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龍姫
■始■
少女は、厳かに告げる。静謐に、一言一言を噛み締めるように、のっぺりとした笑顔を貼り付けたまま。
ざァァァァァ……という不愉快なノイズに、少女の声はかき消されることなく、鼓膜へと滑り込んでくる。
いっそ耳が無ければ、貴方はそう思いながらも、動くことができないでいる。
始まりは一本のビデオテープから。ポストに投函してあった、宛先すら書かれていない小包。
その夜は、雨が降っていた。雨音に耳を傾けながら、ビデオデッキにセットする。
その時に気付いていれば良かったのだ。これはおかしい、と……。
だが遅く、どこかで見たような……そうあれは映画の、呪いのビデオのように、微少を浮かべた画面の中の少女は告げる。
「……龍が生まれる」
その意味がわからずに、ただ潜在的な恐怖から視線を外すことですら躊躇われる。
湿った空気に錆び鉄の匂いが混ざり、やがて歯の根がカチカチと音を立てだした。
----次の日、貴方は不可解なビデオの相談を持ちかけるべく、知人の草間のところへと出向いた。
■ 戯曲 ■
「龍…ね……」
深い海色の瞳をした少女の言葉に、開口一番、草間は気の抜けた声で呟いた。
うららかな春の日差しとまではいかなくとも、そこそこにあたたかい春の陽気。風に花の香りが混ざり、これからぽつりぽつりとなだらかに春へと変化していく。それは、そんな季節の午後に持ち込まれた、奇妙な依頼だった。
「はい、龍です」
陶鈴を鳴らしたような声で、少女は告げる。
草間は眉間にできた皺をもみほぐすようにして、椅子へと座り直した。
少女と彼は、向かい合うようにして座っている。
彼女の真剣な眼差しに本気を見て取るが、それでも草間の疑念は晴れない。
「……タチの悪いイタズラじゃないのか?」
その言葉に、少女の秀麗な眉の片方がぴくりと吊り上がった。
気にせずに、草間は続ける。
「だいたい、同じような依頼が24件もきているが……その問題のビデオテープ、全て同じ内容だったぞ。ビデオ自体も市販のものだったし、怪しいところも、何もない。俺は手の込んだイタズラだと思うがなぁ……」
肩を竦めて、草間は視線を窓際のデスクへとやった。乱雑でほとんど整理されていないデスクの一番上に、大量のビデオテープが放置されてある。少女もそれを見たようで、眉間に不愉快そうな皺を刻んだ。それは自分の依頼をイタズラだと言われたことよりも、むしろ草間のデスクの乱雑さに呆れたようでもあった。
「まぁ、気持ちがわからんでもないが……」
少女は------何を思ったか、手持ち鞄をごそごそと漁りだした。
怪訝に思う間もなく、
「これを見てほしいのですが」
彼の眼前に、広辞苑ほどの厚みがありそうな書類の束が、でんっと無造作に置かれた。
----彼女の鞄がみょうに分厚かったワケはこれだったのか。
「……これは、最近ネットで噂になってることに関する資料です」
ふぅんと生乾きの返事をして、草間はぱらぱらと書類をめくっていく。
「……呪いのビデオ?」
少女はコックリと頷いた。
それは、リングという映画の変種だった。
内容はこうだ。
呪いのビデオがある。それを見たものは、七日のうちに龍に襲われて死ぬ。
こういう噂もある。
呪いのビデオには殺された生き物たちの怨念がこもっていて、それを見た者は七日以内に他の人間に同じビデオを見せなければならない。でないと、七日目に死ぬ。
こういう噂もある。
呪いのビデオを見て七日間、鏡を見てはならない。もし鏡の中にいる龍を見たら、鏡の中に引き込まれる。
こういう噂もある。
呪いのビデオを見て………
内容はおおよそ、そういうものばかりだった。
そのどれもが、愚にも付かない噂話のようにも思える。
だが……
「……なるほどな」
草間はひとつ頷き、顎に手をあてた。
「共通点は」
少女は唇を結び、瞳に険しさが増した。
「「龍」」
二人の声がハモり、まったく同時にお互いを見据える。
