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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


黒い蝶


―― 私は黒い蝶(シュバルツ)

 誰にも染められることなく
 この羽が生まれ変わることも無い。

 折れた心も貴方に飲まれ
 終わらぬ夜に生きる

 私は黒い蝶・・・・・・



● 破魔の継承者
「歌か何かか?」
 不本意ながらも心霊探偵と呼ばれている草間武彦は目の前にいる旧知に問う。
「さあ、辞世の句と云いましょうかね?」
 丈高い影は言った。窓から零れる逆光のために表情こそ見えないが、応えた声は穏やかそのものだった。
「お帰りなさい、師匠」
 同じ黒い僧衣を纏った青年は笑う。
 青年とそう年変わらぬほどに若い男は二十代後半ぐらいだろう。彼は若いながらもローマ法王庁の要人だった。しかし、普段も呑気に法衣ではなく僧衣(カソック)で歩き回るのだ。そんな友人を草間は見やった。
 ユリウス・アレッサンドロ枢機卿。本来ならここにいてはいけない人物である。
「あぁ、ヨハネ君。私が留守の間、何かありましたか?」
「東京は相変わらずです」
「そうですか、それは上々vv」
 微妙な心持で言った台詞を軽くいなされて、ヨハネ・ミケーレ神父は溜息を吐いた。この東京で何も事件が無いと言うことはありえない。ただ、ヨハネの知る限り深刻な事件は無かったということだけだった。
 二週間前、第二法廷会主席に呼ばれてユリウスはローマに帰っていた。その間のヨハネの多忙さは草間が気にかけるほどだったのだが、師匠の方は一向に気が付かない。いや、気は付いているのかもしれないが。
 草間は同情の目で見た。
「しかし、意味不明な文だな…こんなカードがどうかしたのか?」
「教皇庁に所属する者。しかも、特異な能力を持つ者だけが、ここ最近奇妙な方法で殺害されているんですよ。これは数日前、ダリオ神父が持っていたものです。私の知る限り、死んだ者全員がこれを持っていました」
「まさか……」
 教皇庁内部には隠密裏に事を成就せんがため、各セクションに能力者がいる。それは表側の世界に生きるの者たちに洩れること無い真実だった。
 とは言え、陰陽師宗家の次代の主たる宮小路・皇騎にとっては周知の事実である。
「ローマ法王庁絡みの事件とあっては気になりますね……採算度外視で協力しますよ」
「有り難いですねえ〜♪」
 皇騎の申し出に手揉みをしてユリウスは喜んだ。
「噂に高い宮小路家の後継者にお手伝いしていただけるとは光栄です」
「いえ、こちらこそ」
「そんなにすごい人なんですか?……師匠」
「えぇ、とっても♪ 私も直接の面識はありませんでしたがねぇ……宮小路財閥の裏の顔は陰陽師の宗家ですよ。日本の根を支える実力者集団と云われていますね」
「恐れ入ります」
 皇騎はすっと頭を下げる。
 彼への評価は正しい。宮小路家無くして、日本の繁栄は有り得なかったのだから。
「俺が十八時間と二十一分四十九秒前に『ガンキャリー』……つまり、クーレソン神父に対する定期連絡要請を行った時には彼は生きていましたが……」
 ふいの声に皇騎は振り返った。胸元のスカーフ止めを弄りながら呟いたのは、アリア・フェルミだ。
整った顔立ちは怜悧な刃物のようで、ユリウスと同じ機関に所属しているにもかかわらず、人々の心を潤す役目を担っているようには見受けられない。女性であるのに特有の甘やかさが一切無いのは、彼女が教皇庁の外交官だということだけではなかった。
 武装異端審問官という位置にあり、遂行することに対して彼女が何の疑問も躊躇いも感じていない事がそうさせていた。時代の裏で鉄槌を振り下ろすのは、神ではなく、彼ら『武装異端審問官』なのだ。
「昨日の連絡(メール)には返事がありませんでした。それと関係しているのだろうと、推定いたしますが……クレーソン神父は死にでもしない限り必ず応答する人物です。いかがでしょう、猊下?」
「まったくその通りですよ、アリアさん」
