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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


どこまでも続く道
++ 青い目の人形 ++

 切羽詰まった書き込みがあったのは、平日の夕方だった。




【37】助けてください  投稿者:夕実

 何が発端なのか分かりません。
 なのでこれまでホール内で主催者の方などから断片的に聞いた話を、私なりにまとめて書こうと思います。
 この人形展は今私たちが閉じ込められているホールを貸しきって行われていました。素人の方々の人形を展示するというイベントのために、開催された当初はさほどの集客を見込んでいなかったのは事実です。そして数日が過ぎた頃でした。大きな荷物が開催者宛てに届けられたのです。
 執拗に梱包されていたそれは、一体の人形でした。
 黒い艶やかな髪と同じ色の瞳。日本的な顔立ちの人形は、人間にすればおそらく小学校高学年ほどの背の高さです。細い手足は人間と同じように関節があり、人間がとることのできるポーズのほとんどを可能とするほどの完成度でした。
 何より、それが展示されていた他の人形たちと違う点は、少女の人形がまるで今にも動き出すのではないかと思われるほどに完成度が高かったという一点にあります。それは他の人形たちとは明らかに違っていました。人形にさほど詳しくない私でも、その『違い』がはっきりと分かるほどに、レベルが違っているようでした。
 ダンボールに入っていたのは、その人形と一通のメッセージカードです。


『よろしかったら他の人形とともに展示してください。名は亜恵香と言います』


 青いバラが薄く印刷されたカードに、紺のボールペンで書かれていたのはそれだけでした。送り主の名前すら分からないままに、それでも亜恵香はその完成度故にホールに展示されるに至ります。そして、亜恵香の評判を聞きつけホールは連日多くの人々が詰め掛けるようになりました。
 けれど当時から、職員たちの間でとある噂が囁かれるようになったそうです。


『人の心とは、何処にあるのでしょう?』


 夜毎にホールですすり泣く声は、鳴き声の狭間にそう呟いていたのだと。
 そして、今に至ります。この空白に何があったのかは分かりません。気づいたら私たちはホールに閉じ込められました。そしてまるで見せ付けるように、少しずつ人が死んでいきます。
 これが私の知る全てです。
 助けてください。ホールには無残に切り裂かれた死体がたくさんあります。まるで玩具を壊すように簡単に、人が殺されてしまいます。逃げても逃げても追いかけてきて――ホールは死体と、抉りとられた心臓が散乱しています。このままでは私も……誰か早く助けてください。




 ホールのパソコンから、ゴーストネットへと書き込まれた文章。
 これが、全ての始まりだった。


++ 亜恵香について ++
「また、これは物騒な話だな――……」
 だがその口調からは、恐れや躊躇いといった感情は見えてはこない。むしろ面白がっているかのような、そんな雰囲気すら感じられた。
 薄い眼鏡のレンズ越しに、東鷹栖・号(ひがしたかす・なつく)はじっとパソコンの画面を見つめていた。ただつらつらと画面を眺めているように見えるが、その実彼は表示される情報のどれが自分にとって有益で、そしてどれが不必要であるのかを瞬時に判断し、より分けているのだ。
 そして、インターネットなるものを最大の武器として使用する存在としては、ゴーストネットと呼ばれる場所のチェックを怠ることはできない。その日も彼は情報屋として幾つかの情報を、それを欲するものたちに――勿論相応の報酬と引き換えに提供したばかりである。そしてその後に、彼は見つけた。夕実という人物がゴーストネットに書き残した言葉を。
 色素の薄いほうの瞳だけが器用に細められた。それは彼が紛れもなく、この件について興味を抱いた証でもある。
「ホールでのすすり泣きは、亜恵香が送りつけられてから――ならばやはりその泣き声は亜恵香もしくはそれに関わるものであると考えてしかるべきだ――やはり、亜恵香か」
 送り主が分かるのであれば、そのルートから亜恵香について調べるのが一番早い。だが、と号は思う。もしも現在ホールで起きている惨劇が本当に亜恵香の手によるものだとしたら、送り主の所在は不明であると考えるのが自然だろう。そう――亜恵香の犠牲になったか、あるいは亜恵香がホールでどんな行動に出るのかを知っていた。そのどちらかだ。そして今回に至っては後者である可能性が高い。
 何故なら、人形は梱包されていたのだ――何者かの手によって。
「人形は梱包されていた――ということは製作者は亜恵香がホールに送り込まれた後にどのような行動に出るかを予測していたと考えるべきだ。そうでなければ、亜恵香を梱包しメッセージカードを書いた第三者の存在が説明つかない。だが、そうなると配送ルートから調べをつけることは不可能だろうな」
 そう呟きながらも号は思いついたルートを調査すべくメールを打ち、そして自分の得られる情報を入手すべく行動を開始する。ホールが人形展を開始してから、そこに送り込まれて荷物の履歴。受領証の有無などを。
 亜恵香――彼女が求めるものとは何なのだろうか?
 彼女は本当に心の在処を求めているのだろうか? だが、それにしては彼女の行為はあまりに愚かだと号は思う。
 頭の隅でそういった考え事を進行させているにもかかわらず、号の手は休むことを知らぬかのごとく動き続ける。そして続々と彼の元に終結する情報の数々――それらは亜恵香のものや、人形に関するものなどが大半を占めていた。だが、そのどれもが確信に欠けていると思う。
 そう、決め手にはなりえないものばかりだ。
 だが、その中で第六感に訴えかけてくるものが一つだけあった。それは人形師たちの間で、近頃囁かれているという噂についてのようだ。


