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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


宙からの手紙


*4月4日(金)午後4時

「これなんです…」
 そう言って、草間の目の前に座っている少女は白い封筒を学生鞄から取り出した。学校帰りなのか、濃茶を基調としたセーラー服姿である。切り揃えられた長い黒髪、切れ長の目と揃う和風の美人だった。名前を藤則・順(ふじのり・じゅん)と言う。都内の高校に通っており、この春からは高校3年生になる。
 順がテーブルに置いた、その素っ気無い白い封筒を草間は取り上げた。表には『藤則 順 様』と唯だ宛名があるばかりである。勿論差出人は書かれていない。
「この宛名の筆跡に憶えは?」
 草間の問いに、順は首を横に振った。
「良く、分かりません」
 まっすぐに草間を見つめ、順はきっぱりとそう言った。
「人の字を見る機会はあまりないので…」
「時代だな」
 順の言葉に草間は軽く笑った。


「お手紙、預かったのですね」
 順の帰った後、テーブルに残された茶器をさげながら零が聞いた。
「ああ」
 早速煙草を取り出すと草間は火を着けた。
「誰が、どうやって、何の目的でこの手紙を届けているのか…」

 その手紙が届いたのはつい3日前だという。順の自室、2階の部屋へ直接届いたのだ。深夜、勉強をしていた順がふと後ろを振り返ると、絨毯の上に白い封筒が落ちていたのだと言う。

 零は封筒を手に取り、中から1枚の紙片を取り出した。他には何も入っていない。

----------
妻、に    帰途、の念   火事場、
その君    奈、落さ    顔、と傷
鱗と、辰   行くよ
----------

 真白い紙片には宛名と同じ筆跡で、唯だそれだけが書かれていた。奇妙な文である。

「何か意味があるのでしょうか?」
「どうだろう。…あるような、ないような」
「そうですね…」
「まあ手紙を処分して欲しいって依頼だから、内容は関係ないかもしれん」
 草間は灰皿に煙草の灰を落とした。
「処分…」
「急に部屋に現れて、差出人不明。しかも中身はこれ。気味が悪いと、捨てても何故か戻ってくる」
「まあ…」
「…とりあえず誰か来るまで仕舞っておくか」
 やはり誰かに押し付けるらしい草間は、言って小さい金庫にその手紙を保管した。
 念のため、と鍵をかける草間の様子を見ながら零がぽつりと呟いた。
「今、開けたら無くなっていたりして…」
「まさか」
 草間が零に向かって笑ってみせた。


 数時間後、家に着いた順からの電話で金庫を確かめてみると、やはり手紙は消えていた。

――手紙は順より先に部屋へ戻っていたからである。


*4月5日(土)午後3時

「失礼します…」
 興信所のドアをそっと開けた優姫は、久しぶりのその光景に少しだけ目を細めた。なんとなく薄暗い事務所、古びた壁紙。ここは少しも変わっていない。
「よお…」
 零に掃除を手伝わされていた草間が、優姫の姿を認め声をかけた。
「お久しぶりです」
 入り口近くから優姫はそっと微笑むと静かに頭を下げた。


 応接ソファの草間と優姫に熱いコーヒーを運んで来た零は、自分も草間の傍に腰掛けた。
「しばらく来ないから、…そうだな、もう目的を果たしたのかと思っていたが…」
「…」
 草間の言葉に、優姫は目を臥せるとゆっくり首を振った。
「年が明けてから実家の方が忙しくて。顔が出せなかったのです」
「…そうか」
 草間は熱いコーヒーに口をつけた。優姫は兄を探すために、この興信所へ足を運んでいた。今日、挨拶の為とは言え、ここを訪れたということはまだその目的は達せられていないのだろう。
「もう、お家の方は大丈夫なのですか?」
 零は優姫に向かって首を傾けると、そう聞いた。
「はい」
 それだけ言うと優姫はうなづいて、出されたコーヒーから立ち上る湯気を見つめた。草間はそんな優姫の様子を見ながら、躊躇いがちに一件の依頼を切り出した。
「手紙…?」
 優姫は小さく驚いた表情で草間に尋ねた。
「久しぶりに早速で悪いんだが、ある手紙を処分してくれという依頼でな。…生憎、今ここにその実物はないんだが…」
「…手紙を、ただ処分すれば良いのですか?」
 優姫の言葉に草間は軽くにやりと笑い、今までのあらましを話し出した。



