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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


どこまでも続く道
++ 青い目の人形 ++

 切羽詰まった書き込みがあったのは、平日の夕方だった。




【37】助けてください  投稿者:夕実

 何が発端なのか分かりません。
 なのでこれまでホール内で主催者の方などから断片的に聞いた話を、私なりにまとめて書こうと思います。
 この人形展は今私たちが閉じ込められているホールを貸しきって行われていました。素人の方々の人形を展示するというイベントのために、開催された当初はさほどの集客を見込んでいなかったのは事実です。そして数日が過ぎた頃でした。大きな荷物が開催者宛てに届けられたのです。
 執拗に梱包されていたそれは、一体の人形でした。
 黒い艶やかな髪と同じ色の瞳。日本的な顔立ちの人形は、人間にすればおそらく小学校高学年ほどの背の高さです。細い手足は人間と同じように関節があり、人間がとることのできるポーズのほとんどを可能とするほどの完成度でした。
 何より、それが展示されていた他の人形たちと違う点は、少女の人形がまるで今にも動き出すのではないかと思われるほどに完成度が高かったという一点にあります。それは他の人形たちとは明らかに違っていました。人形にさほど詳しくない私でも、その『違い』がはっきりと分かるほどに、レベルが違っているようでした。
 ダンボールに入っていたのは、その人形と一通のメッセージカードです。


『よろしかったら他の人形とともに展示してください。名は亜恵香と言います』


 青いバラが薄く印刷されたカードに、紺のボールペンで書かれていたのはそれだけでした。送り主の名前すら分からないままに、それでも亜恵香はその完成度故にホールに展示されるに至ります。そして、亜恵香の評判を聞きつけホールは連日多くの人々が詰め掛けるようになりました。
 けれど当時から、職員たちの間でとある噂が囁かれるようになったそうです。


『人の心とは、何処にあるのでしょう?』


 夜毎にホールですすり泣く声は、鳴き声の狭間にそう呟いていたのだと。
 そして、今に至ります。この空白に何があったのかは分かりません。気づいたら私たちはホールに閉じ込められました。そしてまるで見せ付けるように、少しずつ人が死んでいきます。
 これが私の知る全てです。
 助けてください。ホールには無残に切り裂かれた死体がたくさんあります。まるで玩具を壊すように簡単に、人が殺されてしまいます。逃げても逃げても追いかけてきて――ホールは死体と、抉りとられた心臓が散乱しています。このままでは私も……誰か早く助けてください。