「第二法廷会が動いたということは聞いていましたが……本当だったんですね」
 静かな炎が彼女の中で燃え上がっていることをユリウスは知っている。ごく淡々と話す声音にも鋼鉄のような硬さが見え隠れしていた。
 熱を感じさせない氷の美貌の奥に燃える怒りは、我が同士の無念を晴らさなければ静まることも無いだろう。
「では、猊下……その不届き者が誰であるか分かっているのでしょうか?」
「いいえ……無理なんですよ」
 ユリウスはかぶりを振った。
「無理?まさか!」
「探せません」
「『チェイサー』は?…… シスター・レイトルードは!? 対象者が『死んでいる』のであれば彼女が追うはず!! 一体何が起きているんですか?」
「彼女でも追うことは出来ません……魂が無いのですから」
「なッ!無いッ!?」
「えぇ……だから追えません、『無』いのですよ……死んだ者全ての魂が消失しているんです。そうなってしまったら、どうやって交霊すればいいのですか?」
「う……」
 一向に言葉を紡ぐ事が出来ぬアリアは、黙り込んだ。
 絶対の信仰心を持つアリアにとって、主への思いと己への確信は魂からの叫びに他ならない。魂と云う名の思いの泉が枯れるなどあってはならない。求めて求めて、訴え続けても足りぬほどの思いは魂からやってくるのだから。
 しかし、魂が『消失』することなどあるのだろうか?
 行き場の無い、存在が許されぬという恐怖を感じながら、そして、同時にそのような有様に慄いた。まさに武装異端審問官である彼女が初めて感じた絶望だった。
「そんな……そんなッ!」
「先輩……大丈夫ですか?」
 云うヨハネの面も蒼白だった。
 唯一神とその御子であるイエス・キリストに対する特別な思いも信仰心も皇騎には無かったが、その胸中は推して余りあるものがあった。
 緩やかに夜の帳が降りて、訪れた夜の宇宙は月を朧ろに輝かせる。閉じられた硝子戸は街を映した。そんな偽の安穏の中に我々は生きているのではないかと思ったのは、皇騎だけではない。
「それに関係する能力を持つ人間がいると聞いてるんです……警視庁にね」
「まさか!」
「事実です」
 にっこりとユリウスは微笑する。優しい師の笑顔だけがヨハネの支えだ。涙がヨハネの頬を伝った。
「ヨハネ君こそ大丈夫ですか?」
「あ……はい、平気です」
 ぐっと僧衣の袖で涙を拭った。
「『魂』消失のような事件は、魔性もしくはそれに準ずるものが絡んでいると思われますね……被害者たちについての詳しい詳細を猊下にお尋ねしたいのですが……」
 云う皇騎の表情は涼やかで、感情のブレを一切感じない。神秘的な光を湛えた双眸がユリウスを捕らえた。
「多分、問題の能力が犯人にとって都合の悪いものなのだろうと私は思います」
「何故、そう思うのですか、宮小路さん?」
「被害者の状況から考えると相当に都合が悪いと考えるのが自然なのでしょうから」
「大正解です」
 ニッコリとユリウスは微笑む。
「さすがですね……あぁ、そうそう。シスター・レイドルードがこの任務に就けない理由はもう一つあるんです」
「もう一つの理由?」
 意味がわからず、ヨハネは首を傾げる。そんな後輩の姿を睨み付けながら、アリアは云った。
「馬鹿か、貴様は!! 彼女自身が無いんだ!」
「じゃぁ……師匠」
「……と、云うわけですよ」
「つまり、シスター・レイドルード及びその他の犠牲者もそのような能力を身に付けていたと……」
「そうです。『ガンキャリー』……ブラザー・クーレソンは武装異端審問官ですが、彼も犠牲者の一人です。ちなみに彼の異能力は兵器などを人間の体に隠し、審問対象者が現れたときにそれを使って任務を遂行する力でした」
 信者が聞いたら声もなく立ち尽くすであろう言葉を穏やかな春の小川を思わせる表情でユリウスは言ってのけた。
「では、その情報を元にして、警視庁に照会しましょう」
 そう返した皇騎の言葉にヨハネは唾を飲む。天下の警視庁にデータ―照合をどんな形であれ、許される相手と自分たちは組んだのだ。その事実を今更ながらにヨハネは重く感じた。