*4月6日(日)午後2時半

 十桐・朔羅(つづぎり・さくら)が興信所の前を通りかかると、ちょうどビルの階段を一人の少女が登っていく所だった。
 例の手紙の依頼者だろうか。朔羅は草間から聞いていた話を思い出した。
 彼女は手紙が部屋へと戻っているのをみつけるその度に、何度もこの興信所へと持ってくるという。余程手元に置いておきたくないのだろう…まるで手紙自体が呪われたものでもあるかのように。
 
「もし」
 階下から聞こえた凛と通る声に少女は足を止め、長い黒髪を揺らし静かに振り返った。振り返ったその先、階段の下には和服姿の青年が佇んでいた。陽を集めて銀色に輝く白い髪が目を惹く。見知らぬ人物に軽く首を傾け、少女は口を開いた。
「なんでしょうか?」
 暗い色目を選んだ服装が理由ではないだろう。静かなその物言いこそが、この年頃の少女にしては妙に落ち着いた印象を与える。
「この興信所に用か?」
「はい…。あなたは?」
 階段上からでは失礼だと感じたのだろうか、少女は下りてくると朔羅の傍へと立った。
「私は、この興信所の手伝いをしている。貴女は、藤則、順だな?」
 少女は朔羅の言葉を聞くと、少し目を見開きゆるゆると首を振った。聞き覚えのある名前。確か、優姫が今日ここを訪れる理由になった依頼の、依頼主だったはずだ。
「いいえ。私は砂山優姫と言います。あなたと同じく…、そうですね。取り敢えず、事務所へ入りませんか?」
 優姫は話を途中で切り上げると、朔羅を興信所へ促すようにもう一度首を傾げた。



*午後2時35分

 優姫はゆっくりとドアノブを回し、興信所のドアを開いた。
「こんにちは」
 明るい陽射しの下から室内に入ったからだろうか、妙に薄暗く感じる。後から入る朔羅のために、後ろ手にドアを支えながら優姫は中へと入った。
 優姫の後に続いた朔羅は衝立ての向こうに人の気配を感じてふと耳を澄ませた。
「客人か…、いや、違うな」
 数人で何やら話しているようだったが、その口調が所謂客の物ではない。
「あ、いらっしゃいませ」
 入り口で立ち止まった二人に気付いた零が奥から声を掛けた。手に丸い盆を持ち、にっこりと微笑んだ零は挨拶と同時に軽く頭を下げた。
「皆さん、お揃いです」
「皆さん…、ですか?」
 零の言葉に首を右に傾け、優姫が鸚鵡返しに聞き返した。いったいどういった『皆さん』なのだろうか?
「はい」
 再びにっこりと微笑む零。
「まあ、とりあえず行こう」
 朔羅は構わず衝立ての向こうへと進んだ。客でないなら遠慮する必要はない。優姫もその後へ続いて行った。