 ホールのパソコンから、ゴーストネットへと書き込まれた文章。
 これが、全ての始まりだった。



++ 亜恵香について ++
 出かけるときは、足りなくなった事務用品を書い足しに行こうかと思っていただけだった。それが当初の予定とは裏腹に、商店街を通り抜ける頃には大きなスーパーの袋二つにまで膨れ上がってしまったのは、おそらく昼食近くという時間帯にあるのだろうと思いながら、シュライン・エマ(―)は草間興信所へと戻ってきた。
 そして、そんな彼女を出迎えたのは、ひどく機嫌悪そうな渋面をした草間武彦その人だった。
「どうしたの?」
「見れば分かる」
 言葉少なに事務所を指し示す指先を視線で追いかけ、ようやくシュラインは草間の不機嫌の原因ともいうべき存在に思い当たった。事務所のデスク――いつもシュラインが使用しているそこに陣取って、なにやら鬼気迫る勢いでモニターを覗き込んでいる人物がいる。おそらくは彼女――村上・涼(むらかみ・りょう)にまたもオッサン呼ばわりされたのが草間の不機嫌の原因であろう。だとしたら、おそらくそれは一時的なものに過ぎない。放置しておいたとしても問題はない。長年に渡る経験からか草間への接し方を心得ていたシュラインはそう判断し、とりあえず荷物を当然のように草間へと預けた。
 スーパーの袋を預けられた草間はしばし呆然と立ち尽くす。くわえていた煙草の先端からゆらゆらと立ち上る紫煙をしばし眺めた末に、ため息をついた。そして歩き出す。手にした袋の中身を給湯室にある小さな冷蔵庫へと移し変えるために。
「……うっわー……なんか見なかったフリしたいんだけど……」
 涼は画面を見ながら、自分の額をぴしゃりと叩いている。
 シュラインは小声で草間へと尋ねた。
「彼女、どうしたの?」
「少なくとも最初は就職活動中だったらしいが――ゴーストネットを覗いたあたりから雲行きが怪しくなったのは確かだな」
 詳しく事情を尋ねると、ネットカフェじゃ金取られるでしょーなどといいつつ就職情報を漁っていたらしい。だが世間は不景気――望む仕事など見つからず、こうなったらバイトでもしないと……という路線に変更をしてみたものの、現在草間興信所が抱えている事件はない。それを知ると涼は剣呑そうな眼差しで草間を睨みつけた末に、ゴーストネットの書き込みをチェックし始めた、ということであるようだ。
「ゴーストネット、ねぇ……」
 顎に細く形のいい指を置いて、シュラインは考え込むように首を傾げる。
 涼が座るデスクの上には缶コーヒー。おそらく自分で持ち込んだものであろう――暖かい紅茶でも淹れてやろうかとシュラインが給湯室に向かいかけると、再び涼が呟いた。
「いっそのこと逃げちゃおうかしらね――」
 逃げる?
 何から逃げるというのだろう――涼の呟きに興味を惹かれたシュラインは、涼の背後からモニターを覗き込んだ。そしてそこに書き込まれている内容を見たシュラインが、涼の肩にやんわりと手を置く。
「逃げるって、何から?」
「あー、いいのよもう――ちょうど今逃げられなくなっちゃったみたいだし……」
 苦笑しつつ涼はシュラインを見上げた。ひらひらと片手を振ってみせる涼に、シュラインは小さく笑みを返すと再びモニターに視線を向けた。


 その後、やはりこの切羽詰った内容の書き込みを放っておくことはできないという結論に達し、シュラインと涼は二人で亜恵香という人形についての情報を集め続けていた。
「青に拘り人間大の――それも人の話題に上るほどの制度を持つ人形となれば、作り手はかなり名の通っている人物である可能性が高いわね……」
 何故か草間は自分のデスクで、不貞腐れたようにして携帯をいじっている。視界の隅に映ったその姿に嘆息しつつ、それでもシュラインが言うと涼も頷いた。
「うん。そこらへんはかなりのセンで同意するけれど……でも本当に、毎夜ホールで泣いていたっていう声は『亜恵香』っていう人形のものだって思ってるの?」
 人形が涙を流す、その髪が伸びるといった話は古来よりいわくのある人形にはつきものといっても過言ではない。だがいくら人形そのものが精巧に出来ているとはいっても、涼にとってはにわかには信じがたい話のように思えてならない。
「この書き込みも、主観的で信憑性には疑問が残るところだけれど……けれど夜毎のすすり泣きも、そして今ホールで人々が心臓を抉られているという事件も、『亜恵香』によるものだと過程すれば、一種異様とも思える事件の動機は明らかだわ。それ以上に説得力のある理由は、今のところ思いつかないわね」
「動機……」
 呟き、涼は考え込むようにして再びモニターへと向かう。その顔が、弾かれたようにシュラインを見上げた。
「心がどこにあるのか、探しているの?」
「ええ、多分――心と命は切っても切れない。だからといって同一でもない。体を引き裂いたところで心は見えはしない。けれど『ない』わけではない――亜恵香はそれに気づいていないのね――」
「冗談じゃないわよ。心なんて、そんなもん簡単に視認できたら私の就職だってとっとと決まってるっつーのよ」
 苛立たしげに爪を噛んだ涼に向けて、携帯を弄ぶのに飽きたらしい草間が呆れたような声をかけた。
「君はどんな深刻な状況でも、結局はそこに結びつけるな」
「仕事がない現状もかなり深刻だと思うけど」
 ぎしり、と涼が椅子の背もたれに体重をかけ、両手を上に上げて背中を伸ばす。
 亜恵香に関する情報は無きに等しかった。唯一インターネット上で目にとまるのは、人形展が開催されているホールにて亜恵香を見てきたという人々の書き込みがほどんどだった。
 かちかちと、小さな音を立ててマウスを操作する涼と同じモニターを見つめていたシュラインが、ふと視線を止めたのは一枚の写真らしき画像が表示されてからだった。
 寂しげに僅かに目を伏せている瞳は、透明度の高い青。肌は白くなめらかで、触れればしっとりとした感触を指先に伝えることだろう。細い絹のような黒髪は腰近くまであり、少しの乱れすらない――それは、明らかに完成していた。人形に対しては素人であるシュラインや涼ですらも、この亜恵香には、これ以上手を加えることはできはしないだろうと確信できるほどに、それは完成しているように見えた。
 今にも動き出しそうだと――亜恵香を賞賛していた書き込みの一つを思い出し、シュラインは成程と頷く。
 そして涼もまた、モニターに表示された亜恵香の姿に食い入るように見入っていた。
「これが、亜恵香――?」
 涼の、かすれたような声にシュラインも言葉少なに頷いた。
「ええ……これは、本当に――動き出しそうだと、そう言われるのも頷けるわね」
 そう言ったシュラインが、横から手を伸ばしマウスを操作する。慣れた様子でメールソフトを立ち上げて新着メールをチェックすると、その中に一通――目を引くものを見つけた。
 亜恵香について、という件名で送られてきたメールの送り主は『ODD EYE HOWK』――何事かを思い出すかのように僅かに目を細めてみせるシュラインに、涼が問いかける。
「知り合い――?」
「面識は無きに等しいわ。でも有名人よ――誰も姿を知らないって評判の情報屋。連絡を取った覚えはないんだけれど……」
 だが、今シュラインたちが亜恵香についての情報を欲していることは事実だった。
 僅かではあるが躊躇はあった。だが最終的にシュラインがそのメールを見ることを決めたのは、やはり亜恵香という人形に対する情報が圧倒的に不足していたのが原因であろう。
 そして、メールの本文に書かれていたのは亜恵香がホールに送られてきたときのことと、人形師たちの間で囁かれている噂についてだった。