ビデオの中の少女は告げる。
「龍が生まれる」
------と。
それ自体はチャチな作りで、映画のような緊迫感は無いように思えるが、それでも龍というワードには引っかかるものがあった。
草間は無精髭の生えた顎を撫でつけながら----そういえば、今朝はまだ髭を剃っていなかった----自分の考えを口にする。
「奇妙な点がある」
少女は完璧に聞く体勢にはいったのか、無言で頷いた。
「……ひとつ、特定の龍に関する噂が古今東西、ほぼ日本全域に広まっているということ」
書類にはざっと目を通しただけだが、その噂が発生している場所は北海道から沖縄まで、ほぼ全地域といってもいいだろう。通常、こういう怪談というものは地域によってそれぞれ異なるのが普通だが、これは「花子さん」や「てけてけ」といった怪談と同じレベルで、各地に浸透している。
つまり----この噂はほぼ間違いなく"本物"だということだ。
「ふたつ、このビデオが配られたのは、小学生から中学生の男女にほぼ限られているということ」
これもまた書類をパっと見しただけなので確定はしていないが、草間は直感的に確信していた。理由まではわからないが、怪談といった類が広まりやすいのも、その年代だと思う。
「みっつ、これが本物だとしたら、なぜこのビデオに不信な点が無い?」
これが一番、気にかかった。もしもこれが怪奇現象の引き金か、もしくは一端を担っているのであれば、それなりに恐怖感を持ってもいいはずである。怪奇・怪異という人間とは相容れない存在に触れた時、人は自分の存在を根底から揺るがされるような恐怖を感じる。それは『知らない』ということに対する恐怖感であり、未知に対する恐怖感だ。そして未知に対する恐怖とは、死への恐怖へと繋がっている。人は怪異という現象を通して、死を見るのだ。草間もまた、例外ではない。
だが今回のビデオの場合は、それが感じられない。
それがどうにも、腑に落ちなかった。
これは恐らく----
「よっつ。まぁ、これが一番重要だが------手がかりが何一つ無い。キーワードは龍だけ。これだけでは、本気で調べようがない」
ビデオを何度も見返しても、恐らく結果は同じだろう。ノイズまじりの画面、真っ白な背景の中に佇む、幼い少女。「龍が生まれる」という言葉を残して、プッツリと途絶える映像。
心当たりがあったが、それは言わないでおいた。
「情報も無い、信憑性も無い。さて、海原先生の見解は?」
「……そ、それは……」
海原と呼ばれた少女は、唇を噛み締めて俯いた。
あまりにもの正論に、言い返すことができなかったのだろう。
海原みなもは真面目で純粋だが------それ故に、危ういと草間は思う。もう少し肩の力を抜けばいいのだが、彼女はおそらくこう思っているはずだ。
≪もしこの怪奇が本物だとして、犠牲者がでたら≫
ともあれ、草間は肺から息を絞り出す。
「お手上げだ。動くのは、何かが起こってからだ」
「何かが起こってからでは手遅れです!」
「だが実際----」
その時だった。
『事件です!』
という緊迫した声と共に、会話は一時中断された。
二人同時に視線を見やると、テレビ画面の中に見慣れたニュースキャスターが緊張の面持ちで映っている。
『つい先ほど、全国各地で小中学生の男女200人以上が、同時に川へ転落するという事件が起きました!』
その言葉に、二人ははっと顔を見合わせた。草間は無言で、音量をあげていく。
『目撃者の証言によれば、川から何か龍のようなものが迫り上がってきたということです。幸い死者はおりませんが、子供達の腹部に、まるで巨大な獣に噛まれたような傷跡があり--------』
「……龍が、生まれたんだ」
それを呟いたのは、どちらだったのだろうか。
■ 生誕式 ■
「……で、なんで海なんですか?」
夜の大海は深く、そして昏い。