 衝立ての向こう、応接用のソファでは例の紙片を囲んで三人が思案している真っ最中だった。
「うーん。鱗、…辰?海か河に関係する場所を表している、とかかしら…?」
 シュライン・エマ(・)は赤いボールペンを持った右手の親指を頬にあて、何やら難しい顔で単語を口ずさんだ。赤ボールペンはゆらゆらとリズムを取るように揺れている。
「いや、こういうもんは単語に意味ないんとちゃうかな?この『、』の付き方とか不自然で、怪しいと思ういますよ」
 今野・篤旗(いまの・あつき)も同じく難しい顔を両手で挟み込んで座っている。その隣で瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)がカリカリと紙片の文面をメモ用紙に写し取っている所だった。
「嫌がってた割にはやる気やん?」
 そう言ってにやりと笑う篤旗を煙たそうに見遣ってから、昨日依頼のあらましを話してやった同居人からの言葉を隼は口にした。
「くり返し手紙が送られてくるって事は、それだけ強く伝えたい事があるって事で…こっちに被害を被るようなことがないなら出来るだけそういう物は聞いてやった方がいい、そうだ」
「…伝聞なのね」
 シュラインが隼の語尾を捕まえて指摘する。
「なんや。そこまで言われてここに来たって事は、最初(はな)から手伝う気やったんやないか。素直やないなあ」
「いや、今のはアイツが言っていただけで、俺は…」
「はいはい。あ、シュラインさん。僕らも文面写しておいたほうがいいですやろか?」
「そうね。手元に手紙がないと作業が進まないってのもちょっと不便よね。実はその手紙ってコピーできなかったのよね…」
「おい…、聞いてるのか?」
「いやあ、でもよう手綱握ったはるわ…、シュラインさんとええ勝負やな」
 シュラインの目が鋭く光る。
「今野君、何か言ったかしら?」
「え?…いやあ…気のせいとちゃいますか?」
 慌てて取り繕う篤旗に隼はそれ以上は何も言わず、苦笑した。ペンを置き、代わりにコーヒーの入ったカップを手にすると一口啜って一息つく。窓から入ってくる春の風が心地良い。
「ん?」
 ふと上げた隼の視線が朔羅と優姫を捉えた。客だろうか…?
 顎を上げて合図する隼にシュラインが振り返ると、二人の人影に気付く。その奥からは零が新しいお茶を運んで来ていた。
「お客さん…ではないわね。いらっしゃい」
 シュラインに微笑みかけられた優姫は、僅かにすっと口元を上げた。優姫の隣で朔羅はテーブルに置かれた封筒と紙片に目を遣り、ここに居る者が依頼に関わっている事に思い至る。先日草間の言っていた例の手紙が興信所へと届けられたのだろう。
「すまないが、その手紙。処分する前に少し調べさせて貰えないだろうか」
「私からもお願いします」
 それは、同じ依頼に関わった二人の一致した見解。
「僕らもまだ処分しようとは思ってま…せん…。え?優姫ちゃん?」
 二人の言葉に顔を上げた篤旗の動きが、優姫を見て一瞬固まった。
 その声に、優姫が見遣った先に見覚えのある人物。
「篤旗さんも…」
 あらあら、と優姫、篤旗の共通の友人であるシュラインがこっそり苦笑した。
「とりあえず二人とも、座ったらどうかしら?零ちゃんがお茶を煎れてくれたみたいだし、ね?」
 朔羅はシュラインの言葉にうなづくと優姫を促し、自らもソファへと腰掛けた。


*午後2時45分

「届いた時の状況や、何度も戻ってくるという事からして、生身の人間では到底出来ぬ所業…」
 静かにそれだけ言うと、朔羅は出された緑茶を一口含んだ。
「捨てても帰ってくるのですから、それだけ強い念がこもっているのでしょうね…」
 朔羅の言葉に優姫もそっとうなづいた。
 各々で作成した紙片の写しを手に、5人は相変わらず思案していた。実物の方はというと、元の封筒に入れられて交代で一応見張られている。――長い時間目を離すと戻ってしまうのだ。
 そうして、50回ばかり紙片の文面を読んでみたシュラインが、ふと思い付いた疑問を口にした。
「この手紙。順さんの元へ、というよりは順さんの部屋へ戻っている、という風に感じるのだけど…」
「うん。僕はそれ、『居場所を知ってるぞ』っていう主張のように思ったんですけど」
 篤旗は少し難しい顔でそう言った。
「嫌がらせ、とか、脅迫、とかそういう意味合いでしょうか?」
 篤旗の言葉に優姫は首を傾げ、少しだけ眉根を寄せた。
「確かに、家に帰って部屋のドアを開けて、そこに処分した筈の手紙があるってのは嫌な感じだけどな」
 隼はあれこれと書きなぐったメモ用紙から手を離し、大きく伸びをした。
「嫌がらせか…。僕はそこまでは考えへんかったけど、…例えば順さんの部屋を知ってるくらい面識のある人とちゃうんかな、って思うんやけど」
「なるほどな」
 確かに部屋を知っているからこそ、そこへ届いたのだろう。そうも考えられる。しかし、朔羅の言うように、差出人が人外の存在であるとすると、既知如何は関係あるのだろうか。
 朔羅は各人の話を聞きながら、静かに考えていた。手紙の内容を聞いた時から気になっていた事。
「…私は、何故わざわざこのように暗号めいた文にしてあるのかが気になるが…」
「確かに、そうね。伝えたいことがあるからこそ、何度も届いている訳なのに」
 朔羅の言葉を聞いて、シュラインは右手を口元に当てて考え込む。少し沈んだ面持ちで優姫がそっと呟く。
「もしかしたら、順さんなら分かる手紙なのかもしれませんね…手紙から、何か感じ取る事ができれば良かったのですが…」
 テレパスでもある優姫は、哀しそうに笑うと首を振った。