『心ある人形を作ろうとしている人形師がいるという噂が、人形師たちの間で囁かれているらしい。だが、果たしてそれが本当のことなのかどうかは分からない――』


 そして、同時に着信していたメールに気がつく。
 メールの送り主は時折、号の情報を利用している男からだった。興信所を経営しているという話を聞いたことはあるが、あくまでネット上だけのやりとりであるため詳しいことは知らない。その気になれば調べることは容易いが、それをしようという気にはならなかった。
 何事にも、ルールというものはある。彼が情報に見合うだけの報酬を用意してくれている限りは、このルールは崩すべきではない。それがプロの仕事であるとも思う。
 携帯から発信されたものらしいメールは、偶然だろうか――号が今調べている『亜恵香』についてだった。亜恵香に関する情報が欲しい、というものだ。
 いろいろなところで、『亜恵香』という人形をめぐって情報が、人々の思惑が交錯している。
「亜恵香――か……」
 ホールにて亜恵香を見たという人物の一人が、写真を取っていたようだ。ネット上に流出しているその写真を見た号は、思わず息を呑んだ。確かにこれならば、人々の話題に上るのも頷ける。むしろ思う。何故、これが動かない人形であるのかと――動いてもおかしくはない。むしろ、動いていたほうが自然なのではないか、と。
「…………」
 写真に見入っていた号が、ふと我に返る。
 モニターに開かれた幾つものウインドウ。そのうちの一つは、先ほどの男からの亜恵香に関する情報を求めるメール。
 号は先ほどの、人形師に関する噂を草間興信所へのアドレスへと送信した。
「人の心は、何処にあるのか――」
 それは、永遠の謎だ。おそらく誰にも解明できない。確固たる答えなど存在しない。
 だが一つだけ断言できる。
 人の心は、体を解体したところで出てきたりはしないのだと。
 モニターから体を離して椅子の背もたれにもたれかかると、号は薄く目を伏せた。


