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<PCシナリオノベル(シングル)>


   奪還
 
 2000年、世界に終末は訪れなかった。
 全ての死滅と新たなる転生を望む者達は、ある組織を組み自らの手でその『終末』を起こそうと目論んだ。
 『虚無の境界』――
 目的の為には手段を選ばぬ大型テロ組織が、ここ東京郊外の山林にも暗躍していた。

■■ 廃校にて ■■

 その役割を終えたのは随分と前の事だろう。
 窓は割れ、腐りかけた木造校舎の周辺には人影も無く、冬枯れの林の中でひっそりと静まりかえっていた。
 だが一度足を踏み入れれば、禍々しい気に満ちた『死の場所』だと気づくはずだ。
 ここは虚無の境界に必要とされなくなった者達の、処分場なのだ。中には得体の知れぬ様々な『邪悪』が蠢いていた。
 その廃屋の前に、女が一人いた。
 濡れたような艶やかな黒髪に、凛とした蒼い瞳の美女──シュライン・エマである。
 シュラインは枯れ草の中に小腰を屈め、ジッと耳を澄ましていた。声が聞こえるのだ。それは耳にでは無く、頭に直接響いてくる。
『──ケテ、タスケテ』
 シュラインは気を集めた。声と一緒に届く映像がある。
『三階、図書室、白衣の男』
 声は廃屋の内部から聞こえてくるようだ。セツの声に違いない。
 彼女は精神感応能力者。いわゆる『テレパシスト』だった。
 その力を持つ者は、生物の考えや心が読めると言う。
 虚無の境界はテレパスで弱点を探り出し、洗脳効率を上げようと企んでいた。
 が、しかし彼らの当ては大きく外れてしまった。
 セツの力は完全ではなかったのだ。セツは自らの念を相手に伝え、見せると言う以外の事が出来なかった。
 読心力を持たぬテレパシストに用はない。彼らは今夜ここでセツの処分を決めていた。
「あまり趣味の良いところとは言えないし、早めに終わらせて帰りたいわね」
 シュラインは校舎に忍び寄ると、腐った番にかろうじてぶらさがる扉の隙間から、中を覗き込んだ。正面に階段が見える。その手前に何かが立ちふさがっていた。
 人だ。
 それも普通の人では無い。裂けた腹から、臓物が飛び出している。肌は土気色で、虚ろな眼差しをしていた。それが、体を前後に揺すっている。
 ゾンビだ。
 必要な『パーツ』はすでに取られ、廃棄物として捨てられた生きる屍である。グチャリグチャリと耳障りな音を立てながら、ゾンビ達は蠢いていた。動作はかなり緩慢で、走れば簡単に振り切れそうだ。
「長居は無用ね」
 シュラインは扉の隙にサッと身を滑らせた。腕を伸ばしてくる死人を躱して、踊り場まで一気に駆け上がる。振り返ると、階段を上れずに彷徨う死人達が、掠れたうめき声を上げていた。
「悪いけど、あなた達にかまってる時間は無いの」
 ゾンビはシュラインに向かって白い腕を伸ばし、「うおー」と泣いた。
 
