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龍姫
■ はじまり ■
少女は、厳かに告げる。静謐に、一言一言を噛み締めるように、のっぺりとした笑顔を貼り付けたまま。
ざァァァァァ……という不愉快なノイズに、少女の声はかき消されることなく、鼓膜へと滑り込んでくる。
いっそ耳が無ければ、貴方はそう思いながらも、動くことができないでいる。
始まりは一本のビデオテープから。ポストに投函してあった、宛先すら書かれていない小包。
その夜は、雨が降っていた。雨音に耳を傾けながら、ビデオデッキにセットする。
その時に気付いていれば良かったのだ。これはおかしい、と……。
だが遅く、どこかで見たような……そうあれは映画の、呪いのビデオのように、微少を浮かべた画面の中の少女は告げる。
「……龍が生まれる」
その意味がわからずに、ただ潜在的な恐怖から視線を外すことですら躊躇われる。
湿った空気に錆び鉄の匂いが混ざり、やがて歯の根がカチカチと音を立てだした。
----次の日、貴方は不可解なビデオの相談を持ちかけるべく、知人の草間のところへと出向いた。
■瞑想曲・α■
尾行というのに慣れる人物がいるのだろうかと聞かれて----答えは、YESだ。例えば警官や探偵なんかは、慣れているだろう。慣れなければ務まらない職業であるし、逆に言えば慣れてこそ一人前であるとも言える。
尾行が得意かと聞かれたら----これも、YESだった。気配を消すのが特技であれば、得意にもなる。
では、尾行というものに慣れているのかと聞かれたら?
答えは----------
「NOだな」
■戯曲■
尾行というは自分の良心の問題であるのだと、桐谷獅王はこの時初めて知った。
事件は昨日の夜だった。
深夜遅くに帰宅すると、珍しいことに主様----妻が、先にベットへと潜り込んでいた。いつもは健気に帰宅を待ってくれているのだが、珍しいこともあるものだと思う反面、ちょっとだけ淋しいような気もする。気持ち、何となく不満なものを覚えながら、妻を起こさぬように寝室へと足を踏み入れ----
"ふ"と、立ち止まった。
「……なんだ……?」
そうと注意しなければわからないような、微かな違和感。
それを察知した瞬間、ぞわり、と総毛立つ。
神経が敏感になり、寝室が静寂の幕に包まれる。橙色のスタンドに照らされて、全ての家具が無機質な影を落とす。
しん、
最愛の人の寝息さえ聞こえない、耳鳴りがする程の無音。外界には車も走り、数多くの人間や生物が居るというのに、ここの空間だけが断絶されているかのように静かだった。
スタンドの灯りがあるというのに、部屋の隅にたまった暗闇は、すくい取れるほど濃厚にわだかまっている。
濃密な気配に、首筋を撫でられている----そんな妄想が、脳裏にねっとりと粘り着いた。
「どこだ……」
答える者はない。
当然だ、ここに返事が出来る者は、自分しかいないのだから。
それは当然のハズだった。当然のはずだったのだ。
だが、
カタッ、
何かが、鳴った。
「!」
それを聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。口から飛び出そうになる心臓を一端落ち着かせて、彼は深呼吸をした。
静かに息づく闇に、視線をはわせる。
「……どこだ」
問いかけるというよりも、自分に言い聞かせるかのように、彼は視線を彷徨わせた。
やがて、異様な香りが漂い始める。普通に暮らしていれば嗅ぎ慣れることなどなく、だからこそ、彼にとってとても慣れ親しんだ匂い。
それは、妻の外出用バッグの中からだった。
誘われている。
沈黙を誘うような存在感に、反射的にそう感じる。
「………………」
バッグを手に取ろうとして、迷った。恐怖ではなく、単純に主様への罪悪感からだったが、それでも彼は意を決してバックを手に取った。
開けた途端に強くなる、異様な香り。
彼は覗き込んで、目当ての物をすぐに見つけた。
バッグの一番上に丁寧にしまわれている、一本のビデオテープ。
「……これか」
手に取ると、ぬるり、と滑ったような気がした。おぞましさを耐えるように奥歯を噛み締める。
近くで観察してみれば、それは何の変哲も無い普通のビデオテープだった。それでも拭えない香りと、気配。ビデオテープの中から誰かが、じっ、とこちらを見ている。無言で、ひた、とこちらを見据えている。