++ それは何処に ++
 ホールに向かったシュライン・エマ(―)と村上・涼(むらかみ・りょう)は、無残に割られた自動ドアのガラスと、それをつらつらと眺めていた号を目ざとく見つけたようだった。
 おそらく彼女たちもまた、自分と同じようにゴーストネットの書き込みに興味を抱いてやってきたのだろう。
「随分と派手ですね、これは」
 号の言葉は、足元に散らばるガラス片を見てのことだ。
 胡散臭げに足元に視線を注いでいた涼が、ふと何事かを思いついたらしくシュラインに問いかけている。
「そういえば、さっき鞠と電話してなかった?」
「ええ――やっぱりホールに向かうって言っていたけれど……まさか……」
 涼とシュラインには、自動ドアのガラスを割った人物の見当がついているらしい。右手に金属バットを持った涼は、首を左右に振ってこきこきと鳴らしながら呟く。
「犬よ。間違いなく犬の仕業に違いないわよ」
 あながち間違いでもないだろう――そう思いつつ、シュラインは号へと声をかける。
「その奥に用事でも?」
「そんなところですね――これに、思い当たることがあるようですが」
 号は視線だけで足元のガラスを示す。よく見ればそのガラスは、割れているのではなくまるで鋭利な刃物のようなもので切断されていることが分かる。
「なくはないわ!」
 何故か涼が胸を張って答えた。彼女の答えの内容も気にはなる。だが気になるのはそれだけではなかった。号の視線がついつい、涼の持つ金属バットに向けられてしまったとしても、誰も号を責めることはできなかっただろう。
 何に使うつもりなのだろう?
 ひとしきり、自分の心の中でだけで幾つかの可能性を思い浮かべてみた号は、その中で一番確立の高そうなものを口に出してみる。
「ところでそれは武器のつもりですか?」
 するとやはり涼は胸を張って答えた。
「そうよ悪い! 本当はトゲトゲとかついていたほうが良かったんだけど、これしかなかったのよ。なってないわよね!」
「そんなモノが事務所に置いてある筈ないでしょう」
 呆れたように口を挟みつつも、シュラインはそっとホールの中へと一歩を踏み出す。それだけで、涼の顔に緊張感が走った。そして号も真剣そのもの、といった様子でシュラインと同じように足を踏み出す。
 ガラス片には、べっとりと血がこびりついている。
 そして、それはまるで何かを引きずったかのようにして延々と奥まで続いていた。
 こつこつと、小さな足音を立てて三人はホールの奥へと向かう――亜恵香という人形と、ホールで起きている事件を解決するために。


