悪く言えば――
 星月さんも、苦労してたんだなぁ……。
「あ、あそこの店のプリンは絶品なんですよ? 期間限定なんですけれど、ロイヤルミルクプリン! ほんのりとした甘みに優しい舌触り、甘くとろける春日の新雪≠ェ売り文句ですね。まるでさながら、北海道の雪を思わせる白さで見た目も綺麗なんですよね〜。東京近郊の牧場の新鮮な牛乳を朝一から調理し始め、時間をかけてじっくりと作り上げるんです。砂糖は店長厳選の沖縄産のものを使っています。それから、隠し味の――」
 最初は真面目に話を聞いていたみなもにとっても、ここまで通な話を聞かされてしまうと、どう反応して良いのか、わからなくなってしまう。
 しかも、乗客達の視線が、ちらりちらりと、何度もこちらへと、送られてきていた。
「それからそっちのお店のフルーツケーキ! 季節の素材を産地にもこだわって厳選し、勿論、小麦粉や砂糖にも相当なコダワリがあるんですよ! 小麦粉はわざわざフランスから仕入れたものを使っています。隠し味の砕きレーズンが全体の味をしっとりとさせて、こう、甘みの中にも上品さがあると言いますか、」
「……お詳しいんですね、伯爵様……」
「いえ、この辺一帯のお店と、聖都(ローマ)のお店くらいしか知りませんからね。あ、けれどもね、私、シチリアに一番お気に入りの店があるんですよ。シチリアは自然にも溢れていますから、良い素材が沢山取れるんですよ。腕の良い職人さん達も沢山住んでいらっしゃりましてね、庶民的でも美味しいお菓子が沢山――」
「――……」
 だ、黙って聞く他、逃れる方法ってないのかなぁ……。
 さらに続くユリウスの甘いものトークを乗せて、バスは草間興信所へと向けて進んで行く。
 周囲の客が、ユリウスの事を、尊敬するような視線で、又、煩く思っているような視線で――様々な視線で、見つめているのを見やりながら。
 みなもは深く、深く溜息をついていたのであった。
 あの、正直、
 ……あたしが恥ずかしいんですってば、伯爵様……。



