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龍姫
■ はじまり ■
少女は、厳かに告げる。静謐に、一言一言を噛み締めるように、のっぺりとした笑顔を貼り付けたまま。
ざァァァァァ……という不愉快なノイズに、少女の声はかき消されることなく、鼓膜へと滑り込んでくる。
いっそ耳が無ければ、貴方はそう思いながらも、動くことができないでいる。
始まりは一本のビデオテープから。ポストに投函してあった、宛先すら書かれていない小包。
その夜は、雨が降っていた。雨音に耳を傾けながら、ビデオデッキにセットする。
その時に気付いていれば良かったのだ。これはおかしい、と……。
だが遅く、どこかで見たような……そうあれは映画の、呪いのビデオのように、微少を浮かべた画面の中の少女は告げる。
「……龍が生まれる」
その意味がわからずに、ただ潜在的な恐怖から視線を外すことですら躊躇われる。
湿った空気に錆び鉄の匂いが混ざり、やがて歯の根がカチカチと音を立てだした。
----次の日、貴方は不可解なビデオの相談を持ちかけるべく、知人の草間のところへと出向いた。
■ 戯曲 ■
「またこれか……」
桐谷佐保が差し出したビデオを見て、草間はうんざりと呻いた。ポーカーフェイスは苦手ではないが、得意でもない。草間の表情にやや憮然とした面持ちをする佐保に、彼は渋面を作った。
しまった、と思うが、もう遅い。
「このビデオは……どこかおかしい気がしますわ…」
秀麗な眉をよせて、彼女は囁くように言う。外の騒音にかき消されそうな囁きだが、彼女の言葉を聞き逃すことは無かった。
それは分かっている、というように、草間は頷く。
同じ依頼が、今朝から何件も何件も何件も来ているのだ。お世辞にも整頓されてるとは言えない彼のデスクの上は、真っ黒なビデオテープに占領されている。重要な種類なんかももはや黒い物体の下敷きになり、零が見たらなんと言うだろうか。それを思うだけで、鈍痛がした。
そして差し出したビデオを見て、鈍痛が激痛へと変わる気がする。
全てを見透かすように澄んだ佐保の瞳には、迷いもからかいも無い。全体的に神秘的な雰囲気で、現実感が乏しい。まるで"女の理想"がそこに顕然しているかのようだ。そのせいかどうかは分からないが、彼女の年齢は十代にも見えれば、四十代や五十代にも見えた。
「…いつも思うんだが、あんたは何歳だ?」
「いくつに見えます?」
彼女がニッコリと笑うと、薔薇ではなく、少女趣味なレースが咲き乱れる。本当にソレが見えた気がして、草間は頭を抱えたくなった。
「99歳だと言われても、オレは驚かんよ」
「あら、では999歳だったら驚くのかしら?」
「いや…そういう意味では……」
思わず引きつった笑顔を浮かべて、彼女のペースに呑まれていることを自覚する。
およそ、世界中の邪悪とは無縁の笑顔を浮かべるこの美女は、草間の知人の妻だった。
草間は何となく暗鬱な気持ちで、彼女の言葉を待った。
沈黙で先を促すと、彼女もその意図を汲み取ったのか、口を開く。
「ビデオの内容を御覧になります?」
草間は黙して首を横に振った。
内容など、嫌と言うほど知っている。透明ではない、限りなく不透明な汚れの無い白。それ故に激しく他者を拒む、純白。そしてその中に佇む、一人の少女。聞き取りづらいが、確かな言葉。
龍---------
それはそれで構わない。
龍が生まれるのならば、それはそれで構わない。
妖怪や人間が存在する理由を、草間はこう考える。
世界は不安定な地盤の上に存在している。全ての生物の"認識"が、世界を構成する地盤となる。難しいことは分からないが、人がもし"妖怪は在る"と"認識"、確かに妖怪は確かに存在するのだ。"認識"が全てのカタチを作り、生命や科学的な証明といったものは、後から付与される。「影が薄い」という言葉も、あながち慣用句ではないのだろう。
そしてそれは人もまた同じだと、草間は思っている。
全ては世界の上で"意識"され----龍もまた、多くの人々の心に"認識"され、そして生まれた。
そこまで考えて-------ふと、草間は思考に入り込んだ不協和音に気が付いた。
……何か、おかしい。
何が、ではなく、何か----それはまるで、たくさんの赤いビー玉の中に一つだけ青いビー玉が混じっているような、そういう種類の不快さだった。
