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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京怪談・草間興信所「宝石の在処」

■オープニング■
 それは一体何処にあるのだろうか?
 明確に名のついた器官に、それはあるのだろうか?
 いや――

 静かな印象の女だった。40を過ぎた程だろうか、和服が身に付いている。女は名刺を草間に差し出した後はその反応を待つように口を閉ざしていた。
 草間は名刺に目を通し僅かに眉を寄せた。そこに記された名に聞き覚えがあったのだ。
「赤木みずほ?」
「はい」
「――占い師、の?」
「はい」
 女ははっきりと頷いた。その名は新宿界隈では良く知られた占い師のものだったのだ。嘘か誠か、政治家や実業家の類いも彼女を訪ねると言う噂まである。
 草間は一転して胡散臭げに女を眺めた。怪奇専門などと言われていようとも草間本人はどこまでも現実に則して生きている。占い師等と言う職種には一種の疑いを持ってかかるのが普通だ。
 しかし女はその不躾な視線にも動じる事はなかった。
 経緯を問われた赤木は頷き、明瞭に説明した。無論分かる限りではあるが。
 赤木は新宿に小さな店を構えている。場所は知る人ぞ知る、宣伝も何もしていないがそれでも客は途切れない。そこでいつものように占いをしていた。していた筈だった。
「ふと気が付くと目の前にお客様がいらっしゃいました。――そして、私は占うことが出来なかった」
「出来ない?」
 赤木は占いに道具を必要とはしない。ただ、相手にとり何がプラスであるか、或いはマイナスであるか、漠然と見て取る事が出来るのだという。
 それがもう、見えなかった。
 草間は情報を反芻し、ふと思い当たった事を口にした。
「ふと? 前後の記憶が曖昧だと?」
「そうです。気付けば目の前にお客様がいらっしゃいました」
 何時の間に呼んだのか、それどころか前の客を送り出したかどうかすら曖昧だという。
「……ふ、ん……?」
 草間は顎に手を当てて鼻を鳴らした。

 それは一体何処にあるのだろうか?
 明確に名のついた器官に、それはあるのだろうか?
 いや――あるべき、なのだ。

■本編■
 携帯の呼び出し音が鳴る。雑踏の中では掻き消えそうな音ではあるが、慶悟の耳は確かにそれを捕らえた。
 胸ポケットから携帯を取り出した真名神・慶悟(まながみ・けいご)はディスプレイに表示された名前に眉を顰めた。
『草間興信所』
 その表示は少なくとも穏やかで平和な事態へと慶悟を誘うことはない。尤もそれが生業なのだから四の五の言う気はないが。
 慶悟の生業は陰陽師。穏やかでも平和でも、そもそもないのだ。
「もしもし?」
『あ、真名神くん?』
 既知の声に慶悟は頷いて、路地へと入る。携帯で会話するには都会の雑踏は些か煩すぎるのだ。
 そしてその既知の声に耳を傾けるに連れ、慶悟の顔は厳しく引き締まった。電話を切ったときにはその足は既にその場所へ、ディスプレイに表示されたその場所へと向かい始めていた。
 そこに何が待っているのか、半分はこのとき慶悟は理解していただろう。だがもう半分の、そしてもしかすると厄介さに於いては前述の半分を遥かに凌駕する事態に対しては完全に無自覚だった。
 無理もない話ではあるが。天災等というものはいつも突然やってくるのだから。