† 第3楽章 †

 つ、ついた……。
 バスのステップを下り、歩道に足を付けるなり――みなもはとにかく、胸をほっと撫で下ろしていた。
 一応、と汲んできた霊水を使わずに済んだ事もさることながら、正直、
「それから、ルネサンス期には、コーヒーですとかカカオですとかが、スパイスやら何やらと一緒に持ち込まれたものですから、菓子も飛躍的に進化をしましてね。イタリアではシャーベット、スペインではカステラなんかも発達したそうですよ。フランスではタルトですか。あ、そういえばですね、金平糖っていうのも、実はこの時代なんだそうですよ。スペインで――」
「着きましたよ、伯爵様」
「……へ、着いた?」
 この長話から解放された事が、1番、みなもへと安堵感をもたらしていた。
 迷惑そうにしていたバスの運転手に、思わず頭を下げ、バスが次の駅へ向かって発車したのを見送り、
「少し歩かなくてはなりませんけれども、ほら……あそこに見えるのが事務所です」
「いえ、一応知ってはいますけど……はぁ、もう着いたんですか」
 じっと、道路の向こう側を見やるユリウスを後ろに、早速歩き出す。
 なるべく、急がなくちゃあね……。
 予想外の出来事で、大分時間をロスしてしまった事が、気にかかってしまう。
 普段から、胃潰瘍の原因を多く抱える草間にとって、
「あ、そこのお菓子屋さんはです――」
「伯爵様、そこのお菓子屋さんには後で連れて行って差し上げますから。今は立ち止まらないで下さいね」
「……え」
 あの子の世話が、楽しいはずもない。
 きっと今頃事務所内は大荒れ。結構やんちゃな子だったから、折角揃えた書類もぐちゃぐちゃになってるかも――。
 あああっ!もしかしてあたしも大変なんじゃあっ?!
「うううっ、折角、折角書類、揃えておいたのにっ……」
「あら、どうかなさいました?」
「いえ、何でもありませんっ」
「はぁ……」
 まぁ、普段からすぐぐちゃぐちゃになるから、って考えたら、さしたる被害じゃないもんねっ!
 すぐに思考を切り替えて、待っていた信号をユリウスと共に、渡る。
 そうしてそこから、2人で他愛のない会話を交わしつつ、興信所に向かい、歩みを――
 ……だが、
 刹那。
 見え始めた興信所に視線をやったみなもとユリウスは、同時に顔を見合わせていた。
「……おや」
「暢気な事を仰ってないで! 伯爵様! 走りますよ!」
「はぁ、でもですね、前から気になってたんですけど、伯爵、って一体どうして伯爵なんで――」
 歩道の向こう側に見える光景に、あわてて足を急がせる。
 ――草間興信所。
 みなもにとっては見慣れているはずの、建物。
「……あれは……霊?」
「草間さんっ……!」
 全力疾走に、颯爽と息が、切れる。
 早まる鼓動に、胸を押さえるみなもの視界には。
 その傍を舞う、何か≠フ姿が、はっきりと映り込んでいた。
 道路を渡り、さらに駆け。
 いよいよ目前に迫った振興所の前で、リズム良く2人は立ち止まる。
「あら、あれは悪霊ですねぇ……しかも、タチが悪そうですよ? どうしましょう」
「どうしましょうって、勿論どうにかしますっ! 多分草間さんはコレに気づいていないんだろうけど……何かあったら大変!」
「呼んじゃったのかな、美奈ちゃんが。しかもこういうのって、呼びますからね、他のを。それじゃあ、どうにかしましょうか? えぇと、」
 後ろを歩く人波に視線をちらちらとめぐらせながら、みなもは小声で毒づいていた。
 ――見えない人達には全く見えない、違う世界の、住人。
『みーてー!! あそこに女の人がいるーーーーーーー!!』
 勿論みなもにとってもユリウスにとっても、今、興信所内にいるであろう少女が、元気にそんな叫び声をあげていた事などは、知る由も無い。
 お顔がまっかなりんごのような人
 どういう訳か、カーテンの閉まった事務所内をじっと見つめ、彼女≠ヘ空に浮いていた。
「……霊水はっ……」
「聖水を……」
 だが、ごそごそとそれぞれの荷物を探り始めた2人の方に彼女≠フ視線が向いたのは、もう、間もなくの事。
 鞄の中に霊水の入った小瓶を見つけながら、みなもはそれを、見たような気がした。
 ……まずい……もうイっちゃってるっ……!
 どす黒い血のこびり付いた顔。瞳の奥には、狂気の色と。
 ――口元には、小さな微笑が。
「――水の――」
 慌てて抜かれた小瓶の蓋に、瞬間風が、周囲に巻き起こる。
 みなもの青い髪が宙(そら)に舞い踊り、きららに太陽の光に反射していた。
 南洋系列の人魚の末裔の彼女にとっては。
 水、そのものこそが、かけがえの無い、パートナーであった。
 祈る少女に、迫り来る影が1つ。
 ――水よ。
 どうかあたしに、力を貸して!
「盾よっ!」
 刹那陽光に、放たれた水が輝きを放つ。
 だがしかし、水は重力の法則に従う事なく――一気に、浮上した。
 そのまま意思を持っているかのごとくに薄く広まりを見せ、宙に波打つ、水の盾を作り出す。
 ――しかし、
「あっ……!」
「みなもさんっ?!」
 すっごい……力っ……!!
 両手に優しく触れる水を感じながら、けれどもそのまま、一歩、引き下がってしまう。
