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<PCシナリオノベル(シングル)>


鬼社

「仕事を寄越せ、草間」
スッパーンと、蝶番の限界まで勢いよく小気味よく扉を開いた扉は、反動にそのままキィ…パタン、と戻って閉まった。
 草間探偵事務所内の人間がその一瞬で視認出来たのは、上質の黒いスーツに身を包んだ長身、開襟シャツの胸元から覗く雫のような紅の鮮やかさ。
 そして改めて。
 沙倉唯為は、今度は用心深く、取っ手を握っての入室した。
 所長の草間は先の扉の勢いでジャケットに落ちてしまった煙草の灰を払いながら、来客を出迎える。
「しばらく顔を見なかったじゃないか、沙倉」
「本業が忙しくてな」
ちょっと気まずかったのか、憮然とソファに腰を落とす…全体的に鋭い印象の顔立ちを、垂れた目が和らげそうなものだが、不遜なまでに自信に満ちた銀の瞳がそれを許さないでいる。
 本業…草間はしばし悩む。
「あぁ、そういえば十桐の顔もしばらく見てないな」
本業=朔羅弄り、と、草間興信所関係者の内では当然の如くな図式に手を打つに、唯為は手にした長い袱紗をガッツリと草間の頭頂部を叩きつけた。
「春秋は舞台が忙しいんだ」
忘れがちだが、唯為は能のさる流派の当代として本家を率いる身である。
「一息ついたはいいが、最近平和ボケで腕が鈍ってな。そんなワケだ。寄越せ。仕事を」
ソファにふんぞり返っての言に、草間は痛む頭をさすりながら、逆らわないがいいと手元の資料を漁る。
「コレなんかどうだ?」
その古い寺は、住職が没してから跡目を継ぐ者もなく、荒れ果て、朽ちるに任されていたのだが、其処の本尊と思しき影が周囲の住民の夢枕に立つようになり…。
「却下だ」
唯為はピッ、と指で書類を弾いて草間に戻す。
「それなら、コレは?」
とあるビルで深夜毎時刻になると決まってFAXが送られてくる。社長に宛てたそれには会社を発展させるにあたって行ってきた様々な所行が綴られ、発信者は数ヶ月前に行方不明になった常務の…。
「却下だ」
ふん、と鼻を鳴らして、尊大な態度のまま唯為は草間に片手を開いて示した。
「腕が鈍っていると言ったろう。この俺が引き受けてやろうというのに正体にはっきりせん物の説得や、とっくにおっ死んでるヤツを成仏させるなんて仕事でいいと思ったのか?阿呆」
あまりに偉そうな態度にはぁ、さいで…と頷くしかない。
「調査だ説得だとかったるい事件は暇なヤツに回しておけ。そうだな…コイツでぶった斬って後腐れない、そんな事件はないのか」
コイツ、と片胡座をかいた膝に乗せた袱紗の包みは日本刀…伝家の宝刀、ならぬ妖刀、『緋櫻』である。
「そんな物騒な事件がそうそう転がってるとでも…」
流石に草間が反論しかけた所で、コンコン、と控えめなノックが扉を叩く。
「はい」
短く応じたのは、昨年の夏、草間に降って湧いた義妹、零…である。
 インターフォンがあるのに、何故ノック?と開かれた扉に視線が集まる。
「いらっしゃいませ。ご依頼ですか?」
その彼女の向こうに人の姿は見えない。
 しかし声は聞こえる…しゃくり上げる、子供の声だ。
「どうぞ」
彼女に促されて室内に招き入れられたのは…年の頃は10かそこらの小柄な少年…インターフォンに手が届かなかったのかと納得する。
「お、おねが…」
左手でしきりに零れる涙を拭い、ソファに座る唯為に固く握った右拳を差し出した。
「おねがい、しま…ボク、の友達、助け…下さ…」
小さな掌にはくしゃくしゃに握られた幾枚かの紙幣。
 草間は机から足を下ろし、少年に応接ソファを示した。
「話を聞こう」
零に柔らかく背を押されて腰を落ち着けた少年は、吃りながらその依頼を話し始めた。


『緋櫻』で軽く肩を叩くと、唯為は眼前に聳える鳥居を見上げた。
「これも日頃の行いかな」
