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<東京怪談ノベル(シングル)>


ホワイトデー・イヴ
●西に東で、東に西で
 夕方――家路につこうとしていた人々でごった返す池袋の地下街に、人の流れとは反対方向に進む2人組の姿があった。
「ホント、申し訳ないっスね」
 肩を竦め、心底すまなさそうに血色のいい少年――湖影龍之助が言った。言った相手は、分厚いレンズの眼鏡をかけた血色の悪そうなスーツ姿の青年である。
「あ〜……こちらこそ、助かりました〜。追い込みで忙しくて、ぽっかり抜け落ちてたんで〜……」
 青年――月刊アトラス編集部員の三下忠雄は、手をパタパタと振りながら龍之助に答える。三下の血色がよくないのは、ここ数日締切に追いかけられていたからだった。
「あのまま忘れてたら、明日何を言われてたことやら……はあ〜」
 そうつぶやいて、がくっと肩を落とす三下。明日は3月14日、いわゆるホワイトデーという日だ。まあ、世の中には『お菓子業界の陰謀・第2章』だとか、『高級ブランド業界・弥生の陣』なんて揶揄する輩も居るようだが、そんな与他話はさておき。
「あっ、三下さん! こっちスよ!」
 違う方向へ行きかけた三下の腕を、龍之助がぐいっと引っ張った。
「東口じゃなくて、西口っスから」
 そして腕を絡めたまま、龍之助は楽しそうに三下を連れて歩いてゆく。
(ああ……俺、幸せっス……)
 龍之助は内心、デート気分を味わいながら歩いていた。

●そこに居る理由
 そもそも2人がこうして池袋に居るのも、今日の昼間にアトラスの編集部を龍之助が訪れて、次のような相談を三下に持ちかけたことが発端だった。
「三下さん、悪いんスけど……バレンタインのお返しを買うの、付き合ってくれませんか?」
 その龍之助の言葉に、三下は一瞬きょとんとなっていた。が、すぐにはっと何かに気付き、龍之助に聞き返してきた。
「あ、あの、ひょっとして……ホワイトデー、ですか? それ、来週でしたっけ……?」
「いや、明日っスけど……」
 龍之助はこめかみの辺りを、ぽりぽりと掻きながら答えた。こんな言葉を返してくるくらいだから、三下はホワイトデーのことを完全に忘れていたらしい。
「俺、母親と妹にお返し買わなきゃいけないんスけど……その分じゃ三下さん、忘れてたみたいっスね」
 苦笑する龍之助。そして、こう言葉を続けて誘いをかけてみた。
「三下さんもバレンタインにもらった物のお返し、一緒に買いましょう」
 三下がバレンタインデーにチョコをもらっていたことは、龍之助も知っていた。そもそも現場を見てたし、何より龍之助自身も三下にチョコを贈っていたのだから。
 かくして、三下の仕事が終わってから、お返しを買いにデパートに行くことがトントン拍子に決まった。
 後は定時に帰してくれるかどうかという問題だけだったが、意外にあっさりと定時上がりを許可してくれた。ただ、三下と龍之助が編集部を出ようとした時に、どこからともなく高級ブランドの名前がいくつも聞こえてきていたのだが……。いや、幻聴なんかではなく、はっきりと。誰が言っていたのかは推して知るべし。
「……スカーフか何かでいいっスよね」
「折半して買えばまだ安いと思うんで……」
 何かしら買っておかないと明日が怖い、そう判断した2人はそんな相談をしながらデパートの中へ入っていった。

●がっちり買いましょう
 2人が入ったデパートでは、8階の特設会場でホワイトデーフェアなるものが行われていた。要するに、お菓子を中心にお返し対象となる品々が1ケ所に集められている訳だ。この方式の一番のメリットは、あちこちの階を行き来しなくて済む、ということだった。
「は〜、これは便利ですねえ〜」
 感嘆する三下。特設会場には、2人同様に駆け込みで買いに来たと思われる男性たちの姿が意外と多く見られた。中に女性の姿が少し混じっていたのは、彼氏の付き添いか、彼氏・夫の代理で買いに来たのだろうと思われる。
 特設会場内を、所狭しと移動してゆく龍之助と三下。あれがいい、これがいいと各々の場所で言葉を交わしてゆく。結局1周目ではある程度品物を絞ることしか出来なく、2周目で実際に買う品物を決めることとなった。
(幸福な時間っス〜)
 1周で決まらず、2周目に入ったことは龍之助にとって幸運だった。何故なら、それだけ長く三下と一緒に居られるのだから。
(俺にはこれがお返しみたいな物っスね〜)
 密かにそんなことまで思う龍之助。一応先月にチョコを渡しているのだから、三下からお返しを受け取る権利はあった。
 けれども、仕事の忙しさでホワイトデーを忘れていた三下のことだ。男である自分から、チョコをもらったということを忘れてしまっている可能性だってある。だからといって、催促する訳にはいかない。三下に迷惑になるし、男にお返ししたいと思っているかどうかも分からないのだから。
 結局、龍之助は母親と妹の分、三下はチョコをもらった女性の人数分、お返しを買って特設会場を後にした。
「うーん、何か忘れてるような……」
 三下が、ぼそっとつぶやいた。

●精神的に
 エレベーターに乗り、1階で降りる2人。龍之助は無言だった。どことなく、表情も寂し気に見える。例えるなら、飼い主に放っておかれた子犬のような。
 と――三下が首を傾げながら、龍之助に話しかけてきた。
「……そういえば、チョコ……いただいてませんでしたっけ?」
 聞かれた以上は、素直に答えるしかない。龍之助はこくんと頷いた。すると、三下は急に慌て出した。
「うわわわわっ、やっぱりっ! す、すいませんっ! 何か忘れてると思ったら……! もう1度、特設会場に……!!」
 急いでエレベーターホールに戻ろうとする三下。だが、龍之助は三下の腕を捕まえて、ちょっと迷った素振りを見せ、少し照れながら苦笑した。
「……ぁ〜……ホントは言わないでおこうと思ったんスけど……」
「はい?」
 間の抜けた返事をする三下。龍之助は構わず話を続けてゆく。
「俺、今日……三下さんが買い物に付き合ってくれたのがお返しだと思ってるんスよ。三下さんと一緒に居られるのが、何より一番幸せっスから」
 鼻の頭を掻きながら、龍之助ははにかんだ笑みを見せた。傍からだと怖くも見えるが、龍之助はいい笑顔をしていた。
「あ……そうなんですか……」
 やや困惑した様子の三下は、そうとだけ答えた。そしてちらちらと、購入済みのお返しが入った紙袋に視線をやる。たぶん、『物理的な』お返しをどうするか、悩んでしまっているのだろう。
 その時、頭上から店内アナウンスが流れてきた。
「……からお越しの三下様、三下忠雄様。お財布が届いておりますので、居られましたら至急8階特設会場までお越しください……」
 顔を合わせる2人。三下が懐に手を置いた。
「あ……ない……」
 間違いなく財布を落としていたことに気付き、三下の顔が引きつっていた。その三下の表情に、龍之助は思わず苦笑してしまう。
「あー、もう、仕方ないっスね、三下さん。特設会場、戻りましょうか!」
 龍之助は明るくそう言うと、三下の肩にポンッと手を回して、一緒にエレベーターホールに向かっていった。

【了】