ざざん……寄せては返す静かな波音が、甘い響きを持って耳朶を打つ。夜の暗闇を反射した水面は、ゆるかなに変化を見せながら、留まることを知らない。大海に反射する月光がゆらゆらと揺れるたびに、彼女は胸が締め付けられるように恍惚とした吐息を漏らした。青白い光はそれゆえに何よりも白く、侵しがたい荘厳さと静謐を内包している。
二人は、洞穴とでも呼ぶべき場所へ来ていた。荒川を下流へくだり、それから海岸沿いに車で数十分、崖下に穿たれたこの場所は、場所を知っていなければ来られないに違いない。小さな岩のその隙間は、通行人にとってはそうと見なければ気付かないホドに、わかりづらかった。
「妖怪が何で生まれるか知っているか?」
質問に質問で返されて、彼女はやや憮然とした。
それでも胸の澱みを吐息を一緒に吐きだして、律儀に答える。
「わかりません」
なにせ自分も妖怪なのだ。
草間がこちらを振り向く。暗闇のせいで表情までは伺えないが、笑っているのだろう。
「これはオレの持論だがな……妖怪は、人の想いから生まれる」
ふと、彼がポケットから何かを取り出した。
…………りん……
「鈴------?」
彼は無言で、水面を指さした。つられるようにして視線をうつした先に、不規則に揺れる海原が広がる。
男は続けた。
「人も同じだ。"存在している"という認識が、人や妖怪、世界全てを形作っている。証拠があるわけじゃあないがな……」
…………りん……
「それは龍だって同じだ。大勢の人が"龍がいるかもしれない"と思えば----その認識が、龍という存在を生み出す」
…………りん……
「誰が何の目的でかは分からないが、おそらく何者かが------いや、何かが、か?------意図的に、龍を生み出そうとしているのは確かだった。ビデオに妖怪特有の匂いがなかったのも、そのせいだろう」
…………りん……
「生まれることさえ分かれば後は簡単だ。先回りして、逃がしてやればいい」
ふと、風の匂いに、不思議な匂いがまじる。不快ではないが、嗅いだことのないような不可解な香り。
彼女は眉をひそめた。どこかで嗅いだことがあるような気がする------
…………りん……
小さな鈴が、柔らかい風でゆらゆらと揺れる。
そして彼女は、波間に揺れる淡い発光体を見た。
……りん…………
それをどう言い表したらいいのかわからずに、彼女は息を呑んだ。
一言で言い表すのならば、龍だった。限りなく不安定で存在感が希薄だが、それゆえに儚く美しい。波間を横断するような五メートルほどのその龍の輪郭は、波の加減のせいだけではなく朧気だった。
未完成、とでもいうのだろうか。目の前にあるのはただ光景のみで、現実的深みが無い。まるで夢の中にいるようだ。
「鈴は古来より、導くものとして扱われてきた。死者を導く者が持っている杖にも、たいていは鈴がくくりつけられてある」
平然とした顔で言う男に、彼女はどう声をかけていいか分からなかった。目の前の光景に圧倒されて、呼吸をするのでさえ苦しい。
「…どうやら、無事に生まれたらしいな」
月光よりも儚く、龍はゆらゆらと揺れていた。
………………りん
完.
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13 /中学生
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、大鷹カズイです。
いや…何やらどうも、限られた文字数の中で小説を書くということの難しさを、改めて実感したような気がします(^^;
龍がなぜ生まれたのか、龍を生み出そうとしていたのは誰なのか、龍はなぜ海の中で生まれたのか、説明不足の点が色々とございますが、裏設定を細々と作ったわりにはできあがりが…ッ!!!
短編で長編レベルの設定を作ると消化しきれないということを、改めて認識させられました。
まだまだ未熟な作品ですが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
大鷹カズイ 拝
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