● 異教徒たち
 皇騎はユリウスからの情報を元に実家の表と裏のコネを使い警視庁に秘密裏に照会したが、念入りにすべきと考えて同時に宗家の裏のデータベースも検索する。大学ではコンピュータ関連を専攻し、家業も同様の部門を手掛けていた為、その作業を苦と思ったことは無い。しかし、まったくといって手応えは無かった。
「データゼロ? そんなことは……」
「どうかしましたか?」
「いえ……データが存在しないと『家』のほうが云ってきてますね」
 メールもチェックしながら皇騎が言った。
 宮小路財閥の子会社が経営するデジタルコンビニエンスストアに二人はいた。その簡素ながらも綺麗なオフィスに紅茶とケーキを持ち込んで、新発見した洋菓子店の商品をユリウスは試食し始めた。
「これ美味しいですねえvv」
 生クリームを銀紙からフォークで綺麗に取ると、口に運ぶ。
「データが無いんですかぁ?」
「えぇ……ですが、他にも方法がありますから大丈夫です」
 柔らかに微笑むと、皇騎はまたキーボードに手を置いた。ようは奥の手を使えば良い事だった。ユリウスの前だが、躊躇することなく皇騎は精神感応によるネットワークダイブハッキングを開始した。

 瞬間、白熱した何かが自分の内で弾け飛ぶ。この狭い世界に自分を繋ぎ止め、束縛するものはネットには無いのだといつも感じた。
 体に縛られた不自由な自分は操りの糸を断ち切って、形無くも確かなフィールドへと還る。思考がより明晰に感じ、視える(理解できる)範囲さえも広がってゆく。
 人々の意思は歌となり、この電子の海を賛歌し、時には闇を塗りこめた。
 毎秒事に展開される広大なネットワークの書き換え(リライト)も、皇騎の手にかかれば『0』と『1』で構成された波紋でしかない。世界に投げかけられた情報という小石は波を生み出し、一定のリズムと共に広がっていった。
 警視庁データ監視プログラムにアクセス。不法コード01235.アクセス拒否。強制認証……英語と数字、日本語のウィンドウ画面が展開してゆく。めまぐるしく変わるのをユリウスは見つめた。
「ありました」
 皇騎は短く云った。
「……で、どうなんですか? ちゃんと生きてる人でしょうね」
「えぇ……ツクモか……これじゃ、すぐにデータが出てこないはずです」
 皇騎は呟いた。
 暫く考え込んで、ユリウスは13杯の砂糖を入れた紅茶をすする。
「ツクモって、何です?」
「警視庁第99課。魔戦制圧課といって『違法呪具』や『魔法』『召喚』等を取り締まるんですよ……今回の捜査ターゲットは特殊呪術禁令捜査官。通称、呪禁官といいますが、その一人です。でも……」
「でも?」
「変ですね……ツクモのデータなら『家』にもコピーがあったはず。これはデータが少し違います」
「データが違うんですか」
「十人ほど多いですね。今回の事件に関わりが有りそうなのは、『塔乃院・影盛』……この人でしょう。能力の一つに『吸魂』というのがあります」
「やれ、厄介な相手っぽいですねぇ〜」
「厄介どころじゃありません。何故、こんな人物を飼って……いえ、飼えているのかが分かりませんよ」
「それじゃ、尚更、逢うのが楽しみですねvv」
 呑気に云うとユリウスはまた紅茶をすすった。