「武彦さん」
 突然声を掛けられて、依頼書を日除けに机に凭れて居眠り中の草間はびくりと、飛び起きた。慌てて目を擦る。
「…なんだい、何かわかったのか?」
 春眠暁を覚えず、と言うが。
「お仕事中とーっても悪いんだけど、藤則さんの住所を教えてもらいたいの」
 チクリと嫌みを交えてそう言うと、シュラインは机の端を人さし指で叩いた。
「え?ああ、ええと、どこへやったかな…」
 もたもたと、棚の中のファイルを調べにかかる草間。
「その横、その緑色の、違うわよ、そう、それ」
 分かっているなら自分で取ればいいじゃないか。そんな顔の草間からファイルを受け取ったシュラインは皆の元へ戻った。


「本人を訪ねるのか?」
 草間とのやり取りを聞いていた朔羅がシュラインに尋ねた。
「ええ。手紙が『部屋』に戻るというのが引っ掛かっているのよね」
「そうか…。それならば、私も同行しよう。内容はおおよそ掴んだと思うのでな」
「え?」
 朔羅の言葉に隼と篤旗が思わず顔を上げた。
「今、内容を掴んだ、って言ったよな?」
「ああ。恐らく、正しいと思うのだが」
「じゃあ、僕らにも教えて下さいよ」
 懇願する篤旗に朔羅はつい、と首を振った。
「いや、まだ完全に掴んだ訳ではない。多角的に、先入観の入らない真白い視点で視てもらったほうがより確実に意味を読み取れると思う。…頼んだ」
 そう言って立ち上がった朔羅は、見る者が見なければ分からないほど極僅かに微笑んだ。




*午後3時

 シュラインと朔羅が出て行った後も、三人はそれぞれに紙片に書かれた文章を見つめていた。『おおまかに』とは言え、意味を掴んだという朔羅。そう言うからには、この手紙は意味のない文章ではないのだ。
「うーん。一体なんやろうなあ」
 篤旗は言ってペンを置くと、肩に手を当て首をぐるりと回した。
「何の為に、か」
 組んだ足を動かしながら、宙に向かって隼は呟いた。
「ええ、何の為に、でしょうか」
 隼の言葉に優姫がうなづいた。二人とも、先程の朔羅の言葉を思い出していた。
「一体何が?」
 呟く二人の顔を見渡して、篤旗が尋ねた。隼はゆっくりと優姫に視線を遣った。
「あんたも、解けたのか」
「はい。瀬水月さんも…」
「ああ」
「?」
 首を捻る篤旗に優姫は新しいメモ用紙を渡す。
「まずは、全ての漢字を仮名になおして下さい」
 優姫の提示する方法に異論がないのか、隼も篤旗を見てうなづいた。
「ええ、と。仮名、ね」
 自分の写した文面を見ながら、篤旗は漢字仮名混じりの文を仮名だけの文へと変換していった。

----------
つま、に    きと、のねん   かじば、
そのきみ    な、らくさ    かお、ときず
うろこと、たつ   いくよ
----------

「これだけでもう、分かっただろ?」
 作業を終えた篤旗に隼がそう言った。
「なるほど…、仮名か…。ええと、…『ま、と、ば、な、お、と』やな?」
「え…?」
 予想とは違った答えを聞き、優姫は思わず聞き返していた。隼も首を捻る。二人の反応を見た篤旗は、間違っているのか?という顔でメモを指差した。
「ほら、この『、』。漢字のままやったらよう分からんかったんやけど…」
「ああ、『、』の前の文字を拾うのですね…たしかに」
 篤旗の説明に優姫はうなづいた。隼も文面を目で追いながら何度もうなづいた。
「人の名前のように読めるな…ふうん。そっちには気付かなかったな…」
 そっちには。…では、もう一つ意味があるのだ。首を傾げながら交互に視線を優姫と隼へと動かす篤旗に、隼は手を伸ばして説明してやることにした。
「ここ、な」
 隼の人さし指は文末、『よ』の字をさしている。
「ここから、ただ逆に読んで貰えばいい」
「分かった。…よくい、つた…」
 声を出す篤旗に優姫がそのまま続けてみせる。
「『良く行った所 卯月十日 桜並木の傍 時間 子の刻(とき)に待つ』」
「ほんまや…」
 優姫の声をガイドに全文を読み終えた篤旗が声を上げた。
「ま、意味が通ってるし、コレじゃねえか?…日にちと時間まで御丁寧に指定して『待つ』ってあるんだ。会ってやるのが一番近道だと思うぜ。…だが、…『何故わざわざこのように暗号めいた文にしてあるのか』」
 朔羅の言った言葉が蘇る。
「はい。それに、順さんがこまめにこの興信所へ手紙を運んでくるのも、気になります」 
 優姫はそう言って顔を伏せ、何か考え始めた。
「それは、気味が悪いからやって…」
 たしか、草間が聞いた話ではそうだった。
「内容を見る限りでは、差出人とは知り合いだと取れるよな」
 文中に『良く行った』とあるのだ。
「手紙を手元に置いておきたくない理由があるのでしょうが…。篤旗さん」
 唐突に名を呼ばれて、篤旗が優姫を見た。
「この手紙、燃やしてみてください」
 優姫は大元の白い封筒を、そっと灰皿の上へと置いた。