『人形師たちの間で、心ある人形を作ろうとしている人物がいるという噂が、だいぶ前から流れいるらしい。その人物はやはり青いバラの絵のメッセージカードを使用しているということだが、これはまだ事実関係の確認は出来ていない現状だ。
 ちなみに亜恵香がホールに送られたルートについて調べてみたが、宅急便などを使用した形跡はまったくない。ある日ホールの前に、カードと共にダンボールが置かれていただけのため、配送ルートからは亜恵香の製作者も、亜恵香に係わり合いのあるであろう人物すら浮かんでは来なかった。だが、一つだけ確信していることがある――亜恵香をホールに送りつけた人物は、亜恵香がどんな手段に出るか、そしてホールで何が起こるかを予測していたのだろうと。だからこそ、送り主は巧妙に自分の姿を、居場所を――そして記録に残る配送ルートを使わずに、亜恵香の入ったダンボールをホールの前へと置いていったのだろう』


 もしも、この情報が正しいのだとすれば、やはりホールでの惨劇は亜恵香が原因であるということになるのだろうか?
「どちらにしろ、危険なのは確かね」
 その言葉を受けた涼が、くるりと草間のほうを振り返る。
「ねえ、金属バットとかないのここ?」
 思わず草間とシュラインが顔を見合わせる。果たしてそんなものを何に使おうというのだろうか?
 浮かんだ疑問を、シュラインが口にする。
「あったらどうするの、それで」
「ソレ持ってホール乗り込むのよ。ホンネ言うとかなり逃げたいけど、でももう特攻かけるしかないじゃない。逃げたいんだけどね」
 逃げたい、というところをえらく強調しつつ、涼が肩をすくめてみせた。