………………
…………………………
………………………………………
暫くして、彼はビデオを見るために、ダイニングへと足を運んだ。
---------ビデオのそれから出てくるかのように、あの香りは漂い続ける。
それは、古びた鉄錆の……
■瞑想曲・β■
内容は、推して知るべし。謎の少女と不可解な言葉、彼は確信と共に断定する。
「草間のとこにでも相談にいくつもりだろう」と。
そして、実際に彼女は草間のところへと出向いた。
獅王は彼女が考えている以上に、彼女のことを把握している。行動、信念、興味の対象、些細なことから何もかも、彼は熟知していた。故に、彼女の行動を読むのすら、簡単なことだった。
盲目的、と言ってもいいだろう。彼にとっての彼女の存在は、まさに"全て"であり、会社も世界も彼女と天秤にかければ、さしたる意味を持たない。
そのことについて異論を唱える者は多いだろうが、それですら彼にとっては失笑の対象になる。
兎にも角にも、取りあえずツラツラとそんな無意味なことを考えながら------
「…………ヒマだ……」
彼は、盛大な溜息をついた。
だいたい、二人の行き先は分かっている。『龍』『生まれる』という二つのキーワードを前にして、それなりに精通した者が思い浮かべる場所は、一つしかない。
だが、二人が必ずそこに向かうという確証がなかった。
だからこうして、慣れない尾行に苦しんでいる。暇潰しの手段も無く、歩き続ける草間と妻の後ろ姿を追うのはひたすらに苦痛だった。本来ならば、草間の位置にいるのは自分でなくてはならないのだ。
軽い嫉妬に苛立ちを覚えて、彼は上を見上げた。細い路地の一角、そこから大通りへ顔だけを出している。周囲からの好奇の視線が痛い。
ひたすら後をつけるのにも、いい加減飽きてきた頃----
「!」
突然、彼の足下のアスファルトが弾け飛んだ。人気のない路地に身体を滑り込ませていたため、それに気付いたのは彼だけだったが、無惨にえぐり取られた大地に戦慄する。
はっとして周囲を見渡すと、非常階段の奥に消えていく黒い人影を見た。
「逃がすかっ!」
反射的に後を追う。
これで、証拠は揃った。
関わり合う全ての人間は----『生誕の祠』で集う。
もう、尾行をする必要は無かった。
■円舞曲■
タ、タタタタタタ。
命を奪いかねない音にしては気の抜けた音を出しながら、ライフルの銃口が火を噴く。
足下への着弾の衝撃で背後に吹っ飛ばされて、獅王は舌打ちした。
「俺の他にも、主様を尾行してるヤツらがいるなんてなっ!」
相手は二人、見晴らしの良い廃屋の屋上に誘い込まれたのは、失敗だった。この屋上は周囲との高低差があり、周囲のビルからは一望できるだろう。狙い打ちをしてくださいと言わんばかりだ。実際こうして、ライフルに狙撃されて、壁際に押されている。
もう一人は、数十メートル先で悠然と突っ立っている男だった。ピッタリと身体にフィットする革製の服を着ているその姿は、ある意味で死に神を思わせるし、奇術師のような違和感もあった。有り体に言えば、不気味以外の何者でもない。
男----身長からして男だろう、胸無いし----は、嘲笑することもなく恐怖することもなく、ただライフルに狙撃されている獅王を睨み付けている。
「っ!!!!」
突如、しがみついていた壁が盛大に破壊されて、獅王は横へ跳躍した。それを追いかけるように、コンクリートに弾痕が穿たれていく。
破壊力が尋常ではない----おそらく、七・六二ミリの●●制式弾薬、それも対航空機用の炸裂弾も使用しているに違いない。着弾の衝撃だけでも絶命しかねない、凶悪な破壊力を秘めた武器だ。
銃の類は威力が上がっていくのと同時に、大きさも比例していく傾向にある。これだけの威力があるとなると、車専用の機関銃くらいはあるはずだった。
(となると--------!!)
彼は大地に手をついて、力を解き放った。
じゅっ!!
という、油が煮えたぎったような音と共に、大量の水蒸気が爆発した。
一瞬にして熱された空気が、膨張して弾ける。決して狭くない屋上を、もうもうとした煙が覆い隠した。これでは、ライフルの狙撃も出来まい。
そのまま間髪入れずに飛び出し、目の前に立っていた男の懐へと入り込む。そのまま半身を捻って肩を当て------
「!?」
シャ!