*午後3時半

 興信所へと戻って来たシュラインの第一声は「ちゃんと見てなきゃ駄目じゃない」だった。
 シュラインに続いて興信所へと入って来た朔羅の手には、例の封筒が握られていたのだ。
 篤旗によって燃やされた筈の封筒が戻って来た事をしり、優姫は軽くうなづいた。
「その封筒、さっき処分できないかどうか、燃やしてみたんです。でも、やはり帰ってきたのですね」
 優姫の言葉を聞いたシュラインは少し目を見開いた。
「処分って…」
「恐らく…もともと処分など、できぬ物なのだろう」
 朔羅は手にした封筒を眺め、そう答えた。


 興信所に残っていた3人は、シュラインと朔羅へ自分達が解いた文を簡単に説明した。
「成程。うずきと、おか、…卯月十日か…」
「卯月、ってことは4月よね…ふうん」
 説明を聞いた二人はそれぞれに、内容を頭に入れながら何度もうなづいた。
「おそらく、この日を過ぎればこの手紙が帰ることはないでしょう。…唯だ処分を願うのなら、その日までここで管理していれば済むと思います。でも」
 優姫はそれだけ言うと言葉を切り、皆の顔を見渡した。
「私は会ってあげて欲しい」
「そうだな…」
 届かぬ想いほど悲しい物はないからな…。
 朔羅はテーブルに置かれた手紙を見ながら小さく、優姫にうなづいてみせた。
「とりあえず、順に手紙の内容を伝えて、こいつの差出人に会って貰うのが一番手っ取り早いんじゃねえか?」
「せやね」
 隼の提案に、篤旗もうなづいた。
「順と話をして。この文中の『良く行った所』というのも順ならば分かるのだろう…、ん?どうした?」
 皆の中で一人難しい顔をしているシュラインに、朔羅が話しかける。
「順さんは…」
 シュラインはお茶で一旦舌を湿らせてから続ける。
「順さんは、その手紙の内容。本当に分からなかったのかしら」
「この、暗号文みたいなもんの?」
 そう言う篤旗にシュラインはうなづき、朔羅の方を向いた。
「順さんの部屋に本がたくさんあったでしょ?」
「ああ」
 壁一面を埋める本を思い出し、朔羅はうなづいた。
「あのほとんどが、ミステリーだったわ」
 海外の古典から現代の本格物まで、そこには数多くの推理物が並んでいた。
「きっと、差出人はその事を知っていて、あんな文面で手紙をだしたのだと思うの」
「受け取った順が、分からない筈はない、ってとこか」
 そう言って、隼は手元に封筒を引き寄せ、ひらひらと顔の前で振ってみた。
 シュラインの話を聞き終えた優姫は口を開く。
「それでは、順さんは…、いえ、やはり一度順さんと話をしてみないといけませんね…」
「うん」
 順に対して親身な優姫に、篤旗は目を細め優しく答えた。