++ それは何処に ++
 ホールに向かったシュラインと涼を出迎えたのは、無残に割られた自動ドアのガラスたちと、それをつらつらと眺めている人物だった。
 細身の眼鏡をかけた青年は、シュラインたちの姿を見つけると小さく笑う。眼鏡の奥の瞳は片方が黒く、もう片方が茶色――それを隠すための眼鏡とも思ったが、眼鏡のレンズに色が入っていないところを見ると、どうやらシュラインの予測は外れているようだ。
 彼の名前は東鷹栖・号(ひがしたかす・なつく)。
 シュラインたちと同じく、ゴーストネットの書き込みを見つけて、こうしてホールにやってきたということらしい。
「随分と派手ですね、これは」
 彼の言葉は、足元に散らばるガラス片を見てのことだ。
 胡散臭げに足元に視線を注いでいた涼が、ふと何事かを思いついたらしい。
「そういえば、さっき鞠と電話してなかった?」
「ええ――やっぱりホールに向かうって言っていたけれど……まさか……」
 涼とシュラインには、自動ドアのガラスを割った人物の見当がついているらしい。右手に金属バットを持った涼は、首を左右に振ってこきこきと鳴らしながら呟く。
「犬よ。間違いなく犬の仕業に違いないわよ」
 あながち間違いでもないだろう――そう思いつつ、シュラインは号へと声をかける。
「その奥に用事でも?」
「そんなところですね――これに、思い当たることがあるようですが」
 号は視線だけで足元のガラスを示す。よく見ればそのガラスは、割れているのではなくまるで鋭利な刃物のようなもので切断されていることが分かる。
「なくはないわ!」
 何故か涼が胸を張って答えた。彼女の答えの内容も気にはなる。だが気になるのはそれだけではなかった。号の視線がついつい、涼の持つ金属バットに向けられてしまったとしても、誰も号を責めることはできなかっただろう。
 何に使うつもりなのだろう?
 ひとしきり、自分の心の中でだけで幾つかの可能性を思い浮かべてみた号は、その中で一番確立の高そうなものを口に出してみる。
「ところでそれは武器のつもりですか?」
 するとやはり涼は胸を張って答えた。
「そうよ悪い! 本当はトゲトゲとかついていたほうが良かったんだけど、これしかなかったのよ。なってないわよね!」
「そんなモノが事務所に置いてある筈ないでしょう」
 呆れたように口を挟みつつも、シュラインはそっとホールの中へと一歩を踏み出す。それだけで、涼の顔に緊張感が走った。そして号も真剣そのもの、といった様子でシュラインと同じように足を踏み出す。
 ガラス片には、べっとりと血がこびりついている。
 そして、それはまるで何かを引きずったかのようにして延々と奥まで続いていた。
 こつこつと、小さな足音を立てて三人はホールの奥へと向かう――亜恵香という人形と、ホールで起きている事件を解決するために。