 アリアとヨハネは遅れてここに到着した。警視庁に情報を提供して貰う為、ヨハネはダリオ神父にまず黙祷を捧げ、身辺聞き込みを開始する。
 オカルト関係、サタニスト関係の調査を中心に行ったものの重大な動きというのは無かった。最も行動を起こしやすい教団の情報をピックアップしておくぐらいしか今できることは無いが、しないよりはマシとファイルを整える。有効な情報は幾つか手に入れることができた。
 ヨハネはそれをユリウスに報告する。
「これといって直接の関係はありませんが、『JMK』と『天のメキド協会』に何らかの動きがある模様です」
「何かの動き?」
「真偽の程はイマイチ判らないんです。内部情報だから、まだ確かなほうだと思います」
「そうですか……まあ、そちらのほうもいつか対戦しなくちゃいけなくなりそうな団体ですし、注意しておいて損は無いでしょう」
 ティーカップの中身を飲み干す。
「こちらも情報が手に入りましたから、今後どうするか検討しましょう」
「はい」
 その後、アリアはすぐさま行動を起こした。教皇庁外交官の立場を使い、警視庁第99課の能力者『塔乃院・影盛』に対して協力の要請をする。しかし、それは協力と言う名の強制に等しかった。外務省と国際刑事警察機構(ICPO)を通しての要請はいくらツクモでも無視できない。おまけにアリアは内閣にまで手を回した。隣でその辣腕振りを見ていたヨハネはアリアに厳しい実地訓練(=罰)に送られないようにと肝を冷やしていた。
「で……どうでした?塔乃院さんは来ると言っていますかね」
「来ないなら来るように仕向けるまでです、猊下」
「来ますかねぇ」
「詳細はローマ少年聖歌隊のコンサートを聞きながら話すと先方には伝えてあります」
 アリアは能力者を都内オペラハウスの貴賓席に招待するため、すでに手は打ってあった。オペラハウス側にの予約をキャンセルさせ、その後始末も終了している。
「じゃぁ、僕は指揮できるんですねvv」
 楽団楽長を務めるヨハネはそう云って喜んだ。
 ただでさえ厄介で困難な依頼に、厄介で、おまけに厳しい先輩にこき使われたのでは神経がもたない。自分の好きなことで人に貢献できるというのは有り難った。
 ウキウキし始めるヨハネを尻目に、アリアは氷のような一言で釘を刺す。
「ヨハネ神父」
「はい?」
「今回は涙を呑んで、聖歌隊の指揮を行わずにいて貰おうか」
「えっ……そんな」
「何を言うか……どんな事であれ、主と教皇聖下のお役に立てる事を光栄に思わないでどうするっ! そう云えば、トスカーナ地方ではもう陽気が暖かいだそうだが、三ヶ月位行って来るか? トスカーナには我が武装異端審問官の訓練施設がある。そうだ、体を鍛えに行って来い。そうしたら、萎えた心も体も健康になっていることだろう……」
「が……頑張らせていただきます!!」
「あぁ、いい返事だ……」
「……綺麗な方なのになぁ、先輩」
 ボソリとヨハネは云う。
「何か云ったか?」
「いッ……いいえ!」
「では、猊下はこれを着て下さい」
 といってアリアが出したものは、枢機卿用の僧衣と深紅のズケットである。
「着るんですかぁ?」
 嫌いなおやつを出されたような子供のような顔をして、ユリウスは口を尖らせた。
「猊下……私の記憶が正しいのなら、前々から云っているかと思います。どうして新米用の僧衣ばかり着るんですかッ!!」
「お掃除したりするのに不便なんですもん☆」
「まったく、嘆かわしい。 邪教徒どもと行動しなければならないのも忌々しきことだというのに……」
「やっぱり……ダメ?」
 小首を可愛らしく傾げたが、アリアはそんなユリウスの言葉を一蹴した。
「着せます……私が脱がしてもよろしいんですね?」
「……いいです、自分で着ます……」
 渋々と僧衣を摘み上げ、隣のパーティーションへとユリウスは消える。その姿を見届けるとアリアは話を続けた。
「具体的な調査はヨハネ神父に任せるとして、今回の事件が警視庁内の術者の仕業の可能性もある」
「教皇庁内の人間であるとも考えられますね」
 皇騎は凛とした声で言った。
「そうだな……無いとは言い切れない。もし、そうだったのなら容赦はしない」
「私も同行させていただきます」
「異教徒よ、お手並み拝見といこうか」
「勝負するのが目的ではありませんが」
「ふんっ」
 ふいと背を向け、アリアは出て行った。皇騎は肩を竦めて見送る。自分の信仰のみを良しとする人間を相手にすることの難しさを感じていた。