 力を込めて、大地を踏んでいた。
 目の前に迫る彼女≠ヘ、この、1枚の盾の向こう。
 その恨みの全てを還元されたかのような力に――
 決して緩める事のできない、水の力。
「伯爵様! どうにかできないんですかっ?!」
 全身に掛る力に、苦しげに声を、あげる。
 通行人達の視線も、徐々に、ではあるが、みなも達の方へと向かい始めていた。
 幸い、と言うべきなのだろうか――みなもとユリウス以外には興味を示さない霊の力は、だが、2人の予想に反して、かなり強いものだ。
「あたし、長くはもちませんっ! 水の霊力も……そろそろ限界――!」
 この水から霊力が消えてしまえば、ただ単に普通の水と、同じものになってしまう。
 そうなればこの盾なんて、すぐに、破られちゃう――!!
 無言のままに、必死に彼女≠ヘ、この盾を突き破ろうとしている。
 なぜだかは、全くわからなかった。
 けれど……
 何なの、一体?!
「伯爵様っ……?! ……伯――!」
 無論、みなもが知るはずもなかった。
 隣にいるはずの、ユリウスの、その能力を。
 ……だが、
「い、いらっしゃらない――?!」
 突然の事態に、呆然と呟きを洩らしてしまう。
 ――消えていた。
 今まで隣に立っていたはずの、ユリウスの姿が。
 その、代わりに、
「駄目ですよ、女の子をいじめちゃあ……え、イヤですね、無事にあの世(あっち)にお送りしてさしあげますよ。神の御許に帰ることは、悲しむべき事では、ありません」
 声が――聞えてきた。
 いつものように穏やかな穏やかな――ユリウスの、声が。
 いつの間にか霊の後ろ側に立っていたユリウスは、聖水の入った小瓶を手に、
「さぁ、みなもさんを解放なさい。そうして下さりませんとちょっと――痛い目に遭って頂かなくては、なりませんでしてね」
 霊が振り返ったのと同時に、みなもはその場に、膝を付いていた。
 突然緩んだ力に、水が意思を失い、地面へと影を作り出す。
 濡れた地面の香りが、晴れた世界に不釣合いに流れてゆく。
「はく――」
 全身を襲う脱力感。
 周囲を取り巻く野次馬のざわめき。
「……大人しく、帰る(上がる)つもりは……どうやら、無いようですね。他人に危害を加える以上は、帰っていただきますよ」
 息を切らすみなもの前で、ユリウスが聖水の蓋を、抜いた。
 その視線にか――霊が一瞬、怯みを見せたかのような、気がした。
 ――良く、わからないけど――
 一方で、みなもはこっそりと、再び荷物の中を手で探る。
 確かもう1本、霊水の入った小瓶が、残っているはずだった。
 目の前の男が、この霊に何をしようとしているかなど、そんなことは、みなもの知る所ではない。
 けれど……。
 逃がしたら間違い無く、この霊は危害をもたらすに決まっている……!
 今は比較的大人しくとも、周囲の霊気によってその凶暴さが拡大する事が無いとは、限らない。
 そうすれば――どれだけの被害者が出る事か。
「水の……」
 封を切り、もう1度小声で、呟きを洩らす。
 そう、今ここでこの霊を逃す訳には――いかない!
「鎖よっ!」
(?!)
 案の定、もう1度空へ向かってその身を浮かべていた霊の姿を、しかし刹那、みなもの創りだした水の鎖がしっかりと地に、繋ぎ止めていた。
 動揺したのか、霊がみなもの方を、振り返る。
 無論。
 こうなれば、次にこの霊のする事は、決まりきっていた。
「伯爵様、早く――!」
 鎖に繋ぐ。無論、繋がれた者は、術者を中心とした半径の外に、出る事が、できなくなってしまう。
 しかし一方。
 その内側は、フリーになっちゃうんだからっ……!
 みなもが、叫んだその刹那。
 今まで黙り、展開を見守っていたユリウスが、言葉と共に、駆け出していた。
「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. ――Princeps gloriosissime calestis militia, sancte Michael Archangele, defende nos in praelio adversus principes et potestates, adversus mundi rectores tenebrarum harum, contra spiritualia nequitia, in calestibus! 〈聖父と聖子と聖霊との御名によりて――天軍のいとも栄えある総帥、大天使聖ミカエルよ、権勢と能力、この世の闇の支配者、天にある悪霊と我等の戦い≠ノおいて、我等を護り給え!〉」
 聖なる言葉と共に前に突き出された小瓶から、けれども水は飛び散る事も無く――1本の剣を、作り出す。
 長く伸びた、水の剣。
 太陽の光に揺れる水面(みなも)に、驚愕する霊の姿が、映り込む。
 そうして。
 そうしてユリウスは――再び鎖の束縛に、けれども空へと向かって逃げようとしている彼女≠ノ向かって。
「Amen...! 〈アーメン……!〉」
 聖なる水の剣を、振り下ろしていた――。