 ピイィィイイィン。
 幻聴だ。そんな事は嫌というほどわかっている。
 しかしシュライン・エマ(しゅらいん・えま)はその音を、空気が張り詰めるその音を確かに聞いた。少なくともそう思った。
 草間興信所には日々仕事を求めて色々な種類の人間が出入りする。仕事を求める動機はまちまちだがそこには一つ共通項がある。特殊な職や特技を持つ人間である、少なくとも東京という街に存在するその特殊さを身を持って知っている人間である、ということだ。
 音の発生源はどちらもその条件に当てはまる。だからこの事態は何時起きても不思議ではなかった。不思議ではなかったが、
「……出来れば遭遇したくなかったわね」
「事情は飲み込めんが依存はない」
 シュラインの独り言に、背の高い派手な風貌の男が同意を示した。シュライン同様に眉を顰め、眼前の事態をただ眺めている。慶悟である。シュラインとも、そして眼前の事態の当事者とも付き合いは深いが、もう片方の当事者とは面識がないためだろう、事の経緯がよく飲み込めてはいない様子だ。それでも、シュラインが、音に関してはスペシャリストであるはずの彼女が聞いた、存在しない音は敏感に察している。
 慶悟が鋭いというよりも、これはこの事態が異常すぎるのである。
 その張り詰めすぎた雰囲気は一組の男女が発していた。
 細身の女と、やはり細身の男。
 冴木・紫(さえき・ゆかり)と、そして――
「…………兄貴……」
 紫はごくりと生唾を飲み下した。眼鏡に黒のスーツ。斜に構えた何処か人を小馬鹿にしたような顔。眼前に立つ男は決して人が良い様には見えないその顔に歓喜を露わにして紫をひたりと見つめている。
 わなわなと振るえる手が紫に向かって差し出された。
「――紫」
 感激を無理に押し隠す喉に絡んだ声で、紫の兄、冴木・継人(さえき・つぐと)は妹の名を呼んだ。
「今の今まで何処に隠れていたんです。私がどれだけ心配したか……!」
 対する紫はといえば見事なまでにそっけない。
「頼んでないし」
「さぁここで会ったが百年目です。家に帰りますよ。あなたのためにエステコースも予約してありますし、着付けも茶道も華道もカルチャースクールに予約済みです」
「だから頼んでないし!」
「このままあなたの結婚資金が腐ってしまったらどうしようかと思っていましたよ。幾度探し当てても直ぐに引っ越してしまって途方に暮れていたんですから」
「だから頼んでないって何度言わせんのよ帰れ!」
「そうですね。さぁお兄ちゃんと一緒に家へ帰りましょう」
「人の話を聞け帰れ!」
 放っておけば永遠に続きかねない言い争いを続ける兄妹を呆然と眺めていたシュラインはふと思いついて傍らの慶悟を見上げた。その視線に気付いた慶悟は眉を寄せてシュラインを見下ろす。
「なんだ?」
「いやなんとなく立場を入れ替えると一寸前の真名神くんと紫に似てるわねぇとね」
 思うところがあったのだろう。慶悟は嫌そうに顔を顰めはしたものの反論する事無く肩を落とした。確かに今の紫の立場を慶悟に、そして継人の立場を紫に当てはめれば覚えのある不毛さだろう。
「まあ、これで一つわかったがな」
「なに?」
 慶悟は重々しく頷いて言った。
「何故冴木の奴が困窮の極みにあるのかということだ」
 ああ、とシュラインは頷いた。それは金もなくなるだろう居場所を突き止められる都度引っ越していたのでは。
「それにしても……」
 シュラインの言いたい事を飲み込み、慶悟は深く嘆息した。
「……一体何時になったら本題に入れるんだろうな」
 確かにそれが今一番の問題といえるのかもしれなかった。