● 権力に住まう鬼
 スーツを着込んだ皇騎と法衣姿のユリウスは開演時間30分前に着いた。警護に当たるヨハネは心なしか緊張しているようだ。
「来てますかね?」
「多分……」
 話しこんでいるとアリアがこちらの方へにやって来た。今はアルフォンソ・フェルミと男の偽名を名乗って行動していた。
「猊下、こちらです」
 アリアに誘導され、皆は貴賓席に向かう。深紅いビロードのカーテンの向こうに彼は居た。
 それは、オペラハウスに来た人間しても、国家公務員としても、相応しい格好であるとも云えなかった。
 彼の服装はファーの付いた黒革のライダージャケットに細身のズボン。こともあろうに、テーブルに足を乗せている。それよりも何よりも、アリアの逆鱗にスイッチを入れさせたのは腰まである長い黒髪だ。充分過ぎるほど整った顔立ちを際立たせていることが、更にアリアの癇に障った。
 アリアはシルバーアクセサリーをジャラジャラと付けた刑事に冷たい視線を送ってやった。当然、言葉使いも笑顔も外交官仕様で。
「シニョール・塔乃院影盛……お待たせいたしまして申し訳ありません」
「いや……こっちも寛がせてもらっていた」
―― あぁ、そうだろうとも!
 心の中でアリアは毒吐いた。しかし、それを見せることは無い。
 アリアの外交官猫かぶりにヨハネは心の中で感嘆する。
「それは何よりです……つきましては、今回の調査にご協力いただきたいのですが」
 皇騎の清雅な声音が用件を伝える。
「あぁ……それなら俺の用も片が付けられそうだな。逆にこっちが協力してもらいたいと思っていた」
 塔乃院は薄い笑いを浮かべる。言葉だけ聞けば、恐縮してると思え無くもない。しかし、そう思っていたのなら、何故連絡をしなかったのか。こちらに恩を売らせたかったのだろうと皇騎は合点した。
「すみませんねぇ〜☆ こちらも協力させていただきますよ……ねぇ、ヨハネ君?」
「はっ……はい!」
 いきなりユリウスに声を掛けられ、ヨハネはびくっと飛び上がる。
「あ、あのっ……ヨハネ・ミケーレです、よろしく……」
「こちらこそ」
 不意に塔乃院は相好を崩した。

―― あれ?

 塔乃院の思わぬ表情の柔らかさにヨハネはポカンとしてしまった。それに気がつくと気忙しいような、面映いような何とも変な感じが全身に駆け巡る。

―― あれれ?