*4月8日(火)午後9時

 ――順と全員で話ができることになったのは、二日後の夜だった。
 コンコン、とノックの音が響くと集まっていた皆は一斉に入り口へと視線を動かした。
「夜遅く、すみません」
 言いながら、順は扉を閉めると興信所の中へと足早に進んでゆく。見知ったシュラインの顔を見つけると順は片手に握りしめた白い封筒を差し出した。その表情は固い。シュラインはそんな順に向かい、少し悲しそうに微笑むと口を開いた。
「ねえ、順さん」
「はい」
「折角来たんだし、少し、お茶でもどうかしら?…ね?零ちゃん」
「はい」 
 ちょうどお茶を運ぶのに通りかかった零は、シュラインに呼び止められると順ににっこりと笑った。
「え、でも、あの」
 シュラインは遠慮がちにそう言う順の後ろ手に素早くまわり、その背を軽く押した。そんなシュラインのに順はそのままさほどの抵抗も見せずに、衝立ての奥、ソファまで運ばれて行った。
「こんばんは」
 現れた順に優姫は静かに声を掛けた。それが合図であったかのように、周りにいた皆も口々に順へと軽く挨拶していった。
 優姫の隣に座っていた篤旗はすばやく席をたつと、自分の座っていたソファを順に勧めた。
 勧められるままソファに座った順の顔を覗き、その表情に先日に感じたよりも大きい曇りを見つけ、朔羅は僅かに首を振り、そうしてそのまま目を閉じた。
 零がいそいそと盆に茶を乗せて運んでくるまで、その場では誰一人口を開かなかった。
「皆さん…」
 沈黙を破ったのは順だった。零から出されたお茶を一口飲み、少しだけ小さい声で話しはじめた。
「皆さん、ここで調査をしておられるのですか?」
「ええ。今回は、あなたの、この手紙を処分する為にここへ集まっているのだけど」
 シュラインはゆっくりと順に向かってそう言った。
「そう…、なんですか」
 湯のみから顔を上げると、さらに小さく順は呟いた。
「なあ。本当に処分してしまって構わないんだよな?」
 順の様子を黙って見ていた隼が口を開いた。順は無言で一つうなづくと、視線を湯飲みの水面に遣ったまま目を瞬かせた。
「そんな手紙…要らないもの…」
「順さん…」
 言って優姫は順の肩にそっと手を乗せた。
 ごめんなさい。
 心中でそう順に謝ると目を閉じ、優姫はゆっくりとその力を解放していった。――普段は封じ込めている力。他人の心を覗き見るこの力。
 順の意識のすぐ入り口に、その男性は穏やかに笑っていた。そして彼のすぐ後ろには狭い一画に並ぶ見事な桜達。
「順さん。手紙を寄越したその人は、きっと貴女を待っていると思います」
 優姫の言葉を聞き、それまで黙っていた朔羅も顔を上げた。
「順には、それがどういう手紙であるか。分かっているのだろう?」
 順は小さくうなづくと、震えるように息を吐いた。
「まとば、なおとさん、やね」
 篤旗に問われた順は何度もうなづいた。
「幼馴染みのお兄ちゃんなんです。…下山したら…電話をくれるって…。的場のおばさんが母に『遭難かもしれない』って相談に来た時もずっと待ってました。ただちょっと遅くなってるだけだって…。それなのに、こんな手紙なんか届けて…」
 文脈が混乱し、そう続ける声が湿り気を帯びる。 
「春の山は危ないって…、自分で…言ってたくせに…」
 辛いな…。
 順の声色とその様子に、隼は目を伏せた。
 生身の人間には到底出すことの出来ない手紙。順は何時の間にか手紙を手に取り、強く握りしめていた。
「ねえ。…破いても、燃やしても。、どうして…戻ってくるんでしょう…。どうして…。こんなことが出来るくらいなら…っ…」
 嗚咽する順の背をシュラインがそっと優しく撫でた。順は握っていた手紙を両手に持ち、真ん中からそれを二つに破り捨てた。破られた破片は床に落ちる前に、霞んで、消えてしまう。
「ほら…、また私の部屋へ戻るんです。戻って待っているんです。尚兄は…、尚兄はもう、この世にはいないんだって…私に…思い知らせるために…」
 順は両手で顔を覆うと、そのまま何かを堪えるように肩を震わせた。
 しばらくの間、皆、順をただ見守ることしかできなかった。




*4月9日(水)午後11時

 シュラインは時計を見上げると頬杖をついた。
 あれから、やはり何度か手紙は順の元へと戻ったのだが、その度に彼女はここまで運んで来た。一度などは深夜1時をまわっても、わざわざ電話して興信所に人が居ることを確かめてまで届けに来たのだ。彼女がその手紙を目にする限り…。それ程までに忌んでいるのか。
 手紙に書かれていた約束の時間まで、もう1時間あまり。興信所にはあの時の皆が集まっていた。

 順を待つ間に、シュラインは順の話した「的場尚人」という人物について、調べた事を話した。
 彼は大学生で大学の登山サークルに所属しており、先日出発した登山からまだ帰っていない。友人らとのプライベートな登山であったのか登山届けのあったのは3人。下山の予定日から既に5日が経っており、さらに当時小さい雪崩の起こった形跡も発見されその生存は絶望視されていた。

