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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


籠女

------<オープニング>--------------------------------------

春めいてきたかと思えば、突然冬に戻る。落ち着きのない日々が続いていたが、今日は特別に寒い。細い糸のような雨が朝から降り続き、飛沫のように空気に溶け込んで体を冷やしそうだ。窓に四角く切り取られた風景を眺め外に出たくないなあ、とベッドの中でサーニャは思った。
「……?」
 ぱっと身を起こした。ナイティの薄い生地に朝の寒気が染み込む。どうやら気のせいではないらしい、物音は切れ切れに続いている。身支度もせず、カーディガン片手に寝床である屋根裏部屋を出た。
「どなたか……」
 聖堂へたどり着くとはっきりと声が聞こえた。慌てて外と中を隔てる両開きの扉を開くと、水袋落ちるような音と供に、女性が倒れこんでくる。
「大丈夫ですか!?」
 凍えてがちがちと歯を鳴らし、唇は青ざめている。雨に濡れた金髪が頬や額に張り付き、白い吐息が零れた。サーニャは額に手を当てた。かなりの熱が出ているようだが、体は冷え切っている。肺炎を起こしているのかもしれない。
「あ……赤ちゃん……赤ちゃん……」
 女性は下腹部を押えながら呟く。苦しげに息を吐くと涙が零れた。
「大変……! お医者様を」
 側を離れようとしたサーニャの手を、ぎゅっと女性は握り締めた。
「お願い……秘密にして。殺される」
「でも」
 とりあえず、着替えさせよう。お風呂も用意した方がいい。マリィに相談しなければ。混乱する頭を必至に立て直し何をやるべきか考える。まず扉を閉めようと、ノブに手をかけたとき、雨の隙間に黒い人影が見えた。じっと獲物を伺うような視線に、首筋の産毛がちりちりと痛んだ。
「殺される−−−」
 それを最後に女性は気を失ってしまった。
「赤ちゃん守らなきゃ……」
 女二人しか居ないこの教会で、そんな事可能だろか。彼女は何かに追われているようだが−−−無視することは出来ない。伸ばされた手は握り返さなくてはいけない。サーニャはきっと人影を睨んで扉を閉じた。


×


「玲於奈さん! 玲於奈さんっ!」
 早朝の日課であるストレッチを龍堂玲於奈がしていると、転げ込むようにパジャマ姿のサーニャが入ってきた。早起きの得意な玲於奈は既に髪にも櫛を通し、手足にある重い鉄の枷もきちんと装備している。
「どうしたんだい」
「大変なんです、とにかく大変なんです!」
 血相を変えているサーニャに嫌な予感がする。間借りしている部屋の窓から、じくじくした気配が忍び寄っているようで、肌が逆立つような感じがした。戦場に漂う独特の獣の息遣いが、雨の間から漂ってくる。玲於奈は部屋のカーテンを閉め、立て付けの悪い鎧戸も閉じた。
「順に話してくれるかい? まずは戸締りを」
「はい!」
 転がるように走り出すサーニャの後を追う。
 階段を降りて聖堂へ入ると、入り口の近くで横になっている女性がいた。雨に濡れた体の上にサーニャのものらしきカーディガンがかけてある。その下腹部に特徴的な膨らみがあり、玲於奈は一瞬強烈なデジャ・ヴを覚えた。女性の傍らにはサーニャが叩き起こしたらしい、自分と同じように宿を借りていたフォルン・ラインハルトと北波大吾がしゃがんでいる。耳の隅に忙しそうなサーニャの足音がした、狭い教会を走りまわり鍵を閉めているのだろう。
「玲於奈」
 男二人は玲於奈の姿を見て少しだけほっとする。
「妊婦?」
「おいフォルン、手当ての仕方とか知らないのかよ」
「俺様、そのテの講義は片っ端から寝てたからな……」
 二人の背中を玲於奈はばしんと叩く。
「何寝ぼけたこと言ってんだい! 濡れた服を着替えさせて体を暖めな! あたしの部屋を使っていいから」
「あ、そか」
 壊れ物でも扱うような手つきで、おっかなびっくり大吾は女性を抱き上げる。体重は見た目よりもあり、嗅いだ事のない匂いがした。
 体の上からサーニャのカーディガンが落ちた瞬間、正面の両開きの扉が乱暴に叩かれた。三人に緊張が走る。大吾は女性を護るように一歩下がり、玲於奈は扉の横の壁に背中をつけて様子をうかがう。顎でフォルンに開けな、と指示をする。
 どんどん、と叩く音が続いている。フォルンは一息飲んでからノブに手をかけた。
「どーしてすぐ開けてくれないの! びっしょりになっちゃったじゃない」
「鏡花か……」
 見なれた顔が現れたので玲於奈は思わず呟いた。岬鏡花はトレードマークとも言えるぴったりとした黒いライダースーツに身を包んでおり、皮のそれは濡れて豊満な鏡花の体を艶かしく輝かせている。子犬のように鏡花はぷるぷると頭を振ると、髪から水滴が飛び散る。
「お邪魔します……。あら?」
 鏡花と一緒に教会へ入ってきたのは、大和撫子もかくやという純日本美少女だ。こちらは淡い青の傘を細い肩に預けている。
「大変。ご病気ですか?」
 のんびりとした口調なので大変に思っているのかどうかはわからないが、
天薙撫子は女性の側に駆け寄った。鏡花は女性と教会に漂う雰囲気を読み取り、すぐに出入り口を閉じた。
「大変な雨宿りになりそうね」