「世の中間違ってるわよね激しく。何で私みたいな善良な人間の兄があんな変態なのよ!」
「……そうだな」
 未だ興奮冷め遣らぬ紫を見下ろし、慶悟は一拍の間の後に紫の言葉を肯定した。
 誰が善良だ。単に敵わないだけで人に対する態度や何やかやはよく似た似た者兄妹ではないか。人の話を聞けと言う台詞は確か自分も言ったような気がするが。
 言ってやりたいことは多々あったが言ったが最後不幸になる気がしたのでぐっと堪えた慶悟である。
 草間興信所に集った四人は現在二手に分かれて行動を開始していた。シュラインと継人はこれまでの事件の関係者を当たっている。紫と慶悟は囮もかねて街の探索に出ていた。継人は頑迷に妹との同行を主張したがそれ以上に頑迷に紫がそれを拒んだ。埒があかなくなりかけた状況をシュラインが何とか引き分けたのだ。
『私には『彼』の声が分かるし、真名神くんは『彼』の気を覚えてるでしょ? 二手に分かれるならちゃんとした情報を持ってる私達は分かれたほうがいいのよ』
 納得出来る意見に一瞬継人が口篭もった隙を突いて、紫がさっさと慶悟を捕獲して事務所を出たのだが――
「……そう言えばなんであんたエマのほうへ行かなかった?」
 咥えかけていた煙草を口元から離し、慶悟はふと思いついた疑問を口にした。紫は慶悟を見上げ、うんざりと肩を竦めた。
「あなたそんなに死にたいわけ?」
「何故そうなる?」
「自分が把握してない私の知り合いの『男』ってだけで十分な理由なのよあの変態には!」
「……まあそんな雰囲気はあったが」
 冴木継人。はじめて見た紫の兄は妹を見た途端に他の総ては綺麗に頭から吹き飛んだ様子だった。それを思い出して慶悟はしみじみと頷いた。当然だがその余裕が紫の癇に障らないわけがない、猛然と噛み付いてきた。
「人事だと思ってるわね?」
「事実人事だろう?」
 あっさり返した慶悟に、紫はふふんと鼻を鳴らして見せた。
「真名神。あなたね、今行動を共にしてんのが『誰』だと思ってるわけ?」
「誰も何も……」
 あんただろうと言いかけて、慶悟ははっと口を噤んだ。継人にとって紫の知り合いの男はそれだけで殺害対象になり得る。と、言う事はこうして行動を共にしている以上は――
「おい、ちょっと待て」
「まーアレよね。時期が早いか遅いかだけで結局の所命運は同じかもね」
 間接的になされた答えに慶悟の顔から血の気が引いた。
「なにか!? つまり俺は何の罪もなくあんたの兄貴に標的として認識されたということか!?」
「いやうちの兄貴にとっては意味あるし」
「主観論はどうでもいい! 客観的に見てどうかということだ!」
 普段なら気力も既に抜け落ちている所だが今回ばかりは慶悟も引かなかった。何しろ比喩でなく命がかかっている。少し目の当たりにしただけの印象だがあのシスコンっぷりにはその程度の尋常でなさは窺えた。
 紫は重々しく息を吐き出し、慶悟の肩をぽんぽんと叩いた。
「まあ――女の盾になって死ねるなら男冥利に尽きるってもんでしょ?」
「なんで俺があんたの盾にならにゃあならん!?」
 声の限りに怒鳴りつつ、頭の中の冷静な部分で慶悟は思った。
(この兄妹、本気でそっくりだ)
 と。それが心の中の声であり紫に聞かれなかったことは幸いだっただろう。聞いたが最後紫はどんな手を使っても慶悟にまともな老後を迎えさせなかったであろうから。



 思索を打ち切る瞬間は少しの気力を消費する。
 そのまま沈んでしまいたい誘惑から逃れるために。特に彼のような種類の人間にとってその誘惑は抗いがたい。
 そのまま思考の渕に沈んでしまっても、恐らく後悔はしないだろう。
「ですが納得も出来ない」
 一人語ち、彼はゆっくりと立ち上がった。
 幸福な思索の時間は終わりを告げた。それ以上に価値のある果実を手にするためには立ち上がって行動しなければならない。そうでなければ納得できない。
 それは一体何処にあるのだろうか?
 明確に名のついた器官に、それはあるのだろうか?
 いや――
「見つけてみせます」
 彼は飢えていた。常に。常に。癒される事のない渇きが彼を突き動かす。
 癒されるために、本当にただ、それだけが目的だった。