彼が反射的に飛び退いたその軌道を、銀色の輝きが疾った。
「ライフルの次はナイフとは、芸がないな」
頬に走った紅い線に手をはわせて、獅王は相手を挑発する。完全に見切ったと思ったコンバットナイフだったが、風圧で切れたらしい。油断はできない。
それに、この霧が晴れればライフルの狙撃が再開されるだろう。
その前に。
「仕留める----!」
そう呟いた獅王の身体が、ぐん、と沈んだ。
予想されない動きに、黒服が焦ったようにスキを見せた。
それからの彼の動作は、まるで魔法だった。足をもつれさせたようにしか見えないが、それでも彼の肩が黒服に軽く触れたと思った瞬間----鳴り響いたのは、凄まじい轟音だった。
構えていたナイフごと吹っ飛ばされ、壁まで行って激突する。悲鳴さえあげずに、黒服は昏倒したようだった。
霧が晴れようとしている----獅王は男に見向きもせずに、階段を駆け下りた。
自分が狙われたとあれば、彼女もまた----!!!!
焦燥だけが胸に募る。空が飛べないことを壮絶な怒りに変えて、彼は大通りを駆け抜けた。
「主様に傷を負わせたら…わかってるだろうな草間ァ!」
怒り矛先は、やや理不尽ではあったが。
■生誕の祠■
「きゃっ!!!」
彼女の悲痛な叫びが、鼓膜を打つ。
あれから、黒服の仲間らしい男達は見かけなかった。諦めたか、それとも別の理由があるのかは分からないが。
生誕の祠に居たのは、やはり龍だった。身体中に傷を負いながらも、それでも傲然と横たわる巨躯。死期を悟り、それでも立ち向かうことを止めない、手負いの獣はそれだけで見る者の心を奪う。そしておそらく、この傷をつけたのがあの黒服の仲間であることを、獅王は理解した。弾痕が、同じだったのだ。
同情や悲哀といった感傷は生まれない。
ただ、彼女に向かって飛来する氷の矢に、彼は戦慄を覚えた。彼女は当たるだろう----避けられない。
死を持って償え----------!!!!
爆発的な感情が具現され、灼熱の炎が氷を蒸発させる、
じゃっ---------!!
熱したフライパンに油を引いたような音がした。
「あなた!!」
彼女の、驚きと安堵の混ざった表情に満足感を覚える。心の奥が満たされていく感情に酔いしれながら、彼は無言で跳躍した。
文字通り音もなく降り立ったのは、黄金龍の眼前。龍はこれから起こることを察知したのか、絶望で塗りたくられた瞳に、深い空虚が混ざる。
「…………優しい妻に感謝するんだな」
音もなく、全ては終わった。
四散していく龍の身体と、残された一つの卵。
泣き崩れる妻を抱きしめて、彼はコッソリと苦笑した。
消滅した龍に対する感情が何も生まれない。ただ腕の中で奮える彼女の存在だけが、愛おしくてたまらなかった。
龍、黒服、卵、全ての事情の説明と事後処理を草間に押しつける算段を巡らせながら、獅王は妻の背中を優しくさすった。
完
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1000 / 桐谷・獅王 / 男 / 37 / 桐谷さん家の大黒柱
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ。大鷹カズイです。
ぐは…またも文字数をオーバーしてしまって申し訳ないです(あせっ
えーっと取りあえず、桐谷佐保さんサイドの小説とリンクさせました。
本来ならば普通に「尾行ってヒマだな〜」という内容が延々と続き、最後にちょこっと活躍するかなー程度だったのですが、それじゃああまりにもってことで、戦闘場面が多めです。
「浄化の炎」について、こんなんで良かったのかどうか…色々と不安は残るのですが、書いてる途中はとても楽しかったです。
ありがとうございました。
さて、謎の「黒服」についてですが…取りあえず裏設定は色々とあるのですが、別に無くてもいいかな、みたいな。
ビデオの謎も解明されてないし……短編はムズカシイです。
そのアタリのことも、追々書ければいいなぁと思っております。
この度はまことにありがとうございました。
またの機会があれば、お会いしましょう!
大鷹カズイ 拝
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