×


 一応、着替えさせ体を拭いたのだが具合の悪さは変わらないらしい。シーツを引き裂くように爪を立て、潰れるほど硬く瞳を閉じている。顔色も戻らない。脂汗で女性の額が輝いている。撫子はそっと女性の手を握り締めた。
「お医者様を呼んだほうが……」
「外に出られる雰囲気じゃないよ」
 苛立ちと戸惑いが混じった声で玲於奈が答える。いつもの明朗さがないるのは雨のせいだろうか。撫子も雨の日はけだるく、眠くなったり頭が痛くなったりする。
「気休め程度ですが」
 呼吸を整え全身を巡っている氣の流れを整え始めると、部屋の外で騒がしい声がした。女性を着替えさせるため、外へ追い出された大吾とフォルンが騒いでいるらしい。
「病人が寝てるのよ。少し静かになさい」
 ドアを細く開いて、鏡花が顔を出して注意する。どうやら女性よりもそわそわしているらしい。妊婦の扱いに慣れた男性というのも珍しいだろうが。反省したのか廊下は静かになる。
「八ヶ月から九ヶ月というところですね」
 大きなお腹をさすりながらマリィは呟く。
 撫子は気を取り直して自分の命を注ぎ込む。弱った魂と共鳴するように優しく精神を包み、ゆっくりとだが確実に彼女の心を落ち着けていった。気休めに過ぎないが、やらないよりましだ。乱れた心で受けとめる傷は数倍の痛みを伴う。

 さわらないで。わたしにさわらないで。わたしのなかに入ってこないで。イキル……。わたしのことはほっておいて。お願い、私のことはほっておいて。ボクハ……。お願いだから−−−ボクハイキル……。

 はっと撫子は顔を上げた。重ね合わせた霊波動に乗って、彼女ともう一人の誰かの感情が流れてくる。

 ボクハイキル。ボクハイキル。僕は生きる!!