 むせかえるような血の匂い。壁や床にはべっとりと赤い液体が――明らかに血液らしきものが飛び散っている。中には肉片が転がっているところもあり、思わずシュラインたちは眉をひそめた。
「亜恵香、かもしれませんね」
 ホール内の惨状を見ると、号はことさら表情を変えるでもなく呟いた。まるで予想通りだとでも言いたげな彼の姿に、シュラインは小さく首を傾げる。
「私たちが考えていることは、多分一緒ね」
「亜恵香が、心のある場所を探していると?」
「ええ。そして亜恵香はおそらく、心臓が人の心もしくは――それに近いものであると考えたんじゃないかしら」
 血に染まった床をじっと見つめながらシュラインが答えた。
 破壊された自動ドアから受付を通り抜けてさらに奥へと進む。室内は全体的に薄暗い印象が拭えないが、それは照明が消えていることだけが原因ではないような気がする。
「亜恵香には、見つけることはできませんよ」
 号は林立するガラスケースの一つに片手を触れると、その中の物言わぬ人形をじっと見上げながら言った。
 そう、できはしない――それは号にとって、あまりに当然すぎた。
 人の心は掴めるものでも、形あるものでもない。亜恵香が心を入手すべく多くの人をその手にかけたのは、ホールの惨状から見ても明白だった。他者を殺害しても心を痛めることのない者に、見つかる筈などない。
「そう――そうね。けれど、『心を手に入れる』ということ以外の全てが目に入らないくらいに純粋なのかもしれないとも、思うわ。決して許されてはいけないと思うけれど、それでも――」
 シュラインの眼差しに、寂しげな光が浮かぶ。それに気づきながらも号はかけるべき適切な言葉が見つからずに視線をさ迷わせた。その視界に映ったのは、涼の姿。涼はこちらに向けてひょいひょいと手招きをしている。金属バットを抱え持ったままで。
「見て見て」
 涼たちが足を踏み入れようとしていたのは、展示室の一室。さまざまなポーズで立っている人形たちは、当然ではあるが血で汚れた室内の惨状などに見向きもせずに、ただそこに在った。展示された時のままで、少しも動きはせずに。
 涼が指差したのは、そんな人形たちが展示された室内のほぼ中央。
 ひときわ大きなガラスケースは内側から割られ、中には人形の姿がない。察するにあれが亜恵香の展示されていたケースなのだろうと思いながら、号はさらに涼の指先を視線で辿った。
 破れらたガラスケースの前に立ちすくむ少女は、涼や号たちにとって面識のない人物だった。だがその隣にいた黒髪の少女――崗・鞠(おか・まり)と、彼女たちを守るように背に庇い、警戒するような視線を周囲に向けている橘神・剣豪(きしん・けんごう)は涼とシュラインにとっては、もはや顔なじみに近いものがある。
「……犬……!」
 あくまで小声で呟いた涼の声に、それでも剣豪の聴覚は反応した。びしりと涼の方へと人差し指をつきつける。
「それやめろよな! だいたい誰が犬だ誰が!!」
「……他に誰がいるってのよ……」
 微妙にささやかな反論を試みる涼は恨めしげですらある。だが鞠の傍らに立っていた少女ががくりと床に片膝をつくと、慌てて――だが足音を立てないように注意しつつも小走りに駆け寄った。
 涼が少女を助け起こそうと左肩に触れたとき指先に伝わった濡れた冷たい感触。思わず自分の手に視線を落としてみると、右手はべっとりと血に染まっていた。それが自分のものでないことは涼自身が一番よく知っている。
 真っ赤に染まった手のひらに息を呑んだのは、シュラインも同様だった。そんな中にあって号の淡々とした声が問いかけた。
「亜恵香、ですね」
「悲鳴が聞こえて駆けつけた時、亜恵香さんらしい人形に襲われていたんです」
 答えた鞠の視線は、割れたガラスケースに注がれている。亜恵香はその中にいたのだろう。
「で、その亜恵香はどこ?」
 きょろきょろと周囲を見回す涼。
 散らばったガラス片と血の赤。それらを透明な眼差しで、超然と見下ろす人形達。
 ホール内で横たわっている人々の亡骸は既に冷え切っており、皆が一様に恐怖や苦悶の表情を浮かべている。シュラインは彼らの凄絶ともいえる最期に、我知らずぎゅっと自分の手を握り締めていた。
 許されてはならないことだ。
 たとえ、亜恵香がどれほどに純粋に心を求めていたとしても。そのために他者を――その命を無下に扱っていいなどということは決してない。
 膝をついていた少女は、しばし肩の傷の痛みに歯を食いしばって耐えていた。だがやがて号たちを見上げる。
 号は何故か直感した。この少女が、ゴーストネットにあの書き込みをした夕実という人物に違いない、と。
「気をつけて下さい……亜恵香は必ず襲ってきます。みんな最初は一緒の部屋にいたんです。けれど、少しずつ追い詰められて……一人ずつ消えていきました。そして……まるで心臓さえとってしまえばもう用はないとでも言いたげに、遺体を私たちの前に投げ出すんです……!」