胸が、疼く。見えない虫が血管の中を這いずり回り、不快の原因を覆い隠そうとしている。食い尽くそうとしている。邪魔をするな……喉の奥で呻ると、虫がさらに活性化する----
「----調査をお願いできますでしょうか?」
その言葉に、草間は"はっ"と我に返った。
不自然に速くなっている動悸を隠すようにして、草間は唇を引き締めた。
「承りました」
こうして、佐保と草間は、事件に巻き込まれることとなった。
■独唱曲■
「問題は----だ」
草間の声が、暗い洞窟に反響する。海に近いせいか、足下は踝まで水に浸かっている。二人とも長靴とブーツで武装していたためそれは問題無いが、ごつごつした岩肌のせいで、何度も転びそうになった。
「これはどこまで進むんだ?」
草間の答えに、桐谷は逡巡した。
正直に答える?それは速攻で却下だ。
言い訳をする?上手い言い訳が思いつかない。
となれば。
「以前、夫に聞いたことがありますの」
心の中で最愛の人に謝罪しながら、佐保は説明をした。
「龍というものは色々なカタチで生まれてくるそうです。洞窟の奥、樹木から、空から、自然の恩恵を糧に、存在するのだと」
ふぅん、という曖昧な返事。彼女は続けた。
「龍は水を好みます。海を好み、そして静寂を好みます。人目を嫌い、仲間の匂いが無い場所を嫌います。全ての条件が当てはまるのは、ココだけです」
断言してから、自分の失態に気付いた。
草間が質問しようとする気配より先に、慌てて言い直す。
「そう、夫が言っておりました」
草間の背中が小刻みに揺れる。質問する前に答えを言われて、鼻白んだのかもしれない。
彼女は内心で満足感を覚え、感づかれない程度の微苦笑を漏らした。
自分の正体を、彼は知らないのだ、慎重に行かなければならない。
「ここは龍神を祀ってある祠がある場所です。"水神"ではなく----本物の、龍を生み出すための祠だと聞いております」
静かな洞窟内に、彼女の澄んだ声だけが反響しては消えていく。
しん、と凍る静寂に、得体の知れない香りが混ざる。
微かに香る、鉄錆の----
ピチョン…………
……ピチョン…………
…………ピチョン…………
………………ピチョン…………ピ
「…龍だ……」
………………ぴチョン……
それをどう表現していいのか、佐保は分からなかった。
ドーム状のそこは巨大で広く、天井も高い。その最奥小さな寝台の上に----それは在た。
それだけを顕すのであれば、「龍」という言葉ほど的確な言い回しも無い。黄金の鱗を持ち、コウモリの翼を持った真紅眼のトカゲ、とでも言ったほうが適切かもしれないが。
体長は十メートルほど。巨体を狭い寝台の中にトグロを巻いて横たえながら、何かを守るようにして虚空を見上げている。
龍を見慣れている彼女だったが、この龍の姿には驚きを覚えた。
龍は、あちこちが傷だらけだった。黄金色の鱗は見るも無惨に破れ、千切れ、吹き飛び、寝台は血で濡りたくられ、異様な出血量に嘔吐感すら覚える。
何も見ていない瞳は、空虚しかたたえていない。
果てしなく深い、絶望の色。
涙が零れそうになる衝動を、彼女は堪えた。
気高い獣が流す血は、涙のそれだ。ただひたすら黄金の龍は泣いていた。自分の存在が希薄になっていくことを感じながら、何かを守れないことに絶望し、涙を流していた。
「…………」
草間の顔を見上げると、彼は唖然と眼前の光景に目を奪われている。
傷だらけの哀れな龍に、彼が同情してくれていることを嬉しく思った。
自分のことのように、嬉しく思った。
「…ごめんなさい」
次の瞬間、草間が崩れ落ちた。
■傷の色■
気配が、満ちる--------
真紅の瞳が、佐保を見据える。
手負いの獣の目に、交渉の無理を悟る。怪我の治療すらも、この獣は拒むだろう。
近づく者全てをその信念で切り裂きながら、同時に自分をも傷つける、気高い獣。
胸が痛くなる程悲しく、涙が出る程に悔しく、それ故にどこまでも誇り高いのが、龍という存在だった。
「あなたはまだ生きられます」
一歩踏み出すと、龍が低くうなり声を上げた。
常人ならば一瞬で気絶しそうなプレッシャーの中、苦痛を堪えるような表情で、一歩一歩近づいていく。
グルルルル……
空気が奮える。
大丈夫、きっと助かる。
無用な命が消えることはない。
大丈夫。
きっと、
「だから、生きて」
彼女の祈りは届かない。そして佐保は、それを知っていた。祈りとは、願いとは、決して届かないものなのだ。
でも……!