 何か圧迫感のようなものを感じていた先程とは全然違う。しきりに考えを巡らせていると、アリアの怒声がヨハネを打った。
「何をやっているか、馬鹿者っ!」
「あ……」
「あ、じゃない! 考え事なら後でやれ」
「すみません、アリ……」
 そこまで云ったところでアリアの拳が振り下ろされる。
「馬鹿者! 人の名前を間違えるやつがあるか!私の名前はアルフォンソ・フェルミだ!!」
「いっ……痛い」
「それで俺に何が聞きたい?」
 塔乃院は云った。
「教皇庁内の異能力を持つ者ばかりが狙われているんですよ……いずれも、魂が消失しているんです。貴方の意見をお聞かせ願えればと思いまして」
「生憎と俺は殺っていないぞ」
「分かっています……でも貴方以外は居ないんですか?あの能力は……」
「俺が知る限り、あと四人いるが」
「他にもいらっしゃるんですか?」
「恐ろしいことにな……」
 そういって塔乃院は哄笑った。
「何が可笑しいんです?」
 ヨハネは云った。さっきとは違う笑いがヨハネの何かに火を点ける。どこか悲しげなのにこの人は自分自身をも鼻で笑って、闇の深さに気が付かないフリをしている。
「だって、そうだろう? タチの悪いのが5人も居たんじゃな」
「そ……そんな」
「こちらはそっちの捜査にも協力する用意があります」
 皇騎が云った。
「それは良いな……で、俺はどうすればいい?」
「次のターゲットを狙ってくるでしょうから、共に戦っていただきたいんです」
「俺は随分と安く思われているんだな」
「そちらの捜査も片が付きますが?」
 怒りを抑えてアリアが云う。
「勘違いするな……俺は公務員(いぬ)じゃない。俺を飼える奴なんて居ない」
「でなければ、何……なのですか?」
 紅潮した頬が熱い。
 アリアはともすれば睨んでしまいそうになる自分を心の中で叱咤した。自分の正体さえ知らせず残さず行動するのが隠密の基本だ。それよりも、ここで怒ってしまったら自分に対して負けたようで、アリアはなんとも云えない不快感を感じる。
 しかし、アリアの必死な努力を塔乃院の痛烈な一言が粉砕してしまった。
「俺は警視庁という名の権力に住んでいるんだ」
「クッ!……言わせておけば、この外道め!!」
 アリアは銃を抜いた。
 もう、これ以上の我慢なぞ、アリアにとって無理な話だった。
「遅い!!」
 塔乃院も拳銃を抜く。マグナム44だ。190センチを優に越す彼の体に比べれば、その銃身さえも小さく感じる。
 轟音がホールに弾けた。
 突如、鳴り響いた銃声に客席は騒然となった。
「塔乃院さんっ!」
 ヨハネが霊力を宿したピアノ線を投じたときにはすでに遅く。銃は火を噴いていた。
 予想される惨劇に恐ろしくなり、ヨハネは目を伏せた。ホール中に響き渡る客の叫び声がどこか遠い。何もかもがスローに感じる。しかし、アリアの被弾の絶叫も聞こえてこない。
「目を閉じてはいけませんよ、ヨハネさん!」
「え?」
 皇騎の声に顔を上げた時には、眼前にそれは迫っていた。
「わあ!」
 慌てて身を伏せる。
 それは闇を切り裂いただけだ。しかし、弧を描いて舞い戻ってくる。ヨハネはピアノ線を握り締めた。暗がりで見えず、バサバサという羽音だけが頼りだった。
「まさか塔乃院さんはこれを……」
「らしいな……」
 悔しいが、敵の気配に気が付かなかった自分が悪い。先を越されたことにアリアは苛立った。
「僕……」
「ヨハネ神父、喋ってるヒマがあったら倒せ!」
「えっ?」
 アリアの声に呆けていたヨハネは反応した。
「伏せて!」
 再び皇騎が叫んだ。
 攻撃を避けると護符を投じる。
「急急如律令!」
 同時に反閇を行い、悪星を踏み破って吉意を呼び込んだ。
「行きますよ……」
 皇騎が手を上げると二つの影が飛来した。上位式神(精霊)化した齢八百歳の化け梟『御隠居』と『和尚』が襲撃者に向かってゆく。その間に皇騎は名刀『髭切』と不動明王の『羂索』を武器召喚する。
「妖か!」
「いや、人もだ!」
 叫んだアリアを横から塔乃院が訂正する。
「まだお客さんが……」
 一階席を覗いてヨハネが云う。
 塔乃院は片手でプラ板を叩き割り、火災警報機を鳴らした。これで被害は少なくなるだろう。
「生霊も居ますよ……今夜は賑やかですねvv」
「冗談行ってる場合じゃないです、師匠!」
「生霊は私が引き受けます」
 云うと、皇騎は奇怪にくっ付き合った生霊たちに向き合った。
「燃えん不動明王、火炎不動王、波切り不動王」
 『羂索』が光を弾いて金色に光る。
「大山不動王吟伽羅不動王、吉祥妙不動王、天竺不動王。 天竺山坂不動王逆しに行ふぞ、逆しに行ひ下せば、向かふわ、血花に咲かすぞ。味塵と破れや妙婆訶」
「不本意だが仕方ない……加勢するぞ、異教徒!」
 アリアは気配の在る方向に走り出したが、数メートル先で身動きが取れなくなる。相手はあらかじめこの貴賓席のみに対術防御の結界を貼っていたらしい。アリアは術を破る為、祝福を施した術式鉄甲弾を取り出した。霊的防御を破壊するついでに攻撃報射を繰り返す。鉄甲弾が掠めて飛んだが、『和尚』は攻撃を止めずに妖鳥を襲った。