親しく彼を知る者が聞けば、揃ってブーイングしそうな台詞を吐く。
 鳥居に掲げられた名は、もう読めぬ程に朽ちているが、地図を書きながらの少年の言葉を思い出す。
「みんな、いつもは『御社』って呼んでるんだ…おばぁちゃんはホントの名前は秘密だから、口に出しちゃいけないよッて…」
拙い文字で、駅からの道を懸命に記した…鳥居を模して四本の線を組み合わせた記号に横に添えられる本来の名は、『鬼社』。
 荒れ果て、詣でる者もなき社…大人ですらその境内に足を踏み入れるのは年に一度、神木とされる木に張られる注連縄が張り直される時のみ、近隣の子供達は外出を禁じられ、その日のみに訪れる神職も必ず二人が組みとなり片の手首を繋ぎ合っての作業にあたる、というから何ともものものしく厳重である。
 当然として、立ち入りを禁じられたその場所は大人の目が届かず、子供達の格好の遊び場になっていたのだという。
 そして今日、少年の友人が神木に登ろうと注連縄に足をかけた…途端に縄が切れ、木の中から現れた「女の人」に彼は掴まってしまったのだと…その女の額には角があったという。
「ボク…ボク、怖くって、そのまま逃げ……」
しゃくり上げる少年に、唯為はおもむろに立ち上がるとその隣にどっかと座り直した。
「鬼退治に子供の救出、リハビリにはなるだろう」
くしゃくしゃと少年の頭を撫でる。
「報酬はごらんの通りだが?」
机上にならべられた、くしゃくしゃと皺だらけの三千円を示す草間に唯為は不敵な笑みだけを向け、立ち上がった。
「捕われた子供を考えると、急いだ方が良さそうだな」
不安そうに唯為を見上げる少年の頭には、もう一度手を置いて。
「それから、生憎だがお子様からカツアゲする趣味なんぞ俺には無いんでな。後で友達と飴でも買って仲良く帰れ」
唯為にしてみれば端金でも、子供にとっては大金だ…辞退と約束に安心を与えてやる大人の余裕…というよりも懐の広いガキ大将、の感が強いのは何故だろうか。
 唯為の応意に、草間が短く零の名をび、少女は神社の場所を清書したメモを笑顔と共に唯為に手渡した。
「お仕事…頑張って下さい」
「こんな甲斐性なしの所だとろくな事もないだろう。辛くなったらいつでも言え」
「一言多いぞ沙倉!」
それでも否定は出来ない草間に笑顔を向け、唯為はその足で直ぐさま、件の社へ訪れた。
「立入禁止の上にご丁寧に注連縄…余程タチの悪い鬼がお住まいと見える」
鳥居の上部に飾られる縄は、侵入を阻む形で鳥居の中程…子供ならば潜って抜けれる程度の位置、に施されている。
 ザワ、と周囲の竹が梢を鳴らす。
 広い竹林を縫うように、ただ一筋だけ伸びた小路の遥か上部、枝先を併せて作られる竹のトンネルが陽を翳らせ、昼なお暗い緑陰を作り出している。
 この竹林も社と共に手入れは成されていないのか、所々に折れ朽ちて倒れ、重なる影に奥深くまで見通せない。
 風雨に晒されて剥げ落ちた彩はくすんで変色し、最早、朱と呼べぬ程に色褪せた鳥居、誰も詣でぬ祈りの場は見捨てられた感ばかりが強く、背筋を冷やすその空気を、凄寥、と呼ぶ。
「……うざい」
最も、そんな拒否に似た空気を意にも介さない人種も居るには居る。
 渋面に一言に、只人ならば後ろを見せて逃げ出しそうな場に対して何の頓着もなく、阻む注連縄を跨いで越した唯為は鳥居を越して途端、濃密な邪気に楽しげな笑みを浮かべる…妖狩りを生業とする者が、その程度の邪気で害を及ぼせよう筈もない。
「少しは楽しめそうじゃないか」
 竹林が鬱蒼と作り出す影は濃く、荒んだ印象を強め、それを更に助長するのは連ね鳥居…鳥居とは、神と人との世界を隔てながらも本来交わらぬはずの場を固定し、不浄を通さぬ結界の役割を果たす。
 が、詣でる者もなき社に異様な数で連なりながら朽ちるにまかせた…これは、外からの穢れを防ぐものではない。
 内から穢れを逃さぬ為のものだ。