† ポストリュード †

「た、ただいま戻りました……草間さんっ……」
「あーーーーーーーー! みなものはっきゅぅおねーちゃんだっ! おかえりなさーい!!」
「だ、だから薄給おねーちゃんじゃないってば……」
 年期を感じさせる古い扉を開くなり飛びつかれ、みなもは疲れた体で、少女の事を抱き上げなくてはならなかった。
「どうも、こんにちは、草間さん。今日も良い天気ですねぇ」
「何が良い天気ですね、だ――! どーせ又、その辺のお菓子屋さんでも巡りながら道草食ってたんだろうがっ!! 俺の身にもなってみてくれよ……」
 一方ユリウスは疲れ≠フつ≠フ字も見せずに、のほほんと、ソファの上で死に掛けていた草間に、微笑みかけて見せた。
 予想よりもひどい事務所の状況に、また1つ疲労の原因を増やしてしまったみなもから、ふ、と、少女が離れ、ユリウスの方へととたとたと駆け寄ってゆく。
「あー、あまいものがだいすきなみちくさたちよみおじさんだー!」
「……あら、そんな事を教えられたんですか? それに私は、おじさん、じゃなくてお兄さん、ですからね? いやぁ、いけませんよ、草間さん。子どもにそんな事を教えては」
「事実だ事実!」
 ひょい、と少女を抱え上げるなり、ユリウスは許可も取らずに、草間の隣へと腰掛ける。
 そうして、少女によってあちこちをぐちゃぐちゃにされた事務所内をゆるり、と見回し――
「煙草臭いですね……」
「当然だ」
「まぁ、そうでしょうね……全く、煙草は体に悪いんですからね。折角の甘いお菓子も、台無しになってしまいます」
「良いんだ。俺はお前じゃないんだから――ああみなも、とりあえずお前もゆっくり休め! 片付けなら、零がしてくれる……」
「えぇでも、何だかこの辺とか、相当ひどいですよ?」
 颯爽とデスクの書類の整理を始めていたみなもに、草間の疲れた声が飛ぶ。
 だが、それでも、彼女はこれも仕事ですから……と付け加えると、いつもの要領で書類を整理していった。
 ポケットから引っ張り出したチョコレートを膝の上の少女に渡しながら、ユリウスがふ、と、付け加える。
「んー、でも、随分と暗いんですね、この部屋。しかも電気までついて――あ、カーテンが閉まってる」
「いやな、」
「くさまぁぁぁのおじさんがぁぁぁねぇぇぇぇぇぇっ!! えろびで――」
「さっきこの子が霊を見た、って言うもんだからな」
「むぐっ! むぐむぐっ!!」
 慌てて少女の口を塞ぐなり、草間は冷静に付け加えていた。
「……それより、早くこの子の念力封じ、やってくれ……というか、お前、さっさと帰ってくれ」
「草間さんったら、意地悪なんですから……さっき私達、戦ってきたばかりなんですよ? そこの前で、ちょっと変な霊がいたものですから」
「変な、霊?」
「はぁ、頭から血を流した、女性の――」
「りんごのおかおの人!」
「……あああああああああ……つまり又、この興信所に霊が絡んだってゆー噂が立つ訳かっ……!」
「頑張ってくださいね、怪奇探偵¢衰ヤさん」
「――ユリウス……絶対いつか殺すからな……」
 殺意剥き出しで睨まれど、ユリウスの微笑みが絶えることは無い。
「で、念力封じの料金なんですが、」
「お前聖職者だろうがっ!」
「すぐそこの裏道に新しくオープンしたお菓子屋さんがありましてね。噂によると、そこのパフェがこれまた絶品なんだそうで。クリーム仕立ての苺パフェ! 生クリームはわざわざ北海道から取り寄せたものを使い、使っているクッキーも――」
「あーあーはいはいはい。わかりましたわかりました。後でみなもも連れて食べに連れてってやるよ……今晩もインスタントラーメンか……!」
「いやぁ、すみませんねぇ、楽しみにしてますよ」
「黙れ」
 手元に銃があれば、本気で撃ち殺してしまっている所だった。
 同時にお財布の中身を思い浮かべ、草間はさらに、ストレスの原因を募らせるのであった――。

 この後。
 みなもが書類の中から本当にエロビデオとやらを発掘し、大騒ぎになった事。
 草間のお財布の残り金額が、ついに13円となってしまった事を、付け加えておく。
『草間さんっ……こんな物を借りるくらいなら、あたしにちゃんとお給料下さい!』
『違うっ! それは俺じゃないっ! 信じてくれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
 ――興信所の1日は。
 どうやら今日も、平和に過ぎて行きそうだった――。


Fine



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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★ 海原 みなも 〈Minamo Unabara〉
整理番号:1252 性別:女 年齢:13歳 クラス:中学生



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■         ライター通信          ■
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。この度お話の方を書かせていただきました、里奈と申す者でございます。
 この度はお話に参加いただき、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 みなもさんとは、初の邂逅となりました。かなり有名な方からの受注に、正直、ドキドキしておりました。気に入ってくださると幸いなのですが――。
 伯爵≠フ方は、プレイングにありましたものを、そのまま使わせていただきました。なので猊下にとっては、何で伯爵、と呼ばれているか、いまだに判らず終いだそうです。
 妨害などはありませんでしたけれども、お菓子屋さんが妨害していたような気は致します(笑)あと、最後には折角ですので、戦闘シーンを入れさせていただきました。実の所バトルシーンを書くのは、これがはじめての事となってしまいました。
 文字数の方が、規定を大幅に超えてしまいました。その……猊下の甘いものトークだけで、かなりの字数となってしまいまして……。申し訳ございませんでした。
 では、そろそろ失礼致します。
 これからの、みなもさんの冒険が楽しいものである事を祈りつつ――。
 乱文にて、お許しくださいませ。
 
23 marzo 2003
Lina Umizuki