「……あまりにも、残酷ね」
 シュラインが顔をしかめる。だが次の瞬間、彼女はぴくりと柳眉を跳ね上げた。
 ずるずると、何かを引きずるような音。シュラインの視線はごくごく自然に、音のする方――ホール奥にある廊下へと注がれる。
 額にじっとりと浮かぶ汗――それを拭いもせずに廊下を凝視するシュラインのただならぬ様子に、何かの訪れを察したらしい鞠たちもまた緊張にごくりと喉を鳴らした。
 シュラインにしか聞こえなかったその音は次第に大きくなり、やがては鞠の耳にも届いたのだろう。じっと奥に視線を注いだままで鞠が呟く。
「……あれは……まさか……」
 暗闇からゆっくりと姿を現したのは、一体の人形だった。そしてそれは涼たちにも見覚えのあるものだ。
「亜恵香――」
 震える声で、涼が呟いた。
 名を呼ばれたにも関わらず、亜恵香は透明なままの表情でじわりじわりと近づいてきていた。その右手に引きずっているものの正体を悟った夕実が、声にならない悲鳴を上げてその場に座り込んだ。
 亜恵香が引きずっているのは、もはや物言わぬ肉塊となり果てた人間だった。服の上から心臓だけを器用にも引きずり出したのだろうか――左胸にはぽっかりと空洞だけが見てとれる。
 あと数メートル――といったところで、亜恵香が歩みを止めた。どさり、という音と共に亜恵香と号たちの間に、男の遺体が放り出される。まるで物のように。
 その男は虚空に向けた眼差しをかっと見開いていた。命を失った瞬間の恐怖や痛みといったものを見るものに伝えるに十分すぎる表情だ。
 男を放り出すと、亜恵香の青い瞳が新たな獲物を探すかのようにホールをぐるりと見渡した。それに気づいたシュラインが夕実を立ち上がらせる。涼も思わず数歩、後退った。「体を裂いても、心は見えないのよ。それは元から目に映るものではないのだから」
 諭すように言ったシュラインの言葉に、亜恵香は音もなく首を横に振った。
「私には『心』がないから、ニセモノなの――心があれば、本物になれるって、言われたもの」
「誰にですか?」
 問いかけられた声に、亜恵香が声の持ち主である鞠を見つめる。静かに。
 しばし、視線を交錯させたままの二人。重ねるように再び鞠が問う。
「誰に、そう言われたのですか?」
「教えて、欲しい?」
 何か別の意味を含んでいるかのような、意味深な亜恵香の言葉の響きに嫌な予感を覚えた涼が、鞠の服の袖をちょいちょいと引っ張りながら囁いた。
「……なんか、やめといたほーがいいわよ絶対」
 涼が感じる予感は、鞠もまた感じていた。
 これ以上亜恵香の内面に踏み込むのは危険であると鞠も思う。だが、かつて心を捨てたいと願い、心の在処を考え続けたことのある鞠にとって、目の前の少女の人形は放ってはおけなかった。できることならば助けたい。
 制止しようとしていた涼の手をやんわりと押し留め、鞠が答える。
「けれど、放ってはおけません」
 そして、再び亜恵香を見つめた。目を逸らすことなく真っ直ぐに。
「教えてください。誰が、そんなことを?」
「いいわよ――アナタの心臓と引き換えに、教えてあげる――!」
「鞠たん!」
 亜恵香が滑るように距離をつめる。赤いマニキュアが塗られた――そう思った亜恵香の指先の赤は、マニキュアなどではなく人の血だ。剣豪がそれに気づき鞠の名を呼んだその時には、幾人もの人々の心臓を抉り取ったであろう指先は鞠の体――それも左胸へと迫っていた。
 逃げようにも、小柄な亜恵香の姿からは想像もつかないほどの強い力で押さえ込まれていてそれも叶わない。
 次に起こる惨劇を予測してか、ぎゅっと目を閉じていた涼が目を見開いた。振り返ると剣豪が走り出している。その光景をスローモーションで再生される映像のように感じながら、涼はそれでも咄嗟に計算していた。あと数秒、足りない――間に合うか、間に合わないかというぎりぎりのところ。ならばおそらく、自分が一番早い。
「その手を……離せってんのよ馬鹿!」
 ぶん、と金属バットを振りかぶったその手に、ぐしゃりとした感覚が伝わった。右肩をバットで強打された亜恵香は、華奢な肩を変形させたままでぐりんと、人にはありえない動きで涼のほうを振り返った。涼がバットを手から取り落とす。
「――やば……」
 鞠の危機に、咄嗟に手を出してはしまったものの、その後のことまで考えてはいなかった涼が冷や汗を浮かべた。床に転がったバットを再び拾い上げようとする涼を庇うようにして、鞠がその前に立つ。
「心は、目には見えないけれど存在はします――人だけではなく、存在する全てのものの中に――!」
「嘘」
 鞠の言葉を、亜恵香はきっぱりと拒絶する。
「亜恵香には、心がないからニセモノ、なの。パパは言ったもの。亜恵香が心が欲しいって、言ったら、それはパパにも、作ることは、できないんだって――パパも見たことないから、作れないんだって。だから自分で、探してごらんって――」