「手紙は部屋へ戻っているんだな」
 隼はシュラインに尋ねた。彼が連絡を受け、興信所を訪れてからもう2時間になる。
「ええ。このテーブルの上へ置いて、お茶を煎れて戻って来た時にはもうなかったから…」
 恐らく戻っている筈である。そして今日も、順は手紙に気付き次第ここまで来るだろう。
「順さんは、来てくれるでしょうか…」
 優姫は心配そうにそう言い、道路に面した窓へと目を遣った。手紙が順の部屋へと戻ったと思われる時間、夜8時からもう3時間も経っている。順がまだ気付いていないのか、それとも―。
「来なければ、こちらから出向けばいい。こんな時間だ。もう自宅へと戻っているだろう」
 朔羅はゆっくりと湯飲みを持ち上げ、渋めの緑茶を一口含んだ。
「だな」
 そういう朔羅に同意すると、隼は天井を見上げた。
 昨日、優姫が試みたテレパスによって、手紙に書かれていた場所の見当はついている。しかしその場所へはやはり順が行かなければ意味はないのだ。






*午後11時35分

 コンコンと、軽いノックの後に開かれた扉から順が現れるまで。僅かの時間がこんなにも長く感じられることは少ないだろう。
 零が順の来訪を知らせると、衝立ての奥から皆一様に息を吐いた。安堵の息である。
 
 事務所へ入った順は、手紙をそこに居たシュラインへ黙って預けると、そのまま身を翻した。
 篤旗は順の様子に気付くと、慌ててその肩を押しとどめる。
「なあ、順さん」
 事務所のアナログ時計を指差し、篤旗は話し出した。時計はもう40分を指している。
「尚人さんは君を待ってると思うんや」
 順はゆるゆると顔を上げた。頬には涙の跡が見えた。
「君にとってその手紙は、忌わしい手紙かもしれへん。せやけど、尚人さんは君に伝えたい事があるからこそ、その手紙を寄越したんやと思うで?」
「何度も届くってのは、それだけ強く伝えたいと思うことがあるからじゃないのか?」
 隼も篤旗に続けた。
 しかしその言葉を拒むかのように順は固く目を瞑り、そして手をあげると耳をふさいだ。朔羅は順のそんな様子を少し伏し目がちに見遣ると口を開いた。
「後悔は、ないのだな?」
 順は答えずにただ首を振った。
「そうか…」
 そう言うと朔羅は立ち上がった。
「それでは我々だけで赴くことにしよう…待ち人にせめて事情だけでも話さねば、な」
 隼もソファから立ち上がり、上着を羽織った。
「仕方ないな…」
「こんな時間から、どうやって…。もう、間に合わない…」
 そう言って、おもわず顔を上げた順に優姫が微笑んだ。
「大丈夫です」
 優姫はきっぱりとそう言い、順に強くうなづいてみせた。





*4月10日(木)午前0時

 小さい公園らしき施設の裏手、そして墓地を囲む竹林の裏手。その桜はひそりと背の高い青竹に隠れるように並んでいた。下草はこぎれいに刈られている様子で、どうやら誰かが手入れしているようであった。恐らくこの土地は誰かの持ち物なのだろう。ただ5本の桜の為だけの土地。桜も、背丈は弱冠低かったが、その枝振りは見事だった。
「こんな場所があったのだな」
 言って朔羅が月を仰ぐと、少し冷えた夜風に桜の花びらが舞った。深夜、墓地の近くということもあってか、人通りはなく辺りはしんと静まり返っていた。
 順の思念から優姫が読み取った場所。一同は優姫の能力によって、この土地へジャンプして来たのであった。転移、あるいは瞬間移動と呼ばれる能力である。
 シュラインが遠目に順を見ると、順は桜の間をうろうろと歩いていた。約束の時間だった。