 紫と慶悟は本件とは全く別の部分で重苦しい空気に包まれていた。その沈黙に先に耐え切れなくなったのはやはりと言うべきか紫のほうだった。
 信号機が赤く点滅し人の流れが止まる。足を止めた紫は傍らの慶悟を見上げて声をかけた。
「ねえ……」
 天敵の登場とそれに付随する色々ですっかり失念していたが、今自分達が置かれている状況は決して楽観できるものではない。
 嫌な感覚を紫は覚えている。そしてそれは恐らく慶悟も、シュラインもだ。
「なんかひっかかるのよねぇ。何がって言われると困るんだけど、とにかくひっかかるのよ。うん」
 認めたくない。それが紫に曖昧な言葉を紡がせる。慶悟は小さく溜息をついて一時休戦を己に納得させた。
「奴、だろうな」
 思い出屋。そう名乗り正しくそのものの店を開いていた男。感情のメカニズムを解明する事を目的として動いた狂気の脳外科医。一度は慶悟の禁呪によって『脳』と言うものに関する感情を封じられた。
「再起不能なんじゃなかったの……?」
「どんな術でも完璧とはいかんさ」
 慶悟は苦笑した。人の手によってかけられたものであれば人の手によって外す事も可能だろう。陰陽の技を使う人間は自分ばかりではなく、そして自分以上の術者の存在もまた否定出来ない。そこまで厚顔ではないつもりだった。そして同時に、
「術で封じたからといって、術でなければ解けないというものでもない。心霊的な障害はセラピストの治療で取り除かれる事もままあるからな」
 あー、とどこか投げやりに紫は頷いた。
「そーいや医者だったわねあの男。そう言う伝手も多そうだわ」
「そして医者だっただけに余計に反動はでかいだろう」
 慶悟も顔を顰める。脳外科医に『脳』に関する事柄の意識を禁じるという事は、即ちこれまで培ってきた総てを否定するという事に他ならない。慶悟達にとっては自業自得に等しい当然の処置でも、己の我の為に躊躇うことなく他人の記憶に手を付けたあの男に『自業自得だから納得しろ』と言うのはとても無理な相談だ。
 慶悟はふっと目を眇め、彼方を仰ぎ見た。鳥姿の式を数体放ち思い出屋の気配を探らせてはいるが今のところそれに引っかかるものはない。
「しかも……今回は記憶だけじゃないのよね」
 慶悟の様子を察し口を噤んでいた紫は、ややあってからポツリと呟いた。
「異能を狙っているのだとしたら、下手をすれば厄介だな。――!」
 彼方の気配を辿っていた慶悟はかっと目を見開いた。その気配に紫もまた身構える。
「真名神?」
「お出ましだな」
 低く、慶悟は言った。慶悟が先にその存在に気付いたのは気配に気を配っていたが故だろう。
 信号機が青く変わる。
 動き出した人の波の中を縫うように、一人の男が笑顔で二人に歩み寄ってくる。
 奇異な容姿の人物では決してなかった。背の高いまだ若い男だ。ビジネススーツを一部の隙もなく着こなし、ゆっくりとした足取りで取り乱す事無く雑踏を歩いている。幾人かの女がはっと振り返る程度には整った容姿だった。眼鏡で隠されていなければ、振り返る女の数は恐らく倍加しただろう。冴え冴えとした水際立った美貌の持ち主だ。
 二人はただ、待った。
 その見覚えのある男が近寄ってくるのをただ、息を飲んで待ち構えた。
 こちらの緊迫に気づいていない事など在り得ないだろうに、その男は泰然とスクランブルの交差点を渡り切り、二人に微笑みかけた。
 人好きのする笑顔だった。
「お久しぶりですね」
 三越孝治。――思い出屋はまるで旧友に再会したかのようにそう言った。