「生きて……」
泣きそうな声に、情けなくなる。
グルゥォオオオオオオオ!!!!
龍が、吠えた。
瞬時に、彼女目がけて奔る数本の氷の矢を、身体をひねってなんとかかわす。
本来ならば数百本は同時に打ち出せるであろう。だがしかしその本数の少なさは、龍がどれほどに衰弱しているかが知れた。
この龍は、死のうとしている。
術を使えば、命はすり減っていく。残り少ない命を使ってまで、何かを護ろうとしている!
クォオオオオ!!
「っ!!」
反撃することなど、できるはずもなかった。
飛来してくる氷の矢を、電撃で相殺させていく。先ほどはこれを応用して、草間の意識を奪ったが、同じ手が龍に効くとは思えなかった。
ルゥォオオオオ!!
龍の叫びが大気を揺さぶるたびに、飛来する矢が彼女を襲う。
それを勘で交わしていくが、あくまでも勘にすぎない。いつかは外れ、そして外れたらそれで終わりだ。本来の形態になればこの龍を捕らえることも可能だろうが、それでは闘争本能を刺激してしまう。そして龍は死ぬまで攻撃を続けるだろう……それでは、駄目なのだ。
「お願いします!聞いてくださいっ!!」
バチィ!!!
電撃が一際大きく弾ける。
「キャッ……!」
足がもつれ、盛大によろめいた。
そのスキを逃さぬとでも言うかのように、氷の矢が疾駆する。
じゃっ---------!!
熱したフライパンに油を引いたような音がしたのは、その時だった。
溶けていく氷の矢、慌てて振り返ったその先に居たのは----
「あなた!!」
どこか気怠げな雰囲気をまとった男が、そこに居た。
男は不敵に笑うと、そのまま高々と跳躍する。
彼女が止める間も無かった。
龍の眼前に優雅に着地した男は、そのまま無言で手を指しだし、そして----
「…………優しい妻に感謝するんだな」
音は無かった。耳が痛いくらいの無音の中で----
ただ、真紅の炎が龍を包み込んだ。ただ、それだけだった。
静謐に----静かに、龍は光の粒子となって、散っていった。呆然とする思考で、龍が消えたことだけを理解する。
全ては一瞬に。
生まれて、そして消えた。
血の後すらない寝台に残された、ひとつの大きな卵だけを残して……。
夫に感謝をした。こうするしかなかったのは、わかった。
泣き崩れる自分を優しく抱いていてくれた夫の手の温かさに、佐保はただ感謝した。
感謝することしか、出来なかった--------
・完・
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1001 / 桐谷・佐保 / 女 / 999 / 桐谷さん家の主様
1000 / 桐谷・獅王 / 男 / 37 / 桐谷さん家の大黒柱
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ。ライターの大鷹カズイです。
大鷹初のお仕事、「龍姫」は楽しんでいただけたでしょうか?
文字数の限界を悟り、色々と細部をはしょった結果……問題点が山となってしまいました。
「龍を誰が生み出そうとしたのか」「龍を傷つけたのは誰か」「誰がビデオをばらまいたのか」等々等々等々等々等々(エンドレス)
自分でも「分からなさすぎだろう」とか思うのですが、短編に長編レベルの内容を詰め込もうとするのが、間違いなのかもしれません。
その辺のことは、いつか書けたらいいなぁとか思いつつ。
実はですね、裏で暗躍する組織とかなんかソレっぽいのがあるのですよ、フフリ☆
……と言ってみたところで、何がどうなるわけでもなし。
いずれ機会があるといいですねぇ…いや、まったく。
この作品のその後はどうなるのでしょう。
きっと草間が、誰かに「卵を預かってくれ」って依頼するのかもしれません。
ちなみに、佐保さんの夫である獅王さんの作品とリンクしておりますので、そちらもあわせてお楽しみくださると幸いです。
それでは!
書いてる途中、とても楽しかったです。またの機会があればお会いしましょう。
大鷹カズイ 拝
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