 順はちょうど真ん中に立つ幹をぐるりとまわった所で、求める姿を見つけ、息を飲んだ。ここに居る筈のないその人物。
 急いで駆け寄った順にその人影は優しく言った。
「順」
 それだけ言うと、彼はにこりと微笑んだ。順の顔が歪む。
「来て貰えなかったら、ちょっと辛いな、と思ってた。許して貰えたのはほんの5分だったから…会えて、良かった」
「どうして、あんな手紙で…」
「もし会えなかった時に、順には手紙の意味が分からなかったんだろうなって。俺の勝ちだなって思えるだろ?」
 笑うと、冗談を言うように尚人は軽くそう言った。
「馬鹿!」
 言いながら順が振り下ろした右手は、彼の身体を突き抜け、どん、と後ろにあった幹を叩いた。
「順になら解けると思っていたよ」
「馬鹿!馬鹿!」
 何度も、何度も、順はそのまま両手で幹を叩き続けた。
「俺だって、ちゃんと分かった?」
 むくれるように下唇を噛み締め、目を見開くと順はもう一つ手を振り上げた。ぱたぱたと、順の足下に雨が降った。
「あんな事する人なんて…、尚兄しか…いないんだから…」
 順の言葉に、尚人は微笑んだ。
「誕生日、おめでとう。それだけ言いたかった」
 順は血の滲む右手で顔を拭うと、再び幹を打った。
「嘘つき。誕生日までには帰ってくるって…。お土産を持って帰ってくるって…馬鹿っ…馬鹿馬鹿」
「ほら、手が痛むだろ?」
 尚人は首を傾げると、優しい目で順を見た。
「そうそう…お土産と言えば、珍しい形の石を見つけたよ。薄く青磁色できれいな五角形をしているんだ。きっと順も気に入ってくれると思う。…リュックのポケットに入ってる筈だから…まだ、俺と一緒に雪の中だけどな。見つかったら、順が受けとってくれ」
 やはり、雪崩に呑まれたのだ。雪の中…。ぼんやりとその言葉をくり返し、その意味が頭に染み渡ると順は眉根を寄せ小さく笑ってみせた。細めた目からはまた一筋、雫が流れて落ちて行く。
「本当に…馬鹿なんだから…」
 その言葉に尚人は微笑んで順をしばらく見遣り、月光を浴びる桜へと視線を移した。
「もう一度、この景色を順と見たかった。来てくれてありがとうな。…いつも、見ているよ」 
 言って尚人がその右手を宙にかざすと、ざあっと、風が順と尚人の間を吹き抜けた。急に強く吹いた風に、順は思わず目を閉じた。
 一瞬後、順がその目を開いた時にはその場所、尚人の居た場所には、ただ満開に咲き誇る桜が白く浮かんでいるだけだった。そのまま、ゆっくり順は幹を抱くように突っ伏すと、静かに肩を震わせた。

 ――涙を堪える順の代わりに風が桜の枝を揺らし、花びらを振らせ続けた。




 順が落ち着くまで。
 皆はめいめいにその場で待っていた。
 二人にとってはほんの一瞬の逢瀬だろうが、引き合わせることが出来て良かった。最後の機会に気付かずに…あのまま現実から逃げていたら、きっと後悔しただろう。

「きれい…」
 桜の下で、順を遠巻きに見ながら優姫が口を開いた。幹に凭れた篤旗は優姫の言葉にゆっくりとうなづいてみせた。
「ここは、順さんの思い出の場所なんですね」
 覗いた記憶を思い出し、優姫はふと上を見上げた。闇夜に白い花びらが音もなく舞う。
「篤旗さん」
「う、うん」
 名前を呼ばれて緊張気味に篤旗が返事を返す。優姫は桜を見遣ったまま話を続けた。
「今度、お花見に行きませんか?」
「え」
 そう言って驚いたように目を見開いた篤旗に優姫は小さく笑いかけた。
「美由姫がみんなでお花見したいね、って言っていたのを思い出したんです」
「…あー…良いかもしれへんなあ」
 『みんなで』、ね。
 そう苦笑した篤旗が空を仰ぐと、ざあっと枝を揺らして凪ぐ風がさらに花びらを降らせるのだった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0072/瀬水月・隼   /男/15/
            高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0086/シュライン・エマ/女/26/
       翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0495/砂山・優姫   /女/17/ 高校生】
【0527/今野・篤旗   /男/18/        大学生】
【0579/十桐・朔羅   /男/23/       言霊使い】
※整理番号順に並べさせていただきました。

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■         ライター通信          ■
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 PC名で失礼いたします。
 砂山さん、十桐さん初めまして。
 瀬水月さん、シュラインさん、今野さん、
 いつもありがとうございます。
 皆様この度はご参加ありがとうございました。

 珍しく時系列をはっきりさせております。
 途中で分岐している箇所や個別部分等、
 他の方の文章を読む場合に参考にして下さい。
 卯月の「ず」は少し苦しかったですかね。すみません。

 設定や画像、他の方の依頼等参考に
 勝手に想像を膨らませた所が多々あると思います。
 違和感や、イメージではないなどの御意見、
 また御感想などありましたらよろしくお願いします。
 
 それではまたお逢いできますことを祈って。

                 トキノ