「封じも全く無駄というワケでもなかったか」
それでも邪気に支配されきったわけでなく、まだ幾ばくか流れを感じさせて新鮮な空気も混じっている。
 ザリ、と靴底の感触が砂利に変わった途端に、視界が開けた。
 まず感じた違和感…神域を示して白い玉砂利、地に長く伸びた蛇のようなうねりに伸びる注連縄が歪な輪を作る、中心に聳える桜の古木。
 この盛りの季節に蕾の一つもなく、太い幹は醜く縦に割け、天へ伸びる枝は黒々と焼け焦げて救いを求めるように伸びる。
 その根本、倒れ伏す少年の姿を認め、唯為は表情を引き締めた。


 周囲の気配に気を払いながら、唯為は少年に歩み寄る。
 依頼主と同年配の、彼がどうやら友人か…首筋に指を宛てれば、確かな脈に生の証を見るに、安堵する。
「しかし……やり方が腑に落ちんな…その場で殺さん所を見ると、他に目的があるのか」
長く封じられていたのなら、飢えてもいようが。考えを纏める為の独言に、応えが返る。
「教えてやろうか?」
声は、彼の正面…山桜の内から響くように。
 そのごつごつとした樹皮の下から何の抵抗もなく指が現れた。次いで現れる手に腕に…唯為は少年を抱えて距離を保つよう、後退する。
 その間に、女…は桜の内からその姿の全てを現していた。
 透石膏のような白い頬に添って滑る長い銀の髪は足下まで流れ落ち、纏った着物は肩の真紅から裾へと向けて徐々に淡く変じて純白となる。
「教えてやろうか…お前も同じ道を辿る故」
もう一度繰り返す…その額に明確な二本の角が過たず、女が…鬼女であるのを示す。
「その気遣いは無用だ」
が、唯為は言下にそれを切り捨てた。
「何にせよ、生かしておいては俺の本業が成り立たんのでな、緋櫻で叩っ斬るまでだ」
連なる鳥居の一番手前、その元に少年を凭せかけ、唯為は膝を払いながら鬼女に向き直った。
「コイツで桜に憑く鬼を斬るとはな。何とも縁とはあったもんだ」
袱紗の紐を解く…切っ先を地に向ければ、絹で織られた藍鼠の布はするりと黒漆に滑る輝きを持つ鞘を顕わにした。
 拵えの意匠は緋に統一されている…その、刀の名に合わせてか。
「言い訳ぐらいなら聞いてやるがな」
唯為の自信を虚勢と取ってか、鬼女は袂を口元にやると小さく笑った。
「人如きが、敵うと思ってか」
ふぅわりとした声音に、笑い声は鈴のよう。
「戦に山を野を荒し、浄い流れを血で汚し…神たる我が身を貶めた人が」
続く哄笑に、長い銀の髪が揺れる。
「それでいて…土地を治める神を失うを怖れて、供物を捧げ続けた人が」
風に大きく撓むように…自身から発する邪気に空気が渦を巻き、人に有害なそれを唯為に叩き付ける。
「雷に燃えるを幸いとばかりに我が身を封じ…今まで護り続けた地を変えた人が!」
怒りからか。
 鬼女の背後に立つ桜が、音を立てて紅蓮に変じた。
 花の季節であったのか。盛りと誇る淡い紅が、舐めるような深朱に侵され、燃え散る。
 生木の、パチパチと水を弾いて燃える音までも再現して、怒りに囚われた鬼女…元々、土地神とされる自然霊であった存在は狂気のような笑いを納めた。
「それでも妾の土地に生きる者じゃ…供物と同様、花の一つに変えてやろう。そなたの血が妾を満たして咲く花は、美しかろうなぁ」
まるで少女が身を飾る品を選るを楽しむような風情で、燃える桜の幻視を負ったまま、鬼女はにこりと微笑んだ。
 毒気に自由を奪い、血を啜るが手段か。頭の隅で冷静に判じながら…唯為は、動けない。
 眼前に燃え盛る焔の乱舞、そこから視線を動かせない。
 …否、唯為の目は、今この炎を見ているのではない。
 肉の、髪の焼ける嫌な匂い、紅蓮の炎に横たわる人影が再度の命を与えられ息を吹き返したように、熱に灼かれて背を逸らし腕を上げる…ただ、ただ黒いばかりの影が救いを求めるように、逃れるように天へ伸ばした腕に、それを許さず焔は歓喜に似てむしゃぶりつく…『あれ』はもう母ではない。