「心を作ることなど、できはしませんよ。そして他者の心を己が物とすることもまた不可能です」
 号の声が冷たく響く。
 亜恵香が首を傾げた。ぐしゃりと潰された肩と、その子供じみた動きのアンバランスさが不気味に感じられる。
「なら、人の心はどこから生まれるの? 誰が、作ったの? みんなが始めから、持ってるのに――どうして、亜恵香には、ソレがないの? ないなら、頂戴よ。持ってるんでしょう?」
 涼が金属バットを拾い上げたのを期に、再び亜恵香の興味が涼へ向いたのを察した号がちっと舌打ちした。迫り来る亜恵香に涼は金属バットを投げつけるが、亜恵香はそれをするりと避けた。バットはその後ろの、人形が展示されていたガラスケースを破壊した。
 ガラスケースの中で目を閉じていた人形の姿を、号が見上げて呟く。
「――援護くらいにはなるでしょう」
 剣豪が鞠と涼の元へと駆け寄り、亜恵香と向かい合う。シュラインは武器を探して周囲を見回すが、号はそんな彼女の肩にそっと手を添えた。
「じっとしていてください――動くとかえって危険ですから」
「そんなこと言ってられる場合じゃないでしょう!?」
 鞠や涼たちが目の前で危険に晒されているというのに、何故号は一人冷静でいられるのか? だがその疑問は、すぐに氷解するに至る。他でもない号自身の言葉によって。
「策はあると、そう言っているんですよ」
 目の前では剣豪が亜恵香の爪を、自身のそれで受け止めている光景。
 亜恵香は力を込めているようには見えない。にもかかわらず、剣豪は全力で振り下ろされた爪を受け止めていた。
「俺は――俺は人間じゃねーけど、でも体全部で一つなんだって思う……鞠たんに怒られたときとか、悲しくて胸が痛いことだってある――だけど心臓だけじゃないんだ。それだけとっても、それは心じゃないと思う。それは違うんだ――上手くいえないけど、でもそれは絶対に違うんだ――!」
「じゃあどうしたらいいの――! なんで、亜恵香にはないの!?」
「持ってるだろ! 心が欲しいって、それだってお前の気持ちで、お前の心じゃねーのかよ!」
「コレはニセモノだもの――本物じゃない、もの!」
「ニセモノとか本物とか、誰がそんなこと決めるんだよ!」
「――知らない、そんな、こと」
 唐突に冷静さを取り戻した亜恵香は、がしりと剣豪の首に自分の両手を絡めて抱きついた。そして愛らしい口元から覗く牙が、剣豪の首筋に突きたてられる。
「……畜生……!!!」
 亜恵香が振りほどけないと悟ると、剣豪はそのまま柱に亜恵香の体を叩きつける。その時だった――林立するガラスケースが次から次へと、破裂するように割れた。
「……どういうこと……?」
 ガラスケースを割ったのは、展示されていた人形達だった。
 シュラインが呆然と呟いている最中にも、動き出した人形たちは亜恵香を取り囲む。
 シュラインは知らない。人形たちを動かしているのは他でもない、号の力だった。テレパシストである彼は、無機物、有機物にかかわらず内部に侵入しハッキングともいうべき行為を可能にする能力者であった。
「見えるはずもない――その手にかけられて死んだ人々の痛みを理解しようともせず、ただ心を得るために簡単に他者を犠牲にする――そんな人に、心の在処など見えるはずなどありませんよ」
「嘘――!」
 牙を剥いた亜恵香が、人形達を飛び越え号へと爪を伸ばす。横にいたシュラインは思わず一歩足を退いたが、号はそれをしなかった。亜恵香が爪を振り下ろすよりも早く、号の操る人形たちがその前に立ちふさがった。
 無表情のそれらは、威圧感すら持って亜恵香と対峙していた。そして、自分と同じ存在である人形たちを前にした時に亜恵香が一瞬だけ躊躇したのを、剣豪は見逃さなかった。背後から剣豪の拳が、亜恵香の体へと叩きつけられた。細い体にぼこりと穴を開けられるほどの力に、亜恵香の華奢な体が吹っ飛んだ。
 鞠は、亜恵香を助けたいと思っているのだろう――それが分かるからこそ、剣豪は亜恵香を傷つけたくはなかった。だが、亜恵香が鞠たちに害なすとなれば話は別だ。
「馬鹿だ、お前――」
 悔しげな剣豪の呟きは、あるいは亜恵香を助けられない――けれど助けたいと思う二つの感情の狭間で悩んでいる故のものなのだろう。
「馬鹿だ、お前――本当は全部分かってるくせに、見えないフリして」
 透明な瞳が、剣豪を振り返る。そこに感情の色は見えない――だが、剣豪には見えた気がした。寂しげな何かが、そこに見えた気がした。
 亜恵香が、かしゃりと音を立てて床に崩れ落ちた。瞳に使われていた石がぽこりと床に落ちる――目の部分が空洞となってしまったにもかかわらず、亜恵香は手を伸ばす――剣豪へと。
 だがその手は届かない。
 ぐしゃりという音が響く。それは人形たちが、亜恵香という名の人形の頭を、叩き潰した音だった。
 奇妙な静寂が、場を支配していた。
「……終わった、の?」
「さあ、どうかしらね」
 涼の問いに、シュラインは複雑そうな面持ちで答えた。