 どくん、と強く心臓が動いた。
「撫子?」
 声をかけられて我に返った。
「何を?」
 苦しげだった妊婦が、浅いリズムで静かに寝息を立てている。疲れはこびりついているが眠り慣れた自分のベッドで眠るように、安心した寝顔を浮かべていた。
「……霊力放射を少し」
 頭の芯が痺れたようで上手く口が動かない。強烈すぎる誰かの思考が頭の中でぐるぐると回っている。
「落ちついたみたいね」
 ほっと鏡花は目を細める。
「男の子みたいです。お腹の中の子は」
「そう」
 何か思案しているらしく、玲於奈は短く答える。それから顔を上げた。
「シスターたちは側にいてあげてください。少し席を外します」
「はい」
 サーニャが頷く。去っていく玲於奈の、女性にしてはがっしりした背中が妙に頼りなげに見えた。撫子は何か胸に詰まるようなものを覚えた。深く考えない事にして、懐に忍ばせている鋼糸を取り出す。くんっと右手を引くとピシリと空気が震えた。
「糸で結界を作りましたから、安心してくださいね」
 出来る限りの笑顔をシスター二人に見せると、マリィは頭を下げた。
 護りたい。
 生きようとする彼の意志を。ずっと、忘れていた。自分だって、こうして生まれでたことを。強烈な生への渇望があったことを。生きるという事に慣れすぎていた−−−。
「うっ……!」
 静かに眠っていたはずの女性がうめいた。痛みを消そうと撫子はまた女性の手に触れる。
「あ……」
 撫子の表情が凍る。どうしたのかと鏡花は幼さの残る横顔を覗きこみ、理解した。
「破水……!」
「月が満ちていないのに……もう生まれてきてしまうの?」
 驚いた表情がきりっと引き締まる。深く刻まれた皺の奥にあるマリィの瞳が凛とした輝きを放った。
「仕方ありません。私達で取り上げます」
「えっ!」
 鏡花と撫子は戸惑う。出産ということに知識はあるとはいえ、取り上げたことがない。
「設備もないのに」
「なんとかなりますよ。そういうふうに創られているのだから。鏡花さんは湯の用意を、シスターサーニャはありったけのタオルを運んできてください。撫子さん、励ましてあげて」
 若い人が沢山いて良かったわ、とマリィは微笑み、体を拭く為に持ってきていて、まだ使っていなかったハンドタオルを女性の口元に近づける。
「シスター……恐い……痛い……」
 乱れた呼吸の中から女性が呟く。
「これをしっかり噛んでください。下手をすると歯が砕けてしまいますよ」
 頑張ってという言葉を込めて痛みを和らげるために霊波を送り出した。


×


 キッチンで湯を沸かす用意をしていたのだが、いても立ってもいられない。落ちつかなくて全身がざわつく。竈の炎とのにらめっこをやめて、鏡花は玲於奈を探す事にした。大鍋にしすぎたのかまだ湯は沸きそうにないし、供に戦うなら自分が今本調子ではないことも教えておかなくては。
 この街に入ってから時折鈍く振動する、力の源、胸元の相棒を苦く思った。
 少しして屋根裏部屋へ続く階段に腰掛けた玲於奈を見つける。
「玲於奈、産まれそうよ」
「そうかい……」
「手伝って」
「……いや」
 雨に打たれた花のように、玲於奈は俯いたまま顔を上げない。
「どうしたっていうの。らしくない」
「あたしにも子供がいたんだ。死産だったんだけどねぇ……」
「でもまたこの先−−−」
 この次はない体なんだ、というのを雰囲気から読みとって鏡花は口を止めた。
「とても側にいられないよ。だが−−−」
 すっと玲於奈は立ちあがる。
「追っての方は任せな」
「わかった」
 自分の横を通りすぎる、強い意志に充ちた女性。なぜか鏡花は涙が出そうになった。
 過去を語る彼女の横顔も、未来と戦う彼女の背中も美しいと思った。


×


 子供なんてほしくなかった。あの人に体なんて触られたくなかった。折角もう、会わずに済むようになったのに。

「……あ」
 指先から記憶とも感情ともつかない魂の響きが流れてくる。撫子は女性の気持ちを受けとめようと瞳を閉じ、精神を集中させた。闇に包まれた視界に、蹲って泣く女性の姿が見えた。驚かさないようにそっと近づく。