「燃え行け、絶え行け、枯れ行け、生霊・狗神・猿神。水官・長縄・飛火・変火・其の身の胸元・四方さんざら味塵と乱れや妙婆訶、向かふわ知るまいこちらわ知り取る、向かふわ、青血・黒血・赤血・真血を吐け、血を吐け、泡を吐け、息座味塵にまらべや天竺。七段国へ行なへば、七つの石を集めて、七つの墓を付き、七つの石の外羽を建て、七つの石の錠鍵下して味塵、すいぞん阿毘羅吽妙婆詞と行ふ、打ち式・返し式・まかだんごく、計反国と七つの地獄へ打ち落す……オン・アビラウンケン・ソワカ!」

 術が完成し、虚空に方陣が浮かび上がる。この光は膨張し、生霊を弾き返しつつ、術師にそれを叩きつけた。
「破ッ!!」
 すざまじい悲鳴をあげて妖鳥が墜落ちた。妖鳥は符札と消え、反対側の二階席からも人が落ちる。
「あれが術師ですかね」
「行きますよ、猊下」
「やれやれ、落ち着きませんねぇ……」
「ぶつぶつと耳元で文句云わないで下さい!」
「はぁ……もう、おやつの時間なのに、ケーキも紅茶も無いティータイムなんて考えられませんよ」
「日本にきて随分、いい暮らしぶりのようですね……一日三回おやつの時間はあるわ、寝坊はするわ、お祈りの時間は遅いわ……子供の着るような可愛らしいパジャマを着て魚市場のマグロみたいに寝ているなんて、信者一同に対して示しがつきませんね!」
 パジャマの模様もダメなんて……と呟きながら、若き枢機卿はズルズルと長い法衣を引きずって貴賓席を出た。
 アリアは炸裂鉄甲弾をセットする。ビクリと反応するユリウスを無視し、水銀弾と銀の十字架を溶かして作った弾をジャケットの裏地から引き剥がした。念のため用意したスーツの裏地は教皇庁武装監警開発部特製のレーザー拡散布を張ってある。USネイビーにすら、このような代物は用意できないだろう。
 犯人が教皇庁内の人間なら、教皇庁の名誉のため、これを徹底的にもみ消す必要がある。そのことに対して容赦などありはしない。それが警視庁の人間なら、それ相応の処罰をするように勧告するつもりだった。