 薄暗い室内のBGMはジャズ。革張りのソファーに黒塗りの木のテーブル。高い天井には古い洋画のように大きな扇風機が据えられている。広くも狭くもない店内はしかし少しもせせこましい印象を与えない。都会の真っ只中にあるとは信じられないほどに贅沢に空間を利用している。中央にはオブジェと観葉植物が据えられその周囲を囲むようにテーブルが据えられている。テーブル自体の数は少なく、奥に設えられたバーカウンターも、その大きさからすれば少ない数のスツールしか並んでいない。客もまた多くはない。
 明るさよりも静けさを、活気よりも落ち着きを、強く感じさせる店だ。今は喫茶のようだがメニューを見る限り夜には酒を出す店となるのだろう。少しばかり退廃の香りのする、それだけに居心地のいい店だった。
 紫は半ば呆れた気分でその質のいいソファーに身を沈めていた。隣の慶悟はぴりぴりと青白い気炎を吹き上げている。その気持ちは嫌というほどわかるがこんな店に案内されて殺気を露わにしたままというのも無粋だろう。油断していい相手でないことは分かっていた、だがその上でこの男特有の一種の美学のようなものの存在を紫は敏感に感じていた。
 仕掛けては来るだろう、いずれは。だが今、こうした雰囲気のいい店に誘ってその場で仕掛けて来る事はない。そもそもそれなら自分たちの前にのこのこと現れたりはしないだろう。
「……落ち着きなさいよ」
「落ちつけるか」
 慶悟は親の敵でも見るような目で思い出屋を睨み据えた。
 思い出屋はソファーに深く腰掛けて足を組み、運ばれてきたばかりのエスプレッソの香りを楽しんでいる。そしてふと、その時漸く気付いたという様子を装って慶悟達へと視線を上げた。
「どうなさいました? この店は紅茶もコーヒーも絶品ですが?」
「貴様に勧められたものなど飲めると思うか」
「……頂くわ」
 答えは見事に正反対だ。慶悟は紫を見下ろし、獰猛に唸った。
「冴木!」
「仕掛けるつもりならとっくに仕掛けてきてるわよ。何か用があるからこんなとこに誘ってるんでしょ」
 ふんと鼻を鳴らす紫に思い出屋は我が意を得たりとにっこりと微笑んだ。
「ええ、私も用でもなければあなた方とこうして同じ席につきたいとは欠片も思いませんね」
「ぬけぬけと……!」
 どうしても慶悟は感情が先に立つ。軽く袖を引くことでそれを制した紫は、殊更にゆっくりと言葉を紡いだ。
「それで? なんの用なのよ?」
「これを」
 コトリとテーブルに置かれたものに、慶悟はそして紫もまた目を剥いた。薄暗い店内の照明にも確かに透き通った輝きを放つ、淡い桃色の――大粒の宝石。
 嘗てこの男は手練を使い人の記憶を宝石へと変じた。その宝石と、それは余りにも印象が似通っている。いや同じだ。この男の手にある以上、ただの宝石でなどある筈がない。
 思い出屋は二人の様子を満足げに眺め、大きく頷いた。
「お察しの通り、宝石ですよ。私の作った、ね」
「わざわざ私達に証拠を見せてくれるわけ? どういうつもりよ?」
「理解して頂きたいと思いまして」
「理解だと?」
 ええと頷いた思い出屋は、うっとりと虚空に視線を投げる。
「何故と、そう問うことを」
 慶悟と紫は思わず顔を見合わせた。夢見るようなその瞳は変わらぬまでも、その声にはどこか真摯な響きがあった。
「先人達の問いかけの恩恵にあなた達は肖っていないと、そう言いきる事が出来ますか?」
 瞳に宿る狂気は変わらない。だが声の真摯な響きは更に増している。悪魔的な笑みをメフィストフェレス的なと表現するならばこの真摯さはファウスト的な言うべきだろうか。
 それは狂人の真摯な情熱。
「私は問うているだけなのですよ。何故と、ね」
 紫と慶悟はそれこそ問い掛ける顔つきになった。戯言と一蹴することは可能でも、それを選択する気は失せていた。
 この犯罪者が、犯罪者へと落ちたその理由を語ろうとしている。犯罪者となるには余りにも社会的なものを手に入れすぎているこの男が犯罪者へと落ちた、その理由を。
 抗いがたい好奇心。それもまた何故という問いかけだ。
「何故と問う事無く、人類の進歩は在り得なかった。先人が問い、答えを手にしたからこそ私達は今のこの生活を手に入れているんです。それはお分かりでしょう?」
 紫は無言で頷いた。それは納得せざるを得ない。極端な話だがこうしてお茶を飲む容器に、いやお茶そのものにさえ、技術は使われている。葉を湯に浸すことによって芳醇な香りと味の飲み物が出来上がる。それもまたただ葉がそこに存在するだけでは在り得ない技術だ。もっと極端に言えば火と言う熱を手に入れることさえも。
「私もまた問うているだけなのですよ。感情とは何かと。それは何処にありどんな仕組みで生まれているのかと。それを解明する事が出来れば精神医療は飛躍的に進歩する。いや精神医療だけではありませんね、現に今もプラセボ効果などと言う曖昧な処方も存在するのですから」
 それは何処に?
「異能も同様です。それは何処から生まれるのです、どんなメカニズムで? これもまた解明さえ出来れば技術として使用できるかもしれない」
「そう上手くいくものか」
 吐き捨てた慶悟に、思い出屋は哀れむような視線を投げた。
「火を使う事もまた最初は同じように思われたでしょう。電力も同じことだ。解明さえ出来れば自ずと活用の方法も見つかるというものです」
 思い出屋はカップを口元へと運び、そして飲まぬままに遠ざけた。冷めていた為だろう。