■■ ピアニスト ■■

「これは──」
 シュラインはそこに広がる光景に絶句した。踊り場から階段を数段上がっただけで、世界が一変してしまったのだ。
 闇だ。上も下も分からない程の暗闇に、ピアノがある。そしてスツールに腰掛けたモーニング姿の若い男性が、そのピアノで静かなメロディを奏でていた。
 歩けば軋む校舎の影は何処にもない。一筋の光が、ピアニストとピアノを照らし出していた。
 男はシュラインに気づくと演奏の手を止め、白い指をシュラインに伸ばしてきた。
「一人で寂しかった所です。良かったら、一緒に歌って頂けませんか?」
 シュラインが一歩踏み出すと、突然周囲に群衆が湧いた。一斉に手を打ち鳴らし、シュラインに笑顔を向ける。人々は皆、フォーマルに身を包んでいた。
 気が付くと、いつのまにかシュラインもドレスを身に纏っている。袖の無いロングチャイナだ。光沢のある血のような赤に、黒い蝶が舞っている。胸元は大きく開き、右側に腿から裾まで長いスリットが入っていた。
 だが、そんな変化にも、シュラインは全く動じなかった。
 幻影──
 これが話に聞いた邪妖精の罠なのだ。シュラインを油断させ、その間に命を奪おうとしている。相手の手の内が見えていれば恐くは無い。
 シュライン静かにピアノの傍らに佇んだ。
「私でお役に立てればいいのだけれど」
「ありがとう、貴女のような女性と演奏が出来て、僕は幸せです」
 男はそう言って微笑した。『心からの』と言うより、『心の無い』微笑だった。
 シュラインも笑い返す。
「それで、何を歌えばいいのかしら」
「何でも。貴女が歌いたい歌を弾きましょう」
 観客は黙りこくって、シュラインを見つめている。男と同じような笑みがどの顔に貼り付いていた。
「そうね……、こんなのはどうかしら」
 シュラインは深く息を吸い込んだ。
 そして次の瞬間吐き出したのは『音』だ。唄でも無ければ、声でも無い。脳天を突き破るような、凄まじい威力を持った高音域の周波数。人間の聞き取れる限界を通り越したそれが、邪妖精達の耳をまともにつんざいた。
 刹那、周囲を取り囲んでいた闇が失せた。幻覚は消え、体長十五センチほどの小さな妖精達が、バタバタと通路に落ちて行く。
「ギギッ、ギイイイィィィ!」
「失礼ね。これでも唄は上手いんだけど……」
 シュラインは静まりかえった校舎内で、小刻みに痙攣する邪妖精を見下ろした。当分は起きあがって来そうもない。
「先を急ぎましょ。確か……三階だったわよね」
 シュラインは階上を見上げた。そこにはただ闇と静寂があった。