 皆は階下へと向かった。廊下は植木鉢などが倒され、騒然としていた後が窺えた。ホワイエを通り過ぎ、一階席のドアを押し開ける。
 最前列から三つ目にそいつは居た。しかし、 首はあらぬ方向に曲がっている。目は見開き、絶命しているのが分かった。
 そばには例のカードがあった。
 ヨハネがそれに手を伸ばすと、そいつは襲ってきた。折れた足を引きずり、前のめりになりながらも、異常に発達した脚力で飛び掛る。
 不意のことにヨハネは呆然とし、行動が一瞬遅れた。アンテッド化した人間の力は凄まじく、掴まれた腕は容易に振り解けなかった。
「師匠〜っ!」
「ヨハネ君?」
「馬鹿者ッ!!……仕方ない、塔乃院」
「分かっている」
 そう云うと、炸裂鉄甲弾と塔乃院のマグナムが火を噴く。弾けた肉片がシャワーの如くヨハネに降りかかる。返り血を浴びるままにして、ピアノ線の結界を張り、他に潜んでいた妖を切り裂いた。皇騎は2羽による牽制の隙を突き、呪符と剣撃を叩き込む。
「た……助かったぁ〜」
「不用心すぎるぞ、ヨハネ神父!」 
「まあまあ……無事なら良いじゃないですか」
「しかし、何でこんなにしつこいのだろう……?」
 皇騎は肩を竦めた。
「それは私たちが次のターゲットだったからじゃないんでしょうかねぇ☆」
「そんな……」
 ヨハネは情けない声を上げる。ジロッとアリアに睨まれ萎縮した。
「では、俺はこいつと居れば奴に会えるんだな」
 塔乃院はユリウスを指して云う。それに対し、皇騎は愁眉を寄せて抗議した。
「こいつとは失礼ですよ、塔乃院さん」
「そうだ、よく言った異教徒!」
「先輩……何か意見が合うようですね」
「何を云うかっ!」
「まぁまぁ、アリアさん……で、奴って誰です?」
 この人が喋ると、何故か長閑になる。
「俺が追っている相手だ。奴も呪禁官だが、上司である俺の目を掻い潜って半年前から逃げている。目下、そいつを喰うのが俺の仕事だろうな……」
「…く……喰う!!」
「あぁ……」
 依然、すました顔で云う。
「奴は半端な吸魂者だからな……外をふらふらされては俺が困る。封殺許可が下りたんで『喰う』ことにした……」
 塔乃院の微笑んだ表情に、何故か皆は凄惨なものを見た気がする。ヨハネは塔乃院の意味ありげな笑みと、別れ際の「また逢おう……」と云った声が耳から離れなかった。

 東京の片隅から闇色の歪みが広がってゆく。
 黒い蝶は確実に狙いすまし、獲物の傍らを飛ぶ。
 飛来するは、絶望の導き手か
 それとも、明日を呼ぶ太陽なのか?

 通り過ぎるタクシーの群れを皇騎は眺めていた。
 道の先には街があり、守るべき灯火がある。穏やかになりつつある風に吹かれて、皇騎は淡白雪の花の夜香を聞く。

 明日の夜も此花の姿を望めるようにと……

 ■END■

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0979 /アリア・フェルミ/女 /28歳/外交官(武装異端審問官)

 0461 /宮小路・皇騎 / 男 / 20歳/大学生(財閥御曹司・陰陽師)

1286 /ヨハネ・ミケーレ/ 男 / 19歳 /教皇庁公認エクソシスト(神父)

(名前五十音順)
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■         ライター通信          ■
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こんにちわ、朧月幻尉でございます。

 「ヴァチカン・シリーズ」にご参加いただき有難う御座いました。
 なお、このシリーズは全5話の予定になっております。
 よろしければ、次回もご参加くださいませ。
 随分と字数を超えて書いてしまいましたが、いかがでしたでしょう?
 楽しんでいただけましたら幸いです。

 ご意見・感想・苦情等、お聞かせください。
 今後の参考にさせていただきます。
 それでは、またお会いできることを願って……

                 朧月幻尉 拝