++ 青の意味 ++
 不思議なことに、人形展での惨劇は報道されることはなかった。
 もっとも、唯一の生き残りであるあの少女――夕実は『あの事件は人形によるものだ』という主張をしているのだ。まさか人々はそれを信じようとはすまい。
「いろいろ調べたのよ――」
 草間興信所のソファに我が物顔で陣取っている涼に紅茶を出してやりながら、シュラインが言う。デスクでは草間はやはり渋い顔をしていた。おそらく客でもない奴に茶を出すのは経費の無駄であるとか、そんなことを言いたいのだろう。
「亜恵香の送られていたその時に、青いバラのメッセージカードが添えられていたって話があったのを覚えてる?」
「ああ、そういえばそんな話があったよーな……」
 涼はんー、と呟きながらこめかみをぐいぐいと押している。
 シュラインは頷いて、そして口を開く。
「『青いバラ』っていうのは――blue Roseは不可能だとか、在り得ないことだとか、そんな意味があるのよ。確か……青を発色させるための色素を、バラは持っていないの。だからいくら交配を繰り返しても、青いバラが生まれることはないと、そう言われていたの」
「不可能なこと、ね……亜恵香を生み出した奴は知っていたのかしら? 人形が心を得るなんて不可能だって」
「知っていた、んでしょうね」
 涼は面白くないのだろう。ソファの上にちょこんと置かれているクッションを抱えると、ぽかぽかと拳で叩いている。面白くないのはシュラインも同じだった。
 シュラインは使い慣れたパソコンに向かうと、インターネットに接続してさらに情報を検索する。その中に、幾つかの発見があった。
 それが希望に繋がるとは言いがたい。だが、シュラインは欲しかっただけだ。不可能と思えることにでも、僅かではあるが可能性はあるのだと。そう自分に信じさせることのできる『何か』を、そのための材料を求めていただけだ。
「でも、青いバラは生まれたのよ。不可能であると思われていたけれど、生まれたの」
 モニターには、薄い青の花をつけたバラの画像が表示されていた。


 青龍と呼ばれる薔薇がある。
 長年、生み出すのは不可能であると言われてきた青い薔薇が――。


―End―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【1056 / 東鷹栖・号 / 男 / 27 / 情報屋】


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■         ライター通信          ■
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 毎度ありがとうございます。よくよく思い起こしてみれば、シュラインさんは私が東京怪談を書き始めてけら皆勤賞だったような気がします。もしもよろしければ、どうぞ今後も是非お付き合いください。

 今回は他のPCさんのお話などにも目を通していただけると、これ一本を単体で読むよりもたた楽しめるのではないかと思います。もしも時間などありましたら、どうぞご覧下さいませ。