 暖かな胸を白い肌を強い瞳を、その命の全てを。
 絶ったのは自分のこの手だ、焔を放ったのは自分の意だ。己の物でない紅い血潮に身を染めたまま、その最期の瞬間を…『緋桜』で以て命を絶つ、その手応えに母の死を己に言い聞かせるように、繰り返し、繰り返し。
 蘇る記憶に、忘却に封じた闇が目を覚ます…そしてそれは唯為の意識を己が座する場へと引き込む。
 抗いすら許されずに深奥へと堕ちる一瞬、彼の場を奪うそれが己と同じ顔を持つを認めるも…沈む闇は眠りに似て、記憶も痛みも何もかも優しく覆って唯為の意識を閉じた。


「ハ…ッ!」
まるで笑いのように、二つに身を折った唯為が空気を吐き出し…気配が一変した。
 痛みを堪える風で強く目元を覆った右手の指の間に固く閉じられていた目が開き…涼やかな銀から、燃える金へと変じた瞳が覗く。
「………名を」
声が変わる。
 それまでは自分、という自信に満ち、人としての体温を感じるそれとは違い。
「俺の名を、知っているか『緋櫻』」
冷たく凍る刃の温度で、己が胸に寄せた太刀へと問い掛ける。
 片頬だけに笑みを刻んで。
「血に滲む名ごときに封じられる、弱き者よ」
それは嘲りの笑み…手にした太刀に、眼前に立つ鬼女に…彼を取り巻く世界の全てを見下し嘲笑う。
「『櫻』、『唯威』の名の元に、汝、『緋櫻』の戒めを解き放つ」
スルリ、と鞘が自ら落ちた。
 顕れる刀身の白銀…浄く水に似た輝きを放つが故か、まるで、怨嗟に似た妖気を孕むに禍々しさが増す。
「貴様…?」
鬼女が何らかの動きを見せる、それよりも『唯為』の動きが早かった。
「血が好きなのか?お嬢さん」
妖気が鬼女の動きを奪う…邪気すらも制して場の空気を支配する、『緋櫻』の気配。
 ゆっくりと歩みを進め、『唯為』は鬼女の前に立った。
 『唯為』が浮かべる微笑はいっそ艶やかだ。
「奇遇だな、俺もだよ」
その言が終わらぬ間に、鬼女はふと視線を落とした。
 『緋櫻』を持って下げられた左手…刀身を濡らして滴る血が、己のものであると気付くに時間がかかった。
 地に無造作に転がる腕が…人を裂く為に鋭利な爪を持つそれが、己の腕であるという事にも。
「ぁ…あぁぁ!」
気が付けば痛みが弾け、鬼女は咄嗟に身を翻した。
 贄として捧げられる者の血を、ただ啜るに飽いて狩るように追った。
 無駄な、とせせら笑い、絶望に満ちた瞳を見るのが楽しかった…だが、今は自分が狩られるのだと。
 が、逃げる事すら許されなかった。
 長い髪をぐいと強く引かれ、背から重い衝撃に…胸を貫く刃。
「思った程にお前の血は悪くないな…俺も久しぶりだからな、楽しみたい」
刃が反転し、鬼女の胸を抉る。
「あぁ、見苦しい叫びは上げないでくれよ?興醒めも、いいトコだからな」
耳元で囁き、鬼女の口を押さえる手に苦痛の声すら封じる。
 反撃というにはささやかに…痛みを堪える為に半ば無意識にか、鬼女はその手に牙を立てた。
 鬼女の口から溢れた血で、既に染まっていた『唯為』の手から、また鬼のそれとは違う色合いの赤が溢れ落ちる。
 それに何の感情を見せる事なく冷徹な表情を保ち、『唯為』は鬼女の胸から刃を引き抜き、鬼女が膝から崩れる瞬間、鋭く『緋櫻』を横に薙ぐ。
 鬼女の衣が染まった…細い首から迸る血潮に染まってただ赤く。
 そしてその頭は、勢いに点々と赤い痕を残して遠く、玉砂利の上に、ぽつりと転がった。
「あまり長く楽しめなかったか」
玩具を壊してしまった子供の様子で、『唯為』は手の噛み傷から流れる血を舐め取る…間に、倒れた鬼女の体と首がさら、と灰のように崩れる。
 チャリ、と胸元に揺れる紅の雫を玩び、『唯為』は金の瞳に閃いた思いつきを口にした。
「…またいつもので遊ぶか」
最早、鬼女には一顧だにせず、黒のスーツに滲む血はそのまま『唯為』は抜き身の『緋櫻』を下げ、忘れられた社を後にした。