「私は知りたい。そしてそれは決してマイナスでは在り得ない」
 ご理解頂けますか?
 思い出屋は二人を促す。紫はごくりと唾を飲み下した。
 何故と問う。その繰り返しによって総ての技術は生み出された。それを否定する事は出来ない。
 そして同時にこの男の情熱に絡め取られそうになる。真摯な、純粋とさえ言っていいかもしれない狂人の情熱に。
「ふざけるな!」
 思わず頷きかけた紫の意識を強かに打ったのは慶悟の怒鳴り声だった。
「真名神?」
「あんたも何を納得しかけている? 忘れたのかこの男がその為に何をしたかを?」
 はっと紫は息を飲んだ。
 この狂人は純粋に真摯にその渇望に従い、そして躊躇う事無く――
「他人の記憶に手をつけておいて理解しろってのは無理な相談だな」
 慶悟の声に今度こそ紫は深く頷いた。忘れてはならない、この男は犯罪者なのだ。
 思い出屋はやれやれとでも言いたげに首を振った。まるで物分りの悪い子供に言い含めるような口調で言う。
「では現在の科学の総てを否定するんですね?」
「なんでそうなるのよ?」
「確認せずに確立された技術はないと言う事です。戦時化の人体実験において凍傷や伝染病の研究が躍進したのは有名な事実ですよ。それは成果でしょう。それもまた例えばの話に過ぎません」
 思い出屋はせせら笑う。
 慶悟の堪忍袋の緒もここまでが限界だった。
「つまり貴様は自分が何をしているのか理解しているというわけか」
「無論のこと」
 吹き上げる気炎を受けても、思い出屋はびくともしない。泰然とも取れる仕草で大仰に首を振って見せた。
「まあ多分ご理解は頂けないとは思ってはいましたが」
「当然だろう!?」
「真名神!」
 衆目も憚らずに怒鳴り声を上げた慶悟に、紫が非難の声を上げる。だが慶悟の不快感はそんな程度の制止でどうこうなるものではなかった。『人体実験』の『成果』と言い切った、人を人とも思わないこの男に真実怒りを感じる。
 しかし思い出屋にはそれさえ予想の範疇だったのだろう。にっと笑うとすっと手を掲げてみせる。
「お怒りですか?」
「一々聞く必要があるの?」
 心底呆れて言った紫に思い出屋はクスクスと笑う。
「では、どうなさいますか?」
 店の種類の問題なのだろう。他者と関わらない造りのその店の客達は多少の愁嘆場には腰を浮かせることはない。様子を窺ってはいるのだろうが騒ぎにまではなっては居ない。思い出屋が意味ありげにその店内を一瞥する。
「いえ、貴方達に何が出来ます?」
「――甘く見てくれたものだな」
 壮絶に慶悟は笑んだ。
 懐から取り出した符が淡く光を放つ。殺気も露わに攻撃態勢を整える慶悟の腕に、紫は慌てて取り縋った。
「冴木!?」
「馬鹿! わからないの!?」
 紫の声に、慶悟もまたはっと息を飲んだ。
 店内には多くはなくとも客が存在している。それはそのまま人質であるとも言える、そして同時に目撃者でもあるのだ。
「異能による犯罪は確立されてはいませんが、今この状況で私が倒れれば皆さんはどんな行動を取るでしょうね?」
 救急車、そして警察。当然のことながら慶悟と紫は当事者の立場に置かれる。そして店内の客の総ては『柄の悪い男が、身なりのきちんとした男に絡んでいた』と証言するだろう。
「……く」
 歯噛みする慶悟に、思い出屋は低く笑った。そして指先で玩んでいた宝石をピッと弾いて寄越す。テーブルの上を滑り、膝の上に落ちてきた薄桃色の宝石を、紫は慌てて掴んだ。
「わ、と! ちょっと?」
「差し上げましょう」
 思い出屋は唇に指を当て笑いを堪えるようにしながら言った。
「それは記憶の宝石です。持ち主に返せば戻ります。異能の方は既にお仲間に渡してありますよ」
「――どう言うつもりだ?」
「既にデータは頂きました。ならばもう不要なだけの代物ですからね。私は捨ててしまっても構いませんが、貴方方には必要なものなのでしょう?」
「随分と、余裕ね?」
 忌々しげに吐き捨てた紫に、思い出屋はあっさりと頷いた。
「事実余裕ですよ。貴方方は今は私に手が届かない」
「貴様!」
 怒鳴った慶悟は次の瞬間凍りついた。
 その場に確かにあったはずの思い出屋の姿が突然掻き消えたのだ。
「な……!」
 紫もまた思わず腰を浮かせる。慶悟は慌ててテーブルを飛び越え、先刻まで思い出屋が居たはずのソファーを探った。だが視覚どおりそこには思い出屋の姿はない。
 それまで無関心を装っていた客達も俄かにざわめき出す。ち、と紫は舌打ちした。
「ずらかるわよ」
「……」
「真名神!」
 ソファーの上から動かない慶悟に飛びつき、紫は力の限りその腕を引いた。
 ずるずると慶悟を引っ張って店を出ようとする紫に、ウエイターが困惑したような顔で話し掛ける。
「あ、あのすいません……」
「なによ!」
 問答無用で怒鳴りつけるとウエイターはビクッと身を竦ませた。それでも上目遣いに伝票を差し出してくる辺りは流石にプロ根性である。
「お、御代を……」
 紫はあーもう! と唸り、がりがりと頭を掻いた。どさくさに紛れてとんずらしなければ厄介な事となるのは目に見えているのにとんだ時間の無駄だ。紫は素早く胸ポケットから札を一枚取り出してウエイターの鼻先に叩きつけた。
「お釣りはいらないわ!」
 吐き捨てて慶悟を引きずり紫は店を後にする。
 ひらりと千円札が床へと落ちた。
 釣りどころか倍以上不足しているという事実にウエイターが気付いたのは、ドアが荒々しく閉められて暫くして後のことだった。