 むせかえるような血の匂い。壁や床にはべっとりと赤い液体が――明らかに血液らしきものが飛び散っている。中には肉片が転がっているところもあり、思わずシュラインたちは眉をひそめた。
「亜恵香、かもしれませんね」
 ホール内の惨状を見ると、号はことさら表情を変えるでもなく呟いた。まるで予想通りだとでも言いたげな彼の姿に、シュラインは小さく首を傾げる。
「私たちが考えていることは、多分一緒ね」
「亜恵香が、心のある場所を探していると?」
「ええ。そして亜恵香はおそらく、心臓が人の心もしくは――それに近いものであると考えたんじゃないかしら」
 血に染まった床をじっと見つめながらシュラインが答えた。
 破壊された自動ドアから受付を通り抜けてさらに奥へと進む。室内は全体的に薄暗い印象が拭えないが、それは照明が消えていることだけが原因ではないような気がする。
「亜恵香には、見つけることはできませんよ」
 号は林立するガラスケースの一つに片手を触れると、その中の物言わぬ人形をじっと見上げながら言った。
 そう、できはしない――それは号にとって、あまりに当然すぎた。
 人の心は掴めるものでも、形あるものでもない。亜恵香が心を入手すべく多くの人をその手にかけたのは、ホールの惨状から見ても明白だった。他者を殺害しても心を痛めることのない者に、見つかる筈などない。
「そう――そうね。けれど、『心を手に入れる』ということ以外の全てが目に入らないくらいに純粋なのかもしれないとも、思うわ。決して許されてはいけないと思うけれど、それでも――」
 シュラインの眼差しに、寂しげな光が浮かぶ。それに気づきながらも号はかけるべき適切な言葉が見つからずに視線をさ迷わせた。その視界に映ったのは、涼の姿。涼はこちらに向けてひょいひょいと手招きをしている。金属バットを抱え持ったままで。
「見て見て」
 涼たちが足を踏み入れようとしていたのは、展示室の一室。さまざまなポーズで立っている人形たちは、当然ではあるが血で汚れた室内の惨状などに見向きもせずに、ただそこに在った。展示された時のままで、少しも動きはせずに。
 涼が指差したのは、そんな人形たちが展示された室内のほぼ中央。
 ひときわ大きなガラスケースは内側から割られ、中には人形の姿がない。察するにあれが亜恵香の展示されていたケースなのだろうと思いながら、号はさらに涼の指先を視線で辿った。
 破れらたガラスケースの前に立ちすくむ少女は、涼や号たちにとって面識のない人物だった。だがその隣にいた黒髪の少女――崗・鞠(おか・まり)と、彼女たちを守るように背に庇い、警戒するような視線を周囲に向けている橘神・剣豪(きしん・けんごう)は涼とシュラインにとっては、もはや顔なじみに近いものがある。
「……犬……!」
 あくまで小声で呟いた涼の声に、それでも剣豪の聴覚は反応した。びしりと涼の方へと人差し指をつきつける。
「それやめろよな! だいたい誰が犬だ誰が!!」
「……他に誰がいるってのよ……」
 微妙にささやかな反論を試みる涼は恨めしげですらある。だが鞠の傍らに立っていた少女ががくりと床に片膝をつくと、慌てて――だが足音を立てないように注意しつつも小走りに駆け寄った。
 涼が少女を助け起こそうと左肩に触れたとき指先に伝わった濡れた冷たい感触。思わず自分の手に視線を落としてみると、右手はべっとりと血に染まっていた。それが自分のものでないことは涼自身が一番よく知っている。
 真っ赤に染まった手のひらに息を呑んだのは、シュラインも同様だった。そんな中にあって号の淡々とした声が問いかけた。
「亜恵香、ですね」
「悲鳴が聞こえて駆けつけた時、亜恵香さんらしい人形に襲われていたんです」
 答えた鞠の視線は、割れたガラスケースに注がれている。亜恵香はその中にいたのだろう。
「で、その亜恵香はどこ?」
 きょろきょろと周囲を見回す涼。
 散らばったガラス片と血の赤。それらを透明な眼差しで、超然と見下ろす人形達。
 ホール内で横たわっている人々の亡骸は既に冷え切っており、皆が一様に恐怖や苦悶の表情を浮かべている。シュラインは彼らの凄絶ともいえる最期に、我知らずぎゅっと自分の手を握り締めていた。
 許されてはならないことだ。
 たとえ、亜恵香がどれほどに純粋に心を求めていたとしても。そのために他者を――その命を無下に扱っていいなどということは決してない。
 膝をついていた少女は、しばし肩の傷の痛みに歯を食いしばって耐えていた。だがやがて号たちを見上げる。
 号は何故か直感した。この少女が、ゴーストネットにあの書き込みをした夕実という人物に違いない、と。
「気をつけて下さい……亜恵香は必ず襲ってきます。みんな最初は一緒の部屋にいたんです。けれど、少しずつ追い詰められて……一人ずつ消えていきました。そして……まるで心臓さえとってしまえばもう用はないとでも言いたげに、遺体を私たちの前に投げ出すんです……!」