■■ 奪還 ■■

 階段は踏みしめる事に、ギシギシと鳴いた。
 シュラインは極力音を殺して、三階へと辿り着いた。
 一階には死人。二階には怪しき精。セツの捕らわれている三階にも、もちろん何かがいるはずだ。
 シュラインは右手に向かって延びる廊下の先を見つめた。
 いる。
 それは確かにそこにいる。
 突き当たりのドアの前に何かが横たわっている。
 シュラインはポケットの中の物を握りしめた。二十センチほどの長さのペンだ。シュラインが唯一持参した武器である。それがあるのを確認して、シュラインはゆっくりと歩きだした。
 寝ているのだろうか。『それ』はピクリとも動かない。
 十メートル。
 シュラインはそこで立ち止まった。
 『それ』が動き出す気配は無い。シュラインは再び歩きだした。
 五メートル。
 犬だ。『それ』は真っ黒な毛をした、大きな犬だ。赤い舌が口からだらしなく零れていた。犬は眠っているように見えた。
 二メートル。
 やはり犬は動かなかった。シュラインは息を飲んで、黒い毛の塊を見つめた。
(……変ね。生きてるのかしら、これ)
 シュラインはペンのキャップを犬の鼻面に転がした。だが、犬の反応は無い。
 接近して犬を見下ろしたが、犬は四肢を投げ出して倒れたまま動かなかった。
(もしかしてさっきの声でのびちゃったのかしら)
 犬は耳が良い。そして音は上にのびる。先程、シュラインが邪妖精に放った音は、階を貫いてここまで届いたに違いない。
 犬は脳震盪を起こし、倒れていたのだ。
 幸運だとしか言いようが無い。シュラインは犬の脇を抜け、扉の前に佇んだ。『図書室』と言うプレートが、天井から下がっている。
(ここで間違いないわね)
 シュラインが扉に手をかけた、その時──
『助けて!』
 強い思念がシュラインの頭を走り抜けた。
 緊迫したセツの声だ。シュラインは勢いよくドアを開けた。
「周防さん!」
 ガランとした部屋の中央に白衣の男と娘がいた。娘は置かれたイスに縛り付けられ、猿ぐつわをはめられている。男は掴んでいた娘の肩から手を離して振り返った。
「貴様……どこから迷い込んだ? ここがどこか知っているのか?」
 男はシュラインをギロリと睨んだ。娘は疲れ切った顔を上げて、シュラインを見つめている。
 シュラインはセツに向かって「大丈夫」と頷いた。
「ええ、知ってるわ。『虚無の境界』の処分場よ」
 男は歯噛みした。禿げ上がった広い額と、神経質そうに落ちくぼんだ目。それが怒りに燃えている。シュラインは身構えた。
「そうと知っていて、一人乗り込んでくるとはな。何ともおめでたいでは無いか。君の勇気を称えて、私が良い物をやろう!」
 パァアン!
 頭上の電灯が突如爆発した。砕け散ったガラスの破片と共に、男がシュラインに襲いかかる。その手に短刀が光った。シュラインはポケットに手をやると、素早くペンを取りだした。
「死ねええええぇぇぇ!」
 男は咆哮しながら、シュラインに突っ込んでくる。
『ギギッ、ギイイイィィィ!』
 シュラインは先程聞いた邪妖精の声を発した。男の目が、一瞬宙をさまよう。まさか目の前の女が、そんな声を出すとは思ってもみなかったのだろう。声の主を無意識に捜したのだ。シュラインはその隙を見逃さなかった。男の刃を右に躱すと、振り返りざまその首筋にペンを突き立てた。
 素早く一度ノックする。
 男は首を押さえて、シュラインを振り返った。
「な、何をした」
「さあ、何かしら。今に分かると思うけど」
 男は目を剥いた。ブルブルと震える手を自分の顔の前に翳す。
「何をした……何をしたんだ!」
 ウワアアアアァァァ!
 男は絶叫し、剣を振り上げた。が、突然膝を付くと、男はその場に崩折れた。
 シュラインはペンを放り投げ、素早くセツの猿ぐつわを解いた。
「さ、早くここを出ましょう。皆、いつ普通に戻るか分からないの」
「皆?」
「犬や妖精よ。外で気絶してるの。この麻酔は当分醒めないと思うけど……」
 解縛されたセツは、男に目をやった。男は俯せで目だけを大きく見開いている。その先にはペン型の携帯用注射器が転がっていた。シュラインはこの中に、即効性の麻酔を込めてきたのだ。男は悔しげに唸った。
「走れるかしら?」
 シュラインが問うと、セツは頷いた。目にありありと感謝の念が浮かんでいる。
「はい、あの──」
「お礼は後。ともかくここを出るのが先決だわ」
 言いかけた言葉をシュラインはそっと押しとどめた。今は時間が惜しい。セツにもそれは分かっているのだろう。素直に言葉を飲み込んだ。
「はい」
 アリガトウゴザイマス──
 間髪置かず、頭に響いた言葉。
 思った事を隠しておけないテレパシスト、周防セツにシュラインは思わず苦笑した。
「先に言われちゃったら、何としても無事にここを出ないといけないわね」
「ご、ごめんなさい」
 セツの顔に、照れた微笑が浮かんだ。

■■ 水の報告書 ■■ 
 
『こうして周防セツの一件は、シュライン・エマの手によって無事解決した。邪妖精に一体どう立ち向かったのか──何でも、彼女は唄を歌って切り抜けたそうだが、ぜひともそれを聞いてみたいと頼むと、聞かない方が良いと断られた。彼女はもしかすると、壮絶な音痴なのかもしれない。それで邪妖精共が、倒れてしまったのでは無いだろうか。ともあれ、聞かない方が良いと言うので、これ以上詮索するのは止めておこう。シュラインには大いなる感謝を──』


                        終わり