「もうけ」
「あのな……」
 ある程度店から離れたところで漸く慶悟を解放した紫は殊更に明るくそう言った。慶悟もがっくりと肩を落とす。
 この妙な能天気さには頭が下がるばかりだ。
 既に陽は落ち、ビルのネオンが少しづつ灯り始めている。夜と昼との狭間の時間帯だ。
 紫は宝石をピンと指で弾いた。
「ま、取り敢えずは事務所に戻りましょ。対策はその後のことよ。尤も――」
 紫は肩を竦める事で、まあ暫くは出ないんでしょうけどという言葉に代えた。
 慶悟はそれに納得すると同時にやり場のない怒りに腸が煮え繰り返るのを感じた。
「何のつもりだったんだあの男は」
「何のつもりもなにも……」
 怒り狂う慶悟の姿に、それこそが目的であろうことは紫には容易に察しがついた。
 要するにこちらを挑発しに現れたのだあの男は。
 紫は敢えて口にはしなかったが、その程度の事は慶悟にも把握できていた。ただその(果てしなく珍しい)気遣いに、少しだけ頭が冷える。
 そして先刻ソファーで拾い上げたものをピッと目線の高さに翳した。意匠の描かれた、長方形の和紙だ。
「それって……?」
「見ての通りの式符だ」
 なるほど目の前で消えるわけである。式だったのだ。
「……つまりよーするに今回私たちってば完璧にアレにからかわれたってこと?」
「……………ああ」
 認めたくはないが認めざるを得ない。くしゃりと式符を握り締めた慶悟は、握り潰したその紙の裏面に書かれた文字に気付いた。慌てて紙を広げると、紫がそれをひょいと横から覗き込んでくる。
 そして二人は揃って数瞬絶句した。

 ――さあ、ゲームを始めましょう。もう一度――

「宣戦布告、か」
「らしいわね」
 湧き上がる怒りに、紫と慶悟は拳を握り締めた。



 それは一体何処にあるのだろうか?
 明確に名のついた器官に、それはあるのだろうか?
 いや――あるべき、なのだ。

 だから。
「障害は排除しますよ。どんなものにも私は止められるつもりはありません」
 男は、低く笑う。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1334 / 冴木・継人 / 男 / 25 / 退魔師】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、里子です。再度の参加ありがとうございます。

 嫌なやつが嫌な感じで復活してまいりました。
 こやつの言い分は一面真理なだけに始末に終えません。
 まあだからといって感情のメカニズムを解き明かすという事が何になるのかと言うのは私にはわかりませんが。心理に置ける曖昧さまでなくしてしまったら、人はロボットと大差ないのではないか、そう思いますし。

 今回は大変お待たせしまして申し訳ありません。
 ……ちょっと静養も兼ねまして入院してまいります。