「……あまりにも、残酷ね」
 シュラインが顔をしかめる。だが次の瞬間、彼女はぴくりと柳眉を跳ね上げた。
 ずるずると、何かを引きずるような音。シュラインの視線はごくごく自然に、音のする方――ホール奥にある廊下へと注がれる。
 額にじっとりと浮かぶ汗――それを拭いもせずに廊下を凝視するシュラインのただならぬ様子に、何かの訪れを察したらしい鞠たちもまた緊張にごくりと喉を鳴らした。
 シュラインにしか聞こえなかったその音は次第に大きくなり、やがては鞠の耳にも届いたのだろう。じっと奥に視線を注いだままで鞠が呟く。
「……あれは……まさか……」
 暗闇からゆっくりと姿を現したのは、一体の人形だった。そしてそれは涼たちにも見覚えのあるものだ。
「亜恵香――」
 震える声で、涼が呟いた。
 名を呼ばれたにも関わらず、亜恵香は透明なままの表情でじわりじわりと近づいてきていた。その右手に引きずっているものの正体を悟った夕実が、声にならない悲鳴を上げてその場に座り込んだ。
 亜恵香が引きずっているのは、もはや物言わぬ肉塊となり果てた人間だった。服の上から心臓だけを器用にも引きずり出したのだろうか――左胸にはぽっかりと空洞だけが見てとれる。
 あと数メートル――といったところで、亜恵香が歩みを止めた。どさり、という音と共に亜恵香と号たちの間に、男の遺体が放り出される。まるで物のように。
 その男は虚空に向けた眼差しをかっと見開いていた。命を失った瞬間の恐怖や痛みといったものを見るものに伝えるに十分すぎる表情だ。
 男を放り出すと、亜恵香の青い瞳が新たな獲物を探すかのようにホールをぐるりと見渡した。それに気づいたシュラインが夕実を立ち上がらせる。涼も思わず数歩、後退った。「体を裂いても、心は見えないのよ。それは元から目に映るものではないのだから」
 諭すように言ったシュラインの言葉に、亜恵香は音もなく首を横に振った。
「私には『心』がないから、ニセモノなの――心があれば、本物になれるって、言われたもの」
「誰にですか?」
 問いかけられた声に、亜恵香が声の持ち主である鞠を見つめる。静かに。
 しばし、視線を交錯させたままの二人。重ねるように再び鞠が問う。
「誰に、そう言われたのですか?」
「教えて、欲しい?」
 何か別の意味を含んでいるかのような、意味深な亜恵香の言葉の響きに嫌な予感を覚えた涼が、鞠の服の袖をちょいちょいと引っ張りながら囁いた。
「……なんか、やめといたほーがいいわよ絶対」
 涼が感じる予感は、鞠もまた感じていた。
 これ以上亜恵香の内面に踏み込むのは危険であると鞠も思う。だが、かつて心を捨てたいと願い、心の在処を考え続けたことのある鞠にとって、目の前の少女の人形は放ってはおけなかった。できることならば助けたい。
 制止しようとしていた涼の手をやんわりと押し留め、鞠が答える。
「けれど、放ってはおけません」
 そして、再び亜恵香を見つめた。目を逸らすことなく真っ直ぐに。
「教えてください。誰が、そんなことを?」
「いいわよ――アナタの心臓と引き換えに、教えてあげる――!」
「鞠たん!」
 亜恵香が滑るように距離をつめる。赤いマニキュアが塗られた――そう思った亜恵香の指先の赤は、マニキュアなどではなく人の血だ。剣豪がそれに気づき鞠の名を呼んだその時には、幾人もの人々の心臓を抉り取ったであろう指先は鞠の体――それも左胸へと迫っていた。
 逃げようにも、小柄な亜恵香の姿からは想像もつかないほどの強い力で押さえ込まれていてそれも叶わない。
 次に起こる惨劇を予測してか、ぎゅっと目を閉じていた涼が目を見開いた。振り返ると剣豪が走り出している。その光景をスローモーションで再生される映像のように感じながら、涼はそれでも咄嗟に計算していた。あと数秒、足りない――間に合うか、間に合わないかというぎりぎりのところ。ならばおそらく、自分が一番早い。
「その手を……離せってんのよ馬鹿!」
 ぶん、と金属バットを振りかぶったその手に、ぐしゃりとした感覚が伝わった。右肩をバットで強打された亜恵香は、華奢な肩を変形させたままでぐりんと、人にはありえない動きで涼のほうを振り返った。涼がバットを手から取り落とす。
「――やば……」
 鞠の危機に、咄嗟に手を出してはしまったものの、その後のことまで考えてはいなかった涼が冷や汗を浮かべた。床に転がったバットを再び拾い上げようとする涼を庇うようにして、鞠がその前に立つ。
「心は、目には見えないけれど存在はします――人だけではなく、存在する全てのものの中に――!」
「嘘」
 鞠の言葉を、亜恵香はきっぱりと拒絶する。
「亜恵香には、心がないからニセモノ、なの。パパは言ったもの。亜恵香が心が欲しいって、言ったら、それはパパにも、作ることは、できないんだって――パパも見たことないから、作れないんだって。だから自分で、探してごらんって――」