 助けてくれてありがとう。
 女性は撫子の存在に気づいたらしい。繰言をやめた。
 でもいいの。もういいの。産みたくなんてないのよ。
 お母さんがそんな……あの子はどうなるの?
 無理やりだった。何度も、何度も。私が住み込みで働いていて、親の借金で逃げられないと知っていたから。
 あの子のせいじゃない。
 わかってる。でも……私が悪いわけでもない。私を傷つけて、この子を悪戯に創り出して笑っている男がいるのよ。

 返す言葉が見つからないとはこのことだ。
 撫子はまだ、ほんのりとした恋とも呼べない淡い感情しか知らない。自分の中に答えがないのに、彼女にどう応えれば良いのかわからなかった。
「子供なんてほしくないっ……!」
 しわがれた声で女性が叫んだ。同時に激しい泣き声が部屋を包む。
「……うわ」
 不謹慎だが鏡花はつい言った。産まれたての赤ん坊を間近で見たのは初めてだ。濡れて血まみれの猿のようで、すごく小さい。
「さぁさあ綺麗になりましょうね」
 マリィは落ちついた様子で赤ん坊を撫でる。自分が用意した産湯に新しい命が体を浸しているかと思うと、不思議な気分だ。
「赤ちゃんってすごいですね……こんなに泣くんですか?」
 鏡花の隣で撫子も引いている。
「サイレンみたいだ」
 対照的に母親は息を殺して泣いていた。


×


「冗談みたいに小さい……」
 大吾の第一声に玲於奈は噴出しそうだった。産まれたばかりの赤ん坊は暖かそうにタオルに包まれ、母親に抱かれている。りんごのように赤い頬が愛らしい、小柄だがふっくらとした赤ん坊。
「この子は、私がメイドとして住み込みで働いていた家の主人との子です。追いかけてきたのは多分……後のスキャンダルになるのを恐れてでしょう」
「追っ手は心配しなくてもいいよ。あんたは死んだことになってる」
 玲於奈の言葉に、女性は涙を零しながら、その場にいる全員にゆっくりと頭を下げた。
「お礼できるものが何も……。どうして助けてくれたんですか?」
「その場にいたから、かな?」
 体が勝手に動いてしまったのだ、鏡花は少し困る。
「貴方みたいない英雄が側に居てくれたら、あんな男に好きにされなかったかもしれない」
「ヒーローになりたいわけじゃないよ。自分に嘘を付きたくないんだ」
 ほっとするような笑顔を向けられて鏡花は耳まで赤くした。
「これからどうなさるんですか?」
 撫子の問いに、女性は赤ん坊をじっと見つめる。
「どこか、遠くで暮らそうと思います……産みたくないと思っていたけれど……。この子と一緒に……」
 赤ん坊の小さな、紅葉のような手は母親の指先をしっかりと掴んでいた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1216 / フォルン・ラインハルト / 男性 / 16 / 大学生
 0669 / 龍堂・玲於奈 / 女性 / 26 / 探偵
 0852 / 岬・鏡花 / 女性 / 22 / 特殊機関員
 0328 / 天薙・撫子 / 女性 / 18 / 大学生(巫女)
 1048 / 北波・大吾 / 男性 / 15 / 高校生

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■         ライター通信          ■
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 花粉の厳しい季節いかがお過ごしでしょうか。
 籠女をお届けします、和泉基浦です。
 迎撃を選択されている方が多かったので、戦闘メインの話になりました。
 また男性陣と女性陣で雰囲気を変えてみましたがいかがでしたでしょうか。
 皆様のご活躍により無事母子は護りきる事ができました。
 依頼は成功です、お疲れ様でした。
 感想やご意見等はお気軽にテラコンより送ってくださいませ。
 それではまたお会いできる事を願って。 基浦。