「心を作ることなど、できはしませんよ。そして他者の心を己が物とすることもまた不可能です」
 号の声が冷たく響く。
 亜恵香が首を傾げた。ぐしゃりと潰された肩と、その子供じみた動きのアンバランスさが不気味に感じられる。
「なら、人の心はどこから生まれるの? 誰が、作ったの? みんなが始めから、持ってるのに――どうして、亜恵香には、ソレがないの? ないなら、頂戴よ。持ってるんでしょう?」
 涼が金属バットを拾い上げたのを期に、再び亜恵香の興味が涼へ向いたのを察した号がちっと舌打ちした。迫り来る亜恵香に涼は金属バットを投げつけるが、亜恵香はそれをするりと避けた。バットはその後ろの、人形が展示されていたガラスケースを破壊した。
 ガラスケースの中で目を閉じていた人形の姿を、号が見上げて呟く。
「――援護くらいにはなるでしょう」
 剣豪が鞠と涼の元へと駆け寄り、亜恵香と向かい合う。シュラインは武器を探して周囲を見回すが、号はそんな彼女の肩にそっと手を添えた。
「じっとしていてください――動くとかえって危険ですから」
「そんなこと言ってられる場合じゃないでしょう!?」
 鞠や涼たちが目の前で危険に晒されているというのに、何故号は一人冷静でいられるのか? だがその疑問は、すぐに氷解するに至る。他でもない号自身の言葉によって。
「策はあると、そう言っているんですよ」
 目の前では剣豪が亜恵香の爪を、自身のそれで受け止めている光景。
 亜恵香は力を込めているようには見えない。にもかかわらず、剣豪は全力で振り下ろされた爪を受け止めていた。
「俺は――俺は人間じゃねーけど、でも体全部で一つなんだって思う……鞠たんに怒られたときとか、悲しくて胸が痛いことだってある――だけど心臓だけじゃないんだ。それだけとっても、それは心じゃないと思う。それは違うんだ――上手くいえないけど、でもそれは絶対に違うんだ――!」
「じゃあどうしたらいいの――! なんで、亜恵香にはないの!?」
「持ってるだろ! 心が欲しいって、それだってお前の気持ちで、お前の心じゃねーのかよ!」
「コレはニセモノだもの――本物じゃない、もの!」
「ニセモノとか本物とか、誰がそんなこと決めるんだよ!」
「――知らない、そんな、こと」
 唐突に冷静さを取り戻した亜恵香は、がしりと剣豪の首に自分の両手を絡めて抱きついた。そして愛らしい口元から覗く牙が、剣豪の首筋に突きたてられる。
「……畜生……!!!」
 亜恵香が振りほどけないと悟ると、剣豪はそのまま柱に亜恵香の体を叩きつける。その時だった――林立するガラスケースが次から次へと、破裂するように割れた。
「……どういうこと……?」
 ガラスケースを割ったのは、展示されていた人形達だった。
 シュラインが呆然と呟いている最中にも、動き出した人形たちは亜恵香を取り囲む。
 シュラインは知らない。人形たちを動かしているのは他でもない、号の力だった。テレパシストである彼は、無機物、有機物にかかわらず内部に侵入しハッキングともいうべき行為を可能にする能力者であった。
「見えるはずもない――その手にかけられて死んだ人々の痛みを理解しようともせず、ただ心を得るために簡単に他者を犠牲にする――そんな人に、心の在処など見えるはずなどありませんよ」
「嘘――!」
 牙を剥いた亜恵香が、人形達を飛び越え号へと爪を伸ばす。横にいたシュラインは思わず一歩足を退いたが、号はそれをしなかった。亜恵香が爪を振り下ろすよりも早く、号の操る人形たちがその前に立ちふさがった。
 無表情のそれらは、威圧感すら持って亜恵香と対峙していた。そして、自分と同じ存在である人形たちを前にした時に亜恵香が一瞬だけ躊躇したのを、剣豪は見逃さなかった。背後から剣豪の拳が、亜恵香の体へと叩きつけられた。細い体にぼこりと穴を開けられるほどの力に、亜恵香の華奢な体が吹っ飛んだ。
 鞠は、亜恵香を助けたいと思っているのだろう――それが分かるからこそ、剣豪は亜恵香を傷つけたくはなかった。だが、亜恵香が鞠たちに害なすとなれば話は別だ。
「馬鹿だ、お前――」
 悔しげな剣豪の呟きは、あるいは亜恵香を助けられない――けれど助けたいと思う二つの感情の狭間で悩んでいる故のものなのだろう。
「馬鹿だ、お前――本当は全部分かってるくせに、見えないフリして」
 透明な瞳が、剣豪を振り返る。そこに感情の色は見えない――だが、剣豪には見えた気がした。寂しげな何かが、そこに見えた気がした。
 亜恵香が、かしゃりと音を立てて床に崩れ落ちた。瞳に使われていた石がぽこりと床に落ちる――目の部分が空洞となってしまったにもかかわらず、亜恵香は手を伸ばす――剣豪へと。
 だがその手は届かない。
 ぐしゃりという音が響く。それは人形たちが、亜恵香という名の人形の頭を、叩き潰した音だった。
 奇妙な静寂が、場を支配していた。
「……終わった、の?」
「さあ、どうかしらね」
 涼の問いに、シュラインは複雑そうな面持ちで答えた。


++ 青の意味 ++
「噂があるんですよ――」
 男はそう言った。僅かに潜められた声は低く、耳に心地よい。計算されつくしたような穏やかで洗練された物腰と、全てを見透かすような黒い瞳が何故か号の癇に障る。
 人形展はあの事件以降、中止された。さまざまなメディアがホール内部で起きた事件を解明しようと、あらゆる憶測や想像を書きたてているが、唯一の生き残りである夕実は頑なに『あの事件は人形が元凶です』といい続けているだけで、そこからは何ら捜査は進展してはいないようだ。それが当然であると号は思う。いくら精巧に出来た人形であったとしても、それが動いて――ましてや心を求めて人々をその手にかけていたなどということは、あまりに非常識だ。普通ならばありえない。
 ホールの前――あの日シュラインや涼と会ったその場所。
 中からは次々に人形たちが運び出され、会場は業者によって手際よく解体されている。その様子を遠くに見つめながら、号は問い返した。
「噂というと?」
「――『心ある人形を作ろうとしている人形師の話』です。果たして可能であると思いますか?」
「どうでしょうね。中には、動き出してもおかしくはないと思われるほどに精緻な人形もあるでしょう。けれど、心となると話は別です――」
 それは曖昧で、形を持たないのだから。
 号の言葉に、男は大きく頷いた。大げさとも思える動作は芝居がかっているようにも見える。まるで舞台を見ているようだ――指先の動きまで、全て計算しているに違いない。そんな奇妙な確信を抱きながらも、号は男から目を離さない。
「そう。たかが人形が意志を持つなど、ありえないことですよ」
 ならば、あの亜恵香という人形は何だったのだろう?
 少なくとも、亜恵香は動いた。心が欲しいと言っていた――それは意志あるが故の行為ではなかったのだろうか?
 何かを、言わねばならないような気がして号が視線を上げた。だがその時には、男は既にその場を立ち去るべく号に背を向けて歩き出している。
 数十メートル歩いたところで、男は小さな少女に笑みを向けた。少女は男を待っていたのだろう。男にねだるようにして右手を差し出すと、男はその手を握り返す。


「人形が心を宿す――それは、早急な手段で叶うはずなどない」
 男はちらりと号を振り返り会釈する――そして笑みを浮かべたままで、号には聞こえないことを承知の上で呟いた。少女の手を取ったままで。
「それは、どこまでも続く長い――長い道のりの末にあるべきものなのですから」
 男が手の中から二つの石を――どこかで見たことのある青い石を床に落とし、踏みつけた。


 ぱりんと、乾いた音がした。


―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【1056 / 東鷹栖・号 / 男 / 27 / 情報屋】


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■         ライター通信          ■
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 再び発注どうもありがとうございました。久我忍です。
 今回のお話で微妙なところで微妙に他の方のお話と関わっていたりします。書いていて非常に楽しめました――私が楽しんでどうするんだという話もありますが、もしもこれを読んで、そして面白いと感じていただけたら光栄です。


 毎度毎度亀のごとき歩みで、発注者の方をギリギリまてお待たせしてしまって申し訳なく思っております。どうぞまたご縁がありましたらよろしくお願い致します。